少年の誓い~魔法少女リリカルなのはO's~   作:さっき~

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№ⅩⅠ「進む為の一歩を……」

 

 

 

 あれから数時間が経った。

 俺は未だに昼食も取らず、黙々と作業を続けている。

 そうでもしていないと心が落ち着かないからだ。

 

 でも手を動かしていても、頭は別の事を思ってしまう。

 ハラオウン、バニングス、高町、八神、月村……。

 アイツ等5人の事を振り払う事が出来ず、否が応でも考えてしまう。

 元々、彼女達には何も関係無い。

 アレは俺の一方的な八つ当たりで、それに巻き込まれただけだ。

 だからこそ考えてしまう、アイツ等になんて事をしてしまったのだろうと。

 後悔先に立たず、今更どうこう考えても遅い。

 それでも俺の脳裏に浮かぶのは、5人の悲痛な表情。

 いつも明るく穏やかな、周りまでそうしてしまう程の魅力的な笑顔をする彼女達。

 それを俺は自分勝手な想いで、蹂躙してしまった。

 

「最低だ、俺……」

 

 どのように言われようと、俺はもう大丈夫な筈なのだ。

 なのにこの心は、また傷付く事を恐れ、他人を拒絶していた。

 アイツ等はあんな事は絶対に言わない。

 そう言い聞かせてもやっぱり、心が彼女達を認める事が出来なかった。

 素直で真っ直ぐで、とても良い友人だ。

 それを自分で分かっているのに認めない、この心が憎くて堪らない。

 だから、誰も居ない所に俺は来ているのだろう。

 教会前にある花壇の雑草毟り。

 ひなた園の方の花壇もやりたい所だが、今は小学生以下の幼少組が絵を描いている為、近付けない。

 今は誰にも会いたくない。

 会ってしまえば、きっと拒絶してしまうから。

 独りでいる時間が欲しくて皆から離れた。

 この心が納得出来るまで、気持ちを整理するまで考えたい。

 彼女達と、きちんと向き合えるようになるまで……。

 

 

 

 

 

「聖兄ちゃーん!!」

 

 午後3時過ぎ、声を張り上げて平太が帰って来た。

 走りながらこっちに突っ込んでくるが、拳を握り締めているのを確認して、戦闘体制に移行する。

 

「でいっ!!」

「甘い」

 

 平太の拳は、愚直なまでに真っ直ぐに突き進む。

 しかし軌道が見え見えで、避ける事など造作も無い。

 それをかわして、平太の進行方向先に掌を向ける。

 

「痛って~……」

 

 それは真っ直ぐ進んできた平太の額に直撃、ベチッと地味に痛そうな音を立てた。

 直撃したそこを押さえながら、平太は俺の目の前で蹲っている。

 

「まだまだだな」

「手加減してくれても良いじゃんかよ~」

「ばーか、充分手加減してるだろ?」

 

 これは、俺と平太との間だけでやっている遊び事。

 好きな時に俺を襲っていい、という何とも物騒なゲームである。

 事の発端は唐突、平太が俺に鍛えてくれというお願いから始まった。

 勿論俺は反対、つーか俺は人に教える立場に無い。

 平太にはサッカーがあるのだから、それに集中して欲しいと思っての事だ。

 しかし平太は譲らない。

 曰く、「俺も皆を守りたいんだ!!」と。

 しかしそれでも受け入れない俺に業を煮やしたのか、提案を持ち掛けてきた。

 それが、今さっき行ったゲームだ。

 ルールは至って簡単。

 俺と平太がお互いを認識している状態で、平太が一発決めれば勝ち。

 合図は一切無しで、勝てば俺に教えを請う。

 負ければまたの機会……この場合俺って、何も得してないよな?

 

「いい加減諦めて、サッカーで頑張れよ」

「サッカーじゃ誰も守れないじゃんか!!」

 

 俺の言葉を聞いて尚、一向に引こうとしない。

 全く、この頑固さは誰に似たんだか……。

 ――まさか俺か?

 思い当たる節が無い訳ではないからなぁ、もしかしたらだが……。

 

 

 その時、ふと、いつの間にか自分のペースを取り戻しつつある事に気付いた。

 話している内容や平太の無邪気さが、あまりにもいつも通りだったからか、今になって漸く気が付いた。

 何と鈍い事か、呆れて物も言えない。

 どうしようもない馬鹿野郎だな、俺は……。

 

 しかし、これで多少はまともになれた。

 ささやかなお礼として、平太の頭をポンポンと優しく叩いてやる。

 されている本人は、突然の事に呆然。

 そんな弟に、今必要なアドバイスを与える。

 

「力だけじゃ、人は守れない」

「え?」

「いつかお前も分かるさ」

 

 それだけ言うと、乗せていた手を放す。

 

「ほら、いつまでも此処に居るな。荷物置いてこい」

「あ、うん」

 

 まだ完全に戻りきっていない平太に、家を指差して告げる。

 まぁ何にしても、まずは荷物置いてこないと何も出来ないぞ。

 平太はそれに頷き、そのままタッタッと駆けていく。

 その後姿を見て、アイツが5人と鉢合わせたらどうなるのか気になった。

 平太は施設で暮らしている事に対する疎外感を知らないから、案外普通に喜ぶかもしれない。

 いや、平太だけじゃない。

 彼女達を知っている勇気も同じだろうし、他の子達もきっと同様だ。

 そしてその中で、俺だけが異端だった。

 もう少し、もう少しだけ時間が欲しい。

 

「だから……」

 

 だからそれまで待っててくれ。

 ハラオウン、バニングス、高町、八神、月村。

 彼女達を想い瞑目すると、脳裏にある光景が思い出された。

 

 

 昼休みの屋上。

 一緒に昼飯を食っている時だ。

 そこには5人が居て、他愛の無い話なのに、笑顔が溢れていて……。

 あまり会話に参加しない俺は、無理矢理な話題を振られて、馬鹿みたいに戸惑う姿を晒す。

 偶に高杉がちょっかい出したりして、それを俺がぶっ飛ばしたり。

 その奇妙な光景に、そこでまた皆が笑顔になる。

 

 ……あぁ、そうだったのか。

 その時ハッキリと理解した。

 どうして自分がここまで、アイツ等を気に掛けていたのか。

 そう、それはただ1つ。

 

 唯、アイツ等の『笑顔』が見たいから。

 

 それだけだったんだ。

 屋上に降り注ぐ太陽の光。

 それを受けて、眩い輝きを放つソレを。

 彼女達それぞれの笑顔は、花のように美しくて、綺麗で、何物にも代えられない魅力的なものだった。

 いつも見ていた俺はきっと、知らぬ間にソレに魅入られていた。

 彼女達の笑顔の力に、引き込まれていたんだ。

 

 瞼を開くと、その風景は何一つ残っていなかった。

 それでも、自分の中で何かが変革した感触がある。

 それだけが今の自分の心を奮い立たせている。

 もしかしたら2度と立ち上がれなくなるかもしれない。

 それでも、やっぱり俺は変わらないといけない。

 そして、アイツ等から奪ってしまった笑顔を取り戻す。

 アイツ等が笑って、またあの光景のような日々をこの手に……。

 それだけの理由があれば充分、何とかやってみせよう。

 出来るとしたら、それは実習2日目の明日。

 その時が、俺の今後を左右するだろう。

 

「瑞代聖、人生初の大勝負」

 

 絶対に勝ってみせる。

 挫けそうになったら意地でも踏ん張ってやる。

 最後の最後まで、やり遂げてみせるさ。

 午後の麗らかな日和に、俺は必勝の誓いを立てた。

 絶対に逃げないと決めた、俺の誓い……。

 

 

 

 

 

 

 時は進み、夕食の時間。

 流石に昼を食わなかった俺が、これから逃げる訳にはいかない。

 空腹は俺にとっての最大の敵。

 明日の為にも、きちんとした食生活を心掛けないと。

 食堂に入ると、既に俺以外の皆が席に着いていた。

 ……それは構わないんだが、問題が発生した。

 

 

 それは、あの5人がまだ残っていた事。

 何故? 帰ったのでは?

 疑問は浮かぶが、誰かに訊く余裕も無いので、そのまま放置。

 まぁ此処に入った瞬間、5対の瞳に射抜かれたのは言うまでも無いが。

 その視線から逃げるように、俺は自分が座る席に着いた。

 この心はまだ完全には吹っ切れていない、それが如実に現れている。

 本当、俺って駄目だな。

 朝と比べれば全然マシだが、それでも視線を合わせるのが怖い。

 会話を交わすことなんて、ハッキリ言って不可能に近かった。

 

 幸いだったのは、俺の席のテーブルに居るのが師父だった事。

 この家では1つのテーブルに1人、代表者を置く決まりになってる。

 何かあった時に、すぐに対応出来るようにする為で、その役割は師父、シスター、俺の3人で行っていた。

 しかし今日は、人数も増えた為に色々と変則的だ。

 まず、テーブルが増えている。

 普段は3つのテーブルに5,5,6人ずつに対し、今日は4つのテーブルに5,5,5,6の振り分けで人が座っている。

 そして、他のテーブルにはシスターと八神、ハラオウンと高町、バニングスと月村の組み合わせとなっていて、1つのテーブルに代表者が2人の仕組み。

 5人が来た事でテーブルのスペースが無くなってしまったのだろうが、丁度良い人数に、何か作為的なものを感じて仕方がない。

 しかし、予備のテーブルがあったのは意外だ。

 まぁ、師父だから何かあった時の為に備えていたのだろう。

 

「それでは、全員が揃ったから……」

 

 食堂を見回して、全員居る事を確認した師父は、両手を合わせる。

 それに倣い、俺達も両手を合わせた。

 

「頂きます」

『頂きます』

 

 師父の号令の下、夕食は開始された。

 今日の献立は、五目炊き込みご飯とオムレツ、青菜の胡麻和えに味噌汁だ。

 昼飯を食わなかった俺は、早速箸を手に、ご飯に手を付けた。

 ん、…むぐむぐ。

 

「美味い」

 

 ご飯の炊き込み具合、出汁の味も完璧。

 この上ない美味さが、空っぽの胃を満たす。

 美味いのだが、……何か違和感がある。

 その正体を確かめたくて、オムレツの方にも箸を付ける。

 

「やっぱり美味い」

 

 この玉子のふんわり感が丁度良い、中にはベーコン、玉葱とジャガイモが入っていて、食感もある。

 チーズが入ってるのだろう、コクもあって美味しい。

 でも、やっぱり何処か違和感が残る。

 一体何だろうか?

 美味いんだけど、何か釈然としない。

 

「聖、どうしたんだ?」

「えっ、いや……」

 

 そんなしかめっ面で料理を平らげていく俺を見て、師父は尋ねるように話しかけて来た。

 あまりに唐突なそれに、俺は気の無い返事しか返せない。

 流石にそのままはいけないと思い、一応先程から感じている違和感を説明した。

 すると師父は、表情を和らげて答える。

 

「実はね、彼女達に手伝って貰ったんだ。特に八神さんは、朝昼夕全ての食事を作ってるらしいから。料理の腕はシスターに引けを取らないよ」

 

 ふぅん、アイツ等が……。

 だから味に違和感を感じたのか。

 いつものシスターの料理とは違う味、少し新鮮だった。

 それと同時に、何だろうか……。

 こう、シスターの料理とは違った温かさがある。

 それは決して嫌なものではなく、優しく心に染み入っていく感じ。

 何故か、胸の辺りがくすぐったかった……。

 

 

 余談だが、夕食は満腹になるまで食った。

 ……腹が減っていたからで、別にアイツ等の料理が特別だったとかじゃないからな?

 

 

 

 

 

 

 

 夕食後、小さい子からどんどん風呂に入っていく。

 ウチは普通の風呂よりでかいから、5,6人は一気に入れるもの。

 というか、ウチみたいな大所帯では、そうでないと困るから当然だ。

 師父が最後で、俺はその前。

 それまで時間があるから、今はトレーニングに精を出している最中。

 夜道を走りながら、色々考える。

 シスターに頼んで、5人が俺の部屋に来るように伝えている。

 まぁ、俺が風呂に上がるまで待たないといけないんだが……。

 そこは各々の判断に任せるとして、今の俺はそれ所ではない。

 

 まさか職場実習で泊り込みの職場があったとは、全く思わなかった。

 それにより、俺の計画は悉く破綻し、最終的に今夜には話し合う事になってしまったのだ。

 早いに越した事は無いのだろうが、突然そう言われても困るしかない。

 

「でも、先送りしても問題は解決しない」

 

 もう知られてしまったのだ。

 今更何をしても、誤魔化せない所まで来ている。

 だったら腹を括って、今日の内にアイツ等に全て話す。

 それがどういう結果をもたらすかは、何一つ予想がつかない。

 俺が途中で逃げ出してしまうか、全て話し切れるのか。

 それが今日、決まってしまう。

 怖くない、と言っても嘘でしかない。

 

 正直な話をすれば、怖くて今にも震えそうだ。

 俺の心の奥底の部分は、あの時のまま。

 善悪を知らない言葉の刃が突き刺さった、あの時の……。

 だからこそ、あらゆる痛みを飲み込んで、前へ進む為の一歩を始めないと。

 俺に出来るのは、話す事だけなのだから。

 

 

 

 

 

 風呂に上がり、自室に戻った俺を待っていたのは、5人の少女だった。

 その一文を聞く限りなら、どこぞの天国かと誰もが思ってしまうだろう。

 しかし、今の俺にはそんな事を考える余裕も暇も無かった。

 目に映るのは、俺を見詰める5対の瞳。

 そこには、朝の出来事に対する悲壮感は感じない。

 恐らく、シスターが何とか言ってくれたのだろう。

 それだけが、唯一の救いだった。

 

「……」

 

 何も発せない。

 心臓が早鐘を打つ、血液が激流のように全身を駆け巡る。

 体は震えそうになり、呼吸は意識しなければ忘れてしまう。

 満身創痍、俺は無傷でありながら重症だった。

 

 それでも言わなければならない。

 彼女達には、笑っていて欲しいから。

 心に残っているあの光景を取り戻したいから。

 意を決して、恐怖を飲み込んで、震える唇で5人に声を掛けようと――

 

「なぁ聖君」

 

 八神の独特なイントネーションの声に、見事に遮られてしまった。

 完全に出鼻を挫かれた俺は、吐き出すべき言葉を失った。

 だが彼女は、そんな俺の事など気にもせずに続ける。

 

「これって、何の本なん?」

 

 八神の居る場所は本棚の前。

 そこにある書物に物珍しそうな視線を向けている。

 はぁ、折角俺も覚悟を決めたってのに……。

 八神のヤローめ。

 

「そこにあるのは、旧約聖書と新約聖書の翻訳本である『新共同訳聖書』だ」

「へぇ、どんな内容なんや?」

 

 ったく、これから大事な話をしようってのに。

 何考えてんだ、コイツは。

 しかし、この類の質問はどうにも答えないと気がすまないのが俺の性分だ。

 多分、沙耶に教えたりしてるのが癖になったんだろう。

 取り敢えず説明する為には、分かり易い説明を心掛ける必要がある。

 腕を組んで、それを一つ一つ考えながら、俺は話し始めた。

 

「旧約聖書は律法と呼ばれる祭儀と行動規範の書、神の世界創造からイスラエルの興廃を中心とする歴史、および将来の救済を予告する預言書からなるものだ。まぁ、ユダヤ教の場合は諸書と呼ばれる詩や知恵文学、歴史と預言を大きく預言者の書として纏めているから、キリストとユダヤでは、その扱いが微妙に違うんだけどな」

 

 元々、旧約聖書とは、新約聖書の『コリントの信徒への手紙二』3章14節の「古い契約」という言葉を元に、2世紀頃からキリスト教徒によって用いられ始めた呼称。

 だから、旧約聖書は古く、新約聖書は新しい、と考えるのは全くの見当違い。

 知りもしない奴は、そう考えているから頭にくる。

 しかし、『旧約聖書』という呼称は正確には違う。

 旧約という言葉がユダヤ教徒の反感を買う事から『ユダヤ教聖書』や『ヘブライ語聖書』というふうに呼ばれるようになった。

 まぁ、ユダヤ教が改宗を積極的に勧めない宗教だったり、日本でのユダヤ教コミュニティの少なさもあって、この国では未だに旧約聖書のままだけどな。

 

「新約聖書の方は、紀元1世紀から2世紀にかけてキリスト教徒達によって書かれた文書で、全部で27の書がある」

 

 『福音』と呼ばれるイエス・キリストの生涯と言葉、初代教会の歴史が記された『使徒言行録』、初代教会の指導者たちによって書かれた手紙である『書簡』、黙示文学の『ヨハネの黙示録』。

 それぞれ、4つの福音書、1つの歴史書、14のパウロ書簡と7つの公同書簡、そして1つの黙示文学で構成されている。

 といっても、書簡に関しては、偽作である事が聖書研究で解明されてるし、あまり完全とは言い難いんだよな。

 しかも、これらは聖書として書かれた物じゃないから、著者、目的、成立場所、成立時期がてんでバラバラなのだ。

 ついでに、旧約聖書を『ヘブライ語聖書』と呼ぶように、新約聖書も『ギリシア語聖書』と呼ばれている。

 うむ、中々分かり易い説明だな。

 

「新共同訳聖書の簡単な説明はこんなもんか。まぁ、興味があれば貸すから遠慮無く言ってくれ」

『……』

 

 最後にそれだけ告げて説明を締めると、いつの間にか全員が呆然としていた。

 何だ、折角リクエスト通りに説明したのに、何て顔してんだコイツ等は。

 はぁ……こんなんで、あの話出来るのか?

 あまりに身勝手な反応に、目の前の5人に向けて憮然とした視線をぶつける。

 …………あれ?

 

「って、お前まさか……」

 

 何て間抜けなんだ、俺は。

 平太の時と同じ、既にいつも通りの俺に戻っている。

 心臓はゆっくり一定のリズムで鼓動し、全身を巡る血液も正常。

 体の震えは治まっており、呼吸は自然と行えていた。

 まさか、こうする為に、俺に聖書の説明をさせたのか?

 それに気付いて改めて5人を見ると、その表情には薄っすらと笑みが浮かんでいた。

 

「ったく、無駄な気遣いしやがって……」

 

 半ば反射的に出た言葉は、あまりにくだらない悪態。

 だが、ありがたくて仕方が無い。

 こいつ等が今、この場に居てくれて、心の底から本当に感謝してる。

 口には出せないが、心の中で何度もありがとうを呟いていた。

 素直に言えば良いのに……天邪鬼だな、俺って。

 

「一応、話し易い状態が必要かなって思って。でも、まさかここまで凄いとは思わなかったよ」

 

 俺の先程の姿を思い出し、苦笑いをする月村。

 確かに、まるで別人にでもなったような気がしないでもない。

 やはり普段の癖とは恐ろしいものだな。

 だからこそ、今こうして居られるんだから、決して悪いものじゃないが。

 

「それじゃ、始めるか」

 

 今はもう恐怖は感じない。

 全くではないが、それでも何とかなりそうな気がしてきた。

 俺の言葉に、5人は真面目な顔をして床に整列する。

 いや、それは流石に痛いだろう?

 カーペットも何も敷いてない床では、床の硬さが直接足に及ぶ。

 それで足を痛めては元も子もない。

 

「そこのベッドにでも座ってくれ。床だと、足を痛めるぞ」

「あっ、うん」

 

 この部屋にある俺のベッドに指差して促す。

 言われた瞬間『?』みたいな顔をしていたが、すぐに言葉通りにベッドへ腰掛けていく。

 

「やっぱり優しいね、聖は」

「……うっさい」

 

 そのハラオウンの呟きに、顔を背けて答える。

 ったく、恥ずかしい事言うなっての。

 微妙に頬が熱くなるのが分かって、更に恥ずかしい。

 そんな俺の様子に、5人はクスクスと微笑ましそうに笑っている。

 

 ――お前等、確信犯か!?

 しかし、そのくすぐったい声に、妙な心地良さを感じていた俺は、それ以上反論出来なかった。

 俺も椅子を引っ張り、5人の前で座る。

 こうやって向かい合うのは初めてだから、少し緊張してしまう。

 

 だがそんな事言ってられない、此処からはもう進むしかないんだから。

 椅子の上で胡坐を掻いて、腕を組む体勢になって思案する。

 突然体勢を変えたからか、少し訝しげな視線を向けられた。

 しかしこの座り方は、考え事や反省をする時になる癖なので直せない。

 そこの所は見て見ぬ振りをして貰うしかない。

 そして心を決めて、過去の情景を思い出しながら、ゆっくりと俺は口を開いた。

 

 

 

「俺、捨て子なんだよ」

『えっ!?』

 

 その事実に、彼女達は驚愕の表情を見せる。

 客観的に考えれば、確かにこれは衝撃の事実かもしれない。

 親が死んで孤独になったのではなく、親に捨てられて孤独になったのだから。

 

「でも、本当の親の顔を知らないから、捨てられたって考えは無かった」

 

 拾われたのは1歳辺りの時……そんな小さな俺に、自分の親が誰なのか判別出来ない。

 だから、実の親に対する感慨なんてものは一切無かったし、興味も無かった。

 それよりも、捨てられた事実さえ知らなかったのだ。

 

「物心ついた時には師父とシスターが居たし、今よりは少ないけど、此処には家族が居た」

 

 それだけで俺は問題無かった。

 此処には両親が居て、兄姉が居たから気にならなかった。

 何一つ、不満は無かったのだ。

 それは、皆を本当の家族だと思っていたから。

 

「でも何年か経ったある日、俺は家の前で1人の子供を見付けたんだ」

 

 門前で蹲る、自分より小さい1人の男の子。

 すぐに師父にその事を教えると、師父は彼をひなた園に連れていったのだ。

 そしてその日――――家族が1人増えた。

 そこで知ったのだ、此処がどういう所なのかを。

 

「知らなかったのは俺だけだった。此処に居る皆は、居場所を無くして集まってきた、仮初の家族だって」

 

 それまで普通の、少しだけ大所帯な家庭だと思っていた俺にとっては、あまりにも衝撃的だった。

 そして此処の家族である自分も、同じなのだと。

 何処かから捨てられた、1人の捨て子だって事を……。

 

「でも、皆が家族だって事は変わりない。俺はその後も、その事実を忘れて普通の日常に戻った」

 

 師父もシスターも、兄さんも姉さんも、俺にとっては歴とした家族だった。

 自分が捨て子なんてどうだっていい。

 今はもう、たくさんの家族が此処に居るんだから。

 

「でも、自分では気付かっただけで、心ではずっと引き摺っていたんだ」

 

 そして、ソレは起こった。

 今から5年前、小学2年生の頃の出来事。

 ふとした事で知られてしまった、俺の家の事実。

 世界が一変したと、今の俺なら思っただろう。

 今までの普通が崩れ去り、自分が人と違う事を思い知らされた。

 周りからの視線が、まるで異物を見るかのようなものに変わっていった。

 

「当然俺は皆に言った。『僕は皆と一緒だよ』って、きちんと届くように、大きな声で」

 

 でも届かない、異物の言う事なんて聴きはしなかったのだ。

 仕舞いには――

 

「『お前、親に捨てられたんだろ?』って、捨て子である事を知らない子にまで言われた」

「っ……」

 

 何かに耐えられなくなったような微かな声が、彼女達から発された。

 頼むからまだ我慢してくれ、俺もまだ我慢出来ているから。

 もしお前等に同情されたら、それこそ2度とこんな話は出来なくなる。

 握り拳に力を込め、俺は続きを語りだす。

 

「まだ幼い子供には、言葉の善悪の判断が付かなかったんだろう。それでも、俺にはそれが、自分を『否定』する言葉に聞こえた」

 

 それが如何なる毒を持っているのか、分かりもせずに。

 今の俺だったら割り切れた……今の俺が聴いたのなら。

 しかしそれを聴いたのは、まだ幼くて弱々しい、子供の瑞代聖だった。

 そんな俺が、その言葉に耐えられる筈が無かった。

 

「傷付いた。泣いて、また泣いて、泣きまくった」

 

 起きていても、寝ていても、あの言葉が耳から離れない。

 学校に行けば、クラスメイトから浴びせられる言葉の数々。

 家に戻って眠りについても、夢の中でそれは反芻される。

 まるで悪夢、生きている間は覚める事の無い生き地獄。

 そして、眠れなくなった。

 

「あの時初めて、眠る事に恐怖した。まるで眠ったら最後、地獄に落ちると感じた位に」

 

 日に日に弱っていくのが、自分でも分かった。

 飯も喉を通らなくなって、最後には、部屋から出る事も出来なくなった。

 そして――

 

「過度の栄養失調と睡眠不足で、俺は倒れた」

 

 その結果は、至極当然のものだ。

 小さな子供がそんな事をすれば、否、大人であっても無事ではいられない。

 

「目を覚ました時、傍には師父とシスターが居て、仕事もそっちのけで構ってくれた」

 

 とても嬉しかった。

 その反面、この2人にとても申し訳なくなってしまった。

 こんな俺を、血の繋がりも何も無い俺に、こんなにも尽くしてくれる2人に。

 

「2人や家族のお陰もあって、何とか俺は持ち直して、学校にも行けるようになった」

 

 それからは、何の問題も無く学校生活に戻れた。

 周りのクラスメイトも謝罪に来てくれたし、その話題が出る事も一切無くなった。

 もう大丈夫だと、本心から思った。

 

「まぁ、本当に大丈夫だったら、今頃こんな事にならなかったんだけどな」

 

 問題が発覚したのは、その翌年。

 新しいクラスメイトから何気無く言われた一言。

 

 ――聖君ってさ、捨て子だって本当?――

 

「ゾッとした。それと同時に、忘れていた記憶が一気に蘇ってきたんだ」

 

 ――お前、親に捨てられたんだろ?――

 

――五月蝿い――

 

 ――親に捨てられるって、どんな悪い事したんだよ?――

 

――やめろ――

 

 ――バッカじゃねぇの――

 

――ヤメロ!!――

 

 

  まるで濁流のように、俺の脳内には様々な言葉が蘇った。

 思い出したくもない、あの悪夢の日々の記憶。

 その一つ一つが、この脳裏に鮮明に戻ってきた。

 

「その場から逃げ出した。嫌で、嫌で、堪らなかった」

 

 それからだ。

 人に自分の事を教えなくなったのは。

 絶対に知られちゃいけないと思って、頑なに口を閉ざし続けた。

 一部始終を知っていた高杉を除けば、瀬田や遠藤、金月には、自分から何一つ語っていない。

 唯、とある偶然によって知られてしまっただけだ。

 

 それは俺が見付けた子供、初めて会った時は名前すら無かった子。

 3人とは、その子を通じて知り合ったのだ。

 

「その子の名前は、これ以上子供が捨てられない平和な世の中になるようにと、師父とシスターの願いによって付けられた」

 

 世の中が穏やかで、平和な事を意味する言葉『太平』

 それを使って完成した名前。

 その子自身も、平和な時を過ごせるようにという願いの形。

 

「それが平太。アイツは、俺と同じ捨て子だったんだ」

『!?』

 

 俺の部屋に動揺が走る。

 それも当然だろう。

 自分達の知っている子が、まさか捨て子だったなんて誰が予想する事が出来よう。

 しかし、この事実は変えられないもの。

 それでもその願いは見事叶えられ、それ以後は誰1人として捨てられた子供は来ていない。

 偶然かもしれないが、それでも嬉しいことには変わらない。

 

 ――っと、話が逸れたな。

 俺はあの時、忘れていた悪夢を呼び覚まされた事によって理解した。

 そしてそれが、俺の心にあるモノ。

 今回、こいつ等に向けてしまった拒絶の正体。

 

「だから俺は知られたくなかったんだ。もう2度と思い出したくない、あんな事は……」

 

 俺の心を支配する、その感情。

 それによって生まれ出でたモノは、他者を拒絶する事しか出来ない。

 しかし、だからと言って、いつまでもこれを抱えてなんていられないんだ。

 

 俺は変わらないといけない。

 コイツ等が笑えるように、楽しかったあの光景を取り戻す為にも……。

 握り拳を解き、俺は緊張していた全身を脱力させて、体勢を変えて座り直した。

 ふぅ、と一息吐いて、俺は5人に向き直る。

 

「俺から話す事は、これだけだ」

 

 真っ直ぐにぶつかってくる視線を受け止めて、俺は自分の過去を打ち明けた。

 悲劇と呼ぶには軽過ぎる、喜劇と呼ぶには趣味の悪い物語。

 小説やドラマの主人公とは程遠い、ちゃちな過去だ。

 それでも、元々主人公らしくない俺にとっては、これ位が丁度良いのだろう。

 本人からすれば、迷惑甚だしいけどな。

 

「聖……」

「どうした?」

 

 過去の出来事に悪態を吐きながら物思いに耽っていると、俺のベッドに座っているハラオウンが俺の名を呼んだ。

 その声には物悲しい響きは無く、いつも俺を呼ぶ時の声と同じ。

 少し細く、それでいて芯の通った、ハラオウン独特の声だった。

 

「聖が、今までどんな思いで過ごしてきたか、私達は分からない」

 

 それは当然だろ、と突っ込むような状況ではなかった。

 元より、そんな気は更々無い。

 今の俺に出来る事は、コイツ等の言葉を聴くだけなんだから。

 

「それでも、さっきまでの聖君を見れば、本当に辛い事は分かるの」

 

 高町がハラオウンに続く。

 まるで示し合わせたかのような繋げ方だ。

 確かに、あれじゃバレバレだよな。

 

「せやから、今の話を聞かせてくれて、私等ほんまに嬉しいんよ」

 

 そして八神が。

 そうだな、安っぽい同情されるより、そう思ってくれる方がこっちとしても助かる。

 俺は彼女達を信じて、此処に居るんだから。

 

「最初はあんな顔してたから、途中で逃げ出すかもって思ってたけどね」

 

 バニングスにバトンタッチ。

 確かに最初は俺もそれを危惧してたけど、お前等のお陰で何とかなった。

 

「今、私達と向かい合ってて、逃げたくなる?」

 

 最後は月村。

 いや……今はそんな気が全くしないな。

 むしろ清々した感じで気分が良い。

 今まで溜まりに溜まったどす黒いモノが、話す度に消えていくのを感じて、俺の中の何かが変わった気がする。

 それはとても小さいものだけど、俺にとって何よりも大切なもの。

 コイツ等が最後まで、同情も憐憫も向けないで聴いてくれたお陰だ。

 だから月村の問いに、俺は首を横に振って答える。

 

「何だかなぁ。今日1日を思い返すのが馬鹿らしくなってくる」

 

 5人から逃げて、本当の心を知って、何度も躊躇しながらも、最後には此処に来た。

 全く現実ってのはどうして、こうも滑稽なんだろうか。

 でも今はその滑稽さに、心の底から感謝している。

 だって、目の前に居る少女達が、本当に笑っているんだから。

 別に道化を演じてた訳じゃないが、それでも笑顔を取り戻せた。

 その事実に、俺の心は堪らなく嬉しさが込み上げてくる。

 思わず、頬が緩んでしまう位に。

 

「ありがとな……」

 

 彼女達のほんの少しの心遣いに感謝して、聞こえない程度に呟く。

 やっぱり、面と向かって礼を言うのは恥ずかしいものがある。

 

 それに、その……

 今更気付いたんだが……

 目の前の5人が、いつも見てる制服じゃなくて、パジャマ姿なのだ。

 

 ――――いや、拙いだろこの状況!?

 理解してから徐々に顔が熱くなってくる。

 家族の姿なら別に大した事じゃないが、今回は話が違う。

 この5人は、傍から見ればかなりの美少女だ。

 そんな彼女達が、俺の部屋でそのような姿になっていれば、視覚的にかなりヤバい。

 

 しかも、何故か部屋中に良い匂いが満ちている。

 駄目だ、それを吸ってはいけない!!

 落ち着け~、落ち着くんだ俺~。

 そうだ、早く出て行って貰えばいいんだ。

 椅子から立ち上がり、5人に向けて言い放つ。

 

「さぁ今日はこれでお開きだお前等も早く寝ろ明日も早いぞ」

 

 焦りによって、言うべき言葉を句読点付けずに発してしまった。

 視線も彼女達には向けず、明後日の方向を向いている。

 仕方ないだろ、恥ずかしいんだよこの状況!!

 

 だが5人は突然の事に『?』状態で、一向に動く気配は無い。

 頼むから早く出てってくれぇぇぇ!!

 

「どうしたの? そんなに慌てて」

 

 どうしたもこうしたも無い、俺も男なんだから少しは警戒しろ!!

 しかし、それでもコイツ等は全く動こうとしない。

 あぁくそっ、もう言うしか無いのか……。

 とんでもなく恥ずかしいが、このままで居る方が心臓に悪い。

 

「仮にも男の部屋で、いつまでもそんな恰好で居るなって!!」

『あっ……』

 

 意を決して叫んだ俺の言葉に、今更意味に気付く5人。

 くそぅ、言ってしまった。

 先程とは比べ物にならないスピードで、顔が発熱している。

 まるで熱射病に罹ったような……いや、一度も罹ったこと無いけど。

 

『おっ、お邪魔しました~!!』

 

 此方の言葉に漸く5人は退室し、部屋には俺だけが残された。

 急いで窓を開けて、部屋に充満している匂いを外に追い出す。

 エアを、新鮮なエアをくれ!!

 少し名残惜しいが、このままにしておく方が精神的に参ってしまう。

 

「はぁぁぁぁぁぁ……」

 

 何だか、最後まで道化をやってる自分に、どうしようもなく呆れてしまう。

 さっきまでのシリアスというか、こう重要な場面的な空気が行方不明だ。

 唯、こんなドタバタした日も、偶には良いんじゃないかと思ってしまう。

 その心境の変化が、今の俺にはとても新鮮で、心地良く感じた。

 

「明日からは、ちゃんとしないとな……」

 

 窓から見える月を見て、微笑むように呟く。

 その包み込むような優しい光に、自分の気持ちが安らかになっていくのを感じながら。

 今日という2度と無い日に、こうして幕を下ろした。

 

 

 

 

 




聖君は聖書Wiki能力搭載済み(作者の引用元的な意味で)
どうも、おはこんばんちはです( ・ω・)ノシ
№ⅩⅠ(変換出来ないので、この形式で続けます)を読んで下さり、ありがとうございます。

まずは聖のトラウマについて、こういう形で決着ですね。
幼い日から残り続けた傷痕は今この時より、少しずつ癒えていく事でしょう。
こうしてまず、聖は一つの関門を乗り越えた訳です。
きっと、これからの彼は少しずつですが変わっていくと思います。
引き続き、見守っていって下さい。

それと5人がひなた園に来た事ですが、まぁご都合主義ですよねー( -ω-)
でもその中で1人だけ、割と無関係じゃないキャラが居ますね。
この時間軸で、誰が誰に出会ったか、それが今回の来訪に繋がっております。
……これに関しては、特に気にしなくて大丈夫だと思います。

今回は以上となります。
感想や意見、タグ関連やその他諸々は遠慮無くドシドシ書き込んで下さい。
直接メッセージでも、作者的にウェルカムです。
では、失礼します( ・ω・)ノシ

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