せめぎ合う2つの力。
正面から衝突してお互いに後退しなかったことから力は互角と見ていい。
僕たちは鍔迫り合いのように打ち合った右前腕を受け止めたまま相手を押しのけようとする。
「表に出た気分はどうですか?」
僕は綾小路くんに問う。
「……最悪だな」
無機質な表情を変えることなく、彼は悪態をついた。
「オレが受け止めなかったら、棒を支えている奴らはケガじゃすまなかったぞ」
「そうならないように止めると予測していました。
事実、あなたは僕を受け止めた。予想通りの未来です。もっとも、受け止めなくても彼らは無事でしたよ」
Dクラスの防御陣へ弾丸のように突撃した僕。
もしあの勢いのまま棒に体当たりしていれば、彼が想定する通り、Dクラスへの被害は途轍もなかっただろう。
彼以外が受け止めようとすれば無事じゃなかった。最悪、僕は失格になっていたかもしれない。
しかし、実際は問題なかった。
最低速度から最高速度に一瞬で変更できる僕は最高速度から最低速度も同様のことが可能だ。
すなわち、一瞬で止まることが出来たという訳だ。
0から100までの操作が可能なスピードの緩急。
ありとあらゆるスポーツ選手の才能を持っている以上、敏捷性ももちろん超高校級の才能の1つだ。
「それが全力ですか?」
何も答えずに押し続ける綾小路くん。
僕の超分析力を騙すことは出来ない。彼は今、出せる力を全て押し返す力に使っている。
これ以上の力で押し返すには更なる集中力と限界を超える気力が必要だ。
だが、それらの発揮を待つほど僕は優しくない。
さらに力を込め、拮抗していたバランスを崩す。
ジリジリと砂を引き摺る音を鳴らしながら、綾小路くんの足は少しずつ後退していく。
「カムクラさんに続け!」
背後から声が聞こえた。
どうやら第1陣が到着したようだ。
彼らは僕たちの周りを囲むように、より正確には邪魔にならないように左右に散って通り過ぎようとする。
「……! させません」
一瞬、前のめりになってよろめく僕の身体。
その僅かな揺れを利用して、僕は倒れこもうとする綾小路くんの右手首を左手で掴む。
そして引き寄せた。
突然の状況だったが、僕は状況を理解していた。
僕が周りの状況に気を逸らした瞬間、綾小路くんは自ら背後に跳んだのだ。
「言いましたよ。予想通りの未来だと」
僕の言葉に眉を顰める綾小路くんは引き寄せられたことを利用し、左前腕で仕掛ける。
勢いのついたその攻撃を右前腕で防御した。
十字を作るようにクロスされたお互いの腕。
力は既に拮抗していない。彼は僕を押し返そうとするが、力が足りていない。
限界を超えた力は出せていないようだ。
「……力負けをしたという事実を観客へ見せつけるためにわざと倒れる。
あなたがこの場に出て来てやれることなんて限られています。だからその行動は予測済みです」
人が集まれば、観客から見えづらくなる。そうなる前に敢えて倒れこもうとした。
加えて、倒れこむことでCクラスの第1陣を直線的に進ませない。
回り込ませるように進め、力の分散を考えた。
倒れている人間を踏みつけて直進できるのは龍園くんぐらいだ。
もし彼の想定通りの未来が来ていたら、第1陣は彼を避けながら進んでいくだろう。
力は分散し、タイムロスになる。
「小賢しい」
分の悪い戦いはしない。
人前で実力を出すこともしない。
勝負なんて元々するつもりなどなかった。
ぶつかり合ってわざと負けを演じて時間稼ぎ。
第1陣の到着が遅かったのも僕を止めたという事実で彼らの動きを鈍らせたからだ。
その間に攻撃陣であるAクラスを少しでも深く進攻させ、勝利を狙う。
「そんな戦い方では一生僕に勝てませんよ」
「勝つつもりなどない。そもそも今のDクラスで真正面から勝負を挑んで勝てるとは思っていないからな」
「僕と君の話です。なぜ競い合いをしないのですか?」
「……まぁ、事なかれ主義だからな」
嘯いた。
僕に嘘は通用しない。
視線や瞳孔、体の動きからは判断できなかったが、言動と行動の矛盾から嘘と判断できる。
「そうですか。なら頑張って僕の拘束から逃れてください」
周囲はCクラスの生徒が通り過ぎている。
観客席からこの状況は目を凝らしても見え辛い。それこそ、高い視力と超分析力の2つを持っていなければ見えないだろう。
つまり、誰からも見えないこの状況は目立ちたくない彼からすれば絶好の機会という訳だ。
「そのつもりだ」
その言葉とともに彼は押し合っていた左腕を引き、握り拳を作る。
そしてジャブ。牽制にしては十二分な威力とスピードを持った拳が僕の視界を遮るように打たれる。
常人なら、この攻撃を受けただけで想像以上のダメージが入るだろう。
そう、超分析力に映った。
────だからあえて受ける。
僕は加速しきる前の左拳を額で受け止める。加速していない拳に大した威力はなく、問題なく次の動作へ続ける。
額で受ける際、腰を沈め、身体は彼の右脇に入るように前のめりにした。
その際の1歩目は右足。相手の右足方向に合わせるよう前に出す。
この動きと同時に、僕は右手で彼の胸倉を掴む。
そのまま勢いよく回転し、腰で彼を浮かした。
背負い投げ。
超高校級の柔道選手の才能を使用し、彼を投げる。
地面は砂。受け身を取れなければ、ケガでは済まない上に、受け身を取れたとしても大きなダメージが通る。
しかし、彼はしっかりと受け身を取った。
「やりますね。少なくとも咄嗟の判断は戦刃むくろを超えています。
歪な超分析力のおかげのようですね」
砂まみれになった彼を見下ろしながら告げる。
実力は見れたので、僕は彼の右手首を放した。
相手が予想外の行動を受けた時に焦らず、激情せず、次の行動を素早く分析した。
僕が背負い投げをすると分かった彼は余計なことをせずに、技を受けることで、自分の受けるダメージを可能な限り最小限にした。
投げられる際、僕に一矢報いることは出来ただろうが、そうすれば彼は体育祭続行不可能な体へと変わっていただろう。
やり返そうとする気持ちを抑えて次に繋げられるように。
負けないための立ち回りが非常に上手い。
そう判断するのは並の精神では出来ない。
「牽制の一撃から反撃を食らう訳がないと高を括ったのが間違いでしたね。
僕が右手で受け止めたら、避けたら、他の部分で迎撃したら。そこまで考えていたのは見事です」
どんな行動が来ても後出しで対応できるという自信。
それゆえに彼は後れを取った。
素晴らしいものだが、僕から見れば慢心だ。
油断大敵。本気で勝ちたいなのならば、僕に付け入る隙を僅かでも与えてはいけない。
「今度は初めから勝つつもりで挑んでください。それならもう少し楽しめそうです」
何も言い返さない綾小路くん。
僕はそのままDクラス本陣に突撃し、棒を倒した。
────────
BC連合の勝利で棒倒しが終わり、1年男子はテントへと下がっていく。
次は2年男子、その次は3年男子。同じルールで競い合っていく。
それが終われば、次は女子の玉入れだ。女子の場合は3年から始まり、その次が2年、最後に1年という形式だ。
「惜しかったねみんな!」
暗い雰囲気でテントへ戻ってきたDクラスの男子に櫛田は激励を飛ばす。
可愛らしい笑みと母性を感じさせるような声は暗い雰囲気を払拭し、喜びに変えた。
「お疲れ洋介くん! かっこよかったよ!」
「……ありがとう。でも、勝てなくてごめんね」
Dクラスの主要人物の1人である平田。
彼は彼女の軽井沢さんから労いの言葉とタオルを受け取る。
しかし、その声色は重たく、汗を拭うタオルの間から見える表情も険しい。
その反応を見た平田の周囲には、多くの女子が集まっていき、より労いと激励が送られる。
「須藤くん大健闘だったね! 3人に囲まれても倒しちゃう姿は凄かったよ!」
そんな中、櫛田は切り込み隊長であった須藤に声を掛ける。
須藤は浮ついた表情を一瞬見せるが、すぐにバツの悪そうな表情に変える。
「……わりぃな、結果出せなくて」
「謝らないで。須藤君は精一杯やっていたよ」
宥めるように櫛田は告げる。
それでも曇った表情は晴れない。
100m走は出鼻を挫かれ、障害物競走でも危うい1位。棒倒しは完全な敗北。
自身の長所である優れた運動神経をクラスのために使っていた須藤。
しかし結果は満足のいかないもの。十分優れた成績だが、本人は納得していない。
気持ちは下がりつつあった。
「俺はリーダーなのに不甲斐ない結果しか取れていない」
「切り替えよう! まだ体育祭は始まったばっかりだよ」
「そりゃぁ、そうだけど……」
「最後まで諦めちゃだめだよ」
真摯に告げ、説得する。
「……それもそうだな」
櫛田の懸命さに須藤は無理にだが笑って見せる。
まだ心が折れたわけではないようだ。
「ねぇねぇ、櫛田ちゃん。俺は俺は?」
須藤とは打って変わって能天気な池寛治。
純粋に褒められるのを待っている。
へらへらと笑っているが、それは真剣に体育祭に臨んでいないわけではなく、その笑みで雰囲気を保とうとしていた。
「寛治はダメダメだったな。何簡単にぶっ飛ばされてんだよ」
「しょ、しょーがねえだろ。逃げなかっただけ俺は頑張ったって! そうでしょ桔梗ちゃん!?」
池は棒倒しの外壁を守っていた。
しかし、結果は瞬殺。
超スピードで迫って来るカムクライズルを止めようと奮闘したが、体当たりで吹き飛ばされた。
「……うーん、立ち向かったのはかっこよかったよ」
「……のは? 他はどうでしょうか?」
「ごめんね。寛治くん」
手を合わせて謝る櫛田。
どうやら褒めるところが何も思いつかなかったようだ。
自ら墓穴を掘った池は膝を折り、地面に手を付けて項垂れる。
オーバーリアクションは周囲の表情を笑顔に変えた。
どれだけくだらないことでも雰囲気を良くできることは素晴らしい。
皆のやる気に繋がって来ることだからだ。
しかし、全員に笑顔が灯るわけではない。
中には未だ真剣な表情を浮かべている者もいた。
「無様ね」
砂だらけになったジャージを左手で叩く男子生徒。
遅れてテントに帰ってきた彼は堀北鈴音に罵倒される。
「それで、なぜあんな目立つことをしたのかしら?」
「ああしなきゃ、誰かしらけがをしていたからな。だから平田に止めてくれという指示をもらった。
それにあいつを止めなければ勝機もないだろう?」
「そう。……あなたにしては随分と殊勝な心を持って行動したようね」
「オレはいつだって殊勝な心を持っているとも」
「嘘つき」
堀北は視線だけで人を怯ませそうな睨みを彼に、綾小路清隆に向ける。
「本当に持っていたら、あなたはあの運動神経をもっと早くから周囲に見せていたはずよ」
「火事場の馬鹿力ってやつだ。みんなを助けたいと思ったらいつもより力が湧いてきたんだ」
「気持ちの悪い冗談ね。それにそんな言葉で説明できる速さじゃなかったわよ。
力もね。池くんたちは簡単に吹き飛ばされたのにあなたは威力を相殺して踏み留まった」
綾小路はカムクラと真正面からぶつかって吹き飛ばされなかった。
この事実は観戦していた人間全てに露呈した事実だ。
結果的に倒されていたが、少しでも対等に戦って見せた事実は変わりない。
注目の的になるのは当然のことだった。
「それも火事場の馬鹿力と言うつもりかしら?」
「そうだな」
綾小路が真面目に答えるないことを悟った堀北は舌打ちをする。
彼女もまた機嫌が悪い。
個人種目において、2回連続でCクラスの生徒に負かされているからだ。
「荒れているな」
「……少しね。でも体育祭は始まったばかりよ。まだ結果を残せるわ」
そう言って堀北はこの場を去っていく。
1人になった綾小路もまた移動を開始する。
テントにある水筒から水を飲んだ後、彼は学校が設置した簡易コテージに向かった。
コテージには、水の補充が出来るウォーターサーバーやケガをした人が快適に過ごせるための休憩スペースがある。
彼もそこに向かっているようだ。
「ちょっと清隆」
ゆっくりと1人で歩く綾小路に軽井沢が話しかけた。
「目立つ接触は避けろと言ったはずだぞ」
「大丈夫よ。あんたはさっきの試験で注目の的。その話について聞いているって言えば何も怪しまれないわよ」
小さい声で話し合う2人。
並んで隣を歩いているが、片方は彼氏持ち。
不思議に思う人もいるだろうが、先程の事を聞いていると考えれば何も思うことはない。
幸い軽井沢は流行りものが好きそうな雰囲気があるので、勘違いは起こらなそうだ。
「それで、大丈夫なのあんた。最後気付いたら倒れていたけど……」
「問題ない。受け身はしっかり取れた」
「なら何でコテージに向かっているのよ」
水筒も持たずにコテージへ。
考えられる可能性は怪我の手当てをするか、サボるかの二択。
棒倒しで奮闘した綾小路がサボるとは考えられない。
よって怪我の手当てを目的にしていると考えるのが妥当だ。
「擦り傷を消毒して絆創膏をもらいに行こうとしているだけだ」
「……絆創膏なら私があげるけど」
軽井沢はポケットから絆創膏を取り出した。
綾小路に近づいた時から用意していたのだろう。彼のために持ってきたことが窺える。
「それは他の奴に使ってやれ。今はさして緊急時でもないからな」
「そうね。だって、どこにも擦り傷なんてないんだもん」
ジャージの汚れはなく、腕や足についていた砂もすでに落とされている。
どこにも目立った外傷はない。それどころ掠り傷ひとつない。
軽井沢には、綾小路がどこか痛そうにしていたり、痛みを我慢しているように見えなかった。
そんな怪我の治療なんてする必要のない人間がとうとうコテージに到着する。
「次は玉入れだろ? お前は早く準備をしてこい」
「……分かったわよ」
渋々とした表情で軽井沢はテントの方に戻っていく。
綾小路は見送った後、コテージに入る。
中は冷房が効いていて快適な空間だった。
「どうしましたか?」
コテージに入った綾小路に女性の用務員が用件を聞きに来る。
「怪我をしました。アイシングバッグをください」
「分かりました。こちらへ来てください」
怪我した部分を見せることなく綾小路は告げたが、彼女は素早く対応する。
指示に従い、綾小路は部屋の奥へと入っていく。
ついていくと保健室のような場所に到着する。6つほどベッドがある部屋は1つが使われていて、1つ1つカーテンで覆われている。
ベッドの通り道にはBクラスの担任であり、保健担当の先生である星乃宮知恵の姿があった。
支給品であるパイプ椅子ではなく、背もたれ付きの椅子に座る彼女は白衣を身に着けている。
「あれれ、綾小路くんじゃん。どうしたの?」
手を振り、フランクな口調で彼女は告げる。
綾小路は彼女の前にあるパイプ椅子に座った。
「怪我をしたのでアイシングバッグをください」
「どこを怪我したのかな? お姉さんに見せてごらん」
「見せなければいけませんか?」
笑って言う星乃宮に綾小路は問う。
「うーん、一応学校側に記録しなければいけないことだからね。ちゃんと診察しなきゃ先生怒られちゃう」
綾小路の頬を突きながら星乃宮は解答する。
茶目っ気十分なその行動は普通なら若干のイラつきが芽生えるが、綾小路の表情に変化はない。
「もしかして、酷い怪我だったら体育祭に参加できないと思っていない?」
「……だとしたら?」
「ふふふ、大正解かな。ドクターストップっていうものがあるからね。
悪化するような怪我を負ってまで学生に体育祭は望ませないよ。でも、ある程度だったら生徒の自主性に任されているんだよねぇ」
遊び相手を見つけた時のような純粋ゆえの危ない笑み。
妖艶さが隠れているその笑顔は大人が子供に向けてはいけない。
「サエちゃんが大事にしている生徒をここで休ませちゃえば、Bクラスにとっては有利じゃない?」
Bクラスは白組でDクラスは赤組。
ここで戦力を減らせれば確かに有利になる。
「先生がそんなことして良いんですか?」
「やだなぁ~冗談だよ冗談」
そう言ってもう一度頬を突く星乃宮。
先ほどの雰囲気は消え、今は距離感の近い人というイメージがあった。
自由奔放なその姿に綾小路は溜息をつく。
「綾小路くんは競技を続けたいんだよね。本当に若さって素晴らしいわ。
しょうがないからお姉さん黙ってて上げるよ」
「……ありがとうございます」
お礼をして綾小路は右腕のジャージをまくった。
どうやら怪我があるのは右前腕部分だった。
「……!? ちょっと綾小路くん、これは……」
星乃宮は驚き、素早く立ち上がる。
そしてすぐにアイシングバッグを用意して綾小路に手渡した。
「……何で君はそんな怪我をして無表情でいられたのかな?
その打撲、普通じゃないよ。もしかして腕の感覚薄れてない?」
赤く腫れて炎症を起こしている前腕。
見るのも痛々しいほどの赤は他の筋繊維を侵食するように広がっている。
骨は折れていないが、明らかに普通じゃない怪我だった。
「まぁ、痺れもあるせいで感覚が変にはなっているかもしれません」
「……これは確かにドクターストップをかけられると想定するわ」
唇に手を当てて真剣に考えだす星乃宮。
先程のお茶らけた笑みはなくなり、真面目な顔つきを見せる。
「正直、これ以上競技を続けてほしくない。それが保健の先生としての意見。
その怪我は一日やそこらで治らないよ。安静にした方が良い。悪化したら利き腕が少しの間使えなくなるかもしれない」
「ですが、オレのせいでクラスに迷惑をかける訳にはいけません。
星乃宮先生、ここは見逃してください」
綾小路は真剣な表情を星乃宮に向けた。
真っ直ぐと目を見ていて誠心誠意が伝わって来る。
「……分かったわ。ただし、痛みが酷くなったら必ず止めること。
サエちゃんにもこれは伝えておくからね」
「……ありがとうございます。では、オレはこれで」
綾小路はアイシングバッグで右前腕を冷やしながら立ち上がる。
そして颯爽とこの場から立ち去ろうとした。
「────美しい心掛けじゃないか。綾小路ボーイ」
使用されているベッドの方から声が聞こえた。
綾小路が振り返ると、カーテンを抉じ開け、金髪の男子が出てきた。
彼は高円寺六助。Dクラスの生徒であり、体育祭始まりからコテージで休んでいた生徒だ。
快調を示す晴れ晴れとした笑みは綾小路に向けられている。
「先程のカムクラボーイとの戦いは拝見させてもらった。
君が彼に立ち向かい、一瞬とはいえ均衡を見せた。それだけでも素晴らしいことだ。
無人島試験の時も私の行動に感づいていたのは君だけだった。凡人……その評価は取り消そうじゃないか」
だが、そう力強く言って彼は近づいて来る。
「結果はこの手。自分の競技すら支障をきたしてしまうありさまだ」
綾小路の右腕に優しく触れる。
相変わらず腫れが引いていないその怪我はやはり痛々しい。
「しかしそれでも、自分の役割を全うしようとしている。美しい心掛けだ」
「結局お前は何が言いたいんだ高円寺?」
綾小路がそう問うと高円寺は笑って答えた。
「何、簡単な話だ。君のその行動によって、私の気分が非常に良くなった。
それすなわち、
その言葉に綾小路の目が見開かれた。
不敵に笑う高円寺。この言葉が意味することは簡単に理解できた。
「ティーチャー、私は体調が良くなってきた。もう少ししたら競技に戻る。構わないね?」
「構わないよ。もう少しと言わずに今から行っても構わないわよ〜」
「それはダメさ。団体競技で凡人に足を引っ張られては気分がまた悪くなりそうだ」
やや辛口の星乃宮先生の言葉も華麗に流す。
どうでもいいと言わんばかりのその様子はどこか頼もしくも見える。
「それでは綾小路ボーイ。私が戻るまで、君も精一杯努力したまえ」
「……ああ、わかった」
高円寺はベッドの方へ戻っていく。
ドサリとベッドの上に乗った音が聞こえたので、もう一度横になったことは簡単に推測できた。
自由人。やることなすこと全て、自分の気分次第の男だが、それを是とするだけの実力がある。
「それでは、オレは帰らせてもらいます」
「気を付けてね~」
右手を抑えながら出口へと向かう綾小路。
星乃宮は彼の様子を見守った後、職務に戻った。
ゆっくりと歩いてる綾小路はコテージを出ていく。
女子の団体競技である玉入れは3年生が既に始めていた。
「……美しい心掛けか」
テントへの道を同じペースで歩く綾小路は独り言を呟く。
心なしか暗い表情をしているように見える。
「『心』なんてそもそもないんだよ。高円寺」
自嘲気味な笑み。
それは彼が不良品であるための証明だった。
学校の評価で最底辺のDクラスゆえに不良品ではない。
人として本来あるべきものが欠落しているゆえの不良品。
「そんなオレを葬れるかもしれない存在がこんな近くにいるとはな」
変化する笑み。
自嘲を見せていたその笑みは歓喜と憎悪が混ざっていく。
陽と陰。正反対とも呼べる感情がぐちゃぐちゃでありながらも無理に一体化している。
「この学校に来て本当に良かった」
不気味な笑みを止め、達観した様子を見せる。
世界の広さを肌で感じた。
プライドを折られ、自分よりも明確に能力の高い人間がいることを知れた。
井の中の蛙大海を知らず。
綾小路はそれをようやく実感した。
ホワイトルーム。人工的に天才を創り出す施設。
そこで彼は生まれた時から英才教育、そんな言葉が霞むほどの徹底した教育を受けてきた。
手に入れたものは、普通の人間ではその人生を消費してでも手にいれることが出来ない膨大な知識と経験。
そして、その過酷な環境で生き残ったことによる自信。
自分を超える者が世界にはいると思いながらも、そんなことはないと思っていた。
だが、今日その存在が現れた。
「────オレはまだまだ『学習』できる」
怪物はまた笑う。
期待と厭悪。悲しい矛盾を背負いながらも前に進んでいた。
矛盾があったら即修正します。