今回普段より少し短いです。
辺り一帯には岩壁だけ。太陽の光を遮断した暗い空洞。
明かりはあるが、それでも不気味な静けさが漂うこの場の雰囲気に、息が詰まりそうだった。
今から10分ほど前に無線機での緊急連絡を終え、応答した男の指示通りに向かった場所がここだ。
この洞窟がAクラスのベースキャンプ。徹底した守備で隠されたその内部へ、私は案内された。
「……入って1番奥の部屋」
私を通したAクラスの生徒は指定された部屋までの道のりを詳しく教えてくれなかったが、殆ど一本道になっていたので迷わなそうだ。
私は足早に通路を進んでいく。十秒ほど歩くと、すぐに奥の部屋と思われる場所を見つけた。
そして躊躇いなく部屋の中へと入っていった。
「……いた」
見慣れたシルエット。腰まで伸びた真っ黒な長髪にジャージで身を包んだ男。
その右手には無人島生活に相応しくないといえる救急箱が握られていた。
そして私が来る時間を予め分かっていたように、こちらを向いて立っていた男が話しかけてきた。
「──お久しぶりですね伊吹さん」
「……何が、久しぶりよ。あんた、分かっているんでしょうね」
私の声は怒気で震えている。それもそのはずだ。あんだけ苦労してDクラスに潜入したのに、全てを水の泡にされた。
挙句、私が任務を失敗することすらも予想通り。そう思える発言をした男、カムクライズルが眼前にいるのだ。
「その様子では気付いているようですね。確かに、あなたの怒りは龍園くんではなく、僕に向けるのが正解です」
「ッ!……やっぱり、あいつらがリタイアすることまで予想してたな。
これまでの全部はあんたの掌の上で、予想通りの結果だったわけか」
「まあ、『ポイント譲渡』という抜け道を見出したのはこの僕ですから」
私は大きく舌打ちをかまし、怒りを剥き出した。
こいつは私が失敗することも分かっていたのだ。Dクラスに偵察がバレてるのを黙っていた時点で、スパイを成功させる気もなかったのだろう。
DクラスがBクラスと協力するのも、『リタイア』と『ポイント譲渡』を活用するのも、“予定”通り。
そしてその実行を促すための捨て駒として、私は何も知らないまま、こいつの思惑通りに使われた。
膨れ上がった怒りのままに暴れ出したい。すぐにでも何かを蹴り飛ばしたい。
でもそれだけじゃない。怒りだけじゃない。
───悲しみ。信頼していた人から裏切られたような辛さも込み上げてきた。
湧き上がる衝動に全身を震わせ、私は立ったまま暫し俯く。
感情の制御と思考の整理。それが上手くいかないからだ。
「……あんたがあいつらに姿を見せたことを黙ってたのも、初めから、私が失敗するって読んでたからなの?」
嫌な沈黙が降りてから数分ほど経過した頃、私は顔を少し上げて彼にそう尋ねた。
「それを言い忘れたのは僕の落ち度です。あなたは失敗していません。役目なら“十分に”果たしてくれました」
「……十分に?……ふざけるなよカムクラ。私は、あんたの道具なんかじゃないっ」
「敵を騙すにはまず味方から。そう言うでしょう?僕はあなたのことを『道具』
淡々と告げるカムクラの言葉を聞き終えて、私は硬直した。
衝動を抑えていた身体の震えは止まったが、再び顔を俯ける。
……「とは」?
些細なその言い回しに引っかかる。『道具』とは思っていない。じゃあ彼は、私のことをどう思っているんだ?
カムクライズル。この学校に入学してから、1番長い時間接してきた人。そして、〈本物〉の天才。
そんな彼にとって、一体私はどんな存在なのか。
───友人だと、思っているのだろうか。
───それとも……ツマラナイ人間だろうか。
「……確かにそうね。あんたの予定通りってことは勝ちに繋がるってことでしょ。ならあたしの努力も無駄じゃなかったわけね」
納得できたような口振りで、心にも思っていない虚勢の言葉を並べ立てた。
埒が明かない不安な思考を打ち消すために……。
「……ええ。ですが、あなた一人だけに酷な役回りを押し付けたと思っています。
その左頰の腫れ。そのままだと治りが遅いので、僕が手当てします」
……本当にそう思っているのだろうか?
彼の無感動な口調から、その内心を推し量るのは難しい。
カムクラはこっちに近付いてくると、この洞窟の部屋にそぐわないビーチチェアへ座るよう左の手で示してきた。
私がそこに腰を下ろすと、カムクラは膝を曲げて目線の高さを合わせてきた。
そして左頬の患部にそっと触れ、その腫れ具合をじっくりと診た。
「……感染症の心配はありません。湿布を貼るので動かないでください」
「……ありがとう」
潜入中は濡れタオルで冷やすしかなかったから、適切な処置の申し出に、私は素直に感謝する。
手際良く丁寧に貼ってもらった湿布はひんやりと冷たくて、痛みが和らいでいくのを感じた。
でも私の頬に触れたカムクラの手と指先はもっと冷たかった。まるで死人のような冷たさがあった。
手の冷たい人は心が温かい人なんて言う。ふと、どこかで聞いた言葉が頭を過ぎる。
「……ねえ、カムクラ。あんたは私のことを、どう思っているの?」
私は呑み込んだはずの疑問をそのまま口にした。理由は多分、その俗説が本当だったら良い、なんて思ったからだ。
私は賢い人間じゃない。龍園やカムクラみたいに他人の思考を、心理を読み取ることは出来ない。
だから、こんなに冷たい手を持つカムクラの心もきっと───
「どう?随分と抽象的な質問ですね」
救急箱を近くにある机に置いたカムクラは、私を見下ろすように立ってそう言った。
目線の高低差も相まってか、彼の無愛想な態度がいつもより冷酷に見える。
「──私とあんたは《友達》かって訊いてるの」
私はカムクラの真っ赤な瞳を見ながら、今ある勇気を込めて自分の心中を吐露する。
その答えを知りたくないと思っていたのにスラスラと出る言葉は私の内心を少しだけ驚かせた。
「………………それを知ってどうするのですか?」
しかし返答は、現実は厳しいものだ。
彼は少しの沈黙の後にそう告げた。即答という答えはなかった。
でもまだ断定してはいない。
私は無理やり吹っ切れた。こういう時に何でも物申せる自分の態度は美徳だなと自己評価する。
そして思ったこと全てを並べた。
「……私は、これでもあんたの事を友達だと思っている。でも今回のあんたの作戦はさ、はっきり言って酷かった。
あいつらを騙すために傷を負って、たった一人で他クラスに潜入して、リーダーを探る。ここまでは納得がいったよ。気に入らない龍園の策でもやろうと思えた。
でも、その任務は初めから失敗が決まっていて、あんたはそれを伝えなかった」
「……ええ、成功の確率を高めるために言いませんでした」
「それは理解できるんだよ。でもさ、やっぱり納得がいかない。
───ねえ、私はそんなに信頼できない?」
言い切った。昔から親しい友達なんていなかった私の本音を目の前の男に伝えた。
───その言葉にカムクラは、目を見開いた。
「…………」
カムクラの言葉が詰まった。そして私から視線をずらす。
あのカムクラが目を見開いただけでなく、この行動。何か思う所があったというのは明白だった。
少しだけどこか安心した気持ちに私はなる。
しかしそれも束の間。カムクラの表情はすぐに普段の無表情へと戻り、こちらをじっと見つめ始めた。
「……あんたは本当に何も感じないわけ?」
言いたかったことは言えた。普段なら絶対に言えない言葉を。
限界状況で苦しい生活を重ねた私の精神はかなり追い詰められていた。
そして、初めて気楽に接することが出来た友達からの裏切りともいえる行為。
2つの事件が私の本音を引き出した。言い終えるとちょっとだけスッキリした気分だった。
そんな私の本音にカムクラはどう答えてくれるのか。私はカムクラの言葉を待った。
「───感じない訳ではないのですよ」
無機質で機械的。そんなカムクラの声は続いた。
「友達や仲間など必要ない。僕はそう教えられてきたし、そう思っていました」
「なにせ大抵の人間は僕の才能を羨むか、己の糧にしようと寄生する。そんなダニたちと、友達になどなれるわけがなかった」
「だから僕はそう断定していた」
「でもそうではないと気付ける転機もありました」
「僕はその時、友達や仲間という存在が『希望』に繋がりうるものだと知りました」
「しかし、僕という『希望』には………存在には、依然として必要の無いものです」
「───やはり僕には、信頼や仲間を想うなんて『感情』がありません」
カムクラはその言葉を言い終えると、私に背を向けた。
言葉の重みを感じた。
おそらく今のはカムクラの本音。正真正銘の本音だ。
「……本音を言い合えるなら、信頼してるってことじゃないのかよ」
私は立ち去っていく彼を止めようとやや大きな声でそう言った。
カムクラはその言葉に立ち止まり、そして返答した。
未だ独りよがりの後ろ姿に、私は寂しさを連想させた。
「……あなたは本当に強い人ですね。自分のことを道具のように使った僕の事を『疑い』ながらも『信じる』事が出来る。
自分の意思で『疑い』を乗り越えているのですね」
彼はそう告げると、今度こそこの部屋から出ていった。
私は今日、初めてカムクラと語り合った気がした。
でも理解は追いついていない。彼の過去に何があったかをこれっぽっちも推測できない。
ただ、彼が2度言った『希望』という言葉がそれぞれ別の意味だと何となく直感した。
「……天才だからこその事情か」
彼の話を聞いて思ったことが口から零れる。
一方的で感情的になってしまったな、と心の中で反省した。
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岩に囲まれた場所に鎮座する不気味な人間。
客観的に見たら、今の僕はそう映るのでしょう。
僕はこの場に似合わないビーチチェアに腰を下ろしている。右足を立て、左足をブラりと下げる。
そんな姿勢のまま、珍しく物思いに耽ける。
数時間前の伊吹さんの発言が何故か耳に残っているからです。
「……友達……仲間ですか」
それが日向 創や苗木 誠の作りだした『希望』に不可欠なものであることは理解している。
それがどれだけ大きなもので、重要なものかは理解している。
でも、それが本当に僕という存在に必要なものなのか、そう先程から思考をしていた。
そして───やはり必要ないと結論付ける。
友達や仲間というものはお互いに対等な存在なのだ。だが僕と並び立てる人間など存在しない。
だから作れる訳がないのだ。
───でも腑に落ちない。
何度も結論付けても、ある言葉がその結論に刃を立てる。
その言葉は『感情』。
こうやって何度も考える僕は、今まさに『悩む』という『感情』に支配されているのではないか。
今になって、かつて取り除かれたものが戻ってきているのではと感じている。
友達の存在とは『感情』という『未知』に手を伸ばせるものではないのかとも感じ始めている。
そんな矛盾が自分の中を蠢いていた。
「夕飯だぞ、カムクライズル」
そんな事を考えていると、いつの間にかこの部屋に現れたのはAクラスのリーダー格、葛城 康平だ。
その両手には大きな皿がある。その上にCクラスが購入した肉の余り、森で採れる木の実などが載せられていた。
彼は僕の近くにある机にその皿を置く。その後、自分用の椅子も持ってきてその机の前に置いた。
「何かアドバイスでも欲しくなりましたか?」
「……不本意だがそれもある。だが、1度貴様とこうして話してみたかったという気持ちの方が強い」
「僕と君の相性はあまり良くありません。それはあなたも理解しているでしょう?」
「ああ。だがそれでは前に進めない。話してみてから分かることもあるのだ」
「ならば好きにしてください」
僕はそう言い切り、食材の方へと手を伸ばした。
割り箸を使い、焼けてある肉を口に運ぶ。
「それで、話とは何ですか?」
肉はよく噛んでから飲み込んだ。何を話したいかはだいたい分かっていたが、僕はあえて彼にこう聞いた。
「……まずは、お前の言った2つの提案の確認だ。
1つ目のリーダーを0ポイントでリタイアさせる内容はもう理解したが、2つ目の方の事を聞きたい」
リーダーを0ポイントで交代させる方法。
それはCクラスに全てのポイントを1度預け、その間に指定した生徒をリタイアさせる。そしてCクラスに全てのポイントを返してもらう。
これだけだ。
無論、これが成立するには『ポイントは0ポイント以下にならない』というルールありきだ。
もっとも、この試験のルールにポイントが永久的に減り続けるようなルールがあれば出来なかっただろう。
「貴様は2つ目の提案として───自分と伊吹 澪のAクラスの滞在を要求した」
葛城くんは真剣な表情でそう告げた。
「それで?」
「……知っていると思うが、今日の昼頃、Dクラスのほとんどの生徒がリタイアした。
お前が『契約』の際に言ったことは本当だった。Dクラスは数名を残してリタイアする。人手が足りなくなったDクラスに伊吹 澪のその後の行動を知れる人物はいない。
だからこそ最終的に彼女をCクラスのリーダーにする。そして彼女という存在を隠せればお前自身が自由に動ける。
お前はそう言った。すべて予想通り、見事だ」
「そんな世辞を言いにきたのではないでしょう?」
「……ああ。では、本題に移らせてもらおう。
貴様は自由に行動ができるようになった今、オレたちの派閥に出来る限りの協力をすると言ったな?俺はその出来る限りの具体性を知りたい」
「出来る限りは出来る限りですよ。まぁしかし、あなたが今懸念している案件の解決くらいならお易い御用です」
相変わらず一つ一つ些細な事まで慎重に聞いてくる葛城くん。
しかし、心中に察しを付けられては少しばかり動揺してしまう。
その動揺は僅かながらだが表情に現れた。
「……本当に分かっているのか?」
「ええ。大方、Aクラスの反乱分子を抑える為の協力が欲しい、そんな所でしょう」
葛城くんは先程より大きな表情変化を起こす。
小さくだが口を開き、瞠目していた。
「……ああ、そうだ。それをお前にも頼みたい」
「構いませんし、既に準備しています。『契約』を成功させるためには内部分裂など1番避けなければいけない結末ですから」
驚いている葛城くんに僕はそう言い切った。
「……実を言うと、坂柳派の誰が裏切りそうかの目星は殆どついてる。だが……」
「もう1つの派閥のリーダー自身であるあなたでは追い返されるだけですか。
しかし、部外者であり、他クラスの協力者である僕ならば結果が残せるかもしれないと?」
「そうだ」
葛城くんは強い意思がこもった瞳をこちらに向けてそう答えた。
自分自身がクラスを纏めたい、纏められる人物だと信じてやまない瞳。
その並々でない想いを込めた瞳は事実を物語っているが、ツマラナイ。
「先程も言いましたが、協力はしましょう。しかし1つ聞きたいことがあります」
「聞きたいことだと?」
頭の上にクエスチョンマークが飛び上がった葛城くん。
僕は自分の中の疑問といえるものを彼に聞いてみた。
「今回の試験が終わればあなたはAクラスのリーダーへと変わるでしょう。軍を率いるAクラスの長として君臨するでしょう。
……そこには信頼に足る仲間がいますか?そしてこれからもその存在を信じられますか?」
「ああ、勿論だ。オレを支持してくれた者たちは皆、信頼に足る仲間だ。
これからのクラス対抗試験で戦っていく仲間だ。お互いに助け合っていく仲間だ。
オレは彼らを見捨てる気など毛頭ない」
希薄だ。好意と思えることには好意を。そこに『疑い』はない。
やはりある程度の限界状況下に陥った人間でないとこんなものですか。
───ツマラナイ。
「……そうですか」
そこで話が終わる。その後、僕は葛城くんの持ってきた食材を残さず食べ終えた。
食事をしている時に些細な会話をした。時間潰しにはなりました。
そして片付けの手伝いをする為に立ち上がる。
「……そうでした。あなたに伝えておくべき事があります」
「何だ?」
「あなたたちAクラスは明日の朝……いや明後日、特別試験5日目の朝から出来る限りの人員でDクラスを監視してください
彼らは少数精鋭にした事で動きやすくはなりましたが、その反面、数の暴力に弱い。
四方八方から監視すれば、彼らのリーダーを知るチャンスになるでしょう」
「納得のいく作戦だな。ここまで読んでいたお前には、悔しいが脱帽だ。しかし何故明日の朝ではない」
僕と対称的な髪型を持つ彼の疑問に僕は颯爽と答えた。
「様子見です。彼らがどのように動くのを観察します」
「……油断だな。すぐに大勢で監視するべきだ」
「それはダメです。彼らの動き方を誘導するためには、時に手を休めることも必要な事です」
「誘導だと?何の誘導だ?」
険しい顔で葛城くんは僕に問い詰める。
いくら同盟関係とはいえ、わざわざ作戦を教えて支障をきたされる必要はない。
───彼らには信頼も、仲間や友達と感じる情もないのだから。
そしてそれがカムクライズルだ。
「勝つための誘導です。彼らが正常な思考で勝つために正しい判断をすればするほど追い詰められていくための誘導。
下手に余裕をなくして突拍子も無いことをされては、予想外になるかもしれません」
もっとも、突拍子のないことをさせた方が不確定になるので楽しそうですが、それでは龍園くんが納得いかない。
なので計画通り行きましょう。
「……そうか。言う気はないらしいな」
「いずれ分かりますから」
僕はそこで会話を止め、片付けの手伝いを開始した。
しかしそれよりもだ。
今現在、こうやって『ポイント譲渡』のルールを利用した人間が現れた訳だ。
つまりは、それなりに頭が回る人間がDクラスにもいるということ。
利用した人間が誰かはさすがに分からない。
それこそ、今残っているDクラスの誰かの策なのか。それともリタイアした中の誰かから託された策なのか。
大穴で高円寺六助の気まぐれの策かもしれない。
まぁ、誰であろうと僕はいい。今はまだ僕の手の中。
どれだけ美しくても醜くてもいい。
足掻いて欲しい。そしてその誰かが僕に『未知』を見せて欲しい。
僕の欲しいものはそれだけだ。
僕は起き得る可能性を全て考慮し、それでも手を抜かないことを今1度自身に認識させた。
矛盾を内包した完璧、それがカムクラなのかなと思っています。
あと、今回の話書くのくそ難しかったです。
おかしい所があるかもしれないので、あったらご指摘お願いします。
話のペースが遅いは勘弁してください。