刻一刻と迫って来る特別試験の本番。
生徒たちは選んだ本命とブラフを悟られないように十種目の練習を行い、本番で100%の力を出せるように準備している。
しかし、試験の準備は何も正攻法だけが行われてはいない。
暗躍。真正面からの戦いに不利、あるいは奇襲で勝つために裏で駆け引きを行う者もいる。
そして今回、その選択を取ったクラスは一之瀬率いるCクラス。
団結力が売りのクラスにしては珍しい選択。暗躍に駆り出された者は、一之瀬の右腕と呼べる神崎隆二。自ら損な立ち回りを志願し、自クラスの利益のために交渉へ臨もうとしていた。
「来るかは……五分と言ったところか」
放課後の時間、神崎は待ち合わせ場所に指定した特別棟の空き教室から窓の外を眺めていた。
特別棟には、基本的に人は立ち入らない。特別試験によって激動の日々を過ごす中、ここだけが学校の喧騒から切り離されたかのような静寂が広がっている。
ゆっくりと思考に耽るならば良い環境で、神崎は龍園を気長に待っていた。
腕時計へ視線を落とす。
既に、約束の時間から10分ほど過ぎている。
「よぉ、随分と辛気臭ぇ面してんじゃねえか」
時間を確認していると、背後から声がした。
窓から視線を向ければ、ポケットに手を入れて挑発的な笑みを浮かべている龍園がいた。
元より時間通りに来るとは思っていない。相手は龍園翔、礼節とは縁のない人間だ。
むしろ来ない可能性すら想定していたので、この程度の遅刻は怒りにならない。
「来てくれたことには一応感謝しておく」
「いらねぇよ。そんなことより、この俺を呼び出した理由をさっさと話せ」
乱暴な口調ながらも、龍園は近くの壁に背を預けた。
いつも引き連れている部下もいなければ、態度から帰る気配もない。
少なくとも、自分が持ちかける話に興味があることは間違いないようだ。
「話は……当然、今回の選抜種目試験についてだ」
神崎は一度呼吸を整えてから本題を告げる。
危険な道を通っている自覚と、そのリスクを踏まえた上でのリターンのために覚悟を決める。
「前回の混合合宿によって、俺たちはお前たちのクラスに抜かれてCクラスとなった。ポイント差こそ大したものじゃないが、それでも抜かれたという事実は大きい」
「それで?」
「だからこそ、これ以上ポイント差を離される訳にはいかないということだ」
現在のカムクラ率いるBクラスのクラスポイントは1049.5ポイントに対して、一之瀬率いるCクラスは961ポイント。
差は100ポイント以内、一回の特別試験で入れ替われる可能性は十分にあるポイント差だ。
今は、一之瀬のカリスマもあってCクラスは士気が落ちていない。
しかし、ここで負ければクラス入れ替えは起きず、射程距離から外れてしまう。
まして、ここで大敗を喫すれば、クラスの士気が下がって差は広がる一方になるかもしれない。
カムクラ率いるBクラスには、どうやっても勝てない。そう悟ってしまい、今後勢いに乗ることが難しくなってしまう可能性もある。
つまり、ここは負けられない戦い。だからこそ、暗躍も厭わない覚悟をする必要がある。
「龍園、お前には俺達のクラスに協力してほしい」
神崎は言葉を飾らずに伝える。
龍園の性格上、本題は先に切り出した方が好印象と判断したからだ。
「クク、何だお前、思ったよりは面白いことが言えるらしいな」
返ってきたのは嘲笑。しかし、それは予想していた反応だ。
龍園は自分のことを舐めている節がある。本気で相手をする気がないならば、この時点で帰っていたはずだ。
食いついた。ここで逃がすわけにはいかない。
「今回の試験、俺達のクラスでは正攻法でお前たちに勝てる可能性は低い」
「低い? ゼロの間違いだろ?」
「……だからこそ、別の手を打つ必要がある」
容赦のない煽りに苛立ちを覚えるが、ここは交渉の場。
神崎は奥歯を噛みながらも、アンガーマネジメントを実行する。
「それが、俺の裏切りって訳か」
協力という聞こえの良い言葉を、龍園は核心を突いた言葉へ言い換える。
「そうだ」
「馬鹿正直に認めやがって。まぁ、雑魚のお前たちにしてはよく考えたと褒めてやってもいい」
見下す発言にいちいち噛みついていては時間がもったいない。
神崎とて覚悟を決めてきた。正義感から来る怒りを沈め、龍園好みな言葉を強気に選んでいく。
「こちらが求めるのは情報だ。本番の五種目、種目のルールの決め方、実際に選ばれそうなメンバー……何だっていい、俺たちが勝つために必要な情報を集めて欲しい」
「随分と強欲じゃねぇか」
「ああ。手段は選んでられない。勝つために必要なことだ」
「クク、この前と違って良い覚悟だ」
この前というのは、投票試験における交渉だ。
一之瀬クラスはクラスメイトを救うために、龍園からポイントを借り受けた。その対価として、1人当たり2万ポイントを卒業まで龍園に渡さなければならないという契約を結んでしまった。
あの時、誰かを救わなければならないという条件があったとはいえ、神崎は龍園との交渉に無難に対応しすぎた。
リスクを嫌い、確実にクラスメイトの救済を望むために立ち回った。
ゆえに、龍園からは舐められ、ポイントの交渉について何もできなかった。
「このまま何もしなければ俺たちは負ける可能性が高い。ここで負ければ……後がないんだ」
しかし、今は違う。
今回の特別試験が負けられないものだと理解しているからこそ、裏切りの代名詞である男との交渉に再び挑む。
危険が孕んでいるのは承知の上。それでも、今回は得る利益を大きくしなければならない。
龍園は神崎の目を見据えた。
確かに、以前と比べればマシな目付きにはなった。一之瀬の腰巾着という評価は取り消してやってもいい。
しかし、所詮はその程度。雑兵の質が高くなれば脅威だが、これ一匹の変化では威圧にもならない。
そして何より、
「可能性、ねぇ」
縋るように告げるその言葉が、興味を失せさせる。
現状を受け入れず、それでも粘る姿が嫌いじゃないからこそ話は聞いているが、どうにも現状の理解が足りていない。そう察してしまう言葉だ。
「まったく、お前と一之瀬は本当にその言葉が好きだな」
「低い勝率なのは理解している。だから、小さな可能性でも賭けるしかない」
「馬鹿が。理解がまるで足りてねぇな」
呆れた様子の龍園に、神崎は苦し紛れに言い返すが、龍園はさらに強く言い切る。
「可能性ってのは、勝つための道筋が見えている奴が使う言葉。お前のそれは、ただの願望だ」
「……願望でも、何の行動も起こさないよりかはいい」
「浅ましい希望に縋ってんじゃねぇ。言ったはずだ、お前たちがカムクラに勝つ可能性は────ゼロだ」
苛つき交じりに発せられた断言に、神崎は思わず奥歯を噛み締める。
交渉相手を不機嫌にさせるのは愚の骨頂。しかし、それでもその断言には言い返さねばならない。
「違うな。一之瀬なら……、勝率はゼロじゃない。たとえ相手がカムクラであっても、クラス全体の結束力と学力面ならこちらに分がある」
一之瀬率いる自分たちは、まだ諦めていない。それが虚勢であったとしても、戦う前から降伏している姿勢を見せてはいけない。
まして、敵クラスにそう宣言するわけにはいかない。
「はっ、お前が俺に声をかけた時点で、それが嘘であることは分かりきってんだよ」
神崎は歯痒い気持ちを押し殺す。
そんなこと言われなくとも、分かっている。本当に勝負が成立するならば、初めから龍園に声をかけていないからだ。
反論はしない。今必要なのは、自クラスの利益だ。
「……だとしても、お前が協力してくれれば、勝率は少しでも上がるんだ」
「無駄だな。俺が協力した所で戦力差はひっくり返らない」
勝負をする前から勝てないと宣言している龍園を、神崎は意外に思ったが、その断定が前回の選挙ゲームの結果を基にして言っているとすれば納得はできる。
選挙ゲームで、龍園はカムクラに勝つことを望んでいた。表向きの結果は真鍋が退学したので、龍園とカムクラが示し合わせていた結果とも見ることができるが、龍園の性格と実際にリーダーが代わるという状況で龍園が素直に誰かの下につくようなことは考えられなかった。
その裏で、互いに暗躍していたのだろう。そこで票の奪い合いを行い、不正も働こうとしたが、カムクラに負けてしまった。
自分ですら勝てない相手に、雑魚と見下すクラスが勝てる訳がない。そう考える方が納得のいく帰結だ。
「頼む、俺達が勝つために協力をしてくれ。その対価も用意するつもりだ」
「しつこい奴だ。……が、まぁいい。その対価とやらを聞くだけ聞いてやる」
龍園に提供する対価、それは事前に一之瀬たちと相談して考えてきている。
選挙ゲームを経て変化した龍園の立場。選挙で負けた者に対して、今は絶好の機会だ。
「俺達が提供できる対価、それは────お前が再びクラスを掌握する際に様々な支援をすることだ」
「はっ、雑魚の考えそうな発想だな。で、そのさまざまとやらの具体性は?」
最大限の対価を発表したつもりだったが、龍園の反応は希薄だった。
プレゼンはまだ終わっていない。神崎は相手の要望に応えるため説明を続ける。
「主なことは情報提供だ。特別試験でお前がカムクラからリーダーの座を奪える所までくれば、俺達にできる範囲……いや、妨害のようなお前の好む手段もやってやる」
「気概だけは認めてやるよ。だが、それはお前単体の話だろう? 一之瀬の息がかかっている奴らができるとは到底思えない」
信用が足りない。ならば、こちらの情報を少しは切る。
自身が裏切り者と呼ばれても構わない、その覚悟があるからこそ神崎は悪手にひるまず口を開く。
「俺一人だけじゃない。一之瀬の統治に不満を持っているものはまだいる」
「ほぉ、今日一番の情報だな。烏合の衆とばかり思っていたが、個別に見ていけばそれなりの粒はいるらしい」
一瞬だけ、龍園は本心から感心した。
一之瀬を下に見ている龍園だが、その能力を過小評価しているわけではない。
一之瀬帆波は優秀だ。個人として能力、人望、集団の意思統一を簡単に行えるほどの魅力、どれをとっても十分な評価を下せる。
だからこそ、あの狂信染みた空間で神崎のように反抗の意思を持つ者がある程度いることは評価に値した。
「なら……」
「舐めるな。それだけで俺は了承しねぇよ」
だが、所詮はそれだけ。対抗している訳ではない。大方、その意志がある者は本当にいるが、クラスの輪を乱さないために発言を控えていると推測する。
となれば、まだ烏合の衆。協力関係を結ぶには脆弱な味方だ。
そして何より、
「結局、対価が対価として成立してねぇ。俺がリーダーの座を奪い返す際に、誰が協力してくれと頼んだ?」
根本的な考えが違った。
その大胆不敵な考え方に、神崎の眉が動く。
「何を、言っている。リーダーから下ろされたお前は後ろ指を指される人間だ。仮に上手くリーダーの機会を奪い返せそうな時が来たとしても、クラスからは大きな反発がある」
「だろうな。だが、その程度の反発なんぞ恐れる必要がない。馬鹿どもをもう一度叩き潰し、俺好みに教育し直せばいいだけだからな」
「……本気で言っているのか?」
「当然だ。俺がリーダーの座にもう一度戻るための道のりは自分で敷く。お前らに救援なんて出さない。むしろ支配してから使ってやる時が、あいつに挑む時だろう?」
「できないことをペラペラと……、そんなの夢物語だ」
龍園の言葉に迷いなどなかった。
己が決め、勝利して奪うからこそ意味がある。他人から付与された権力など望まない。
その姿には、確かに支配者特有のカリスマが感じられる。
しかしそうであっても、神崎は龍園の意思を頑なに認めない。
「お前は、カムクライズルに勝てると思っているのか?」
神崎には座右の銘とでも言うべき信条がある。
“助ける力を持ってないのなら逃げるのも無視するのも良いだろう。しかし力を持っていながら使わないのは愚か者のすることだ”
尊敬する人物の感銘を受けた言葉。
力、すなわち物事を解決する多機能的な能力。この学校に即していうならば実力という言葉が相応しい。
では、この学園において最も実力を有する生徒とは誰か。
議論するまでもない。満場一致でカムクライズルが挙げられる。
暴力的な才能、圧倒的な能力を惜しみなく使って成果を出す完全無欠に近しい男。まさに賢者、神崎の理想の体現者だった。
「今は無理だな。だからこそ、今は力をつける時間だ」
「無理だ。あの男の実力は、近くで見てきたお前が一番分かっているだろうッ!?」
あっさり現状を認める龍園。その淡白な反応に対する返答に、感情の機微が表れる。
あの怪物に、どうやって勝利する。
龍園を見くびっている訳ではない。単純な能力値の差。数字で表せば確実な差が出ることが分かっている以上、龍園の発言はそれこそすべて虚勢にしか感じない。
「……クク、クハッ、そういうことか」
しかし、龍園はその反応を嘲笑う。
「……何がおかしい」
「傑作だぜ。諦めないために、勝つための可能性を見出すために……クク、そう言っている奴が────誰よりも勝利を諦めてるんだ。これを笑うなってのが無理だろ」
必死に勝利のための交渉を行っていた神崎の言葉には感情が乗っていた。
龍園はその言葉を聞き分け、神崎の本音を正しく分析していた。
必死に勝つための理由を探す、一之瀬の実力を信じている、自分というアンストッパブルな駒すら利用しようとするその真意。
それは全て、敵の強大さを正しく知り、対峙する前から心が折れてしまっているからこその逃げから来る発想だ。
恐怖を扱うことに長けている男からすれば、一度の会話で丸裸にするには十分だった。
「クク、道化だな。確かに、以前よりはずっと面白いやつになったな」
「……黙れ」
「いいぜ。だが、黙る前に結論だけ丁寧に答えてやる。今回の交渉は受けないことをな」
苦虫を嚙み潰したように苦しみ悶えている神崎、その表情を嗤っている龍園。
もはや、優位に立つ方は言うまでもなかった。
「対価が論外、勝ち目もない、まして俺に旨味もない。まぁ、せいぜい一之瀬に期待するんだな」
龍園は簡潔、かつ明確な拒絶を見せた。
既に心が折れている神崎を、その表情がさらに曇る変化に期待してゆっくりと告げていた。
そして、100点満点の歪んだ表情を見せた神崎を最後に鼻で笑い、交渉の場を離れていく。
「……クソ、クソッ!!」
龍園が去ってから数十秒後、神崎はらしくない荒れた大声を上げる。
近くの壁に背を預ければ、力なく腰が下がっていき、床に尻餅をつく。
馬鹿にされたこと、己の実力不足、そして心の奥底を見抜かれた不甲斐なさに、後悔と罪悪感が脳裏を過ぎる。
そしてもう一つ、神崎は絶対的な事実を改めて理解してしまった。
龍園との交渉失敗。すなわち、自分たちは正攻法で────カムクライズルと戦わなければならない。
「……どうやって、勝てばいい」
あれは、かつて自分と同じ学習塾に通っていた天才ですら霞む怪物だ。
今まで見てきたどんな困難よりも高い壁。頂が光で眩しくて見えないことを幸運に感じた神崎は、ゆっくりと目を閉じた。
「はっ、所詮は一之瀬の金魚の糞か」
神崎の交渉を断った龍園は、特別棟から出て帰路についていた。
そこらの雑魚と比べればマシだが、所詮はその程度。脅威にはならない。今日のように転がして遊べる玩具だ。
さっきの絶望した顔は悪くなかった、そう思い返しながら機嫌よく歩いていく。
「……あ?」
既に夕暮れ時の現在、暗くなる帰路を進んでいる最中、一本の着信が入る。
龍園はその番号を確認する。
「クク、懐かしい番号だな」
龍園はかつて執着していた番号からの電話に笑みが漏れた。
ワンコール終える前に、応答する。
「よぉ、この俺に何の用だよ────綾小路」
電話の相手は綾小路。龍園にとって、一度自分を負かした宿敵だった。
彼はかつてXとして利用した番号から龍園に電話をかけていた。
「今から俺と直接話したいだぁ? 今回の特別試験、敵対してない俺達が話すことなんてないと思うが?」
綾小路の用件、その意図が想像できない龍園は理由を問う。
2人は仲良く遊ぶ間柄ではない。関わるとしたら、それこそ特別試験の話くらいだ。
しかし今回、彼らのクラス間は敵対していないため、協力するメリットも少ない。
「そもそも、話したいことがあるなら今言え。……面倒だ、今言え」
龍園は肝心の用件を話さない綾小路に対して不機嫌を顕わにする。
「……てめぇ、晩飯奢り程度でこの俺が動くと思ってんのか? 挙句、店選ぶのも俺っていうのはどういう了見だ?」
龍園は食事で自分を誘う馬鹿との電話を切りたかった。
だが、あの綾小路が意味なくこんなことをする男ではないことを理解しているため、致し方なく会話を続ける。
「ボッチが。まぁいい、つまらねぇ話だったら今度こそ潰してやる。……この前、カムクラと少し手合わせして調子がいいから受けて立つだ?」
案の定、話していると面白そうな話題が釣れる。
綾小路とカムクラ、倒すべき2人が自分の知らない所でやり合ったとなれば、その戦いは聞く価値がある。
「上等だ、今すぐケヤキモールに来やがれ。……店は決まっているかだ? 野郎2人だぞ、ラーメンでいいだろ」
龍園は相手が異性ではないので適当に今食べたいものを挙げた。
すると、電話口から「それは次郎系というやつか、こってりらーめんか」という言葉を皮切りに、ラーメンの種類を問う心なしか楽しそうな声色が聞こえてくる。
龍園は鬱陶しかったため電話を切った。
神崎と龍園、2人の交渉回でした。
神崎くんはね、もっと頑張らなくちゃいけないの。あんなに一之瀬の右腕として動いていたのに、原作のあの体たらくは何ですか。試験中に相手に負けて欲しいと懇願するな、情けない。
だから私、許せない。君はもっと打ちひしがれて、そこから這い上がってもらうからね。
綾小路と龍園の具体的な話は11.5巻で。Interlude11はなく、Chapter11.5としてまとめて4話出すつもりです。