ようこそ才能至上主義の教室へ   作:ディメラ

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至上の才能

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、誰からなのかね~」

 

 特別棟へ続く道を手紙片手に歩く男子生徒。

 彼はAクラスの橋本正義、非常に浮足立っていた。

 丁寧に包まれた手紙は凝った装飾をしている。

 そしてその内容は橋本に対して呼び出しであり、明確な好意が書かれていた。

 いわゆる、恋文、ラブレター。

 時期はクリスマスであり、これが駆け込み恋愛ではないか。

 だからこそ気分が上がって気取った笑みを浮かべ、愉快な思考に耽っていた。

 

「坂柳さんも遊びは途中参加でいいと言ってくれたし、何とも運の良い日だぜ」

 

 橋本は登校時にラブレターを下駄箱で発見した。

 それには時間指定があった。

 放課後からある程度過ぎた時間であったため、やむを得ず坂柳に正直に話し、今日の遊びに遅れることを納得してもらった。

 遊び自体は橋本も行きたかったので、キャンセルにならなくてよかった。

 しかしそう思う反面、途中参加すれば話の話題にされることは正直面白くない。

 

「まぁ、これがモテる男の宿命ってやつなのかね~」

 

 ナルシストな発言に聞こえるが、これは事実。

 橋本は女子からの人気が高く、同クラスの女子生徒から好意を持たれている。

 だから、今日のラブレターも悪戯である可能性が低いと勝手に判断していた。

 

「到着と。特別棟に呼び出すって、結構ガチっぽいよな~」

 

 ご機嫌崩さず橋本は特別棟に入っていく。

 しかし、そのご機嫌も冬風によってすぐに消える。

 特別棟はエアコンが起動していないため、夏は暑く、冬は寒い。

 清掃こそ行き届いているが、限定的な教室しか使われていないため旧館のような扱いだ。

 

「さぁむ~。こんな場所に呼び出すなんてセンスを疑うぜ」

 

 掌を返す橋本。

 一度自室に戻ったが、服装は制服のままだ。

 用事が終わった後は遊びに行く予定だが、学校内は制服着用が義務付けられているので私服ではいけない。

 マフラーと手袋を着用しても、服の隙間から風が肌を走り、身体を大いに震わせる。

 今日は雲が太陽を隠し、冬の中でも一段と寒い。

 橋本は歩くペースを上げる。

 体を温めるためと、さっさと用事を終わらせるため。

 結果的に指定場所に5分ほど早く到着した。

 

(早く着きすぎちまった。クッソ、告白に飢えてるみたいじゃねぇか)

 

 余裕を持って行動することこそ、良い男の嗜み。

 だが、指定時間への早すぎる到着は今日の告白を楽しみにしているように端からは感じ取られる。

 個人的に橋本の中ではあまり面白くない行動だった。

 しかし、着いたなら仕方ない。

 橋本は切り替えて指定場所の中に入った。

 そして、

 

「……!?」

 

 橋本は驚愕した。

 指定場所は空き教室。

 教卓や机が教室の後ろに下げられ、前方部分が広く使えるようになっている。

 黒板は丁寧に清掃されていてここ最近は使っていないように感じられた。

 しかし目を引く場所はそこではなかった。

 教室後方、整頓された机に凭れ掛っている少女が1人。

 Yシャツの隙間から黒い下着が見え、スカートの下には健康的な太ももが露になっている。

 

「な、なんでここに……いや、はっ?」

 

 気が動転する橋本。

 欲情を誘う姿の伊吹に目はいくが、脳が状況の理解に追いつかないため視線は定まらない。

 顎に手を当てながら伊吹の姿をじっくりと観察した後、現状を考える。

 が、理解は及ばず、思考はまとまらない。

 何の成果も得れない。

 

「……じ、事件か? まさか誰かに……されたんじゃないんだろうな」

 

 橋本は恐る恐る伊吹に近付いていく。

 邪な気持ちはあるが、それよりも伊吹の安否を確認するために行動を優先する。

 一度腰を下ろし、伊吹の様子を分析する。

 服は乱れているが、乱暴なことをされた形跡は見当たらない。

 首元が少し赤くなっているが、それが寒さなのか、乱暴なのかは橋本には見当がつかなかった。

 

「とりあえずこの寒さを何とかしなきゃな」

 

 橋本は手袋とマフラーを捨てるように外し、素早くブレザーを脱ぐ。

 このブレザーは防寒性に優れているため、被せるだけでも冷たい風を防げる。

 そう考えた橋本は胸元を隠すようにブレザーを掛けようとする。

 

 

「あらあら。少しやんちゃが過ぎるんじゃないんでしょうか、橋本くん」

 

 

 上品でありながら幼さが残る女性の声と口調。

 薄ら笑うように響くその高い声を橋本は知っていた。

 

「────お、お姫様!? な、何でここにいるんだ!?」

 

 橋本は勢いよく振り返る。

 そこには蔑んだ瞳をした坂柳有栖と彼らの護衛である神室真澄、鬼道隼人が同情するような視線を向けていた。

 神室は携帯を構えて撮影を、鬼頭は荒事に備えて臨戦態勢を整えている。

 

「お、お前らまで。今日は先に遊んでるんじゃなかったのかよ!!」

 

「ええ、そのつもりでしたよ。ですが、今朝橋本くんが恋文を貰ったと聞きましたので、こっそり様子を見に行こうと特別棟で待っていたんですよ。

 それがまさか……レイプしようとしていたとは」

 

 冷たい言葉と共に橋本を目の敵にする坂柳。

 鬼頭と神室はこの状況を見ていられなかったのか、目を瞑って顔を逸らす。

 

「ち、違う! 誤解だ! 俺は何もやっていない! 

 俺がこの場に来た時には、伊吹がっ!!」

 

 必死な弁明が空き教室を反響していく。

 人がいないからこそどんどん広がっていく焦り声だが、誰の心にも届かない。

 

「小説では、犯人は決まって違うと否定しますが、現実もまたそうなのですね。

 最低ですね、本当に」

 

「信じてくれお姫様! 俺は何もしていない! 無実だ! 

 神室も撮影を止めてくれ!!」

 

 への字に口を曲げ、目を逸らす神室。

 まるで無理やりやらされているような様子に、橋本はある可能性が頭に浮かぶ。

 

「……まさか、あんた!!」

 

「おや、気付くのが早かったですね」

 

 坂柳は蔑んだ目を止めて演技ったらしい微笑みを見せる。

 人を見下した視線は変わらずとも、薄く歪んだ笑みを見て橋本は確信した。

 芝居。

 橋本の焦りは真実の露呈によって怒りへ変わっていく。

 

「どういうつもりだ!! 何でこんなことを!!」

 

「フフ、一方的な発言はよしてください。元々はあなたの裏切りを消すために行った策なのですから」

 

「なっ!?」

 

 大きく口が開く橋本。

 裏切りの兆候を見せたつもりはなかった。

 なぜ勘づかれたか、まったく見当がつかない。

 

「色々と説明したいことはありますが……、とりあえず私からの提案を受けてはくれませんか?」

 

「……その提案は?」

 

 怒りを抑え、勤めて冷静に。

 橋本は睨みを利かせながら会話を続けた。

 その様子に坂柳は満足そうに微笑む。

 

「このままこの動画を学校に提出して退学するか、この動画を提出しないことを対価に裏切りをやめるかという提案です。

 好きな方をお選びください」

 

 2つの提案というが、坂柳は元々1つの答えしか用意していない。

 既に嵌められた事を認識して、これ以上の抵抗が虚しいことに気付いている橋本からすれば、その選択肢を受けざるを得ない。

 

「……後者だ。俺は二度と裏切りの兆候を見せないことを誓う。

 だからその動画は、絶対にばらさないでくれ」

 

 項垂れる橋本。

 どうしてこうなったか未だ理解が及ばない。

 各クラスのリーダー格に接触し、最後の勝ち馬を見定める立ち回りを上手く運べていた。

 現状、坂柳が最も勝てると見込んだからこそ付き従っていて、利益も運ぼうと考えた。

 多少の独断専行は己とクラスの利益のためだから結果は残していたはず。

 だが、その僅かな可能性を坂柳の圧倒的な分析力に読み取られた。橋本は自分を納得させるようにそう考えざるを得ない。

 

「本当は、あなたの立ち回りをどうこう言う気なんてなかったのですよ。

 利益と損益なら、あなたは利益の方を多く持ってきてくれましたし」

 

「……じゃあなんで」

 

()からのお願いですよ」

 

 彼、すなわち男性。

 橋本は坂柳がかかわってきた男子生徒を片っ端から思い出し、その人物を特定しようとする。

 葛城、平田、龍園と各クラスのリーダー格が上がるが、彼と親しみ深く言う人物には当てはまらない。

 

「正解は、無人島試験であなたがコネを持った人物ですよ」

 

「……何……だと……」

 

 1人の人物が思い浮かぶ。

 その可能性が信じられず、橋本は驚きを隠せなかった。

 

「あいつが……、何で」

 

「どうやら、あなたを信用できなかったみたいですよ。

 そして彼は自分の正体を知られるわけにはいかないため、あなたに圧を掛けた。

 ふふ、本当は退学させるつもりだったようですが、私が阻止しました。あなたは有能な人ですから」

 

 橋本は理解する。

 彼とは、綾小路清隆だ。

 自分の正体が露呈することを酷く嫌い、己のためならば慈悲のない手段を講じられる人間。

 そう認識していた人物。

 その綾小路がこちらを敵視して仕掛けたのはなぜか? 

 当然、正体を隠すため。

 最近では龍園がXを探してるという情報が流れていたので、辿られる可能性を少しでも消したかった。

 だからこちらに圧力をかけるようなことをしてきた。

 

「そりゃ、……本当にありがたいな」

 

 渇いた笑いが出る橋本。

 今日の出来事は本当に油断していた。

 龍園のような容赦ない手口を誰にも気付かれずに実行されれば、阻止することは難しい。

 今回は坂柳からすれば、裏切りの可能性があった橋本を完全に手元へ置くことが出来る良い機会だった。

 だからこそ、救済措置があった。

 もし坂柳が融通を利かせていなかったら、橋本は本当に退学していただろう。

 

「俺は、いつの間にか虎の尾を踏んじまったのか」

 

「そうですね。でも、あなたは非常に良い立ち回りをしてましたよ。

 ただ、竜の髭を撫ですぎましたね。彼も余裕がなかったため、この結果は仕方ないことです」

 

「……なぁ、お姫様。あなたとあ……いつはどんな関係なんだ? 随分と親しげな雰囲気だが」

 

 名前を出しそうになるが、出してしまえば坂柳に動画を拡散されかねない。

 綾小路の正体が露呈するようなことは不味いと理解して立ち回る。

 

「幼馴染、でしょうか。ふふ、この情報も秘密にしておいてくださいね」

 

「……ばらす気なんてありませんよ、恐ろしい」

 

 優しい笑みは釘を刺している。

 だが、釘を刺さなくても橋本は綾小路の情報をバラす気などなかった。

 利用するされる関係だったとはいえ、こうも人を切り捨てられる人間とは思えなかった。

 その非情さ、気付かぬ内に狙われた恐怖に橋本は心の芯を折られかけていた。

 

「同情するぜ、龍園」

 

 Xこと綾小路を追っている龍園はその恐ろしさを知らない。

 もし見つけることが出来ても返り討ちになる、橋本はそう勝手に判断した。

 

「……来ましたね」

 

 坂柳はゆっくりと廊下の方を向く。

 条件反射のように橋本も続いた。

 

「……足音?」

 

 地面を強く蹴る音が聞こえた。

 そのリズムは非常に早く、扉に視線を向けた瞬間にはその足音の張本人が現れる。

 

「……なぜあなたがここに?」

 

 その人物はCクラスのカムクライズル。

 頬を伝った汗が黒の長髪に垂れる前に拭うという何とも人間らしい素振りをしていた。

 

「ふふ、分かりませんか?」

 

 杖を突き直して坂柳は会話に臨む。

 しかし、カムクラは坂柳に視線を合わせず、橋本とその奥で倒れる伊吹の方を見る。

 

「なるほど。先ほどの怒鳴り声はあなたのものでしたか。

 おかげで場所の特定が簡単にすみ、大幅に時間を短縮出来ました。

 感謝しますよ、橋本正義」

 

「あ、ああ、どうも」

 

 急な感謝に橋本は戸惑う。

 なぜカムクラがここに来たのかさっぱり分からないままとりあえずお礼してしまった。

 

「……幸運ですね橋本くん。まさか、彼からの好感度をこうも簡単に上げられるなんて」

 

「い、いや、なんでそんな怖い顔をするんだよお姫様」

 

 今度は急な不機嫌に巻き込まれる橋本。

 踏んだり蹴ったりな現実にため息をつく暇もない。

 

「あなたも共犯者でしょうが、……まぁ、その辺の話はいずれしましょう。今の僕には時間がない」

 

「焦っていますね。どうやら、彼に一本取られたとお見受けします」

 

「取らせてあげたんですよ」

 

 まるで失敗の言い訳のように告げるカムクラ。

 坂柳はそんな幼い子供のような一面が面白くて上機嫌に笑った。

 

「では、今から行くんですね。私もその結果をその場で見たかったのですが、残念です」

 

「結果ならいくらでも聞かせてあげます。だから今は伊吹さんのことを頼みます」

 

「共犯者にそんな信用を置いていいのですか?」

 

「僕に貸しが作れる。その意味をあなたは理解しているでしょう?」

 

 その言葉を待っていたと言わんばかりに坂柳の表情がもう一度綻ぶ。

 

「才能1つでどうでしょう?」

 

「好きにしてください」

 

 カムクラは背を向けるとすぐに、力強い一歩を踏み出して加速する。

 瞬く間に足音は消え、カムクライズルは屋上に向かった。

 

「……才能1つってどういう意味ですか?」

 

「そのままですよ。彼の素晴らしい才能を1つ見せてもらうということです」

 

 よく意味が分からなかった橋本だが、とりあえず遊ぶ約束と理解する。

 とにもかくにも、退学しなかった事実にやっとため息をつけた。

 

 

 

 ────────

 

 

 

 

 特別棟、本校舎、昇降口。

 カムクライズルは屋上の扉を目指して、走り抜けていく。

 超高校級の希望は走行に必要な全ての才能を用いて、階段を駆け上がっていく。

 

(……胸が、チクチクと痛む)

 

 それは息を切らして全身運動をしているから。

 圧迫されるような、締め付けられるような痛みはその理由から発生している。

 だが、しかしそれだけではない。

 胸の内側にあるものに鋭利なもので触れられたような、そんな痛みが屋上を離れた時から生じていた。

 

「……止まれ」

 

 屋上までもう少しの所で、スーツを着た女性と1人の男子生徒がカムクラの前に立つ。

 

「……どいてください」

 

 カムクラは息を整えるより先に、スーツの女性、茶柱先生に告げる。

 

「お前がこの先に何の用があるか、それを教えればすぐにどくさ」

 

 真剣な表情で告げる茶柱。

 男子生徒、堀北学はその様子を俯瞰して観察していた。

 

「茶柱先生、特別棟にて女子生徒が倒れているそうですよ。学校側が対応しなくてよろしいのですか?」

 

「……何?」

 

 極めて冷静に茶柱は告げるが、カムクライズルの前で演技は無駄。

 その内側にある驚きは看破される。

 

「早く向かってあげてください。それとも、あなたは生徒の安全確認をしない非道な教師というレッテルが欲しいのですか?」

 

「教師を脅す、か。だが、お前の報告が嘘である可能性を私が考えていないと?」

 

「そんなものは後で考えればいいでしょう。嘘をついたなら、僕が罰を受ける。

 ただ、それだけです。それに丁度、保証人もいます」

 

 カムクラは堀北を見て告げる。

 仮に、茶柱が特別棟に行って何もなかったとしても、堀北がその言質を取っている以上、嘘はすぐに露呈する。

 ならば、確認をすればいいだけ。

 ここで生徒からの報告を無視して私情を優先すれば、立場が悪くなるのは教師である茶柱だった。

 

「……わかった。ならば、仕方ない」

 

 茶柱は致し方なさそうにこの場から立ち去っていく。

 堀北はバトンを受け取ったように会話を続ける。

 

「どうするつもりだ?」

 

「未知を見に行きます。どくのならば、僕は本格的にあなたに協力してもいい」

 

「……ほう?」

 

 肩で息を整え終えたカムクラは袖で汗を拭う。

 

「詳細は後日で。僕は今忙しい。

 邪魔をするのならば、あなたでも容赦しません」

 

「ふっ、安心しろ。今回の件で、俺は目撃者としているだけだ。

 決して、お前を止める役を担ってはいない」

 

「……ふーん、では彼も、僕が間に合うように準備したわけですか」

 

 綾小路がカムクラを屋上から排除した理由は時間稼ぎをするため。

 単騎になった龍園を確実に仕留めるための時間を確保するためだ。

 にもかかわらず、綾小路は堀北を時間稼ぎとして利用していない。

 する必要がないと判断するような甘い男ではない。

 徹底して対策を行うのが綾小路清隆。

 その策に隙間を作るようなミスはしない。

 敢えて作っているとするのならば、その答えは一つ。

 

 向かって来い、そう挑発している。

 

「良い度胸です」

 

 屋上の扉に手を乗せて、力を籠める。

 強烈な寒波と屋上の景色がだんだんと広がっていく。

 ギィィと大きな音を立てれば、扉は完全に開いた。

 そして思わず、

 

 

「────オモシロイ」

 

 

 カムクラはその光景に感情を露にした。

 這いつくばった龍園の右腕が綾小路の足を掴んでいるという事実。

 そして、目を開いて龍園を見下す綾小路の様子に。

 

「……カムクラさんッ!!」

 

 石崎は身体を抑えながら声を上げる。

 アルベルトも同様に刈り取った意識が戻っていた。

 

「……清隆ッ! あいつが戻って……清隆?」

 

 事態の急変に一番焦ったのは軽井沢。

 絶望の権化のような男の再来に恐怖がぶり返す。

 だからこそ、希望に縋ろうと綾小路の足元へと身体を寄せた。

 だが、その綾小路は軽井沢に反応を見せることなく、じっと龍園を見下ろす。

 カムクラではなく、龍園を。

 それほど、綾小路にとって龍園の行動は未知だった。

 

「……」

 

 龍園はピクリとも動かない。

 許容以上のダメージが既に意識を奪っていた。

 綾小路はそれを理解している。

 しかし、頭では分かっていても、今の龍園にはもう一度起き上がってくるかもしれないという凄みがあった。

 

「……無意識の行動か」

 

 とうとう結論付けた綾小路は乱暴に足を動かして龍園の右腕を振り払う。

 そしてついに、視線をカムクラへ。

 特徴的な黒一色の長髪は風によって寝ぐせのように乱れ、頬には汗が垂れている。

 疲労があることは歴然だった。

 だが、冬本番の寒さが心地良いと言わんばかりに怪物は涼しげな顔をしている。

 まったくもって油断できないと、綾小路は分析した。

 

「遅かったな。もう終わったぞ」

 

 最大限の警戒をしながら綾小路は告げる。

 いつでも全力の(・・・)戦闘態勢に移行できるように姿勢を整えた。

 

「その割には、彼らの目が死んでいませんが?」

 

 カムクラはアルベルト、石崎と順々に彼らの希望に満ちた目を確認する。

 続けて、倒れる龍園に視線を下ろす。

 

「どうやら、彼は僕の予想よりあなたを苦戦させたようだ」

 

 睫毛と瞳の隙間が少し広がり、閉じている唇も誤差程度に曲がっていくカムクラの表情。

 しかしそれも一瞬、今度はため息をつく。

 

「残念ですね。僕も彼があなたに立ち向かうところを見たかった」

 

「苦戦なんてしていない。そうならないように策を講じた。

 それよりカムクラ、外には茶柱と堀北学がいたはずだ。2人にはちゃんと会えたか?」

 

 綾小路はカムクライズルがここに来ないようにいくつか策を用意した。

 伊吹澪、堀北学、茶柱紗枝と三人の役者を利用してまで時間稼ぎをさせたが、それをどう突破したのか気になったのだ。

 

「ええ。茶柱先生には特別棟に赴いてもらいました。

 女子生徒が倒れていると言えば、教師である彼女はあの場を離れざるをえませんので」

 

 これは綾小路の予想通りだ。

 教職の立場である以上、問題行動を告げれば簡単に誘導できる。

 

「元生徒会長さんはあなたの約束を守っています。

 あなたは彼を目撃人として利用したようなので今も階段の門番をしていますよ」

 

「そうか」

 

 焦って強行突破をしていれば綾小路にとって有利な展開だったが、流石に高望みだった。

 

「それで、今更来てどうするんだ? 

 お前1人ならオレを倒せるかもしれないが、倒せばお前らは罰を受けるだろう。

 それも、軽井沢を虐めた件も含めてオレよりも重たい罰がな」

 

 今回の屋上の件、全面的に龍園達に非がある。

 軽井沢への虐め、監視カメラへの細工、喧嘩。

 立会人に堀北学を用意した以上証拠も用意できる。

 また、龍園から軽井沢を誘ったメール、綾小路に送ったメールも証拠として有効だ。

 だが、龍園達に残せる証拠はない。

 綾小路が伊吹澪を利用したことは事実だが、その証拠は偽装のラブレターだけ。

 片方に橋本正義の名前がある以上、疑いは綾小路には向きづらい。

 加えて坂柳の協力もあるため、状況操作も容易い。

 

「しかし、それは屋上の件が学校に広がればの話です。

 お互いにその結果は望んでいないので、僕もこれ以上は合理的でないと判断します」

 

 結局、綾小路は軽井沢から呼び出される形で屋上に途中参加した事実がある。

 強引な状況操作もできない。

 綾小路に罰が生じるならば、過剰防衛。

 逆にこの場にいるCクラスの生徒4名は停学かそれ以上の罰。

 利得を考えれば、Cクラス陣営はすぐに引くべきと言える。

 

「でも、合理的でなくてもいいんですよ。要は今回、あなたの勝利という形で終わればどちらも今日のことを口外することはない。

 ならば、少しくらい無茶して彼らの希望を叶えてもいいと僕は考えます」

 

 最終的に綾小路の勝利となれば、今日のことが学校中に広がることはない。

 もしそれでも認めない者がいるとすれば龍園だが、リスク度外視で報復をすることは出来ない。

 8億ポイント計画。心残りこそあれど、手を引く選択肢を取らざるを得ない。

 

「綾小路くん、勝負(・・)はあなたの勝ちです。Cクラスは今回のことを口外しないことを約束しましょう。

 これ以上の場外乱闘は起こさないことも約束しましょう。ですが、彼らの抵抗が無意味ではなかったことを証明するために、痛み分けに持ち込ませてもらいます」

 

 ────少し、僕と遊びましょうか。

 カムクラは静かに告げ、悠々たる足取りで距離を詰めていく。

 

「き、清隆っ! もう、やめようよ!」

 

 綾小路もまた堂々とした一歩を踏み出す。

 しかし、軽井沢が綾小路の裾を握る。

 これ以上の戦闘に意味がないことを理解しているからこそ、自分を救ってくれたヒーローがもう傷ついてほしくなかった。

 

「大丈夫だ」

 

 軽井沢の頭を優しく撫でる。

 そしてすぐに、握る手を振り払うように足を前に動かした。

 軽井沢は手を伸ばし続けるが、止められない。

 相手はあのカムクライズル。絶望そのもののような人間。

 だからこそ、綾小路の圧倒的な戦闘力を目にしてなお、軽井沢は勝利を確信できなった。

 しかし、進んでしまってはもう信じるしかない。

 胸の前に両手を握りしめ、伏して祈る。

 

「……カムクラさん」

 

 限界を超えた肉体を休ませがら、石崎とアルベルトは向かっていくカムクラの背中を見送る。

 2人はカムクラの勝利を疑わない。

 本物の怪物の前では綾小路とて無力。

 たった一人で全てが片付く才能の権化がカムクライズルだと知っている。

 敗北は絶対にありえないと確信していた。

 

「感情的だな、カムクライズル。伊吹澪への仕打ちが堪えたか?」

 

 互いに無表情。

 それでも、綾小路はカムクラの心を見たかのように断定する。

 

「彼女には、前もって人質になるように言っていました。

 その仕打ちは想定以上ですけど、堪えるものではありませんね」

 

「その割には、嫌に感情的に見えるが?」

 

 ゆっくりと向かってくるカムクラに綾小路は煽るように告げる。

 揺れない表情にもかかわらず、綾小路は常人では分からない感情の機微を分析していた。

 段々と距離が縮まっていくと、両者は手を伸ばせば届く距離となり、足を止めた。

 

「感情に従って動けば付け入る隙が生まれる。お前なら分かっているだろう?」

 

「では、そんな隙が僕にあることを証明してください」

 

 構えを取らない2人。

 しかし、脱力した両腕はいつでも動かせるようなっている。

 

 

 

「体育祭の借りを返すぞ」

 

 

 

 身長差によって僅かに高い位置にある赤い瞳が見下し、色のない瞳が見上げた。

 

 ────綾小路が先に仕掛けた。

 

 龍園に放った時よりも数段速い右拳が牽制として振り抜かれる。

 その速度はプロのボクサーの放つそれに比類し、常人では捉えることすら難しい。

 しかし、カムクラには届かない。

 左手を拳の直線状に割り込ませ、綾小路の手首を掴んだからだ。

 

「遅い」

 

 避けも受け流しもしない。

 それはつまり、攻撃を完全に読み切れる目と後出しの反応で追いつける反射神経があるということ。

 さらに言えば────どの選択肢も取れた上で掴みを選択できる余裕があるということ。

 カムクラは掴んだ手首を粉砕するように握力を込める。

 

「……っ!」

 

 痛みを感じれば綾小路もまた反撃する。

 右手首を強引に引くことで、カムクラを己の元に引き寄せようと試みる。

 危機を察したカムクラが腕を放して後退すれば追撃、放さなければ鳩尾に勢いを乗せた拳を叩き込む。

 どちらに転んでも有利な判断だ。

 そして、カムクラは前者を選択する。

 

「しっ!」

 

 後退した距離を潰して右ストレート。

 カムクラはそれを右掌で受け流す。

 まるで鞭のように腕を撓らせ、己の身体にダメージを蓄積させない。

 続けて綾小路は左フック、右ストレートを打ち込む。

 直撃すれば人間の骨を簡単に砕く威力の打撃が休む隙間を与えない。

 そして当然、攻撃の隙を突かれないように引きも早い。

 しかし、カムクラは同様に受け流すだけで反撃はしなかった。

 

「……逃げてばかりか?」

 

 反撃が来ないならば一撃の威力が高い蹴り主体に切替える。

 首をへし折るようなハイキックから回し蹴りと続けていく。

 しかしそれでも、未だカムクラの表情に焦りは見えず、余裕の対応を見せながら捌いていく。

 時に受け流し、時にステップを軽快に踏んで右へ左へ後退し続け、観戦者から離れるように移動する。

 それに気づきながらも綾小路は攻め手を緩めない。

 

「……」

 

 攻撃の変化をつけるために、ジャブ、右ストレートとワン・ツーを放つが同様に受け流される。

 それを読んだ上で顎に狙いを定めた右裏拳に繋げた。

 カムクラは初めて明確な回避の選択肢を取り、上半身を後ろに反らして攻撃を躱す。

 一瞬崩れる体勢、それを見逃す綾小路ではない。

 流れるようにカーフキック。

 しかし、これもバックステップで躱される。

 反撃に備えるが、やはりこない。

 カムクラは手首を回しながら棒立ちで、退屈そうにこちらを見ていた。

 

「……好都合だな」

 

 反撃がないことにイラつきは生じない。

 これが龍園ならば直線的な攻撃を仕掛けに行っただろうが、綾小路清隆はそんな凡ミスをしない。

 正攻法で戦闘のプロとやり合っても呆気なく勝ちうるだけの経験、実績があるからだ。

 ホワイトルームで相対した敵に油断などしない。

 そして、カムクライズルをホワイトルームに招かれた戦闘のプロたちと同等以上の敵と認識した上で戦闘を継続しているならばなおのこと。

 慢心はない上に、相手が自分より弱い相手と思って油断するならそれは突くべき弱点。

 綾小路は学んだことを生かし、変則的な緩急をつけて距離を詰めた。

 そこから最速、かつ高威力の一撃を顔面に放つ。

 しかし、

 

 

「────ツマラナイ」

 

 

 渾身の一撃は狙いに届かなかった。

 パンッと甲高い音が鳴り響き、綾小路の右拳はカムクラの左手に吸い込まれたように止められていた。

 強くなるカムクラの覇気に綾小路は今度こそ反撃が来ると予感し、掴まれた手の対処を急ぐ。

 だが、それは杞憂だった。

 何せ、すぐに右手が解放されたからだ。

 綾小路は一瞬その事実を飲み込むのに硬直した。

 

「あなたに対して、心の内側がざわつくような刺々しい感覚が現れています。

 不愉快ですね。これが怒りというものなのならば、確かに悪感情です。正常な思考を鈍らせる」

 

「何を言っている?」

 

「先程の続きですよ。僕が感情的だとあなたは言っていましたが、確かに……僕は少々感情的になっていたようです。

 あなたの実力を知りたいという気持ちの中に、有無を言わせずに潰したいという気持ちが少しだけ存在していました」

 

 伊吹澪への仕打ちの度合いはカムクラでさえ少し予想外だった。

 予想外、すなわち未知だ。

 しかし、カムクラにとって本来なら喜ぶべき事態にもかかわらず、別の感情が現れていた。

 

 それは、怒り。

 

 友人と言っていいほど親密度が上がった人間への仕打ちに、無くなったはずの心が少しずつ形をなそうとしていた。

 

「潰したいなら、なぜ攻撃をやめた」

 

「失望がそれを上回ったんですよ。楽しみにしていて、叩き潰すと考えていた相手の実力が、まさかこの程度とは思いもしませんでした」

 

 吐き捨てるように告げるカムクラ。

 まるでイラついているようなこの言動は、超高校級の希望カムクライズルを知る者なら誰もが驚くような変化だった。

 いや、見る人が見れば劣化とも評価していたかもしれない。

 

 だが────その才能まで劣化していない。

 

 ありとあらゆる才能を持った怪物は怪物のままだ。

 

「……っ!?」

 

 カムクラが地面を蹴った。

 そして次の瞬間、綾小路の鳩尾に掌底が叩き込まれた。

 力強く踏み出した一歩は蹴る瞬間の音がなく、かつ予備動作が全くなかった。

 決して、綾小路が瞬きをして見逃したわけではない。

 警戒をしたが、それでも対応に遅れた。

 トラックに轢かれたかのように吹き飛ぶ綾小路。

 しかし、これはダメージを逃がすために綾小路自ら後方に飛んだため大袈裟に見えるだけ。

 だからこそ、地面を転がることなく浮いた身体を綺麗に着地させた。

 そのまま追撃に備えようとすることは経験と実績による無意識な体の動き。

 一挙一動を分析するために綾小路はカムクラを視界から逃がさない。

 しかし、その視界が急に下がる。

 

「……」

 

 膝が地面に向かって折れた。

 綾小路はその事実に今にも舌打ちがしたい気分になる。

 ダメージは逃がした。

 だが当たり所が悪かったために、身体は一時の休息を求めている。

 

「構えなさい」

 

 怪物はさらに強い覇気を見せる。

 希望と絶望が混ざり合って昇華したような形容できない圧倒的な存在感が綾小路を威圧する。

 

 恐怖はない。

 

 

 その未知の到来に綾小路は────楽しいとすら感じていた。

 

 

 




ラストスパート。
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