龍園 翔の独白
「恐怖」と「愉悦」は表裏一体。
それらは対極に位置するように見えるが、実際は紙一重の存在だ。
「愉悦」とは、人間であるならば必ず存在するものである。
「愉悦」とは、快楽であり、人間によってそれぞれ違い、定形なんてものは存在しない。
例えば享楽的な快楽。衝動的や肉体的な快楽に身を任せるなどがこれに当たる。
例えば政治的な快楽。地位や名誉などを欲するなどがこれに当たる。
この辺りが心に秘めている野望の中でも、最も多くの人間が欲するものの1つだとオレは思っている。
だがさっきも言った通り、「愉悦」は人によって違う。
分類する事が出来ないというもの、つまり例外もあるだろう。
そしてそれはオレの「愉悦」にも当てはまる。
オレの「愉悦」は、他者に勝利すること。
他者がオレに屈する瞬間、オレの脳内は初めて悦びを感じる。
麻薬はやったことねえが、おそらくこの感覚と似たようなものだと思っている。
オレは他人とは違う自分の「愉悦」を獲得するためにはどうしたら良いのか考えた。
そして辿り着いた答えが「暴力」だった。
この世界は「暴力」によって支配されている。
この世界の「実力」は「暴力」の強さで決まっている。
この真理に辿り着いたのは小学校に上がった頃だったが、その時初めて“オレ”という個人が誕生した感覚を今でも覚えている。
そして同時に自分が異常者という事実もだ。
異質な存在とは多数から敵意を向けられる。
その時からだ。オレの周りにたくさんの敵が出来たのは。
今までつるんできた奴らからも異物として排除される時もあった。
異物の噂を聞いた不特定多数からも「暴力」を受けることもあった。
それでもオレは「恐怖」というものを感じなかった。
抗えない力でねじ伏せられることが何度あっても、陰湿な嫌がらせを執拗に受けても、恐怖せずにオレは嗤っていた。
考えていたことはどうやって復讐し、逆転させるか。
今までのオレの人生はこれしか繰り返していなかった。
これを繰り返すのが楽しくて楽しくて仕方がなかった。
そして最終的に────全てがオレの前に跪いた。
本当の実力者とは、比類なき「暴力」を持つ者だ。
そして「恐怖」を克服したものだ。
その体現者が自分だという自信もあった。
この歪な愉悦こそがオレという存在を形作り、恐怖を克服させた。
この歪みこそが龍園 翔という男の本質なのだ。
だが中学を卒業することが近付くにつれて、愉悦を得ることが難しくなったと同時に、退屈がオレを襲ってきた。
結局、オレに勝てる者など存在しないという退屈。
オレはその退屈を消すために、この実力至上主義の高校へと入学した。
この退屈を紛らわせてくれる存在がいるかもしれないという期待を込めて。
そしてこの学校はオレの期待に応えてくれた。
新しい環境で出会ったクラスメイトと呼ぶ存在は、確かに一癖も二癖もありそうな奴が多かった上に、異質とも言える学校のシステムからクラス間の抗争があることを予測できた。
その時からオレはこのクラスをオレの「国」にしようと考えた。勿論オレの「愉悦」のためだ。
手始めは様子見だが、打てるであろう手段は全て打ち、先手を取れるようにしておく。
まず初めにオレと同じように「暴力」を主義とする人間を見つけ、手駒にしようと考えた。
時間こそかかったが、忠実な手駒が2人出来た。
片方の強面の男は大したことなくオレに屈した。
もう片方は黒人の男だ。
ガタイもよく、筋骨隆々、素晴らしい「暴力」を持つ男だった。
ゆえにオレは敗北した。
オレの「暴力」は黒人の男の「暴力」に完膚なきまでに叩き潰された。
だが久しぶりの敗北はオレの心を踊らせてくれた。
敗北を喫した日の翌日から、オレは黒人の男に勝てるまで何度も挑んだ。
3度目までは同じ結果だった。地べたを何度も舐め、体中は何ヶ所も痣ができていた。
だが4度目からはそうそう簡単にくたばってやらなかった。
それによって黒人の男はオレに対して「恐怖」を感じてきたのだろう。
何度潰しても立ち向かう存在に言葉では説明できない何かを感じ始めたのだろう。
そしてオレは7度目で黒人の男を屈服させた。
その時の脳内に溢れた大量のアドレナリンは、オレの退屈を消してくれた。
そしてちょうどその頃が、学校が始まり、一月経った頃だった。
学校のシステムの1つが暴かれ、遂にオレはクラス闘争の準備、すなわち国作りを始めた。
やった事は簡単だ。
「王」の宣言をし、それに賛同できない奴を片っ端から潰した。
そしてオレの手駒にした。
その中には潰しても尚、オレに従わない者もいた。そいつらを手駒にすることも愉悦を感じる楽しみの1つだ。
しかしオレの興味はその程度の愉悦よりも、別にある。
「王」の宣言をした時に、オレに従わず、クラス闘争にすら興味を持たなかった人間に対してだ。
1人は女。銀髪でかつ、長髪の女。雰囲気から強者の感じはしなかったが、クラス闘争に興味をまったく持たないにもかかわらず、個人として確立しているあの女はなかなか興味深かった。
1人は男。黒髪でかつ、長髪の男。いろいろと奇妙な見た目だが、その男からの雰囲気は───
だからオレはこいつをただカッコつけているだけの雑魚だと切り捨てた。
しかしこれが間違いだった。
クラスを1つに纏め終えた時、オレに敗北し、従っている女の1人から、長髪の男がこの学校のシステムに気づいていたという事実を聞かされた。
ここで初めてオレは長髪の男に興味を持った。
そしてそいつを監視カメラのない場所に呼び出し、屈服させようと考えた。
オレと同じかそれ以上にこの学校のシステムに気づいた男を屈服させた時の愉悦はどれ程のものか、それしかオレは考えていなかった。
この日が
オレは長髪の男、カムクライズルに挑み、敗北した。
ただの敗北じゃない。そんなものはもう慣れている。
知ってしまったのだ。「恐怖」というものを。
苦労して手に入れた「暴力」を使える手駒ですら、チリを払うかのごとく簡単に潰され、オレ自身の「暴力」もまるで歯が立たなかった。
なぜならこの男は他者の追随を許さない「暴力」に加えて、全ての未来を分析し、予測してしまう「知力」を持っていたからだ。
さらにオレの知らない「未知」も持っていた。
「恐怖」のさらにその先にある存在、すなわち「絶望」を。
「絶望」の体現者とも言えるこの男と対峙した時、オレは目を逸らしたくなった。
無論それだけではない。
泣きたくなった。
口から何かが漏れそうだった。
身体中が震えて、まともに思考ができなかった。
自暴自棄になりかけ、身代わりが欲しくなった。
今すぐこの場から逃げ出し、二度と関わりたくもなかった。
───初めて「恐怖」を知った。こんなおぞましいものとは知らなかった。
人間は追い詰められなければ本当の自分ってのを分からないってのは事実だった。
結局オレは、恐怖を克服なんて出来ていなかった。勝つことこそが恐怖を克服することだと思っていた。
しかしそんなものは、目の前にある恐怖を「勝利」という目標を見据えることで押し込み、目を逸らしているだけだったのだ。
自信も、暴力も、他人とは違う歪な愉悦も破壊されていく。多分今日オレは、オレじゃなくなるとなんとなく悟っていた。
それでも、いやだからこそ、オレは抵抗した。
この時、オレはこんな絶望の最中にいるのにもかかわらず、自分のあり方を決して間違いとは思わなかった。
確かに自分の認識は間違っていた。思い上がりも甚だしかっただろう。
しかし、オレの今まで生きた全てを破壊されたくなかった。
勝利を望むことが間違いだと思わなかった。
たとえ自分が異常者でも自らの
つまりだ、結局はどんな汚い手段でも使うと豪語していたオレにも、プライドに似た何かがあったらしい。
自分の望みを叶える邪魔をされたくない、そんなガキじみた一心で立ち向かった。
そしてオレは負けこそしたが、あの男の予測を超えてやった。
その時、今までの「愉悦」は感じなかった。それなのになぜか、大きな物事を達成した時のような清々しい気分だった。
そしてその後オレは気絶した。
最後に感じた感覚は今でも分からないが、それがオレの求めるものに関係があるものと思っている。
その時からオレに2つの目標が出来た。
1つ目は「恐怖」の克服。目を逸らさず、恐怖に立ち向かうことを決め、本当の「実力」を手に入れる為にリスタートすることを決めた。
2つ目はカムクライズルへの復讐、こいつに「未知」を見せ、今度こそ本当の意味でオレを認めさせ、屈服させる。
直感だが、この目標を達成した時、オレは本当の「実力者」になれる。
そしてその時、オレの愉悦は今まで感じたことのないほど大きくなるだろう。
「石崎、仕事だ。これからDクラスを潰すための作戦を伝える」
オレは前に進む。
それがオレの愉悦であり、生き方であり、
───「希望」だからだ。
台風対策はしっかりしてくださいね〜