全員参加種目の最後を飾るのは200m走。
ルールはシンプル。200mを走り切るだけ。
午前最後の競技は純粋な走力を測るものだった。
僕は待機所で時間が流れるのを待つ。
僕の走る順番は3レース目。さほど待つ時間はないが、今はグラウンドの調整による待ち時間が長引いていた。
「クク、Dクラスで揉め事があったらしいぜ」
龍園くんが僕に話題を振って来る。
彼のレースは2レース目。順番的には彼も早い。
加えて、一緒に走るDクラスの生徒は彼よりも運動神経が低い人のレース。
彼の運動神経は平均よりは高いのでそんな対策をする必要はないが、楽をしたいと推測する。
「そうですか」
「どうなったか予測しないのか?」
「必要ないですね。いくら堀北さんが優秀とはいえ、体育祭が始まる前に対策が出来なかった以上、あまり興味ないので」
いくら彼女の希望が大きくても、足のけがをしてしまった以上、この体育祭ではただの役立たずだ。
どれだけクラスのことを鼓舞しても、それは僕の既知。今の彼女ならそれくらいできることは予想済みだ。
だから競技で限界を超える姿やこちらの策を事前に止めてからの戦略に期待していた。
そうしなかったことに何か理由があったとしても、今が退屈である以上期待なんて持てなかった。
「つれないな。暇つぶしにもならねぇ」
吐き捨てるように告げると彼はどこかに移動する。
その背中を追うと、彼はDクラスの平田くんに話しかけていた。
近くには須藤くんや綾小路くんの姿も見える。暇だったので、彼らの会話を盗聴する。
「何だ須藤、あれだけ無様な姿をさらしたのにまだ体育祭を続けるのかよ」
「はっ、言ってろ。まだ競技は全て終わってないんだ。最後に勝った方が勝つんだよ」
「だせぇな。なら何度でも這い蹲ってもらおうか。お前以外もな」
お前以外。そう暈しても誰かというのは彼らに伝わっているだろう。
堀北さんだ。仄めかすように言うことで挑発し、彼らの集中力を乱している。
「……クソ野郎が。何度も鈴音に卑怯なことしやがって」
「おいおい、誰も名前なんか出してないぜ。だが確かに鈴音は可哀想だな。何度も矢島と木下に当たるとはツキがねぇ。
挙句にうちの木下にぶつかって怪我をさせるなんて大した野郎だぜ」
「テメェ!」
頭に血が上る須藤くん。しかし、すぐに平田くんが止める。
「君の考えていることは分かっているよ」
「何のことだかわからねぇな」
龍園くんは鼻で笑って煽り立てた。
そこで動じずに平田くんは続ける。
「君がDクラスの参加票を手に入れていることもDクラスの生徒の身体能力の詳細を知っていることも知っているんだよ。
だから主力である須藤くんを退場させようと必要以上に煽ったり、堀北さんへの妨害を行っている」
「適当かますなよ平田。それはこれまでの経過を見ていれば猿でも気づく事実だ。自慢気に言ってもそれはオレの考えていることじゃない」
龍園くんが嘲笑う。しかし、意外にも平田くんは優しそうな笑みで応える。
「でも失敗しているんだね。僕の見立てじゃ、騎馬戦の時には須藤くんを排除させるつもりだったんじゃないのかな?」
「……あっ?」
予想外の平田くんからの煽りに龍園くんはイラつきが表に出る。
良いカウンターをもらっていますね。
「全てが君の思い通りにいくと思わないでね。僕たちだって抵抗するんだよ」
平田くんが言い終えると、そこで丁度2レース目の選手の名前が呼ばれる。
「ただの良い子ちゃんだと思ったが、意外にそっちもいける口とはな」
「あはは、人を見た目で判断しちゃいけないらしいよ」
龍園くんは彼らに背中を向けて、グラウンドの縁に向かっていく。
ニヤニヤしていた須藤くんは、龍園くんがいなくなると笑い始めた。
須藤くんの精神状態がかなり良い。あそこまで煽られ、敗北まで味わっているのにだ。
僕は気になっため、彼らに近づいていく。
「平田くん、クラスの調子はどうですか?」
「クラスはまとまったよ。君のアドバイスのおかげでね」
彼の精神状態も相当穏やかだ。余裕を感じる佇まいはどんなことにも冷静に対応できるような適応力を感じる。
「Dクラスでは揉め事があったと聞きましたが?」
「うん。そこから一致団結したんだ」
嘘は言っていない。クラスを大事にするこの男の精神が安定しているので、本当の事なのだろう。
「それは良かったですね。勝つための目処は立ちましたか?」
「それを今から実践していくつもりだよ」
平田くんが笑って背後をチラリと見る。
そこには静かな闘志を燃やしてこちらを見る須藤くんの姿が見えた。
「覚悟しろよ。さっきまでの俺とは違うことを見せてやるよ」
「もう一度言いましょうか。あなたでは僕には勝てません」
「そんなのやってみなければ分からないぜ」
握り拳を掌にぶつけ、やる気十分な須藤くん。
悪くない。その諦めない気持ちは僕を倒すためには必要不可欠な代物だ。
「いいや、君では勝てないさレッドヘアーボーイ」
須藤くんの後ろから金髪の大男、高円寺六助が現れた。
予想外の登場。ここにいるということは競技に参加するということだ。
サボっていたはずの彼がなぜ急に参加したのか。その理由は不明だが、その程度は些細な問題だった。
「君を倒すのは私の役目。戦う時は楽しもうじゃないか、カムクラボーイ」
「あなたでも僕には勝てませんよ」
「果たしてどうだろうねぇ」
不敵に笑う高円寺くん。超高校級と呼べるこの男なら確かに僕と勝負することが出来るだろう。
これは多少期待しても良い。
だが彼とは走るレースが違う。よって、勝負はまだ先の話になりそうだ。
「テメェ高円寺、こいつは俺がぶっ倒すから邪魔するんじゃねぇよ!」
「言ったはずさ。それは私の役目だと。彼との戦いは私のさらなる進化を促してくれる」
「何気色悪いこと言ってんだテメェ」
彼らが喧嘩する中、3レース目の選手の名前が呼ばれていく。
僕は颯爽とこの場を離れる。
煩わしい場所に滞在する理由がないからだ。
同じレースを走る須藤くんが後を追いかけて来る。
「おい、なんで龍園なんかに従ってんだよ。テメェの方が強いのに」
「彼がオモシロイ存在だからですよ」
「オモシロイだと? それだけで従ってんのかよ」
「『本音』なんてそんなものですよ」
それはあの小生意気なクラスメイトから教えてもらったことだ。
言葉に出して納得してもらえる理由なんてものは、その時点で粘ついた理論武装にすぎない。
もっと簡単であり、もっと複雑であるもの。それの名称は感情と言う。
そのぶつかり合いの先に『納得』なんてものはある。
「変な奴だな。テメェも龍園みたいなクソ野郎だったら、いちいち気にかけることなくぶっ潰せたのによォ」
「僕は彼以上のクソ野郎ですよ。だからいちいち気にかけて、自分の実力が出せなくなるような無駄は必要ありません」
「……へっ、そうかよ。なら安心だな」
彼は笑って応えた。彼の本質が変わったわけではないが、相当精神が成長している。
そのため、100m走の時に敵意をぶつけてきた彼とは別人のように感じた。
僕たちはクラウチングスタートの構えを取る。
そしてすぐに号砲は鳴り響いた。
100m走同様初速から最高速度に達して僕は1位に躍り出る。
そのままの速度を維持しながら走っていく。
「負けてたまるかよ!」
自身を鼓舞する須藤くんの声が聞こえる。
しかし、やる気だけで実力の差は埋められない。
僕と彼の差はだんだん広がっていく。
最高速度は僕の方が上、すなわちかけっこは僕に軍配が上がるということだ。
最後まで順位が変わることなく、僕はゴールラインを駆け抜けた。
「……クソがっ!」
遅れて次点でゴールする須藤くん。
はぁはぁと荒く息をしながら汗を拭い、呼吸を整えていく。
僕はそんな彼から視線を外し、次のレースを見る。
そこには高円寺六助の姿があった。
「……お手並み拝見だぜ」
息を整え終えた須藤くんも観戦する。
程なくして号砲が鳴り、一斉にスタートした。
そしてすぐに集団の中から台頭してくる男が1人。
言うまでもなく高円寺六助だ。圧倒的な速度で周囲との差をつけていく。
同レースにはBクラスの柴田くんの姿が見える。
単純な直線速度なら須藤くん以上の速度を誇る柴田くんですら高円寺くんに追いつけない。
彼はこれ以上差を付けられないように精一杯追いすがるしかなかった。
しかし、その差も少しずつ広がっていく。
「……やっぱりいつも手を抜いているだけかよ」
悪態をつく須藤くんは恨めしそうな視線を向けている。
初めから彼が体育祭に参加していれば、確かに結果は変わっていた。その真実が浮き彫りになったからだ。
そのまま1位でゴールした彼は僕の方へと寄って来る。
「ちゃんと分析出来たかい?」
「ええ。まぁ、期待以上ではありますが予想以上ではありませんね」
「ハハハ、言ってくれるねぇ」
確かに速かった。
号砲が鳴ってからの脊髄反射の速度、加速力、集中力などなど、どれをとっても素晴らしいものだ。
超高校級の陸上選手の候補に入ることだってできるだろう。
だが、その程度では世界の希望である僕には及ばない。
「四方綱引きに私は出る。君もそうなのだろう?」
「ええ。では、そこで勝負を付けましょう」
不敵に笑う高円寺くんに僕は無表情を押し付ける。
彼はその反応を見るやいなや、大きな弧を描く笑顔を浮かべた。
その後すぐに、待機所へと戻っていく。
「存外、楽しめそうですね」
目の前にいる須藤くん、待機場へと戻っていく高円寺くん。
そして短時間だが、僕と渡り合えた綾小路くん。
粒ぞろいという皮肉めいた言い方はしない。
彼らは龍園くんにとって良質な敵になるだろう。
さらに言うのならば、高円寺くんと綾小路くんの存在。
もし彼らが協力すれば、きっと僕にだって届くだろう。
「気長に待ちましょう」
そう独り言を呟いた。
今はまだ協力して僕を倒そうとはして来ない。
だが、いずれ来る。
彼らが
たとえ、クラスが入れ替わることになってもだ。
少し昂った気持ちを抑え、僕は待機所へと戻った。
──────
午前中の種目が終わり、昼休憩となった。
学校側からはどこで食べても好きなよう通達されており、各々好きな場所で食事していた。
また、普段利用されている食堂は本日も開いている。自分で食事を用意してこなかった人たちに対しての提供だ。
何でも、今日の食堂では体育祭限定の食事が用意されているようなので、今頃大繁盛しているだろう。
ちなみに、僕は自分でお弁当を作ってきた。無駄遣いする予定はありません。
午前の部で多少疲れた体を回復させる。そのためにもCクラスの待機所で1人、ゆっくりと食事を楽しむ。
その予定だった。
「……ねぇ、その卵焼き1つくれない?」
「ダメですよ伊吹さん。それは私が狙っていた卵焼きなのですから」
「おい、待てひより。こいつの弁当はオレのものだ。取り分が減ることは許さねぇ」
「龍園さん、弁当買ってきましたよ! ……おお、カムクラさんの弁当旨そうっすね! 何かください!」
うるさい奴らが僕を取り押さえるように囲んでいた。
折角の日陰なのに、人口密度が高いため涼しく感じない。
前に龍園くん、右に椎名さん、左に伊吹さん、後ろにアルベルト、新たに加わった石崎くん。
包囲陣がいつの間にか完成していた。
狙いは僕のお弁当。超高校級の料理人の才能を彼らは知っている。そして味を占めている。
それが今の状況だ。
「あげません。これは僕の昼食です。あなたたちは自分の分があるでしょう」
伸びてくる箸からお弁当を避け、僕は昼食を守る。
「ケチケチするなよ。1個くらい良いじゃん」
「あげません。あなただって自分の弁当があるじゃないですか」
「それはそれ、これはこれよ。欲しいものは欲しいんだよ」
「欲望に忠実すぎます」
伊吹さんからお弁当を守っていると、間接視野に怪しく笑う男が1人。
魔の手が箸を素早く動かし、僕のお弁当に迫って来る。
再び躱し、下手人の方を向く。
「あなたもしつこいですね。石崎くんの買ってきたものがあるでしょう」
「それも食うが、お前のも食う。人が食っているものは無性に食いたくなるだろう? 何も問題ない」
「問題しかないんですよ」
箸で箸を跳ねのけるのは行儀が良くないので、僕は避けることを徹底する。
相変わらず諦めの悪いこの男はその後も隙あらば狙ってくる。
非常にめんどくさい。
「……鬱陶しい」
「賑やかでいいじゃないですか」
「お弁当を狙われる身になってから言ってください」
「それもそうですね。なら、私のお弁当も狙ってみませんか? そして交換しましょう」
「……おにぎりのどの部分と交換するつもりですか?」
「……具、ですかね? それとも一口とかですか?」
「どっちも却下です」
コンビニで買ったおにぎりを交渉材料にして、椎名さんは話しかけてきた。
彼女は入学当初よりだいぶ無遠慮になった。
それほどここにいる人間に気を許せているという証明ですが、正直今は鬱陶しい。
「カムクラさん、俺も────」
「────あげませんよ」
石崎くんが何かを言う前に阻止する。
言いたいことは丸わかりなので早めの牽制だ。
残念そうな表情を浮かべる石崎くん。しかし、僕が僅かに気になったのは彼ではなかった。
「……あなたは強請らないのですね」
敵だらけの周囲の中、1人物静かに手作りお弁当を食べているアルベルトへ僕は安堵した。
彼は僕の視線に気づくと、察したように頷く。
そしてすぐに昼食を再開する。どうやら空腹らしい。
大きな巨体とその剛腕に似合わず、器用に箸を使えている。品のある食べ方で、どこぞの純日本人不良よりも絵になっている。
ハーフとは言え、日本育ちなのでしょう。
「おい、アルベルト。一口よこせ」
僕の良心に乞食が牙を向く。
だが、すぐにアルベルトは嫌な顔一つせずに頷いた。
「……腕を上げたなアルベルト」
一口食べた後に龍園くんが薄く笑うと、アルベルトも笑みを返す。
満更でもなさそうだったので、口を挟むことはやめた。
「龍園くんは自分でご飯を作らないのですか?」
椎名さんがそう質問する。
見た目から推測すると、まぁ無理だろう。
「当り前だ。飯なんか誰かに作らせればいい」
「解釈一致すぎ。むしろ、料理する龍園とか気持ち悪いから絶対しないでほしい」
「はっ、イメージはお互い様だがな伊吹。だがお前は花嫁修行に勤しんでいるようだな」
彼が僕を見ながらニヤニヤと笑う。
しかし伊吹さんは、それに反応することなく言葉を返す。
「バーカ。この学校で自炊は必須よ。あんたより私の方がこの点優れている事実を受け入れな」
「無駄な時間使ってどこが優れているんだかな。上手い飯を金払って食えばいいんだよ」
「ポイントの無駄」
「必要経費だ。毎日質素な生活する奴よりは幸せだぜ」
自炊派と外食派が争いだした。
性格の似ている2人だが、この辺りは考え方が違うようだ。
ヒートアップしそうな彼らを石崎くんが必死に宥める。
「……あなたたちはくだらないことを問答しますね」
僕は昼食を食べ終えたので、煩わしいこの場所から退散しようと立ち上がる。
次の種目は借り物競争。開始まで30分程時間があるので、涼しい場所で休憩しましょう。
ついでに水分の補給を行っておこう。
「どこ行く気だ?」
「午後の分の無料飲料水でも確保しようと」
「ならオレの分も買ってこい」
「嫌です。自分で行ってください」
図々しい。
超高校級の希望を何だと思っているのか。
「あっ、私も水ないや」
「私もです。今日は暑いからいっぱい入れてきたつもりだったんですけど、気づいたらなくなっちゃいました」
女性陣がそう言って僕を見た。
目で買ってこいと訴えてくる。
「買いませんからね」
「ならジャン負けするか?」
龍園くんが笑いながらそう言う。
ジャン負けというのは察するに、水が欲しい人たちでじゃんけんをして、負けた1人が全員分の水を買ってくると解釈して良いだろう。
「石崎、アルベルト、お前らも参加しろ」
「え? 俺はさっき買ってきたので────」
「────黙れ。オレは言い訳を許可してない」
アルベルト、石崎くんの参加が決定した。
「私はやらないからね」
「何だ逃げんのか伊吹。ひよりはやる気満々だぜ?」
伊吹さんは傍目で椎名さんを見る。
このくだらない遊びに対して、椎名さんはニコニコと笑っていた。
楽しそうにしている雰囲気は参戦する気が丸わかりだった。初めてこういうくだらない遊びをするからでしょう。
「……上等」
伊吹さんの参戦も決定した。
「と、いう訳だ。無論お前もやるよな?」
ニヤニヤとこちらを煽る笑みを浮かべる龍園くん。
どうやら彼は僕に水を買わせたいらしい。見え透いた思惑が分析出来た。
────本当にくだらないやり取りですね。
「まったく、運が関わる勝負で僕に勝とうだなんて1000年早いですよ」
「抜かせ。運ってのは負ける時は負けるんだよ」
僕たちはじゃんけんをした。
結局、僕が負けるということはなく、石崎くんが全員分の水を買いに行くことになった。
Cクラスの親密度が上がった!!
────────
「飯を食い終えたのなら、お楽しみの時間だぜ」
石崎くんの買ってきたお弁当を食べ終えた龍園くんが立ちあがる。
「何かデザートでも食べるのですか?」
「まぁ、そんなところだ」
彼は椎名さんの天然発言を軽くいなし、僕の方を向く。
彼が今から何をするのかはある程度推測できている。
もちろん、甘味などのデザートを食べにいくためではない。
「お前も来るか?」
「暇なので行きましょう」
僕は彼のお誘いを受けた。
この後の推薦競技である借り物競争まではまだ時間がある。
それまで時間を潰す当てもなかったのでちょうど良い。
「……何する気なのあんたたち」
「今日は察しが悪いな伊吹。この体育祭におけるオレの目的を忘れたか?」
伊吹さんは目を細めて嫌な顔を龍園くんに向ける。
彼の煽りを聞いた後すぐに、その目的が分かったからだ。
この体育祭における彼の目的、それはDクラスを潰すこと。
ひいては、その中心人物である堀北鈴音への攻撃だ。
「……あっそ。それで、あんたはそれをいつものように傍観するの?」
「ええ」
「あんまり趣味の良いこととは言えないわよ」
「でしょうね。……安心してください。必要以上に追い詰めたりはしませんから」
そう言うと、伊吹さんはそれ以上追及してこなかった。
僕が意思を曲げなさそうなことを察したからだろう。
その会話を最後に僕たちは待機所から移動した。
「それで、手筈は整えたのですか?」
「ああ。木下には二人三脚以降の競技を全て休んでもらった。
だから時間も腐るほど余っていたくらいだぜ」
歩きながら、まるで気楽に話す雑談のように計画を話す。
二人三脚で堀北さんに接触して横転した木下さん。
その時のことを利用して龍園くんは堀北さんからポイントを巻き上げる算段を付けている。
お互いに怪我をしただけならば、ポイントを巻き上げることなど不可能だ。
しかし、悪知恵働く彼は嘘の状況を創り出し、不可能を可能に変えようとしている。
そのための下準備で木下さんが怪我をしたという事実を二人三脚以降の競技全てを休むことで信憑性を帯びさせていた。
「木下には怪我を
この両点を中心に攻めて事を大きくして金をブンドる」
「大雑把ですね。もう少し緻密に策を立ててみたらどうですか?」
「やることはどこまで行ってもただの嫌がらせだ。
時間かけずにスムーズに相手をイラつかせたらミッションコンプリート。緻密な作戦なんてわざわざ手間を増やすだけだ」
嫌がらせに手間をかける必要はない、そう解釈できることを彼は言った。
「さて、ついたぜ。桔梗が今頃鈴音を呼び出しているころか?」
到着したのは緊急事態に準備したり、怪我人の手当てができるコテージだ。
ここは保健室と同じ役割を持っている。
木下さんはこの場所で休んでいると見て間違いない。
僕たちは中へ入り、怪我人が寝ているベッドの場所へ移動した。
到着すると、櫛田さんと堀北さん、Dクラスの担任である茶柱先生が木下さんとの面会の準備をしていた。
「随分と大変なことになっているみたいだなぁ」
龍園くんは両ポケットに手を入れ、我が物顔で乱入していく。
彼の登場に驚いた顔が2つ。堀北さんと茶柱先生だ。
堀北さんはすぐに冷静を装って見せるが、拙い技術であるため龍園くんに簡単に看破されるだろう。
僕は1歩離れた所でこの場を観察する。
「どうしてあなたたちがここにいるのかしら?」
「木下から相談を受けて飛んできたところだ。まさかあの怪我が意図的だとは思わなかったぜ」
そう言うと彼は部屋の奥へと入っていく。
この場にいた医療関係者の制止も聞かずに木下さんが療養中のベッドのカーテンを開いた。
「よぉ木下。足の調子はどうだ?」
龍園くんの姿を見るなり木下さんは怯えに拍車がかかり、露骨に肩を震わせた。
半分演技だが、半分本心。先程の「作った」という発言から推測しても、彼が木下さんの足の怪我を『本物』にした。
そこからの恐怖心が垣間見える。
「酷い怪我だぜ。どう落とし前付けるつもりだ、鈴音」
龍園くんはこの場にいる全員に彼女の怪我を見せてからそう言った。
華奢でありながら良く鍛えられた足。しかし、包帯が巻かれ、痛々しい姿へと変わっている。
「私は彼女に意図的な接触をしていないわ。する意味がないもの」
「そうとは限らない。現実を見てみろ、お前より運動神経の高い木下が退場した。その結果、それ以降の競技を木下は参加できない程の大怪我を負っている。
怪我をさせたお前は負傷したが競技は続行できている。意図的な接触を疑うなという方が難しいぜ」
「それはあなたの筋書きね。偶然ぶつかったという事実は消せていないわ」
「偶然、ねぇ」
龍園くんは悪魔が見せる笑顔のように深く笑った。
「鈴音はこう言っているが、事実はどうだ木下?」
半ば強引に、龍園くんは木下さんに口を開くように促す。
「堀北さん……倒れた私に言ったの……絶対に勝たせないって」
「私はそんなこと言っていないわ」
一言で木下さんの演技を切る堀北さん。
意志の強さは健全だ。
「堀北、おまえは木下と走る時だけ後ろを気にしていたな。その理由は?」
茶柱先生が中立の立場から質問する。
「それは後ろを走る彼女が私を何度も呼んだからです。
初めは無視していましたが、何度も何度も呼ぶので様子がおかしいと思い、振り向きました」
「なるほどな。そうなのか木下?」
今度は堀北さんから木下さんへと質問を促す茶柱先生。
「私、そんなこと言っていません」
「怪我をした本人はこう言っているぜ。それに万が一呼んでいても、それは別におかしいことじゃない。
木下は負けん気の強さはクラス1だ。勝ちたいという考えが無意識に言葉に出てしまってたんだろう」
龍園くんが会話を自分のペースに持っていけるように再度調整する。
話を纏めよう。
堀北さんは今回何もしていない。今行われているこの嘘だらけの会話に彼女はハメられた存在だ。
なぜ彼女が狙われている理由は彼女がDクラスの中心人物だからだ。
Dクラスを潰すために、その頭に近いところにいる堀北さんを龍園くんが潰すために実行した作戦だった。
木下さんにわざと大きな怪我を作らせ、怪我をしてから競技に参加をさせない。
加えて堀北さんに木下さんを怪我をさせたと思わせる可能性を作り上げた。
全てが嘘に塗れたくだらない会話だ。
そう、くだらないのだ。
彼のやり方は決して褒められたものではないが、どれも普通の範囲から離れた予想外の所から勝利を目指して組み立てられるものだ。
しかし、今回は分かりやすい。分かった上で勝てる方法で遊んでいる。
ゆえにこの後の未来なんて簡単に推測できる。
堀北さんの負け。何も手を打なかった彼女が悪いのだ。
それが最も高い可能性と浮上してしまっている。
Cクラスから裏切者を作り出した存在がこの未来を変えてくれると思うと、少しは気がまぎれるがそれも一時的だった。
「……飽きましたね」
僕がつい独り言を零してしまうと、視線が集まる。
「……あなたは何をしに来たのかしら?」
「傍観です。予想の出来ない未来のために」
「……そう。ならわざわざ会話を切るような真似をしないでほしいわ」
堀北さんは警戒する様子で僕に言う。
「まだ気づいていないんですか?」
「気づく? 何をかしら」
「自分がこうも追い詰められている原因についてですよ」
僕がそう言うと彼女は目を細める。
彼女がどうして何もしなかったのか。
何かしら正当性のある理由があったのだろうが、その他にも大きな原因があるはずだ。
「あなた、先の試験で自分が成長したと思って慢心していませんか?」
さらに鋭くなる堀北さんの視線。
なにも反論してこない辺り、少しは自覚があったのだろう。
成長した自分。船上試験で結果を得たがゆえに慢心した。
今の私なら出来る。大きな自信を得た彼女は確かに成長したが、それの反動に初期不良を起こした。
────入学当初、僕に打ちのめされてから無人島試験に望んだ龍園くんのように。
だからこの結果。怪我をして追い詰められている木偶に成り下がった。
「ツマラナイ。今のあなたは見るに堪えません」
僕はこのやり取りから完全に興味が失せた。
視線集まる中、背中を向けて退出した。
「クク、慢心が事実だから何も言い返せない。慰めてやろうか鈴音?」
「……黙りなさい」
僅かに覇気が薄れた堀北さんの声が廊下に響くが、僕の耳はそれを素通りさせた。
この退屈を紛らわせるために、僕は2つの楽しみを思い返す。
高円寺六助の存在とCクラスから裏切者を作り出した存在。
どちらも未知。期待が持てそうだ。
小気味よく音が響く廊下。誰もいないその廊下を歩ききり、僕は借り物競争の準備を開始した。
終わらせるでchapter5