ようこそ才能至上主義の教室へ   作:ディメラ

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あけおめ
悩みに悩んだ最新話です


伸ばされた手を掴み、引き寄せられた一歩

 

 

 

 

 

 

 職員室から帰路についていた龍園は考える。

 結局、誰がXなのかと。

 今回はこちらが行動を封じたことが功を成し、Xが出てこなかったのか、それとも堀北の言葉は本当でXという存在はいないのか。

 

(いや、あり得ない)

 

 龍園はそう断定する。

 体育祭での堀北が結末を見越しての行動が出来たとは決して思えなかったからだ。

 なのでXは存在する。

 

(……やはり、綾小路か?)

 

 現状最有力候補である綾小路を龍園は思い返す。

 堀北の参謀、軽井沢との繋がり、運動神経を隠していた事実、無人島試験で残っていた事実。

 疑うべき箇所は複数ある。

 だが、決定的な証拠が何一つない。灯台下暗しにしては目立ちすぎている。

 そして今回、結末をすぐ近くで見ていただけの存在だった。

 Xは確かに非道な奴だが、勝利をこうも簡単に捨てるやつかといわれると龍園はそうは思えなかった。

 なぜならXは龍園と思考が似ている。龍園はそこに興味を惹かれ、執着していた。

 自分ならば勝利を捨てない。ならばXもそう考えると。

 

(とりあえず、考え直しだな。だが、候補は絞れているからより深く1人に割く時間が増えたと言えるか。

 綾小路に平田、高円寺。大穴で松下も候補に入れてみるか。カムクラは優秀なだけのつまらない女と言っていたが、あいつの分析がミスる可能性もある)

 

 龍園はむしろカムクラの予想が大外れすることすら願っていた。

 一通りカムクラがドジる可能性を考えて満足した龍園は歩きながらの思考をやめ、時間潰しに何をするかを考える。

 櫛田の問題が採用されるのは殆ど確定しているので勉強をする必要はなくなった。

 ならば女で遊ぶかと考えていた龍園だが、予想外な人物が対面から歩いてくることに気づき、思考をやめる。

 

「……おい、なんでお前が職員室に向かっていやがる。お友達との勉強会はどうした?」

 

 龍園は低く威圧感のある声で話しかける。

 その人物の行く手を塞ぐように立ち位置を変えた。

 なにせ、その人物が裏切りの代名詞のような女だからだ。

 

「……そこを退いて龍園、私は職員室に行かなければいけない」

 

 女、櫛田桔梗は龍園と同種のドスの利いた声でそう告げる。

 その表情は落ち込んでいるように見せない虚勢の笑み、あるいは恐怖によって歪んだ狂気の笑み、それともそれらすべての感情が混ざった形容しづらい笑みか。

 龍園はそれに底知れない不気味さを感じ取る。だが、怯まずに会話を続ける。

 

「質問をしているのはオレだ。なぜここにいる?」

 

「……あんたには関係ない」

 

 眉間に皺を寄せて櫛田はそう言うが、その声色には威圧感がなく、急に穏やかな声色に変わる。

 表情と声色が合っていない。

 誰にでも好意的な態度を作り出して接する櫛田の対応が出来ていない。

 龍園は櫛田の精神が限界に近付いていることを察する。

 

「ちっ、何をトチ狂ったかは知らないが、オレは目的を話さない限りここを通すつもりはないぞ」

 

 龍園はここに櫛田が来ることを想定していない。

 もしこの先で堀北や綾小路に会って何かが変わることがあれば、龍園はそれを許容できない。

 ゆえに、強引に道を塞ぐ。

 

「目的? ……そんなの、ない。私にもどうしてここに足を運んだかなんてわからない」

 

「それでオレが納得すると思っているのか?」

 

「思わない。でも私は今、ここで行動しなくちゃ……ダメな気がする」

 

 櫛田は頭を片手で押さえながらそう言う。

 強力なウイルスに感染されたかのように悶えた表情を見せ、龍園へ一歩詰める。

 

「……はっ、そうかよ。まぁ、今更あそこに行ったところで何ができるわけでもない。

 勝手にすればいいさ、桔梗」

 

 今の櫛田は不安定。龍園はそう分析し、何をしても脅威にならないと判断する。

 塞き止めるように立っていた位置からまっすぐ歩みを再開し、櫛田の横を通過していく。

 スタスタと小気味いい音を踏み鳴らす龍園。

 櫛田は見下された言葉とその仕草に軽い苛立ちを覚えながらも、目的地へと進んでいく。

 

「それがあなたの選択ですか」

 

 道中、そう声をかける男が現れる。

 その男は廊下の壁に寄りかかりながら無表情で櫛田を見ていた。

 

「なぜここにいるか、その質問は僕が結末を見たかったからですよ」

 

 男は聞かれてもいない質問にそう答える。

 どこにも遮蔽物がない廊下なのに今の今まで気配に気づかない。

 決して櫛田は俯いていない。前へ前へとゆっくり進んでいた。

 男のわかりやすいシルエットを見過ごしたことに櫛田は内心動揺する。

 しかし、そんなことより尋ねたいことがあった。

 

「……あんた、前に言ったよね。私の信頼を得る力が詐欺師の才能って」

 

「ええ。僕や彼に比べれば天地の差ほど質の違いがありますが、それでもあなたはその才能を有しています」

 

 彼、櫛田はそれがだれかなど見当がつかない。

 だが、そんなことはどうでもよかった。

 

「人を騙して得る信頼。……確かに、詐欺師みたいね」

 

 櫛田は俯き、自虐に染まった表情を隠しながらそう言う。

 思い返すは自分の行い。

 クラスメイトの前でだれに対しても人当たりがいい対応をしていた自分。

 その行いで壊れてしまった自分の過去。

 そして、船上試験でのカムクラの行動。

 まるで己の行く先を見せる道標のような記憶が脳を過る。

 

「これからどうするのですか?」

 

「……さぁね。私にも分からない」

 

 初めて話した時から変わらない口調、セリフ、テンポ。

 無性に腹が立ったので顔を上げ、視界に入れたくないほど嫌悪する男を睨み付けた。

 手軽く会話を終えたかったので、男の横を通り抜けようと歩みを再開する。

 

「私はあんたのことが大嫌い」

 

 一歩を踏み出し、そう告げる。

 

「その澄ました顔が気味悪くて仕方ない」

 

 罵倒は続く。心の奥底から現れた嘘偽りない言葉は力強い声色で発せられる。

 

「勉強も運動も出来るあんたが気に食わない」

 

 男は何も言い返さない。自分の横を素通りしていく櫛田を見る素振りすらしない。

 

 

「本当にずるいよ、その才能。私も────欲しかった」

 

 

 櫛田はそう言って、男との距離をさらに広げるために歩くスピードを速めていく。

 職員室までの道のりをすばやく移動し、曲がり角へ到着。

 すぐさま曲がり、落ち込む堀北と既にこちらを見ている綾小路が視界に入る。

 そして二人に声をかけた。

 

「ツマラナイ、心底ツマラナイ本音です。しかし、それがあなたの嘘偽りない言葉です。

 本音。そう、本音です。そんなあなたを受け入れてくれる人がいれば、きっとあなたの周りには────」

 

 男はそう言ってもう一度気配を殺す。

 結末を見届けるために櫛田たちの会話が聞こえる位置まで移動していった。

 

 

 

 ──────

 

 

 

 

 堀北、綾小路、茶柱の三名が職員室前の廊下に現れた櫛田の存在を確認する。

 やつれた様子だと一目でわかるまだ16のいたいけな少女。

 その表情に茶柱は教師として声を掛けようとする。

 しかし、それより早く堀北が口を開いた。

 

「……何の用かしら、櫛田さん」

 

 まずは状況確認から。

 堀北は予想外の状況にも落ち着いて対応する。

 

「……さぁ、何の用なんだろうね」

 

 その返答に堀北だけでなく茶柱、綾小路ともに理解に苦しんだ。

 

「あなたは何を言っているの? 目的もないのにここに来たというのかしら」

 

「だったら何? 悪いの? 私がどこで何をしようとあんたに関係ないでしょ」

 

 冷ややかな視線。

 明確な敵意を孕んだその視線は櫛田の本性だ。

 茶柱はその実物を見て驚愕する。

 学校側として櫛田が起こした事件は知っている。

 日常生活の性格や行動を見てとても信じられない情報だったが、それが事実だと茶柱は確信した。

 その一方で見慣れてきた堀北は平然と会話を続ける。

 

「関係あるわ。あなたの掛けた50万ポイントのせいでとても迷惑しているんだもの」

 

「ああ、それね。で、それがどうしたの?」

 

 今思い出したかのように心底どうでもいいと無関心を装う。

 その態度に堀北の限界の精神は感情の箍が外れ始めた。

 

「どうって……、あなた本気で言っているの? この行動のせいでDクラスは今回の特別試験で敗北する可能性が高くなっているのよ。

 そして今、実行犯のあなたに問い詰めている。それをどうだなんて、ふざけるのもいい加減にして頂戴!」

 

 堀北にしては珍しく荒げた声。

 しかし、櫛田はその様子を鼻で笑う。

 

「別に何もふざけてない。だってこれは賭けだもん。

 自分のできることを精一杯やった結果。何か問題ある?」

 

「問題しかないわ! 私を退学させるためにここまで手の込んだことをして……。

 これがクラスの皆に伝わることくらいわからないのかしら!?」

 

「ならないでしょ。あんたと私、どっちがクラスメイトに信頼されているのかわからないの?」

 

「証拠があるわ! それに、あなたには体育祭での前科がある!」

 

「落ち着け堀北」

 

 感情的な堀北を綾小路が宥める。

 龍園によって与えられた精神的ダメージ。努力しても解決できない原因の根本。

 負の感情が堀北の頭に血を上らせた。

 冷静ではない堀北に代わり、綾小路が会話を続ける。

 

「賭けに勝つためにここまで手の込んだことをしたのになぜここに姿を見せたんだ?」

 

「理由? さぁ、何となくかな」

 

「本当にそうなのか? 

 てっきり、勝ちを確信して優越感に浸りに来たと思ったんだがな」

 

「へぇ~、ずいぶん挑発的な言葉だね綾小路くん。

 君がそんな風に誰かを罵倒するようなセリフを吐くなんて意外だな~。

 案外、仲良くなれたかもしれないね」

 

「今でも仲良くしたいと思っている」

 

「そういう冗談いいから」

 

 綾小路にも同様の冷たい視線を浴びせる櫛田。

 悪女はもう一度堀北に標的を定める。

 既に綾小路など眼中になかった。

 

「辛い、堀北さん? 

 後手に回って退学の賭けに負けそうなこの状況。プライドもズタズタ、惨めに這いつくばる気分はどう?」

 

 堀北を煽る櫛田。

 しかし、そこに愉快気な笑みは見当たらない。

 楽しんでいるわけでもなく、確認作業をするかのように淡々と告げる。

 

「ふっ、お生憎様ね。まだ賭けは終わっていない。

 私がCクラスで作った問題を満点で解けば賭けは引き分けよ。

 そして私は勉強が得意よ。あなたもそれは知っているでしょう?」

 

 堀北は鼻で笑い返す。

 絶望的な状況でも一つの希望の道標がある限り、堀北鈴音は止まらない。

 

「その態度、やっぱり私は……あんたのこと好きになれないよ」

 

 櫛田は達観した様子でそう言う。

 煽りを意に介さない堀北にイラつくこともなく、うざったくなる愚直さに辟易するわけでもない。

 

「ねぇ、堀北。あんたさ、私との関係を本気でやり直そうと馬鹿みたいに話しかけていたよね?」

 

「……それが何かしら?」

 

 堀北は徐々に落ち着きを取り戻し、棘のある言葉を伏せていく。

 

「いやね、私のこの本性を知って尚、近づいてくる人間なんて初めてだからさ。

 ちょっと気になっちゃったのよ。どんな馬鹿なのかなぁって」

 

「確かにあなたのような愚か者に何度も接触を試みた私は馬鹿かもしれないわね。

 でも私が、DクラスがAクラスへと進むためにはあなたの協力が必要なのよ」

 

「……何度も聞いた発言ね。もううざいくらい聞いたからさすがに裏表のない発言だと分かったよ。

 あんたが本気で私との関係を取り持とうとしている。へったくそな話術、コミュニケーションを用いてね。

 何度も真正面から説得しに来て、本当にうざかった」

 

「誠意は伝わったでしょう?」

 

「誠意はね。はぁ……、これだから友達の一人もまともにできない」

 

 やれやれと肩をすくめ、小馬鹿にした笑いを見せる櫛田に堀北はむっとした表情を浮かべる。

 今にも言い返そうとする堀北だったが、櫛田の言葉が続いた。

 

「ホント、今でも衝動が抑えられないなぁ。過去を知られている。それがどれだけのストレスかわかるかな堀北さん? 

 いや、わからないよね。あんたみたいなぼっちにさ」

 

「わからないわよ。私はあなたではない。

 それに興味すらない。私があなたの秘密を吹聴する理由なんてないわ」

 

「だろうね。でも私は耐えられない。

 知られているという事実が、また同じことが起きるかもしれないという恐怖が私を動かす」

 

「……分からず屋。そういうのを被害妄想というのよ」

 

「かもね」

 

 櫛田は首を下に向け、開いた両手を見つめる。

 小さな手。女性特有の丸みを帯びた綺麗な手。

 しかしそれだけ。運動に対する努力の証拠のような皮膚の硬質化はない。

 ピアニストのような長く繊細な動きをする指もない。

 ごく普通の手だ。

 色褪せた瞳がそれを見つめていた。

 櫛田の内に黒い感情が沸きかけるが、それも一瞬。

 何せそれは諦めたもの。一番になりたいと願った少女は信頼を得るということで一番になると既に決めている。

 身を焦がすような嫉妬はすぐに失せる。ないものねだりはやめられないが、普段は気持ちを抑えきる。

 

「憎い憎い憎い。あぁ~、もう本当に憎くてしょうがないよ堀北さん」

 

 だが、こと堀北の前では無理だった。

 目の前の少女は櫛田よりたくさんの才能を持っている。

 容姿も学習能力も運動能力も。

 加えて最近はDクラスのリーダーとしてクラスの皆から認められ始めてきた。

 それが櫛田にとっては憎くて仕方がない。

 皆に認められたいという愉悦を苦労して得る櫛田を嘲笑うかのように、堀北は地位を手に入れてきている。

 

「……それは私の何に対してかしら?」

 

「たくさん」

 

「そう。……確かに私はあなたより出来ることが多いと思うわ。

 けど、私にあなたのような話術やコミュニケーション能力なんてないわ」

 

「だね」

 

「人には出来ることの上限がある。何でもできる人なんていないわ。人それぞれ特出した何かがあるのよ。

 あなたにも立派な能力があるでしょう? それなのにどうして憎むのかしら?」

 

 真剣な表情で説得を試みる堀北。

 不器用なりに、櫛田の気持ちを真摯に受け止めようという意思を持って臨んでいた。

 しかし、直情的ゆえに地雷を踏み抜いてしまう。

 

「立派? 『りっぱ』だって? 

 あはは! ねぇ、堀北。あんたが褒めてくれた私のこの才能。なんていう才能だか知っている?」

 

 櫛田は狂った高笑いと開かれた瞳孔で堀北を睨むように見つめる。

 その豹変に茶柱は戸惑うが、堀北は次の言葉を待った。

 

「何でもできる人はいない? いるだろうが! それもずっと身近にさ! 

 そいつが言ったんだ。私のこの才能は詐欺師の才能だってな! 

 ふざけている! 何が立派だ! よりにもよって、これが、この才能が人を貶めるための才能だってさ!」

 

 魂の叫び。

 櫛田の思いがすべて乗った言葉に茶柱は何も言えない。

 同情さえ芽生えていた。

 どう言葉を返すのが正解か。拗れてしまった少女に教職である自分は何を言えばいいか。

 そして堀北は何を言うか、迷いながらもそこに興味が移る。

 綾小路は何も感じなかった。

 櫛田は排除すべき敵。

 説得する言葉は思いつけるが、救う気はない。

 

「この才能でしか私は愉悦に浸れないのに────」

 

「────立派よ」

 

「……はぁ?」

 

 櫛田の弁舌が続くかと思いきや、堀北が口を挟んだ。

 これには綾小路も茶柱も目を瞠る。

 

「才能の名前なんて興味ないわ。

 たとえ悪い才能を持っていても要は使い方の問題。そして私はあなたのクラスメイトへの対応を尊敬している。

 私にはないその才能を心の内から凄いと思っているわ」

 

「な、何言ってんのあんた」

 

「薬に関係する才能を持っていても、それを善のために使うとは限らない。

 文を書く才能を持っていても、嘘と悪意にまみれた文を書くかもしれない。

 嘘を吐く才能を持っていても、騙すだけじゃないってことよ」

 

 虚を突かれた櫛田は唖然とした表情を浮かべることしかできなかった。

 堀北の発言を嘘だと否定しようとも、詐欺師の才能は嘘を操る才能。

 嘘の判別はお手の物だ。

 だからこそ、堀北の発言に嘘がないことはすぐに分かった。

 

「……あんた、どうかしている」

 

「そんなことないわ。あなたは自分の本性と才能を醜いものと捉えているからこそ、醜いあなたを受け入れる私を理解できない。

 裏表があることなんて別段珍しいことでもないのに、それを勝手に醜いと捉えているだけなのよ。

 自分の価値を誤認して、醜い自分と対極の自分を演じていた。

 まったく……結局、あなたは相手をよく見ることは出来ても自分のこととなると上手く出来なかった。ただそれだけでしょう」

 

 櫛田は絶句する。

 自分という人間の本性に触れた堀北は私を嫌悪する。

 そう思っていた。しかし、あろうことか。

 堀北は土足で人の自宅に踏み入るかの如く、傲慢に説得を試みた。

 人によっては絶縁されてもおかしくないくらい強引で、説得にしては己を曲げるのは最低限。

 しかし、その行動が櫛田には嘘偽りなく感じれた。

 

「……はっ、そうかよ。あの男(・・・)はこうなることが分かっていたのね」

 

 櫛田は覇気のない声でそう吐き捨てる。

 心に生じる自分の知らない感情に戸惑いながらもその温かさを噛み締める。

 自分の本性を知って尚、受け入れようとした堀北に僅かながらの、しかし確かに────情が芽生えた。

 

 そして、これからの自分の選択を決めるために再度熟考する。

 

(……あの男?)

 

 綾小路は櫛田の発言を聞き逃さない。

 だが、推測するには情報が足りな過ぎた。

 櫛田が誰かに介入を受けたかもしれない。その可能性だけが独り歩きする。

 綾小路が思考を巡らせる中、櫛田はとうとう茶柱に向き合った。

 

「先生、お願いがあります」

 

「……何だ?」

 

 先ほどまで感情の機微が大きかった櫛田が今度は穏やかな表情と落ち着いた声で茶柱を呼ぶ。

 内心動揺する茶柱だったが、どこか吹っ切れた感じのする櫛田に丁寧に応じる。

 

 

「掛けたポイントを撤回することって出来ますか?」

 

 

「なっ!?」

 

 櫛田の発言に堀北は声を出して驚く。

 何せその趣旨は絶望的な特別試験に活路を与える選択肢であったからだ。

 これには綾小路も眉を動かし、聞き耳を立てる。

 

「出来る。ただし、お前の掛けた50万ポイントは既に受理しているため、戻ってくることはない。

加えて、違約金も発生する。今回ならば……5万ポイントで手を打とう」

 

「……そうですか。まぁ、そう上手くはいかないものですよね」

 

 櫛田は自虐的な笑みを浮かべた。

 反省している様子ではないが、行動は自分の過ちを正そうとしている。

 茶柱はそれをすぐに感じ取る。

 

「一度使用されたプライベートポイントはよっぽどのことがなければ戻ってはこない。

 現金でもそうだろう。返金するには理由がいる」

 

「ですね。でも仕方ありません。

 ポイントは戻ってこないけど、あの約束は完全に破棄してください」

 

「わかった。私は早速その手続きをさせてもらおう」

 

 茶柱はそう言って職員室の中に入っていく。

 大人として見守るべきところ、そして子供同士の争いを止める必要はもう必要ない。

 そう判断した。

 

「……櫛田さん、あなた」

 

「勘違いしないで堀北さん」

 

 櫛田はにっこりと普段クラスメイトに見せる天使のような笑顔で言う。

 荒々しい口調は消え、皆の知っている────『櫛田桔梗』がそこにいた。

 

「私は堀北さんのこと今でも嫌いだよ。うざいし、鬱陶しいし、気に食わない。

 退学させたいという気持ちが消えたわけじゃない」

 

『櫛田桔梗』は誰にでも聞き取りやすい声で毒を吐く。

 

「……そう。なら、この行動を起こした理由は何かしら?」

 

「あはは、私を裏切った龍園くんに一杯食わせるための行動だよ。

 それ以上でもそれ以下でもない」

 

 屈託のない笑顔で『櫛田桔梗』はそう告げた。

 

「50万ポイントはどうするの? あなたの所持ポイントから出したようには思えない。

 龍園くんから借りたものじゃないの?」

 

「そうだよ。50万ポイントは龍園くんが出資してくれたもの。

 勝手に無駄遣いしただけだから、しっかり返さないと訴えられちゃうね」

 

 悩んだ様子もなく平然と事実を述べていく櫛田に堀北は気がかりになる。

 嘘か真か。それを気付かせる情報を一切把握させない話術と表情。

 何か策があるか、それともないのか。

 あるならば堀北は別に追求しない。

 元々この件は櫛田の自業自得だ。責任は櫛田にあり、尻拭いをする気はなかった。

 しかし、もし方法がないならば、龍園がそこを学校に訴えてくる。

 そうすれば1学期に起きた須藤と同じく学校側を巻き込んだ事件に発展する。

 堀北はそれを容認できない。

 

「Dクラスが持つポイントで補うわ。プライベートポイントの貯蔵はある。だから……」

 

「余計な心配だよ。それにそのポイントが減っちゃったら、減った理由をクラスに共有しなきゃいけないでしょ? 

 そしたら私の秘密は日の目を浴びちゃうよ」

 

「なら……どうやって対処するのよ。あなたはDクラスの生徒。つまり仲間なのよ。

 協力できることがあれば、協力させてほしい」

 

「あははは! もうっ、勘違いしないでよ堀北さん」

 

 腹を抱えて笑う『櫛田桔梗』。

 何処かが可笑しかったのか。堀北には理解できない。

 だが、考える暇などない。目から溢れた涙を手で拭った櫛田が会話を続けたからだ。

 

「私はね、敵だよ。あなたを退学させたいって気持ちはあるって言ったでしょ? 

 ポイントを返せない? なら、龍園くんの下で50万ポイント分働きをすればいい。それだけでしょう?」

 

「……あなたって人は」

 

 堀北は満面の笑みをたたえる櫛田を強く睨む。

 先ほど櫛田はDクラスにとって利のある行動をした。

 しかし、それは一時的。堀北はこの発言でそう認識した。

 

「私はこれからもCクラスに協力する。堀北さん、あなたを退学させるためにね」

 

 今日一番の笑顔で『櫛田桔梗』は告げた。

 堀北はあまりにも悪意のないその笑顔に戸惑う。

 今まで自分に悪意を見せてきた櫛田。

 しかし、今はクラスメイトに接する時の櫛田だ。

 すなわち、『櫛田桔梗』だ。欲求を満たすために仮面をかぶった偽りの櫛田。

 本心を隠し、嘘を巧みに使う詐欺師のような存在だ。

 ゆえに、この態度が櫛田の本心かどうか堀北には分らなかった。

 

「50万ポイント分の働きを終えたらどうするんだ?」

 

 黙った堀北と代わるように綾小路が質問する。

 

「そうだなぁ。どうしよっかなぁ~」

 

 ふわふわとした発言と同時に腕を組んで考える。

 悩んでいる様子がわかる動作のため、綾小路は発言を待つ。

 

「う~ん、その頃にはきっと堀北さんが退学しているだろうから、今度は綾小路くんに退学してもらおうかな」

 

「そうか」

 

「うん。というか、やっぱり綾小路くんって鋭いよね。先のことを考えられる冷静さ、尊敬しちゃうよ。

 龍園くんの探すXって君だよね?」

 

「いいや、オレはXではない」

 

「惚けなくていいよ。私はもうそう断定したからね。

 でも、安心して。吹聴する気はないからさ」

 

 信用ならない。

 綾小路は櫛田に対する警戒度を上げる。

 嘘なのか判りづらい発言。

 それがより一層増している。そう直感した。

 

「さて、堀北さん!」

 

 櫛田は再度堀北に向き合うかと思えば、背を向ける。

 

「これから私はあなたの退学のためにDクラスの敵になるでしょう」

 

「迷惑なことね」

 

「そうだね。でもね……」

 

 櫛田の言葉が突然詰まる。

 すると俯き、顔を手で隠す。

 羞恥で表情を見られたくない時の少女のように表情の露呈をさせない。

 だが、元々見えるのは櫛田の背のみ。表情は決して見えない。

 そしてその状態のまま、

 

 

「でもね────あんたならきっと何とかするんでしょ」

 

 

 堀北はその発言に硬直した。

 彼女は今何と言った、そう頭の中で思考が巡りに巡る。

 だが、その間に櫛田は俯くことと手で顔を覆うこともやめていた。

 

「なぁんてね。これが私の才能。分かったなら間違っても立派な才能だなんて思うなよ」

 

 この場から立ち去るために歩き出す櫛田。

 そのペースは速く、この場から逃げ出そうとしているようにも感じられた。

 堀北と綾小路はその背を見えなくなるまで追った。

 そして、

 

「……ねぇ、あなたは最後の発言どう思った?」

 

「どうとは?」

 

「嘘なのか、……それとも本心なのか」

 

「さぁな、オレに女心というのは分からない」

 

「……ふふ、そうね。あなたには分らなそうだわ」

 

「……おい」

 

 堀北は上機嫌に笑い、綾小路は不満げな表情を浮かべる。

 そんな日常的な雰囲気が現れる。

 

「帰りましょう」

 

「そうだな。……と言いたいが、このままだと龍園が戻ってくる」

 

「確かにそうね。彼は異常がないかを確認するために戻ってくるはず」

 

「ああ、それを阻止するために茶柱先生の協力が必要だ」

 

「何か策があるの?」

 

「簡単な策だ。龍園は確認する時に茶柱先生を呼ぶ。後で俺たちが変更できないように時間ギリギリに来るはずだ。

 だが、茶柱先生が対応できない状況を作ってしまえば龍園は何もできない」

 

「あ、あなたね」

 

「Dクラスの生徒が図書館で問題を起こしている。勉強を教えてほしい。

 などなど、何だっていい。期限である18時の30分くらい前から茶柱先生を職員室以外の所で拘束しておけば龍園は交渉ができない。

 そうすれば、特別試験は純粋な学力のぶつかり合い。小細工なしの勝負だ」

 

 堀北は綾小路の突拍子もない発言にため息をつく。

 

「無茶苦茶ね」

 

「そうでもないさ。先生なんだ、急用くらいできるだろ」

 

「まったく。でも、それしか方法はなさそうね」

 

 堀北は綾小路の策を薄く笑い承認した。

 普段はしない悪ノリに心のどこかで楽しむ堀北。

 それが現れていた。

 

 

 

 

 

 




櫛田は生存させます。
本当に迷いましたが、このルートで行きます。
修正の可能性はちょっとありです。

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