少年の誓い~魔法少女リリカルなのはO's~   作:さっき~

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「ねぇ、どうして!?」

――12月24日
――クリスマス・イブと呼ばれる聖なる日の前日。
――夕陽の映える公園で、それはあった。
――肌を刺すような大気の中、白い息と共にその言葉を告げる。

「せ、せーちゃん……」

――目の前には、戸惑った表情で此方を見詰める少女。
――言葉を出そうにも、口が上手く動かない様子。
――しかしそんな事、自分には関係無かった。

「何であんな事言ったの!?」

――彼女は偽りを語った。

「ねぇ、何で!?」

――責める言葉は止まらない。
――それが彼女を傷付ける事だと、分かっていながら。

「どうして、つきちゃん!!」

――彼女に、柊月見に問い掛ける。
――その本心を知る為に……。
――いや、今更本心を知りたいなんて思わない。
――既にそれは、自分の目で見てしまったのだから。
――唯、今この時は、自分の中にある憤りを吐き出したかった。
――その為の対象でしかなかった。
――――――なんて、ガキなんだろうか……。

――それは、懐かしい記憶。
――守る事をまだ知らなかった少年の、1つの通過点。
――そしてその日、少年はあるモノを拒絶する事を決めた。








№ⅩⅨ「瑞代聖の最も長い1日(中編)」

 

 

 

 

 『6月15日の怪異』

 

 曰く、その日だけに起こるらしい。

 曰く、少女の幽霊を見たとの噂がある。

 曰く、聖祥が改築される前(それ以前の学校名は不明)の時から起こっている事らしい。

 

 以上が、俺が高杉から教えられた情報だ。

 一体、何が原因なのだろうか?

 疑問は尽きないが、まずは何よりも……

 

「くっ、意外と速い」

 

 その元凶を見つける事を最優先だ。

 廊下を一通り走り、階段を駆け上がる。

 自身が持つ全力を以って追跡しているが、足音は近くなる事も無く、現状を維持し続けている。

 

 つーか、何て速度だ!?

 足音が早くなった訳でもないのに、此方が全く追い着けないなんて……。

 

「くそっ、負けて堪るかってんだよ」

 

 未だ見る事の叶わない相手に、何故か闘争心が生まれた。

 多少の無理をして、俺の体は更に加速する。

 負けず嫌いなんて、まだまだ子供だって事なんだろうけど、今は仕方ない。

 

 

 

 

 

 

 

 数分間の追跡劇、その結果は――

 

「はぁっ、はぁっ……っ、完全に見失ったな……」

 

 まさかの俺の完敗だった。

 目の前にある壁は、ここが行き止まりである証。

 唯一の手掛かりだった足音も、今は全く聞こえてくる様子も無し。

 上へ下へ走り回った結果がこれとは、俺もまだまだと言わざるを得ない。

 

「結局、高杉の依頼は失敗か」

 

 夜空に浮かぶ銀月を見据え、今になって漸く当初の目的を思い出す。

 あんな事があった手前、この結果はあまり納得出来るものではない。

 だが今の状況では、これ以上の結果は望めそうにもないのも確かだ。

 

「くそっ……」

 

 頼まれた事一つ出来ない自分が情けない。

 あまりの不甲斐無さに、壁を殴りつける。

 ガッ、と鈍い激突音。

 しかし静かな空間でさえ、その音は響く事はない。

 痛みがじわじわと広がる拳を見詰め、チッと舌を打つ。

 こんな自虐行為をしても、何も変わらないと言うのに……。

 

「うっわぁ、痛そ~」

「っ!?」

 

 ――誰だ!?

 背後から放たれる酷く呑気な声に、一瞬で振り返る。

 だがそこには、先を埋め尽くす暗闇だけ。

 人の姿はおろか、生き物の存在すら感じ取れない。

 だったら、今の声は何処から……

 

「まさか……」

 

 改めて自分の現在位置を確かめる。

 偶然なのか、はたまた必然なのか……。

 その場所はまさしく――――

 

「1年1組」

 

 今ではもう慣れ親しんだ、俺達の教室だった。

 確かに一番端の教室だが、まさか気付かない内に此処に来ていたとは……。

 取り敢えずその事は置いといて、問題はさっきの声の主だ。

 

「やっぱり、此処なのか」

 

 まぁ、考えてたって時間の無駄だし。

 ……入ってみるか。

 意を決して、俺は教室のドアを開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 普通の学校にこんな風に侵入すれば、警備システムが敏感に反応する。

 だが今回、俺の侵入が発覚した形跡は無い。

 大体の予想は付いているが、間違いなく高杉が裏で手を引いているのだろう。

 過去にも、先生達に内緒で校内で肝試しをしてた実績があるし。

 そういう裏工作をさせたら、奴の腕は天下一品だろう。

 

 ――閑話休題。

 

「あっ」

 

 その声は誰のものだったか。

 俺のものだったのかも知れず、または……

 

「やっぱり来たんだ」

 

 目の前に立つ、少女のものだったのかも知れない。

 上半身を闇色のカーテンに覆われ窓際に立つ彼女の姿は、此方側からではよく見えない。

 だが、彼女が俺を見ている事だけは確かだった。

 

「それにしても、毎年毎年飽きないなぁ」

 

 声色は明るく朗らかで、此方に対して警戒心は無いようだ。

 しかし「毎年毎年」とは、どういう意味だろう……。

 

「皆、興味本位で来るからホント困るんだよね~」

 

 落胆したように肩を落とす姿に、彼女が心底呆れているのが分かる。

 だが、事情を知らないからどうしようもないけどな。

 それにしても、彼女は一体……。

 

「で、君は誰?」

「えっ……?」

「だから、名前だよ。君の名前」

 

 先程までとは雰囲気が一変、さも当然のように名を尋ねてくる少女。

 切り替えの速い事で……。

 

「聖、瑞代聖だ」

「ミズシロ……ヒジリね。私は――」

 

 突然、自分を包み込む闇から抜け出るように歩みだす少女。

 一歩一歩、その度に彼女の姿が鮮明になっていく。

 そして……

 

「アティ・ヴィルヘル・和泉って言うの」

 

 背後から掛かる月明かりに照らされる少女。

 光を浴びてキラキラと反射する銀髪、真紅に染まった双眸。

 まるで太陽を浴びた事の無いような、真っ白な肌。

 俺より頭一つ分低い彼女の姿に、最大級の神々しさを感じていた。

 それと同時に、何がしかの違和感も感じた。

 しかしその違和感も、彼女の煌びやかさの前に掠れて消えてしまう。

 

「アティ……ヴィルヘル、和泉……」

 

 何の淀みも無く、彼女の名前を呟く。

 まるで昔から知っていたかのような錯覚。

 でも、そんな事は有り得なくて……。

 あまりに突発的な事に、自分の頭が着いていけない。

 

 よし、まずは状況を整理しておこう。

 『怪異』であろうモノを追い、俺はこの教室の前まで来た。

 そして聞き慣れない声に誘われるように、この教室に入った。

 そして中に居たのが――――目の前に立つ少女。

 彼女は何かに満足したような表情で、懐っこい笑みを浮かべている。

 

「そっ、親しみを込めてアティって呼んで」

「いや遠慮する和泉」

 

 いつもの調子で返したら、一瞬にして膨れっ面に変わる和泉。

 どうやら、句読点を付けなかった俺の返答にご立腹のようだ。

 いや、そんな顔されてもなぁ。

 それにしても……

 

「まさか『怪異』の正体が、普通の女子だったとはな」

 

 こんな相手に俺は手を焼かされたのか。

 そう思うと、何だか自分が情けなくなる。

 あぁ、俺って一体……

 

「って、すっごい落ち込んでるけど、どしたの?」

「いや、あまり気にしなくていい」

 

 そう、自己嫌悪に陥るのは、今に始まった事じゃない。

 今ではもう、慣れたものさ。

 近くの机に手を付いてる俺の姿は、さぞ悲しいものだろう。

 

「ふぅん、ヒジリって変わってるね」

 

 込み上げる笑いを抑えながら、そんな事を言いやがる和泉。

 まぁ最近の自分を鑑みて、反論出来ない要素がてんこ盛りだし。

 と言っても、夜の校舎に居るお前も、充分変わってると思うが……。

 

「……褒め言葉として受け取っておく」

 

 敢えてそう言っておく事にしよう。

 

「褒めてないんだけどなぁ」

 

 黙ってくれ、和泉。

 これが色んな人に弄られまくった俺が身に付けた、処世術というヤツだ。

 

 

 

 

 

 

 

 さて、改めて状況を整理しよう。

 真っ暗な校舎……俺の知る限りでは、此処へ侵入した人間は他に居ない筈だ。

 つまりは――――俺と和泉の2人っきり。

 

「なんじゃそりゃ」

「どうかした?」

「いや、別に……」

 

 いかんいかん、何を考えてるんだ俺。

 冷静になれ冷静に……。

 すぅ……はぁ……すぅ……はぁ……。

 

「フフフ……」

「何笑ってんだ?」

 

 慎ましい和泉の笑声が耳に届く。

 視線を向けると、何が面白いのか分からないが、口許に手を当てながら必死に堪えていた。

 こう、何というかちょっとムカつくぞ。

 

「ゴメンね、知り合いに少し似てたから。つい……」

「知り合いねぇ」

 

 俺に似ているって、どんな奴だろ?

 全く想像出来ないんだけど……。

 

「少し不器用だけど、根は真面目で優しい男の子だったよ」

「その説明の中で似ている要素はあったか?」

 

 俺自身、人並みの器用さは持っているつもりだ。

 真面目さは学生として節度を守ってる――――この状況は止むを得ずだ。

 優しさは知らないけど、家族を除くと正直期待出来ない――――ハラオウン達の言葉は知らん。

 …………あれ、自分の事なのに俺自身がよく分かってない?

 だが俺の間髪入れない突っ込みは、またも笑いを堪える彼女の前に打ち消された。

 

「そういう所が、一番似てるんだけどなぁ」

「よく分からないな」

 

 まぁ、あまり気にする事でもないか。

 ……っと、そういえば。

 

「和泉って、何処の生まれだ?」

「私?」

 

 最初は気にならなかったが、冷静になると色々考える。

 コイツの名前である『アティ・ヴィルヘル・和泉』もそうだが、彼女の容姿はこの国ではあまりに特殊過ぎる。

 名前からしてハーフか、若しくはクォーターだろうけど。

 

「私は日本生まれだけど、お母さんがベラルーシの出身なんだよ」

「ベラルーシ?」

「……東スラブに属する国よ」

「東、スラブ……」

 

 言い難そうに語る彼女の姿。

 その理由、彼女の答えを聴いてすぐに理解した。

 ――スラブ、その名の重さが。

 

「やっぱりヒジリも、私たちの事を……」

「奴隷民族だと思ってる、か?」

 

 俺の問いに、遠慮がちに頷く和泉。

 ……やっぱりそうか。

 昔からスラブ人は、戦争等で捕らえられると奴隷として扱われる事が多かったらしい。

 英語で『スレイブ』という不名誉なレッテルを貼られる事もあったという。

 

 でも、スラブの本当の意味は違う。

 それは――

 

「偉大、そして栄光」

「えっ……」

「スラブ語での意味。確かスラーヴェってのが、本来の発音だったか?」

 

 本当は、それ程までに気高い意味を持つ言葉なのだ。

 スラブ人の奴隷という先入観は、西欧人の誤解や軽蔑によるものだ。

 スラブがギリシア語に入った時(先程言ったように、奴隷としての扱いが多かった為)に、『奴隷』という意味になってしまったのだ。

 更にそれから、ギリシア文化を受け継いだローマ帝国のラテン語から、西欧諸言語に広まったらしい。

 故に、『スラブ人=奴隷』という考えは正しくないのだ。

 

「よく知ってるね」

「小さい頃に教えてくれた人が居たんだよ」

 

 俺が初めてギリシア語に触れてから少し経った時、何度も念を押されるように教えられた。

 言わずもがな、その教えてくれた人というのは――――師父だ。

 そういえば、あの人にしては珍しく強く言っていたのを思い出した。

 

『スラブ人が奴隷だった事は事実だ。それでも、彼等は偉大な存在なんだよ』

 

 まぁ、それは言う必要無いだろ。

 

「ふぅん、良い人なんだね」

「あぁ、俺の目標だ」

 

 まぁ、その道はあまりにも遠くて、そして険しいものけどな。

 そう呟くと、和泉はまた口許を押さえながら笑い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 それから、どれだけの時間が経っただろうか。

 気付くと俺は、目の前の少女との会話を続けていた。

 本が好きという和泉に、聖書の話をしたり……。

 

「新約聖書には、古代教会の自己規定の確立と連動するように、正典の選択方法は確定していったんだ」

「じゃあ、その規定に満たない書はどうなるの?」

「外典、アポクリファとして残っている」

 

 お返しとばかりに彼女が、ベラルーシの様々な話をしてくれる。

 

「日本は昔、ベラルーシの事を『白ロシア』って言われてたんだよ」

「何で白なんだ?」

「ベラルーシのベラは、白って意味だからね」

「へぇ……」

 

 彼女からの要望で、俺が今習っている学校の勉強を教えたりもした。

 月明かりに照らされた教室で、ご丁寧に黒板とチョークも使って。

 様々な数式や、花の構造を書いたり……。

 

「じゃ、この式の答えは?」

「こんなの簡単。-21でしょ?」

「正解。そんじゃ次は、黒板の端から端まで続く式でも書くか」

「ちょっと、それはないでしょ!?」

「だぁぁぁ!! 肩掴んで揺らすな!!」

 

 

「で、余談なんだが、花が色取り取りなのには理由があってな」

「え、意味ってあったの?」

「鳥とか昆虫のように、移動能力の高い生物の目を引くためだそうだ。簡単に言えば、花粉媒体をして貰うって事だ」

「花粉を運んでもらう為に、自分達の存在をアピールしてるんだね」

 

 今まで教えられる側だっただけに、少し新鮮だった。

 しかも和泉も、それを楽しそうに聴いてくるものだから、こっちも教える事に熱が入ってしまう。

 不覚にも時間を忘れて、彼女との時間に没頭していた。

 

 そして和泉に一通りの事を教え、教壇から降りた時に不意に彼女が口を開いた。

 

「ヒジリって、意外と気さくな性格だったんだね」

「そうか?」

「それに、こっちも凄い話し易いし」

 

 ふむ、今までそんな事言われなかったから、よく分からないな。

 彼女が言うなら、強ち間違いでは無いかもしれないけど。

 しかし意外って、恐らく見た目とのギャップの事を言ってるんだろうが…………まぁいい。

 

「普通の男子だと女子に対して変に意識するから、あざとい喋り方だったりボソボソしたり、話し難いんだもん」

「そんなもんなのか?」

「私の経験から導き出した答えよ。説得力は充分でしょ?」

「それは、どうだろうな……」

 

 俺と同い年位の少女の経験論と言われても、正直微妙だろ。

 つーか、どう考えても経験不足じゃねぇか?

 まぁそんな事言うと、またご立腹するだろうから言わないけどな。

 

「だからかな? ヒジリとの会話に、違和感を感じるんだよね」

「えっ……」

 

 突然、明るかった声色が変わった。

 

 『違和感』

 

 それが一体どのようなものかは分からない。

 だけどその言葉を聴いた瞬間、妙に耳に残って離れなかった。

 一体俺の何が、彼女にとっての違和感となっているのか……。

 

「人はね、否が応にも異性を意識するものなの。でも、ヒジリにはそれが無い。まるで最初からそれに目を背けているみたいに、自分で無理矢理抑え込むみたいに……」

 

 流麗に語りだす和泉。

 彼女にとって何気無い言葉の筈が、向けられている俺の心を静かに突いてくる。

 俺は唯、耳を傾ける事しか出来ない……。

 

「相手を異性と思わない。分け隔てない接し方って言えば良く聴こえるけど、それって裏を返せば『他人に興味を持ってない』って事になるよね?」

「い、異性を感じないからって興味無いってのは、違うだろ」

「ううん。性別の違いと言うのはね、それだけでとても大きな事なんだよ」

「違い、が……?」

「いつだって私達は、異性を意識しながら生きている。そこには純粋な好意とか下心とか、色々なものがあると思う」

 

 一つ一つの言葉を此方に言い聞かせるよう、真っ直ぐに見詰める彼女の瞳。

 赤い双眸が、俺を捉えて離さない。

 

「でもね、それは間違いなんかじゃない。人として当然の反応で、決して否定しちゃいけないもの」

「それは……」

「ヒジリはそれを力尽くで抑えてる。と言うよりも、その心を否定してるよ」

 

 淡々と語られる彼女の言葉は、俺の心に重く圧し掛かってくる。

 

 ――――それはきっと、その事実が確かに正しいものだと、心の隅で気付いていたから。

 

 和泉の言葉が間違いで無いが故に、俺も反論のしようがない。

 そして何より……

 

『無理をするな。そして、その想いが間違いだなんて言ってはいけない』

『逃げるだけでは、何一つ終わらせられない。終わらせなければ――』

 

 記憶に残る、師父(あのひと)の言葉に何処か似ていた。

 あの時、俺を変えたあの時から少し経った日……俺に伝えられた言葉。

 そして俺は、それからも逃げていた。

 その傷を抉るような言葉が、俺には、眼前に突きつけられた銃以上に怖かったから。

 

「無理して我慢なんかしちゃ駄目だよ。その気持ちがあってこ――」

 

 

 

「――無理なんだよ」

 

 そして今度は、目の前の少女がソレを突きつける。

 彼女の言葉が怖い。

 それ以上続いてしまうと、また思い出してしまう。

 あの時の夕陽を……自分と対峙する1人の少女を……。

 もう決めたのに――――他人を『好き』にならないって。

 

「もう嫌なんだよ。あんな思いするなんて……」

「居たんだね、好きな人」

 

 止めてくれ、それはもう過去の事だ。

 今の俺にはもう何一つ関係無い。

 それ以上に、お前にも全く関係無い事だろう?

 

「失恋、しちゃったんだね」

 

 なのに彼女は、躊躇いも無く俺の傷を抉り出す。

 その傷は開いてしまえば、後は簡単だ。

 自分の意識とは関係無く、際限無く広がっていく。

 

 

 

 …………失恋。

 そう、俺は失恋したんだ――――あの4年前の冬の日、クリスマス・イブに。

 聖なる日の前日に、俺は心に深い傷を負った。

 初恋の相手である『つき』、柊月見への想いが砕かれた。

 彼女に直接言われた訳じゃない。

 ただ彼女が、公園で1人の少年と一緒に居た。

 自分より大きな人が良いって言っていた彼女が、俺より身長の低い少年と……。

 俺より背の高い彼女が、そんな事をしていた。

 

「もう嫌なんだよ!! 行き場の無くなった自分の気持ちが……友達に嘘を言われたと知った時の気持ちが!!」

 

 振り向いて貰おうと努力を怠らなかった自分の意志が、根底から崩されたような絶望感。

 今までの日々に映る彼女が、嘘だったのかもしれないという恐怖感。

 それは今まで受けたどんな痛みよりも、遥かに苦しくて重いものだった。

 そんなものを感じてしまうのであれば、この先ずっと抱え続けなければいけないなら、元を断ってしまえば良い。

 

 ――――恋愛なんてしなければいいんだ。

 そうすれば、こんな思いをしなくて済む。

 

「それじゃ駄目だよ!! 目を背けたら、ヒジリはいつまでも逃げる事しか出来ない」

「それで構わない!! この傷を忘れられるなら、二度と辛い思いをしないなら、俺は幾らでもそんなもの否定する!!」

 

 『恋愛感情』という、人として当然の感情を否定する。

 自分にソレは必要無い、家族さえ居ればいいのだ。

 自分は、家族の為だけに生きればいいのだと。

 

 

 今日の馬鹿げた行動。

 感情や勢いに任せて、俺は高杉と対立してしまった。

 だが、迷惑を被ったのはアイツだけじゃない。

 ハラオウン達にも、俺は怒りをぶつけてしまった。

 アイツ等は何も関係無いのに……。

 寧ろ俺を止めようとしてたのに、そんな優しさに見向きもしなかった。

 嫌われたって当然だと、殆んど諦めていたのに。

 それでもやっぱり、アイツ等はアイツ等のままだった。

 

 家に着いた後、携帯を確認するとメールが届いていた。

 言わずもがな、その数は5通。

 『止められなくてゴメン』

 揃って全員が、示し合わせたように似たような内容。

 あの時、彼女達は高杉によって止めるのを抑えられていたらしい。

 対峙している時は全く気にしなかったが、恐らく携帯を弄っていたあの時だろう。

 でもそんな事は関係無い、彼女達は心の底から止めようとしたのだ。

 それに気付かず、馬鹿な事をやっていた自分が悪い。

 

 いや、気付いていた上で、それを無視したのかも知れない。

 自身の感情に振り回されて、コントロール出来ていない俺。

 それもきっと、『恋愛感情』なんていうモノがあるからだ。

 否定すれば良い。

 意地汚く心に残ったソレを、自分の中から消し去ってしまえばいい。

 そうすれば、誰も傷付かない。

 誰も傷付ける事無く、俺は生きていける。

 

 

「っ、逃げたままでも、いいだろうが……!!」

「ヒジリ……」

 

 嫌だよ、もう。

 これ以上、何も言わないでくれ。

 双眸から熱いものが込み上げてきて、俺は顔を伏せた。

 普段なら有り得ないであろうその反応が、過去の傷によって簡単に誘発される。

 

 拳は爪が食い込みそうな程きつく握られていて、込み上げるものを抑えようとしてるのが嫌でも分かった。

 こんなにも……俺は弱い。

 何年経ってもこの脆さだけは、自分の身から引き剥がす事が出来ない。

 

 

 

「……そんなの、………駄目だよ」

 

 ふと、弱々しい声が届いた。

 俯いている俺には見えないが、目の前に立つ少女のものだという事は間違えようが無い。

 何故、彼女がそんな声を出すのだろうか。

 こうやって生きていく事が、誰も傷付ける必要の無い筈なのに。

 和泉が傷付く必要なんて、何一つ無いのに……。

 

「そんなの、駄目だよっ!!」

 

 静寂を引き裂くような、力強い言葉が聴こえた。

 でもそれは心からの嘆きで、悲痛な叫びにも酷似していて……。

 出会ってからの時間は僅かだが、それが彼女に似つかわしくないものだという事は理解出来る。

 伏せていた顔を上げると、目の前には悲しみに暮れる顔が――

 

「えっ、い、和泉!?」

 

 ――無かった。

 いや、『居なかった』と言うのが正しいのだろう。

 月光に照らされた教室には誰も居らず、戸惑う俺のみが残されている。

 足音も、立ち去った気配すら感じなかった筈だ。

 目の前の事実は、俺は混乱させるには充分過ぎた。

 あの少女はどうやってこの場を去ったのか、どうして去ってしまったのか。

 そしてなによりも、彼女の嘆きの意味は……

 

「って、そんな事言ってる暇無いだろ」

 

 そんな事は本人にでも聞けばいい。

 だが夜の学校に女の子1人では、何が起こるか分からない。

 階段で足を踏み外して、なんて不吉な事まで考えてしまう。

 それだけは何としても避けなければならない。

 

「ったく、面倒な!!」

 

 自分に言い聞かせて、俺もすぐさま飛び出した。

 何処に居るかなんて全く分かりはしないが、黙っている事だけは出来ない。

 口から出た悪態も、自分の行動を正当化する為のくだらない呟きだった。

 さっきまでの事なんて、今は考えない……。

 

 

 

 

 

 

 

 あれからどれ位の時間を走っただろうか。

 1階の教室から始まり、最上階の4階までの教室(教職関連除く)を虱潰しに探していた。

 何せこっちは、手掛かりの一つも存在しない状態でのスタートだ。

 事態が事態だけに、適当にやっていられる時間も無い。

 体力が続く限りの全力疾走のお陰か、10分もしない内に殆んどの教室を調べ終え――

 

「チッ、此処もかよ」

 

 丁度、4階の教室も終了。

 校舎内の全教室に、和泉は居なかった。

 俺から逃げているという可能性もあるが、そんな性質の悪い悪戯をするような奴とは思えない。

 だとしたら残りは……屋上か。

 

「あまり行きたくないけど、仕方ないか」

 

 今日、2度目となる場所だが、正直良い気分ではない。

 昼間があれじゃな……。

 思い起こされるのは、高杉との対峙と――――彼女達の悲痛な面持ち。

 

 それでも行かねばなるまいと、心の何処かで思っていた。

 だからこそ、俺の体は屋上へと向かっているのだろう。

 目の前に佇む最上への扉を見据え、この先に和泉が居ると確信した。

 理由なんてものは無い。

 

 今は唯、この手で扉を開くだけ。

 

 

 

 

 

 

 

「…………和泉」

 

 降り立った世界は、暗闇に覆われていた。

 暗い暗いそこでは黒い大気が絡みついてくるようで、少々気味が悪い。

 そしてその中で、1人の少女が背を向けて立っていた。

 大気と言う名の蛇が逃げ出し、彼女の周りだけに月光のスポットライトが当たっている。

 幻想的な光景、まるで映画のワンシーンを髣髴とさせる雰囲気が彼女を包んでいた。

 ゆっくりと、和泉は振り向いた。

 

「……遅いよ」

「これでも急いだ方なんだが」

 

 突然何を言い出すかと思えば、第一声が文句とは……。

 どうやら、俺を待っている間に落ち着いてくれたようだ。

 

「それでも、早く来て欲しかった」

「お前、どうした?」

 

 いや、でも何かが違う。

 和泉の表情には、何かに耐えるような苦痛が薄っすらと残っている。

 まるで、見知らぬ場所に一人ぼっちで置いていかれた子供のような……。

 

「ヒジリは、凄く傷付いたかもしれない」

「えっ……?」

「でもその痛みは、皆が平等に受けるものなんだよ」

 

 教室の時よりか細い声で、強く訴えてくる。

 何故だろうか……。

 力弱いその言葉が、今まで聞いた彼女の言葉の中で、最も強く心に響いてきた。

 

「皆、恋をする。でも皆が皆、その想いが実る訳じゃない」

「……分かってる」

「嘘吐いた、裏切られたなんて言ってるけど、二桁にも満たない子供が、自分の言葉に責任持てると思うの?」

「分かっているさ、その位……」

 

 語られる言葉は、どこまでも正論だった。

 そこに感情論なんて入る余地も無く、ナイフとなって心に突き刺さる。

 傷口から溢れ出るのは、弱々しい俺の言い訳だった。

 

 ――それでも嘘吐いたのは事実だ、責任に年齢は関係無い――

 

 本当に、子供染みたくだらないモノばかり。

 

「そんな事で、家族を守れると思うの?」

「――っ!?」

「誰かを愛する事を止めてしまった貴方が、家族を愛せると言うの?」

 

 教室でのやり取り、そして今、その中で生まれた俺の中の確信。

 彼女の言葉が、――師父の言葉ととても似ている。

 

『誰かを好きになる事を止めてはいけない。それはきっと、お前から全ての愛を奪ってしまう。家族への想いも、友達への想いも……』

 

 俺が傷から逃げないよう、優しく心を繋ぎ留めようとする、思い遣りに溢れたその言葉。

 そんな温かさを、それでも受け止めきれなかった弱い俺。

 何で、コイツは此処まで……。

 

「人生、何が起こるか分からないのは、ヒジリだって知ってるでしょう?」

「あぁ……」

 

 と、突然話の話題がそれた。

 先程の言葉に精神を揺さ振られている俺にとって、それは更なる混乱の極みだ。

 

「いつまでも続くと思っていた日常が突然終わる……そんな事は世界中に蔓延っているんだよ」

 

 双眸に悲しみを湛えた少女は、顔を地に伏せて佇んでいる。

 銀髪のカーテンがそれを遮り、表情そのものを見る事は叶わない。

 でも、華奢な肩が小刻みに震えている所から見て、何かに怯えているようだった。

 

「もう何年も前の話、1人の少女の恋の物語があったの」

「お前、何言って――」

「――聞いて」

 

 地に伏せたままの状態で、彼女は続ける。

 俺の言葉も、彼女の威の前に竦んでしまった。

 それ程までに彼女の意志が強かったのだ。

 

「その少女は、生まれ付き病気を患っていたの。先天的なメラニンの欠乏による、遺伝子疾患」

「……アルビノ、か」

「そう。その為、少女は普段外に出る事も出来ず、小さな頃から家の中で暮らす事が普通だった」

 

 アルビノ、先天性白皮症。

 メラニンの欠乏による体毛や皮膚の白化、毛細血管の透過による瞳孔の赤化。

 視覚的な障害だけでなく、紫外線による皮膚の損傷や皮膚がんのリスクを負う、危険な病気。

 

「そんな少女の唯一の楽しみは、家の周りだけの範囲での夜の散歩だけだった」

 

 それはある意味、正しい事だろう。

 紫外線の影響で皮膚がんを誘発してしまう体である以上、日中に外を出る事は自殺に近い。

 だとしても、誰も居ないであろう夜にしか、外に出れない少女は辛かった筈だ。

 

「『同い年の子供は普通に過ごす事が出来るのに、何故自分はこんな体に生まれてしまったの?』 そう思った事は何度もあった。

 何度も何度も嘆いて、悔やんで、最後には自分の命を自分で……」

 

 自殺――――その行為がどれだけ愚かで、そして悲しいものかは分からない。

 だが、それを行わせるまでに、少女は病に苦しんでいた。

 きっと、常人では考えられない程の……。

 

「でも、命を絶つ度胸も無い少女は、悲しみに暮れるしかなかった」

「泣いて泣いて、涙が涸れるまで泣いて……。生きる事に意味を見出せず、何も無い日々を過ごしていたの」

 

 その少女は、一体どれだけの辛い思いを背負わされたのだろう。

 普通に生まれて、普通に生きて……。

 そんな『当たり前』を『当たり前』にする事が出来ない。

 聴くだけでも、胸が張り裂けそうになる。

 

「でも、楽しみから日課に変わってしまった夜の散歩で、偶然出会ったの」

「誰に?」

「自分と同い年の男の子。何かに反抗するようなに睨む瞳で、最初は驚いた」

 

 出会いは突然。

 いつもと同じように散歩をしていた少女の目の前に、柄の悪い中学生位の男子が数人立ちはだかったのだ。

 あまり人と接する事の無かった少女は、当然の事ながら竦んでしまう。

 散歩のコースは家の周辺だった為、1人で大丈夫だと言う少女の傍に親は居なかった。

 そんなピンチに現れたのが、その少年だった。

 彼の目付きの悪さと締め付けるような威圧感に、少年達は恐れをなしたように逃げ出した。

 そして、恐れをなしたのは少女も一緒……の筈だった。

 

「でも本当に最初だけで、その後は全然平気だったんだ」

 

 その後、2人は何度も出会った。

 夜の世界が、2人にとっての世界で。

 普通とはお世辞にも言えない少女の容姿も、少年は何一つ疑問視しない。

 唯一言

 

『綺麗だな』

 

 それだけを言って。

 

「今まで触れる事の無かった『他人の温もり』を感じた」

 

 それは少女にとって、生きる活力を与えてくれた。

 生きようと、この病と闘う事を決意したのだ。

 

「そして、何度も彼と会っている内に、少女は彼に恋をした」

 

 それは、考えなくても当たり前の事だった。

 和泉から聴く話だけでも、その2人はお互いを強く思い遣ってる。

 恋心を持つ、結ばれるのは当然だと思う。

 

「そして少女は、ある日の散歩で、その想いを打ち明けたの」

 

 結果は――――両想いだったようだ。

 少年もまた、少女に恋をしていた。

 告白を聴いた少年は、少し憮然としていたようだが、すぐに笑顔で答えたらしい。

 正にハッピーエンド、問答無用の最良の結末だ。

 

「それからも、2人の夜だけの時間が続いたの」

 

 恋人同士になった2人だが、出会える時間は決まっている。

 年齢的にもギリギリな時間まで一緒だったが、それでも普通の恋人同士と比べると、明らかに少なかった。

 彼等も理解はしていたが、それでも納得するには至らない。

 そして、その純粋な想いが――

 

「少女は、昼間に家を飛び出したの」

 

 ――残酷な結末へとページを進めてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




アルビノの身体的特徴は、日光等の紫外線にとても弱いです。
その点で黒髪黒目の日本人は、諸外国の方々と比べて紫外線に対して強いですね。
目が日焼けするとか、目も紫外線の影響を強く受けますしね。

どうも、おはこんばんちはです( ・ω・)ノシ
№ⅩⅨをお読み下さり、ありがとうございます。
遂に来た『リリカルなのはSS』にして原作キャラが一切出て来ない話。
とは言え今回の聖の『恋愛感情の否定』は、なのは達では解決出来ないものなので致し方無し。
勿論ですが、次の後編もオリキャラのみが登場です…………マジですみませんm(_ _)m

それと今回、話の中であった聖の失恋ですが、これもある意味でなのは達との対比ですね。
読者の方々もご存じの通り、4年前のクリスマスイブはなのは達が闇の書の闇と戦い、これを見事に打ち破った日です。
そしてこの主人公は、失恋です。
片や世界の危機を救い、片や9歳の恋心が砕かれた――――何この格の違い。
しかも別に大した理由でもないのに、それが原因で今まで意固地になってしまった。
ですが聖は、これまでの話で『精神的に割と繊細な一面』という所があったので、こういう感じだよねって事です。

今回は以上となります。
感想や意見、タグ関連やその他諸々は遠慮無くドシドシ書き込んで下さい。
直接メッセージでも、作者的にウェルカムです。
では、失礼します( ・ω・)ノシ

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