あれから数時間が経った。
俺は未だに昼食も取らず、黙々と作業を続けている。
そうでもしていないと心が落ち着かないからだ。
でも手を動かしていても、頭は別の事を思ってしまう。
ハラオウン、バニングス、高町、八神、月村……。
アイツ等5人の事を振り払う事が出来ず、否が応でも考えてしまう。
元々、彼女達には何も関係無い。
アレは俺の一方的な八つ当たりで、それに巻き込まれただけだ。
だからこそ考えてしまう、アイツ等になんて事をしてしまったのだろうと。
後悔先に立たず、今更どうこう考えても遅い。
それでも俺の脳裏に浮かぶのは、5人の悲痛な表情。
いつも明るく穏やかな、周りまでそうしてしまう程の魅力的な笑顔をする彼女達。
それを俺は自分勝手な想いで、蹂躙してしまった。
「最低だ、俺……」
どのように言われようと、俺はもう大丈夫な筈なのだ。
なのにこの心は、また傷付く事を恐れ、他人を拒絶していた。
アイツ等はあんな事は絶対に言わない。
そう言い聞かせてもやっぱり、心が彼女達を認める事が出来なかった。
素直で真っ直ぐで、とても良い友人だ。
それを自分で分かっているのに認めない、この心が憎くて堪らない。
だから、誰も居ない所に俺は来ているのだろう。
教会前にある花壇の雑草毟り。
ひなた園の方の花壇もやりたい所だが、今は小学生以下の幼少組が絵を描いている為、近付けない。
今は誰にも会いたくない。
会ってしまえば、きっと拒絶してしまうから。
独りでいる時間が欲しくて皆から離れた。
この心が納得出来るまで、気持ちを整理するまで考えたい。
彼女達と、きちんと向き合えるようになるまで……。
「聖兄ちゃーん!!」
午後3時過ぎ、声を張り上げて平太が帰って来た。
走りながらこっちに突っ込んでくるが、拳を握り締めているのを確認して、戦闘体制に移行する。
「でいっ!!」
「甘い」
平太の拳は、愚直なまでに真っ直ぐに突き進む。
しかし軌道が見え見えで、避ける事など造作も無い。
それをかわして、平太の進行方向先に掌を向ける。
「痛って~……」
それは真っ直ぐ進んできた平太の額に直撃、ベチッと地味に痛そうな音を立てた。
直撃したそこを押さえながら、平太は俺の目の前で蹲っている。
「まだまだだな」
「手加減してくれても良いじゃんかよ~」
「ばーか、充分手加減してるだろ?」
これは、俺と平太との間だけでやっている遊び事。
好きな時に俺を襲っていい、という何とも物騒なゲームである。
事の発端は唐突、平太が俺に鍛えてくれというお願いから始まった。
勿論俺は反対、つーか俺は人に教える立場に無い。
平太にはサッカーがあるのだから、それに集中して欲しいと思っての事だ。
しかし平太は譲らない。
曰く、「俺も皆を守りたいんだ!!」と。
しかしそれでも受け入れない俺に業を煮やしたのか、提案を持ち掛けてきた。
それが、今さっき行ったゲームだ。
ルールは至って簡単。
俺と平太がお互いを認識している状態で、平太が一発決めれば勝ち。
合図は一切無しで、勝てば俺に教えを請う。
負ければまたの機会……この場合俺って、何も得してないよな?
「いい加減諦めて、サッカーで頑張れよ」
「サッカーじゃ誰も守れないじゃんか!!」
俺の言葉を聞いて尚、一向に引こうとしない。
全く、この頑固さは誰に似たんだか……。
――まさか俺か?
思い当たる節が無い訳ではないからなぁ、もしかしたらだが……。
その時、ふと、いつの間にか自分のペースを取り戻しつつある事に気付いた。
話している内容や平太の無邪気さが、あまりにもいつも通りだったからか、今になって漸く気が付いた。
何と鈍い事か、呆れて物も言えない。
どうしようもない馬鹿野郎だな、俺は……。
しかし、これで多少はまともになれた。
ささやかなお礼として、平太の頭をポンポンと優しく叩いてやる。
されている本人は、突然の事に呆然。
そんな弟に、今必要なアドバイスを与える。
「力だけじゃ、人は守れない」
「え?」
「いつかお前も分かるさ」
それだけ言うと、乗せていた手を放す。
「ほら、いつまでも此処に居るな。荷物置いてこい」
「あ、うん」
まだ完全に戻りきっていない平太に、家を指差して告げる。
まぁ何にしても、まずは荷物置いてこないと何も出来ないぞ。
平太はそれに頷き、そのままタッタッと駆けていく。
その後姿を見て、アイツが5人と鉢合わせたらどうなるのか気になった。
平太は施設で暮らしている事に対する疎外感を知らないから、案外普通に喜ぶかもしれない。
いや、平太だけじゃない。
彼女達を知っている勇気も同じだろうし、他の子達もきっと同様だ。
そしてその中で、俺だけが異端だった。
もう少し、もう少しだけ時間が欲しい。
「だから……」
だからそれまで待っててくれ。
ハラオウン、バニングス、高町、八神、月村。
彼女達を想い瞑目すると、脳裏にある光景が思い出された。
昼休みの屋上。
一緒に昼飯を食っている時だ。
そこには5人が居て、他愛の無い話なのに、笑顔が溢れていて……。
あまり会話に参加しない俺は、無理矢理な話題を振られて、馬鹿みたいに戸惑う姿を晒す。
偶に高杉がちょっかい出したりして、それを俺がぶっ飛ばしたり。
その奇妙な光景に、そこでまた皆が笑顔になる。
……あぁ、そうだったのか。
その時ハッキリと理解した。
どうして自分がここまで、アイツ等を気に掛けていたのか。
そう、それはただ1つ。
唯、アイツ等の『笑顔』が見たいから。
それだけだったんだ。
屋上に降り注ぐ太陽の光。
それを受けて、眩い輝きを放つソレを。
彼女達それぞれの笑顔は、花のように美しくて、綺麗で、何物にも代えられない魅力的なものだった。
いつも見ていた俺はきっと、知らぬ間にソレに魅入られていた。
彼女達の笑顔の力に、引き込まれていたんだ。
瞼を開くと、その風景は何一つ残っていなかった。
それでも、自分の中で何かが変革した感触がある。
それだけが今の自分の心を奮い立たせている。
もしかしたら2度と立ち上がれなくなるかもしれない。
それでも、やっぱり俺は変わらないといけない。
そして、アイツ等から奪ってしまった笑顔を取り戻す。
アイツ等が笑って、またあの光景のような日々をこの手に……。
それだけの理由があれば充分、何とかやってみせよう。
出来るとしたら、それは実習2日目の明日。
その時が、俺の今後を左右するだろう。
「瑞代聖、人生初の大勝負」
絶対に勝ってみせる。
挫けそうになったら意地でも踏ん張ってやる。
最後の最後まで、やり遂げてみせるさ。
午後の麗らかな日和に、俺は必勝の誓いを立てた。
絶対に逃げないと決めた、俺の誓い……。
時は進み、夕食の時間。
流石に昼を食わなかった俺が、これから逃げる訳にはいかない。
空腹は俺にとっての最大の敵。
明日の為にも、きちんとした食生活を心掛けないと。
食堂に入ると、既に俺以外の皆が席に着いていた。
……それは構わないんだが、問題が発生した。
それは、あの5人がまだ残っていた事。
何故? 帰ったのでは?
疑問は浮かぶが、誰かに訊く余裕も無いので、そのまま放置。
まぁ此処に入った瞬間、5対の瞳に射抜かれたのは言うまでも無いが。
その視線から逃げるように、俺は自分が座る席に着いた。
この心はまだ完全には吹っ切れていない、それが如実に現れている。
本当、俺って駄目だな。
朝と比べれば全然マシだが、それでも視線を合わせるのが怖い。
会話を交わすことなんて、ハッキリ言って不可能に近かった。
幸いだったのは、俺の席のテーブルに居るのが師父だった事。
この家では1つのテーブルに1人、代表者を置く決まりになってる。
何かあった時に、すぐに対応出来るようにする為で、その役割は師父、シスター、俺の3人で行っていた。
しかし今日は、人数も増えた為に色々と変則的だ。
まず、テーブルが増えている。
普段は3つのテーブルに5,5,6人ずつに対し、今日は4つのテーブルに5,5,5,6の振り分けで人が座っている。
そして、他のテーブルにはシスターと八神、ハラオウンと高町、バニングスと月村の組み合わせとなっていて、1つのテーブルに代表者が2人の仕組み。
5人が来た事でテーブルのスペースが無くなってしまったのだろうが、丁度良い人数に、何か作為的なものを感じて仕方がない。
しかし、予備のテーブルがあったのは意外だ。
まぁ、師父だから何かあった時の為に備えていたのだろう。
「それでは、全員が揃ったから……」
食堂を見回して、全員居る事を確認した師父は、両手を合わせる。
それに倣い、俺達も両手を合わせた。
「頂きます」
『頂きます』
師父の号令の下、夕食は開始された。
今日の献立は、五目炊き込みご飯とオムレツ、青菜の胡麻和えに味噌汁だ。
昼飯を食わなかった俺は、早速箸を手に、ご飯に手を付けた。
ん、…むぐむぐ。
「美味い」
ご飯の炊き込み具合、出汁の味も完璧。
この上ない美味さが、空っぽの胃を満たす。
美味いのだが、……何か違和感がある。
その正体を確かめたくて、オムレツの方にも箸を付ける。
「やっぱり美味い」
この玉子のふんわり感が丁度良い、中にはベーコン、玉葱とジャガイモが入っていて、食感もある。
チーズが入ってるのだろう、コクもあって美味しい。
でも、やっぱり何処か違和感が残る。
一体何だろうか?
美味いんだけど、何か釈然としない。
「聖、どうしたんだ?」
「えっ、いや……」
そんなしかめっ面で料理を平らげていく俺を見て、師父は尋ねるように話しかけて来た。
あまりに唐突なそれに、俺は気の無い返事しか返せない。
流石にそのままはいけないと思い、一応先程から感じている違和感を説明した。
すると師父は、表情を和らげて答える。
「実はね、彼女達に手伝って貰ったんだ。特に八神さんは、朝昼夕全ての食事を作ってるらしいから。料理の腕はシスターに引けを取らないよ」
ふぅん、アイツ等が……。
だから味に違和感を感じたのか。
いつものシスターの料理とは違う味、少し新鮮だった。
それと同時に、何だろうか……。
こう、シスターの料理とは違った温かさがある。
それは決して嫌なものではなく、優しく心に染み入っていく感じ。
何故か、胸の辺りがくすぐったかった……。
余談だが、夕食は満腹になるまで食った。
……腹が減っていたからで、別にアイツ等の料理が特別だったとかじゃないからな?
夕食後、小さい子からどんどん風呂に入っていく。
ウチは普通の風呂よりでかいから、5,6人は一気に入れるもの。
というか、ウチみたいな大所帯では、そうでないと困るから当然だ。
師父が最後で、俺はその前。
それまで時間があるから、今はトレーニングに精を出している最中。
夜道を走りながら、色々考える。
シスターに頼んで、5人が俺の部屋に来るように伝えている。
まぁ、俺が風呂に上がるまで待たないといけないんだが……。
そこは各々の判断に任せるとして、今の俺はそれ所ではない。
まさか職場実習で泊り込みの職場があったとは、全く思わなかった。
それにより、俺の計画は悉く破綻し、最終的に今夜には話し合う事になってしまったのだ。
早いに越した事は無いのだろうが、突然そう言われても困るしかない。
「でも、先送りしても問題は解決しない」
もう知られてしまったのだ。
今更何をしても、誤魔化せない所まで来ている。
だったら腹を括って、今日の内にアイツ等に全て話す。
それがどういう結果をもたらすかは、何一つ予想がつかない。
俺が途中で逃げ出してしまうか、全て話し切れるのか。
それが今日、決まってしまう。
怖くない、と言っても嘘でしかない。
正直な話をすれば、怖くて今にも震えそうだ。
俺の心の奥底の部分は、あの時のまま。
善悪を知らない言葉の刃が突き刺さった、あの時の……。
だからこそ、あらゆる痛みを飲み込んで、前へ進む為の一歩を始めないと。
俺に出来るのは、話す事だけなのだから。
風呂に上がり、自室に戻った俺を待っていたのは、5人の少女だった。
その一文を聞く限りなら、どこぞの天国かと誰もが思ってしまうだろう。
しかし、今の俺にはそんな事を考える余裕も暇も無かった。
目に映るのは、俺を見詰める5対の瞳。
そこには、朝の出来事に対する悲壮感は感じない。
恐らく、シスターが何とか言ってくれたのだろう。
それだけが、唯一の救いだった。
「……」
何も発せない。
心臓が早鐘を打つ、血液が激流のように全身を駆け巡る。
体は震えそうになり、呼吸は意識しなければ忘れてしまう。
満身創痍、俺は無傷でありながら重症だった。
それでも言わなければならない。
彼女達には、笑っていて欲しいから。
心に残っているあの光景を取り戻したいから。
意を決して、恐怖を飲み込んで、震える唇で5人に声を掛けようと――
「なぁ聖君」
八神の独特なイントネーションの声に、見事に遮られてしまった。
完全に出鼻を挫かれた俺は、吐き出すべき言葉を失った。
だが彼女は、そんな俺の事など気にもせずに続ける。
「これって、何の本なん?」
八神の居る場所は本棚の前。
そこにある書物に物珍しそうな視線を向けている。
はぁ、折角俺も覚悟を決めたってのに……。
八神のヤローめ。
「そこにあるのは、旧約聖書と新約聖書の翻訳本である『新共同訳聖書』だ」
「へぇ、どんな内容なんや?」
ったく、これから大事な話をしようってのに。
何考えてんだ、コイツは。
しかし、この類の質問はどうにも答えないと気がすまないのが俺の性分だ。
多分、沙耶に教えたりしてるのが癖になったんだろう。
取り敢えず説明する為には、分かり易い説明を心掛ける必要がある。
腕を組んで、それを一つ一つ考えながら、俺は話し始めた。
「旧約聖書は律法と呼ばれる祭儀と行動規範の書、神の世界創造からイスラエルの興廃を中心とする歴史、および将来の救済を予告する預言書からなるものだ。まぁ、ユダヤ教の場合は諸書と呼ばれる詩や知恵文学、歴史と預言を大きく預言者の書として纏めているから、キリストとユダヤでは、その扱いが微妙に違うんだけどな」
元々、旧約聖書とは、新約聖書の『コリントの信徒への手紙二』3章14節の「古い契約」という言葉を元に、2世紀頃からキリスト教徒によって用いられ始めた呼称。
だから、旧約聖書は古く、新約聖書は新しい、と考えるのは全くの見当違い。
知りもしない奴は、そう考えているから頭にくる。
しかし、『旧約聖書』という呼称は正確には違う。
旧約という言葉がユダヤ教徒の反感を買う事から『ユダヤ教聖書』や『ヘブライ語聖書』というふうに呼ばれるようになった。
まぁ、ユダヤ教が改宗を積極的に勧めない宗教だったり、日本でのユダヤ教コミュニティの少なさもあって、この国では未だに旧約聖書のままだけどな。
「新約聖書の方は、紀元1世紀から2世紀にかけてキリスト教徒達によって書かれた文書で、全部で27の書がある」
『福音』と呼ばれるイエス・キリストの生涯と言葉、初代教会の歴史が記された『使徒言行録』、初代教会の指導者たちによって書かれた手紙である『書簡』、黙示文学の『ヨハネの黙示録』。
それぞれ、4つの福音書、1つの歴史書、14のパウロ書簡と7つの公同書簡、そして1つの黙示文学で構成されている。
といっても、書簡に関しては、偽作である事が聖書研究で解明されてるし、あまり完全とは言い難いんだよな。
しかも、これらは聖書として書かれた物じゃないから、著者、目的、成立場所、成立時期がてんでバラバラなのだ。
ついでに、旧約聖書を『ヘブライ語聖書』と呼ぶように、新約聖書も『ギリシア語聖書』と呼ばれている。
うむ、中々分かり易い説明だな。
「新共同訳聖書の簡単な説明はこんなもんか。まぁ、興味があれば貸すから遠慮無く言ってくれ」
『……』
最後にそれだけ告げて説明を締めると、いつの間にか全員が呆然としていた。
何だ、折角リクエスト通りに説明したのに、何て顔してんだコイツ等は。
はぁ……こんなんで、あの話出来るのか?
あまりに身勝手な反応に、目の前の5人に向けて憮然とした視線をぶつける。
…………あれ?
「って、お前まさか……」
何て間抜けなんだ、俺は。
平太の時と同じ、既にいつも通りの俺に戻っている。
心臓はゆっくり一定のリズムで鼓動し、全身を巡る血液も正常。
体の震えは治まっており、呼吸は自然と行えていた。
まさか、こうする為に、俺に聖書の説明をさせたのか?
それに気付いて改めて5人を見ると、その表情には薄っすらと笑みが浮かんでいた。
「ったく、無駄な気遣いしやがって……」
半ば反射的に出た言葉は、あまりにくだらない悪態。
だが、ありがたくて仕方が無い。
こいつ等が今、この場に居てくれて、心の底から本当に感謝してる。
口には出せないが、心の中で何度もありがとうを呟いていた。
素直に言えば良いのに……天邪鬼だな、俺って。
「一応、話し易い状態が必要かなって思って。でも、まさかここまで凄いとは思わなかったよ」
俺の先程の姿を思い出し、苦笑いをする月村。
確かに、まるで別人にでもなったような気がしないでもない。
やはり普段の癖とは恐ろしいものだな。
だからこそ、今こうして居られるんだから、決して悪いものじゃないが。
「それじゃ、始めるか」
今はもう恐怖は感じない。
全くではないが、それでも何とかなりそうな気がしてきた。
俺の言葉に、5人は真面目な顔をして床に整列する。
いや、それは流石に痛いだろう?
カーペットも何も敷いてない床では、床の硬さが直接足に及ぶ。
それで足を痛めては元も子もない。
「そこのベッドにでも座ってくれ。床だと、足を痛めるぞ」
「あっ、うん」
この部屋にある俺のベッドに指差して促す。
言われた瞬間『?』みたいな顔をしていたが、すぐに言葉通りにベッドへ腰掛けていく。
「やっぱり優しいね、聖は」
「……うっさい」
そのハラオウンの呟きに、顔を背けて答える。
ったく、恥ずかしい事言うなっての。
微妙に頬が熱くなるのが分かって、更に恥ずかしい。
そんな俺の様子に、5人はクスクスと微笑ましそうに笑っている。
――お前等、確信犯か!?
しかし、そのくすぐったい声に、妙な心地良さを感じていた俺は、それ以上反論出来なかった。
俺も椅子を引っ張り、5人の前で座る。
こうやって向かい合うのは初めてだから、少し緊張してしまう。
だがそんな事言ってられない、此処からはもう進むしかないんだから。
椅子の上で胡坐を掻いて、腕を組む体勢になって思案する。
突然体勢を変えたからか、少し訝しげな視線を向けられた。
しかしこの座り方は、考え事や反省をする時になる癖なので直せない。
そこの所は見て見ぬ振りをして貰うしかない。
そして心を決めて、過去の情景を思い出しながら、ゆっくりと俺は口を開いた。
「俺、捨て子なんだよ」
『えっ!?』
その事実に、彼女達は驚愕の表情を見せる。
客観的に考えれば、確かにこれは衝撃の事実かもしれない。
親が死んで孤独になったのではなく、親に捨てられて孤独になったのだから。
「でも、本当の親の顔を知らないから、捨てられたって考えは無かった」
拾われたのは1歳辺りの時……そんな小さな俺に、自分の親が誰なのか判別出来ない。
だから、実の親に対する感慨なんてものは一切無かったし、興味も無かった。
それよりも、捨てられた事実さえ知らなかったのだ。
「物心ついた時には師父とシスターが居たし、今よりは少ないけど、此処には家族が居た」
それだけで俺は問題無かった。
此処には両親が居て、兄姉が居たから気にならなかった。
何一つ、不満は無かったのだ。
それは、皆を本当の家族だと思っていたから。
「でも何年か経ったある日、俺は家の前で1人の子供を見付けたんだ」
門前で蹲る、自分より小さい1人の男の子。
すぐに師父にその事を教えると、師父は彼をひなた園に連れていったのだ。
そしてその日――――家族が1人増えた。
そこで知ったのだ、此処がどういう所なのかを。
「知らなかったのは俺だけだった。此処に居る皆は、居場所を無くして集まってきた、仮初の家族だって」
それまで普通の、少しだけ大所帯な家庭だと思っていた俺にとっては、あまりにも衝撃的だった。
そして此処の家族である自分も、同じなのだと。
何処かから捨てられた、1人の捨て子だって事を……。
「でも、皆が家族だって事は変わりない。俺はその後も、その事実を忘れて普通の日常に戻った」
師父もシスターも、兄さんも姉さんも、俺にとっては歴とした家族だった。
自分が捨て子なんてどうだっていい。
今はもう、たくさんの家族が此処に居るんだから。
「でも、自分では気付かっただけで、心ではずっと引き摺っていたんだ」
そして、ソレは起こった。
今から5年前、小学2年生の頃の出来事。
ふとした事で知られてしまった、俺の家の事実。
世界が一変したと、今の俺なら思っただろう。
今までの普通が崩れ去り、自分が人と違う事を思い知らされた。
周りからの視線が、まるで異物を見るかのようなものに変わっていった。
「当然俺は皆に言った。『僕は皆と一緒だよ』って、きちんと届くように、大きな声で」
でも届かない、異物の言う事なんて聴きはしなかったのだ。
仕舞いには――
「『お前、親に捨てられたんだろ?』って、捨て子である事を知らない子にまで言われた」
「っ……」
何かに耐えられなくなったような微かな声が、彼女達から発された。
頼むからまだ我慢してくれ、俺もまだ我慢出来ているから。
もしお前等に同情されたら、それこそ2度とこんな話は出来なくなる。
握り拳に力を込め、俺は続きを語りだす。
「まだ幼い子供には、言葉の善悪の判断が付かなかったんだろう。それでも、俺にはそれが、自分を『否定』する言葉に聞こえた」
それが如何なる毒を持っているのか、分かりもせずに。
今の俺だったら割り切れた……今の俺が聴いたのなら。
しかしそれを聴いたのは、まだ幼くて弱々しい、子供の瑞代聖だった。
そんな俺が、その言葉に耐えられる筈が無かった。
「傷付いた。泣いて、また泣いて、泣きまくった」
起きていても、寝ていても、あの言葉が耳から離れない。
学校に行けば、クラスメイトから浴びせられる言葉の数々。
家に戻って眠りについても、夢の中でそれは反芻される。
まるで悪夢、生きている間は覚める事の無い生き地獄。
そして、眠れなくなった。
「あの時初めて、眠る事に恐怖した。まるで眠ったら最後、地獄に落ちると感じた位に」
日に日に弱っていくのが、自分でも分かった。
飯も喉を通らなくなって、最後には、部屋から出る事も出来なくなった。
そして――
「過度の栄養失調と睡眠不足で、俺は倒れた」
その結果は、至極当然のものだ。
小さな子供がそんな事をすれば、否、大人であっても無事ではいられない。
「目を覚ました時、傍には師父とシスターが居て、仕事もそっちのけで構ってくれた」
とても嬉しかった。
その反面、この2人にとても申し訳なくなってしまった。
こんな俺を、血の繋がりも何も無い俺に、こんなにも尽くしてくれる2人に。
「2人や家族のお陰もあって、何とか俺は持ち直して、学校にも行けるようになった」
それからは、何の問題も無く学校生活に戻れた。
周りのクラスメイトも謝罪に来てくれたし、その話題が出る事も一切無くなった。
もう大丈夫だと、本心から思った。
「まぁ、本当に大丈夫だったら、今頃こんな事にならなかったんだけどな」
問題が発覚したのは、その翌年。
新しいクラスメイトから何気無く言われた一言。
――聖君ってさ、捨て子だって本当?――
「ゾッとした。それと同時に、忘れていた記憶が一気に蘇ってきたんだ」
――お前、親に捨てられたんだろ?――
――五月蝿い――
――親に捨てられるって、どんな悪い事したんだよ?――
――やめろ――
――バッカじゃねぇの――
――ヤメロ!!――
まるで濁流のように、俺の脳内には様々な言葉が蘇った。
思い出したくもない、あの悪夢の日々の記憶。
その一つ一つが、この脳裏に鮮明に戻ってきた。
「その場から逃げ出した。嫌で、嫌で、堪らなかった」
それからだ。
人に自分の事を教えなくなったのは。
絶対に知られちゃいけないと思って、頑なに口を閉ざし続けた。
一部始終を知っていた高杉を除けば、瀬田や遠藤、金月には、自分から何一つ語っていない。
唯、とある偶然によって知られてしまっただけだ。
それは俺が見付けた子供、初めて会った時は名前すら無かった子。
3人とは、その子を通じて知り合ったのだ。
「その子の名前は、これ以上子供が捨てられない平和な世の中になるようにと、師父とシスターの願いによって付けられた」
世の中が穏やかで、平和な事を意味する言葉『太平』
それを使って完成した名前。
その子自身も、平和な時を過ごせるようにという願いの形。
「それが平太。アイツは、俺と同じ捨て子だったんだ」
『!?』
俺の部屋に動揺が走る。
それも当然だろう。
自分達の知っている子が、まさか捨て子だったなんて誰が予想する事が出来よう。
しかし、この事実は変えられないもの。
それでもその願いは見事叶えられ、それ以後は誰1人として捨てられた子供は来ていない。
偶然かもしれないが、それでも嬉しいことには変わらない。
――っと、話が逸れたな。
俺はあの時、忘れていた悪夢を呼び覚まされた事によって理解した。
そしてそれが、俺の心にあるモノ。
今回、こいつ等に向けてしまった拒絶の正体。
「だから俺は知られたくなかったんだ。もう2度と思い出したくない、あんな事は……」
俺の心を支配する、その感情。
それによって生まれ出でたモノは、他者を拒絶する事しか出来ない。
しかし、だからと言って、いつまでもこれを抱えてなんていられないんだ。
俺は変わらないといけない。
コイツ等が笑えるように、楽しかったあの光景を取り戻す為にも……。
握り拳を解き、俺は緊張していた全身を脱力させて、体勢を変えて座り直した。
ふぅ、と一息吐いて、俺は5人に向き直る。
「俺から話す事は、これだけだ」
真っ直ぐにぶつかってくる視線を受け止めて、俺は自分の過去を打ち明けた。
悲劇と呼ぶには軽過ぎる、喜劇と呼ぶには趣味の悪い物語。
小説やドラマの主人公とは程遠い、ちゃちな過去だ。
それでも、元々主人公らしくない俺にとっては、これ位が丁度良いのだろう。
本人からすれば、迷惑甚だしいけどな。
「聖……」
「どうした?」
過去の出来事に悪態を吐きながら物思いに耽っていると、俺のベッドに座っているハラオウンが俺の名を呼んだ。
その声には物悲しい響きは無く、いつも俺を呼ぶ時の声と同じ。
少し細く、それでいて芯の通った、ハラオウン独特の声だった。
「聖が、今までどんな思いで過ごしてきたか、私達は分からない」
それは当然だろ、と突っ込むような状況ではなかった。
元より、そんな気は更々無い。
今の俺に出来る事は、コイツ等の言葉を聴くだけなんだから。
「それでも、さっきまでの聖君を見れば、本当に辛い事は分かるの」
高町がハラオウンに続く。
まるで示し合わせたかのような繋げ方だ。
確かに、あれじゃバレバレだよな。
「せやから、今の話を聞かせてくれて、私等ほんまに嬉しいんよ」
そして八神が。
そうだな、安っぽい同情されるより、そう思ってくれる方がこっちとしても助かる。
俺は彼女達を信じて、此処に居るんだから。
「最初はあんな顔してたから、途中で逃げ出すかもって思ってたけどね」
バニングスにバトンタッチ。
確かに最初は俺もそれを危惧してたけど、お前等のお陰で何とかなった。
「今、私達と向かい合ってて、逃げたくなる?」
最後は月村。
いや……今はそんな気が全くしないな。
むしろ清々した感じで気分が良い。
今まで溜まりに溜まったどす黒いモノが、話す度に消えていくのを感じて、俺の中の何かが変わった気がする。
それはとても小さいものだけど、俺にとって何よりも大切なもの。
コイツ等が最後まで、同情も憐憫も向けないで聴いてくれたお陰だ。
だから月村の問いに、俺は首を横に振って答える。
「何だかなぁ。今日1日を思い返すのが馬鹿らしくなってくる」
5人から逃げて、本当の心を知って、何度も躊躇しながらも、最後には此処に来た。
全く現実ってのはどうして、こうも滑稽なんだろうか。
でも今はその滑稽さに、心の底から感謝している。
だって、目の前に居る少女達が、本当に笑っているんだから。
別に道化を演じてた訳じゃないが、それでも笑顔を取り戻せた。
その事実に、俺の心は堪らなく嬉しさが込み上げてくる。
思わず、頬が緩んでしまう位に。
「ありがとな……」
彼女達のほんの少しの心遣いに感謝して、聞こえない程度に呟く。
やっぱり、面と向かって礼を言うのは恥ずかしいものがある。
それに、その……
今更気付いたんだが……
目の前の5人が、いつも見てる制服じゃなくて、パジャマ姿なのだ。
――――いや、拙いだろこの状況!?
理解してから徐々に顔が熱くなってくる。
家族の姿なら別に大した事じゃないが、今回は話が違う。
この5人は、傍から見ればかなりの美少女だ。
そんな彼女達が、俺の部屋でそのような姿になっていれば、視覚的にかなりヤバい。
しかも、何故か部屋中に良い匂いが満ちている。
駄目だ、それを吸ってはいけない!!
落ち着け~、落ち着くんだ俺~。
そうだ、早く出て行って貰えばいいんだ。
椅子から立ち上がり、5人に向けて言い放つ。
「さぁ今日はこれでお開きだお前等も早く寝ろ明日も早いぞ」
焦りによって、言うべき言葉を句読点付けずに発してしまった。
視線も彼女達には向けず、明後日の方向を向いている。
仕方ないだろ、恥ずかしいんだよこの状況!!
だが5人は突然の事に『?』状態で、一向に動く気配は無い。
頼むから早く出てってくれぇぇぇ!!
「どうしたの? そんなに慌てて」
どうしたもこうしたも無い、俺も男なんだから少しは警戒しろ!!
しかし、それでもコイツ等は全く動こうとしない。
あぁくそっ、もう言うしか無いのか……。
とんでもなく恥ずかしいが、このままで居る方が心臓に悪い。
「仮にも男の部屋で、いつまでもそんな恰好で居るなって!!」
『あっ……』
意を決して叫んだ俺の言葉に、今更意味に気付く5人。
くそぅ、言ってしまった。
先程とは比べ物にならないスピードで、顔が発熱している。
まるで熱射病に罹ったような……いや、一度も罹ったこと無いけど。
『おっ、お邪魔しました~!!』
此方の言葉に漸く5人は退室し、部屋には俺だけが残された。
急いで窓を開けて、部屋に充満している匂いを外に追い出す。
エアを、新鮮なエアをくれ!!
少し名残惜しいが、このままにしておく方が精神的に参ってしまう。
「はぁぁぁぁぁぁ……」
何だか、最後まで道化をやってる自分に、どうしようもなく呆れてしまう。
さっきまでのシリアスというか、こう重要な場面的な空気が行方不明だ。
唯、こんなドタバタした日も、偶には良いんじゃないかと思ってしまう。
その心境の変化が、今の俺にはとても新鮮で、心地良く感じた。
「明日からは、ちゃんとしないとな……」
窓から見える月を見て、微笑むように呟く。
その包み込むような優しい光に、自分の気持ちが安らかになっていくのを感じながら。
今日という2度と無い日に、こうして幕を下ろした。
聖君は聖書Wiki能力搭載済み(作者の引用元的な意味で)
どうも、おはこんばんちはです( ・ω・)ノシ
№ⅩⅠ(変換出来ないので、この形式で続けます)を読んで下さり、ありがとうございます。
まずは聖のトラウマについて、こういう形で決着ですね。
幼い日から残り続けた傷痕は今この時より、少しずつ癒えていく事でしょう。
こうしてまず、聖は一つの関門を乗り越えた訳です。
きっと、これからの彼は少しずつですが変わっていくと思います。
引き続き、見守っていって下さい。
それと5人がひなた園に来た事ですが、まぁご都合主義ですよねー( -ω-)
でもその中で1人だけ、割と無関係じゃないキャラが居ますね。
この時間軸で、誰が誰に出会ったか、それが今回の来訪に繋がっております。
……これに関しては、特に気にしなくて大丈夫だと思います。
今回は以上となります。
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直接メッセージでも、作者的にウェルカムです。
では、失礼します( ・ω・)ノシ