ようこそ才能至上主義の教室へ   作:ディメラ

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誤字報告してくれる方々、いつも本当にありがとうございます。
なるべく減らすように頑張ります……。



何気ない休日

 

 

 休日2日目の朝、僕は開店前のショッピングモールから少し離れたベンチに座っていた。

 現在は、今日一緒に買い物をする約束の人物を待っているところです。

 本当ならば僕1人で買い物に行く予定でしたが、その人物とは偶然この場所での予定があったため、同行することになりました。

 

 買う物とはもちろん、草餅と桜餅を作る道具。

 ボウルや鍋、ラップなどが例に挙げられます。

 ちなみに、よもぎ粉と道明寺粉は既に手配済みです。

 

 草餅を食べたことで、作ってみようと考え至ったあの日にショッピングモールで下見をしましたが、その時には売っていなかったために少々ポイントを使用して、早めに取り寄せました。

 それらを今日の昼頃に取りに行く予定です。

 それまでの間は今回の同行者に付き合って時間を潰せば良いので、1日の流れは完璧でしょう。

 

 

 それにしても、この僕が誰かと仲良く買い物に行くとは。

 僕を造った先生方がこの状況を見れば、さぞかし落胆することでしょう。

 

 人類の宿願、叡智、希望。そのような畏敬を含んだ通称こそが『超高校級の希望』。

 絶望に打ち勝った希望として呼ばれた苗木 誠とは違い、エゴによって生み出された人工の希望。

 

 先日、坂柳 有栖は僕のことを「本物の天才」だと言っていたが、それは本当に正しいのだろうか。

 何を以って本物とするのか、そもそも天才とは何なのか。

 

 例えば、ある1つの物事が他者の追随を許さないほど出来る人を、天賦の才を持つ人と言う。

 例えば、ありとあらゆる物事が平均以上に出来る人を、多彩な才能を持つ人と言う。

 

 他にも例ならいくつか出せる。だが本当に正しい天才とは何なのか。

 

 数多の天才の中でも一際優れた存在を、坂柳 有栖は自らの理論に基づいて「本物の天才」と呼んだのだろうが、果たしてそれは本当に天才なのか。

 

 先に挙げた2つの天才の例を両方とも備えた人。

 すなわち、ありとあらゆる物事が他者の追随を許さないほど出来る人。

 

 これは確かに「本物」の天才かもしれない。

 

 なぜなら限りなく『完璧』に近いということなのだから。

 

 しかし気付いているだろうか。

 完璧へと近づいていくほど、その天才は「人間」という枠組みから外れていく。

 埒外に存在する『怪物』と言った方が正しくなっていく。

 そしてその怪物の結末は、絶望的に盲信である人間から「神」なんていう陳腐な言葉で形容されるか、ダニたちにとって都合の良い「道具」になる。

 

 

 僕はやや自虐的に、今更ながら自分という存在を再認識する。

 加えてツマラナイことに、そんな天才の定義だっていずれ─────

 

「おい」

 

 突然耳に届いた声によって思考が中断される。

 機械的な動作で声の聞こえた方向に視線だけを向ける。

 

 清楚感のある私服を着ているが、猛禽類のような鋭い目付きによって全く清楚に見えない女子が立っていた。

 

 伊吹さんだ。そして待っていた人物でもある。

 

 昨日、彼女から買い物を手伝って欲しいとの連絡があった。

 どうやら男手が欲しいらしく、僕が選ばれたそうだ。

 

 

 休日に異性と出かける、すなわちデートだ。

 初めての出来事に心が踊り、楽しみでしょうがない。

 当日はどんな服を着ていこうか、どういうアプローチを掛けようか、どういうルートでショッピングモールを回ろうか。

 

 ───なんて思えたら、僕にも感情が多少はあったと証明できたでしょうが、実際のところ、同行人としか感じない。

 僕も買い物に行く予定だったので、特に断る必要もなく了承した。

 ただそれだけのことだ。

 

「ほら行くよ。さっさと立って」

 

「……そうですね。手際良く済ませましょう」

 

 そう言葉を返した僕は、ベンチから立ち上がると服のホコリを払った。

 

「……見てるこっちが暑くなりそうな服。だっさいし、季節感違う」

 

 無地の白ワイシャツに、黒のジャケットとスキニーとスニーカー。

 以前まで着ていた予備学科の制服と全く同じ色合いで、それの見た目を軽くしただけの私服です。

 彼女の発言は分かりきっていた評価なので、別に気にしない。

 

「服なんて着られればいいですから」

 

「……あんた少しはモテたいとか思わないわけ?」

 

「興味ないです」

 

 僕の返答を聞き終えた伊吹さんは腰に手を当て、溜息をつく。

 

「なぁ、私が見立てようか?さすがにその格好はさ……」

 

「結構です。僕はデザイナーやコーディネーターといった才能も持っていますから」

 

 その発言を聞き、伊吹さんが驚いたように視線をぶつけてくる。

 同時に、絶対ありえないとも疑っているようだ。

 

「……ダウト」

 

「事実です」

 

「今回ばかりはさすがに嘘よ!だってそんな才能があるんなら特に気にしなくてもセンス良くなるでしょ!」

 

 いつものクールな表情が崩れた彼女は、やや大きな声を出して僕に反論してきた。

 だがそれも一瞬の出来事で、今自分がいる場所を思い出したのか、すぐに元の表情へと戻る。

 

 しかしこれは文句の言いようがない正論ですね。

 実を言うと、今までずっとこの色合いの服を来てたからか、愛着のようなものを感じていた。

 そして特に何かを考えることも無く揃えてしまったのだ。

 だからセンスなんて欠片もない。

 

「どれほど疑われても別に良いです。持ってるには変わりないのですから」

 

「……じゃあさ……試しにあたしの服を見立ててみなよ。それでセンスが良かったなら認めてあげてもいい」

 

 彼女はそっぽを向くようにそう言う。

 その頰は少し赤くなっていて、目を合わせようとしない。

 その姿は普段とは違う服装もあってか、いつもの彼女よりどこか魅力的に見える。

 

 男勝りな性格な彼女ですが、見た目にはそれなりに気を使っているようですね。

 薄くですが化粧をしていて、普段の彼女とは違う匂いからも香水を付けていることが分かる。

 そんな彼女が誰かに服を選ばせる、それも異性にだなんて、それなりの勇気がなければ出来ないはずだ。

 

 石崎くんがこの状況を見れば、恋の予感がありそうです。

 だが残念ながらこの場にいるのは僕、他人の見た目で心が動されることはありません。

 正直、それくらい自分で選べとも思ってしまう。

 

「認めてもらう必要がありませんね」

 

「ねぇ、私だって女子。ちょっとはそういう所気にしろ」

 

「僕が他人の私服に興味を持ち、あまつさえ褒めると思いますか?」

 

 ピシッ、という擬音が聞こえてきそうな勢いで、伊吹さんの額に青筋が幾つも立つ。

 だがすぐに溜息をつき、少しガッカリとした表情を見せる。

 

「……期待して損したわ」

 

 小さな声でそう零す。これ以上、彼女を刺激する必要もないので聞き流す。

 

「行きますよ」

 

「ふん」

 

 

 ───機嫌が悪くなった伊吹さんと一緒にショッピングモールへ入り、買い物を開始した……。

 

 

 

 ────────────────────

 

 

 

 ショッピングモールに入ってから2時間ほど経過した。

 彼女の買い物に散々付き合わされ、振り回され、歩かされましたが、そこまで退屈ではなかったので許します。

 

 複数の衣類関係の店。家電製品の店。日常品スペース。そして食材売り場。

 いろいろなものが入っている荷物を持ちながら、彼女に付き合うのはそれなりに疲れました。

 ちなみに、よもぎ粉と道明寺粉は既に回収済みです。

 まだ正午になっていませんが、幸運にも早く届いたため、買い物の途中で手に入れることが出来た。

 

 

「わりと重い」

 

 伊吹さんはそう愚痴りながら、自分のペースで帰り道へと歩いている。

 だが買い物を開始した時よりは機嫌がだいぶ良くなっています。

 どうやら今回のショッピングはそれなりに満足したようですね。

 

「あんた、これで和菓子でも作るつもりなのか?」

 

 彼女は僕が買ったボウルや鍋などの道具、砂糖や餡子といった具材を見て、そう推測したようだ。

 

「ええ、今回は────」

 

 と、草餅作りの計画を簡単に要約して言う。

 

「へぇー、ねぇ私も行っていい?お菓子作りってやった事ないからやってみたい」

 

「構いませんよ。ですがあなたはこの後、映画館に行くのでは?」

 

「ああ、別に良いよ気にしなくて。元々1人で行く予定だったし」

 

 自宅で映画を見るのと違い、映画館に行くとなると、どうしても誰かと一緒に見に行くという偏見が浮かんでしまう。

 個人的には椎名さんとでも行くと予想してましたが、どうやら違うようですね。

 

「意外ですね」

 

「卒業するまでにさ、この学校内で上映する映画を制覇するつもりなの。誰かと一緒に行ったら、無駄な時間取られて面倒じゃん?だから1人なんだよ」

 

 他人の趣味にどうこう言うつもりはないが、彼女らしくない趣味だなと思ってしまう。

 しかしそれでいて一匹狼を気取っている伊吹さんらしい発言だなとも思う。

 

「制覇と言いましたが、その中に好みじゃない映画もあるんじゃないですか?」

 

 好みじゃないものを見るのは単にお金が勿体ないだけでなく、時間を無駄にする行為だ。

 制覇すると言うくらい映画好きなのだから、オールジャンルでいけるのでしょうが、それでも少々無駄な気がしてならない。

 僕にとって映画は楽しむものではないので、どうしてもこのように考えてしまう。

 

「ハズレはハズレで楽しめるし、意外な良作もあるのよ。それに考え方が少し変わる時もある。例えば私はアニメとか全く見ないし、何となく忌避感を持っていたんだけど、この前見た恋愛アニメーション映画は普通に面白かったし、そういう偏見も少し取り除かれた」

 

「1人で恋愛映画とは、これまた意外ですね」

 

「どうやって死にたい?」

 

 彼女の殺害予告は置いておいて、実際は感心している。

 今の考え方は苦手なものに挑戦する姿勢がなければ出来ない芸当だ。

 当たり前のことだが、これは意外と難しい。

 

 苦手の程度にもよるが、基本的に苦手なものとは距離を置きたくなるのが人間の性だ。こればかりは仕方がない。

 が、それを克服しようと考えるということは挑戦するということ。

 自らの意志で真実を確かめにいく、すなわち「経験」するということだ。

 経験を重ねれば、真に力となる自信がつき始め、心の持ち方が変わっていく。

 ツマラナイ人間から変化していく第1歩だ。

 

「あんたって本当にデリカシーがないのね」

 

 僕がその考えに感心している横で、彼女はため息をつき始める。

 あなたがその言葉を言いますか、と言うのを抑えて会話を続ける。

 

「他人に気を遣って、相手を不快にさせないように笑ったりした方が良いと?」

 

「…………想像したらゾッとするくらい気持ち悪かった。絶対やめて」

 

「デリカシーって知っていますか?」

 

「うっさい」

 

 言葉のブーメランが突き刺さっている伊吹さんを放置して、僕は徐に周囲を見渡す。

 時間もそれなりに経ったので、ショッピングモールもだいぶ賑やかになってきた。

 同性だけの少数グループ、男女が入り交じっている多人数のグループ、彼氏彼女の関係と思われる2人組といった、いろいろな集団が目に入ってくる。

 

 たがその中でも、ここから少し離れた所に何やら険悪な空気がある集団を見つける。

 

「流石に人が多くなってきたわね。さっさと退散しよ」

 

「そうですねと言いたい所ですが、どうやらそうもいかないらしいですよ」

 

 僕の言葉を聞いた伊吹さんは、僕が見ている方向に視線を動かす。

 彼女がその動作をした直後、キリキリと甲高い叫び声がショピングモールに響き渡った。

 

「あなたからぶつかってきたんでしょう!Bクラスだからって調子に乗らないでくれる!」

 

 周囲の人々の視線がその発生源へと集中する。

 僕には渦中にいる片方の女子に見覚えがある。

 

「あれって真鍋と……Bクラスの生徒じゃん」

 

 ヒステリックな喚き声を上げている方はCクラスの生徒である真鍋 志保、もう片方はBクラスの生徒らしい。

 

 真鍋 志保がどのような人物か補足すると、彼女は自分より強い人間には弱気で、弱い人間には強気といった典型的なツマラナイ人間です。

 彼女はいつものように自分よりも弱い人間である取り巻きと一緒に行動している。

 

「何でそんなしょーもない事で……ああ、そっか」

 

 伊吹さんが状況の真意に気付いたようだ。

 彼女が想像している理由で間違いないでしょう。

 

 普通に見ればこの状況はただの揉め事に見えますが、実際の事情は違う。

 なぜなら彼女たちはBクラスへ嫌がらせをしろと、裏で龍園くんに命令されているからだ。

 

 彼は現在、学校側の対応がどの程度なのかを把握するために、クラスメイトを使って実験している。

 今はその現場に出くわしてしまったという訳だ。

 駒たちは休日にも関わらず、せっせと働き、今のこの状況を作ったのでしょう。

 

 無駄な事だ。

 それにここは公共の施設。これ以上騒ぎを大きくすれば、ポイントに響いてしまうかもしれない。

 

 僕としてはその辺も考慮しておくように命令するべきだったと思います。

 いや、彼からすればそんな事で足をつく人間は、切り捨てる対象なのでしょう。

 

 

「はい、ストップ!」

 

 突然、言い争っている2人の生徒を仲裁する声が聞こえたので、僕は彼女たちに意識を向けた。

 すると薄桃色の髪を靡かせ、とても溌剌とした雰囲気のある少女が、彼女たちの間に入っていた。

 

「一之瀬さん!」

 

 被害者である女子生徒の表情が、安心と信頼で明るく変わっていく。

 その様子から介入者の、一之瀬 帆波の人望が高いことが容易に窺える。

 

「千尋ちゃん、ここは公共の場所。そんなに大きな声は出しちゃダメだよ。……真鍋さんもね」

 

「一之瀬さん……」

 

「これも龍園くんの“指示”なのかな?」

 

「……龍園?あんたは何のことを言ってんのよ」

 

 これまた早い展開ですね。

 会話を自分のペースに持ち込んだ一之瀬さんは、その流れでCクラス側を追い詰めていく。

 

 不利になった真鍋 志保はというと悔しそうに唇を噛んでいる。

 どうやらこの場に一之瀬さんが現れるのは予想外だったようだ。

 そうした態度が口より雄弁に語ってくれている。

 

 このまま彼女たちが争えば、なにかしらの証拠を掴まれる可能性がある。

 つまり、ポイントが減る可能性に繋がるわけだ。

 

「止めないの?」

 

 伊吹さんの単純な疑問。

 彼女もこのままではポイントが減少するという事に気付いてるのでしょう。

 

 しかし止める気はない。

 今回のミスは彼の指示ミス。そんな事にまでいちいち手助けはしない。

 そもそも、助ける側の真鍋 志保はツマラナイ。

 

 図書館の時は彼直々の指示があったから止めただけであって、今回のような事を僕がわざわざ止める必要性はない。

 

「……つまらないって訳ね。じゃあ私は真鍋の無様な姿を見に行ってくるから。これ持ってて」

 

「手短にお願いしますよ」

 

「ん」

 

 彼女は頷きを返すと、僕に手荷物を預けて歩いて行く。

 彼女はクラスポイントを大切にしている。

 それ故の行動。あまり相性の良くない真鍋 志保を助ける理由なんてそんなものでしょう。

 

 暇になった上に手荷物が邪魔なので僕は座る所を見渡して探す。

 少し離れた所に休憩用スペースを見つけたので、そこへと真っ直ぐ歩いて行く。

 

 僕は手荷物を空いているスペースに置いて、その隣に腰を下ろす。

 特にやる事もないので、リラックスしながら伊吹さんの状況を見守る。

 

 真鍋 志保たちの姿は、伊吹さんと丁度被っているので表情が見えない。

 今頃は彼女の宣言通り、無様な姿でも晒しているのでしょうか。

 あまりに暇すぎて、ツマラナイ人間のことで時間潰しに考えてしまう。

 

 

「ねぇ、ちょっと良いかな?」

 

 

 横から誰かの声が聞こえてきた。

 僕の周りには誰もいないので人違いということも無いだろう。

 猫を被ったような高い声の持ち主に、僕は視線を動かす。

 

「……何の用ですか」

 

 金髪のショートボブで、豊満な肉体を持つ少女が目の前に立っていた。

 身長は155cm程だろう。季節にあった軽めの服装は良く似合っている。

 そして怯えと嫌悪を含んだ瞳がこちらを見る。

 笑顔なのに悪感情を抱いている様子に少し興味を持つ。

 

「えーと、『聞きたいこと』があるの!時間貰っても良いかな?」

 

 満面の笑みを見せる彼女に、道行く関係ない人間ですら目を奪われている。

 彼らのような人達にとって彼女の笑み、敢えて言うなら誰も彼も包み込んでしまうツマラナイ笑みを浮かべる彼女は幸運を運ぶ天使のような存在なのでしょう。

 そんな彼女に、僕は了承の会釈を返す。

 

「うん、ありがとうね!」

 

 座っている僕と目線が合うように腰を下げ、胸を強調するように手を組んで顔を近付ける。

 

「君は、Cクラスのカムクライズルくんだよね?」

 

「ええ」

 

「私の名前は────」

 

 

 偽りの仮面を付けた女子との会話が始まった。

 

 

 

 ───────────────────────

 

 

 

 数分後、お話を手早く済ませた僕は荷物を持って伊吹さん達の方へと向かう。

 さほど離れてはいないので、彼女たちの方も僕に気づいたようだ。

 一之瀬さんがこちらに振り向き、高く上げた左手を大きく左右に振っている。

 

 真鍋 志保やその取り巻きは見えない。

 つまりは撃退したのでしょう。宣言通り、手短に終わらせたようだ。

 

「遅い」

 

 僕の顔を見た途端に不機嫌そうな表情へと変わる伊吹さん。

 

「久しぶり!カムクラくん!」

 

 僕の顔を見る前からずっと嬉しそうな表情である一之瀬さん。

 

 こういう所ですね。

 人徳の差が出ていると認識する。

 

「久しぶりですね。それでは──」

 

「はい、ストップ!ちょっとくらいお話しよ!ね?」

 

 僕の素っ気ない態度に笑顔を返した彼女は、同時に素早い動きで退路を塞ぐ。

 さすがに2回目なので、以前のように慌てたりはしないようだ。

 

「……意味がありませんね」

 

「少しだけ、少しだけでいいからさ」

 

 親指と人差し指で、時間を摘む仕草をする。

 これだけ見れば、ただの可愛らしい少女がお願いしてるようにしか見えないが、瞳に強い意志が篭っていることから何かあると推測する。

 大方の察しは付いていますが、いちいち関わると面倒くさいので早く帰りたいです。

 

 それと先程から、被害を受けていた女子生徒からの視線がうっとうしい。

 

「……ねぇ、一之瀬さん。この人ってやっぱり……」

 

 被害者の女子生徒に視線を向けると、彼女はすぐに一之瀬さんの後ろへ隠れてそう尋ねた。

 

「大丈夫!彼もそんな事しないよ!Cクラスだからといって全員が嫌がらせをしてくるわけじゃない、伊吹さんだってそうだったじゃん!」

 

「そ、それは分かっています!……けど……彼が“あの”カムクライズルくんでしょう?龍園くんが対等に認めている唯一の人だっていう……」

 

「……まぁそうなんだろうけど、彼は大丈夫だよ」

 

 一之瀬さんは僕のことを見ながら、意地悪そうに笑う。

 自業自得というものを初めて体験した時は、新鮮で良かったのですが、このやり取りにもさすがに飽きてきました。

 

「相変わらず、厄介事に自ら首を突っ込んでいるのですね」

 

「にゃはは、でも君だって図書館の時は同じだったじゃん!人の事言えないよ!」

 

 同じなわけがない。

 利己で争いを止めた者と善意で止めた者では意味がまったく違ってくる。

 共通するのは争いを止めたという結果だけ。

 人格によって対応が変わる過程こそ、本当に見るべき点だ。

 もっとも彼女にこれを言っても聞く耳は持たないでしょうが。

 

「正直こんな所で君に会えるとは思ってなかったからね〜。今日はもしかするとラッキーデイかな!」

 

「僕からすれば貴方みたいな鬱陶(うっとう)しい人と会うのはアンラッキーデイですよ」

 

「ひ、ひどい…………あ!なるほどねぇ〜」

 

 悲しい表情から何かを察した表情へと変わる。

 

「『デート中』だもんね。そりゃあ、邪魔されたくないか」

 

 そう言い終えると、一之瀬さんは申し訳なさそうに笑う。

 客観的に見たらそういう風に見えますが、残念ながら違いますね。

 

 ……ここで動揺していれば、少なからず気があるかどうかが分かるのでは、と僕にしてはくだらない思い付きが頭の中を過ぎる。

 僕は斜め後ろにいる伊吹さんの表情を、彼女から気付かれないように見てみる。

 

 しかし予想していた通り、彼女の表情は全く変わっていなかった。

 

「デート中じゃない。そもそも私とカムクラは付き合っていない。勘違いしないで」

 

「そんなことよりも、早くこの荷物を持ってくれませんか」

 

 一之瀬さんの全く的外れな推測を無視して、僕は伊吹さんへと荷物を返すために片手を彼女の方へと近付ける。

 

「……今ならカッコつけられるわよ」

 

「あなたからの好感度を上げる必要性が感じられません」

 

 薄々気付いていたためか、そのあとの彼女の対応は早かった。

 僕の手から荷物を乱暴に奪い取る。

 その時の彼女の表情は心底面倒くさい、そういったものであった。

 

「ええっ!?あなた、女の子に荷物を持たせる気ですか!?」

 

 一之瀬さんの後ろにずっと隠れている女子生徒が驚いた声を上げる。

 どうやら、僕らの気の抜けるやり取りを見たことで警戒心を弛めたようだ。

 

「ええ。今までは僕が持っていましたが、元々は───」

 

「お、女の子に荷物を持たせるなんて酷い!一之瀬さん、やっぱりこの人ダメな人だよ!龍園くんと仲良いわけだよ!」

 

「……あなた、何を勘違いしているのですか」

 

 彼女は顔を赤くし、僕に対して蔑むような視線を向けてくる。

 

「にゃはは、多分勘違いだよ千尋ちゃん」

 

「一之瀬さんは人が良すぎる!男の人は女の人に舐め回すような目を向けてきて、あんなことやそんなことを命令してくるケダモノなんだよ!」

 

 呆れるほどの差別発言ですが、その言葉の裏側に普通の人とは違う歪な何かを感じる。

 おそらくですが、彼女は同性愛者である可能性が高い。

 よくよく彼女の挙動を分析してみると、彼女の方がよっぽど一之瀬さんのことを舐めるような視線で見ているので限りなく正しいでしょう。

 

 つまるところ独占欲ですか。一之瀬さんの1番は自分。そうなる為に彼女に好意を持つ人、特に男を近付かせない。

 その欲のせいで思わず出てしまった差別発言なのでしょう。

 くだらない。

 

 彼女、のちに白波 千尋と名乗っていたこの女子は一之瀬さんの肩を掴み、正気に戻すように揺らしている。

 揺らされている本人は特に抵抗する様子もないため、かなりの速度で顔が上下を往復している。

 

「……あんなの反則よ」

 

 横から伊吹さんの悔しそうな声が聞こえる。

 先程と同じように彼女の方を見てみると、自身の慎ましい胸に両手で触れていた。

 

 僕はもう一度、一之瀬さんの方を見やる。

 現在進行形で、白波さんが一之瀬さんを揺らしている。

 

 彼女の顔が1往復すると、連動するように彼女の(むね)は揺れていた。

 

 なるほど、確かにあのプロポーションは恵まれている。

 この学校が外部とのやり取りを禁止せず、彼女がもう少し自分に自信を持っていたならば、グラビアの才能が開花してる可能性が十分にありえる。

 

 まぁ伊吹さんには関係ない話でしょうが。

 

「おい、比べただろケダモノ」

 

「……くだらないですね」

 

「誤魔化すな!絶対比べただろ!」

 

 そう言うと彼女は、事の真偽を確かめるためか、僕の胸倉(・・)を掴み、顔が見えるように手を引いた。

 しかしその直後、冷静ではなかった彼女の動きが思考停止したかのように凍った。

 

 何故止まったのか聞こうとするが、その前に彼女は恐る恐るといった手つきで僕の胸板に触れる。

 

 

 ───伊吹さんは膝から崩れ落ちた。

 

 

 

 

 閑話休題。

 

 

 

 

「ふぅ。千尋ちゃん、落ち着いた?」

 

 大分騒がしくなりそうだったので、僕達はさっきいた場所から少し離れた所へと移動した。

 

「ええ、取り乱してしまい申し訳ありません」

 

 そうは言うが、彼女の僕への視線はあまり変わっていない。

 というか、同じような視線が2つに増えました。

 

「そろそろ帰りたいのですが」

 

 時刻は現在、正午を既に回っている。

 僕は一刻も早く草餅作りに着手したいので、一之瀬さんを急かす。

 

「……もしかしなくてもカムクラくん、私の事嫌いだよね?」

 

「別に。敢えて言うなら面倒くさい人だとは思っていますよ」

 

 僕の回答にどう反応すればいいか困っている彼女は、伊吹さんへ目を向けてヘルプを訴える。

 

「……あんたはつまらないって言われてないから、多分嫌われては無いと思うよ」

 

「そっか、なら良かった!」

 

 素直に助け舟を出した伊吹さんと安心した表情を見せる一之瀬さんは、会話が終わるとお互いに薄く笑う。

 

「……でも彼の言う通り、時間も時間ですね」

 

「確かにそうなんだよねぇ〜、もうお昼の時間だもん!」

 

 伊吹さんはそれを聞くと、草餅のことを思い出したのか、ハッ!とわかりやすい仕草をする。

 

「ねぇねぇ、私達はこれからお昼にしようと思うんだけど、よかったら一緒にどう?」

 

「……ごめん、嬉しい誘いだけど断るよ。今昼食にしたら餅が食べれない」

 

「餅?……ああ、その袋は材料が入っているのか!なるほどね〜」

 

「そういう事。だから私達はここら辺でお暇させてもらうわ」

 

 その言葉とともに、僕達は一之瀬さん達から背を向けようとする。

 

「ちょっと待ってカムクラくん、伊吹さん。最後に真面目な話していい?」

 

 雰囲気が変わる。伊吹さんも直感的にそれに気付き、いつもの鋭い目付きをした表情で向き直る。

 僕達はそのまま、彼女の次の言葉を待つ。

 

「『聞きたい事』があるの。答えてもらってもいいかな?」

 

「答えられる範囲ならね」

 

 その答えを聞くと、一之瀬さんはニコリと笑い、僕達に質問した。

 

 

「ねぇ、あの暴力事件は“龍園くん”が裏で糸を引いてるのかな?」

 

 

 暴力事件。学校側の対応を見るために、龍園くんが命じた嫌がらせ事件。

 やはり彼女は侮れない存在だ。

 龍園くんとの相性が悪いのが本当に勿体ない。

 

「……さぁ?石崎の自業自得でしょ」

 

「それに賛成です」

 

 彼女をまた騙すのはさすがにどこか思う所があるが仕方ない。

 いくらツマラナイとは言え、クラスを無条件で売る訳にはいかない。

 

「……そっかぁ」

 

「話は終わり?」

 

「うん……そうだね。もっと聞きたい事はあったけど、さすがにこれ以上君たちから時間を奪うわけにはいかないしね」

 

 あはは、と少しの諦めと悲しみが入り混じった笑顔を作り、一之瀬さんはそう言う。

 

「ごめんね、時間取らせちゃって!餅作りデート頑張ってね!!」

 

 すぐに、そんな事を思わせないように普段通りの明るい表情に戻る。

 調子を取り戻すためか、軽い冗談も添えて彼女と白波さんはこの場から去っていく。

 

 

「……ねぇ、度し難い程の善人っていると思う?」

 

 彼女の言動を見て、そう感じてしまうのも無理はないでしょう。

 彼女は可能な限り理想に近い存在なのですから。

 

 ただただ他人のために奉仕を無償でする存在、まして己の矛盾に気付けない存在はただの愚か者。

「善」の反対に位置する「悪」を許さない。「悪」は無関係の他者に危害を与える存在、だから罰して良い。

 

 一之瀬さんはそんな恣意的な感情論を持つ人ではないが、伊吹さんの言うような度し難い程の善人という訳でもない。

 彼女は『偽善者』だ。

 しかし、ただの偽善者ではない。善と悪に触れ、どちらが正しいかを葛藤しながらも、最終的に最大多数の幸福のための選択を選んでしまう偽善者。

 

 

 度し難い程の善人、つまり「本物」の善人なんてものは絶対に存在しない。

 

 

 あれはただの目標だ。

 ここで大雑把にですが、弁証法に沿って考えてみましょう。

 

「性格の良い人」を(テーゼ)、「性格の悪い人」を(アンチテーゼ)とし、止揚(アウフヘーベン)した。

 

 (ジンテーゼ)が生まれる。そしてそれを名付ける。

 

 理想に縋るダニたちがだ。

 

 それが「善人」。

 決してそれは善にも悪にも付かないことが正しいと思ってる臆病者でも、相対主義を謳うどっちつかずで他者に流されやすい中間者なんていう存在でもない。

 

 誰かのために手を伸ばし、見知らぬ多くの誰かに笑顔を、希望を譲渡する存在。

 しかし、その存在に感情はない。

 その存在には矛盾も、夢も、意思もない

「善人」として必要なことを最低限やるだけ。それだけの存在。

 それこそがいるわけのない「本物」の善人。限りなく理想に近い存在。

 

 もし「本物」の善人が現れるとしたら───

 

 ────それはきっと僕と同じ存在(・・・・・・)なのでしょう。

 

「柄にも無いことは考えるべきじゃありませんよ」

 

「……すべきでもないわ」

 

 珍しく2人の意見が合い、顔を見合わせる。

 

「帰りましょうか」

 

「そうね」

 

 

 僕達はそのまま寮へと向かった。

 

 

 




たまたま休みの日が出来たので、早く仕上げられました!

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