大熱狂だった体育祭も終わりを告げる。
私が出るはずだった3学年合同リレーは綾小路くんが代理を務めた。
彼の右手のこともあり、周囲からは反対があったが、彼自身の意志で出たいということ、結果を残すという強い意志から彼が出ることになった。
本当は高円寺くんが代理を務めるはずだったが、四方綱引きが終わると彼は満足そうにコテージへ戻り、再び体調が悪くなったと報告したそうだ。
何とも身勝手な自由人の行動に文句を言いたくなるが、彼はそんなことを気に留めることもない。体力と時間の無駄だった。
「……綾小路くん、お疲れ~」
競技を終えて戻ってくる綾小路くんに軽井沢さんが声を掛ける。
他の観戦者も彼の周りに集まる。
佐藤さんや松下さん。軽井沢さんの友達である彼らが綾小路くんに話しかけていた。
周りをもう少し注視してみると、佐倉さんも遠目から視線を送っている。
彼も随分とモテるようになったみたいだ
「やるじゃねぇか綾小路! 前までは本気で走ってなかったのかよ?」
「……まぁ、今日は俺も少しやる気を出したんだ。とはいっても、久しぶりに思いっきり走ったのにここまでスピードが出るとは思わなかった。
火事場の馬鹿力ってやつだな」
競技から遅れて戻ってきた須藤くんが綾小路くんの背中を叩く。
中々力の入ったそのスキンシップからパンと大きな音が響いた。
「本当に凄いよ綾小路くん! 君の走りのおかげで僕たちは4位にまで追いついた。
その怪我をしながらよく走ってくれた。君は本当に凄い」
「ありがとう。でも、さすがに前を走る生徒会長には追い付けなかった」
ぞろぞろと戻ってくる中、いつもよりテンションの高い平田くんが声を掛けた。
当然、兄さんには追い付けるわけないけど、彼のスピードは異常だった。
先頭を走るカムクラくんのせいでそこまで目立っていないが、それでも兄さんと同等と言っていい速度で走っている以上、気づく者は気づく。
私はそんな摩訶不思議な人の方へと近づいていく。
「棒倒しの時と言い、今回はやけに頑張ったのね。事なかれ主義のあなたらしくないわ。
何か心境の違いでもあったのかしら?」
「……皆が頑張っているからオレも頑張っただけだ」
「本当に、あなたは嘘つきね」
私はらしくない彼の発言に少しだけ笑ってしまう。
それをごまかすように悪口を言うが、おそらく笑みは隠せていないだろう。
私もらしくない。
「そろそろ結果が発表されるみたいだよ」
平田くんが皆に聞こえる声で告げ、私たちは移動を開始する。
同じくして、全校生徒が電光掲示板の下に集まってきていた。
「それでは、これより本年度体育祭における勝敗の結果発表を伝える────」
赤組と白組に分けられた電光掲示板の数字が動き始め、数値が増え始める。
全13競技のトータル獲得点数。勝った組は……。
赤組勝利
その大きな文字とともに点数が発表される。
合計得点は十の位が違うだけで、かなりの接戦だった。
白組も相当奮闘したことが窺えたが、AD連合である赤組が勝利を収めた。
「続いて、クラス別総合点を発表する」
全12クラスを学年ごとに分け、各クラスのポイントが一斉に表示されていく。
2年3年の内訳は正直どうでもいい。肝心なのは自分たちのクラスだ。
1位 1年Cクラス
2位 1年Bクラス
3位 1年Aクラス
4位 1年Dクラス
「……あと一歩及ばなかったわね」
総合点はAクラスとDクラスではそこまで大差ない。
十分に3位を狙える可能性があった。
そこには自分自身の慢心があると思うと、悔しさが込み上げてくる。
いくら赤組が勝ったとはいえ、1年は上級生の足を引っ張っていることに加え、Dクラスは学年で最下位。
自分たちを陥れようとしてきた龍園くんのクラスは圧倒的な1位。
完全な敗北、私はそれを噛み締めながらも受け入れる。
戒めのようにこの行事の結果で起こったポイント変動を纏めていく。
Aクラス 1518cp→1468cp(総合順位3位のため-50cp)
Bクラス 945cp→ 845cp(総合順位2位のため変動なし、白組敗北のため-100cp、合計-100cp)
Cクラス 580cp→ 530cp(総合順位1位のため+50cp、白組敗北のため-100cp、合計-50cp)
Dクラス 285cp→ 185cp(総合順位4位のため-100cp)
結果として、1年全てのクラスがマイナスの結果だということが分かった。
これだけ頑張ったのにもかかわらず、ポイントは減るので報われない。
もちろん、個人競技で勝ったことによるプライベートポイントやテストの点数で報われた人もいるため、完全な無意味とまではいかないが。
「それでは最後に、学年別最優秀選手を発表する」
係員の人がもう一度マイクの電源をオンにした。
何人かの生徒が電光掲示板を確認する。
もしここに須藤くんの名前があれば、体育祭前にした名前を呼ばせてほしいという約束を守らなければならない。
しかし────
1年最優秀選手はCクラス・神座 出流
そう電光掲示板に表示された。
須藤くんには悪いが、正直当然の結果だ。
競技を見ていれば簡単に推測できることだった。何せ彼の身体能力は異常だ。
誇張なしでオリンピック選手と同等、……考えたくないがそれ以上の可能性だってある。
それほどの実力差があった。
ちなみに彼は最優秀選手にも名前が挙がっていた。この体育祭でプライベートポイントを多く稼げたようだ。
「……くっそ、やっぱりかよ」
静かに項垂れている須藤くん。
彼のことだから今頃大声で叫んでいるものだと思っていたが、非常に悔しんでいた。
彼もまた成長したということなのだろう。ならばご褒美というものは必要かもしれない。
私自身の失敗も踏まえ、彼ばかり罰を積み立てるのは良くないというものだ。
私は彼に近づいていく。
「……堀北」
「約束は約束よ。学年別優秀選手を取れなかったあなたは私の名前を呼べない」
「ああ、わかってるよ」
須藤くんはしょぼくれたように表情を萎ませる。
しかし、すぐに表情を入れ替え割り切った。
「でも、ある新しい約束を呑めれば今回の約束を叶えてあげても良いわ」
私がそう言うと彼は口を開け、停止する。
何とも間抜けな表情だ。
「え? ……はっ? 何だよその新しい約束って言うのは!?」
「あなたは私との約束をしっかり守ろうとしてくれた。だから他の約束も守ってくれる可能性があると判断したわ。
そしてその新しい約束は金輪際正当な理由なく暴力を振るわないということよ」
「もう何回も言われたことだぜ。そんなことで良いのかよ」
「随分余裕そうね。今日だってすでに破りかけていたのに」
「そ、それはなぁ……」
須藤くんはバツが悪そうな表情を浮かべながら頭を掻く。
私は優柔不断な彼を睨む勢いで凝視する。
すると、彼はそっぽを向いて言葉を続けた。
「……悪かった。もうやらねぇ」
「そう。ならこれで契約成立よ」
私はそう言ってこの場を立ち去る。
体育祭の疲れすら感じさせない雄叫びを上げる須藤くんから離れるためだ。
「ねぇ、盛り上がっているところわるいんだけど、ちょっといい?」
紫の長髪が特徴的な女子生徒が私たちに、より正確には綾小路くんに声を掛けた。
落ち着いた雰囲気のある女子生徒は確かAクラスの生徒だ。
「この後、着替えた後で良いんだけど少し付き合ってもらえる?」
「……どうしてオレが?」
「少し話があるから。5時になったら玄関に来て」
二三言告げると、彼女は去っていく。
その対応を終えた綾小路くんは他の男子に囲まれていく、
何を追求されているかは言うまでもないだろう。
「全く、くだらないわね」
脊髄反射でその言葉を口にする。
その後、電光掲示板に映すことが全て終わったため解散となった。
生徒たちはそれぞれの行先へと移動していく。
男女共に指定された場所で着替え終えた後、1度教室に戻って本当の意味での解散だ。
「浮かない顔だな」
皆が解散する中、私に話しかけてくる綾小路くん。
「あなたは随分と浮かれているわね。女の子に囲まれて夢は叶ったかしら?」
「まぁ、悪くない気分だ」
嫌味ったらしく言った言葉を彼はノータイムで返してくる。
それだけ気持ちが正直と見て良い。
「この後は教室に戻って解散だが、龍園との理不尽な交渉はどうするんだ?」
「終わった後に行くわ。私の土下座程度でポイントを守れるのなら安いものよ」
「責任を感じているのか?」
「……あなたが追及したくせによく言うわね。それに私の慢心が起こした事態よ。
私がけじめをつけなければ格好がつかないわ」
「だからプライドを捨ててまでクラスを守ろうとしている……か」
綾小路くんは少し考えこんだ様子を見せる。
歯切れの悪い言葉と私の表情を分析するような視線。
何かを言うか検討しているように見える。
「……今のお前ならそんなことしなくてもいいのかもしれないな」
「どういうことかしら?」
意味を連想できない彼の言葉。
私は素早く追及する。
「今回の体育祭、オレの目的はDクラスに徹底的な負けを経験してもらうことだった」
「……嫌な目的ね。まだ真意は聞かないけど、その目的は達成されたんじゃないかしら?
Dクラスは総合順位が最下位。試験内容でも他クラスより団結力で劣っていることが露呈し、Cクラスには一方的な攻撃を受けた」
「ああ、これでDクラスは間違っても自分たちが優れていたなんて思わなくなるだろう。
いくら船上試験で勝てたと言えども、あれは相手に依存したものが多かった。自分の実力を勘違いしてしまう」
胸に突き刺さる言葉だ。
しかし今回、その意味を理解できた。もう同じ轍を踏むことはない。
「加えて堀北、お前には龍園の脅威を知ってもらいたかった。だが、今のお前にその心配はない。
それに、櫛田への対策も出来ていた。お前の術中にはまったことすら気付けなかった櫛田へ大きな枷をつけられた」
「相変わらずの上から目線ね。それで、あなたの今回の目的の真意は大きな敗北を経験し、そこから慢心をなくして成長することで良いのかしら?」
「ああ、その通りだ」
ハチマキを外し、ポケットに入れる綾小路くん。
周りには誰もいなくなっている。皆教室に戻っているからだ。
目立つ場所ではあるが、人から話を聞かれない場所に変わっていた。
「慢心があったとはいえ、お前はオレの予想以上に成長した。
まぁ、少々未来思考過ぎて現状への思考が疎かになっているところもあるが、それもいずれ治るだろう」
愚痴のように言う綾小路くんが物珍しく感じる。
悪態をついてみようと悪戯心が芽生えるが、彼の話が続きそうなため話を聞く姿勢を崩さない。
「だから対処を変えようと思う。携帯を出してくれないか?」
彼の指示通り携帯を取り出すと、連絡通知が鳴る。
チャットを確認してみると、そこには1つの音声ファイルが送られてきていた。
「これは?」
「Cクラスがお前を嵌めようとしていた事実が確認できる録音だ」
「そう…………え?」
淡々と同じテンポで言うため、その言葉を聞き逃しそうになった。
信じ難い事実だ。そんな貴重なものをなぜ今まで隠していたのか。
「これがある以上、龍園はお前にこの件で深入りできない。木下の件で訴え出たなら、意図的に事件を作り出した龍園をむしろ退学にすることが出来るかもしれない。
使い方はお前が決めろ。だが一つ約束して欲しいのはこの情報の出所を隠すことだ」
「ま、待ってちょうだい! あなた一体どこでこんなものを手に入れてきたのよ!?」
「企業秘密だ。それと、最悪の場合は平田の名前を出すと良い」
綾小路くんは自分の都合を押し付けるように話を持っていく。
企業秘密、そう言って私が納得すると思っているのだろうか。
いいや、そもそも納得させる気なんてないのだろう。
「もしお前がこの後龍園にこの情報を見せつけるなら、龍園は無意味に木下を怪我させ、何かしらの不利益を被る。
もし龍園が訴え出た後にこの情報を見せつけるなら、龍園の嘘を逆に露呈させることが出来る。
どちらにしても龍園にはダメージが入ること間違いなしだ」
どちらを選ぶかでこの情報を暴露するタイミングも変わる。
前者なら龍園くんからの呼び出しに行って牽制する必要がある。
後者なら龍園くんからの呼び出しに応じず、彼らが学校に訴え出てから動けばよい。
「そしてそれを私に判断させる。まるで責任から逃げてるみたいね」
「間違ってはいない。何度も言うが俺は目立ちたくない。お前や平田のような人物がこのクラスを引っ張っていけばいい」
「だから功績まで私たちに上乗せする。……期待と受け取っていいのかしら?」
「それはお前の判断に任せる」
適当に流されたので、私は彼を睨む。
両手をあげる仕草もせずに、ポケットに手を入れ背を向けた。
これが普段の綾小路くんなのだろう。
「オレはこの後が楽しみなんだ。さっさと教室に戻らせてもらう」
緩急のない言葉に嬉しさや喜びは分析できない。
先程の女子に呼ばれたからと浮き足立っている訳ではないことは明白。
下心を隠しているかもしれないが、私には彼の気持ちが分からなかった。
そもそも、綾小路くんが何を考えているのかも分からない。
それでもクラスのために行動している以上信頼しなくてはならない人物だ。
彼との交流をもう少し増やす必要があると私は認識した。
────────
体育祭は終わり、たくさんの人が夕焼けに染まる校舎を出入りしていく。
用務員や生徒会はグラウンドに向かい、グラウンドの整備や忘れ物の確認、テントや椅子の片付けなどを行っている。
一般生徒たちは談笑しながら学生寮へと帰宅していく。
疲労がある中でも、彼らの表情は明るく、体育祭への感想を言い合っている。
僕は陽気な雰囲気で下校する生徒たちをとある教室の窓から眺めていた。
開いた窓から吹く風が疲労した身体を撫でていく。10月中旬の涼しさは身に染みるようで心地よい。
僕はヘアゴムを外し、束ねていた髪を緩める。
不規則に広がっていく髪はそよ風に吹かれていき、いつも通りの僕の姿に戻っていく。
「おい、そろそろ時間だぜ」
龍園くんが携帯をポケットにしまう。
そのまま手を入れっぱなしにして近くにある机に座った。
「彼女は本当にここに来るのですか?」
「ああ。逃げずにここに来るそうだ」
何か対策をしているのか。
来ざるを得ない状況だが、本当に何も用意してないなら興醒めもいい所だ。
Cクラスに裏切者を作った存在。そいつが堀北さんの完敗という未来を変えることが出来るか。
真鍋さんたちが龍園くんの作戦を録音していることは知っている。
その音源をここで使い、龍園くんの策を相殺出来れば、起こりうる未来は変わる。
僕はそれで満足だ。
もっと言っていいのならば、この場に堀北さんが来ない方が予想外だ。
あえて龍園くんに木下さんのことで訴えさせ、逆に龍園くんを追い詰めてもらう。
追い詰められた彼がその後どんな行動をするのか。
僕はそちらの方が興味深かった。
「クク、ポイントを奪えるか、それとも鈴音の土下座を見納めできるか。
どちらにしても十分な成果を得れるわけだ」
「そのどちらでもなかったら?」
「あ? ……その時もその時だ。鈴音以外にオレの策を読んでいやがった人間がDクラスにいるということが分かる。
元々失うポイントはないんだ。この場にDクラスの謎の存在の跡が残ればそれも十分な成果だ」
「もし、追い詰められたならば?」
「クク、お前にはその可能性が見えるのか?」
「多少は」
「ククク、そうなったなら素直にミスを認めるかもしれねぇ。
だが、オレを追い詰めた存在は確実に潰す。このオレに盾突いたことを後悔するくらいにはな」
愉快そうに頬が吊り上がり、白い歯を見せる。
すると、廊下から足音が聞こえた。把握できる人数は2人。一定のテンポで聞こえており、その音はこちらに近づくにつれだんだん大きくなってくる。
龍園くんはもう片方の手もポケットに入れ、扉へと視線を向ける。
そして2人の女子がこちらに顔を見せた。
「よう。逃げずにやって来たようだな鈴音」
「ええ。あなたの好きにさせるのも癪だから、ここで止めに来たわ」
「ほう? それがハッタリじゃなきゃ良いな」
彼は勢いをつけて机から腰を上げる。
張り付いたようなニヤケ面を堀北さんに向けていた。
「まずは携帯を出しな鈴音」
「あなたに携帯を渡す必要性を感じないのだけれど」
「惚けるなよ。録音してんだろ?」
龍園くんが不意を突くように問うが、彼女の表情は鉄仮面のように微動だにしない。
意味がないと言わんばかりに、細く、真っ直ぐな瞳を龍園くんに向ける。
「ほぉ、厚い面だな。動揺の1つでもしそうな精神状態は治ったようだな。感心したぜ」
「疎かな分析能力ね。見破れなかったら安い挑発をするなんて芸がないわ。
それにたとえしていてもあなたに渡す理由にはならない」
逆に挑発してくる堀北さんに龍園くんは嬉しそうに笑みを零す。
こういった駆け引きもどきに行われる煽り合いは彼の大好物だ。
「でも少し待ってくれないかしら。あなたより先に猿芝居を止めさせなきゃいけない人間がいるの」
堀北さんはそう言って櫛田さんを真正面から見つめる。
堀北さんをここまで送り届けた櫛田さんはゆっくり歩き、龍園くんの少し前へ移動する。
そして180度反転し、堀北さんを睨むように見つめ返した。
「何のことかな?」
「猿芝居はおしまいと言ったはずよ。それともわざわざ踏み込まなければあなたに向き合えないのかしら?」
「向き合う、何にかな?」
惚ける櫛田さんに堀北さんは彼女の目を見据えて続ける。
「私はあなたのことを……あなたのような生徒が『私の中学』にいたということ思い出している」
誰にでも優しい、そう評価される櫛田さんの笑顔が崩れていく。
やはり彼女たちの間に何があったのか。それこそが櫛田桔梗という人間を分析していく上で最も重要なことだ。
「そっか、とうとう思い出しちゃったんだ」
「思い出したのはもっと早くよ。それこそ入学式の日からね。
クラスは違えど、あなたの噂は学校中に広がっていたもの」
櫛田さんは一度目を伏せる。
彼女たちの関係、もっと言うのならば櫛田桔梗の過去。
以前聞き出そうとして失敗している。
しかし、あの時の態度から彼女は己の過去を知られたくない様子だった。
「クラスが違うということは、あなたたちは知り合い程度の関係なのですか?
それとも、もっと前から知り合いなのですか?」
僕は気になったので口を挟む。
「いいえ。私たちは中学が一緒なだけよ。知り合いというのが正しいわ」
「ふーん、その割にあなたは随分と彼女に狙われているのですね。
ならば逆恨みに近いものですか。あなた自身が彼女に直接何かをしたわけではない以上、導かれる結論は櫛田さんが自ら────」
「────余計な詮索しないでくれないかな」
櫛田さんは殺意すら籠った冷たい瞳を僕に向けた。
しかしすぐに、彼女は堀北さんへと視線を戻す。
その様子を龍園くんは楽しそうに眺める。
「それで、……そこまでわかっているなら私が何したいかももうわかるんじゃない?」
「ええ。今回、どうしてあなたがクラスを裏切ってまでDクラスを敗北に導いたのか。
それはあなたの過去を知る私という存在の排除、正確には退学にすること」
「大正解」
櫛田さんは蠱惑的な笑みを見せる。
触れてはいけない悪魔の微笑み。危ない魅力が分析できる。
「リスクの高いことよ。もし成功しても色々な疑惑や新しい噂が流れるかもしれない。
それに私自身があなたの噂を吹聴すれば、あなたの立場は辛くなる」
「確かにそうだね。でも疑惑や噂は私の立場で否定し続けていればいずれ消える。時間こそかかるけどね。
そしてあんたにも吹聴なんてさせない。もしするのならば、あんたの敬愛するお兄さんすら巻き込む」
その発言に堀北さんは身体を強張らせた。
兄を巻き込む。堀北生徒会長を人質にすることは彼女にとって相当な効力を発揮する。
それほど彼女は兄を慕っているのだろう。
「……私はあなたの噂を話さない。私の性格上、他人の噂を流すようには見えないでしょ?」
「そうだね。でも保証はない。私が私であるためには、私の過去を知る人間は消さなくちゃいけない」
詐欺師の才能。
その才能を持つ人間からすれば、本当の自分を知られていることは恐怖でしかない。
その恐怖も普通の人とは比較にならない。
「ならこの話を聞いているオレやカムクラも消すつもりなのか?」
「場合によってはね」
「クク、食えない女だ。だからこそ協力関係を組むことにしたんだがな」
龍園くんは櫛田さんの前に移動する。
「さて、鈴音。今度はオレとも話してもらうぜ」
「そうね。さっさと済ませましょう。ポイントと土下座だったかしら?」
「随分と強気だな。お前、自分の立場を分かっているのか?」
龍園くんは首の骨を鳴らした後、続ける。
「お前は木下に怪我を負わせ、Cクラスの主力選手を退場させた。
それだけの証拠も集まっているんだぜ?」
「だからポイントと土下座でしょう? もういいわ。あなたの戯言に付き合うために私はここに来たわけじゃない」
「クク、戯言か。さすが、他人を蹴落としてまで勝利を狙う女は態度が違う」
堀北さんは強気な態度のまま、視線を僕に向ける。
僕への警戒を忘れない。船上試験での復習は完璧のようだ。
「僕は何もしませんよ。持ってきた対策を早く見せてください」
「……やっぱりあなたは理解不能だわ」
何もしないということを頭に入れた堀北さんは再度龍園くんに視線を戻す。
「対策ね。オレの予想を裏切ってくれるものなのか?」
「別に単純なことよ。あなたの嘘を暴く。たたそれだけ」
そう言って堀北さんは携帯を取り出した。
素早く画面を操作し、とある音声を流した。
『いいかお前ら。堀北をハメるには、潰すためにはどうすればいいか、その策を授けてやる。
まずてめえら全員の出来ることは個人種目でDクラスに勝つこと。Cクラスに負けたという事実を刻み、ストレスとプレッシャーを与え続けてやれ』
携帯から流れたのは龍園くんの声。
体育祭で行う戦略を説明している時の声だ。
『勝ってください。さもなければ見限ります。
才能も努力することもない木偶の坊に時間を割く必要なんてありませんから』
流れていくと、僕の声も入っている。
雑音やクラスの声からも、この録音が声帯模写による作り話ではないことを証明していた。
龍園くんの目が見開かれていく。
『団体種目の騎馬戦も同じように鈴音を狙え。いくつかの騎馬で囲むように追い詰めろ。
残り……特に機動力のある騎馬は他クラスの雑魚騎馬を潰しておけ。それの方が点も稼げて戦いやすくなる。もっとも、そこから純粋なパワーで負けたら死刑だぜ?』
「もう、十分かしら?」
堀北さんは携帯の録音を止め、龍園くんと向かい合う。
得意げな顔をすることなく、真剣な眼差しが呆気に取られる龍園くんに突き刺さった。
「……龍園くん、この音声は何?」
慌てた様子で告げる櫛田さん。
そして彼は、
「……クク、クハハハ! なるほどなぁ! つまりはそう言うことかよ鈴音!
裏切者はCクラスにもいる。そしてこの裏切者を作った奴は桔梗が裏切ることも、お前が嵌められることも予想していた。
全部予想した上で、すべてを掌で動かしていやがったッ! 最高だ、最高だな! カムクラ、お前が予想の出来ない未来ってのを知りたい気持ちが少しは分かったぜ!」
傑作と言わんばかりに髪をかき上げ腹の底から笑った。
「だが、解せねぇな。何で今その録音を流した?
オレが訴え出た後にその録音を流せば大きな効果を得ていたはずだ」
「それをあなたに説明する必要ってあるのかしら?」
状況を把握した龍園くんが問いただす。
堀北さんは鼻で笑った。答える義務はない。当然の反応だ。
仕方ないので、答えない堀北さんの代わりに僕が答える。
「考えられる可能性は、櫛田桔梗の更生のためですね」
「……私の更生のため?」
この場にいる者全員が僕の方へと視線を向ける。
「後で訴え出れば龍園くんは停学かそれ以上の罰が与えられる。これだけなら彼女はこの方法を利用していたでしょう。
しかし裏切者である櫛田さんも同じように何かしらの罰を受ける。クラスを裏切り、堀北さんの攻撃に加担するような行動を見せたんです。
当然、重い罰が下される。が、彼女はこれを避けたかった。
それは自クラスの代用の利かない戦力を失わないためでしょう。龍園くんに攻撃することが出来ても失うものが大きすぎては意味がない」
僕が説明すると、堀北さんは苦い表情を向けて来る。
相変わらず余裕がなくなると表情から感情が零れやすい。
「なるほどな。確かにそれなら辻褄は合う。
この場での話し合いをなかったことにしてしまえば、得る物はなくなるが失う物もなくなる。
まぁ、だがそれは愚かな選択だったな。結局お前は足を怪我して敗北。それは変わりようのない事実だ」
龍園くんの言ったことは間違いない。
Dクラスは最下位で、個人競技でも得られたポイントはCクラスより少ないだろう。
堀北さん自身も得るものは殆どなく、足を怪我しただけで終わっている。
DクラスはCクラスに敗北した。
ただし、Cクラスもダメージがあった。それは木下さんに渡すはずの50万ポイント。
堀北さんから奪えない以上、損失に変わりない。
これはポイント税で徴収したポイントから算出されるだろう。
加えて、今回の体育祭で得たものはプライベートポイント。それも報酬であるために他人には与えることのできないプライベートポイントだ。
クラスとしてプラスかと問われれば、試験結果も相まってマイナスと言わざるを得ない。
「……ふざけるな。……ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!
何が私の更生のためだ。クラスを裏切った私に何情けを掛けてんだよ。大嫌いな奴からの恩情なんて反吐が出るんだよ!」
静かに激昂する櫛田さん。
堀北さんを一際強く、鋭い視線で睨みつける。
「DクラスがAクラスに上がるためにはあなたの力が必要不可欠よ。
クラスの顔とも呼べるあなたの代理はいないの。
それに言ったはずよ。あなたには協力してもらいたいと」
「…………っ!!」
奥歯を噛み締める櫛田さん。
悔しそうにそれでいて僅かに嬉しそうに。
大嫌いな堀北さんに優しさを見せられる。それが悔しい。
そしてこれ以上なく必要としてくれる人間に本能的な嬉しさが混じる。
自分の承認欲求と感情が入り混じっているのだ。
「……帰る! もう話は終わりで良いのよね?」
「クク、ああ終わりだ。気を付けて帰れよ、桔梗」
上機嫌な龍園くんに櫛田さんは舌打ちを返した後、早歩きで教室を出ていった。
途中、瞳孔を全開にして堀北さんを睨むもそれは一瞬。
すぐに無視して扉に手を掛けていた。
「じゃあな鈴音。それとこの録音を用意した存在に言っておけ。『次はお前だ』ってな」
「私が用意したのよ。だから次も精々努力することね」
「度胸は一人前だが、その嘘が通じるほどオレは甘くねぇよ」
龍園くんはそう言って部屋から出ていった。
僕もその後を追うように歩き始める。
しかし、すぐに彼女に声を掛けられる。
「今回、あなたは私の対策を想定していたのかしら?
早く対策を話せと言ったり、ノータイムで私がこのタイミングで録音を切り出した理由を話していたわよね?」
「さぁ、どうでしょうね。答える必要がありますか?」
「いいえ。……でも、覚えときなさい」
1度目を閉じた後、すぐに大きく見開く。
「そうやって余裕ぶってられるのは今だけということを。
今後Dクラスはあなたたちを越えていくわ」
僕相手に一歩も引かずに彼女は宣戦布告する。
「それは僕の予想にはない未来ですね。ならば頑張って目指してください。それは十分に退屈しない」
強気な彼女に受けて立つといった趣旨を混ぜる言葉を返す。
僕は彼女の横を通り抜けた。
存外、この行事も楽しめました。
試験ではないため『最後の推理』をする必要はありません。
綾小路くんとの激突、須藤くんの成長、高円寺くんとのお遊び、最後の対策。
まぁ、成績を付けるならば『良』くらいですかね。
僕はゆっくりと寮への帰路についた。
評価やお気に入り登録してくれた方々、本当にありがとうございます。
これでchapter5終わりです。
結構あっさり終わらせちゃった気がする。でももっと話進めたいから加筆とかもないと思う。ごめんね。
次回はInterlude5になります。3000字ぐらいで短いですが、読んでくれると嬉しいです。
Chapter6は現在執筆中なので、投稿までの期間が少し空きそうです。気長にお待ちしてもらえると幸いです。