「それじゃあ、交渉を始めようか」
龍園くんの後をついていくと、カラオケの一室に到着する。
防音機能に優れ、監視カメラがない。秘密の話をするにはもってこいであるこの場所。
彼が人に聞かれたくない話をするときによく使用している。
「本題に入る前にだ。一之瀬、お前は今回の試験どうやって勝つつもりだ? それを聞かせろ」
L字の椅子に座る4人の生徒。
本来、娯楽施設として用意されたこの場所なら歌いだしてもおかしくないが、張りつめた雰囲気が許さない。
「クラスの力を最大限に引き出して勝つ。そのために私たちは日々体育祭の練習をこなしているよ。そして知っての通り、私たちはAクラスを標的にする」
「具体的には?」
「狙える種目で可能な限り狙うって感じだよ。例えば騎馬戦とか。Aグループの騎馬から徹底的に落としていけば、彼らの活躍度は少しとはいえ下がる」
一之瀬さんはどこか納得しない様子で告げる。
「……君から言えば甘いでしょ? でも、この体育祭はどこまで行っても運動能力がものを言う試験。
どこまで策を立てても、最後に肝心なのは個々の運動能力とチーム種目での団結だよ」
「確かに甘いが、何ら間違っていねぇな。運動能力は個体差があるとして、お前らが大好きな団結って言うのも、今回は馬鹿にできない。
綱引きや玉入れ、二人三脚。団結必須ってやつだ。この点に関してはお前らの強さは認めてやってもいい」
だが、そう断りを入れて鼻で笑う。
「どうやら、お前
「……失敗? 何の事かな?」
一之瀬さんは声色を変えることなく返す。
「惚けんな。お前は甘い奴だが、抜け目はない。
この試験で、1つのクラスを潰すために重要な存在が何か分かっているはずだ」
龍園くんは目を細め、獲物を逃がさないように注視する。
重要な存在。それは『選手の組み合わせ』だ。
足の遅い人はそれよりも遅い人と組めば結果は残せる。足の速い人が楽して勝つために遅いグループへ入れば、圧倒的な差を見せつけられる。
このように組み合わせ1つで采配が変わる。
そしてこの組み合わせを可能にするものこそが、
「────参加票だ。お前もAクラスを集中して潰そうと考えた時、それが頭に浮かんだ。
しかし、葛城の野郎が管理している以上、参加票から情報を得ることが出来なかった」
「……大正解だよ」
一之瀬さんは肩を落とす。
どうやら彼女もAクラスを個人種目から攻撃していく策を立てていたようだ。
しかし、堅固な守りを得意とする葛城くんが管理していたために、未だその情報を奪えていない。
「
「Aクラスにはな」
「……ということは、Dクラスの参加票は……」
「そういうことだ」
一之瀬さんが言葉を切ると、龍園くんはご機嫌に笑う。
その態度に嘘がないか、一之瀬さんは身じろぎひとつしない深く鋭い視線をぶつける。
そのまま艶のある薄ピンクの唇に手を当て思考に耽る。
「お前の今回の目的はDクラスを徹底して叩くということで良いのか?」
一之瀬さんに代わり、神崎くんが尋ねる。
龍園くんは笑って答えた。
「その通りだ。だが────お前らがある条件を呑むならば、ついでにAクラスも潰してやっても良い」
一之瀬さんと神崎くんの身体がピクリと反応する。
「それは、協力して試験に望む気があるいうことか?」
「そう言ってやったが」
腕を組んでいる神崎くんの片眉だけが上がる。
龍園翔という存在がどういう人間か知っているからこそ、注意深く判断していた。
狡猾、卑怯、これらの類の行動を一切躊躇なくやるこの男と組んだとして、リスクリターンはどうなるか。
それは言うまでもなく、
「信用できないな」
この結果になる。
裏切りが思考をちらつくからだ。突然刃物で後ろから刺してくる可能性がある男に、信用は難しい。
「安心しろ。契約書はもう用意してある」
「何だと?」
龍園くんはファイルから1枚の紙を取り出し、これまた机に置く。
彼は読むように顎で指図する。
契約書
条件:BクラスがCクラスに対して卒業まで毎月80万ポイントを払うこと。(この契約は片方の契約者が退学になるまで施行される)
この条件を可決した場合、Cクラスは今後一切Bクラスに敵対行動することを禁ずる。
また、Cクラスは体育祭と次回の特別試験が行われた際に、Bクラスにサポートを約束しなくてはならない。
「……ふざけているのか?」
神崎君は龍園くんに鋭利で容赦のない睨みを向ける。
契約書に書かれていたことを僕は知らないが、今の反応である程度は察した。
大方、ポイントを払えば協力するという内容だろう。
「クラス間の協力をするだけなのに、なぜここまで大金を払う必要がある」
「あ? 無償の協力なんて俺がするわけねぇだろ」
対価のない物事などこの男がするわけがない。
善意で協力して得る信頼に、龍園翔は微塵も興味がない。
「それにこの契約をすれば、今後Cクラスがお前らの敵になることはない。お前らの働きと実力次第で、Aクラスに上げてやってもいい」
「大きく出たね。Aクラスで卒業するメリットを忘れたわけじゃないでしょ?」
一之瀬さんは尖った瞳を龍園くんに向けるが、笑顔であしらわれる。
「クク、そんなものくれてやる。俺には俺のやり方があるんでな」
引き裂くような笑みを浮かべ、愉快に声を出す。
神崎くんはその行動に恨みがましい視線を向け、一之瀬さんは再度思考するために目を閉じる。
「それでどうする? この契約を受けるか受けないか」
「受ける訳がないだろう! こんな契約!」
「雑魚は失せろ。俺はBクラスの代表である一之瀬に言ってんだよ」
龍園くんは強い睨みを利かせ、ドンっと机に踵を置く。
品のない行動だが、龍園翔の凶暴性が顕著に見える部分だ。
「────受けないよ」
一之瀬帆波は目を開き、はっきりと告げる。
やはり、その輝きは希望たり得る部分だ。
「私は君のやり方を容認できない。それでも、今回しっかりとした場で話し合いを設けてくれたことに感謝するよ」
龍園くんを指差し、真っ直ぐ瞳を向ける。
「でもね、私たちにも私たちのやり方がある。そして君のやり方は、人を傷つけすぎる」
「はっ、甘すぎるな。みんなで仲良くやるだけで勝てるとでも?
今回の体育祭は白組として勝つ確率はかなり低い。Aクラスとの差はまた広がっちまうぞ」
「それでも、誰かを傷つけて勝ちたいだなんて私は思わない」
価値観の違い。求める結果が大きく違った。
龍園翔はどんな手段を使ってでも勝つために。
一之瀬帆波は誰も傷つかずに勝つために。
現実主義者と理想主義者。優先順位は前者が勝利で後者は安全。
どちらが良いかの結論なんて出ない。結論を出せるのは集団を率いる本人のみ。
しかし、それが違うからこそ未来は変わる。
綺麗事は通しきれてからしか認められない。
ならば、通してみてほしい。
その未来は彼らが創っていくもの。僕の予測を超える可能性があるものだ。
「そうかよ。なら、交渉は決裂だ」
龍園くんは立ち上がる。
その行動に反応し、いつでも動けるような体勢を作る神崎くん。
暴力による交渉の可能性に対処するためだ。
しかし、その時はいつになっても現れなかった。
「いくぞ、カムクラ」
「お先にどうぞ。僕は彼らと話すことがあるので」
「あ? 何の話だ?」
龍園くんは警戒しながら言う。
体育祭に関係する話かどうかを疑っていた。
「個人的な話ですよ」
「この俺に隠し事はできないぞ?」
「好きに調べればいい」
龍園くんの視線はさらに鋭くなる。殺気交じりのそれは心地良い。
「……良いだろう。ただし、部屋代はお前が払っておけ」
諦めてくれた。
最悪、彼も話に参加しても良かったんだが、荒れること間違いない。
彼はそのまま個室から出ていった。
「では、白波千尋についての話を始めますか」
一度座り直した後に、そう切り出す。
一之瀬さんは目に角を立てる。
彼女があの出来事を許していないことがはっきりわかる。
僕はあの策について間違っているとは未だ思えない。
勝つための最善手。利用できる手を使っただけだ。
しかし、それは違うということを教えてもらった。
日向創からの忠告だけじゃない。この行いは、僕を友人と呼ぶ少女の言葉に敬意を表しての行動だ。
無人島試験で、僕が傷つけたのは彼女だけじゃない。
────白波千尋も被害者だ。
「彼女、男性恐怖症に陥ったと聞きました」
「……そうだよ。今は時間が少しずつ回復を促しているけど、心にできた大きな傷は治っていないの」
風の噂で聞いたことは真実だった。
その原因は紛れもなく僕と龍園くん。勝利に必要なピースを埋めたことによって出来てしまったものだ。
そしてこの真実を知っても、僕は可哀想という気持ちも、申し訳ないという気持ちも全く浮かんでこない。
沈黙が流れる。
話の進みが遅いため、僕は一気に踏み込む。
「僕は無人島試験の策を悪いこととは思っていません」
「……貴様」
神崎くんが睨む。
一之瀬さんも同じように目が細くなるが、そのまま続ける。
「しかし、それで傷ついた人間がいることは事実。それに対して、僕自身がどう向き合っていくかを考えたい」
僕が心中を吐露すると、一之瀬さんは目を見開いた。
「それってつまり、謝りたいってこと?」
「一般的にはそうなりますね」
僕がそう言うと、一之瀬さんは眉間に皴を寄せ、困ったように唸る。
視線をさまよわせ、考えあぐねているようだ。
「無駄なことだ。こいつはあの策を悪いと思っていない。そんな形だけの謝罪に何の意味がある」
「僕もそう思っていました。しかし、謝るか謝らないかでだいぶ変わることを知りました」
低い声を出し、怒りを露にする神崎くん。
ヒートアップする前に、一之瀬さんが彼とバトンタッチする。
「ただ、謝ればいいってわけじゃないよ。誠意はあるの?」
「必要以上に追い詰めたことに関して、己の行いを反省して謝罪することは誠意に入りますか?」
「うん。それは確かに誠意に入るよ」
一之瀬さんは今日は初めて明るい表情で告げる。
僕が謝るという可能性を見出してから、彼女の表情が変わった。
「……おい、一之瀬。何を考えている」
「彼は自分の間違いを正そうとしている。なら、私は手伝いたい」
「嘘に決まっているだろ! 船上試験でのこいつの行動をもう忘れたのか!?」
神崎くんはやや声を荒げ、一之瀬さんを説得しようと試みる。
一之瀬さんは怯みもせず強気に言い返す。
「でも、間違いは正せるときに正さなくちゃいけない!」
神崎くんはその勢いと口調に面喰ってしまう。
強い意志を持つ瞳。彼女の気持ちが昂っていることが分かる。
「……カムクラくんは間違いを直そうと自分の意志で決めた。それを尊重して機会を作ってあげるべきだよ」
「……一度間違いを犯せば、そいつは信用を失う。その信用を取り戻すためには時間が必要だ。
ゆえに、俺はこいつを信用できない。もう一度白波に酷いことをする可能性が大いにある。もう一度似た状況があった時、こいつは同じことを繰り返すぞ」
「神崎くんの言うことも分かるよ。けど、本当に反省していないなら、そもそもこんな話を持ち込まないよ」
言い合いになる2人。
強い意志を感じさせる一之瀬さんの瞳に神崎くんは押され気味だ。
甘い。
龍園くんの言う通り、彼女は甘すぎる。
僕は話がしたいと言っただけだ。なのに飛躍して、僕の間違いとやらを直そうとしている。
度の超えたお人よしだ。
「それにね、世界には直すことの出来ない間違いだってあるんだよ」
一之瀬さんは声のトーンを落とし、諭すように告げる。
「間違いを犯したら、後悔して、苛まれて、何度直せたらいいなって思っちゃう。
それが一生消えないこと……例えば、『犯罪』を犯したら、この思いを1人でずっと胸に抱えなきゃいけない。
でも、カムクラくんのしたことはまだ取り返しがつく。そりゃ、とても酷いことをしたけど、勝つために仕方なくやったんだよ」
「……だから、改心の機会を与えるべきだと?」
「うん。神崎くんは間違いを正そうとすることがダメだと思うの?」
「それは違う。間違いを正そうとすることはダメではないし、その意志は立派だと思う。だが、悪意を胸に潜め、反省をしたかどうかも分からない奴に更生の機会を与えるのは違う。
どうせ、また同じ過ちを繰り返す。いずれは『犯罪者』と同じ道を辿る可能性もある」
感情と感情がぶつかり合う。
軽い話し合いをしに来たはずなのに、白熱した議論を繰り返していた。
熱くなっているために論点はややずれ始めている。
「違うよ。間違いを正そうとする人は『犯罪者』の道を辿らない」
「可能性の話だ。誰もがそうなるとは言っていない。俺が言いたいことはもう少し時間を置けということだ」
改心には時間がいる。神崎くんは僕が反省をしていないので接触は危険と判断していた。
だが、誠心誠意のある改心をしてからなら、推奨している。
ゆえに、時間を置け。
冷静なのは間違いなく神崎くんである。
むしろ、一之瀬さんは熱くなり過ぎだ。クラスメイトの安全を第一に考える彼女らしくない
「結論は出たようですね」
僕がそう言うと、冷静になった一之瀬さんは神崎くんの言葉を理解し始めたのか、何も言わない。
「お前の意志は分かった。だが、それはもっと時間を置いてからだ」
弱まらない眼光。
神崎隆二という人間はBクラスを支える骨組みでもあるようだ。
彼がより成長すれば、一之瀬帆波を正しく支えられる存在になれば、それは僕の予想外。
実に、オモシロイ可能性だ。
「分かりました。それでは僕はここで」
僕は立ち上がり、部屋を出ていく。
会計に立ち寄り、全ての代金を支払った。
──────────
様々な練習の日々を重ね、体育祭開始まで残り5日となった。
心地よい風が吹き、気温もやっと9月終盤のそれになって来たので、本番は非常に過ごしやすい気候と予想できる。
「今から全種目全競技の組み合わせを発表していく。一度しか言わないからよく聞いておけ」
現在は放課後の時間だ。
龍園くんが教壇に立ち、参加票を見ながら話し始めていく。
個人種目の順番、推薦種目に参加する人物などなど。元々決めていた組み合わせの最終確認をしていく。
しかし、主だった変更はない。
つまり櫛田桔梗が裏切らず、Dクラスの参加票を予定通り手に入れたことを意味している。
「以上だ。それじゃあ、今から戦略を話していこうか」
独特で、どこか気味の悪さも伺える笑み。龍園くんは参加票を片手に続ける。
「今回の標的はDクラスだ。お前らの組み合わせもDクラスへ有利になるように決めてある」
周囲が少しざわつく。
その組み合わせをどうやって決めたかが分からないからだ。
「うるせぇ。質問は受け付けていない」
彼が一言そう言うだけで教室は静まった。
鶴の一声。彼の場合は獣の威嚇に近いが。
「具体的にどうやってDクラスを潰すか、お前らにはそれを今教えてやる。といっても何も難しくない。Dクラスの堀北鈴音を潰してやればいい」
Dクラスの手綱を握れる人たちの中でも一番警戒しなくてはいけない生徒。
平田洋介や櫛田桔梗より厄介と判断する材料は揃っている。
「Dクラスを纏められるリーダーの1人。クク、集団を潰すにはまず頭から潰していこうじゃねえか」
指揮者のいない団体などただの烏合の衆。纏まりに欠け、協調性なんてものは皆無になる。
「いいかお前ら。堀北をハメるには、潰すためにはどうすればいいか、その策を授けてやる。
まずてめえら全員の出来ることは個人種目でDクラスに勝つこと。Cクラスに負けたという事実を刻み、ストレスとプレッシャーを与え続けてやれ」
「……失敗したら、なんか罰でもあるわけ?」
「察しろ伊吹。俺が組み合わせを決めて、カムクラが鍛えてやったのに勝てない馬鹿なんているわけがない。
もしいたとしてもその時は、なぁ?」
龍園くんは僕を見る。
僕の意見を言うように目で合図している。
「僕は何もしません」
「活を入れてやれ。今回はお前の言葉を信じて努力した馬鹿どもがいるんだ。俺の言葉よりずっと響くぜ」
龍園くんは僕に教壇に来るよう指で指示する。
実技面でのサポートを軽くしただけですが、確かに彼の言うことは間違っていない。
全体的に運動能力は目に見える範囲で上がってきている。
100m走ならば最も少ない伸びしろでも0.3秒は速くなっているし、綱引きや二人三脚でも懸命に努力している結果、息が合ってきている。
僕はそれらを踏まえた上で、かつ龍園くん好みに。
脅すようにエールを送った。
「勝ってください。さもなければ見限ります。才能も努力することもない者に時間を割く必要なんてありませんから」
言い終え、僕は自分の席に戻る。
自席に座ってから見る龍園くんの表情は愉快気に頬が動いていた。
「……ククク、という訳だ。話を戻そう。鈴音を潰すのは個人種目。矢島、木下。お前ら2人はあいつと組んでもらう。そしてあいつに1位を取らせない。さらに精神的に追い詰める」
突然名前が呼ばれた2人の女子。
彼女たちはビクリと肩を揺らした後に龍園くんを見る。
どちらも陸上部の女子なので身体能力は素晴らしい。いくら身体能力の高い堀北さんでも勝つことは難しい。
「団体種目の騎馬戦も同じように鈴音を狙え。いくつかの騎馬で囲むように追い詰めろ。
残り……特に機動力のある騎馬は他クラスの雑魚騎馬を潰しておけ。それの方が点も稼げて戦いやすくなる。もっとも、そこから純粋なパワーで負けたら死刑だぜ?」
「……ねぇ、龍園くん確認いい?」
矢島さんが手を上げて言うと、龍園くんは許可した。
「個人種目で私たちが堀北さんと一緒の組み合わせに出来るって本当なの?」
「なんだ、負けるのが怖いのか?」
「いや、それはないかな」
やや低い声で脅した龍園くん。
しかし、若干の怯えすら消え、自信に満ちた表情で矢島さんは断言した。
龍園くんはこの行動に満足を得る。
「クク、頼り甲斐がありそうじゃねえか。褒美だ、そこら辺の理由は後で策の詳細とともに教えてやるよ」
試したことへの報酬として情報開示を約束した。
皆が気になっているであろうこの情報はもちろん他言無用。この情報を知っているのは僕と一之瀬さんと神崎くんだけなので漏れる心配はない。
Bクラスの2人も勝負である以上、Dクラスに告げ口はしないだろう。
「話は以上だ。解散しろ」
龍園くんは矢島さんと木下さんだけを残し、他を解散させる。
放課後には部活動をしている人もいるので、教室は人の移動で慌ただしくなる。
「……ねぇ、本当にいいの?」
騒がしい教室からそんな声を拾う。
怯えた声色。
真鍋志保にその声色で話しかけるのは藪菜々美だ。
僕はそこに視線を向け、聞き耳を立てる。
「仕方ないでしょ。私たちはこうしないと退学になっちゃうんだよ」
藪さんから携帯端末を受け取る真鍋さん。
素早く手を動かしてロックを解除しているのでその端末が真鍋さんのものだということが分かった。
「でも、龍園くんにバレたら……」
「……退学させられるよりマシでしょ」
涙目を浮かべる藪さんと悔しそうな表情をする真鍋さん。
彼女たちはその後素早く教室から出ていった。
「カムクラ、何見ているんだ?」
伊吹さんが僕に声を掛ける。
彼女は僕と同じ方向を見るが、そこに真鍋さんたちの姿はもうない。
現状を予測できない。
本当に立ち回りだけは上手い。判断が早ければ行動も早い。
彼女が何をしていたかの痕跡は僕でなければ見逃してしまうだろう。
「何も」
渡された真鍋さんの携帯と2人の言葉。
そして藪さんの席は教壇近くの席。
大体の予測は付いた。それでいて僕は見逃す。
────この段階でCクラスにスパイを作り出した人物がいる。
その事実に僕は思考が加速する。
真鍋志保に接触した人物は誰だ。何が目的だ。
この予定外が未来にどう影響するのか。
そう考えただけでも、退屈だった体育祭に、その結末に僅かな期待が生まれた。
「帰りましょう」
「……あんた、何か企んでない?」
「いいえ、未来へ期待しているだけですよ」
僕は荷物を纏め立ち上がる。
窓を見ると、カーテンが僅かに開いた。
そこから入り込んだ太陽の光が暗かった僕の足元を照らしていた。
次回本番。