ようこそ才能至上主義の教室へ   作:ディメラ

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伸ばせ、届かせろ

 

 

 

 

 

『特別棟の一教室。監視カメラはなく、今日は人目が全くない日だ。

 そこにこれを置き、男を呼んでおいた。

 今からそっちに向かう。待っていろ、龍園』

 

 

 携帯の画面にはそう書かれた文章と拘束された伊吹澪の写真が映っていた。

 伊吹の姿はYシャツの第二ボタンが外れ、胸元と黒い下着が見えている。

 明らかに欲情を誘う角度で撮られた写真であり、現場へ欲にまみれた男が来たらその末路は言うまでもない。

 

「さて、どうするカムクラ?」

 

「助けるしかないでしょう」

 

 決して加工ではないとカムクラは超分析力で判断する。

 すなわち、伊吹がXに捕まったのは事実。

 男が来るかは不明だが、最悪のケースを考えれば助けに行かざるを得ない。

 しかし、

 

「想定内だぜ」

 

 挑発と判断した上で、余裕を崩さない龍園。

 後半の文は名指しで龍園を指名している。

 それは探し求めていたXが会いに来るという事実によって龍園を屋上に居座らせることを目的として書いたもの。

 だが、前半の文は助けに来いと暗に伝えている。

 問題なのは誰を誘っているかだ。

 

「やはり、彼は僕と戦わないことを選択しましたか」

 

 カムクライズルは理解する。

 Xが誘っているのは自分だと。

 そしてその事実に対して退屈した。

 同時に言いようもない何かが心の内に発生して、込み上げてくることに疑問を持っていた。

 

(……この展開は予定通りです。なのにこれは……、この胸騒ぎは……)

 

 全て予想通り。

 伊吹澪が特別棟にてXに利用されることは想定していた。

 仕打ちの度合いはせいぜい軽い拘束程度と想定していたので予想外の結果だが、こうなる可能性もカムクラは全て観測していた。

 にもかかわらず、誤作動が起きている自分の現状に驚いていた。

 

「どうする? 俺が行ってやってもいいが」

 

「……いいえ。僕が行きます」

 

 現状は後手。

 カムクラが行こうが龍園が行こうが、どっちにしても現状は変わらない。

 Xからすればカムクラが動いてから行動を決めればいいからだ。

 仮に龍園が助けに行っても孤立した龍園を潰せばいい。カムクラが行けば屋上に現れて龍園を潰せばいい。

 事態は変わらない。

 ならば、優先することは伊吹の救出。

 相手の誘いに乗るしかない。

 

「クク、どんな手でくるか楽しみで仕方ねぇ」

 

 凶暴な笑みを浮かべる龍園。

 Xの行動はもう隠れることをやめたと言っていることと等しい。

 そしてその行動は好ましい誘いだった。

 

「さっさと行け。もしかすると伊吹はもう犯されてるかもしれねぇからな」

 

 邪魔者は消えろ。

 不安感を募らせる言葉ではあるが、それもまた龍園の配慮だろう。

 カムクラは地面を蹴った。

 事態は一刻を争う可能性があるため、体力の計算をする余裕はない。

 走ることに関係する才能を十全に使用し、一気に階段を降りていく。

 頭の中では伊吹とXの現在地を考えながら走り続ける。

 特別棟の一教室と言っても、教室は無数に存在する。

 写真から分析できる情報の中に場所に関するものはない。手がかりは携帯に常備されているGPS、それを元に探すしかない。

 だが伊吹がGPSを切っている可能性、仮にonにしていても教室の階数までは分からないためどちらにしろ時間はかかる。

 そして時間稼ぎこそXの目的。カムクライズルがいない間に龍園を始末しようと企んでいる。

 となれば、Xの居場所は大抵見当がつく。

 Xもまた時間との勝負である以上、屋上の付近で待っているはずだ。

 カムクライズルが屋上から出たことを確認した上で乗り込む必要があるので、1度はカムクラを見る必要がある。

 その1度の監視でカムクライズルに位置が露呈しようと、こちらに来させないための人質だ。

 

「……龍園くんが持ちこたえ、僕が間に合う」

 

 勝利条件はたった一つ。

 龍園がX……綾小路清隆の猛攻に耐えることが大前提だ。

 

「まったく、この僕が誰かに希望を託すことがあるなんて……」

 

 龍園が持ちこたえてくれなければ綾小路の未知を見ることができない。

 だから耐えて欲しいという願望が生まれる。

 人類の希望となれという醜い願望の集大成であるカムクライズルもまた、誰かに希望を託す。

 そんな事実そのものにカムクラは未知を感じ取る。

 小さな昂りに身を任せながら昇降口を駆け抜けていくカムクラ。

 全力で走ろうと周囲の危機を考える必要は無いため、可能な限り最速で進んでいく。

 

「期待していますよ」

 

 そんな予想外の出来事を楽しみながら怪物は嗤う。

 あっと言う間に特別棟に到着し、捜索に取り掛かった。

 

 

 

 ───────

 

 

 

 カムクラが屋上を後にしてすぐに、龍園は軽井沢の元へ近づく。

 何が起きたか分からない軽井沢は柵によりかかりながら瞬きを繰り返す。

 

「良かったな軽井沢。これからXがここに来るらしいぞ」

 

 目が点になる軽井沢。

 ニヤニヤと笑う龍園の言葉はとても信じられなかったが、僅かな光に反応してしまう。

 寒さによる震えこそ消えないが、冷えきった心の方が溶け始める。

 だが、未だ龍園が自分に何かをする可能性が拭えないため、身構えてしまう。

 

「そう怯えるな。もう俺の興味はお前にない。やっとご対面できるんだからな」

 

 白い歯を見せながら龍園は軽井沢を見下ろす。

 イカれている。

 軽井沢は純粋にそう思った。

 誰かと争うことにここまで楽しみを見出すことに理解が及ばなかった。

 

「さて」

 

 龍園は屋上の出入口に身体を向ける。

 メールの内容が正しければ、Xはそろそろ現れる。

 先程まで軽井沢という駒を切り捨てる可能性が高いと踏んでいた龍園だが、今は現れることを確信していた。

 カムクラをこの場から除外してまで場を整えたならば、予想外の何かがあると。

 そしてその予感は正しかった。

 

 ────屋上の扉がゆっくりと開く。

 

「……来たか」

 

 開ききった扉から現れた人物は2名。

 一方は見張りをしていたアルベルト。

 もう一方は、Dクラスの綾小路清隆。

 綾小路はポケットに手を入れ、余裕の態度を崩さずに屋上の地面に足をつく。

 首を回して監視カメラを確認した後、龍園と目を合わせる。

 

「クク、お前がXか?」

 

 この状況を楽しむためのジャブ。

 龍園はあえて問う。

 

「ああ、オレがXだ」

 

「そうか。……クク、会いたかったぜ綾小路。歓迎するよ」

 

 龍園は視線を軽井沢に向ける。

 誘導をかけ、綾小路にこの事態を理解させようとする。

 

「お前が最初っから正体を現していれば軽井沢はこんな風にならなかったのにな」

 

「そうだな。だが、間に合った。これで軽井沢を助けることが出来る」

 

 綾小路もまた軽井沢を見る。

 絶望に染ったはずの瞳に光が灯っていた。

 涙が溢れ、自分は裏切られていなかったことに軽井沢は安堵する。

 

「さっきまで絶望に浸っていたやつの目じゃねぇな。どうやら軽井沢はお前に心酔してるらしい」

 

 龍園は面白そうに2人の様子を見比べる。

 軽井沢がここまで綾小路に信頼を向けることそのものがXである証明。

 そしてどうやってここまで信頼を向けさせたのか、向けさせたのに綾小路から助けたいという感情が見られないことに興味が湧いていた。

 

「駒として使われる幸せを覚えさせたってか? 人でなしもいい所だぜ綾小路ィ」

 

「お前も似たようなものだろう?」

 

「クク、クハハハ!! ────ああ、そうだ。俺たちは似たもの同士だ」

 

 龍園は待ちに待った自分と似た人間の存在に心の底から笑みが漏れる。

 異常者たる自分と似た思考をする人間。

 興味を持つなと言う方が難しかった。

 

「それで、伊吹はどうした? もうヤったのか?」

 

 顎を引き、ポケットに手を入れ直して龍園は言う。

 挑発を込めた言葉は慢心からではない。

 

「部下を心配しているのか。そこはオレとは違うな、龍園」

 

 返しの挑発に龍園は笑みを抑えきれない。

 色があるようでない瞳を真正面から覗き、理解する。

 それが異常者の目であることを。

 

「クク、別に心配はしてねぇさ。ただ、お前がなんで伊吹をだしにしたのか気になったんだ。それがこの場を解決出来る取っておきの策略っていうなら詳しく教えてくれよ」

 

「簡単な話だ。カムクライズルを退ける。そのために伊吹澪という女は最も効果的な餌だった」

 

「カムクラを釣っただけか? わざわざこんな見え見えの罠に引っかかってまでここに来たのはなぜだ?」

 

「軽井沢を助けに来たんだ。それ以上もそれ以下もない」

 

「……退屈させんなよ綾小路。本当にそれだけか?」

 

 龍園は思わず不機嫌な声が出た。

 変わらない仏頂面に失望が映った気がしてイラつきが生じる。

 

「俺はお前を待っていたんだ。いい加減クセェ芝居もやめろ」

 

「芝居とは?」

 

「……クク、どうやら俺の口から言わせたいらしいようだな。

 だが、良いのか? 俺がそのことを口にすることで軽井沢の努力は水の泡だぜ?」

 

 綾小路は答えず、軽井沢を見つめる。

 安心しきった軽井沢は全ての決断を委ねるように目をつぶった。

 

「いい。私はもうどうなってもいい。全てを受け入れる」

 

 龍園は舌打ちをしてから答えを告げる。

 

「……なら、お望み通りだ軽井沢。

 俺は綾小路がXだと知っていた。Dクラスを背後から操り、この俺に刃向かってきた頭の回る存在を既に炙りだしていたんだよ」

 

「……じゃあ、今日の目的は、本当にあたしを潰すためだけに」

 

「そうだ。お前を潰すか、のこのこと現れた綾小路を潰すかの二択。

 どっちにしても俺からしたら美味い選択肢だったんでな」

 

 言い終えると、龍園は綾小路を睨む。

 

「随分と不機嫌じゃないか」

 

「俺はこの事実を言うつもりはなかったからな。

 お前に言わされたようで気に入らねぇんだよ」

 

「俺がその事実を露呈させる意味がないな」

 

「あるさ。軽井沢のメンタル確認。そしてその事実で軽井沢が壊れてもお前が新しい支柱に成り代わるための一手になる」

 

 お見通しと言わんばかりに綾小路を睨み続ける龍園。

 綾小路は怯む素振りすらせずに淡々と返答する。

 

「そんな意図はない。これ以上、軽井沢に無理を強いるつもりはないんでな」

 

「嘘をつくなよ。てめぇがなんの考えもなしに行動するような奴じゃないくらい俺も理解している。

 だから、今日この場に現れたんだろ?」

 

 真剣な龍園の問いかけに、綾小路はポケットから手を出す。

 そして、綾小路の目付きが変わる。

 

「そうだな。そろそろ猿芝居もやめて手早く終わらせよう。

 お前も伊吹も想像以上の成長を見せている。無駄に時間を取られては面倒だからな」

 

「……クク、やっとその気になったか。

 それで? お前はこの状況からどんな策を見せてくれる? 

 まさか、軽井沢と自分の正体を盾に逃げるつもりなわけねぇよなぁ?」

 

 龍園は綾小路の企みを露呈してやったと言わんばかりに考察する。

 そしてこれは事実だ。

 軽井沢の過去と綾小路の正体を盾にされれば、龍園は軽井沢に虐めを行った事実によって懲罰をくらうので、綾小路たちの情報を漏らすことは出来ない。

 互いに泣き寝入り。

 場外乱闘に発展させることはリスクが高すぎる。

 

「そんな方法でお前が納得しないとオレは知っている。

 お前はそんなことで終わらせない。己の快楽のために方針を変えるようなことはしない」

 

「……俺が何をするか分かった上でこの場に現れたのか?」

 

 笑みの消えた龍園は真剣な顔付きで告げる。

 

「ああ、お前が暴力を用いて相手を支配する人間であることはとっくの昔に露呈しているからな。

 この誰にも見られない状況が出来上がったら、お前はオレを暴力で打ちのめそうとする」

 

「やはり、解せねぇな。そこまでわかってなぜ1人で乗り込んできた?」

 

「簡単な話だ。それはオレにとっても好機だった」

 

「……好機だと?」

 

「────まだ分からないのか龍園。この誰にも見られない状況は互いに望んでいる場だ。

 そして今日この場、この状況とは俺の用意した場であり、確実にお前の鼻を折るために用意した場だ」

 

 

 予想外の発言に思考が止まる龍園。

 その事実は龍園にとって瞠目に値した。

 

「……何を言ってやがる、今日この場は俺が作ったものだ。てめぇの駒を1つ叩き潰すためにな」

 

「そう行動をとるように誘導をかけたと言っている。オレが本気で正体を隠すなら真鍋を利用したりしないぞ龍園。明らかに尻尾を掴ませるような証拠をなぜ残す必要がある」

 

 感情的になりかけるが、龍園は1度考え直す。

 捜査の一環として何度もこの状況をシミュレーションしていた。

 その中に綾小路の告げている状況はない。

 だが、改めてその状況を組み込んだ上で今の状況を考える。

 

「ついでに言うなら、お前にオレの正体がバレていることは関係なかった。

 お前がオレの正体に気づいてそこから深読みしようがしなかろうが、結局この場は完成していた。

 王は、舐められたら終わりだからな」

 

 そしてとうとう綾小路の思考に追いついた。

 確かに、本気で正体を隠すのならば真鍋は利用されない。

 龍園の恐怖によって怯え、簡単に口を割るような人間を使うなんて不確定な要素が多すぎる。

 だが、あえて吐かせてXの捜索を始めさせるために利用したなら筋が通る。

 そして軽井沢との繋がりを掴み、龍園が満を持して軽井沢を呼び出すこの日に全てを終わらせようと画策した。

 

「……クク、ククハハハ! 結論まで同じってわけか! つくづく気が合うな綾小路、俺の事をよく分かってんじゃねえか!!」

 

 龍園はやっと全てを理解した。

 なぜ綾小路が自分の土俵に乗っかってきたのか。

 どうしてこの状況を綾小路にとって不利と想定していたのか。

 散々、綾小路と自分が似ていることを理解していてもその想定に気付かないバカさ加減を自覚すれば、僅かな慢心が残っていたことを理解する。

 同じ異常者だ。最終的な決着方法の取り方だって似ていても不思議ではない。

 その事実に、龍園は再度好戦的な笑みを見せる。

 しかし、綾小路は応じず無表情を返す。

 

「どうやら、俺はお前の策の中で泳いだつもりだったが、まだまだ底にはつけてなかったようだ。

 負けたぜ綾小路。知略はお前の勝ちだ。

 だが、『暴力』の強さを決めるならば負けてやるわけにはいかねェな」

 

「負ければお前の精神的支柱は崩れるぞ?」

 

「クク、わかってねえな綾小路。俺は負けない。お前の方程式は既に崩れたぜ?」

 

「そうか。オレも自分は負けないと思っている。

 だから────白黒つけてみようか」

 

 その言葉を最後に屋上が静寂に包まれる。

 双方の目的が同じであれば、会話は不要。

 後は実行するだけだ。

 

「石崎、アルベルト」

 

 龍園は2人の部下を視線で集め、攻撃命令を下す。

 2人は躊躇うことなく王の指示に従う。

 思うところはあった。綾小路が喧嘩慣れしていなかったらただのリンチに変わるかもしれない。

 だが、自分たちの王に油断の色が見えないため、2人は命令を忠実にこなすことを決めた。

 

「卑怯なんて言うなよ? 喧嘩ってのは最後に勝ったやつが正義だ」

 

 2人は同時に綾小路へ襲いかかる。

 綾小路が2人の突撃を軽くいなしたことで戦闘の火蓋が切られた。

 距離を取りながら戦う綾小路に、2人はその距離を潰すために攻撃を続ける。

 ボクシングの要領で何度も拳を振るうアルベルト。1発1発が人体に大きなダメージを与えるその拳を綾小路は目で追い、余裕を持って避けるか受け流す。

 石崎は畳み掛けるように大ぶりの拳を顔面に向かって何度も打つ。

 しかし、綾小路はその攻撃も避け続けた。

 避けて避けて、疲れによって遅くなった拳の瞬間に緩急を変える。

 

「……うごっ!?」

 

 裏拳が石崎の鼻に直撃した。

 激痛に駆られ、石崎は手で鼻を覆う。

 しかしそれは悪手。戦いの最中に視界を自らで覆うのは愚の骨頂だ。

 立て続けに綾小路の蹴りが腹に刺さり、為すすべもなく吹き飛ばされる。

 

「……shit!」

 

 直線上にいたアルベルトはそんな石崎を両手で受け止める。

 石崎が戦闘不能であることを確認すれば、すぐにどかし、その剛腕を綾小路を仕留めるためにもう一度振るおうとする。

 だが、余所見のうちに綾小路は離れていた距離を一気に詰めていた。

 吸い込まれるように鳩尾へ叩き込まれる綾小路の拳。

 人間の弱点への拳はアルベルトの顔を歪ませる。

 しかし、アルベルトの恵まれた肉体はそれだけで機能を停止しない。

 

「……タフだな」

 

 痛みに耐えながら攻撃を続けるアルベルト。

 しかし、その拳は先程よりも鈍い。

 綾小路は一つ一つ丁寧にいなしていき、一際強烈な蹴りを左膝に放つ。

 対応が遅れたアルベルトに蹴りは直撃し、姿勢を崩す。

 下がった頭部分に向けて手加減無しの右ストレートを振りぬけば、ついにその巨体が地面にひれ伏す。

 

「お見逸れしたぜ綾小路。惚れ惚れする暴力だ」

 

 龍園は素直な敬意を表すように拍手し、綾小路の前まで歩いていく。

 堂々と近づくその振る舞いが幾度の喧嘩によって培った自信に起因していることを綾小路は理解する。

 

「だが、暴力の勝敗を決めるのは何も腕っ節だけじゃねえ。心の強さも関係する」

 

 右足を上げ、前蹴りを放つ龍園。

 体重が乗ったその蹴りを綾小路は紙一重で躱し、そのまま龍園の身体を押してバランスを崩させる。

 不安定な姿勢を強いられたが、龍園は防御よりも攻めを優先して再度距離を詰める。

 腹部目掛けて振るわれる龍園の拳。

 しかし、それは届く前に受け止められる。

 綾小路はそのまま拳を引き寄せ、右肘を龍園の額に穿つ。

 防御が間に合わず、脳を揺らす羽目になる龍園。

 判断が遅れ、追撃の拳を腹部に3発貰えば、屋上の柵に激突する。

 

「悪いが手加減する気はない。お前には完膚無きまでの敗北をくれてやる」

 

「……クク、見下すのは俺の専売特許だと思ったが、これは返上しなくちゃいけねぇな。

 だが────その優位は今だけだぜ綾小路ィ!」

 

 柵を杖代わりにして立ち上がった龍園は腰を低くして突撃する。

 狙いは綾小路の腰だ。

 ラクビー選手のような全力の体当たりが襲いかかる。

 バックステップでは突撃の直線上にいて意味がない。いずれ捕まると判断した綾小路はギリギリまで龍園を引き寄せて真横へ飛ぶ。

 そして軽快なステップを挟み、無防備な龍園にキックボクサー顔負けのハイキックを放った。

 龍園は迫る足と顔の間に右腕を割り込ませて直撃を回避するが、その威力を殺しきれず、地面を2度3度転がっていく。

 

「……う、うそぉ」

 

 黙ってこの状況を見守っていた軽井沢は驚愕の果てに声が漏れる。

 自分を守ってくれると言った綾小路の実力にド肝を抜かれ、だんだんと胸の内が温かくなっていた。

 しかし、その感動を消し去るように龍園はゆっくりと立ち上がる。

 

「……これだけ力を持って実力を隠すのはなんでだ、綾小路?」

 

 龍園は唾を吐き捨て、袖で血を拭う。

 

「目立つ気がないからだ」

 

「クク、そうかよ。……なら、今日から教えてやる。表舞台でこの俺に狙われる恐怖をなっ!」

 

 龍園は綾小路の嫌がることを正しく理解している。

 ならば、そこに力を入れない理由はない。

 再度腰を低くして龍園は綾小路に向かう。

 

「恐怖か、そんなものを今さら知る必要は無い」

 

「はっ! てめぇは恐怖を知っていると?」

 

「さぁな。お前はどうなんだ龍園?」

 

 先程と同じように一直線。だが、今回は綾小路の射程に入る直前にスピードを緩めた。

 サイドステップを踏んで綾小路の横に回ればもう一度最高速へ。

 頬に狙いを定め、威力より速度を優先させたジャブのようなパンチを打つ。

 しかし、それも最小限の動きで躱された。

 

「知っているさ! だが、俺は恐怖を乗り越えられる人間だ!!」

 

 龍園は逃げ切られる前に綾小路の左手首を左手で掴んだ。

 そのままコンボを繋げるために引き寄せる。

 だが、

 

「……!?」

 

 まるで大木の根を引っ張ったかのようにビクともしない。

 

「……乗り越えられるか。ならやはり、絶対に勝てないという未知の恐怖を知る方がお前の精神は折りやすそうだ」

 

「やって見ろ綾小路ィィ!!」

 

 龍園はすぐに切り替える。

 引っ張れないなら削る。右手で手刀を作って綾小路の左肘部分、すなわち関節へと振り下ろす。

 しかし予測されたかのように綾小路の右手で受け止められた。

 クロスされたお互いの腕。

 その隙間から冷たい無表情が、必死な形相が、互いに垣間見える。

 膠着に腹が立った龍園はその能面のような表情に唾液を吐き出そうとする。

 

「……ぐっぁ!!」

 

 それより先に綾小路の中段蹴りが右脇腹に放たれる。

 あまりの威力に離れてしまう両手。

 龍園はくの字に曲がった後、地面を何度も転がって受け身を取るが、それでもダメージは逃がしきれない。

 挙句、溜まった唾液が運悪く己の服にかかる始末。

 しかし、龍園はそんなこと気にせず、子犬のように足をプルプルと震わせながら立ち上がろうとする。

 

「……普通じゃねえな、この強さ。綾小路、……どこでこんな力を身に着けた」

 

 龍園は喋り辛そうに告げる。

 腫れた顔、痛みが引かない四肢、悲鳴をあげている関節。

 何とか身体を起こした龍園だったが、許容量ギリギリのダメージが蓄積している。

 貰った攻撃の数は喧嘩慣れしている龍園からすれば大したものではない。

 問題は威力だ。

 今まで受けてきたどんな拳や蹴りよりも、綾小路の暴力は格が違った。

 綾小路は答えず、1歩1歩開いた龍園との距離を詰めていく。

 だがその無慈悲な態度を見ても、異常者は嗤う。

 

「クク、自分より弱い奴を見下すのは楽しいかァ? 

 それとも一矢酬いられる可能性を消しきれなくて怯えてんのかァ?」

 

 暴力で劣勢なら舌戦を。

 使えるものは何でも使うのが龍園翔だ。

 

「見下すも見下さないもそんなことを考えたことは無い。他人が成功しようと失敗しようとオレには関係ない事だからな。

 そして怯える理由もないな」

 

「そんなわけがあるかよ。人間ってのは欲の塊なのさ。

 ありとあらゆる才能を持ったやつでも新しい欲が現れる。人間は欲を捨てられねぇ」

 

 龍園は髪をかきあげて笑い、綾小路の意見を否定した。

 入学してから見続けた才能の権化ですら人間らしい欲を持つ。

 その体験から龍園はそう断言できた。

 

「暴力ってのは欲を丸見えにする。だんだんとわかってくるぜ、……お前の欲がよォ!!」

 

 龍園は綾小路目掛けて駆け出す。

 己の暴力で相手を屈服させるために、綾小路の暴力を受けて欲を分析するために。

 どう転んでも利点があると結論付けて、攻撃を続ける。

 だが、蓄積したダメージが動きを鈍らせる。

 最初と比べればその突撃は弱い。

 

「っあッ!?」

 

 綾小路は飛んでくる拳を簡単に避け、強烈なカウンターを龍園の頬に沈ませる。

 しかし龍園は吹き飛ぶことなく、意地で踏ん張ってよろめいた身体を安定させる。

 立て続けに攻撃後の虚をつこうと反撃した。

 だが、遅い。

 ゆらゆらと腰の入っていない拳は綾小路によって合理的に対処される。

 受け流され、完璧な足運びで懐に入った綾小路にマシンガンのような連打を顔面、胸元、腹へ受ち込まれる。

 トドメのアッパーで、とうとう龍園の身体は宙を浮く。

 受身をとる余力はなく、龍園の頭は硬い床に激突し、大の字で地面に寝転がった。

 

「十分知れただろう龍園。お前じゃ天地がひっくり返ってもオレには勝てないと」

 

 握った拳はまだ解かない。

 最高傑作は油断しない。

 倒れた龍園の胸倉を両手で掴み、強引に起き上がらせる。

 膝は床につきっぱなしだが、上半身は魂が抜けたようにだらりと力が抜けている。

 

「倒れた振りはやめろ龍園。俺はまだお前から恐怖を教わっていない。そしてお前に恐怖を教えきれていない」

 

「……おおおッ!!」

 

 雄叫びをあげる龍園。

 腹筋と背筋を最大限に使って勢いを産み、頭突きをかます。

 だがその奮闘虚しく、大きく開かれた綾小路の右手に止められる。

 五指が頭蓋骨にくい込みそうな勢いで握力が込められた。

 

「ぐっ……がっ……」

 

 獣のような声を断続的に出す龍園。

 常人なら想像を絶する痛みに悲鳴をあげてしまう所を必死に声を殺していた。

 

「まだ折れないのか」

 

「……温いくらいだ」

 

 ギラギラと輝いた獲物を見据える目が手の隙間から綾小路を睨む。

 綾小路もまた、己の闇を見せ返す。

 一瞬、龍園の身体が不自然に揺れた。

 

「……はっ、なるほどな。軽井沢にもそうやって恐怖を植え付けたのか。

 恐ろしいやつだなぁ……綾小路ィ」

 

 引き裂くような笑みを浮かべた龍園は綾小路の手に噛み付こうと口元を動かす。

 しかし、その必死の抵抗すら綾小路はやらせない。

 頭を掴む手と胸ぐらを掴む手を放す。

 身体を任せていた龍園は真横に倒れる。

 

「この状況でまだ笑っていられるか。やはり、想定を超えた精神力だ。

 だが、もう残された時間は少ないんでな。そろそろ終わらせよう」

 

 冷たい瞳が龍園を見下ろす。

 だが、龍園翔は折れない。

 最後に勝つためにやれることをやる。

 たとえこの場は負けても、タダでは負けてやらないと爪痕を残そうと抗う。

 

「……時間が、少ないねぇ。クク、ククク、それはお前の恐怖が戻ってくることを言ってるのか?」

 

「オレの恐怖ではないが、カムクライズルが戻ってくることを意味してはいる」

 

「ククククク、やっぱりな。お前もちゃんと怯えてんじゃねえか。

 あいつがいたら負けると思ったお前はあいつをこの場から消したんだ。

 ────負けることに恐怖を持っていやがる」

 

 綾小路の眉が僅かに動く。

 見下される龍園はその動きを見逃さない。

 

「……やっと、見せたな綾小路。

 ククク、てめぇは負けることに恐怖を持っている。

 たった1度の敗北すら怯えてやがる。……ぬるい、ぬるいなァ、綾小路ィ」

 

 ようやく見せた隙に龍園は舌戦を仕掛ける。

 少しでも綾小路の恐怖を駆り立てるように挑発する。

 

「敗北か」

 

「あぁ、そうだ。お前は敗北を恐れている。伊吹に狡い真似をしてでも勝とうとしている。

 そしてそれがお前の暴力を振るう理由だ。いいや、お前が必死こいて正体を隠す理由だ」

 

 荒げずに、一言一言を聞かせるように言い切る龍園。

 口から血が零れることを気にせず、綾小路の表情を凝視する。

 1ミリの変化も見逃さないように。

 

 

「それで?」

 

 

 無表情が龍園を見ていた。

 心の内を言い当てられても全く揺れない。

 いや、

 

「お、お前には心が────」

 

「────オレは敗北者になることがどれほど惨めで恐ろしいことか知っている」

 

 被せて告げる綾小路。

 龍園は本質に触れてしまった。

 カムクライズルによって恐怖を知った龍園だからこそ、禁忌とも呼べる怪物の内側に、その一端に触れてしまった。

 

「カムクライズルは確かに脅威だ。オレを敗北に導く可能性を秘めている。

 だが、そうならないために策を打った。そこで伊吹澪が敗北者になる事なんてどうでもいいんだ。

 他者がどれだけ苦しんで絶望しても、オレに痛みは来ないんだ。

 オレは己を守る手段を考えてそれを実行した。己さえ無事ならそれは勝者だ」

 

 

 ────最後にオレが残ってさえいればそれでいい。

 

 

 その言葉を最後に、強烈な踏みつけが龍園の顔に叩き込まれた。

 グリグリと死体を蹴るような真似はせず、綾小路は足を退かす。

 龍園の意識が刈り取られたことを確認すれば、大きく息を吐いた。

 これで龍園の自尊心をへし折れたので、後は事後処理さえすればすべて終わりだ。

 しかしまだ安心できない。

 軽井沢の対処が残っている。

 壊した軽井沢の心の奥に入り、完全な道具とするための儀式が必要だ。

 綾小路は軽井沢の方へ身体を向け、1歩を踏み出そうとした。

 

 

「悪いな、随分と────なんだと?」

 

 

 異常が綾小路を襲った。

 踏み出そうとした足が上がらない。足首に違和感を感じる。

 誰によって、どうして、どうやって。

 浮かんだ疑問が晴れない。

 綾小路はゆっくり、ゆっくりと足元に視線を向けた。

 

 

 右手が綾小路の足首を掴んでいた。

 

 

 地面とキスをするようにひれ伏していてピクリとも動かない。

 ボロボロで惨めったらしくて敗者に相応しい末路。

 そこから這い上がるように伸びた右手。

 

 それは、綾小路清隆の予想外だった。

 

 

 




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