シリアス→コミカル→シリアス
何もない白い空間。空中にメモのように羅列されている英数字。
寝ていたはずのベッドもなく、私はかかしのように突っ立ていた。
だが、状況が変わる。
占い師の予言と特徴が一致した男の登場によって。
「そんな警戒しないでくれ……って無理か」
白一色のアンテナのようなアホ毛が揺れた後、男は苦笑いを浮かべた。
人当たりの良さそうな表情だが、あの龍園が足元にも及ばない凄まじいオーラがあるため、全く気が抜けない。
しかし、それよりも気がかりな点があった。
髪型は全く違えど、あいつと瓜二つなその顔に。
「……あんたは、誰なの?」
一歩後ろに下がりつつ私は声帯を振り絞って質問する。
私に話す気があることを知った男は笑って答える。
「俺は────jomsys jsko,r」
白い男の言葉が、ブレた。
ふざけているのかと思ったが、言葉を発した白い男自身も怪訝そうに喉に手をやり、声の調子を確かめている。
「……やっぱり。まだ消えたことになっているか」
白い男は真剣な表情で宙を見る。
警戒していた私も同じ方向に視線が動くが、そこには何もない。
「気にしないでくれ。こっちの話だ」
男は真剣な表情を解く。
「俺は敵じゃない。そんな警戒しなくていい」
白い男はそう言って笑うが、どうにも信用できない。
あいつと、カムクラとよく似た声をしたこの男。
普段よりも低い声色に、フレンドリーな口調は全く似つかないのに、顔は一緒と来た。
私は大きく息を吐き、もう一度質問する。
「あんたは……、カムクラなの?」
「本当ならimと答えたいが…………。すまん、ちょっと回りくどい言い方になるが良いか? 直接説明できるほど俺はlsomuiiできない」
洒落や冗談で言っている調子ではなかった。
そもそも、音の聞こえ方がおかしい。白い男の声がブレる瞬間だけ、音源の方向そのものがずれている。
まるで質の悪いマイク越しで話しているような、不自然な音の広がりを感じる。
「俺とls,ilitsはpmsxo存xsoだ。……fpioyi人niyiと言ってもいい。stiys^rhpでもない。……ダメか。結構判定厳しいな」
頭に手を当てる白い男。
その何とも言えない様子についつい助け舟を出してしまう。
「……言いづらいならジェスチャーで伝えてみれば?」
「そうしたいんだが、どうやら動きも制限されている。関係した答えにストップがかかるみたいだから、ジェスチャーでも質問に答えられない」
手首を振ったり、首を動かしたり、手で丸を作ったりと自由な動きを見せるが、なぜか質問には答えられないらしい。
なんとも胡散臭い話だ。
「とりあえず、あんたは何なのよ?」
「……元超高校級のlonpi、この世界をlpiyoliした存在。……難しいな」
白い男は腕を組んで考え始める。
「……世界の傍観者。おお! これならいけそうだ」
嬉しそうに白い男は笑う。
確かにノイズは入っていない。だが、
「世界の傍観者?」
なんだそれは。全く意味が分からない。
「正確には結構違うけど、今はこの表現が一番近い」
1人で勝手に納得した白い男。
私は依然としてこの状況が呑み込めない。
ここがどこで何なのか。明晰夢というのならばそれはそれで問題があるし、一刻も早くこの状況を理解しなくてはならない。
「本当はこうやってlsomuii……接触することは出来なかったんだが、伊吹とls,ilitsの間には溝が出来たからな」
「溝? 何の事よ。ていうかあんた、何で私の名前を知っているのよ」
「そりゃ、見ていたからな」
白い男は薄く笑って告げる。
見ていた? 何をだ。私はさらに警戒を強める。
「soyi……代名詞もダメか。とにかくだ。
soyiなりに考えることがあって、1番dom,oyifpが高い伊吹との間に起きた出来事へ思うとこがあった。
そこで出来た不安定な溝によって俺は接触できたんだ」
相変わらず何を言っているのか分からない。
要領の得ない会話に私はだんだんとイライラが積もっていく。
「結局、何が言いたいのよあんた」
「俺の言いたいこと。────それは頼み事だよ」
「頼み事?」
私が首を傾げると、白い男は説明を開始する。
「俺は強引なfrto^ypのせいでこの世界へ簡単に接触できない。だからsoyiに任せたんだ。
正しい歴史とこの世界の歴史。2つの歴史を合わせてしまう時、彼らがjiysysno絶npidomsoよう監視してもらうために。
ついでにsoyiにはもっと人を、感情を知ってもらいたかったしな」
「……?」
私が全く理解できてない顔をすると、白い男は笑う。
そしてその瞬間、今度は白い男の身体全体がブレた。
ブレは一瞬止まり、数秒するとまた起こる。やや遅い点滅状態だ。
「……くっそ、俺の予想よりxxxってことはxxxxがまだ残っているってことか」
「おい、1人で勝手に納得するな! 何が起こってんだ!?」
ノイズにも変化が現れる。
何かを伝えようとしていたノイズから古いテレビの故障時などに見せるブラックノイズに変わった。
白い男は真剣な表情を見せる。
「悪いが話はここまでだ」
「おい、待て!」
私は足に力を込め、白い男との距離を全力で詰めようとする。
しかし、それより前に白い男は右手を胸の高さまで上げて翳す。
たったそれだけの動作で私の動きは金縛りが起こったように動かなくなった。
「何……これ……」
「この世界ではお前が1番近い距離にいるんだ。だからはやくxxxxxするんだぞ」
「仲……直り……?」
世界が崩れていく。
だんだんと暗くなっていく眼前。
白い世界は張りぼてが倒れていくように壊れていき、黒に染まっていく。
頭を支配していくブラックノイズ。
人の悲鳴が混じったような音に、声に変わっていく。
見える。引き裂かれたような邪悪な女の笑みが。
聞こえる。どす黒い悪意に満ちた女の声が。
白い男は絶望に向かって跳躍していく。
────俺を、あいつを頼む。
そんな中、ノイズを飛ばしてはっきり聞こえた声。
なぜか、私はそれが何となく理解できた。
────────────
「……何、今の」
ベッドから上半身だけを飛び起こす。
頭に両手をあて、異常がないかを確認する。
汗でびっしょり濡れた髪。それ以外には問題なさそうだ。
はっきり覚えている夢。記憶に一寸たりとも空白がない。
周囲を見渡す。
見知った部屋も、普段使っている携帯も、寝ていたはずのベッドも全てある。
「あの白い男は、私を守ってくれたの?」
白い男は私の動きを封じた後、あの悍ましい何かに向かっていった。
思い出すだけで身体が僅かに震える。あれは関わってはいけないものだ。脳がそう処理する。
でもあの白い男を思い出すと身体の震えは収まる。おかしな話だ。
私はあれを他の場所でも一度見たことがある。
あれはカムクラが龍園を追い詰めた時に見せた恐ろしい気配と同種のものだ。
「……変な夢」
私は立ち上がり、ぐしゃぐしゃになった布団を整える。
妙にリアルな夢だった。夢に出てきた登場人物の頼み事まで覚えている。
「仲直りね。相手は言うまでもなく……」
私は言われたことを思い出す。
占い師からきっかけをもらった。白い男からエールをもらった。
どちらも非科学から得た自信だが、そろそろ意地を張るのもやめよう。
「プールにはカムクラもいるらしいし、今日終わらせよう」
私はそう決意した後、シャワーに向かう。
汗を流す必要があるからだ。
支度は整っているので、急ぐことはない。私の髪は短いから髪を乾かす時間もそんなにかからない。
予定の時間までは十分ある。
私は気持ちを落ち着かせ、ゆっくりと準備を整える。
そして余裕を持って部屋を出ることに成功した。
────────────
私は待ち合わせ場所に到着する。何人か先に到着している同じクラスの生徒がいるが、集団は嫌いなので少し離れた場所で待つ。
龍園が指定したこの場所は学校から近い大型のプール施設の入り口付近だ。
そもそもなぜ夏休み最終日にプールへ行く話になったかというと、この大型プールが夏休み最終日に限定で開放しているからだ。
普段、この大型プールは水泳部専用として使われている。
授業で使っているプールとは数も大きさも段違いで、限定的とはいえ屋台も準備されているようだ。
更衣室は豪華で、施設全体の大きさはこの学校の生徒全員が入れるほど広い。
夏休み最後の思い出作りには持って来いの場所だ。
「伊吹さん」
待ち合わせ場所から少し離れた所にいた私に声を掛けてくる。
そんな人物は1人しかいない。椎名だ。
麦わら帽子を深く被り、清楚の雰囲気が溢れている。日よけ対策もバッチリのようだ。
「今日は来てくれてありがとうございます。
本当は行く予定なかったのですけど、思い出作りをしてみないかと龍園くんに誘われたのでつい来ちゃいました」
「そっか。あんたが楽しそうなら何よりだよ」
「伊吹さんもしっかり思い出を作りましょう」
「そうね。明日から学校も始まるし、今日くらい羽目を外すよ」
私たちはお互いに笑った。
時計を確認すると龍園が決めた時間になりそうだった。
わざわざなれ合うつもりはないけど、一応集団の方によっておく。
人数は私たちを含めて9人。石崎を中心に周りの迷惑にならないように固まっていた。
ここにいるのが龍園のお気に入りか能力が高い生徒、もしくは完全な駒と見て良いだろう。
「待たせたな」
私たちの背後から龍園が歩いてきた。
その横にはアルベルトもいて、いつも通りボディーガードをしている。
龍園はサングラスを付け、派手なアロハシャツを着ている。
しかし皆が見ている場所はそこじゃない。そんなことより目になる場所が一つあった。
「……龍園さん、その紐なんですか?」
石崎はこの場の総意を質問する。
アルベルトの手に握られている紐。
紐はピンッとしっかり張られていて皆はその紐を辿っていく。
「気にするな。馬鹿を逃がさないための紐だ」
先端には────腰の部分に紐が巻かれているカムクラがいた。
不満そうな表情を浮かべるカムクラ。
無理やり連れてこられたのは目に見えて分かった。
「行くぞ」
龍園は人数を数えた後、施設内に入っていく。
その後ろをアルベルトと連行されているカムクラが進む。
他の人はその後ろを進むという訳だ。
中々異質の集団だ。特に前3人が。
止まることなく進んでいき、更衣室前に到着する。
「ここからは各々自由にしやがれ」
龍園はそう言って男子更衣室に入っていく。
続いてアルベルトとカムクラが入ったので、私たちも女子更衣室に入っていく。
「凄く広い更衣室ですね。ロッカーもたくさん……あっちにはシャワーもあります」
椎名が目を輝かせている中、私は集団からやや離れたロッカーに向かう。
素早く水着に着替えるために服へ手を掛ける。同性同士とはいえ、素肌を見られるのは好ましくない。
「伊吹さんってとても綺麗な体していますよね」
上半身を着替えている時、いつの間にか近づいてきていた椎名に話しかけられる。
観察するように見られることに抵抗感が生まれる。
「……人の体見てないで早く着替えたら」
「それはそうなのですが、折角他の人の体が見れる機会なのですから見なきゃ損です」
変態。真面目な表情をしている椎名に邪な感情は見当たらないのがよりいっそう本物感を出している。
私が水着を着ようと下着を脱ぐと、椎名は膝を曲げ、姿勢を低くする。
「本当に綺麗なボディーラインですね。お腹もしっかり鍛えられています。触っても良いですか?」
「良い訳ないでしょ」
私は両手をこちらに寄せてくる椎名から距離を取り、手で追い払う仕草をする。
流石に諦め、椎名も着替え始めた。
その間に私は全身を水着に着替え終え、ラッシュガードを着用した。
「外で待ってるよ」
「はい、わかりました」
ゆっくりと着替えている椎名。
普段から運動してないためか、1㎜たりとも焼けてない綺麗な肌は私よりも艶がある。
黒と白の水玉模様をしたフリル型の水着は非常によく似合っていた。
バストは若干私より……いや、良い勝負。良い勝負だ。
少し熱くなってしまったが、私は対抗心を抑え、更衣室を出ていった。
「お、着替えるの早いな伊吹」
太陽の暑さに文句を言おうとしていた矢先、男子更衣室の方から声がする。
腕を組みながら振り向くと、大きく手を振って近づいてくる石崎がいた。
少しバランスは悪いが、筋肉がついているのが一目でわかる体つき。
石崎は運動部に所属していないので、自分で鍛えているのだろう。
「お前が来るなんて珍しいよな。なんで来たんだ?」
「何その言い方、私が来たら変なわけ?」
「……あー、すまん。そういう意味じゃねぇんだ。珍しいのが気になっただけなんだ」
石崎はアタフタしながら謝罪する。
知っている。からかっただけだ。
こいつは馬鹿だが、無意味に人を傷つけるような言葉を言う人間じゃない。
ただ不器用なだけだ。
「椎名に誘われたからよ」
「へぇ~、それまた珍しいな。椎名って運動嫌いだったよな」
「思い出を作りたいんだって。だからこういう所に初めて来たんだ」
「そっか。なら、楽しんでもらわなきゃな」
馬鹿ゆえに嘘はない。
心の底から出た混じりけのない言葉。本当に分かりやすい。
「泳いだ後、ビーチバレーする予定なんだけど伊吹と椎名も来るか? 皆いるし、なんなら龍園さんも参加するぜ」
「……最後の奴のせいで正直行きたくないけど、椎名次第ね。ていうか皆ってことはアルベルトも参加するの?」
「ああ。でもアルベルトならきっと上手く手加減してくれるだろうぜ」
友達自慢で裏表のない笑顔を見せる石崎。
今日いるメンバーは男女比率も1:1に近かった。
皆が参加するとなると、アルベルトのパワーは石崎のような鍛えている男子ですら凌駕するので、女子では相手にならない。
しかし、その心配も大丈夫だろう。
元々、アルベルトは争いごとを好まない。見た目こそ、日々喧嘩に明け暮れているように見えるが、実際は常に紳士的な行動をしている。
ビーチバレーでも同じように行動してくれるに違いない。
「ちなみにカムクラさんは審判だ。あの人がいると、あの人がいるチームが勝っちゃうからな」
「……だろうね」
そんなアルベルトですら簡単に倒せるのがカムクラだ。妥当な判断と言える。
しかし、チームスポーツのバランスを壊してる存在にも石崎は楽しそうに笑っていた。
「凄いよな」と称賛し、嬉しそうに話す。
余程カムクラの実力に憧れているのだろう。
「待たせたな、石崎! さっさと泳ごうぜ」
更衣室の方から2人の男子が出てくる。
小宮と近藤。よく一緒にいる2人の男子だ。
「ビーチバレーはあっちでやっているからな」
指をさし、場所を示すと石崎は他2人と去っていく。
その後の様子を少し見ていると、彼らは周りに人がいないことを確認した後、プールに飛び込んでいった。
辺りいっぱい水飛沫が飛んでいて、それを見かけた監視員をしている上級生に注意される。
本当に騒がしい奴だ。
「お持たせしました」
麦わら帽子を被った椎名が到着する。
小さなカバンを持ち、その中には日焼け止めや携帯などの必要なものが纏められている。
「見てください伊吹さん」
椎名は左手に持っていたものを見せる。
水色と白が基調の物体。しぼんでいるがやたら大きい物体。
「随分とでかい浮き輪だな、ひより」
私が答える前に正解が述べられる。
男子更衣室の方から来た3人の屈強な男たち。その先頭にいる人物、龍園によってだ。
「龍園くん。今日はお誘いありがとうございます」
椎名は感謝を込めて言う。
後ろにはアルベルトとカムクラがいる。どうやらカムクラの紐は取れたようだ。
「誘っといてなんだが、お前は来ないと思ったぜ。それに伊吹もな」
ついで感覚で言われたその言い方についイラッとくるが、抑える。
「椎名が思い出作りたいみたいだからね。だから来たんだよ」
「思い出か。……ならひより、オレについてきな。プールでの正しい遊び方を教えてやる」
「あんたに任せる訳ないでしょ。何しでかすか分かんないだし」
サングラスをしているため、あの獰猛な目つきは見えない。
確かに龍園は女の扱い方に慣れているんだろうけど、その毒牙を椎名に当てる訳にはいかない。
「クク、ならお前もついて来いよ。最高に良い気分にさせてやる」
「お断り。あんたの顔を見ると、ただでさえイラつくのにそれ以上とか無理」
口角を上げ、凶暴な笑みを浮かべる。
威嚇にも感じるその顔に私は舌打ちをする。
「良いですね。なら皆で回りましょう」
しかし、そんなこと関係なく全てを壊していくマイペース。
龍園と同等かそれ以上に我が強い椎名が爆弾発言する。
「良いですよね? その方が楽しそうです」
ニコニコと嬉しそうな笑み。
この笑顔が崩れることを考えると断り辛かった。
「だとよ。どうする伊吹?」
私の悩む表情を揶揄う口調で龍園は聞いてくる。
断れないのを分かってやっているのだ。腹立たしい。
「……分かった」
「決まりですね」
行動指針は決まった。
まぁ、厳つい3人だ。椎名への男除けとしては十二分に機能すると考えれば結果的には良い方向に進んだのだろう。
後は龍園を監視しておけば多分大丈夫だ。
「龍園くん、この浮き輪を膨らましたいんですけど、どうすれば良いですか?」
「向こうに空気を入れる場所がある。そこに行って膨らましてこい」
「なるほど。では、膨らましてきます。ここで待っていてください」
龍園の指し示した方向に駆け足で向かう椎名。
それなりの人だかりがあるため時間がかかりそうだ。
────さてと。
私は気合を入れ直し、カムクラを真っ直ぐ見る。
こちらの視線に気づいたカムクラは同じように私を見る。
相変わらずの無表情。ラッシュガードは着用しておらず、黒の海パンだけを身にまとっている。
そのため、目の毒なレベルで完成された肉体は隠されていない。
だが、やたらと長い髪の方にも認識を寄せられる。非常に目が忙しい。
「……おいアルベルト、ついてこい」
舌打ちをした龍園はアルベルトに指示する。
龍園が見ている方向は先ほど椎名が向かった空気を入れられる場所だ。
そこを見ると、龍園の舌打ちの意味を察した。
順番を待っている椎名に向かう数人の影。
ガタイの良さから見ても運動部で、かつ上級生だ。
龍園は不機嫌そうでいてどこか嬉しそうな表情を見せる。走りこそしないが、早歩きでそこへ向かった。
意図せずに私たちは2人っきりの状況が出来た。
「もう、待つ必要はなくなったということですね」
真紅とは少し違う瞳。白い男よりも暗い赤い瞳は私をしっかり捉えている。
こちらの心情は透かしているようだ。
カムクラは目だけ動かし、移動を促す。
それに従って、更衣室前から人気の少ない日陰に移動する。
「顔つきが変わりましたね」
「かもね」
私は大きく息を吐いた後、ゆっくりと右手をカムクラに向ける。
人差し指を出し、進むべき場所を示すように。
「────私はあんたを許せない」
大きく宣言して、思ったこと全部を言葉に乗せていく。
「失敗が前提の策を伝えなかったことを許せない」
「試験で勝つためでも駒のような扱いをしたのが許せない」
カムクラは無表情を崩さない。
赤い瞳はいまだこちらを捉えている。
「動きを感づかれないため、目的を悟らせないため、勝率を上げるため。
理由がいくらあって、最も合理的な行動であったとしても、謝らなかったあんたを許せない」
利用された可哀そうな女、利用した酷い男。
勝つための最善の行動に文句をつける女、勝利という栄光を完璧に導いた男。
見方なんて、いくらでも変わる。
正しいか正しくないか。そんなものは関係ない。
「私は、あんたを許せない」
つい大きくなってしまう声。
周囲の人は少ないとはいえ、気にする余裕はなかった。
「……それがあなたの結論ですか」
「うん。でもこれは────私だけの結論」
「あなただけの?」
疑問を持つカムクラ。
私は手を下ろし、距離を詰めて話していく。
1歩1歩ゆっくりと寄り添うように。
瞬く間に、2人の距離は1mを切っていた。
「あんたの本音は聞いた。信頼することが出来ない。信頼できる仲間とか友達が必要ない。そんな感情がないって嘆いていた。
────でも、あんただって私のこと考えてたんでしょ」
「……そうですね」
恋愛感情ではない。
お互いにやったことが正しいか間違っているか、良いか悪いかの話だ。
────カムクラは正しい。
試験に勝つための策を遂行し、成功させた。
しかし、私の身をないがしろにした。
つまり、理性的ではなかったが合理的ではあったのだ。
良いか悪いかはここからだ。決めるのは他人じゃない。
決められるのは私たちだけだ。
そして、私たちは悩んだ。
「本当に感情がない人間は悩むことなんてしない。だからあんたにだって『感情』はある」
カムクラは目を細める。
私は矛盾を無遠慮に打ち抜いていく。
「知らないんでしょ、カムクラ。
あんた風に言うのならば、感情を知る才能を持ってないんでしょ」
「そんな才能くらいいくつも持っています。
僕はカムクライズル。ありとあらゆる才能を持つ人間。
あの時、勝つために最善を尽くし、Cクラスを勝利に導いた。策に間違いなんてありません」
「そんな肩書きや結果を聞きたいんじゃない」
感情論でいい。
全て吐き出して、そこから寄り添っていけばいい。
人の気持ちなんてわからないんだ。分かるためにお互い本音を聞いて話せばいい。
本音を話すことは怖くて、感情とか心とか、そういう目に見えない何かを傷つけてしまうかもしれない。
下手をすれば相手の踏み込んではいけない危険な部分に触れてしまう。
「あの時、あんたはどう思ったの? 策に出る私の不利益をどう思ったの? それを教えて」
でも、危険を冒してでも得たいものが信頼なんだ。
信頼は本来、時間でしか得ることができない。正規の方法じゃないからぶつかり合う。
「あんたの思うこと、思ったことをそのまま教えて」
依然として変わらないカムクラの無表情。
カムクラは一度目を瞑って考えた後、告げた。
「……仕方のないことだと思いました」
「……やっぱり知らないんだね」
私は右掌に力を込める。
そして思いっきり、カムクラの頬を叩いた。
パンッと混じりけのない澄んだ音が響く。
カムクラは避けずに受けた。ふらついたり、身じろいだりしない。
「ありとあらゆる才能を持っているんでしょ。なら、傷つく人間の気持ちを考えてよ」
「……勝つという行為を優先するためにその思考は必要ありません」
「本当にそう思っているなら、もう一発いくわよ」
私は睨みを利かせる。
水着姿で掴める胸倉がないため、力が入っている両手の矛は収めなくてはならない。
握るもののない暴れる力を理性で抑える。
「親しいと思っていた人に裏切られたら辛くて悲しいの」
「……知っています」
「今回は裏切ったわけじゃないけど……悲しかった」
「……知っています」
「知っているなら、なんであの時相談しなかったの」
「……策の成功が最優先。それが正しいと思いました」
カムクラはそう言った。
今言っていることに嘘はないのだろう。本当に策の成功を優先させたのだろう。
ならなぜ終わった後に悩む。なぜここまで引きずっている。どうして謝罪の1つもない。
────答えなんてとっくに出ている。
カムクライズルは感情を知らない。
存在しないんじゃない。カムクラにだって感情はある。
ただ、感じ取り方を知らないんだ。
自身に感情があるのに、思考を開始すると記憶がすっぽり抜けたように自他の感情を消していく。
酷く歪なあり方だ。まるで、感情を忘れさせるような環境で育ってきたようだ。
結果のみを優先させた思考が感情を取り除いている。
「僕の言い分はもうありません。あなたが本当に許せないなら、今ここで何をしても構いません。
あなたにはその権利がある」
カムクラはそう言って体の力を抜き、自然体になる。
何者にも突破出来ない、そう思える立ち姿が指先で押せば倒れてしまうくらいに力を抜いている。
身を委ね、罰を受ける覚悟を見せている。罪悪感からかどうかは分からない。でもそう信じたい。
「私は何もしないよ」
あの時のカムクラの気持ちは分かった。
カムクラは分からなかった。人が傷つくことを知っていても、それに何も感じることが出来なかった。
習った物事が出来ないことを怒るのは人それぞれだ。しかし、そもそも知らないことに怒ることはない。
知らないことは今から知っていけばいい。学んでいけばいい。失敗をバネにすれば良い。
そしてそんな綺麗事を許せる心はもう出来ている。
なら、やってもらうことは1つだ。
「────謝って。それで今回のことは許すよ」
私はそう言って右手を前に出し、握手を求める。
仲直りの印としては古すぎるかもしれないが、形は重要だ。
カムクラは僅かに目を見開いた。もの珍しく動くカムクラの表情に私は薄く笑った。
「……なぜ、許せるのですか? たかが一言謝罪をするだけで」
「その一言が重要だからよ」
「騙せるんですよ。声色も気迫も覚悟も。あなたがしてほしいと思った表情を僕は出来るんですよ。
たかが一言の謝罪なんて意味なくできるんですよ」
「……まどろっこしいな」
私は動かないカムクラの右手の掌を強引に掴む。
「私は許すって決めた。あんたは?」
うじうじと理屈を重ねるカムクラ。
私は不器用な握手で形だけを済ませる。
「僕は……」
言い淀む。だがすぐに、
「────すみませんでした」
そう言った。
これが、私たちの結論だ。
「これで後腐れなしね」
心にあった蟠りが消えていく。
うじうじこの関係を続けるよりも、仲直りした方が良い。
きっかけ1つで前に進めることを私は知れた。
「……本当に良かったのですか?」
「まだ言う気? 私は許すって決めたのに」
「……わかりました」
カムクラは手を放す。
そして自身の両手を胸の位置に持ってきて、眺める。
「……僕にもまだ、得るものがあるのですね」
そんな当然のことを呟いているカムクラ。
そして口角を上げ、────うっすらと笑みを零した。
……なんだ、ちゃんと笑えるじゃん。
しかし、この言葉は初めて見るカムクラの表情を変えないために、心の中にしまっておく。
「伊吹さん、カムクラくん」
椎名が私たちを呼んでいる。
その後ろには上機嫌な龍園がいる。どうやらナンパは撃退できたようだ。
大きな浮き輪はアルベルトが背負うように持っている。
「さっさと行くわよ」
私たちは3人の方に歩いていく。横目でカムクラを見ると、いつの間にか仏頂面に戻っていた。
でもその顔は久しぶりに見たような、何だか懐かしい感じがした。
伊吹 澪との親密度が一定値を超えた!
chapter4.5終わりです。
駆け足になってしまいましたが、これでとりあえず伊吹との関係も一段落。
皆揃ってchapter5に行けます。
chapter5と言えば、スーロン2だとみんな大好き希望厨の回ですけど、こっちはそんな大暴れするつもりはないです。
あと、今回の文字化けは簡単な暗号みたいな感じです。読みづらくしただけなので読もうとすれば読めます。
矛盾があったらご指摘お願いします。即修正させていただきます。