昼休憩が終わり、午後の部が再開した。
午後からは推薦競技が始まる。この推薦競技は文字通り、推薦された人のみで行われる競技だ。
クラスの中から選ばれた精鋭だけが出場できる競技であり、レベルの高い競技が繰り広げられることが想定されている。
そのためオークションで言うところの目玉的な扱いを受けており、観客のボルテージも上がり、盛り上がること間違いない。
そんな競技の初手を担う借り物競争が始まろうとしていた。
これに参加する僕は最終レースを走ることになっている。
「借り物競争では難易度の高いものも設定されている。その場合は引き直しを希望することが出来るが、次に引き直すまでに30秒の待機を要求する。
希望する者は競技中くじを引く地点にいる審判に申し出ること。また3名がゴールした時点で競技は終了とする。以上だ」
審判が競技の説明を行った。
聞き終えたので、僕は最終レースを走る選手の待機所へと移動する。
程なくして、第1レースの競技が始まった。
くじ箱を待った審判の場所までは10m程離れているため、そこまでは競争だ。
到達するまでの選手の運動神経を分析してみると、やはり全体的に高いことが分かる。
だが重要なのはその後の内容。そこから、スムーズに行ける者もいれば、自陣に向かう者もいれば、足を止める者もいる。
「誰かぁ! 時計貸してくれ!」
「イケメンいませんか!」
「誰だ! 異性の靴下とかいうお題仕込んだ奴!!」
借り物がなければこうして声を大きくして探し出す。
明らかにおかしなくじもあるようだ。このようなくじをいかに引かないかが勝利への分岐点になる。
そしてその際に重要になって来るものが『運』だ。
「しゃぁー!! 余裕だぜ!!」
1位になった選手が喜びの雄叫びを上げる。
Dクラスの須藤くん。運も彼へ味方したようだ。不調だった彼はこの勢いに乗って完全復活したと見て良い。
その後すぐに2位3位と順位が決まったため、第1レースは終了した。
立て続けに第2レースの号砲が鳴り響く。
このレースには我らが王様の龍園くんや自称事なかれ主義の綾小路くんが参加していた。
彼らはほぼ同時にくじを引くと、龍園くんはすぐに動き出し、綾小路くんは固まった。
「すいませーん! 誰でもいいのでジャージ貸してくれませんか!」
「現金!? ポイント制度導入させておいて何でこんなお題入れるんだよ!」
例のごとく、効率よく探すために協力を仰ぐ生徒が現れる。
やはり、当たりを引いた人とはずれを引いた人の違いは分かりやすい。
その後、龍園くんが1位でゴールし、続くように2位3位が決まった。
ちなみに彼が審判に見せていたのはハチマキ。幸運のようだ。
綾小路くんは2回引き直していた。不運ですね。
このペースのまま、競技が進んでいき、とうとう1年最終レースがやって来た。
僕は開始と共に素早くくじの元へと向かっていく。
「幸運がバグを起こしてくれれば楽しめそうですね」
置かれている箱に手をいれる。中にはそれなりの数の紙が入っているようだ。
複数枚取らないように気を付けながら取り出す。4つ折りにされた紙を開いた。
『おっぱいが大きくて可愛い女の子!!』
グシャリと大きな音を立て、僕は紙を両手で潰した。
ハズレだ。まごうことなき大ハズレだ。
ハズレくじを作った奴の中に、明らかに性格が悪くて頭のおかしい奴がいる。
僕はくじを交換するために居座ろうと考えたが、他の生徒はすでに動き出そうとしていた。
ここでのタイムロスは間違いなく敗北に繋がる。そう直感した僕は仕方なく足を動かした。
勝つためだ。仕方ないと割り切ることした。
僕は自陣へと走る。
探す生徒は1人。白組でこんなセクハラくじを見られても何とかなり、かつ条件を満たし、話を都合よく合わせてくれる生徒は彼女しかいない。
「一之瀬さん。何も言わずについて来てください」
「えっ、私?」
一之瀬帆波。Bクラスのリーダーを務め、すべての条件を満たす僕が探していた生徒だ。
目を皿にする彼女に僕は頷き返す。
「私で良ければ全然協力するけど、何も言わずにってのはねぇ。せめてくじの内容に合うかどうかは確認しないといけなくない?」
「内容は向かいながら説明します。……虫のいい話だとは理解していますが、この条件を満たしているのはあなただけなのです。
貸しにしても構いませんので、お願いします」
「……そこまで言うってことは何か事情があるんだね。分かったよ。
後、私はもらえるものはもらっておくタチだからね!」
要点を説明し終えると、一之瀬さんは観客席から飛び出してくる。
後はゴールに向かうだけ。彼女が素早く決断してくれたため、1位でゴールできそうだ。
「それで、くじの内容はどんなの?」
走りながら確認を得ようとする一之瀬さん。
「……口裏合わせ、お願いしますよ」
僕はぐしゃぐしゃになった紙を彼女に手渡した。
「……なぁるほどねぇ。というかこの字って、星乃宮先生の字な気がするんだけど」
あの女ですか。
僕は船上試験で複数回の声真似を強要してきたBクラスの担任を思い返す。
「気分を害したならすみません。しかし、条件を満たしているのはあなたしかいませんでしたので」
「……なんかこそばゆいよ。それに可愛いの条件って人それぞれだし……」
先ほどまでこの状況に戸惑っていた一之瀬さんは走りながら頬を少し紅潮させる。
感情が忙しい人だ。
「一般的に見てあなたの容姿は整っています。問題はありません」
「ど、どうも」
僕は彼女の容姿を褒めることで触れづらい方の話題を全力で逸らす。
苦笑いで照れる一之瀬さん。本心から映されるその表情は見ていて心地良いものに分類できる。
そのまま僕は彼女を連れてゴールした。
審判による審査も問題なく通過し、紙も回収される。
判定は1位。何とか最優秀選手賞の可能性は掴めた。
「口裏合わせは桃色の髪をした女子で良い?」
「ええ、それで構いません」
彼女はにこりと笑う。
その満面の笑みを浮かべながら話を続けた。
「君に貸しが作れるなんてね。この貸しっていつまで有効?」
「それはそちらで勝手に決めてください」
「おっけー。大事にしておくね!」
そう言って彼女は上機嫌に自陣へと戻っていった。
僕も競技を終えたので、続くように自陣へと歩いていく。
次は2年生の時間だ。早速、第1レースが始まっていた。
すると、見覚えのある男子生徒が目視できた。
「……南雲雅」
第1レースを走るのはこの学校の副会長であり、現生徒会長の堀北学からの依頼対象でもある人間。
彼はくじを引いた後に、すぐにものを借りて1位でゴールする。
幸運でもあるが、それ以前に凄まじい人望だった。
自陣に帰ってものを借りようとすると大人数が協力する。たったそれだけの一連の行動でカーストトップの存在だと認識できる。
そう分析していると、女子生徒達に囲まれながら自陣に戻る南雲雅がこちらの視線に気づく。
彼は笑みを浮かべてこちらに方向転換する。
「生徒会室前であった以来か。俺を覚えているか、カムクライズル」
「昆布野郎とは言わないのですね、副生徒会長さん」
女子生徒達を一歩下がらせると、彼は以前と同じく値踏みするように細い眼でこちらを見る。
「あの時は興味なかったからな。適当な呼称が相応しいと思ったわけだ」
「まるで今は僕に興味があるみたいな言い方ですね」
「自意識過剰。……そう言ってやりたいが、この体育祭でのお前の活躍を見せられてしまえば認めるしかないな」
鼻で笑い、首の骨を鳴らす。
そして大きく目を見開いた。
退屈という繭を振り払った視界が広がっている。そこに映った新しい遊具を見つけた時のような純粋な瞳を浮かべていた。
彼が心の底から喜んでいるように感じられる。
「俺は嬉しいぜ。堀北先輩が卒業したら退屈だと思っていたが、お前のような後輩がいるなら話は別だ。
学力や運動神経は言わずもがな。特別試験の記録を見れば、お前の知能は1年で頭1つ抜けていることは丸わかりだ。
そして、この体育祭でお前の実力に嘘はなかったと自分の目で確信を持てた」
「今日はよく喋りますね」
どこから集めたかは知らないが、僕の能力は筒抜けのようだ。
1つの学年を掌握している人間ならば、容易いことなのだろう。
「俺は元々喋る方だ。……それよりもだ、お前生徒会に入らないか?
俺たちには学年の差がある。それを埋めるには互いに距離を詰めるしかない。そうすればお前と遊べる機会も増える」
「勧誘はもうこりごりですね。正直鬱陶しいです」
闘争心丸出しである南雲雅の誘いを断る。
飢えた獣のような雰囲気が非常にうざったい。
「こりごりか。……堀北先輩もお前には注目していた。やっぱりあの人の方が俺より人を見る目がしっかりしている。少々間抜けだったぜ」
本心からそう言っていることから、彼は堀北生徒会長を尊敬している。
目の敵にしようとしたり、失脚を望むような後ろめたい感情は分析出来ない。
「分析出来ているか?」
彼は会話そのものを楽しむように笑いながらそう言う。
「眉が僅かに動いたな。オレがお前の心の内を読んだことがそんなにも予想外だったか?」
「動揺の掛け方が下手ですね」
もちろん、僕の表情は動いていない。
出まかせを言って、動揺を誘っているだけだ。しかし、彼の言っていることに間違いはないので、予測能力は大したものと言える。
もっとも、化かし合いで僕の眉を動かしたいのなら、江ノ島 盾子レベルの人間を連れて来るしかいないのですが。
「まぁいい、今後学年関係なしの試験がどんどん導入されていくんだ。お前のことはそこから知っていけばいい。
堀北先輩が卒業するまでは構ってやれないが、その後の標的はお前だ。楽しみに待っておけよ」
言いたいことを言い終えたため、彼は背を向ける。
侍らせていた女子生徒に声を掛け、自陣へと戻ろうとしていた。
身勝手な人間だ。自分と自分が気にいったものしか頭に入っていない。
正直、生徒会長からの依頼も無視したいくらいだ。
しかし、彼には少々世話になっているので少しくらいは顔を立てましょうか。
「副生徒会長さん」
「……あ?」
僕が呼ぶと、彼は上半身だけこちらに向けた。
「朝比奈なずなからもらった情報は役に立ちましたか?」
僕がそう言うと、彼の眉が少し動いた。
当たりだ。何の根拠もないハッタリだったが、彼は反応を示した。
夏休み中、何かの思惑を持って僕に接触してきた女子生徒がいた。
それが朝比奈なずな。彼の命令かどうかは知らないが、僕のことを調べるという行為に対して彼が関係していることが今の反応で分かった。
「僕と遊びたいなら、もう少し表情筋を鍛えておいてくださいね」
「……本当に、舐めた後輩だぜ」
南雲雅の口が大きく弧を描いた後に、自陣の方へと戻っていく。
後ろ姿で上機嫌とわかる雰囲気はさらに他の生徒を寄せ付けていた。
堀北先輩の言う通りになりましたね。
これで僕は彼に狙われる身になったわけだ。
「まぁ、予想の出来ない未来に期待しましょう」
僕は四方綱引きの準備をするために自陣へと戻る必要がある。
次の相手は高円寺六助。僕に予想外をもたらしてくれる可能性がある人物だ。
期待に胸が躍りはしない。
しかし、僕は少し昂る気持ちを抑えずに歩みを再開した。
────────
借り物競争が終わり、次の推薦科目である四方綱引きが始まろうとしていた。
選手たちは入場し、地面に置かれた縄の前に座っている。
本来この競技に参加するはずだったオレは自陣からこの競技を座って観戦していた。
高円寺六助の策。というよりかは我儘によって交代してもらったからだ。
腕を負傷しているため、結果的には良かった。
しかし、クラスで溜めていたポイントを吐きだしてしまったことを踏まえると決して大団円とは言えない。
「綾小路くん、腕は大丈夫なのかしら?」
自陣へ帰ってきた堀北がアイシングバッグを当てている腕を見てそう言う。
「見ての通りだ。星乃宮先生曰く、そう簡単には治らない怪我らしい」
「そう。……自業自得ね。カムクラくんの身体能力は異常よ。彼と正面衝突して本当によくその程度の怪我で済んだものだわ」
「まぁ、当たり所が良かったんだと思う。これでも運は良い方だからな」
「あなたの借り物競争の順位は何位かしら?」
「……最下位だな」
大きなため息をつき、軽蔑するような刺々しい視線を向けて来る堀北。
オレはその視線を受け止めた後、試合観戦を再開する。
「……ねぇ、綾小路くん」
どこか弱弱しい声で堀北はそう告げる。
その声色は堀北らしくない。競技はまだ説明を受けている段階なので時間はある。
オレは堀北と対話することにした。
「龍園から何か接触があったのか?」
「……お見通しってわけね」
堀北はオレの隣にあるパイプ椅子へ腰掛ける。
以前より力強く感じた目も今は消灯間近の光のようにか細く、弱弱しい。
「何を言われたんだ?」
「要約すると、木下さんの怪我をさせたということで冤罪をかけられているわ」
その後に堀北は軽く事情を説明していく。
運動神経の良い木下を故意に転ばせ、堀北がCクラスへ妨害をした。龍園がこの点を攻め、訴えようとしているが実際は事実無根。
だが、証拠は怪我をした木下の足があるので不利な状況だ。それが龍園の思い描く筋道だった。
そしてこの訴えを取り消してほしいのなら、慰謝料として100万ポイントと堀北の土下座を要求してきたそうだ。
「それで、お前が招いてしまったこの種について悩んでいたのか」
「……そういうことよ」
髪を耳にかけ、落ち着こうとする堀北。
横顔から見える瞳には悔しさが籠っていて真剣にことを考えていた。
「それで、お前はオレに何を言ってほしいんだ?」
「何って、あなたの意見…………いいえ、この体育祭を通じての私の評価よ」
顔を顰め、嫌なことを受け入れようとする堀北。
自分自身で察しているのだ。自分がこの体育祭でお荷物としかなっていないことに。
そしてそれを他者の口から聞こうとしている。
入学当初の堀北ならあり得ないことだ。
「そうか。辛口で構わないなら総評するぞ」
嫌そうな表情を浮かべながらも堀北は頷いた。
「点数を付けるなら、100点満点中40点と言った所だな」
「……本当に辛口ね」
「その方が今のお前のためになると思ったからだ。……どこがダメだか自分で分かっているか?」
「龍園くんの実力を侮ったこと、そしてクラスの足手まといになっていること」
「正解だ」
今回、堀北が体育祭前に行ったことはすべて正しかった。
Cクラスの警戒、Aクラスとのコミュニケーション、Dクラスの能力up、そして裏切者への対策。
だが、ある一点の対処を失敗したためドミノ崩しのように負の連鎖が繋がっている。
それがCクラスへの警戒。より正確に言うのならば、龍園への警戒だ。
おそらく、カムクラへの対策はいくつか考えていたのだろう。
Dクラスの中でも群を抜いた運動神経を持つ須藤をカムクラにぶつけ、様子を見てから団体戦で観察し、どこかしらで勝つつもりだった。
諦めなければ勝機は持てると信じ、その力強い瞳で分析を続けていた。
だが、奴の大きすぎる存在感のせいで本来のCクラスのリーダーへ警戒を怠った。
「龍園の実力はお前も分かっていたはずだ。手段を選ばずに行動してくる強敵だと。どうして警戒を怠った?」
「……言い訳はしないわ。私の慢心よ。
龍園くんは手ごわい相手。そう認識していたのに、心のどこかで船上試験で勝てた自分なら大丈夫、諦めなければ勝機がやって来ると勘違いしてしまった。
それに、カムクラくんをどこかで止めようと思っていたけど、……あなたですらその怪我だから、正直もう諦めてしまっていた」
「そこまで自己分析出来ているなら問題ないな。わざわざ、オレの評価を聞いて余裕のない精神をさらに追い込む必要なんてなかったと思うぞ」
「自分を見直す機会が欲しかったのよ。それに……自分の慢心はカムクラくんに言われるまで気づこうとしなかったから」
「……敵に塩を送られたという訳か。プライドの高いお前は悔しさで周りが見えなくなって確認という名でオレを利用した」
「……そんなところよ」
成長したが、堀北らしさは変わらないな。
プライドが高く、強気で、今の今まで弱音の1つを吐かなかった。
「だが、お前の『裏切者』への対策は間違っていなかったぞ」
「慰めているつもりかしら?」
「いいや、事実だ。この体育祭は裏切り者の方が有利に事を進められる。
どれだけ対策しようが、裏切者を説得しない限り、参加票を提出期限後に見られてしまう以上、防ぐことは難しかった」
「……でも私は彼女を説得できなかったわ」
「その努力は見ていた。そしてお前は止められないことを踏んで対策を考えた。それが、今後の裏切者の行動の制限を掛けることだ」
堀北は軽井沢達に協力してもらい、結果的に櫛田への不信感を増長させることに成功している。
櫛田の最大の武器はクラスからの信頼。だが、この一件と船上試験での言動から、それも薄れつつある。
よって、もし次に似たような試験が来たとき、今の櫛田は裏切りのリターンよりリスクの方が大きくなった。
次に裏切ってしまえば『理想』の櫛田桔梗はこの学園から消える。
参加票の提出後に確認をしに来た生徒がいないかを茶柱に問い、その証拠を抑えられればチェックメイトまである。
そしてその証拠があれば、次の裏切り行為でこの学校から『理想』の櫛田が消えるだけではなくなる。
────この学校から櫛田を永遠に消すことが出来る。
「……試合、始まるわよ」
堀北が会話を切り、グラウンドへ視線を向けたのでオレもその視線を追う。
すると、選手たちが縄を手に持って準備を開始していた。
「そうだな」
オレは返事し、その試合へと集中する。
この試合は重要だ。Dクラスで須藤以上の運動神経を持つ高円寺がカムクラ相手にどこまでできるか。
それを分析する良い機会だ。
見た所、高円寺は普段と違ってやる気十分な姿勢が見受けられる。
高円寺の本気も見れるということだ。
「赤と白、どっちが勝つのかしら?」
「さぁな。それはわからない」
高円寺の実力は未知数。対するカムクラは対峙してみても実力の底を分析出来ない強敵だ。
どちらが勝つか、それは神のみぞ知る。
闘志十分の高円寺とまるで気迫が感じられないカムクラ。
対極の2人を眺めていると、開始の合図が鳴り響いた。
────────
四方綱引き。
2本の綱を十字に結び、4つの方向から引き合うという競技だ。
1つの方向につき1クラスが割り当てられており、綱を持てるのは4人で合計16人によって競い合う。
勝負方法は恨みっこなしの1本勝負。1度の勝負に全てが込められる。
Aクラスと対を成すように持つのがBクラス、Dクラスと対を成すのがCクラスだ。
推薦競技であるため、クラスの中でも力に秀でた者たちがその剛腕で綱を持つ。
「おい、高円寺! しっかり綱を持ちやがれ! あと引くタイミングを合わせろよ!」
「私が合わせるのではない。君たち3人が私に合わせたまえ」
「ふざけんな! つうか、場所も替われ。本当は俺が先頭なんだぞ!」
「先頭はこの中で最もパワーが強いものがいるべき場所。すなわち、私の居場所だ」
青筋をいくつも立てる須藤に高笑いしながら答える高円寺。
競技前とは思えない雰囲気だが、だからといって彼らの輪が乱れているようには見えない。
「落ち着こう。須藤くんだってさっき高円寺くんに合わせた方がいいかもしれないって言っていたじゃないか」
2人を宥めるように笑顔で平田が告げる。
他クラスはDクラスの未知の戦力と学校でもトップを争う須藤に警戒していた。
笑顔の平田を見るに余裕を持って臨んでいるようにすら見える。
集中力に欠け油断しているなら、ここまでの警戒はいらない。
「クク、Dクラスは意外にメンタルが強いな。潰しがいがある」
嗜虐的な笑みを受ける龍園。
こちらも余裕を感じさせる佇まいを見せている。
「高円寺が出て来るのって想定外じゃないですか?」
「確かに想定外のことだな。それにDクラスの雰囲気が悪くなるどころか良くなっていやがる。
何があったか知らないが、その辺は後で知ればいいことだ。クク、どうせ奴らに勝機はない」
石崎の心配に龍園は豪胆な笑みを返す。
自信に満ちた表情は何も強がりではない。
その理由は先頭で綱を持つカムクラにあった。
「随分やる気みたいだな。未知オタクの変態野郎」
「彼の実力は少々気になりますので」
「なら両手で縄を持ちやがれ」
赤い瞳が捉えるのは高円寺六助。
超高校級、その言葉すら生ぬるいであろうその身体能力を持つ男だ。
カムクラの視線に気付いた高円寺は不敵な笑みを返す。
この状況を楽しんでいる笑み、それでいて一切の油断を見せない。
戦う準備は出来ている。その言葉すら必要ないほどの闘志が溢れていた。
「始まりますよ」
カムクラが龍園にそう言うと、すぐに審判が試合開始の準備を整えた。
Cクラスだけでなくこの場にいる選手全員に緊張が走る。
観客もその雰囲気を感じ取ったのか、観戦に集中しだす。
雑音が消えていく。まさに嵐の前の静けさだ。
聞こえるのは固唾を呑む音と縄を握る力強い音。
熱気が込められた静寂の中、審判が号砲を鳴らすために片手をあげ、耳を塞いだ。
薄く宝石のような赤、暗く血のような赤。
強調するように2人の両目が大きく見開かれた。
──────パンッ! と合図が鳴った。
2方向から凄まじい力で縄が引かれていく。
「クソっ!!」
選手たちは縄を相手の陣地にいかせないように必死で声を上げ、大きな力に対抗する。
大きな力の源流はCクラスとDクラスから。
2人の男子が膝すら曲げず、片腕の力のみで縄を引いていた。
血管が浮き出るほど力を込める両者。
合図が鳴り響くと同時に、人間離れした反射神経で高円寺とカムクラが力を解放していた。
「やはり君は分かっている。綱引きに重要なのがテクニックではなく純粋なパワーということに」
高円寺の唇が愉快気に弧を描く。
両手で縄を持ち、さらに膝を深く落とす。全体重を縄に乗せて力の限り引き始めた。
縄は少しずつDクラスの方に寄っていき、対抗するカムクラの足も地面を抉りながら引き寄せられていた。
この瞬間、2つの大きな力の均衡が崩れた。
「この勝負行けるぞ!」
須藤が雄叫びを上げるように味方を鼓舞する。
Aクラス、Bクラスも同様に続き、山彦のように仲間への激励がグラウンドに響いていく。
「ちっ、お前ら死ぬ気でやれ。負けたらわかっているよなァ」
舌打ちと共に、龍園も味方の力を最大限に引き出せる指示を出す。
石崎と小宮はビクリと体を揺らした後、さらに縄を引く力を込める。
アルベルトも同様に、その剛腕と鍛えられた鋼の筋肉を縄を引くということのみに専念させる。
しかし、それでも引く力はDクラスの方が有利。
その力強さはカムクライズルの足を未だ地面に引きずらせるほどだった。
「……素晴らしいパワーです。こちらも全力を出しましょう」
その言葉の後、カムクラは理想とも呼べる完璧な姿勢で綱を持った。
両手で綱を持ち、腰を落とす。
手が綱から受ける摩擦力、足が地面から受ける摩擦力と垂直抗力。そして重力。
全ての力の方向を一点に制御したかのように、生じた力を分散することなく引く力に統括していく。
完璧な姿勢は完璧な動きを作り、完璧な動きは完璧な流れを生み出す。
Dクラスに寄っていた綱が時間が巻き戻るように引き返されていく。
「……エクセレントだ!」
高円寺が嬉しそうに叫ぶ。
負けじとさらなる力を込めるが、引き寄せられる縄の動きを減速しているだけで、引き返すことは出来ていなかった。
縄の十字地点は試合開始時の場所まで戻っていく。
AクラスとBクラスの力の差は面白いくらいに均衡していた。
よって、力の差が出るのはCクラスとDクラスの引き合いだ。
しかし、総合的にCクラスの方が身体能力が高い。アルベルトと須藤では、アルベルトの方が力が強い。
龍園と平田、小宮ともう1人のDクラスの選手も同様だ。
そしてカムクライズルと高円寺六助の力の差も。
パンッ! パンッ! と2度の号砲が鳴り響いた。
これは試合終了の合図だ。縄の中央は元の位置からCクラスの方へ寄っていた。
すなわちこの勝負、Cクラスが所属する白組の勝利だ。
「ハハハ、やはり君は私以上の身体能力を持っていたか」
選手たちが待機所へと戻っていく中、高円寺がカムクラへと近寄り、賞賛を送る。
たった今敗北を喫したにもかかわらず、高円寺は高笑いを見せていた。
「しかし、この敗北は私をさらに完璧な生物へと導いてくれる。よって、次は私が勝つ」
「次も負けるとは微塵も思わないのですね」
「ああ、私の実力が十二分に可能だと言っているのでね」
どこまでも自分の力を信じている。
その根拠ある自信は何者にも折ることが出来ない。
高円寺六助の最大の魅力だ。
「オモシロイ。今度は正真正銘の1対1で競い合いましょう」
僅かに表情筋を動かし、高円寺の再戦を了承するカムクラ。
彼もまた、その再戦を望むような姿勢が見受けられた。今回の勝負はカムクラの勝利と言っていい。
プライドが高い高円寺も自身の敗北を認めている。
しかし、今回の勝負は当人同士で平等ではないと既に理解していた。
須藤とアルベルトの力の差など、ある程度外的要因があったからだ。
そのため勝ち負けを決めた本当の戦いと断定はできない。
2人の天才の中でそれは言葉にせずともわかることであり、再戦する理由に事足りていた。
「久しぶりに楽しめたよ、カムクラボーイ」
そう言って、高円寺は背を向けた。
その両足はコテージへと向かっており、そこで休憩することが分かった。
カムクラは見送った後、次の競技のために待機所へと戻っていった。