ようこそ才能至上主義の教室へ   作:ディメラ

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殻を破るための一歩

 

 

 

 

 

 

 

 繰り返される勉強の日々に、多くの生徒が憂鬱になりながらも日付は刻まれていく。

 肌寒い季節もこれからが本番。12月に入り、期末試験までいよいよ3日を切った。

 明日からの土日、学校は休みで月曜日には期末テストが開始する。

 今回の試験、Dクラスは約一ヶ月、テスト対策をクラスで行ってきた。

 そして今、その集大成に入った。

 堀北は茶封筒片手に職員室への道を歩きながら濃かった日々を思い返す。

 期末テストの対戦クラスを決めるために行った坂柳との対談、Cクラスに解かせる問題の作成、櫛田への対策と勝負、図書館でのカムクラ襲来。

 どれも対処が大変だったのは記憶に新しい。

 クラスメイトとの勉強会は教えるということには慣れてきたので苦にはならないが、中々レベルが上がらないクラスメイトに呆れてどっと疲れが押し寄せることもあった。

 しかし、堀北は何となくこんな時間に満足感を覚える自分がいたことを不思議に思っていた。

 忙しいことに満足感を覚える私はもしかすると生粋の仕事人間なのかもしれない。

 そんなくだらないことを考えながら堀北は階段を上っていく。

 

「本当に色々とあったわ」

 

「大変だったみたいだな」

 

 隣を歩く綾小路が他人事のように告げる。

 今回の特別試験対策に綾小路は殆ど介入しなかった。体育祭ですら一矢報いる情報を集めていたが、今回はそれすらしてない。

 退学の可能性があるグループを纏めたり、その橋渡しになるなど多少の手伝いをしたが、無人島試験、船上試験のように積極的な協力をしてはいない。

 堀北はそう感じていた。

 それもそのはず、綾小路は今、協力しないのではなく出来ないのだ。

 それはCクラスが行うX探しのせい。

 龍園が必死こいて探しているXとは、綾小路のことだ。

 ここでまた目立ってしまえば龍園に新たな手掛かりを渡してしまう。

 綾小路はそれを危惧して目立った行動を控えていた。

 

「見込みはどんなものだ?」

 

 綾小路は茶封筒を見ながらそう告げる。

 

「どうかしら。あんまり期待はして欲しくないわね。学校側の調整も入っているし。

 けれど、これまで受けてきた試験の中では一番難しいものに仕上がったのは間違いないわ」

 

 皆で懸命に作ったテスト問題。様々な問題集を参考にして作ったDクラスの命運だ。

 調整もあったが、それでも手堅く仕上げた。

 受理してもらう時の不安はなく、強い一歩を踏み出せる。

 

「万が一の対策はしたのか?」

 

 万が一。綾小路の言うそれは、櫛田のことだ。

 だが、堀北はこちらも対策を立てている。

 坂柳との取引でこの試験における裏切者の危険度は重々承知している。

 賭けのこともあり、櫛田は堀北のことを全力で退学にしようとするはずだ。

 その際、手段は選ばない。

 

「手は尽くしているわ。けど、ここからが本番と言った所かしら」

 

「そうだな。確実にテストを受理してもらわなくてはいけない」

 

 Cクラスと協力してくるのは当然想定している。

 体育祭同様、直前で問題を確認してCクラスに流す可能性。

 予め問題を提出して期末テストの受理を終わらせ、後から提出した私たちの問題をなかったことにする可能性。

 先手か後手か。

 どう仕掛けてきてもしっかりと対策はしていた。

 

「本当はあなたにももっと協力して欲しいのだけれどね」

 

「オレが手伝っても大したことは出来ないさ」

 

 綾小路はそう言って前を向くようにアイコンタクトをしてくる。

 角を曲がってまっすぐ進めばすぐに職員室。警戒しろと言わんばかりのこの仕草に気を張りすぎな気がしたが、堀北は念のため従っておく。

 

「よう鈴音」

 

 職員室に向かう廊下の途中で、堀北の名を呼ぶ生徒と鉢合わせする。

 良く見知っている人物。だらしなく着こなした制服は不良のような特徴がある。

 その男、龍園は門番のように廊下に立っていた。

 

「偶然……そんなわけないわね」

 

「そういうことだ。お前を待っていた」

 

 不敵に笑う龍園。

 職員室への道はここからしかないため、龍園も職員室に用がある。

 そう考えるのが妥当。

 しかし、龍園はポケットに手を入れている。茶封筒を持っていない。

 手ぶらでここにいる。それが意味するのはテスト問題の提出を終え、ここで堀北達を待ち伏せしていたということだ。

 何か目的があるのは明白。

 堀北は警戒を強め、龍園との話に臨む。

 

「助手の方も元気そうじゃないか鈴音。今回も頼りに頼ったのか?」

 

「今回“も”? 馬鹿言わないで。私は綾小路くんに頼ることなんて一度もしてないわ」

 

「……え?」

 

 綾小路は堀北の言葉にわざとらしく驚愕する。

 戸惑った様子で堀北を見ていた。

 

「酷い言い様だな鈴音。綾小路は困惑しているぜ。出来の良い部下には褒めてやらなきゃ愛想を尽かされるぞ」

 

「問題ないわ。たとえ私が罵詈雑言を言っても彼は奴隷のように動いてくれる存在だから」

 

「…………え?」

 

 先程と同じように困惑した様子を見せる綾小路。

 二回目の反応が一回目よりも間があったが、堀北は気にしていない。

 

「犬野郎が。だが、そういう性癖を持っているからと言って、お前がXではないと判断するほど俺は甘くはないぜ」

 

「待て龍園、お前は勘違いしている」

 

「勘違いだ? ……クク、まさか今この場で自分がXとでも言う気になったか?」

 

「いや、それも違う。だがそれよりも、オレにそんな性癖はない」

 

「どうだかな」

 

 龍園は綾小路の言い分を聞く気はないようだ。

 しかし堀北はそんなことよりも龍園の中で綾小路がXの候補として入っているという事実に思考を巡らせる。

 堀北とよく一緒にいるし、手伝いをしていることから候補に入るのは順当。

 可笑しなことはない。むしろここで動揺する方が怪しさを際立たせる。

 見せる態度は無関心が最適。

 堀北はそう思考を終え、龍園の横を通り抜けるように歩き出す。

 

「で、調子はどうだよ鈴音。まぁ、お前ら不良品が絞り出した知識なんてたかが知れているがな」

 

 堀北の右側に位置するように龍園がついてくる。

 綾小路は堀北を守る素振りすら見せず、左側を歩く。

 

「さぁ、少なくとも暗躍ばかりして勉強をさぼっているような人を退学させるレベルの問題は作ったつもりよ」

 

「ククク、安い挑発だな」

 

「お互い様よ」

 

 堀北に口撃してくる龍園はこんな会話を楽しんでいる。

 よって、相手にするのは面倒と堀北は判断し、歩く速度を上げて目的地へ直行した。

 しかし、龍園は目的地である職員室の前に辿りついても監視を止めない。

 堀北はその行動を一旦無視して茶柱を呼び出す。

 

「持ってきたようだな」

 

 すぐに廊下へ出てきた茶柱。

 用件は既に分かっているようで、視線だけを茶封筒に落とす。

 傍に龍園がいる。

 だが、こちらの様子を見ているだけで妨害する気は見せない。

 堂々と監視しているが、その様子は大人しい。

 茶柱も視認したが、注意するつもりはないようだ。

 

「早く帰ったらどうなの?」

 

「なんだ、俺がここにいたら不都合なことでもあるのか?」

 

 にやにやと笑う龍園。

 何が目的でこの場を観察しているかは分からない。茶化すためだけに残っているとも思える。

 だが、何かある。龍園にはそう思わせるだけの雰囲気が十分あった。

 

「……提出する前に確認したいことがあります」

 

 堀北は茶柱との話を再開する。

 堀北が何を言っても龍園は退かないし、観察するだけなら不愉快なだけでルール違反を犯している訳でない。

 むしろ、強引に退かす方が横暴と言える。

 

「以前言っていたことだな。今日になるまでで、お前以外に期末テストの問題を提出したかどうかの確認をしたいと」

 

「はい。加えて、期末試験のルールを教えてもらった日に約束したことの確認もさせてもらいたいです」

 

「『堀北鈴音が問題文提出の権利を持っていること』『堀北鈴音以外の誰がテスト問題を提出しても受理するフリをして欲しいこと』の二つだったな。

 結論から言うと────その約束は守れなかった」

 

「……そうですか」

 

 茶柱はゆっくりと事実を告げる。

 堀北が行ったのはただの口約束。絶対に守る保証なんてないものだ。

 間接視野に映る龍園が愉快気にこちらの表情を見ている。

 しかし、この程度で堀北は動じない。

 

「……随分と落ち着いているな。正直、約束を守らなかった私に悪態をつくものと思っていたんだがな」

 

「少しはその気持ちもあります。けど、約束を破らざるを得なかった。

 先生がそんな状況になったのではないかと私は推測しています」

 

「ほぉ、ではその推測とやらを聞かせてもらおうか」

 

 堀北は頷き、話を進める。

 隣で話を聞いている綾小路やこちらを監視し続けている龍園に自分の想定を披露していく。

 

「率直に聞きます。茶柱先生、櫛田さんから先にテストの問題を受け取っていますね? 

 それもプライベートポイントを払われていますよね?」

 

「……驚いたな。この試験でクラス内の騙し合いが起こることすら滅多に起きないのに、ここまで高度な読み合いが展開されているとはな」

 

 茶柱は目を丸くした後、感心する。

 ほとんど崩れない茶柱の表情筋は分かりやすく動いていて素の反応だと感じ取れる。

 

「その反応は肯定ですね?」

 

「ああ、そうだ。お前の言う通り、櫛田桔梗がDクラスの問題を既に提出し、すぐに受理するようにプライベートポイントを掛けている。

 残念ながらこれが受理されることはないだろうな」

 

 茶柱は茶封筒を示しながらそう言う。

 櫛田が選択した方法は先に問題文を受理させてDクラスの問題文を都合の良い問題で固定するというもの。

 ここで言う都合の良い問題とはもちろんCクラスの益になる問題のことだ。

 体育祭の時のように後から確認する手段は堀北が提出日直前に問題を提出して、その日の提出期限時間まで職員室監視に時間を割けば簡単に防げる。

 櫛田の気持ちが本気である以上、簡単な策を弄しないと判断していた堀北はこうなることを想定していた。

 

「クク、どうすんだ鈴音。絶望的なこの状況をどうひっくり返すんだ?」

 

 静観していた龍園が余裕を含んだ笑みで割り込んでくる。

 勝ちを確信した高笑いではなく、落ち着いた雰囲気から現れる口元が僅かに弧を描く笑み。

 鷹のように鋭い目つきでこちらを観察する龍園はただの不良に思えない。

 例えるなら、ドラマや小説に出てくる極道。

 石崎や小宮の雰囲気を不良やチンピラの類とするなら、龍園はそう評することが出来た。

 

「簡単よ。プライベートポイントに対抗できるのはプライベートポイントだけ。

 櫛田さんが払った分のポイントより1ポイントでも多く払って、この問題を受理してもらえばいい」

 

 そうすれば櫛田の裏切り行為は防げる。

 ここまでは想定通り。堀北は櫛田が本気で退学させようとする際にプライベートポイントを使用してくることを読んでいた。

 だが、問題はここから。

 櫛田には確実にCクラスからの援助がある。

 援助されたポイント次第ではDクラスからポイントを集めて回っても払えない。

 Cクラスのクラスポイントは530、Dクラスは185。

 一人当たりに支給されるポイントは非常に差があると言っていい。

 そして龍園は自クラスでポイントを徴収している。

 オークションの競りのようにポイントを出し合うことになればDクラスに勝ち筋はない。

 

(けど、龍園くんも無尽蔵にポイントを吐き出したりしないはず)

 

 仮に競りのようになっても泥沼化するのは目に見えている。

 龍園は見た目に似合わず、引き際を弁えている。

 ある程度の見積もりを立てて櫛田への援助金額を決めている。堀北はそう推測していた。

 そしてそのポイントさえ超えられれば、裏切りは防げると。

 

「クク、Dクラスのお前たちに払えるほどのポイントであればいいな」

 

 白々しい龍園に堀北は軽蔑する目を向けてやるが、龍園は余裕を崩さない。

 むしろご褒美と言わんばかりに笑っている。

 

「茶柱先生、払わなければいけないポイントはいくらですか?」

 

「50万プライベートポイントだ」

 

 茶柱はもったいぶらずにその事実を告げる。

 膨大な金額。用意するには非常に大変な金額だった。

 

 

「そうですか。なら────今すぐ取引をしましょう」

 

 

 しかし、堀北はすぐに了承した。

 確かにCクラスとDクラスのクラスポイントや合計プライベートポイントの差は大きい。

 だが、Dクラスにも蓄えはある。

 船上試験。あの特別試験で得たプライベートポイントは200万。

 これは平田がクラスのために使うと決め、管理しているポイント。

 体育祭で高円寺と綾小路の代走分で引かれているので今は180万だが、それでも今回の取引に支障はきたさない。

 そして今、堀北は平田からそのポイントを預かっている。

 これで、問題は解決。堀北は茶柱にポイントの残量を見せる。

 

「なるほど。確かに金額は確認した。これより正確に受理させてもらうとしよう」

 

 茶柱が堀北の携帯を受け取ろうとする。

 しかし、

 

 

「待てよ、鈴音」

 

 

 龍園の声が反論の兆しを創った。

 不気味に笑いながら龍園は堀北の隣まで距離を詰める。

 

「その取引、オレにも掛けさせてくれよ」

 

「何を言っているのかしら? これはDクラスの問題。他クラスのあなたには関係ないことよ」

 

「それは違うな。Cクラスは特別試験でDクラスの対戦クラスだ。

 なぜだか知らねぇが(・・・・・・・・・)、Dクラスには裏切り者がいるみたいだからな。

 ここでそれを聞いたオレは自クラスが勝つために、裏切者が掛けたポイントにさらにポイントを上乗せしたい。

 どうだ、茶柱センセイよぉ? 筋は通っているだろう?」

 

「……そうだな。そのポイントの使い方に何の問題もない」

 

 茶柱の肯定に龍園は笑みを深める。

 

「というわけだ。鈴音、オレはさらに追加でポイントを払わせてもらう。

 お前が用意してきたポイントが尽きるまでな」

 

 恐れていたことが起きてしまう。

 龍園はこの状況を予想していたのだろう。

 だから、茶封筒を持たずにこの場にいた。

 点と点が繋がっていく。

 

「……愚策ね。そんな無駄なポイントの使い方をするなんて」

 

「そうだな。確かにこれは愚策だ。無駄なポイントの使い方と言っていい。

 オレとしてもこの出費はかなり痛手だ。出来れば避けたいものだった。だが、お前らはもっとひどい状況になるだろ?」

 

「……身を削って勝利を得るというのね。ギリギリな戦い方だわ。品がない」

 

「だな。だが、現にお前は追い詰められている。どんな手段でも勝つのはオレだ」

 

 罵倒する堀北を龍園は涼しい顔で受け流す。

 

(やられた。龍園くんがここまで捨て身の戦法を出て来るなんて……)

 

 この戦いに勝つことで得られる100クラスポイントにここまで執着してくると堀北は思わなかった。

 何せリスクの大きい手段だ。消えるプライベートポイントは200万以上。

 そう見積もっている堀北はリスク度外視の龍園の行動にしてやられてしまう。

 

「支給されるクラスポイントが低いお前たちがせっせと集めたポイントを消せればお前たちの貯蓄はなくなる。

 何もなくなったお前たちに奥の手はなくなる。そうすれば、お前らの参謀……Xも黙っていない」

 

「まだそんなことを言っているのね。Xなんて存在はいない。

 船上試験や体育祭であなたに対抗したのは私だといい加減認めてくれないかしら?」

 

「クク、嘘はいけないぜ鈴音。いい加減認めるのはお前の方だ」

 

 龍園はそう言って堀北の肩に手を回してくる。

 その行動は慣れた手つきで行われ、堀北はいっそう龍園への侮蔑が深くなる。

 

「諦めてゲロっちまえよ。それにもしXが誰かを言えば、オレはベットするポイントを上乗せしないかもな」

 

 その言葉に一瞬思考が止まる。

 Xの存在を言えば、試験での勝ち筋が残る。

 その事実が堀北の頭に張り付く。

 しかし、

 

「……何度も言わせないで。Xなんていない」

 

 堀北は龍園の手を振りほどいてそう告げる。

 今しがた考えた可能性を頭の中から消去していく。

 堀北はそんなことしない。やっとできた繋がりなのだから。

 

「ククク、やっぱお前は良い女だ。度胸があって肝も据わっていやがる。

 退学するには勿体ない。勿体なさすぎるぜ」

 

「何を言っているのかしら。私が退学することはないわ」

 

「どうだろうな。今回のテスト、このままいけばお前は退学するだろうぜ。

 それも自主退学だ。オレの言っている意味、分かるよな?」

 

 自主退学。その言葉を強調してくる意味。

 それは龍園が櫛田と裏で繋がっていることの証明だった。

 堀北と櫛田の賭け、それは堀北が負ければ自主退学になるというもの。

 

「私は負けないわ。仮にこのままいってもお互いに100点を取れば引き分け。賭けは成立しない」

 

 意味を察して返した堀北の言葉に龍園は顔を手で覆う。

 クク、という独特な笑みを抑えている。堀北はそう思った。

 だが、手をどけて見せるその顔に笑みはなかった。

 厳粛な表情を浮かべていた。

 感化されるように、堀北はもう一度気合を入れ直して話に臨む。

 

「これは忠告だ鈴音。Cクラスの問題の難易度は非常に高い。

 何せ作ったのはカムクラだ。意地の悪い問題が多々あるだろうぜ」

 

「それで? カムクラくんが作った問題だと私は満点が取れないとでも言いたいのかしら?」

 

「そうだ。絶対取れないなんて言う気はないが、それでも取れない可能性が高い。

 そうすれば、お前は必ず自主退学する。約束を反故にするなんてことはオレの知る堀北鈴音はやらない」

 

 龍園は真っ直ぐ堀北のことを見てそう告げる。

 今まで馬鹿にされるような言葉しか言われてこなかったが、初めて龍園に敵として認識されている。

 それがはっきり伝わっていた。

 

「あの女はお前に並ならぬ感情を持っている。それがなぜかは知らない。

 だが、本物だ。賭けの内容を信じて本気でお前を退学にしてくる。しかし、オレとしてはそれは面白くない」

 

「あなた何を言っているの? それは私が退学することを望まないような言い方ね」

 

「ああ、そう言った。オレは────お前が退学するなんて望んでいない」

 

 嘘か? 

 堀北はその可能性を一番に浮かべた。

 だが、その気迫と表情に嘘はない。直観がそう判断する。

 

「訳が分からないわ。何のつもりかしら? 

 敵である私に情けをかけているつもりなら遠慮するわ」

 

「クク、情けのつもりはないぜ。

 言うなれば、好みの話だ。お前かあの女か。オレはお前を選んだだけだ」

 

 堀北は龍園の行動理由を何となく察した。

 

(……櫛田さんを裏切った?)

 

 堀北を選んだ。堀北のその認識は正しかった。

 龍園は櫛田の陰謀よりも堀北が退学しないことを選んだのだ。

 

「さて、回りくどくなったが本題に戻ろう。鈴音、オレはお前が退学することを望んでいない。

 だが、特別試験で負けてやるつもりはない。だからポイントをさらにかけることをやめるつもりはない」

 

 当然の主張。龍園は堀北の退学を望んでいないだけ。

 絶対に止める訳ではない。優先順位は試験の勝利の方が上だ。

 

「だが、ここで提案がある。もしお前がXの存在をオレに教えれば、ポイントの上乗せは止めてやる」

 

 それは悪魔の提案だった。

 特別試験で勝つために、Xの……綾小路の存在をばらす。

 そうすれば50万プライベートポイントを払うことで櫛田の問題を撤回して次の試験で対等な学力勝負に持ち込める。

 しかし、それは了承できない。

 堀北にとって綾小路は、そう簡単には切り離せない存在だ。

 恋愛感情ではない。この学校でAクラスに上がるために必要不可欠な力を持っているからだ。

 綾小路は目立つことを嫌い、実力を出そうとしない。

 堀北にとってそれは理解不能だ。しかし、綾小路の力は必要だ。

 今、Xだということがバレてしまえば綾小路は堀北に一切の協力をしてくれないかもしれない。

 

(……それは、ダメだ。私は未熟だ。1人で何でもできると思っていた時とは違う。

 彼を切り捨てるようなことをしてはいけない)

 

 堀北はそう断定し、虚勢を張る。

 

「……私がその提案を呑むとでも?」

 

「吞まざるを得ないだろう。お前は諦めない。

 だがそれはXの存在をばらさないことにではなく、特別試験で勝利することをだ」

 

 龍園は淡々と告げていく。堀北に対する分析は正しい。

 堀北は自分の性格を知られていることにむかっ腹が立つが、すぐに抑えて逆転の一手を考える。

 だが、考えても考えても一向に思いつかない。

 

「Xは誰だ、鈴音」

 

 龍園は単純作業をするように堀北に問い詰める。

 

「自分だと言ってもオレは認めない」

 

「……私の答えは変わらないわ。あなたの言うXなんていない」

 

「本当にそれでいいんだな? オレは躊躇わねぇぞ。

 お前を敵として認めているからこそ、容赦はしない」

 

「あなたが私のことを敵としてみていたのね。意外だわ」

 

「……クク、本当に強気な女だ」

 

 龍園は僅かに声量を落として告げた。

 結末に納得しない時のような不満さが隠れ見えている。

 

「お前がポイントを掛ければオレも掛ける。

 だが、この状況ではもうそれも無意味だ。お互いに無駄なポイントを使う必要はない」

 

 そもそも堀北が50万プライベートポイントを払わなければ龍園が上乗せベットしなくていい。

 結果は櫛田の問題が受理されて特別試験で不利になる。いや、敗北する。

 Dクラスの問題は櫛田が答えを流しているからだ。

 その対価として櫛田はCクラスから数学の問題と解答を事前に受け取る。

 そうすれば取る点数は100点。

 堀北が退学しないためには、Cクラスの問題を自力で100点を取るしかない。

 だが、カムクラが作った問題となれば難易度は非常に高い。多少学校の修正が入っていても、至難の業だ。

 しかし、堀北が退学しないためにはそれしかなかった。

 

「……茶柱先生、取引を中止します。50万ポイントは払いません」

 

「……分かった」

 

 堀北は重たい雰囲気でそう告げる。

 行動は諦めの一手。

 下唇を強く噛んだ跡が見え、現在は不満と後悔が込み上げてきていた。

 そして、今回の読み合いは龍園に軍配が上がった瞬間だった。

 

「仲間は売らないか。つくづくオレ好みの女だ。

 だが、そんなお前でもこの状況はひっくり返せない。そして表に出る事を極端に嫌うXも動きを封じてしまえば何もできないか」

 

 龍園は落胆の表情を見せながらそう言う。

 心の底では自分に何度も歯向かってきたXたちと心躍る知恵比べが今回も出来ると思っていたが、今回は龍園の思い通りに事が運んだ。

 満足感はある。作戦が成功して安心感もだ。

 仮に堀北がXの存在をこちらに教えていても、単純な学力勝負で勝つことが出来たので完璧な策を作った己の有能さに浸ってもいた。

 だが、それでも今回の圧勝は龍園の心を完璧には満たしてくれない。

 

「結局、お前は何もしなかったな綾小路。

 お前がXならこの絶望的な状況でも一手を出してくれると思ったんだがな」

 

 龍園の興味は悔しさで俯いている堀北から綾小路へ。

 この話し合いの中、一言も発せずに傍観していた綾小路に龍園は本当にXの有力候補なのか怪しくなっていた。

 

「しないじゃなくて出来ないだな。オレは部外者だからお前たちの会話についていくことすらできないさ。

 それに何度も言うが、オレはお前たちの言うXではないんだ」

 

「らしいな。オレはお前を過大評価していたみたいだ。ならXは……平田で決まりか」

 

 龍園は思考を纏めた後、溜息をつく。

 この場でやることはまだあるが、それでも龍園には如何せんやる気が出なかった。

 テスト問題提出の期限は今日の18時。

 残り3時間ほどある。提出ギリギリの時間にもう一度職員室に顔を出し、Dクラスがポイントを上乗せしていないかを確認すればチェックメイト。

 片手間に終わる作業だが、この確認がなければ万が一がある。

 どれだけつまらない作業でも龍園は手を抜かないことを決めていた。

 龍園はこの場を去っていく。

 堀北も綾小路もその姿を見送らない。

 敗北感に支配されている堀北にそんな余裕はなかった。

 綾小路は櫛田の厄介さに頭を悩ましていた。

 体育祭の時に本腰を入れて櫛田を退学にしておくべきだった。自分の見積もりは少々甘かった。

 綾小路にしては珍しくそんな失敗を思い返していた。

 

(……だが、もうどうでもいいか)

 

 綾小路はそう心の中で呟く。

 なぜなら、これで櫛田桔梗は終わりなのだ。

 2度目の裏切り行為を働いた櫛田桔梗の退学は決定した。

 今回の期末テストが終わった後、クラス全員を集めて反省会をすることで。

 どうして負けたのかを反省して原因を突き詰めていく。そこで体育祭で行ったことも櫛田桔梗の裏の顔をばらしてやればいい。

 裏の顔がバレた櫛田桔梗は悪意をまき散らし、培ってきた信頼をゴミを放り投げるように捨てて一人になる。

 そうなったら櫛田桔梗という存在は、承認欲求の塊である女は呼吸ができない生き物へ変わる。

 自分の首を自分で締めた女の結末は────自主退学となる。

 

(後は、堀北を退学させないために手を尽くせばいい)

 

 方法はいくつかある。有力候補として、カムクラからCクラスの問題を買い取るというものがある。

 カムクラは綾小路がXだと気づいている。だが龍園にそのことを報告しない。

 綾小路はそれを好都合と捉え、利用できると判断していた。

 カムクラ自身、堀北を退学させることを望んでいない。船上試験の行動を踏まえればそう結び付けられる。

 ゆえに、綾小路はカムクラも協力的になるため、この交渉は有力と考えていた。

 

「大丈夫か、堀北?」

 

 綾小路は龍園が去ってある程度時間を置いた後に声をかける。

 堀北は血が出てしまいそうな程両手を強く握っている。

 下を向く横顔を髪の間からチラリと見ると、その眼は潤っているように見えた。

 

「……ええ、問題ないわ」

 

 嘘だ。

 堀北にそんな余裕がないことは誰が見ても一目瞭然。

 懸命に努力してこの結果を突き付けられたことに悔しさが溢れている。

 そもそものマイナスである櫛田に説得を繰り返したが、失敗。

 そこから負けないための対策を取るが、後手に回って失敗。

 しかしそれでも、腕で目元を拭く仕草は見せず、鼻声になることもなく言い切って見せた。

 ボロボロの精神を自ら奮い立たせようと必死だった。

 

 

 

「問題大ありじゃない」

 

 

 

 廊下に響く声があった。

 見知った声にもかかわらず、普段とは全く違う声色。

 堀北と綾小路は素早く声のした方を向く。予想外の人物の登場に2人は内心動揺した。

 

 その表情は歪んでいた。

 ゾッとするような悪意が込められているようで、後ろめたい気持ちを察して欲しくもある表情。

 自分でも何がしたいのか分からなくなってしまっている。

 そんな自暴自棄に明け暮れた一人の少女がこの場に現れた。

 

 少女の名は櫛田桔梗。

 過去に囚われてしまって羽化できない憐れな存在であった。

 

 

 




連投終了。
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