職員室でやることを終えた僕は学校から帰宅する。
下駄箱で外靴に替える時、他の生徒の靴を確認すると、やはりどの下駄箱にも未だ外靴が残っていた。
今頃Cクラスの教室では、取り調べを行っているだろう。今さら戻っても場を混乱させるだけだ。行く意味はない。
現状やることがなくなった僕は正面玄関を通過し、寮へと向かうために歩き始める。
しかし歩こうとした矢先、バッグに入れていた携帯が通知を受けたことを知らせた。
宛先人を確認すると、Aクラスの坂柳さんから。用件は今日の放課後に会わないかということだ。
簡潔に綴られた文章には、期末試験のこととこれからのAクラスについての相談が続けて記載されている。
僕は少々訝しむ。なぜなら坂柳さんが誰かに相談というのはおかしいからだ。
「僕じゃなきゃ出来ない話という訳ですか」
彼女が誰かに相談する必要はない。なぜなら彼女はその優秀な頭脳で大抵のことを己の力のみで解決できるからだ。
何が起こるかを簡単に予想すると、いくつかの推論が頭に現れる。
単純に僕と話したいから対談を望むか、メールで送った用件以外の目的で僕を呼びだす必要があったからか。
それとも用件について本当に僕からの助言をもらおうとしているのか。
情報が少ないため埒が明かない。
僕は時間省略のため、坂柳さんに直接コールする。数秒待つとすぐに電話は繋がった。
「御機嫌ようイズルくん。そろそろ返信をいただける頃だと思っていました。返事はどちらですか?」
「相談には乗りますよ」
「フフ、ありがとうございます」
僕たちは素早く話を纏めていく。
落ち合う場所はケヤキモールにあるカフェ。時刻はどちらも最速で。
通話を切り、早速僕は移動を開始する。
彼女の足を考えれば僕の方が指定されたカフェに早く着く。
広めの席を取っておくのが得策だ。
先ほどの通話から雑音を判別すると、彼女の周囲に何人かの生徒がいた。
人数にして4,5人。それくらいの席を用意しておくべきだ。
到着した後、僕は予定通り広い席を取った。
「お待たせしましたイズルくん。今日は1人のようですね」
数分後、カフェに集団が来店する。
近づいてきた集団の中で一際目立つ少女、坂柳さんが僕に話しかけた。
周りには彼女の従者が3名ほど確認できる。
神室さんと初めて彼女に会った時にもいた金髪でオールバック、不良のような見た目をしながらもどこか知的な所が見受けられる男子。
そしてもう1人、僕程ではないが男子にしては相当長い髪で片目を隠す強面の男子。
2人の男子は警戒を見せながらこちらに近づいていた。
「僕は大抵1人ですよ」
「ご冗談を。普段は伊吹さんや龍園くんと帰宅なられているでしょう?」
言われてみて改めて認識する。
周囲のことなど把握していても気にしていなかったため、学校から帰宅する時、基本的に誰かがいることを当たり前すぎて忘れていた。
「確かにそうですね」
「フフ、あなたの気の抜けた瞬間を視れた今日の私は運が良いようですね。
そして、私がお友達を連れてくることを想定し、広い席を取ってくださった。やはりあなたは私の期待を全く裏切りません」
薄い笑みを零しながら、彼女は僕の隣へと腰掛ける。
どうやら彼女は僕が会話の中で広い席が必要と予想していることを予想していたようだ。
さすがの予測能力と心の中で称賛する。
「それで、あなたたちは?」
続くように3人の生徒が対面に座っていったので、僕は名前の知らない2名の男子を観察しながら告げる。
「……鬼頭隼人だ」
「俺は橋本正義だ。よろしくな。
ああ、あんたの自己紹介は省いてくれて構わないぜ。有名人だしな」
「分かりました。こちらこそよろしくお願いします」
強面の男子が鬼頭隼人、軽快な口調の男子が橋本正義。
僕は坂柳さんの駒である2人をしっかり記憶した。
「夏休みぶりですね神室さん。元気にしていましたか?」
「……あんた、わざと言ってるでしょ」
うんざりとした表情を浮かべる神室さん。
今日もまた坂柳さんのお供で強引に連れてこられたようだ。
「真澄さんは揶揄い甲斐があるでしょう?」
「素の反応を見せてくれるのでその問いは肯定できます」
僕たちがそう言うと、いらだった様子でこちらを見る。
やはりわかりやすい反応。坂柳さんのような嗜虐的な性格の方には良い遊具でしょう。
僕は機嫌を取るために、神室さんにメニューを渡した。
順々に飲み物を頼んでいく。ちなみに僕はメニューも見ずに坂柳さんと同じコーヒーを頼んだ。
「それで、期末試験とこれからのAクラスについてでしたか」
飲み物が届き、一息吐けたので本題に入る。
坂柳さんの表情を窺うと、待ってましたと言わんばかりの嬉しそう笑みを見せていた。
「ええ。先に期末テストについて話させてもらいます。
まず知ってもらいたいのが、今回AクラスはDクラスに『攻撃』を仕掛けることです」
彼女の言う『攻撃』とは、作成した問題を他クラスに解かせるということを意味だ。
その標的がDクラス。Cクラスの標的と被っている。
「葛城くんらしいですね。独走状態のAクラスはどこのクラスを狙っても大した差はない。
よって最も勝つ可能性が高いDクラスに作成した問題をぶつけて楽に勝つという魂胆が丸見えです」
「面白みに欠ける作戦ですが、合理的な判断と言えるので彼の派閥はこの作戦に賛成しています」
「そして派閥関係が未だ劣勢であるため、あなたの派閥ではその賛成を押し返す力が足りない」
体育祭で少しは天秤が傾いたであろうが、現在も葛城派がAクラスを牛耳っている。
「はい。なのでこの状況を変えるためにこの試験で葛城派閥の支持をさらに失ってもらう、それが私の目的です」
話が見えた。
しかし2つ返事で協力するのは危険と判断する。
何せ交渉相手は坂柳さんだ。僕は話の続きに耳を傾ける。
「こちらが協力してほしいことは1つ。Cクラスの『防衛』相手をAクラスとなるように手伝ってほしいということです」
こちらを見透かそうと見つめて来る坂柳さん。
緩やかなカーブを見せる唇、挑戦的な眼差し。
この交渉を楽しみながらも真剣に取り組んでいる様子が見受けられる。
「……そういう魂胆ですか。やはりあなたは好戦的な性格ですね。僕の才能を知って尚、
僕は超分析力を宿す瞳を同じ超分析力の瞳で見つめ返し、彼女の内心を揺らすように分析結果からの考察を彼女に告げる。
しかし、彼女は動じずに魅力的な笑みで応える。
「……フフフ、好戦的な異性はお嫌いですか?」
「別に。しかし異性に限らず、心に芯がある人間は嫌いではありません」
彼女は心底満足げに笑った。
先ほどの協力要請。あの言葉にどれほどの質問をしてくるかで彼女は僕の交渉能力を量ろうとしていた。
交渉する時は相手より有利な立場を掴む。そのために敵の実力を知ろうとするのは当然のことだ。
「……あんたたち、こっちにも分かるように話してくれない? 何話してるか分からないんだけど」
神室さんが僕たちを睨みながら説明を求めていた。
他2人も睨みこそしないが、同様のことを考えているだろう。
仕方ありません。僕が説明しましょう。
「彼女は葛城派の失墜が目的ということを告げていて、葛城派はAクラスの『攻撃』相手がDクラスであることに賛成している。
この条件で権威失墜を目指すならばまず出鼻を挫くのは定石です。だからまず『攻撃』相手にDクラスを選べなかったという結果を作り、彼らの不満を募らせます。
そこで必要なのが希望相手を被らせること。僕に協力申請したことからCクラスに頼むということはわかります。
すなわち、Cクラスの『攻撃』相手をDクラスに決めてもらい、被らせる。普通はそこから交渉に入るはずです」
3人の様子を確認すると、しっかり付いてきている。Aクラスの生徒なだけのことはある。
「しかし、彼女はそれをしなかった。なぜしなかったかはいくつかの可能性がありますが、彼女の挑戦的な瞳を1つの指標にすれば、そもそもCクラスがDクラスに攻撃を仕掛けることを彼女が知っていたという可能性が他の可能性より強く浮上します。
つまるところ、知っていたのでわざわざ聞く必要がなかった。
そしてここの聞き方次第で相手の交渉力量がどの程度かを見極める。その指標としたのでしょう。
彼女の瞳は、僕がその考えを予想することを前提としていて自身も予想しているぞと暗に告げていた……いいえ、予め解答を用意して僕の思考すらも誘導するつもりだったんでしょうね」
僕は3人の状況整理を少し待ってから説明を再開する。
「加えて希望相手が被った葛城派が次に狙うのはDクラスに近しい学力クラス、すなわち必然的にCクラスでしょう。
この状況を見据え、これまた僕がこの状況を予想していることを予想した上でCクラスの『防衛』相手をAクラスにしてほしいと頼み込んだ。この試験は学力の高いAクラスが有利な試験で負ける確率が他クラスより低い試験ですが、それは絶対ではありません。
Aクラスに限らず、裏切り行為を働き、対戦相手に予め作成した問題と解答を渡しておけば確率などあってないようなものです。
だから彼女は裏切りを最も上手くしてくれて融通の利くCクラスに交渉しています。
ここまでの推察が正しければ、回りくどいという感想が出ます。ストレートに説明を行えばよいものをご丁寧に要点だけを述べてきた。
よって、この回りくどさと挑発的な視線、言葉足らずで説明した坂柳さんは僕のことを試していたと言えます。
だから僕は彼女の動揺を誘うような言葉を返したわけです」
説明を終え、少し疲れた喉を頼んだコーヒーで潤す。
上品な香りとほんのりとした苦み、悪くない。
「ただの予想ですが合っていましたか?」
「ええ。大正解です。
龍園くんの考え方から推測すればDクラスを狙いたいはずですから」
彼女は拍手を交ぜながら満面の笑みを浮かべた。
「……気持ち悪い。何でただの会話でそこまで裏を読み合っているのよ」
「ただの会話ではなく交渉ですよ。相手の力量を量るのは基本ですから」
嬉しそうに会話する坂柳さんとドン引きしている神室さん。
相変わらず傍から見れば仲良く見える2人組だ。
「しかし、この話を受けるかどうかとなるとやはり僕の一存では決められませんね。
仮にあなたがCクラスにAクラスの問題と解答を流出させたとしても、直前で答えをすり替えてCクラスにダメージを与えようとしている可能性も否めません。
それにそもそも────十中八九、DクラスはCクラスを攻撃してきます。それを分からないあなたではないでしょう」
Dクラスにとって学力でAクラス、Bクラスと戦うことは悪手。Cクラス同様戦いたいのは最も学力のレベルが近しいクラスだ。
なのでDクラスの指名はCクラスに断定できる。
仮に1回目の指名をDクラスへ被せることに成功しても、1回目の指名でDクラスがCクラスを指名するので、Aクラスの2回目の指名は残ったBクラスへしか行かない。
「お見通しですか。確かにあなたの言う通り、Dクラスの指名先をCクラス以外にしないとAクラスがCクラスを『攻撃』できません。
ならば話は簡単です。Dクラスの指名する相手をAクラスにしてしまえばよいのです」
1回目の指名を整理します。
Aクラス→Dクラス
Bクラス→? クラス
Cクラス→Dクラス
Dクラス→Cクラス
これが今分かっている情報です。
そして坂柳さんの提案はこうだ。
Aクラス→Dクラス
Bクラス→? クラス
Cクラス→Dクラス
Dクラス→Aクラス
この情報集合のBクラスの選択相手を? からAとすると、2つのクラスの選択が被り、くじ引きが発生する。
上手く事を運べば、
Aクラス→Dクラス →当選失敗
Bクラス→Aクラス →当選成功
Cクラス→Dクラス →当選成功
Dクラス→Aクラス →当選失敗
となり、2回目の指名で、
Aクラス→Cクラス
Bクラス→Aクラス
Cクラス→Dクラス
Dクラス→Bクラス
と言った理想的な敵対関係が出来上がる。
「Dクラスには私が交渉してAクラスを選んでもらいます。Aクラスを選んでくれればテストの解答を渡すといった趣旨の契約を持ち出せばそう難しいことではありません。
BクラスはAクラスの差を詰めるために間違いなくAクラスを指名してきます。そこでかぶりを発生させ、2回目の指名を意図的に引き起こします。Dクラスは被る心配などしていないでしょうからこの展開を想定していない。
簡単に被らせることが出来るでしょう」
ペラペラと口を動かす坂柳さん。
確かに理論としては成立する。ただし────自分が交渉することの自信から失敗することはないと高を括っている穴の多い理論だが。
彼女がこんな甘い策を立てるわけがない。何か他の目的があるように感じてしまう。
「あなた……何が目的ですか?」
僕は率直に聞いてみる。
坂柳さんは仮面の笑顔を見せ応答する。
「おや、あなたともあろう方が今の説明を理解できないのですか?」
「問いに問いで返しますが、あなたともあろう者がこんな不完全な策を実行するのですか?
確かにDクラスの交渉能力は低い。平田くんや櫛田さん辺りならあなたの交渉力も相まってこの策を押し通すことは可能でしょう。
しかし、堀北さんがいる以上、この策は間違いなく失敗します」
「堀北さんは確かに優秀です。しかし、彼女より私の方が優秀です。弁舌で私が負けるとお思いで?」
「策を見破られることが負けならばあなたは間違いなく負けるでしょう。あなたの超分析力はそこまで見えていないのですか?」
坂柳さんは1度コーヒーを口に運ぶ。
上品な振る舞いから余裕が垣間見える。これは虚勢ではない。
プライドの高い彼女が負ける可能性を考慮していない。むしろ負けても良いとさえ思っているように感じてしまう。
やはり、何か別の目的があると僕は考える。
「あなたに焦りは見られません。負けても良い、この策が見破られても良いと思っているのでは?
そもそもの大前提として、Aクラスはどこのクラスと対決しても裏切り行為がない限り勝利することが出来ます。
逆に言えば裏切り行為さえ成功してしまえばAクラスは敗北する。
あなたは自分の派閥の台頭のために、どのクラスと当たっても裏切りをするための工作を考えていたと僕は思っていたのですが」
「ええ。確かにこの策が成功しようとしなかろうと私にマイナスはありません。
しかしより効率的に事を運びたいでしょう? だから裏切り成功確率の最も高いCクラスのあなたと交渉をしていますよ」
上手く躱される。
坂柳さんの本当の目的が分からない。
未知だ。僕は思考を加速させ、この謎を解き明かそうと使えるパーツ全てを組み込みながらさらに深い推測を開始する。
「フフ、さすがのあなたでも私の考えていることは当てられませんよ。
なにせ、この考えを当てるということは私の心全てを見透かしていることを意味してしまいます」
「僕に出来ないとでも?」
「ええ。あなたは私の中で最も賢い天才に位置する人です。が、そんなあなたでも全知全能ではないでしょう」
お互いの超分析力が真っ向からぶつかり合う。
しかし、それはたった一瞬。なぜなら坂柳さんが人を睨み殺せそうな鋭い目を普段通りに戻したからだ。
「しかし、本当に流石です。これだけの会話で私の本当の目的に勘づくなんて」
「……認めましたか。では、その目的とは何ですか? 勿体ぶらずに教えて下さい」
「フフ、そうですね。……言うなれば幼馴染への挑発ですかね。私がこの策を取り、どこまで読んでくるかを知りたいんです。
そのための策としては十分でしょう?」
幼馴染、それは綾小路くんと見て間違いない。
情報を纏めると、彼女の本当の目的は彼に自分の目的がどれほど把握されるかを試していると言った所でしょう。
つまり、個人的な事情で策を作っていた。
この策が成功しようが失敗しようがどうでも良い。ゆえに焦る必要はなかった。
全ては綾小路くんへの挑戦。たったそれだけの策だった。
「確かに、さすがにそれは読み切れませんでしたね」
「フフ、堀北さんとの交渉次第ですが、もし策が成功したらその時は円滑な交渉をお願いします。
より詳細なお話はメールで取り合いましょう」
彼女は締めくくるようにそう告げた。
これで期末試験の話は終わったと見て良いでしょう。
「では、早速次の話に参りましょう……と行きたいのですが、少し休憩をしましょう。
折角人気のカフェに入ったんです。美味しいものを食べながら雑談を交えて交流を深めましょう」
「必要ありません。さっさと用事を済ませてしまいましょう」
この後特にやることはないが、やるべきことは早めに終わらせておきたい。
僕はやや強めな口調で彼女に提案した。
「……そうですか。実はこのカフェ、今の期間限定で草餅が頼めるんですよね」
「仕方ありませんね。少し交流を深めましょう」
草餅があるなら仕方ない。
よくよく考えれば、他人と話す機会は心を学ぶ良い機会です。無下にする必要はありません。
「……馬鹿と天才は紙一重」
僕を見ながら神室さんが乾いた声色でそう告げた。
──────────
1つの相談を終え、僕たちはカフェを満喫する。
ケヤキモールでも目立つ位置にあるこのカフェは学生の一押しスポットだ。
デザートメニューは豊富で、和食から洋食まで数多く取り揃えている。
現在期間限定で草餅が出ているため、もちろん実食中だ。
コーヒーに草餅、苦いものに甘いものなので悪くはない。だが食べていると何となく温かいお茶も欲しくなる。
これが和の心というものなのか。そう考えるが、これは単純の好みであるためくだらない思考だったと思い捨てる。
「中々美味しかったですね」
対面するように座る坂柳さんは上品に口を拭き、食器を机に置く。
口を潤すために、カップを持っていく一連の仕草は雰囲気が合っており、様になっている。
ちなみになぜ彼女が前方に座っているかというと、連れてきた従者を帰し、席が空いたからだ。
わざわざ移動する必要性はないが、坂柳さん本人の意思で移動したので僕は何も言わなかった。
「草餅がお好きとは聞いてましたが、ここのはいかがでしたか?」
「悪くありません。自作という手間を掛けたくない時に食べるものとしては十分な味です」
「……自作。パティシエの才能もお持ちとは」
「大そうな物は作りませんよ。機材を揃えるのも面倒ですし」
ありとあらゆる才能を持っている僕だが、どの才能も常に万全な状態という訳ではない。
例えば、ハッカーの才能を使用するには性能の高いパソコンがいる。そのパソコンを作るために発明家の才能を使用するには材料と工房がいる。
環境あってこそ。土台がなければ本領は発揮できない。
もっとも、時間さえあればその土台だってどこにでも展開できてしまうのがこのツマラナイ才能ですが。
「お店も混んできましたし、本題に移りましょうか」
坂柳さんはカップを置き、二つ目の話題に取り掛かる。
「これからのAクラスについて。身内の話題を僕に相談する理由を先に聞いても?」
「フフ、相談ではありませんよ」
「では何を話すつもりですか?」
1度視線を僕から外し、窓の方へと向ける。
「イズルくん、今日連れてきた3人はどうでしたか?」
「普通の生徒ですね」
「フフ、それはあなたからすればですよ。全員をお見せできませんでしたが、Aクラスには1人1人何かしらの秀でたものがあります」
確かに優秀な面が隠されていた。
例を出すなら橋本くん。場を整えるように立ち回りながら気の利いた発言をしていた。
高いコミュニケーション能力を持っていることが窺えた。
「今でこそ私の派閥は少ないですが、いずれ大きくなり彼らのような優秀な生徒はさらに増えるでしょう」
「……一体、何の話をしているのですか?」
自分の手駒を紹介すると思ったら、つらつらと本題に関係のない話を続けていく。
坂柳さんにしては合理性に欠く話し方だ。
「招待を渡す前に行先にはどれほどの価値があるのか、それを軽くアピールしているのですよ」
「アピール?」
「わかりませんか? ……これは勧誘前のアピールですよ」
勧誘、その言葉を聞いた瞬間に思考が加速していく。
嘘偽りない言葉、彼女は本気だ。
「イズルくん、私のクラスに移動してみませんか?」
薄く笑みを零しながら彼女は告げた。
普段よりどこか優しさを感じる声でありながら、それでいて自信に満ち溢れた声。
僕は一度聞く姿勢を整えた。
「これからのAクラスは私がトップになります。もっとも、そうなるにはもう少し時間がかかるでしょう。
しかしその面倒な手間はあなたがAクラスに来れば解決する。そう思いませんか?」
「確かに解決はするでしょう。ですが……らしくないですね。あなたは僕と真剣勝負をしたいのでは?」
「……フフ、その気持ちも大いにあります。しかし、この学校生活でもう1つやりたいことができたんですよ」
空になったカップに視線を落とす坂柳さん。
退屈で支配されていた器がだんだんと満たされていった時のように歓喜の表情を浮かべていく。
「『偽物』と『本物』、その衝突を私は特等席で見てみたいんですよ。
そこで生じるものを、その結末を、より大きな才能が生まれるきっかけを」
何かを見据えた狂気じみた瞳。恋する乙女のような魅力的な笑顔。
彼女の目的が何かは知らないが、この雰囲気が演技ではないことははっきりわかる。
「その雰囲気と言動……」
「……すみません。お見苦しい所を見せてしまいました」
僕が言い切る前に彼女は謝罪を口にする。
いつのまにか表情と雰囲気もいつも通りに戻っていた。
その雰囲気と言動、本当に酷似しています……狛枝凪斗に。
彼の方が比較にならないほどイカれているが、才能を絶対視したり、言葉選びがそっくりだ。
Aクラスの生徒は身の毛がよだつことが絶えないでしょう。同情します。
「別に気にしませんよ。しかし、その提案は問題大ありなので、気にさせてもらいましょう。
僕はCクラスで龍園くんの行先を見る。それがこの学校で最初に決めたことです。
彼がツマラナイと判断できるまでは、僕があなたのクラスに行くことはありません。よって、その提案を受け入れることが出来ません」
僕の発言に彼女は一度瞼を閉じる。
僅かな思案。整った容姿は固定されている。眉が吊り上がったり、眉間に皴を寄せることもない。
静かな思考が脳内を巡っているのだろう。
「……そうですか。それは本当に残念です」
開いた青い瞳に映る微かな寂寥。
しかし、僕の感情は動じない。同情じみた気持ちは湧いてこない。
「あっさり引き下がりますね」
「ダメ元なのは自覚していました。加えて、敵としてあなたと試験で競い合えると考えればそれはそれでよい。
それに、特等席にいなくても勝負を見ることは出来るでしょうから」
坂柳さんは真っ直ぐこちらを向けて告げる。
この言葉もまた嘘を吐いている様子を見受けられなかった。
「それにしても、Aクラスの権利を手に入れられるという勧誘なのに全然興味を持たないんですね。
まぁ、あなたらしいと言えばあなたらしいのですが」
坂柳さんは一度座り直し、軽い笑みで話題を変える。
「Aクラスで卒業できた時の報酬、『どこにでも進学、就職できる権利』なんて必要ありませんから」
「才能でどうとでもなるからですね。……フフ、そんなあなたが将来、どんな職業につくのか。その興味が尽きません」
「将来の職業ですか……考えたこともありませんね」
僕の才能があれば、どんな職業につくことも可能だ。
良い資格や学歴を得ることなんて、新しい物理法則を発見することに比べれば容易い。
わざわざ本腰を入れて取り組むことではない。
「ならば医者はどうでしょうか? 合っていると思いますよ」
「医者ですか」
才能と知識は十分すぎるほど持っている。だが、その職業はそれらだけじゃ足りない。
人の命を預かるという重すぎる責任、生かすか殺すかを選択できる大きすぎる権利。
それらを受け止めながらも経験と精神力を鍛えていかなければならない職業だ。
そしてこれは一例であり、もっと必要なものは大いにある。
もっとも、人の命なんて何とも思っていない僕にはある意味合っているのかもしれないが。
「あなたが医者になってくれたら、私の身体も治せるのでしょうかね」
「先天性疾患。完全治療を施すとなると、僕でも『絶対』という言葉は使えませんね」
「フフ、本気で答えてくれたあなたには申し訳ありませんが、冗談ですよ。
いくらあなたが天才でも同級生に持病を治してくれと頼み込むほど私は図々しくありません」
自分の足を撫でる彼女に悲しさは見受けられない。
割り切っている。生まれた時から背負っている縛りには何度も抗ったのだろう。
「それにもう受け入れています。手に入れることの出来ないものに対して考えることよりもあるもので出来ることを考えた方が楽しいですから」
強い意志だ。
この前向きな姿勢も彼女を天才足らしめている1つのパーツと分析する。
「人が集まってきましたね。長居しすぎても店に迷惑ですのでお開きにしましょう」
カフェの入り口には短い列が出来ていた。
確かにこれ以上席にいては次を待つ客にも店にも迷惑を掛けてしまいそうだ。
僕たちはそれぞれの頼んだものを別々に分けて会計を済ます。
素早く店を出ていき、人の少ない付近まで移動した。
「今日はありがとうございました。またお話ししましょう」
「ええ。いつでも待っていますよ」
「待つだけでなく、今度はイズルくんからもお誘いしてほしいですね」
「……まぁ、前向きに考えましょう」
坂柳さんはやや意地悪な笑顔を見せた後、ペコリと頭を下げ、ケヤキモールの方へと去っていった。
僕は可憐な少女の小さな背中を見送る。触れれば壊してしまいそうにもかかわらず、その存在感は弱弱しさを感じさせない。
むしろ絶対強者の気迫を感じさせる。
とても先天性疾患を持った人間には見えなかった。
「……完成した新世界プログラムなら、彼女に疾患のない体を体験させることが出来るでしょうね」
珍しく思ったことをそのまま口にする。
しかし、傍から見たら善意に感じるこの提案も彼女からすれば生き地獄への体験ツアーに変わるかもしれない。
一度完全に捨てた望みを体験するのは確かに希望満ちる行為だ。だが、その後酷い自己嫌悪に陥ることもある。
なぜ自分にはないのか、そんな無い物強請りをしないと決めていても一度知ってしまえば中毒のようにぶり返すどす黒い感情が現れる可能性は大いにある。
「解決策が正解ではない、何とも質の悪い矛盾もあるものです」
時には知らない方が良いこともある。
無知は罪というが、知らない方が苦にならず、幸せに繋がるなら正しいのは無知かもしれない。
しかし、それは甘えという人間もいる。疑うことを放棄した人間に価値はないと厳しい言葉を告げて、『完璧』な解答を導こうとする。
正しさの矛盾。
僕はこの表題に頭を回しながら、帰路についた。