ようこそ才能至上主義の教室へ   作:ディメラ

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Interlude6
舞台の裏側


 

 

 

 特別試験の3日前を迎えた朝、私は夢を見た。

 今まで起こってきた事を振り返る走馬灯のような夢。

 中学で起こした間違いや高校で起こした反省すべき行動が鮮明に思い返された悪夢だった。

 一つ一つが妙に具体的で、犯した罪の意識の数々が背筋を伝う気分だ。

 

 過去一番に目覚めの悪い朝。

 

 しかし、唐突にぶり返す日々の嫌悪感はない。

 むしろ激しい運動後に現れるような疲労感が体全体を巡っている。

 テスト期間であるため運動は控え、勉強に力を割いているのに感じる疲労。

 それは憂鬱な気分を作り出し、着々と迫っている登校時間を後回しにしてしまう。

 追い打ちをかけるように、身体は行動を起こすことそのものを拒絶するように鈍い反応。

 いっそ、今日は学校を休んでしまおうか。

 その考えが浮かぶが、自分が優等生を演じていることを思い返せば身体はすんなりと動き出した。

 身支度を素早く整えれば、部屋を後にするために外靴を履く。扉を開けようとドアノブに手をかけた。

 そこで行動が止まった。

 

 今日はテスト問題提出の期限日だ。

 

 今日を乗り越えれば、堀北と綾小路の退学は確定する。テスト本番に出題される問題の解答はすでに入手した。

 これで私が満点を取ることは確実であり、たいして堀北はあの化け物が作った問題で満点を取らなければいけない。

 賭けは、私の勝ちだ。

 

「やっと、忌々しい過去から解放される」

 

 そう考えれば気持ちが晴れる。

 私が私であることが保証された安心の生活。高校に入ればそれが手に入る。私はやり直せると何度も胸の内に秘めていた思いがついに実現できる。

 やっと、本当にやっとだ。早めの達成感と解放感が不安を消してくれる。

 

 だが────なぜかスッキリしない。

 

 この行動が正しいと信じて疑っていなかった自分が、さらなる不安に飲まれている気がしてならない。

 そんな思考が、疲労と倦怠感を再び込み上げさせる。

 

「……何なんだよ、本当に」

 

 私は正しい。

 どれだけ綺麗事を言っても人間は自らの安心の確保を第一に考える。

 自身より他者が大切な人間なんて異常者だ。だから、自分の安心のために他者のドロップアウトを望むことは間違っていない。

 

 だから、私は正しい。

 

 私は全ての思考を振り払ったように思いっきりドアノブを回した。

 扉の奥からはどっと冷気が押し寄せ、服の隙間を通り抜ける。

 当然、身体は震え、表情は歪む。

 だが、表情筋の操作は容易い。鏡の前で何度も練習した笑顔を張り付ける。

 

「……ふふっ」

 

 その笑顔を確認する気になれなかった。

 

 

 

 ────────

 

 

 

 学校に到着すれば、普段と変わらない日常が始まった。

 みんなが私に話しかけてくれて、頼ってくれる。

 

「桔梗ちゃん、おはよう~!」

 

「櫛田ちゃん、おはよう!!」

 

「おはよう!」

 

 Dクラスの三馬鹿と揶揄される池と山内に挨拶される。

 特に親しいわけではない。だが、彼らのようなカーストが低い男子からの評価も私の信頼を培うために必要なもの。

 無視せずに挨拶を返す。

 

「おはようございます」

 

「おはよう、みーちゃん! ……あれ? 前髪ちょっと切った? それに眉毛も……」

 

「……!! わかりますか? えへへ、ちょっとの変化だけどこっちのほうが可愛いかなって」

 

「うん、可愛い! 眉もいい感じだね! 色合いも少し違うね」

 

「はい! 新しいパウダーを買ってみたんです!」

 

 クラスメイトとの楽しいコミュニケーション。これも私が培ったものだ。

 

「良いなぁ~。私も新しいの欲しいよ。テスト終わったら自分へのご褒美で買おうかな~」

 

「私はテストを頑張るために前ご褒美として買っちゃいました」

 

「我慢できなかった感じ?」

 

「……はい。勉強の息抜きに雑誌を少し見てたら急に買いたいなぁ~って」

 

「あはは! みーちゃんも衝動買いとかするんだね。ちょっと意外~」

 

「欲しいと思ったら結構行動しちゃうんですよね。それに、テスト前だから一個に抑えましたが、まだまだ欲しいものはあります。

 ……そうだ! テスト終わったら一緒に買いに行きませんか? 桔梗ちゃんセンス良いから意見を参考にしたいです!」

 

「そ、そんなセンス良いなんて。……ありがとう。私で良ければ行かせてもらいます!」

 

「決まりですね!」

 

 頼られることが実感できる会話。

 承認欲求が満たされることで今朝のような気分低下は兆候すら見せない。

 不安も感じない。心に感じる違和感こそ拭えないが、普段通りの生活を過ごすことはできている。

 それは昼休みを迎えても変わらない。

 

「櫛田さん、ちょっといいかい? 今日の勉強会について相談したいんだ」

 

「良いよ平田くん! 時間も時間だし、ご飯食べながらで構わない?」

 

「勿論さ。軽井沢さんたちも一緒になっちゃうけどいい?」

 

「全然いいよ!」

 

「ありがとう。それじゃあ、ご飯食べに行こう!」

 

 移動を終えて軽井沢さん、篠原さん、佐藤さんと合流。

 嫌な顔をされず、むしろ歓迎される形で昼食を取れた。

 

「今日の放課後は最後の勉強会だからテスト形式にしないかと堀北さんに言われたんだ。僕も賛成なんだけど、問題はどの問題集を使うかなんだよね。

 堀北さん曰く、○○テキストの最後にまとめ問題があるからそれを使えばいいと言っていたけど、このテキスト難易度が少し高い気がするんだ」

 

「なるほどね。みんながやるテストだから少しは難易度を下げたほうがいいね。

 テスト前に模擬テストみたいな感じでやったら点数取れなかった……なんてことがあったら自信なくしちゃうしね」

 

「うん。だから僕としてはネットの問題を使うのがいいと思うんだ。ちょうどいい感じの難易度の問題が載っているサイトも見つけたからね」

 

「ならそのサイトの問題をコピーしておこうよ! そして放課後、堀北さんに見せて採用されるかどうかを確認する。採用されなくても自主学習に使えるし、どうかな?」

 

「そうだね、そうしよう。……櫛田さん、ネットの問題のコピーの仕方分かる? 僕、あまりこういうの詳しくなくてね」

 

「任せて平田くん! 私やり方わかるよ」

 

 ここでも承認欲求は満たされた。

 その後、あっという間に時間は放課後を迎える。

 場所は図書館。すでにDクラスの生徒が15人ほど揃い、各々席に着いていた。

 

「平田くん、堀北さんの許可取れた?」

 

「うん。こっちの問題のほうがいいって!」

 

「良かった! ……ところで堀北さんはどこにいるのかな? そろそろ勉強会が始まるのに」

 

「テスト問題を提出しに行ったよ。あと少しで受理できるんじゃないかな?」

 

「あっ、そっか! うっかりしちゃったよ!」

 

 もちろん、嘘。これは堀北の行動を確認するための作業だ。

 平田は私のうっかりを責めないように優しい微笑みを見せる。

 相変わらず、人が良いことだ。

 一之瀬さんほどではないにしても彼も善人と呼ばれる人間だろう。

 そんな彼の秘密も知ってみたい。そうすれば、私の欲求は大いに満たされる。

 

「早速、勉強会を始めるね。今日は最後の勉強会だからテスト形式で問題を解いて欲しいんだ」

 

 平田は皆にプリントを配っていく。

 本来、勉強会の指揮を執るのは堀北だが、あいつは今頃職員室。代理で平田がその任を行っている。

 私は配られたプリントを何食わぬ顔で受け取り、解く準備を始める。

 これを解き終えた頃には、全てが終わる。

 その思いをペンに乗せ、集中力を高めた。

 

「……これで、本当に」

 

 ペンを握る手に力が入っていく。

 夢にまで見た光景はすぐそこだ。もう背中を刺されることはなくなる。

 誰も私の過去を知る人間はいなくなる。

 

 過去を断ち切れる。

 

 断ち切ってから私の明日は……“未来”は始まる。欲求を満たせて、楽しい生活が待っている。

 

 問題に取り組もうとしたその瞬間、携帯電話が着信を知らせた。

 

 

「誰~? ここ図書館だからマナーモードにしとけよな~」

 

 池が陽気に注意するが、原因は私の携帯だ。

 

「ごめん、池くん。私みたい」

 

「あっ……、誰だってミスはあるから仕方ないよね~」

 

 掌を返す速度に小笑いが生まれる。その間に誰からの着信かを確認する。

 

「……誰の番号だろう」

 

 見覚えのない番号。

 交友関係を広げることを武器とする私は交換した連絡先にちゃんと名前を付けている。

 そうでなければ誰からの連絡か分らなくなるからだ。

 名前の付け忘れをした記憶はない。だからこそ、番号だけが表示されるデスプレイは不可思議な現象と思えた。

 

「どうしたの櫛田ちゃん?」

 

 クラスメイトの佐藤さんが私を気にかけてくれる。

 

「何でもないよ! でも、ちょっと折り返してくるね」

 

「おお、もしかして彼氏?」

 

「違うよ、もう!」

 

 佐藤さんからの弄りを軽くいなして、私は図書館を出る。

 念のため、図書館から少し離れた廊下に移動する。

 もしかすると、龍園からの電話かもしれないからだ。

 龍園の連絡先も持っているが、あの狡猾な男のことだ、普段とは違う方法で連絡してきても不思議ではない。

 そう考えていると、ポケットにしまっていた携帯が再び振動する。

 すぐに確認すると、番号は先程のものと同じだった。

 

「もしもし」

 

 私は龍園であることを想定して電話に応じる。

 左耳に押し当てた携帯。向こうから声は聞こえてこない。

 かすかな機械音だけが聞こえているだけだ。

 

「……誰ですか?」

 

 悪戯電話。私は心の中で断定しながら、ダメ元でそう聞いてみる。

 

 

『櫛田桔梗の全てを知る人間だ』

 

 

 返答があった。

 内心驚きながらも、すぐさま電話主を特定するために頭を回す。

 男の声。中性的……いいや、それより少し低いくらいか。

 

「悪戯電話なら切りますよ?」

 

 内容に興味はない。どうせ、適当を言っているだけだ。

 

『切れば、お前が中学で起こしたブログ事件を学校中に暴露する』

 

 背後に拳銃を突き付けられたような焦燥感が私に襲いかかる。

 ブログ事件。それは私の人生における唯一の汚点。

 この学校に来ざるを得なかった原因であり、私のトラウマ。

 

「……何ですか、ブログ事件って。そもそも、あなたは誰なんですか?」

 

 私は感情の起伏を抑えながら返答する。

 法螺を吹くにしては『ブログ』という事件に関係している単語が入っている。

 だから、嘘だと断定できず、会話を続ける羽目になった。

 

 

『かつての失敗。自分の本性を知られて爆発した哀れな女の事件だよ。これ以上の詳細は必要か?』

 

 

 頭の中が真っ白になった。この電話相手は私の過去を知っている。

 現状、私の過去を知っているのは堀北と綾小路。

 男の声なので犯人が綾小路かと連想するが、それにしては声も話し方も違う。

 だが、どこか聞き覚えのある声だ。

 勘を頼りに、1人の名前を呼んでみる。

 

「……カムクラくんなの?」

 

 いくらあの男、カムクライズルが天才であっても私の過去は知らないはずだ。

 だが、候補が上がるとしたらあの男しかなかった。

 しかし、私がそう訊いても声は答えない。

 むしろ、

 

『お前は今、同じ過ちを起こそうとしている』

 

 自分の話を押し通してくる。

 今すぐにでも切りたいが、切られて噂が広がればそれこそ全てが終わってしまう。

 

『過去は消えない。未来は過去を断ち切って出来るものじゃないんだ。過去に向き合って自分が何をすべきか決める。そこから始まる軌跡、それが未来だ』

 

 諭すような言葉が返ってくる。大層な言葉だ。

 

「……目的は何? どうしてあんたはそんなことを言ってくるの?」

 

 質問を質問で返す。

 上から目線で説教を垂れてくる男に腸が煮え返っていて、会話をする気なんて起きなかった。

 しかし、

 

『繰り返すのか?』

 

 電話はあらかじめ録音した言葉を流しているかのように自分の話を続けている。

 怒りのボルテージは引き上がり、とうとう限界を超える。

 埒が明かない。

 質問に答える気がないため切りたいが、相手は私の秘密を知っている。

 勝手をすればどうなるか分からないから相手の話に応じるしかない。

 

「繰り返さない。だって、私は同じ過ちを起こさない。

 堀北は龍園の暗躍を止められず、敗北を喫する。そして、私との賭けに負けて退学する。それが未来、そこから私の平穏な生活は始まるのよ」

 

『本当にそう思っているのか?』

 

「そう思っている。だから繰り返されない。それで、あんたは誰? なんで私の秘密を知っているのッ!?」

 

 イラついていたため、知りもしない相手に熱くなってしまった。

 息切れした呼吸を整えながら、精神を落ち着かせる。

 質問に答えたんだ。これで多少はこちらの質問に答えるだろう。

 しかし、

 

 

『目を逸らすな』

 

 

 静かな一言、それでいて力強い声が耳に届いた。

 活を入れるような身体の芯を奮い立たせる鼓舞、そう錯覚してしまう。

 僅かに動きそうな心があることを自覚するが、そんなことはないと平静を保つ。

 

『一人で背負う必要はない。溜まったストレスがあるならばそれを発散できる存在を見つけるんだ』

 

「……はっ、何言ってんの? 私のストレスを受け入れてくれる人間なんているわけないじゃん。

 人は醜いものを嫌う。私のストレス発散は人から見れば醜いもの以外の何でもない。こんな嘘だらけの人間を信じさせてくれる人なんていない」

 

『どうかな? 存外近くにいるかもしれない』

 

 答えを教えてくれない。ヒントを並べて私が自分の意思で答えに近づけるように誘導している。

 

「……あんたは誰なの?」

 

 結局ここに戻る。相手が誰だか分からない以上、どこまで行ってもこれは戯言だ。

 

『言ったろ? 俺はお前の全てを知る人間だ』

 

「……もしかして教師? はっ、職権乱用して私を諭しにでも来たの?」

 

 一つの可能性。

 綾小路でも堀北でもなければ、私の秘密を知っている人間は教師しかない。

 

「言っておくけど、私はあなたが誰か分からない限り改心する気なんてないから」

 

 電話相手は依然として誰だか分からないが、こういえば多少は聞く耳を持つはずだ。

 私はそう考え、返答を待った。しかし、10秒ほど経っても声は返ってこない。

 

「……何とかいったらどうなの?」

 

 急かすように追求することはできない。

 秘密を知られている以上、立場的に私の方が弱い。

 だから、恐る恐る訊いてみる。

 

 

「いや、お前の言う通りだな」

 

 

 提案を認める発言が返ってきた。ただし、それは電話越しではない。

 自分の背後。

 私は後先考えずに後ろを振り向く。

 そこには、キャップ型の黒い帽子を深く被った男が鍔を抑えながら立っていた。

 口元や顔立ちは見えても、目元は隠れているため人物特定は難しい。

 身長は180くらい。動きやすそうな作業服はこの学校の用務員が着ていたものだ。

 

「あんたは……誰?」

 

 違和感。

 電話をしながらものの10数秒でここまで辿り着いた。

 それはつまり、よほど近くにいたこと。

 しかし、周囲に雑音や山彦のように反響する音もなかった。

 

「ただの用務員だよ」

 

「そんなの信じるわけないでしょ」

 

 気付けば携帯の通話は切れていた。男の手に携帯と思われるものはない。

 謎はますます深まっていく。

 

「俺が同じ立場でも同じことを言うよ。でも話を続けさせてもらうぞ、あまり時間もないんでな」

 

 私の質問に男は薄く笑って応じると、こちらに距離を詰める。

 得体のしれない雰囲気と作業服を着ているため大人びて見えるが、実際の年齢は私たちと大差なく感じる。

 距離が1m程度になるまで近づけば、もう一度口元を弧を描くように曲げた。

 

「堀北鈴音は嫌いか?」

 

 何を言うかと身構えていたが、聞かれたのは堀北の事。

 これでは拍子抜けだ。凄みある雰囲気も途端に失せていく。

 

「ええ、大っ嫌いよ」

 

「過去を知られているからか?」

 

「そうよ。それにお高く留まって気に入らないし、いちいち癇に障る女だからよ」

 

「でも、堀北は無意味に過去を吹聴するやつではないだろう?」

 

 確かに、堀北はムカつくやつだが、そんなことはしない。自分と兄以外に興味が無いからだ。

 

「知られているってことが問題なのよ」

 

 知られている時点で不安が残る。不安は心が傷つきそうな時に鳴る警鐘だ。精神に支障をきたしては、欲求を得れても満足感が薄い。

 そして、こと私の欲求を満たすためには、不安は障害でしかない。

 

「その不安を解消するためにこうやって行動を起こしたのか」

 

「そうよ。そして今、やっと不安が消える。私の安心した未来は今ここから始まるのよ」

 

 声は納得するように発言を吟味する。

 だが、それは十数秒だけ。沈黙の後、再度口を開く。

 

 そして、続く声色は────

 

 

「────つまらない(・・・・・)

 

 

 恐ろしいほどに冷たくなっている。私にはそう感じた。あの男と似た声で、口癖だったからだろう。

 でもなぜか、不思議と不快感も恐怖もなかった。

 

「不安の解消は簡単だ。結局、お前は他人の気持ちを知ってあげることはできても、自分の気持ちを誰かに知ってもらおうと、知ってくれるその人を作らなかっただけなんだよ」

 

「……何言ってんだよ。そんなことできるわけないだろ。私を、私の気持ちを知ってくれる人なんていない。知ってしまえば、みんな私から離れていく」

 

「でも、お前は自分を知ってほしくてたまらない人間だ。それも誰かに認められるような凄い自分を知ってもらいたい。だから偽りの自分を作るしかなかった」

 

 その言葉は事実だった。しかし、何も言い返せないのも癪だ。

 だから、私は無意味に反発する。

 

「何か悪い? 誰しも性格の裏表があるでしょ」

 

「悪くないさ。でも、いつかは知られてしまう。嘘は、いつかは暴かれるものだ」

 

「じゃあ……、どうすればいいのよ。こんな欲求を持って生まれてしまった私は……どうすればいいのよ!」

 

 感情が昂った私は男の胸倉を掴んで自分の心中を吐き捨てる。

 男はそんな私を真紅に染まった瞳(・・・・・・・)でまっすぐ見つめてくる。

 腫物を見るような眼を見せない。

 憐れまず、しっかりと話を聞いていることがすぐに分かった。

 だんだんと瞼が熱くなってきて視界が霞んだ。

 初対面の人間に感情的になってしまい、悔しく思う自分。そして、自分の本性を見て目を逸らさない相手に嬉しく思う自分。

 2つの感情が同時に現れ、処理できない。

 もう、声がどれだけ響いても、周囲を確認する気力はなかった。

 

「これからお前が取れる方法は3つだ」

 

 男はそう返す。意外にも多い選択肢に僅かな希望を持ってしまう。

 

「一つ、誰とも関わりを持たないこと」

 

 それは無理だ。皆に認められたいという私の欲求は満たされない。

 

「一つ、関わった上で秘密を隠しきること」

 

 それが正解だ。

 私は1度失敗した。だが、繰り返さないように今回は秘密が周囲に晒される前に障害を排除しようとしている。

 今、その成功に王手がかかっている。

 

「一つ、秘密を共有してくれる仲間を作ること。 普段は秘密を隠しながらもその人の前では何も隠さなくていい。そんな人を作ることだ」

 

 それは、無理だ。

 本当の私では────誰も見てくれないのだから。

 胸ぐらを掴む掌から力が抜ける。

 かろうじて掴めてはいるが、徐々に脱力していき、上半身と視界が下がる。

 涙が床に滴り、自分が今泣いていることを自覚すれば、今度は惨めな気持ちが心を支配する。

 こんな姿を見せたいのではない。己に嘘をついてまで作ったキャラクターはもっと認められていた。

 

 必死に相手の懐に入り、それで信頼を得るのが『櫛田桔梗』だ。

 

 交友関係を作る上で間違っているとは思わない。

 むしろ最善の方法と今でも思っている。相手の視界に入るのは『櫛田桔梗』であって私ではない。

 しかし、それでも私の欲求は満たされている。

 

 でも、そうだ。私の隣には誰もいない。

 

 誰かの隣にいかなければ、私は1人だ。

 求められることはあっても、自らが気負わず求めることはない。

 だからストレスが溜まり、失敗した。

 

 そして、1人になった。

 

 

「……もう失敗したくないよ」

 

 気付けばそんな弱みが口から零れる。

 これまで1人で頑張ってきた。しかし、だんだんと己の本性はバレていき、何人もの人間から忠告をされた。

 その時から、もう精神的に参っていたのだろう。とうとう、目に見える限界がやって来てしまった。

 

「大丈夫だ」

 

 男はそう言って私の頭に手を置いた。

 子供をあやすように優しく撫でられる。

 男に髪を触れられても不快感がない。撫で方が非常に上手いのもあるが、私の精神がそれほど弱っているからだろう。

 しかし、さすがに相手は初対面。

 私は横から男の手を振り払い、顔を上げた。目を擦ってから気を強く持ち会話に臨んだ。

 

「俺はさ、お前と同じ才能を持った奴と友達なんだ」

 

「……詐欺師の才能のこと?」

 

「そうだ。でも、そいつはお前よりずっと詐欺師の才能があったんだ。有り体に言えば、質が何段も違った」

 

 比べられることにいつもならイラつきが生まれるが、生憎と反発する体力は残っていない。

 私は男の話を続けて聞いた。

 

「そいつは昔、『誰かになり替わる』ことでしか生きられなかった。

 声で、姿で、話術で人を騙し続けた。そうやって沢山の人を騙したから超高校級の詐欺師なんて呼ばれていたよ」

 

「最悪ね」

 

「でも今は、本当のあいつを受け入れてくれる仲間ができた」

 

「だから、私もできるって?」

 

「ああ、そうだ」

 

 男は包み込むような優しさ溢れる笑みを見せた。

 

「……体のいい口説き文句だね」

 

 その表情を見て嘘には感じなかった。

 だから、たぶん本当の話なんだろう。馬鹿正直に私に説得してきたことに含み笑いが出る。

 それを見た男はまた笑った。

 

「これからどうするんだ?」

 

「……さぁね、私にも分からない」

 

 少しだけ心に余裕ができた私はもう一度考える。

 私は自分の欲求を満たせて安心した生活をしたい。

 そのために過去を知る堀北を消そうと動いていた。だが、秘密を隠しきること以外にも方法があるらしい。

 このまま堀北を退学させる道を取るか、それとも他の道を取るか。

 他の道は依然として漠然とした道だが、未来の候補として認めるくらいには思えた。

 

 でも、やはりまだ迷っている。

 

「迷っているなら、誰かと話し合えばいいんじゃないか?」

 

 男は私の深層心理を表情から読み取ったのか、告げ口をするように奨めてくる。

 アドバイス、というよりは誘導だろう。この男の掌の上で転がるのは癪に障る。

 だが、その提案を受け入れてみたいと思った。

 

「ねぇ、あんたは結局誰なの? それにその顔……」

 

 不思議な人間だ。

 初対面でこんなに話しやすい人間がいるのだろうか。それとも女の子の扱いに手慣れている輩なのか。

 まぁ、どちらにしてもただの用務員ではない。

 そう確信を持てたのは、先程顔を覗いた時。

 何せその容姿は……、

 

「それは言えない。でも、俺はお前の味方だ」

 

 男は最後まで質問に答えることなく、とうとう背を向けた。

 言いたいことはこれで全部のようだ。

 

「偉そうに言ったが、結局、選ぶのは櫛田だ。

 悔いのない方を選べ。もし選択を間違えても何とかする。そのために俺がいるんだ」

 

 男はそう言って廊下を歩いていった。

 だんだんとその姿が見えなくなれば、私もやるべきことを考える。

 

「結局、具体的に何をすればいいかは教えられてないね」

 

 何が正しいのかは分からない。不安は未だ心に残っている。

 でも、指標はたった。

 行く場所は職員室。

 これが正しい判断だと思い、私は前に歩き出した。

 

 

 

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