少年の誓い~魔法少女リリカルなのはO's~   作:さっき~

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№ⅩⅡ「変わり始めた時間」

 

 

 

 

 

 翌日、いつもと同じ5時半に目が覚めた。

 窓から差し込む朝焼けの光が、俺の双眸を優しく、そして強く照らしている。

 ――――だが眠い。

 まったく寝た気がしないのはどうしてだ?

 

「……まぁ、原因は分かってるさ」

 

 そろそろ寝ようと思い、ベッドに潜ったのだが、瞬間的にやっちまったと思った。

 そこには、芳しい女の子の匂いが……。

 話してる最中、ずっとあそこに5人も座ってたんだ。

 しかも誰だか、掛け布団を抱いてた奴も居たしな……。

 匂いが付くのは当然、自分の考えの浅はかさに呆れたのは言うまでもない。

 何とか寝ようと思っても匂いが鼻腔をくすぐり、完全に眠りを妨げる。

 何度も寝る事に集中しようとしたのだが、匂いの前では全てが無駄だった。

 

 その闘いは数時間に及び、実質俺の睡眠時間は3時間程度。

 いつもの半分位しか寝ていない。

 

「寝不足だ、確実に……」

 

 今日からまた長い一日が始まろうとしているってのに、俺がこんな状態ってどうよ?

 いや、誰に聞いてるんだよ。

 ……ヤバい、これはかなりの重症。

 体も少しだるいし瞼も重い、確実に今後に影響を及ぼすレベルだ。

 …………ぐぅ

 

「はっ!?」

 

 いかんいかん、完全に落ちそうになったぞ今。

 駄目だ、早く気持ちを切り替えないと。

 こういう時は、いつもの日課をさっさと始めてスッキリさせよう。

 良し、そうと決まれば行動開始。

 

「うっし、今日もやるか」

 

 気怠さを残す体を起こして、着替えを始める。

 体温が染み付いた上着を脱ぐと、上半身が外気に晒された。

 数年間、毎日欠かさず鍛え上げた体は、同年代のそれと比べるとしっかりしている。

 しかしその場所に、肌の色が一部分だけ薄い部分がある。

 丁度鳩尾の辺りに、直径5センチ程の痣みたいなもの。

 師父が言うには、物心が付く前に負ってしまった傷だと聞いてる。

 何があったかは知らないけど、今でさえこれだけの大きさだ。

 赤ん坊の頃の傷は、かなりのものだったのが分かる。

 

 まぁ、当時の事なんて覚えてる筈無いから、どうでもいいんだけど。

 ……っと、意識が横に逸れたな。

 通気性の良いシャツとジャージに身を包み、頬を一発叩く。

 パシンと良い音が鳴り、同時に俺の双眸も覚醒を果たした。

 そんじゃ、行くかね。

 

 

 

 

 

 礼拝堂とは別の、ひなた園のもう一つの玄関の鍵を解こうとしたら、既に開けられた後だった。

 こんな早い時間に一体誰が、と思ったがきっと師父辺りだろう。

 そう納得して扉を開けば、太陽が少しずつ昇ってきているのが分かる。

 朝の空気も新鮮で、偶に吹くそよ風が頬を撫でる。

 うん、今日も気持ちの良い朝だ。

 

「あっ……」

 

 朝の独特な空気を感じている時、庭先に居る何者かの存在に気付いた。

 今の俺には馴染み深く、自身の中で、徐々に存在が大きくなっている少女達。

 思い出すのは、ベッドに染み付いた彼女達の芳香。

 ――――いやいやいやいやっ、それはもう良いだろ。

 それのせいで今の状態に陥ってるんだから、余計な事は考えるなっての。

 その雑念を振り切って、改めて庭先の少女達を見る。

 

 ――と、何か違和感を感じた。

 

「あれ? えぇっと、あれは……」

 

 馴染み深いと先程思っていたにも関わらず、何か見慣れないモノが目に映った。

 一応彼女達は、既に聖祥の制服に着替えている。

 しかしその中に、一際目を引いたのが『白い服』。

 純白とも言える程の真っ白さ、所々にアクセントとして青が入っているドレスのような衣服。

 清楚という言葉が良く似合うそれから、言い知れぬ何かを感じた。

 

 あの後姿は、高町か?

 栗色の髪を見てそう思ったのだが、いつもと違ってツインテールになっている。

 ふむ、あぁいうのも似合うんだな、アイツって。

 と思っていたのも束の間――

 

「って、えぇ?」

 

 一瞬、高町が桜色の光に包まれた。

 その光景にすら驚いたが、それ以上に驚いたのは、次の瞬間には高町がいつもの姿に戻っていた事だ。

 聖祥の制服にサイドポニーの髪型、俺が知る高町の姿そのものだった。

 

 まさに一瞬の出来事。

 まるで、マジシャンの技術を見せ付けられたような心境。

 いや、マジシャンというにはあまりに異質に感じた。

 例えるのなら、ファンタジー小説や神話に登場する『魔法』のような……。

 

「…………駄目だ、大分寝惚けてる」

 

 何を馬鹿な事を、と自分の思い付きを嘲笑する。

 いくら寝不足だからって、そんな考えは明らかに間が抜けている。

 魔法? そんなものある訳が無い。

 現実と幻想を混同するなっての。

 阿呆になった思考に喝を入れて、朝の空気を思い切り吸い込む。

 うん、新鮮な空気だから、呼吸をすると頭が冴えてきた。

 

「やっぱりあれは幻覚だ」

 

 そうに違いない。

 魔法は現実に存在しないし、今見たアレもきっと寝不足のせいだ。

 そう結論に至って、俺は止まっていた自分の足を進める。

 ここまで重症じゃ、結構走り込まないとヤバいだろうな。

 何て考えながら、目の前で会話を繰り広げている空間に割り込む。

 

「おっす、早いな」

「えっ、聖君!?」

 

 至って普通の挨拶を交わしたにも係わらず、目の前の少女は酷く驚いた様子で答えた。

 5人衆の1人、高町なのは。

 何故か他の奴等まで似たような反応をしてるが、ハッキリ言って意味が分からんぞ。

 しかし彼女の姿に、先程の幻覚を思い起こされる。

 純白の天使を想起させる、高町の姿。

 

 って何を考えてるんだよ、それは幻覚だろうが……。

 慌ててそのイメージを振り切って、俺は続ける。

 

「もう少し遅いと思ったんだが、意外に早かったな」

「う、うん。習慣で……」

 

 ふむ、そうなのか。

 何の習慣かは知らないが、やっぱり頑張ってるんだなぁコイツ等も。

 

「聖こそ、早いね」

「俺も習慣で、この時間には起きるんだよ」

 

 傍らに居たハラオウンにそう答える。

 俺はこの時間に起きるのが、既に常識にまでなってるし。

 しかし、バニングスと月村は微妙に眠そうだな。

 

「何かやってるん?」

「健康的な肉体作りとでも言っておこう」

 

 八神が物珍しそうに俺を見てくる。

 とは言え実際はそんな大したものじゃない、俺にとって当たり前をしているだけだ。

 

「そんじゃ、俺は行くな」

「あんまり無理しねいでよね」

「頑張ってね」

 

 バニングスと月村の言葉に「おぅ」と返して、俺はその場から駆け出す。

 昨日の出来事を微塵も感じない会話に、俺の心と足取りは軽い。

 アイツ等の心遣いが、俺の心に染み渡っていく。

 

 

 

 

 

 

「清々しい顔をしてるな」

 

 いつものように筋トレと型の練習を終えた俺に、近付いてきた師父がそう声を掛ける。

 その顔は彼女達と同様で、昨日の事を何一つ引き摺っていない晴れ晴れとしたものだった。

 俺の知っている、いつもの師父。

 本当に良かった……。

 俺の何よりも望んだ日常が、目の前にきちんと存在していた。

 今はこの場に居ないあの5人に、改めて感謝を。

 

「はい、ご心配お掛けしました」

 

 昨日は師父にあんな顔をさせてしまった。

 その事が凄く嫌で、悔しくて、堪らなかった。

 だからこそ、こうして師父がいつものようにしてくれてるのが、今の俺にはすごく嬉しくて……。

 

「そうか、良かった」

 

 こうして俺に笑い掛けてくれるのが、途轍もなく心を軽くしてくれる。

 昨日やった事が間違っていないと、本心で思えた瞬間。

 必勝の誓い、その効果は確かにあったようだ。

 

「あぁ、そうだ。彼女達なら食堂に居るよ」

「え……別にそんな事聞いてませんけど?」

「そうか。…………はぁ、つまらない」

 

 目の前の師父が突然、俺に呆れたような表情と溜息を向ける。

 いや、何ですかその反応!?

 まるで『それでもお前は男か?』みたいな、期待外れに満ち満ちた目は!?

 師父、貴方は一体何を企んでいるのでしょうか?

 

「まぁ良い。皆を起こしてきてくれ」

「あっ、はい」

 

 未だに呆れ顔を崩さない師父。

 そんな人に見送られながら、俺は我が家に戻っていった。

 何か釈然としねぇ……。

 

 

 

 

 

 今日の朝食は、昨日と同じで5人がまた手伝ったそうだ。

 だから朝早くから食堂の方に居たのか。

 まぁ、そんな事は気にする事じゃなくて……。

 昨日の夕食もそうだけど、やっぱり美味かった。

 内容は和食だったんだが、いつもと違う味に新鮮味を感じずにはいられなかった。

 当然だが箸は絶え間無く進んでいき、おかわりも勿論頂いた。

 

 師父とシスター、更には5人にも笑われた……。

 悪いか、美味いんだから仕方無いだろ!!

 そんな反論をする訳にも行かず、黙々と食い続けたのは言うまでも無い。

 特に、鯖の味噌煮は絶品ものだった。

 

 そして今は――

 

「そんじゃ、堂内の掃除を始めるぞ」

 

 礼拝堂の中の、身廊と翼廊の交差する地点、クロッシングと呼ばれる場所に立っている。

 

『は~い』

 

 って、此処はどこぞの幼稚園か?

 そう思わずにはいられない返事は、目の前の5人から発せられたものだ。

 昨日が非常に言い難い状況だったから、今日からはきちんとやらなければならない。

 元々その為に居るんだし、彼女達もその為に来てるんだ。

 ちゃんとタメになる事をしないとな。

 

「今から分担して始めるから、質問があったら何でも言ってくれ」

 

 側廊の掃除をハラオウンと高町に任せ、箒と塵取とゴミ袋を渡す。

 バニングスと月村は身廊の椅子を担当、雑巾と水を張ったバケツを渡す。

 八神には内陣障壁と出入り口に伸びるカーペットを、掃除機で担当。

 きちんと延長コードも準備済みだ。

 それぞれに簡単な手順を口頭で教え、漸く堂内の掃除が開始する。

 

「って、アンタは何処掃除するのよ?」

「俺はあっち」

 

 バニングスの質問に、後ろを指差す。

 

「聖餐台、説教壇、内陣の全体を担当する」

「広いけど、大丈夫なの?」

「嘗めんな。俺が何年やってると思ってるんだ?」

 

 少なくともハラオウンに心配される程、俺は落ちぶれてないっての。

 俺の自信に満ちた言葉に、「そうだね」と彼女は理解を示す。

 ……まぁ、本当はそれだけじゃなくて、今日は無性に頑張りたい気分なのだ。

 

「朝から美味い飯食ったんだ、頑張らないと損だろ」

『えっ?』

 

 それが実の所、本音だった。

 いつもと違う朝を迎えた今の俺は、心構えもいつもと違っていた。

 不意に出たそれに、彼女達がすぐさま反応するが遅い。

 既に俺は体を半回転させているから、完全に背を向けている。

 流石に面と向かって言うには、この言葉は恥ずかし過ぎるだろう。

 

「あぁ、良かった」

「そう言って貰えると、作った甲斐があるよ」

「ななっ、どれが一番やった?」

「ふふふっ、素直じゃないね」

「アタシが手伝ったんだから、当然でしょ」

 

 あぁもう、五月蝿い五月蝿い五月蝿い!!

 お前等も一々追及すんな!!

 ったく、こんなんでちゃんと出来るのか?

 何とも締まらない様子に、違う方面で心配になる俺であった……。

 

 

 

 

 

 ――まぁ、案外何とでもなるもんだな、こういう事ってさ。

 あれから1時間位で、全体的に作業は完了していた。

 最初は慣れない場所だった事もあり、手付きもぎこちなかったが、そんなものはあって無いようなもの。

 まるで学校の教室を掃除するように、彼女達はスムーズに事を運んでいた。

 

 う~む、これは中々……。

 予想以上の順応振りに、感嘆の声が漏れた。

 本人達も作業自体を苦に思っている節は無さそうで、終始楽しそうに手を動かしている。

 侮り難し、聖祥5人衆。

 その中で誰よりも先に掃除を終えた俺は、家の方から5人分のアイスティーをお盆に用意。

 風が入らないように窓を閉め切っていた堂内は、この時期にしては温度が高い。

 せめて冷たい飲み物でも渡すのが、常識ってもんだろう。

 レモン、砂糖、ミルクも添えて戻ってみると、八神がいち早く作業を終えていた。

 お盆を説教壇に置き、彼女の横に着く。

 

「ふむ、人間慣れれば何とかなるもんだなぁ」

「そやねぇ……いつもと違う場所やから、気合入ってるんとちゃう?」

「そんなもんか?」

「そんなもんや」

 

 笑顔で答える八神に、「ふぅん」と相槌を打って改めて4人を見る。

 受け持っている作業も殆んどを消化しており、ハラオウンと高町はゴミを集めて終わりで、バニングスと月村も最後の列の8割方まで出来ていた。

 確かに八神の言う通り、珍しい場所だからいつも以上に張り切っているのかもしれない。

 

「なぁ八神」

「なに?」

 

 何となく、本当に何となくだけど、隣に居た八神にある事を聞いてみたくなった。

 ある事って言うか、今朝の事なんだけどな。

 独特のイントネーションで答える八神に、思い切って尋ねてみた。

 

「今朝の朝食で出てた鯖の味噌煮って、誰が作ったんだ?」

 

 朝食の中で一番美味かった料理。

 その味は今までに無かったものだったから、シスターでない事は確かだ。

 それが気になった、というのが本音である。

 

「あぁ、それ私や」

「マジか?」

「マジやで」

 

 うわぁ、コイツが作ったのか、あんな美味いもん。

 そういえば昨日師父が、八神は家の食事も作ってるって言ってたな。

 確かに、それならあれ位上手でも違和感は無いな。

 

「それがどうかしたんか?」

「いや、今朝の飯の中で一番美味かったんだよ、アレ」

「ほんまに? そう言ってもらえると嬉しいなぁ」

 

 俺の賛辞を素直に喜ぶ八神の笑顔は、自分の子供に美味しいと言われた母親みたいだ。

 別に老けて見える訳じゃないぞ、容姿も整ってるし。

 唯、同年代にしては佇まいがとても穏やかで、色んなものを包んでくれる優しさを感じる。

 個人的な感想を述べるなら、5人の中で一番家庭的な女の子だな。

 

「あんな美味い料理作れるなら、八神は良い奥さんになれそうだな」

「聖君……もしかして口説いてるん?」

「アホ、素直にそう思っただけだ」

 

 全く、何考えてんだコイツは。

 俺としては純粋に褒めただけなのに、それを簡単に冗談に変換しやがった。

 何とも酷いものである。

 その酷い奴も、隣で「アハハ」と軽く笑ってやがるし。

 

「瑞代!! アンタ、はやてにまでナンパしてるの!?」

「ナンパって……。何処を見てそう思えるんだ、お前は」

「聖君に、良い奥さんになれるって言われてしもたー」

「お前も、褒め言葉を口説き文句に曲解するなっての!!」

 

 掃除を終えて戻ってきたバニングスが、突然声を張り上げて怒鳴ってきた。

 つーか『にまで』って何だ、まるで他の奴にもナンパしたみたいな言い方しやがって。

 八神も八神で、面白がってバニングスに乗っかるし。

 その様子を、バニングスに着いてくる感じで戻ってきた3人が、楽しそうに見てる。

 止めろって、お前等……。

 もう相手にするのが面倒になった俺は、内陣障壁を越えて、説教壇に乗せていたお盆を手に取る。

 

「予想以上に早く終わったからな、少し休憩時間だ」

 

 5人の許に移動し、冷えた紅茶の注がれたグラスを1人ずつ手渡していく。

 渡しながら「お疲れ」と一言労いの言葉を掛け、彼女達もそれに「ありがとう」と答えて、受け取っていく。

 八神、月村、ハラオウン、高町と4人に渡し終えてお盆を戻しに――

 

「って、何でアタシにはくれないのよ!?」

「くだらない事言ったヤツにはお預けだ」

 

 ナンパなんて経験も無いし興味も無い、お前は俺を軽く見過ぎてるぞ。

 如何にも怒ってますって顔をしながら言うと、バニングスは更に食って掛かる。

 

「冗談に決まってるでしょ、そんな事も分からないのアンタは!?」

「冗談ならもっとマシなものを言えって事だ!!」

 

 つーかお前が言うと、かなり冗談に聞こえねぇ。

 コイツは本気で俺の事を、そういう男として認識してそうだからな。

 いや、絶対してるな。

 周りの4人は、俺達2人のいがみ合いに呆気に取られていて、止めようとする様子は無い。

 

「馬鹿じゃないの。男の癖に細かい事気にして」

「男の癖に、ってのは差別だろうが」

 

 尚もエスカレートする言葉の応酬。

 流石に此処まで来ると、俺もバニングスも引っ込みがつかなくなってきた。

 最初はからかい半分だったが、今はコイツの突っ掛かる言動が頭にくる。

 キッと俺を睨むバニングスは、遂に俺へと足を向けた。

 それに険悪な雰囲気を感じた4人は慌てて彼女を止めようとするが……。

 

「ちょ、ちょっとアリサちゃん!?」

「落ち着いて、アリサ」

「アタシは落ち着いてるわよ!!」

 

 そう激情しながら答えても説得力は皆無だろう。

 彼女はそのまま、俺の居る内陣に入ろうとする。

 

「聖君も言い過ぎやで!!」

「そうだよ」

 

 八神と月村の、俺を咎める声が聞こえる。

 確かにこの状況を作った一端に、俺も入ってるだろう。

 それでも、コイツは俺という人間を軽視している節があるのも事実だ。

 そんな事されては、流石に此方もいつまでも黙っては居られない。

 ちっぽけな理由だけど、俺だって男なんだ。

 

「元はと言えばコイツが悪いんじゃない!!」

 

 その考えが理不尽なんだよ、しかも指差すな。

 ズンズン、という擬音と共に彼女が迫る。

 バニングスはそのまま内陣障壁を越えて、此方に踏み込んできた。

 筈だった――

 

「きゃっ!?」

 

 片足を乗り入れてもう片足、という時にその仕切りに足を取られてしまった。

 常識として、内陣障壁には木や石の装飾が施されており、高くなっている。

 此処の仕切りは他と比べれば低い方だが、それでも全く無い訳ではない。

 恐らく片足を通した場所と、引っ掛かった場所の高さが違かったのだ。

 装飾の種類では箇所によって高さに差があるから、それで間違いないだろう。

 突然の事に、バニングスはそのまま前へ倒れ込む

 

「バニングス!!」

 

 ――駄目だ!!

 まともに受身も取れない状態で倒れれば、怪我をするのは目に見えている。

 俺の友人を、そんな目に遭わせる訳にはいかない。

 目の前で怪我しそうなのを黙って見ていられるか!!

 先程までの彼女に対する気持ちは、既に何処かへ吹き飛んでいて……。

 今は唯、バニングスを助ける事しか頭に無かった。

 

「アリサちゃん!!」

 

 誰が叫んだのか、正直どうでもいい。

 気付いた時には飛び出していた俺は、真っ直ぐに倒れ込もうとしている彼女の事しか考えていない。

 持っていたお盆は、今や空中に放り投げられている。

 そんな事すらどうでもいい、割れても俺のせいになるだけだから。

 

 でも、俺のせいでコイツが傷付くのだけは嫌だ。

 全速力で駆けつけた俺は、足を取られて倒れ掛けているバニングスの体を両手でしっかりと抱き締める。

 しかし、それで終わらなかった。

 全速力で駆けた代償か、疾走の勢いは収まる事無く、俺達を内陣から弾き飛ばす。

 

「くっ……」

 

 まるで窓から飛び降りたような浮遊感。

 だが床は目前、数瞬後には衝撃が走るだろう。

 その後の行動は、自分でも驚く位早かった。

 バニングスの体を強く抱き締めて、空中で体の位置を入れ替える。

 俺が下で、バニングスは上に。

 そして――

 

「ぐっ」

 

 背中全体が硬い床に衝突して、少し離れた場所から、グラスが割れる音が響いた。

 いくら木とは言え、その硬さは建築物としては優秀なそれである。

 真っ向からぶつかった俺の背中に、電撃が駆け巡るような痛みが走った。

 そのまま勢い余って1メートル程滑り込んだ所で、漸く俺の体は完全に停止した。

 

「はぁ……っ」

 

 思い起こせば1,2秒程度の出来事。

 しかし俺の中では数秒、数十秒にも感じられた長い時間。

 俺は守り切れたのだろうか?

 俺の腕の中に居る少女に、慌てず優しく声を掛ける。

 

「バニングス、大丈夫か?」

 

 俺の両腕に包まれた彼女は、呆然とした表情で此方を見詰めている。

 あれだけの事が一瞬で起きたんだ、頭が混乱してるんだろう。

 だからこそもう一度、丁寧に問い掛けた。

 

「何処か痛い所はあるか? 怪我は無いか?」

「……」

 

 真っ直ぐ俺を射抜く瞳は曖昧な色で、正気に戻るにはまだ掛かりそうだ。

 しかしまぁ、本人の様子から見て怪我は無いようだな。

 後はコイツが元に戻るのを待つだけだが……。

 

「っ……」

 

 お互い、無言。

 ただ真っ直ぐに見詰め合う、翡翠色の瞳が俺を射抜いて放さない。

 この体は捕らえられ、コイツから離れる事が出来ないでいる。

 

 そして俺も、一瞬でも多く、コイツの傍に居る事を望んでいた。

 それを意識した瞬間、一度、心臓が大きく跳ねた。

 今、目の前の少女との距離が、10センチ程度しかない。

 クリッとした大きな瞳、白い肌、瑞々しい唇。

 まるで芸術品を思わせる目鼻立ち、美少女である事を改めて思い知らされる。

 

 それが今、俺の目の前に……。

 彼女から発せられる芳香を間近で感じ、俺の鼻腔をくすぐる。

 心臓は破裂しそうな位に鼓動を速め、血液は数倍のスピードで全身を駆け巡っていく。

 止まらない、止まれない、止められない。

 体が発熱して、サウナに入っているようだと、心の何処かで思考する。

 胸に当たる柔らかい感触が、それを一層高めていく。

 その熱は発散すべき場所を探し、俺の顔へと集まってきた。

 上気する頬、熱暴走を起こしそうになる思考。

 

 ――初めてだった。

 アリサ・バニングスという少女を、ここまで愛おしく感じたのは……。

 いつもは勝気な性格が先陣を切っている為、今みたいな無防備な表情は見た事が無い。

 まるで、童話の中に出てくる『お姫様』。

 白馬に乗った王子を待ち続ける、純真無垢な1人の少女。

 そんな彼女を、俺は――

 

「……瑞代」

「っ!? ゴメン!!」

 

 その声にハッとした。

 自分は何をやっていた、何をやろうとしていた?

 急速に戻ってきた意識を総動員させて、慌てて彼女の肩を掴んで体を離す。

 密着されていた体は離れ、一瞬ポッカリと穴が開いた感覚に襲われた。

 んな事どうだっていい。

 バニングスに怪我は無いようだし、取り敢えず最悪の事態は回避できた訳だ。

 それに呼応するように、先程まで一言も発さなかった4人も心配するような声を上げる。

 

「2人共、大丈夫?」

「なっ、何とかな……」

 

 自分の上に居る少女の体を退かしながら、俺も上半身を起こした。

 バニングスの表情を見遣ると、まだ本調子には至っていないようだ。

 

 未だ、心臓が爆発しそうな鼓動を繰り返している。

 赤くなっている顔を隠すように、下を向きながら答えた。

 ヤバい、これ以上は我慢出来ない。

 今の俺も本調子じゃないから、このままでは何をするか分かったものではない。

 

「月村、バニングスを頼む」

「えっ……うん」

 

 バニングスの横に立つ彼女に後を任せると、俺は体を起こしてその場から急いで走り去る。

 数人に呼び止められた気がしたが、今はそれどころでは無い。

 体内に燻っている熱を振り切るように、俺は礼拝堂を後にした。

 

 

 

 

 

 新しい紅茶を持って行って堂内に戻ると、バニングスが割れたグラスを片付けていた。

 何でそんな事を……と思ったが、さっきの事故に対して罪悪感を感じているようだ。

 周りの奴等は手を出してない様子から、彼女が手伝わないように言ったのだろう。

 そんな所が如何にもバニングスらしくて、思わず笑みが零れた。

 

「悪いな、そんな事やらせて」

「あっ……瑞代」

 

 瞬間、先程の光景を鮮明に思い出す。

 綺麗な顔、柔らかい体、女の子の匂い。

 ――って、何考えてんだ!?

 再び沸点を超えそうになる体に喝を入れ、無理矢理に冷静を保つ。

 

「さっきは本当に悪かった。これ、飲んでくれ」

「あっ、ありがと」

 

 紅茶が床に染み付いてしまったけど、結果的には満足だ。

 ……後で師父にこっ酷く叱られそうだが。

 グラスを受け取ったバニングスは、頬を少しだけ赤くして、恐る恐るそれに口を付ける。

 それで漸く落ち着いたようで、表情にもいつもの色が戻った。

 

「アタシこそゴメン。そこ、汚しちゃって……」

「そうやって反省してんなら充分だろ」

「でも……」

 

 俺の言葉に納得出来ないバニングスは、また顔色を悪くする。

 余りにも申し訳無さ全開で、正直見ていられない。

 悪い事を悪いと思える事は大切だけど、思い過ぎは逆に良くない。

 適度な反省と余分な後悔は、全くの別物だからな。

 そもそも、今回の事は俺と彼女の両方に非があるのだから……。

 

「汚れは掃除で消せるけどな、お前の怪我はすぐには治らない」

「えっ……」

「だったら、どっちを優先させるかなんて、始めから決まってるだろ?」

 

 呆然とするバニングスに、俺はそう言ってみせる。

 こっちは小さい頃から師父に『女の子だけは絶対に傷付けちゃいけない』と、毎日のように言われてきたからな。

 あの時はそんな事思ってる暇なんか無かったけど、体が覚えていたのだろう。

 師父と交わした誓いを貫こうと、体が勝手に反応していた。

 ったく、何て単純な身体構造してんだか、俺は……。

 

「あれはお互いに悪かった。それでお仕舞い」

「……うん、分かった」

 

 俺達は、納得出来る答えに満足。

 バニングスの表情も、少々赤く染まっているが、いつもの元気なそれに戻っていた。

 黙って事の成り行きを見守っていた4人も、安心したように笑みを浮かべている。

 やっぱり、笑ってる方がコイツ等には似合ってるよな。

 

「でも、あの冗談だけは許せないからな」

「え?」

「少なくとも、俺は一度もナンパというものはした事が無い!」

 

 漸くいつも通りのバニングスに戻ったが、一応釘を刺しておく。

 またいつ言われるか、分かったものじゃ無いからな。

 

「ホントかしら? アンタも男だし、一度位したんじゃないの?」

「お前なぁ」

 

 既に口が達者な部分まで元通りなようで、軽口をスラスラ述べている。

 本当に口の減らないヤツだ。

 まぁ、それでこそ俺の知ってるバニングスなんだけどな。

 また始まるいがみ合い、だけど今度は空気がとても軽くて……。

 周りのギャラリーも、終始楽しそうに見守っていた。

 こういう空気も良いもんだよな。

 

 

 

 

 

 『幼少組』、小学校に行く為の年齢に達していない子供達の総称である。

 あまり人数的には多くないのだが、それでもゼロという訳ではない。

 その子達の相手をするのも、俺達の仕事の一つだ。

 今は二手に分かれて、家の中で絵本を読み聞かせる組と、外で遊ぶ組になっている。

 幼少組は全員で6名なので、俺達1人が子供1人を相手にするので丁度良い。

 

 今現在、外では2人の子供が庭に設置されたブランコを扱いでいる。

 そして此処の担当は、俺とハラオウンの2人だ。

 

「ほいっ」

「はいっ」

 

 ギ~コ、ギ~コ……。

 踏み台に乗りながら、幼い2人は楽しそうに揺られている。

 俺達は反動で戻ってくるそれを柳のように受け止めて、ほんの少し前へ押す。

 決して強くせず、一定の高さまでを持続させて、子供達を楽しませる。

 先程から何度もやっているが、この子達のはしゃぎ声を聴くと、不思議と飽きが来ない。

 

 この光景に、俺は昔を思い出す。

 自分がこの子達と同じだった時の事を……。

 とても低かったが、それでも幼心には、空中を自由に飛んでいると髣髴とさせるブランコが大好きだった。

 勢いを付けて高く、更に高くと、何処まで行くか頑張ったもんだ。

 終わった後に、師父とシスターからこっ酷く叱られたが。

 それでも、鳥のように空を自由に飛べる事を夢見て、何度も挑戦した。

 

 今思えば馬鹿らしいものかもしれないが、こうして見る側に移ると、それも仕方ないと思える。

 だって、本当に楽しそうに笑うんだから……。

 今はもう居ない兄さん達も、こんな気持ちだったのかな?

 

「もぉいいや」

「ん、そうか」

「ぼくも!!」

「うん、分かったよ」

 

 達樹の声に同調し、慎二もブランコを止める。

 前後運動をするそれを手で押さえ、2人を踏み台から降ろさせる。

 2人共満足した様子で、スタッとそこから飛び降りた。

 

「そんじゃ、中に戻るか」

「ねぇねぇ、お姉ちゃん」

「ん、何?」

 

 無視かよ、おい。

 2人の内の大きい方の達樹が、ハラオウンを見ながら声を掛けた。

 それに対してハラオウンは、母性溢れる優しい笑顔で答える。

 ニヤッ……。

 瞬間、達樹は彼女に近付くと両腕を下げて――

 

「えいっ!!」

 

 一気に振り上げた。

 いくら小さい子供であろうと、軽いもの程度なら数瞬だけ浮かせる事も可能だ。

 

 それがたとえ、スカートだったとしても……。

 

「!?」

 

 達樹の腕が起こした風力により、ハラオウンの黒いプリーツスカートは上へと追いやられ

 

「ぶっ!!」

 

 当然ながら、ふわっと捲れ上がる。

 そう、俗に言う『スカートめくり』である。

 問題はそれが俺の目の前で、突然ながら故意的に起こったと言う事だが。

 

「しましまだ~!!」

「しましまだ~!!」

 

 一方、それを成功させた達樹は、家の方に走り去っていき、慎二もそれを追う形で去っていった。

 ……しまった、忘れてた。

 達樹は、かなりの悪戯小僧だった事を……。

 アイツがこう言う事をやったのは、今に始まった事じゃない。

 実際、明菜や沙耶も被害を被っているのだから。

 

 しかし、今回は相手が悪い。

 だって、相手はハラオウンなんだぞ?

 まぁその彼女は、俺の前で捲られたスカートを押さえながら握り締めている。

 俯いて上手く見えないが、顔も茹蛸のように真っ赤なのが分かる。

 えぇっと、この場合は……。

 

「すまん、アイツがあぁいった事をするの、忘れてた」

「……」

 

 沈黙がとても痛い。

 怒りはしてないようだが、どちらかと言えば、そっちの方が対処は楽だったりする。

 コイツの場合、それ以上に恥ずかしさが先行するから、何というか性質が悪い。

 

「あ、後できちんと叱っておくから、その……許してやってくれないか?」

「…………うん」

 

 未だ恥ずかしさから逃れられないハラオウンだが、それでも何とか反応してくれた。

 あぁ良かった。

 かなり気まずかったから、正直黙り続けられると精神的にしんどい。

 ――――ったく、アイツ等憶えてろよ。

 今日の夜にでも、きっちり言い聞かせてやる。

 

「あのさ……」

「ん、どうした?」

 

 心中で2人に説教をすると誓っている俺に、俯いたままの少女が声を掛ける。

 心なしか、先程よりも赤みが増しているのは気のせいだろうか?

 ……まぁ、言いたい事は分からないでも無い。

 

「さっきのは、忘れて……」

「あ、あぁ。……分かった」

 

 ゴメン、分かっていたがそれは無理だ。

 本当ならすぐにでも忘れたいが、あまりに衝撃的でそれは不可能だった。

 今の俺に、その言葉は露程も意味を成さない。

 そう、コイツのアレが、白と水色のストライプ柄だったなんて……。

 恐らく明日まで、もしくはそれ以降まで忘れられないだろう。

 

 ……うがぁぁ、冷静になれぇぇぇぇ!!

 脳内で何度もふわりとリフレインする映像に、俺は何度も苦悩を味わう破目になった。

 

 

 

 

 

 

 

「師父」

「聖、どうした?」

 

 風呂を上り、大広間で寛いでいた師父に声を掛けた。

 ちょっとした提案を携えて。

 

「少し、聞いて欲しい事があるんですが……」

「何かあったのか? ……はっ、まさかお前!?」

 

 俺の言葉のニュアンスをどう受け取ったのか、師父は驚愕の表情に変化した。

 嫌な予感が音速のスピードで全身を駆け巡る。

 きっと次の言葉は、突拍子も無い事に決まってる。

 まだ聴いてもいない事なのに、既に確定事項として受け入れてる俺の思考は、一体どんな作りになってるのだろう?

 

「彼女達と一つ屋根の下に暮らす事で、その若い体が疼いて仕方ないというのか!?」

 

 ――――瞬間、眩暈に襲われた。

 あぁ師父よ、貴方までそんな事を言うのですか。

 数週間前の翠屋での出来事を思い出し、思わず頭を抱えてしまった。

 くそぅ、何で俺がこんな目に……。

 

「そうじゃなくて!!」

「何だ、違うのか?」

 

 だから、その「期待して損した」みたいな目をするのはやめて下さい!!

 あぁもう、調子狂うな……。

 全く、師父って以前からこんな人だったか?

 このまま持久戦に持ち越されたら、色々な面で疲れるのは目に見えている。

 手早く用件を伝える事にした。

 

「実はですね――」

 

 

 実習最終日である明日。

 やる事はいつも通りだが、そのまま終わらせるのはどうにも忍びない。

 何より此処に来た5人の心に、何かしら残るものにしたい。

 そんな、俺の小さな想いから生まれた計画。

 それを聞いた師父は――

 

「良い考えじゃないか。私は構わないぞ」

「じゃあ、シスターにも言ってみますね」

 

 笑顔を浮かべて、快く承諾してくれた。

 よし、そうと決まればすぐにでも話し合わないと。

 逸る気持ちが先陣を切ってしまい、思わず駆け足になる。

 それを何とか抑えながら、俺はシスターの許へ向かっていく。

 あの5人へのサプライズ、必ず実現させたい。

 

 窓から夜空の月を見上げながら、起こるであろう出来事に胸を躍らせる。

 明日はきっといい日になる、そんな根拠の無い予感が心を占めていった。

 

 

 

 

 

 

 




どうも、おはこんばんちはです( ・ω・)ノシ
№ⅩⅡを読んで下さり、ありがとうございます。

『職場実習編』も3話を迎え、次話で遂に完結と相成ります。
それにしても今回の聖は何というか、とてもアレですよね。
未だ全ての問題が解決した訳じゃありませんが、これで彼も一歩進めました。
これからの5人との関係も、少なからず変わるのではないでしょうか?
あ、それと次話は少しばかり時間が掛かるかもしれません。
色々と修正しないといけない所が多いので。

そういえば、いつの間にかUAが2000を超えてたんですね。
お気に入りに入れて下さってる数も、少しずつですが増えていってるようで。
最近は評価を投票してくれている方も居て、作者として本当に嬉しく思います。
これからも、見て下さっている方々に楽しんで貰えたらこれ幸いです。

今回は以上となります。
感想や意見、タグ関連やその他諸々は遠慮無くドシドシ書き込んで下さい。
直接メッセージでも、作者的にウェルカムです。
では、失礼します( ・ω・)ノシ
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