ゆらり、ゆらりと常に僅かながら揺れている船内。
規則的に揺れているおかげか、船内で生活する人達はすでに慣れていて、睡眠の邪魔になるということはない。
なので私はふかふかのベッドの上で上質な睡眠を遂げて起床する。
カーテンの隙間から時折入る光に目を瞑り、ゆっくりと伸びをする。
同室のクラスメイトはまだ眠っていて、ものすごい寝相で寝ていたり、お人形さんのように動かない……そんな綺麗すぎる寝相の子もいる。
辺りを見回し終え、私はベッドから降りる。そのまま意識を覚醒するために洗面所へと直行した。
顔を水で丁寧に、何度も洗い、肌の清潔さを保つ。もう癖になった自分への投資を繰り返す。
そうしている内に意識は完全に覚醒し、鏡に映る自分を見た。
細く、鋭い目つきをした
どうして私は、どうして私は。その問いかけはない。もう……慣れた。
────だから私は嗤う。誰もが見るだけで幸せになれるような笑顔を鏡に映す。
今日も一段と可愛い笑顔だ。
声の調整も忘れない。口の動きを確認しながら、発音練習を何度かした。
聞きやすく、澄んだ声になったと自覚したならば、髪を整えた。
それが私で、皆に求められる私だ。
「みんな、おはよう!朝だよ、起きて!」
一日が始まった。楽しくて、笑えて、私の欲求を満たしてくれる生活がまた始まった。
────────────────
船上試験の説明から翌日。
時計の針は午前8時に刻々と近づいていて、説明通りならば10分程で『優待者』を確認するメールが送られてくるはずだ。
今回の試験の立ち回りが決まるであろうこの時間帯に、僕は朝食を嗜むためにこの船の甲板カフェに向かっていた。
カフェの名前は『ブルーオーシャン』。カフェとしては生徒間で人気の場所だが、早朝の場合に限って人は少ない。
なぜならこのカフェよりもさらに人気のビュッフェがあるからだ。朝食を取る生徒の殆どはそこに行っているので、ここに人がいないのは必然と言えるでしょう。
「いらっしゃいませ」
店員が僕の来店に気付き、声をかける。僕は一礼し、席を探し始める。
日差しを遮ることが出来、かつ海が美しく見える景色の良い席を探す。
条件に合った席を見つけ、僕はそこに腰を下ろした。
すぐにメニューを開いて、朝食を頼む。その間、今日の予定を纏めるために携帯端末を開いた。
「午後1時と午後8時に指定された部屋に集まる。それを4日間で6回も繰り返すのですか」
昨日の夜、Cクラスのグループチャットで纏められていた情報を確認する。
決められた時間に集まり、1時間の話し合いを6度繰り返す。
1日だけ休息日が設けられているがそんなものは些細な事。
正直、退屈以外の何でもないが、試験である以上はやらざるを得ない。
「……禁止事項のことまで記載済みとは、覚える場所をそれぞれが限定して覚えたのでしょうか」
この試験のルールやらが記載している紙は、試験説明の時にしか見せてもらえない。
何とも意地悪なことだが、Cクラスの生徒はちゃんとそれにも対応していた。
その方法の1つが1人1人覚える部分を限定し、最後に情報を統合するというものだ。
「おそらく金田くんですね。龍園くんは出来そうにありません」
そう独り言を零し、再度禁止事項の所に目を通す。そこには昨日僕が確認したことと同じことが載っていた。
他人の携帯を盗んだり、脅しなどの脅迫行為での優待者に関する情報を確認すること。勝手に他人の携帯を使って答えをメールすること。
などなど、事細かにあり、それらの処罰が退学になっている。
加えて、怪しい行為が発覚した場合は学校側からの徹底した調査が行われるらしい。これを聞けば、頭の螺子が外れでもしてない限り、行動には移さないだろう。
「まぁ、彼は平然とするでしょうが」
彼とはもちろん龍園くんだ。手っ取り早く、嘘をつかせずに、そして確実に情報を知れるこの手段を彼は必ず使うでしょう。
たとえバレてもCクラスを支配している彼ならば、学校側の調査もしらを切らせるだけで突破することは目に見えている。
「お待たせしました」
先ほど頼んだ朝食が到着した。
目の前には複数のサンドイッチとコーヒーが置かれており、注文に間違いがないことを確認する。
「おや」
いざ、実食と手を付けようとするが、その手はコーヒーが一口運ばれただけで止まる。なぜなら見知った生徒がこのカフェにやって来たからだ。
その生徒はきょろきょろと周りを見渡し、席を選ぼうとしていた。そして彼は僕を見つける。
「……お前は」
僕がここにいることが予想外なのか、彼は立ち止まっている。
そんな彼に対して僕は自分の前に手招きをした。彼は念のため後ろを振り向き、その手招きされている対象が自分であることを確認するとこちらに近づいて来る。
「おはようございます。────綾小路くん」
偽りの天才は警戒しながらも静かに椅子へと腰を下ろし、対面した。
────────────────
俺は少し動揺している。
目の前の男の手招きに従い、席に着いた。
ここまではいい。この後堀北と待ち合わせをしているが、それまでの時間潰しが出来るのならばそれで構わない。
だが、相手が相手だ。カムクライズル。Cクラスのリーダー、龍園 翔の右腕と言える男。
しかし、その存在感と実力は決して二番手に収まるような器ではない。そう断定できる男だ。
「警戒しなくて良いですよ。あなたを誘ったのは気分ですから」
「……そうか。不必要な気を使わせてしまったな、すまない」
「別に謝ることではありません。それより、何か頼みますか?」
カムクラはコーヒー片手にメニューをこちらに回してきた。
俺はメニューを受け取り、とりあえず目の前の男が頼んだものと同じものを注文する。
「先に言っておくが、この後ここで人と会うんだ。そいつが来たら、移動してもいいか?」
「構いませんよ。それまで僕の暇を潰してください」
……何ともやり辛い相手だ。
無人島試験でのこの男が発していた圧倒的な雰囲気と今の何も感じないようでそこにはいるという独特な雰囲気の差異がオレをまごつかせる。
まぁ、少なくともこいつの言葉に嘘も敵意もないので、今日は本当に暇つぶしなんだなと理解し、警戒を少し解いた。
「では、お話をしましょうか」
「お話って、オレと話しても面白いことなんて正直ないぞ」
「……この時間、問答に僕が『価値』を付けている。だからあなたの言葉にも『価値』があります。オモシロイかどうかは話した後に僕が決めることです」
「そ、そうか」
何とも傲慢な理由を述べるカムクラ。その言葉には何故だか金髪の自由人を発想させられる。
高円寺もカムクラもクラスこそ違えど立ち位置はほぼ同じ人間。若干、カムクラの方が協力的ではあるだろうが、おそらく彼らは根っこの部分が一緒なのだろう。
己の力のみですべてを何とかする。それだけの実力がある。それ故に、彼らには協調性がない。
「話すのは苦手ですか?」
オレがたどたどしい返事を返したことで察せられたのか、カムクラはストレートに質問してくる。
「得意ではないな」
「しかし不得意でもない。だから君は不思議な人間です。実に興味深い」
「いや、不得意だぞ。オレは口下手だし、相手が分かりやすいように喋るとか、相手の伝えたいことを知るとかも出来ない。会話の才能なんてないんだ」
「ええ、あなたに会話の才能なんてものはありません。後、『嘘』はよくありませんよ」
「……おい、さすがに追い打ちは傷つく。後、『嘘』なんて言ってないぞ」
カムクラの罵倒は確かに隠す気がなく、常人だったら心が傷つきそうになるだろう。
だが、こちらも罵詈雑言ならば慣れている。なにせあの隣人の理不尽さと言ったらカムクラの比ではない。
この程度の言葉、オレの鋼のメンタルにはかすり傷程度だ。
「僕に嘘は通じません。なぜ、あなたが自分の会話能力について嘘をつくのかは知りませんが、それは無意味と言っておきます」
「……嘘はついてないんだがな」
オレは僅かながらの弁明を告げる。同時に理解した。
この男の言っていることは出鱈目という訳ではない、ということを。
迷いが一切ない言葉選び、動揺や変化のない身体の動き。適当に言っているにしてはこの男は自然体すぎる。
そしてそれは次の言葉で真実味を増すこととなる。
「なぜ、そうやって実力を隠すのですか?」
カムクラは淡々と、当たり前の事実を言うようにオレへと問いかける。
オレの表情、身体の反応は起きない。だが内心は多少とはいえ動揺している。
「何のことだ?オレには隠す実力なんてないぞ」
素早くその言葉を返した。会話の流れを斬る沈黙もなく、さも当然のことを言うように。
しかし、カムクライズルは止まらない。どんどんと核心を突く質問を続けてくる。
「あなたでしょう?無人島試験で全員リタイアを推奨したのは」
「いいや。それは堀北と平田ってやつらの策だよ。オレは何も干渉していない」
「あの2人のことは分析しましたが、将来性こそ多少あれどまだ輝くものなんてありません。ゆえに、甘い彼らにこの策を思いついたとは考えられない。
それにあなたという人間がいる以上、彼らなんて誘導にもなりません」
「過大評価だ。オレではあいつらのような策を模索することなんてできない」
「ふーん、余程表に出る気はないのですね」
「表も裏もない。ただの一般生徒だよ」
オレが言い終えると、頼んでいたコーヒーが来たので1口飲む。
口の中に広がる苦さと、苦虫を噛み潰した……程ではないが、自分の失敗に少しばかり苦渋を味わう。
どうしてこうなった、とは言わない。
侮っていた訳ではない。だが想定を超えていた。
なぜならこの男は圧倒的な分析力、推理力でオレの実力に気付いているからだ。
シラを切り続けているが、正直無意味だろう。
しかしそれでも、今日ここで話せたのは幸運だった。奴がオレのことをどう見ていて、どの程度の能力を持っているかの指標程度は見積もれた。
これからの対処法も考えられる。
「まぁ、良いでしょう。別にあなたのことを報告する気もありませんし、どうせ時間の問題です」
オレは眉を顰めた。
何故報告しない。何故こいつは敵に塩を送る。
リラックスしながらサンドイッチを口に運ぶこの男からは余裕が垣間見える。
……油断ではない。余裕だ。
つまり、ここまでオレの実力に気付いていながらも、対処する必要がないと判断している。そう分析することが可能だ。
もちろん、別の可能性もある。大層な理由なんてないのかもしれない。
だが、その行動には少しの苛立ちと期待が浮かんできていた。
「さて、あなたとの話もここまでのようですね」
「……そうみたいだな」
カフェの入り口に誰かが入ってきた。
オレとカムクラはほぼ同時にそちらへと視線を動かし、その人物を視認する。
周りを見渡し、誰かを探すその人物。オレの待ち人である堀北鈴音はその動作をした後、オレたちのことに気づき、こちらに向かってきた。
「いったいどうしたのかしら綾小路くん。あなたに朝食を一緒に食べる相手なんて一生出来ないと思っていたんだけど」
「おいおい、一生はないだろ。お前が来るまで暇だったから少し話していただけだ」
「そう。なら、優待者の発表も近い中、敵である他クラスの生徒と一緒に朝食だなんて裏切りと見なされても仕方ないわね?」
「だから偶然だって……」
「黙りなさい」
オレは有無を言えず、堀北の指示に従う。
どうやら彼女は敵クラス、それもリーダー格と一緒にいたことが気に食わないようだ。
「彼を連れていくけど構わないわね?」
「ええ。元々、そういう約束です。それとも僕の方が退きましょうか?」
「そうしてくれるならありがたいわ」
ではそうしましょう、そう言ってカムクラは空の食器を持って立ち上がった。
「ああ、聞き忘れていたことがありました」
この場から立ち去ろうとしたカムクラは足を止め、こちらに身体を向ける。
真っ赤な瞳はオレを見ていて、オレに対して質問しようとしていることは明確だった。
「────綾小路 清隆、あなたにとって『勝利』とは何ですか?」
脳の電気信号が一瞬全て止まったかのように、オレの心は無になった。
しかし、それでもすぐに言葉を返した。
「……したいことだな。どんな事でも負けるよりかは勝った方が気持ち良いだろう」
その言葉を聞くと、カムクラはこちらに興味をなくしたのか足早で去っていった。
オレにとって『勝利』とは何か。その言葉を反芻する必要はない。
その答えは知っている。
今更考えることなんて、無意味で時間の無駄にしかならない。
そう結論付けると、タイミング良く携帯が鳴り響く。
時間を確認すると9時になっていたので、優待者の連絡が来たのかと判断し、メールの内容を確認した。
「綾小路くん、あなたのメールも見せなさい」
カムクラの座っていた席に腰を下ろした堀北は自身の携帯を倒し、液晶画面をこちらに見せてきた。
元々、座っていたオレも同じように携帯を見せる。
そうやって試験は順調に始まった。
そして、オレの今後の立ち回りと戦力の強化は必須であることを認識した。
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『厳正なる調整の結果、あなたは優待者に選ばれませんでした。
グループの1人として自覚を持って行動し試験に挑んでください。本日午後1時より試験を開始いたします。本試験は本日より3日間行われます。
竜グループの方は2階竜部屋に集合してください』
カフェから出た僕は届いたメールを確認した。
自分が優待者でないことには驚かない。優待者は何かの法則に従って選ばれているので、いくら幸運といえど確定で選ばれる訳ではない。
むしろ、ポーカーフェイスを貫いていれば50万ポイントを得れる優待者という役割なんて僕からすればツマラナイ。
つまるところ、幸運はいつも通りという訳だ。
「おい、てめぇなんでこんな所にいやがる」
声のした方を向くとよく知った顔が2人、こちらに歩いていた。
現在地はカフェの出入り口付近なので、2人で食事に来たのだろうかと推測できるが、彼らの仲でそれはほぼありえないと推定する。
1人は男子にしてはやや長めの黒髪を持つ男子。1人は女子にしては短めの薄水色の髪を持つ女子。
龍園くんと伊吹さんだ。
「朝食を取っただけです。あなたたちこそ、何をしているのですか?」
「2人っきりで朝食だ、そう言ったらてめえは驚くか?」
「別に」
「相変わらずの仏頂面かよ。まぁいい。実際の所はある女をからかいに行くだけだ」
龍園くんは笑みを浮かべてそう言う。
彼こそ相変わらず自分の欲求に正直だ。しかし、何故伊吹さんもいるのかという疑問が浮かぶ。
彼は人をからかいに行く時、徒党を組むような弱者ではない。それなのに何故か彼女もいる。
僕は彼の会話とこの情報を利用し、分析を開始した。そしてすぐに答えは導き出される。
「ああ、そういう事ですか。伊吹さんは堀北 鈴音の尾行役で、かつあなたの付き添いですか」
ある女。その人物は先ほどカフェに入ってきた堀北 鈴音のことで間違いないだろう。
彼女と会ったタイミング、彼の娯楽相手になる人物、そして目標を捕捉するために必要な目である伊吹さんの存在。これらの情報から導き出せる。
「そういう事だ」
パチパチと乾いた拍手が独り歩きする。
優待者の確認メールが届いてから一分も経過していない。それなのにこの男は堀北 鈴音へのストーカー行為を楽しんでいる。
ため息をつきたくなる気持ちしかない。が、それよりも目の前の男がやるべきことを確認する。
「遊んでないで優待者の情報集めでもしたらどうですか?」
「そんなに急ぐことじゃねえ。それに、お前なら俺がどうやって情報を集めるのかくらいわかるだろ」
「クラスを一度集め、携帯を直接提出させるつもりでしょう?そしてその時に方針を話し合う」
「そういうことだ」
僕は嘆息を漏らした。
彼の言っていることに間違いはない。せかす必要もない。一回目の試験が始まるまでずいぶん時間もあるし、彼の判断は何も間違っていないと言える。
だが、退屈だ。彼に一方的な期待を向けている僕からすれば、彼のアクションがないと何もする気が起きない。
余ってしまう膨大な時間。今までのように何かを観測するか、惰眠を貪るか、虚無の時間を過ごすか。
そうやって選択肢を増やしていくと、やはり自分自身が楽しめる何かが必要だと考え始める。
別に自分自身を変えたくて新しい行動に挑戦しようとしているわけではない。
ただ、この有り余る時間の中で僕が捨ててしまったものを再び拾い上げる作業をし、その時に起きる変化を体験するのは退屈を紛らわせる可能性が僅かでもある。そんな淡い期待を込めた行動だ。
観測できることを体験することは無意味だと思う。それこそ、膨大な時間でもなければ。だが今、その時間は有り余っている。
なれば、この世界で退屈と隣同士の僕が観測者から経験者に移るのは必然だったかもしれない。
この世界が本当にプログラムの世界ならば、という前提で僕はそう結論付けた。
「……それで、先程からジロジロと何ですか、伊吹さん」
「……ッ!……別に見てない」
彼女はビクリと肩を揺らし、警戒した表情を見せる。歯切れの悪い言葉も相まって、居心地の悪さも伺えてきた。
「……てめえらまだ喧嘩してやがんのか?」
「してない」
大きなため息とめんどくせぇという呟きはセットだ。即答する伊吹さんに対して、龍園くんの鋭く細い目では煩わしいものを見たと判断した後、そのセットを行った。
「おい、カムクラ。伊吹はここに置いていく。何とかしとけ」
「はっ?あんた何言ってんだよ」
「試験において余計な私情は邪魔だ。今のうちに消せるものを消しておくことに何の問題がある。むしろ、このオレが気を使ってやってるんだ感謝しやがれ」
「ふざけんな、余計なお世話なん……おい、ちょっと待って!」
龍園くんはその言葉を言うとすぐにこの場から立ち去っていた。向かっている先にあるのはカフェ。
早速、堀北鈴音をいじり、もとい情報集めにでも行ったのだろう。
荒っぽい言葉使いで感情をむき出しにしている伊吹さんの声もむなしく、龍園くんの姿はすぐに見えなくなった。
「それでどうしますか?」
不機嫌な様子を隠す気がない伊吹さんに僕は話しかける。
「……どうもしないわよ。部屋に戻る」
「そういう訳にもいきません。わざわざ彼がこの機会を作ってくれたのですから、利用しないと申し訳ありません」
「……申し訳ありません?あんたは……そんなこと思ってもいないくせに」
「確かに、思っていませんね。まぁ、嘘も方便と言うでしょう」
「あんたにぴったりな言葉よ。無人島試験でのあんたの行動そのものを表現した言葉」
目的を達成するためならば、嘘も1つの便宜的な手段であり、その過程に生じる行いは肯定される。
それがたとえ非行であったとしても、最終的に利益を生むのならば肯定されてしまう。
ニュアンスの差異はあれど、おおむねこのような意味を持つ言葉が「嘘も方便」だ。
無人島特別試験において、僕は「勝利」という目標を達成するために手段を問わず策を巡らした。
嘘も、信頼も、友愛も利用した。そして最終的な利益を被った。
「そうですね。しかし、あなたもそれは理解していた。あの時もそう言っていましたね。
そして、そこまで理解しているあなたは、友人と思わなくなった。自分を騙し、真実を語らなかった僕を」
「……別に友人と思わなくなったわけじゃない。今でも、友達……とは思っている。ただ……信じづらくなっただけ」
「それを、友人ではなくなったと言わなければ、何と言うのでしょうか」
「……ッ! 知らないわよそんなこと!」
荒々しい金切り声。失望と怒りがかき混ざったその声は通行人のいないこの空間に響き渡る。
伊吹さんは目を見開き、片手で口を押さえた。その動作が失言したことに対処していることは丸わかりだ。
どうやら、彼女の心情は思っていたよりも複雑なものらしい。
「……もう少し待ってよ。今はまだあんたと話せる心持ちじゃないから」
少し落ち着いたのか、彼女は小さな声でそう告げる。
「構いませんよ。あなたが話したくなる時を僕は待っています」
彼女に対して背を向ける。向かう場所は自室だ。
やることなどないが、午後1時になれば1回目の特別試験が始まる。
それまで辛抱していれば、退屈は多少消えるだろう。
思考を止め、歩みを開始する。
────後ろから感じる視線に僕はどこかスッキリしない何かを感じていた。