最近、寝起きの調子が特に良い。
オレは連日の朝を思い返しながら、朝食をとっていた。
意識が覚醒すれば、次の日が来たことを喜んでいる節がある。日々の生活に心踊っている自分がいる。
無論それはダチとの付き合いではない。新しい女が出来たからでもない。
X。
Dクラスにいる隠れた策士に対して、オレが置いた記号。
船上試験、体育祭でオレを楽しませてくれた人物。
朝の目覚めが良い原因であり、新たに発表された特別試験の対策をそっちのけようと考えるくらいには興味が引かれる存在だった。
オレはここ最近、このXを探すために力を入れている。
クラスメイトたちにXの候補の後をつけさせ、その様子を報告させた。
有力候補と呼べる奴にはオレが直々に出向き、その態度を観察してやった。
手探りで目的の魚を捕ろうとするくらいには原始的で非効率なやり方だろう。
だが、その無駄な過程がオレの心を楽しませてくれていた。
「そろそろ仕掛けてみるか」
オレは集まった情報を頭の中で整理し、Xの正体を暴くための策を導き出す。
今回の特別試験は今までのような個人のぶつかりはない。
クラスの総合点を競い合う学力の比べ合い。必要なのは勉強をするという一点に限る。
しかし、Xは表に出てこない。理由は知らないが、暗躍に徹している。
目立った行動を嫌い、裏方に回っているのがXの特徴だ。
今回の試験で行う対策は勉強会の実施、テスト問題の作成など。
そこで中心となり、率いていくのは鈴音や平田、幸村のような学力の高い奴だ。
自ら参加して意見を言うには目立ったものが多い。
仮にXの学力が優れていて、率いていく中にいたとしても奴は集団に紛れる。
目立ってしまえば、折角せっせと隠した己の存在が露呈するからだ。
よって、Xが動くところは数少ない試験と言える。
「だが、動けるところはいくつかある」
市販で買ったパンを口に運びながら、オレは頭を回す。
今回の試験でも暗躍できる場所はある。
それは作成するテスト問題、解答の奪取、ひいては防衛だ。
どれだけ勉強して問題を作っても、いざ相手クラスに解かせる時、問題や解答を知られていればテストはただの事務作業へと変わる。
オレは今回の特別試験、この暗躍に力を入れていた。無駄な労力を行使することなく、確実に勝利を得れるのはこの方法だと考えていたからだ。
だが、いざシミュレーションしてみればこの方法はリスクが高かった。
1つ、鈴音の存在。体育祭にて裏切り者を出してしまった以上、同じ轍を踏まないように防衛に力を入れるだろう。
特に桔梗への監視は多くなる。最も交渉が楽にでき、Cクラスの勝利…というよりDクラスの敗北に協力的な女を見過ごすことはしない。
そして2つ、オレと似た思考を持っているXがこう考えていないわけがない。
何か対策してくると予想、いや期待をしている。
「なら、それすら踏まえた上で炙り出してやるか」
思考を加速させ、策の概要を纏めていく。
終えれば、一旦思考は止める。
登校時間だ。
中学の時のようにサボりたい気持ちは山々だが、この学校は理由の伴わない欠席を認めず、クラスポイントを減らしやがる。
厄介極まりない制度だ。
オレはバッグ片手に部屋を出る。無駄に広い寮を素早く移動して通学路を歩いていった。
進んでいくと、見覚えのある女を見つけた。
クソ寒い中タイツを身につけない薄水色のショートカットの女。
そいつは伊吹に間違いなかった。
「よぉ、伊吹」
挨拶をしてやれば不愉快そうな面を見せる。
失礼な奴だ。
「……何か用?」
「ああ、お前の勉強の調子を聞きたくてな」
オレと伊吹は今回の特別試験でペアとなっている。
協力して点数を稼がなければ仲良く退学の関係だ。
「順調も順調。勉強の意味すら分からないペアの奴は私に感謝して欲しいね」
「いいぜ、今回は感謝してやるよ。お前の勉強する時間が増えるほど、オレの暗躍の時間が増えるわけだからな」
伊吹が勉強して点を稼げば、オレは勉強に回す時間を暗躍に当てられる。
相手の問題をパクれれば何の問題もない心配だが、オレはオレが失敗する可能性すら踏まえた策を弄している。
だからカムクラと椎名、金田に勉強環境を作らせ、馬鹿どもの面倒を見させている。オレが問題を奪えず、勉強せざるをえない状況になっても、退学者は出させない。
体育祭で培ったカムクラの信用を利用すれば、これの成功も確実だ。
勝利の芽は潰さない。正攻法でもDクラスを叩き潰す手筈は整っている。
もちろん、この考えは一之瀬のような誰も消えて欲しくないという甘っちょろい考えからくるものではない。
理由はシンプル。徴収するポイントが減るからだ。今は30000プライベートポイントしか徴収していないが、クラスポイントが増えればもっと徴収できる。
だが、その時に母数が減っては痛手だ。
それに馬鹿どもの信用を得るついでに退学防止の手段を提供してやれば、反論も消えて素直にポイントを差し出すだろうしな。
「……気持ち悪い。あんたが素直に礼を返すなんてありえないんだけど」
「なんだ、罵倒されたいのか?」
「そんな訳ないでしょ。頭イカれて……るんだった」
「ああ、その通りだ」
従順な女は嫌いではないが、こうやって言い返してくる強気な女の方がオレ好みだ。
「伊吹、オレはそろそろXに仕掛ける。そうなったら、お前にもついてきてもらうぜ」
「……どうせ、拒否権はないんでしょ」
溜息をつきながらも伊吹は意志を見せる。
「そういうわけだ」
笑顔を見せてやればもう一度ため息。
伊吹は話が終わったと判断したためか、歩くペースを上げていった。
ついていってもよかったが、別にカムクラのように伊吹と常日頃から仲が良いわけでもない。
オレは自分のペースで通学路を進んでいった。
───────
時間は、特別試験の概要が説明された頃に遡る。
どのクラスもルールを確認して今回の期末テストの戦略を練っている段階だ。
そんな中、素早く行動を起こした者がいた。
「ふふ、彼は私が失敗すると言っていましたが、果たしてどうなのでしょうかね」
笑みを見せるはAクラスの女子生徒。
片手の杖で体を支えるいたいけな少女、坂柳 有栖だ。
坂柳は同じクラスであり、自身の駒である生徒を引き連れ、廊下に佇んでいた。
目的はDクラスの生徒との交渉。そこで、彼女は自分の策を実行するために動いていた。
現在は下校時間、昇降口に向けて多くの生徒が向かってきている。
昇降口前の廊下にいれば、そこを通る人物を見逃すことはない。坂柳はわざわざ探す手間を省き、目的の人物を見つけるために優雅に待っていた。
そして坂柳の予定通り、とあるDクラスの生徒は何の警戒もすることなく廊下を進んでくる。
周囲に何人かの女子生徒が群がっているが、坂柳にとってそれは些細な問題だった。
「こんにちは、平田くん」
坂柳はわざとらしく杖を突いて一歩出ることで、音で自分に気付かせる。
「こんにちは、坂柳さん。僕に何か用かな?」
平田 洋介。
Dクラスのまとめ役とも呼べる人物。誰にも人当たりが良い好青年であり、優しげある雰囲気は特徴的だ。
噂に違えず、平田は笑って坂柳に応答する。
「ええ。本日の放課後、一緒にカフェにでもいかがでしょうか?」
坂柳は冗談半分でそう告げる。
もちろん、目的は交渉であり、坂柳にとって男性としての平田に恋愛感情など微塵もない。
だが、後にAクラスのリーダーである葛城から今日のことを追及される。その時に都合のいい言い訳を作っておきたかった。
「……ごめん。今日は彼女たちと遊ぶ予定があるんだ」
平田は周りにいる女子生徒たちを目で追いながら謝罪する。
坂柳は誘いを断られる程度で怒らないが、予定を狂わせられるのは面白くない。
すぐに次の言葉を続けていく。
「そうですか。女性人気の高いあなたと私も会話をしたかったのですが、残念です」
「誘いはとても嬉しかったよ。後日坂柳さんの都合に合わせて予定を組むよ」
思ってもいないことを告げる坂柳と本心から他者を不快にさせない言葉を告げる平田。
お互いにクラスではリーダー格と呼べる存在だが、ここまで特色が違う。
「いいえ、その必要はありません。他人の手を煩わせるのは私としても好ましくないので。
だから本当に残念です。あなたとは────特別試験についてのお話をしたかったのですがね」
見惚れてしまう笑みを浮かべる坂柳だが、口にした内容は脅しに近かった。
平田はその言葉を聞き逃すような生徒ではなく、真剣な表情を見せて考える。
そしてすぐに結論を出した。
「軽井沢さん、佐藤さん、篠原さん。ごめん、遊ぶ予定を後日に変更してもらってもいいかな?」
特別試験に関すること。それもAクラスのリーダー格からの半脅しのような誘い。
断るのは簡単だが、もしクラスに何かされることを考慮すれば平田は断れない。
坂柳はここまで想定していた。
「いいよ~。でも今度のご飯、洋介くんの奢りだからね~」
平田の真剣な表情を察した軽井沢はすぐに了承する。
彼女である軽井沢がそういえば、他2人は強引に言葉を重ねられない。
場の空気を読む力があることを坂柳は評価した。
「彼女であるあなたならご同席構いませんよ、軽井沢さん」
「あ、本当? なら私も参加する~」
緩い会話の中で軽井沢の参加が決定する。
「坂柳さん、もう一人参加させたい人がいるんだけど良いかな?」
「構いませんよ」
話は纏まったので、集団は移動を開始した。
ケヤキモールにあるカフェに入り、席を確保できたので話は再開される。
「誰を呼んだの洋介くん?」
席に着いた軽井沢は彼女らしく平田の横を陣取った後に質問する。
「堀北さんだよ。特別試験の話をするなら彼女がいた方が上手く話してくれる」
その人物を聞けば軽井沢は納得の意を見せた。
「確かに~。堀北さんいなきゃ話が始まらないまであるよね」
「お噂は兼ねがね聞いております。私も話したことがないので是非会話してみたいです」
坂柳は社交辞令を返しながら自身の掌でことが進んでいることに退屈を感じ取る。
特別試験の話をするとなれば平田が堀北を呼ぶことくらい想定していたからだ。
だが、坂柳はすぐに気持ちを切り替える。
何せ先日、自身の尊敬するカムクラとの会話の中で堀北が坂柳の予想を超えてくると言っていたからだ。
「待たせたわね」
噂をすれば影がさす。
坂柳は堀北の登場に少々心躍る。
無論、坂柳は超えられるつもりなどない。その自信もある。
だが、堀北が自分の遊び相手になると考えると、内に期待が湧いてくる。
「初めまして堀北さん。私はAクラスの坂柳有栖です」
「ご丁寧にありがとう。私は堀北鈴音よ」
自己紹介を終えれば2人はお互いに分析。
同時にここからの会話を聞き逃さないように集中する。
「今日は特別試験について話がしたいと聞いているわ。用件を教えてくれないかしら?」
早速本題に入る堀北に対して坂柳も応じる。
連れてきた駒の1人に持たせていた紙を堀北に渡させる。
「それは
あまり人に聞かれてはいけない用事ですから、そこはご注意ください」
黙読している堀北にそう忠告する坂柳。
紙に書かれた内容は次の特別試験における対戦クラスの決め方について。
それを了承することでDクラスが得られる利益についてももちろん記載していた。
「これは……」
堀北は読み終わるとすぐに絶句する。
その内容が特別試験で有利になるためのものではなく、Aクラスを陥れるためのものだったからだ。
端的に今回の取引を述べるなら、DクラスはAクラスと特別試験を戦えば勝たせてやるというもの。
坂柳の目的はあくまで現Aクラスのリーダーである葛城をその地位から引き摺り下ろすことなので、この契約はDクラスに大きな利があった。
月にもらえるプライベートポイントの量が減ってしまうのは否めなかったが、それでも自分がトップに立つために必要な経費と考えた。
既にAクラスの内側からの侵食は始めている。葛城派の人間を少しずつ坂柳派に取り込む作業は順調だ。
後は大きな失敗さえあればAクラスの内部抗争は始まる。その段階まで駒を進めている。
「どうです、検討してくれますか?」
坂柳は堀北が読み終わってから一分後に再度話しかける。
試しがてら、超分析力を有し、サファイアのように青い瞳で堀北を射抜くと、堀北は研磨されたナイフのような鋭さがある切れ長の目を押し付ける。
怯むことない堀北の様子に坂柳は敵とみなせると判断し、その事実を純粋に喜ぶ。
凛とした雰囲気のある堀北は他クラスのリーダーとはまた違った強さを感じ取った。
「検討の余地はあると感じたわ。私たちDクラスにデメリットはない。
自クラスを陥れようとするその行動は理解できないけど、Aクラスが自滅してその距離が近づくのは願ってもないわ」
隣の席で取引内容を確認する平田と軽井沢も頷く。
総意、そう判断した坂柳は次のステップに入る。
「取引は成立の方向で話を進めて構わない、ということですね。
では、この取引の可決猶予は今日の20時までにしましょう。それまで是非悩んでください。
それと期限を過ぎたら、この取引はBクラスにする予定なので、もし断ってもこの情報を漏らさないでくださいね」
頼んだコーヒーで喉を潤す坂柳。
時間制限を付ければ、よりスムーズに事が運ぶだろうという一押しだ。
が、Aクラスを望むDクラスからすれば喉から手が出るほど欲しい提案なのですぐに可決してくるはず。
坂柳はそう考えていた。
「いいえ、その必要はないわ」
しかし、堀北は断った。平田と軽井沢は困惑しているが、堀北は目線を彼らに向け、自分を信じてほしいと添える。
薄い笑みが表情に現れる坂柳。
期待を込め、再度、超分析力を持つ視線をぶつける。
「坂柳さん、確認するわ。この紙は
「ええ。間違いありません」
「もう1つ聞かせて。この紙は
その質問に期待が大きくなる。
同時にカムクラの言う通り、自分が堀北の事を甘く見ていたことを認識した。
「どうしてそう思ったのですか? その紙には取引内容もその報酬も書いていたはずですが」
「確かに内容も報酬も書いていたわ。けどこの紙の役割はそれだけでしょう。
契約書のようにサインを書く場所もなければ、裏切らないという保証が書かれているわけでもない」
「フフ、その通りですね。その紙にはそんな保証なんてありません」
坂柳は堀北の分析能力、注意力に免じて正直に答える。
「認めたわね。はなっから裏切るつもりだったということは最終的にテスト問題を入れ替えることでもしようとしていたのかしら?
まったく油断ならないわ」
「随分具体的ですね。あなたも裏切りのことを想定したから気付いたと言った所でしょうか。
意外ですね。Dクラス内部に裏切りをしようとする人でもいましたか?」
「次の特別試験は問題の流出が最も危険というのは分かり切ったことよ。
だからこそ、裏切者がどんな行動に出るかを想定するのは当然。そうでしょう?」
「フフ、なるほど。そういう考え方も出来ますね」
期待に応えてくれた堀北がどんな反応を見せるか知りたくなった坂柳は惚けたふりをしてみる。
「坂柳さん、私を試すために適当言うのは止めてくれないかしら?」
「何のことでしょうか?」
しかし、それもすぐにばれてしまう。
坂柳は確信した。確かに堀北は敵とみなせたが、葛城と神室を混ぜたタイプであり、今でも大した障害ではないと思っていた。
だからこそ、この紙を契約書と勘違いし、簡単に手玉に取れる程度の存在だと思っていた。
だが、堀北は特別試験を経て成長したのだ。坂柳が見誤ったのはその光景を自分の目で見ていなかったからだった。
駒から報告を聞いていたが、Dクラスが勝てたのは綾小路の暗躍が大きいと判断していた。
それは間違いではない。
確かに綾小路は暗躍していた。それがなければDクラスはここまで成長していない。
だが、成長の可能性を掴んだのは堀北だ。
Dクラスのリーダーになれる素質は開花し始めている。ホワイトルームの最高傑作である綾小路を十分に隠せる蓑として十分に機能している。
「あなたのその話し方、知り合いに似ていて鼻につくのよ。
自分の方が上であると思っている人の話し方だわ」
堀北は勘でそう言う。
この話し方がカムクラを連想させたからだ。
「フフ、それは申し訳ありません。生まれてこの方、このような話し方しかできないのですよ」
「慇懃無礼な態度ね。あなたと葛城くんが合わない理由がなんとなく分かったわ」
堀北はカムクラとは性格が合わないが、葛城とは別に合わないわけではない。
むしろ、秩序を重んじて、仲間を大切にする葛城は好意的に見ることが出来る。
一方で坂柳は葛城と合わない。その性格が真反対と呼べるものだからだ。
そして、坂柳はカムクラと性格が合う。
人には相性があることが証明される瞬間だった。
「さて、話が逸れてしまいましたので戻しましょう。
堀北さん、Dクラスはこの取引を受けますか?」
「受けないわ。メリットがたくさんある取引だけど、話されていないことが多すぎる上に裏切りの可能性がチラついてしまう」
「交渉決裂ですか。残念です。でも、あなたの噂が真実だったということに気付けたと考えれば十分な成果です」
暗に下に見ていたと告げられても堀北は動じない。
入学当初と変わらずプライドは高いままだが、食って掛かったりせずに受け流す。
「一応言っておくけど、DクラスとBクラスは友好的な関係よ。
このことを親切で報告する可能性がある」
「報告しても構いませんよ。難易度が高くなければ、ゲームは盛り上がりませんしね」
坂柳はそう言って立ち上がる。
会計札を持って机から去っていく。
「あれがAクラスの坂柳さん。厄介な人ね」
「でも堀北さんも負けてなかったじゃん。さすがDクラスのリーダー!」
「それは相手が私のことを舐めていたからよ」
軽井沢が堀北のことを持ち上げるが、堀北はにこりともせずに言葉を返す。
堀北は坂柳の魔の手を振り払ったからと言って有頂天にならない。
坂柳有栖が油断ならない存在と判断し、今日の出来事をしっかりと記憶する。
連れの人物と話す坂柳の背を捉える。その背を掴む時こそ、Aクラスへ昇進する時だ。
「平田くん、少し良いかしら?
以前から相談していたことを私に任せてくれないかしら?」
堀北は平田にそう言う。
以前から相談していたこと、それをすぐに読み取った平田は落ち着いて言葉を返す。
「僕は構わないと思う。
けど、このポイントはクラスの財産。どこで使うかは皆に説明してからして欲しい」
「ええ、分かっているわ。でも、万が一の時の行使権は私に一任してほしい。
もちろん、失敗した時はその責任を取るつもりよ」
「……わかった。もう少しこの話の詳細を決めていこう。大事な話だからね」
堀北と平田はドリンクをもう一杯頼み、込み入った話をしていく。
軽井沢はその話について知らないようだが、何となくその場に留まった。
「結局、イズルくんの言う通りでしたね。
しかし、予定通り進めましょう。今度はBクラスと取引を行い、この立場ともおさらばしましょうか」
かくいう坂柳は背中に突き刺さる情熱的な視線に気づきながらも歩みを止めずにカフェから去っていた。
追う者と追われる者。どちらも女性のリーダー格。
小さな火花は既に散っていた。
──────────
最後の授業が終了してから1時間が経過した放課後、櫛田桔梗はまたもや踊り場で人を待たせていた。
廊下を自分のペースで歩き、目的地に向かう。
先ほどまで勉強会の真っ最中であった櫛田は体調が悪いとクラスメイトに告げて抜け出し、特別棟の踊り場に足を運んでいた。
特別棟。この学校では珍しく、監視カメラの数と人の出入りが少ない場所であり、秘密の会話をするにはうってつけの場所だ。
到着して指定の位置まで向かうと、待ち人は茶封筒片手に佇んでいた。
「……やっぱり、あんたなのね」
普段の陽気な雰囲気はそこにはなく、怯えた表情を必死に隠そうとしている櫛田。
しかし、1人の少女が強姦された過去を思い返すように顔が歪んでいく。
「ええ。その表情を金田くんにまで見せたくはないでしょう?」
「誰のせいでっ……!」
待ち人の名はカムクライズル。
超高校級の希望と呼ばれる怪物だ。
カムクラは悔しそうに唇を噛む櫛田を蟻でも見るように見下したまま本題に進む。
「依頼されていた問題と解答です。ご確認お願いします。
ないと思いますが、提出する際、もし学校側の修正があったら教えて下さい」
カムクラは茶封筒を櫛田に手渡す。
中身は次の特別試験で提出する予定の問題とその解答。
Cクラスの問題ではない。これはDクラスが提出する予定の問題だ。
なぜCクラスの生徒がDクラスの提出する予定の問題を提供しているか。
その理由は櫛田と龍園の取引にある。
まず、櫛田はDクラスの堀北を退学にさせるためにある勝負をしている。
それは期末テストにおける数学の点数勝負。
櫛田が勝てば堀北は自主退学、堀北が勝てば櫛田はクラスに協力的になるという堀北にとっては分の悪い賭けをしていた。
今回の特別試験はテスト問題を生徒が作るという試験。つまり、予め出題される問題を知っていれば簡単に突破できる試験と言える。
櫛田はそこを利用して対戦相手であるCクラスの数学の問題と解答を入手しようと現在の取引を行った。
それこそが対戦相手であるCクラスに問題を作らせることに繋がる。テスト本番に出題される問題の答えを既に知っていれば、100点を取ることは容易だ。
「……簡単そうに見えれば難しそうにも見える。……普通の問題って感じもする」
茶封筒の問題を確認すると櫛田は問題をそう評価する。
この確認作業で質問が出てしまう可能性があったので、今回は龍園ではなく、カムクラが交渉人だ。
龍園はお世辞にも学力が高いとは言えず、テストの問題を作れるほどの技量はない。
そして当然、その問題の修正などできない。
「龍園くんからの伝言があります」
カムクラは櫛田の感想にリアクションもせず、話を続けていく。
「『本当に勝ちたいのならプライベートポイントを使え』との事です。もし必要なら50万プライベートポイントまでは融通を利かせてくれるようですよ」
「……それは提出する問題に対して使えってこと?」
「ええ。提出した問題を固定化するためにプライベートポイントを使用する。確実に問題を提出できた、その事実を作るためなら安いでしょう」
龍園は様々なことを想定して計画を立てる。
この対策もその一つだ。口約束よりも堅固な保護を。
計画の綻びを生まないために手を打っている。
「でも、こんなの無意味じゃない? 堀北も同じことすれば相殺されるだけ、金の無駄」
「ええ。もし堀北さんが50万プライベートポイントを用意出来れば、双方同じ金額をぶつけ合ってチャラにするだけ。ダメージは等しくいくでしょう」
プライベートポイントを突破するには同じくプライベートポイントしかない。
だが、ポイントは無駄にしたくない。皆そう考える。
「しかし、それはそれで良い。今回の彼の目的はあくまでX。Xを誘き寄せられれば軽い出費と考えているでしょう」
「はっ? プライベートポイントを相殺することがどうしてXに繋がるのよ」
「……それを、あなたに説明する必要はありますか?」
カムクラの無機質な声質に櫛田の身体は再び震えだす。
櫛田桔梗の精神は大したものだ。
カムクライズルが発する絶望の雰囲気を受けて尚、正気を保っていられるのだから。
しかしそれは完全に耐えきったわけではない。
受けたダメージは深刻で耐性があるわけではないのだ。
「船上試験、結果的に堀北さんの希望が大きくなったので良しとしますが、あなたは本当にツマラナイ選択をしました。
まだあなたには僅かな期待をしていますが、それでも見限る一歩手前なんですよ」
「……だから何? あんたの期待なんて知ったことじゃない。私は私の目的のために動いているのよ」
「ええ。それで結構です。そのまま突き進むのも変わっていくのもあなたの自由です。
ですが、だからこそ勿体ない」
「……気持ち悪い。何が言いたいのよあんた!」
声を荒げる櫛田。
憎悪の感情がたっぷり乗っている言葉をカムクラは受け流し、返答する。
────あなた、ここで変わらないと自主退学しますよ。
カムクライズルはありとあらゆる才能を持っている。
超分析力、探偵、存在する分野の学者。これらは氷山の一角でしかない。
そんな天才からの余命宣告。
櫛田は絶句するしかなかった。
「最後の希望です。あなたが僕に泣きつかないことを願っています」
そう言って背を向けるカムクラは自クラスで行っている勉強会に戻っていく。
他者に何かを教える才能はもちろん持っている。
クラスメイトに対して、徹底的ではないとはいえ、その才能を用いて学問を手解きしている。
単純な学力勝負をすれば、Dクラスはまず勝てない。
そのレベルまで達していた。
そうならないために、行動を皆が起こす。
だが、櫛田は止まれない。
たとえそれがつまらないものでも、櫛田桔梗の執着は抑えられない。
次が連投最後