少年の誓い~魔法少女リリカルなのはO's~   作:さっき~

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「お兄ちゃん!!」
「明菜、どうした?」

――シスターから頼まれた買い物の帰り。
――自分の今日の仕事を終えて、気分も少し上々。
――だが俺を呼び掛けた妹の焦りに、何か言い知れぬものを感じた。

「平太と勇気が……」
「2人がどうしたんだ?」

――確か今、2人は土手の方でサッカーをやっている筈だ。
――元気良くサッカーボールを持って行く背中が、脳裏に焼き付いている。
――その2人が、どうしたと言うのだろう?

「土手の方で、中学生に苛められてるって……」
「何だって!?」

――その言葉に、買い物を終えた達成感が跡形も無く崩れる。
――どうしてそんな事態になったのか、そんな些細な事はどうでもよかった。
――今は少しでも早く、2人の許へ行かなければならない。
――兄として、2人を守る事が俺の義務なのだから。

「荷物を頼む!!」
「あっ、うん」

――買い物袋を明菜に渡して、俺は全力を以って駆け出した。
――目指す場所は分かっているのだから、考える事は1つだけ。

「間に合え!!」

――間に合え、間に合え、間に合え!!
――無事で居てくれ、2人共。
――意地でも、絶対に間に合ってみせる!!


――それは、懐かしい記憶。
――守る事に必死だった少年の、1つの通過点。







№ⅩⅩⅡ「Let's Play Together(後編)」

 

 

 

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、ぅはっ――」

 

 真上近くから降り注ぐ、夏特有の熱光線。

 それを一身に浴びながら、アスファルトの地面を蹴り駆ける。

 額だけでなく、全身から汗が止め処無く流れてくる。

 ワイシャツの下に体操着を着といて良かったなぁ。

 でなきゃ今頃、ワイシャツがびしょ濡れになっていたな、絶対……。

 

「はあぁっ、はあっ、っはぁ――」

 

 荒い呼吸が何回、何十回、何百回と繰り返される。

 心臓と肺が、酸素を欲して止まない。

 もっと、もっと、もっと……。

 血液が循環し、全身を隈なく熱していく。

 

 ……あれから、ハラオウン達に背中を押されてから、どの位の時間が経っただろうか?

 正直無我夢中で、そんな事は微塵も考えていなかった。

 唯々、間に合う事だけを、2人の許へ辿り着く事だけを考えていたから。

 

 目的地は風芽丘コンサートホール。

 その名前に聞き覚えはあった。

 何せ、プロの歌手がライブを行う事がある場所だ。

 地元人ならば、嫌でも耳に入る場所である。

 だが、如何せんそこまでの距離が悪かった。

 高杉から送られてきたメールで、目的地までの道及び場所は理解出来た。

 

 ――だが、それだけだ。

 何よりも重要な、時間内での到着が問題だった。

 聖祥からホールまでの距離は、凡そ10キロ超。

 常人では、更に全力疾走で最短ルートを使ったとしても、30分以上は掛かる。

 しかもその計算は、信号及び交通機関によるタイムロスを入れない状態での結果だ。

 更に俺は、学校を出るまでに時間を掛けてしまっている。

 つまり、どうあっても1時間以内に辿り着く事は不可能なのである。

 

「はぁっ、っはぁ……そんなっ事、あんまっ、関係無いっ、けどな!!」

 

 黙っていれば良いものを、心は自分の体に喝を入れたくて堪らないようだ。

 もし間に合わないと決め付けてしまえば、きっと俺は進む事を止めてしまう。

 だから、今の俺には関係無い。

 悲しむのも、悔しい思いをするのも、全てが終わるまでは取って置く。

 今は唯、この足を酷使してでも――

 

「――――っあ」

 

 ……体が、宙に放り出された。

 学校を出てから、それこそ最高速度を保ちながら走り続けた両脚。

 それこそ、大腿筋の筋繊維が全て断裂するような錯覚に陥る程に。

 兎に角、無我夢中で駆け抜けた。

 だからだろう、両足の位置をきちんと意識出来ずに、縺れてしまったのは……。

 自身の最高速度の勢いのまま、俺は低空から地面を見下ろし――

 

「――くぅっ!!」

 

 体を叩きつけられた。

 地面とモロに接地した状態で、アスファルトを滑る。

 前転受身の要領でダメージを殺し、その勢いを活かして片膝をついた体勢に戻る。

 受身が利いたのか、体の痛みは気にする程ではない。

 

 だが、此処に来て最悪の事態に遭遇してしまった。

 

 

 ――脚が、止まってしまったのだ。

 

 

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……」

 

 その事実に、口から呼吸以外の何も出て来ない。

 今までは兎に角我武者羅に、全力を以って走り続けてきた。

 それこそ、休憩を取る暇なんて最初から排除した。

 

 何故なら――――止まってしまえば、二度と動けなくなってしまうと分かっていたから。

 

「はぁっ、はぁっ、っくそっ……」

 

 俺は完璧超人なんかじゃない。

 ましてや物語の主人公みたいに、不可能な状況を乗り越える馬鹿力も持ち得ていない。

 だからこそ、自分の出来る最大級の無理をしたと言うのに……。

 結果がこれとは……何たるザマだ。

 

「動けよっ、っはぁ、はぁっくそっ……」

 

 走りたい……進みたい……アイツ等の所へ行きたい。

 なのにこの脚はもう既に、限界を迎えている。

 10分近く全力疾走を続けていたのだ、普通に考えてこうなる事は目に見えていた。

 寧ろ、此処まで耐え切った事自体が奇跡に近い。

 

 それでも、止まりたくなかった……。

 舞台へ立たせると決めたのに、アイツ等が悔しい思いをしないで済むように……。

 

「っ、くっそぉ!!」

 

 それ以前に俺が悔しかった。

 地に殴りつけた拳が、その度合いを物語っている。

 ジリジリと響く痛みも気にする事無く、悔しさを拳に乗せる。

 

 ――――また間に合わないのか?

 ――――2年前のあの時のように、誰かが傷付いてから俺は辿り着くのか?

 ――――間に合えと願っても、間に合わせると誓っても、俺には出来ないのか?

 

 こんなにも悔しい事は無い。

 何度も後悔をし続け、今度こそはと意気込んでも……。

 俺には、無理なのか?

 

「くそぉっ!!」

 

 打ち付けた拳を、再度振り上げる。

 一発では足らない、もっとこの悔しさをぶつけなければ気が済まない。

 例え指が砕けてしまっても、アイツ等の許へ行けないのであれば、この両手に何の意味があるというのか。

 だから、全力を以って地面へと――

 

「お止め下さい」

 

 ――届く前に止まった。

 柔らかく、少しだけ冷たい感触が拳を包み込む。

 何事かと顔を上げれば、そこには1人の女性が居た。

 色素の薄い紫色の髪と、端整な顔立ち。

 身に纏う衣服は、俗世から隔絶されたような洗練さを持つメイド服。

 

「指を痛めては、何も出来ません」

 

 その姿は間違えようもなく、ノエルさんだった。

 さぁ参りましょう、と告げる彼女の先には、黒塗りの高級車が止まっている。

 まさか、俺を迎えに来たのか?

 声無き疑問は答えられる事はなく、俺は唯その姿を見ている。

 だがすぐに自分の体に鞭を打って、その車へと乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 エンジンの重低音が全身を包む。

 ノエルさんから渡されたタオルで汗を拭いつつ、横に流れていく風景を眺める。

 それは先程までのようなゆっくりな変化ではなく、目まぐるしく高速で変わっていく。

 法定速度は守りつつ、それでいて最も有効なルートを駆使し、目的地へと着実に近付いている。

 これなら何の問題も無く、コンサートの時間に間に合いそうだ。

 

 ――――ぶっちゃけ今までの俺の苦労は何だったのだろうかと、思わなくもないが我慢。

 

「本当に助かりました」

 

 視線を前へ、ハンドルを握りながら運転手はそう呟いた。

 ずっと無言で居た為、突然のそれに少々驚いてる。

 

「無理なお願いだとは、私自身も分かっておりました」

 

 ――それでも来て下さって、ありがとうございます。

 運転中の為、深々とお辞儀する姿勢は無いが、それでも最大の感謝と敬意を以って言葉にしてくれているのが肌で分かった。

 

「お嬢様達が悲しむ姿は、見たくなかったのです」

「……まぁ、俺も似たようなものですから」

 

 気持ちは俺も同じだった。

 2人の悲しむ顔は見たくない、あんな喪失感に苛まれるなんてゴメンだ。

 それにハラオウンの激励による一押しで、俺はこの道を進むと決めた。

 そこに後悔は無いし、最も正しい事なんだと信じてる。

 

「そういえば、どうしてこんな事態に?」

 

 ずっと訊き忘れていた事、それは緊急事態に陥った原因だ。

 走っている時は無我夢中だったからそんな暇は無かったけど、余裕を持てる今なら訊いても構わないだろう。

 すると真横に居るノエルさんが、少し沈んだ表情で答えた。

 

「実は、お2人の伴奏をやられる方が、当日になって怪我をしてしまいまして……」

「……なるほど」

 

 それだけで殆んどの概要は掴めた。

 つまりは、その人の代わりに俺に白羽の矢が立った訳だ。

 しかし、何で俺なんだろう?

 コンクールなら、伴奏者を借りられるシステムがあった気がするが……。

 そんな疑問を小声で呟くと、ご丁寧に隣の女性が答えてくれた。

 

「当日に伴奏が変わると演奏し辛いと言ってましたので……」

「あぁ、確かに」

「それで、すずかお嬢様が言っていた事を思い出したのです」

「言っていた事?」

「はい。もう2ヶ月位前になりますが、聖様のピアノを聴いて感動したと……」

 

 2ヶ月前、そう聴いて思い出すのは職場実習。

 恐らく、最終日でのアレだろう。

 だが、それだけで伴奏者として指名するのはどうかと……。

 

「いつか、聖様と一緒に演奏してみたいと……」

「むぅ……」

 

 なんて事を言われても、此方としてはどう反応すればいいのか分からない。

 多分それは、俺も思っていた事だ。

 アイツ等のヴァイオリンを聴いてみたい、そして一緒に演奏してみたい、と……。

 緊急事態という状況ではあるが、それが近付くに連れて心を高揚感が包む。

 それが醒めないように、今は只管にその時を待っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 コンサートホールには、バニングスの演奏開始の20分前に到着した。

 流石に大きいだけあって、その景観は驚くべき所である。

 だがそんな初見の感想など、今の事態には露程も必要無い。

 ノエルさんに連れられて中へと入っていく。

 花束が飾られるホール入り口、専用の通路を抜けたその先――

 

「此処が控え室です」

 

 目の前のドアの貼り紙を、そのまま読み上げるように呟くノエルさん。

 此処に来るまでの話では、2人は午前の部のラストらしく、この中にはもう2人しか居ないようだ。

 それはそれで、俺としても好都合だ。

 

「それでは、参りましょう」

「えぇ」

 

 俺の前に立ち、扉を開けるノエルさん。

 その先は、真っ白な大広間だった。

 多数の椅子や大きなテーブルが設置されたその場所は、しかし暗く沈んでいた。

 言うまでもなく、力無い姿で椅子に腰掛ける2人が居たからだろう。

 コンサート用のドレスに身を包んだ煌びやかな装いをしてても、それでは全てが台無しだ。

 

 突然の入室者に驚いたのか、すぐさま此方に視線を向ける。

 だがその双眸からも、普段の輝きは感じられなかった。

 

「ノエルさ……えっ、何で!?」

 

 だがそれに気付いた時、彼女達の瞳に何がしかの感情が生まれた。

 それが何かは分からないが、先程までのと比べれば全然マシだろう。

 向いている先は、言わずもがな俺の方だった。

 

「み……瑞代?」

 

 バニングスの方も似たような反応だ。

 俺という存在が、此処に居ると言う事に対する驚きと不可解さ。

 それが綯い交ぜになった、そんな複雑な瞳だった。

 

「取り敢えず、お前等……」

 

 だがそんな事、今の俺には関係無い。

 俺は、この2人に言わなければならない事がある。

 タイミングの良い事に、此処には他に誰も居ない。

 これなら気兼ね無く言えるというものだ。

 一歩、二歩と彼女達に近付く。

 

「何で、何も言わなかった」

 

 まず何よりも訊きたかった事。

 こんな状況に陥ったにも拘らず、此方に何一つ連絡を寄越さなかった。

 ノエルさんからの電話がなければ、俺は此処に居る事は無かったのだ。

 

「こんな事になってるのに、何で何も言わない」

 

 きっと、俺達に心配を掛けたくなかったのだろう。

 2人は優しいから、自分達のせいで心配を掛ける事を心苦しいと思っている。

 でも、その優しさは――――きっと残酷だ。

 

「だって……」

 

 此方に何かを言いかけて、口を閉ざすバニングス。

 上手く言葉を見つけられない様子に、まだこの状況に対する驚きが治まっていないようだ。

 でも言いたい事は分かってる。

 

 ――ハラオウン達を心配させたくない。

 

 唯、それだけだ。

 

「ふざけんなよ、お前等」

「えっ……?」

 

 だから余計に頭にくる。

 心配掛けたくないってのは、言い方を変えれば『相手を信頼してない』って事じゃないのか?

 本人達は否定するだろうが、どの道そうである事に変わりはない。

 

「さっさと言えよ。心配掛けたっていいじゃないか…………心配、させろよ」

 

 心配ってのは、相手を思い遣る行動の一つだ。

 それを蔑ろにするなんて、友達として黙っていられない。

 だがそれ以上に、悔しいという感情が溢れてくる。

 2人に心配を掛けて貰えないという事実に、自分自身の不甲斐無さを感じて止まない。

 

「人間、生きてく上で心配を掛ける事なんて腐る程あるんだ。心配掛けずに生きるなんて不可能なんだよ」

 

 もしそれが出来るなんてほざくのであれば、それは大馬鹿者か大阿呆者か、唯の孤独者だ。

 ましてや、あんな良い親友が居るコイツ等に出来よう筈も無い。

 

「それに、諦められるのか?」

「っ!?」

 

 この日の為に、様々な努力を重ねてきたという事実は、言われなくても見なくても分かる。

 それを、心配掛けたくないからって、諦められるのか?

 次もあるかもしれないけど、それでも今この瞬間だって大切な時間なんだ。

 それなのに、それを――捨ててしまっていいのか?

 

「ヴァイオリンを、舞台に上がる事を、諦め切れるのかよ!!」

 

 語気を荒げて、俺は言葉を続ける。

 俺達の事を想っての行動だってのは百も承知だ。

 でも、それで2人が後悔するのでは、俺達だって遣る瀬無くて後悔してしまう。

 

「今日、この日を無い事にしていいのかよ!!」

 

 いつの間にか2人は、俯いたまま動かない状態だった。

 俺の言葉をきちんと聴いているのか分からないが、何度も繰り返すものでもない。

 言いたい事を言い終えた俺は、そこでふぅと息を吐く。

 

「……って」

 

 微か、本当に微細な声。

 声の主はバニングスだが、月村も体を震わせて何かに耐えている。

 だがその抑制も、すぐに言葉となって吐き出された。

 

「私達だって、諦めたくないわよ!!」

「それでも、出来ない以上どうしようもないんだよ!?」

 

 正直、驚いた。

 2人の抑えていた感情が、此処まで上り詰めていたなんて……。

 無駄に大人な感性を持つから、無理して消化してる部分もあると思っていた。

 でも、やっぱり2人は年相応の心の持ち主だ。

 吐き出す感情は真っ直ぐで、瞳に湛えた涙は綺麗で、悲しみに光っている。

 

 そうだ、と改めて思う。

 ――俺が此処に居るのは、悲しんでしまわないように……。

 ――だから、その気持ちが聴ければ充分だ。

 

「この日の為に、アタシ達がどれだけ頑張ってき――」

「――もういい」

 

 これ以上言わせたら、流石に可哀想だ。

 彼女達の気持ちを確認出来た、それだけで俺が此処に来て良かったと思える。

 2人に近付いた俺は、横並びの2人を抱き締めた。

 大丈夫、大丈夫だから……。

 耳に届くか届かないか、微かな声で呟く。

 

「絶対に終わらせない。俺がお前等を、舞台に立たせてみせるから」

「瑞代……」

「聖君……」

 

 俺の腕にしがみつきながら、2人が呟く。

 大丈夫、今の2人ならきっと……。

 だから最後の一押しを、俺自身が出す。

 

「さぁ、やろうぜ。――――楽しい楽しい、音楽の時間だ」

「「……うん!!」」

 

 2人は笑顔で答えてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間は無いに等しい。

 課題曲についてはかなりの有名所だから理解してるし、何度も弾いた事があるから暗譜している。

 ――問題は、2人と合わせる時間が無いと言う事だ。

 これはかなり重要な部分である為、正直キツいなんてもんじゃない。

 だが、此処まで来て逃げるつもりも毛頭無い。

 無駄だろうが何だろうが、最後まで足掻く事は忘れない。

 此処まで辿り着けた事を、間に合った事を、意味の無い事にしてはいけないと……。

 俺自身が、誰よりも強く思っているから。

 

「次の演奏者の方、お時間になりましたので舞台の方へお願いします」

「はい」

 

 ノエルさんの計らいで正装に着替え、2人と打ち合わせを終えた時、タキシードを着た人が現れた。

 その男性に促され、バニングスと俺が立ち上がる。

 

「頑張ってね、アリサちゃん、聖君」

「えぇ……」

「おう」

 

 だが、バニングスの表情が少し硬い。

 必要以上に肩肘張ってる感じが、ありありと見受けられる。

 緊張する事は悪くはないが、これはちょっと意識し過ぎじゃないか?

 月村からの激励さえ、彼女の表情を和らげてはくれない。

 

 控え室から出てステージへ向かう。

 その間もずっと、隣のバニングスは黙ったままだ。

 俺も初めての事に緊張しているが、コイツ等に自分の過去を話す時程じゃない。

 ……あの時は、マジでキツかったからなぁ。

 

「……」

 

 そんな事は兎も角、バニングスはどうにかしなければならない。

 こんな状態では、コイツ自身が演奏を楽しめない。

 それじゃ、折角のコンクールという舞台に出たって損なだけだ。

 

「バニングス」

「……何よ?」

「俺とやるのは難しいと思うけど、そんな肩肘張るなよ」

「別に、アタシは……」

「そりゃあ、お前達に比べれば劣るだろうけど……」

「……」

「俺も出来る事はやるさ。お前の足は引っ張らないよう、全力を以ってやり切ってみせる」

 

 だからさ、と一度言葉を切って、二の句を告げる。

 

「――楽しもうぜ、音楽を」

 

 『音を楽しむ』から、音楽って言うんだからな。

 それに俺はきっと、待っていたんだ。

 バニングスと、月村と、共に音を奏でる時を……。

 今、この時を……。

 

 萌黄色のドレスに身を包んだバニングスは、いつの間にか足を止めていた。

 俺の言葉を噛み締め、何か思う所があるのかも知れない。

 だから待った、彼女が自分の中で心の整理をつけられるまで。

 そして、真っ直ぐに彼女は俺を見返した。

 

「さぁ、行こうぜ」

 

 ステージまで後少し。

 彼女の進む道へと導く為に、俺は手を差し伸べた。

 それを見たバニングスは考える事もなく、それを空いた手で取る。

 

 ――――さぁ、楽しい時間までもう少し。

 

 

 

 

 

 

 

 

 上方から当てられる照明が、その広々としたステージを否応無く照らす。

 まるで一部の隙も与えないかのように……、隠せぬものなど存在しない戦場と化していた。

 その下座には、漆黒の躯を持つ巨大な存在。

 唯そこにあるだけなのに、誰もが視線を合わせ、離せなくなる。

 目の前のグランドピアノは、それだけの威厳を持ち合わせていた。

 家のピアノもかなりの値打ち物だが、これはそれを遥かに上回る代物。

 それを今から、俺如きが弾くと言うのだ。

 恐れ多い、と思う傍ら――

 

「……」

 

 ――ワクワクして堪え切れない。

 このピアノは、一体どんな音を響かせるのだろう?

 鍵盤やペダルの感触は?

 天板の位置で、どれだけの表情(ねいろ)を見せてくれる?

 ――あぁ、高揚感が胸を突き、離れない。

 どうやら俺は、意外なまでに音楽家に近い思考の持ち主だったようだ。

 

「それでは、課題曲『ピアノ・ソナタ第5番《春》』お願いします」

 

 俺達が立つ場所とは相対する場所、観客席。

 その最前列で、数人の男女が腰を掛け、何かを書き留めている。

 言わずもがな、審査員の方々である。

 その中の1人の言葉に、俺とバニングスは一礼をして、それぞれの位置に着く。

 彼女は中央へ、俺は下座のピアノへと。

 椅子に腰掛けてバニングスの方を向くと、流れるようにヴァイオリンを構えた。

 顎と肩で支え、左手は最低限の支持をする。

 右手の弓も添えられており、万全な状態だ。

 

 それじゃあ、始めるとしますか。

 ――――楽しい楽しい、音楽の時間を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 始まりは同時。

 最初は小さく、ゆったりと。

 せせらぎのようなヴァイオリンの旋律と、それに色付けをするピアノ。

 この曲は特にピアノの部分が多いから、伴奏と言うより二重奏に近い。

 まぁ、そちらの方が一緒に演奏してる感じがするから良いんだけど。

 

 っと、思ってる間にヴァイオリンの音がフッと消える。

 同時に鍵盤を連打して、上へ上へと音を持ち上げていく。

 主旋律を少し奏でてから、再度ヴァイオリンが音を復活させる。

 この辺りから、ピアノの音程が若干だが不規則になっていくから難しい。

 相も変わらず鍵盤を叩く回数が半端じゃない譜だが、蠍火と比べるとまだマシな分の余裕は持てる。

 

 だが今回は自分1人ではなく、バニングスの伴奏としてこの場に居る。

 それを忘れてはならない。

 曲は下降に移り、3回の跳躍の後に一度区切られる。

 

 今度は俺からのスタート。

 激しい連打が数瞬だけ続き、落ち着きと同時にヴァイオリンが合流。

 妙艶なヴァイオリンの音色と、それを落ち着かせるピアノの音色。

 そして2つの音色を盛り上げていき、曲調を元に戻す。

 毎回思うが、何故にこの部分だけは微妙に調子が変わるのだろうか?

 まぁ、それは置いとこう。

 此処から繰り返しの所まで、少しばかり複雑な音程や調子。

 気を抜いていられない。

 さぁて、もっと気合入れますか。

 

 

 

 

 

 2回目の繰り返しを終え、3回目の頭に入る。

 その中でバニングスのヴァイオリンを聴いていて、何がしかの変化に気付いた。

 彼女の弾く音は、楽譜に存在する音をしっかりと掴みながらも、それだけじゃない。

 彼女自身の内面的な部分、象徴たる『高貴さ』が含まれている。

 

 ――――誰にも屈する事の無い、高潔で尊い意志。

 

 それは間違いなく個性であり、他の奏者では真似する事など出来ないもの。

 バニングスだけが出せる、唯一の音色。

 それは決して無くしてはならない大切な個性、故にそれを活かす演奏でなければならない。

 俺も楽譜通りの演奏をしている場合ではない。

 彼女の個性に合わせた最適な調子、発する音を変えていくのだ。

 

 音を変えると言っても、楽譜の音階を変えるつもりは無い。

 弦を叩く鍵盤の調子を変えてやればいい。

 手首に力は入れず、しかし奏でる音には力を込めて……。

 彼女の演奏と自分の演奏を、合わせていく。

 繰り返す毎に音程や調子が変わるこの曲は、既にクライマックスへ向かっている。

 

 ヴァイオリンとピアノ、共に抑え目な音で下降していく。

 徐々に落ちていく音量だが、それは最後に盛り上げる為の布石。

 抑えて、抑えて、力を溜めていく。

 

 ――瞬間、弾かれたようにヴァイオリンが音を発した。

 その一音だけで背筋がゾクッとするような、強烈なインパクトを放つ。

 俺の全身を総毛立たせる衝撃、しかしこの手は止まらない。

 既にラスト、もう数十秒で終わる中で、最後のスパートを掛けていく。

 気を抜けば置いていかれる程の力強さ、本当にヴァイオリン1つで可能なのかと思わせる音色。

 負けじと追い縋る俺は、テンションが最高潮にまで上り詰めている。

 

 こんな演奏を間近で聴かされて、心動かされないのは嘘だ。

 誰もが聴き惚れてしまう音がすぐ傍にあって、俺のピアノと共に奏でられる。

 これ程の嬉しい事は、そうは無いだろう。

 

 そして、最後の3つ。

 俺とバニングスの力を合わせて、今日の演奏の最大の見せ場とする。

 

 ――――1音

 丁寧さは要らない。

 

 ――――2音

 技術ではなく、想いを楽器に込める。

 

 ――――3音

 そして、これが俺達の全てだ!!

 

 

 

 

 

 演奏の終わったホールは、異常な静けさに満ちていた。

 あれ程の演奏をしたのだから、その感覚も一入だろう。

 そんな中で、俺は達成感に包まれていた。

 こんな場は初めてだが、ミスも無く何とか出来た。

 いや、それ以上に良かったと思える。

 誰かと共に演奏が出来ると言う事が、これ程楽しいものだとは思いもしなかった。

 本当に……良かった。

 

『……』

 

 ステージに目を向けてみると、審査員の方々も似たような状況に陥っている。

 バニングスの演奏に、何か心に来るものがあったのだろう。

 一緒に演奏した俺だって感じたのだから、それを熱心に聴いていた人達が感じない筈は無い。

 バニングスが奏でる、彼女の持つ旋律を……。

 

「お疲れ様でした。隣の待機室にてお待ちになって下さい」

「はい」

 

 ヴァイオリンを肩から下ろして、姿勢を正すバニングス。

 俺も椅子から立ち上がり、彼女と同じようにステージへと目を向ける。

 そして、一礼。

 これにて、バニングスの演奏は終了した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 厳格なるステージから降り、さっきまでとは反対側にある控え室へと移る。

 演奏者と未演奏者を別々の場所で待機させるのは、主催側の配慮らしい。

 その中へバニングスは入っていく……と思ったら、ドアノブに手を掛ける直前で踏み止まった。

 何事かと彼女を見ると、俺と同じように此方を見ている。

 その顔には、何かをやり切った達成感が見て取れた。

 

「アタシ、楽しかった」

 

 それだけ言って、バニングスは部屋へ入っていった。

 しかし、何ともまぁ……。

 

「眩しいな……」

 

 間近で見る、アイツの笑顔は最高に眩しかった。

 さて、それじゃ次も頑張らないとな。

 だがしかし――――

 

「此処からあっちに戻るのも面倒だな」

 

 そう呟いて、反対側の控え室まで進んでいった。

 いや、別に構わないんだけどさ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 控え室を出た月村を見て、傍まで歩み寄る。

 桃色のコンサートドレスが、彼女の髪色と合わさり良く映える。

 ヴァイオリンを持って、既に準備は充分らしい。

 そんな彼女は接近する俺を見付けると、空いた手で手を振ってきた。

 

「おっす、待ったか?」

「ううん、今出たばかりだから」

「そうか」

 

 何だ、この会話。

 まるで……

 

「デートの時の待ち合わせみたいだね」

「……言うな」

 

 同じように考えてしまった自分が恨めしい。

 

「さぁ、さっさと行くぞ」

「あっ、うん」

 

 月村のデート発言が耳に残る今、正直まともに彼女を見られない。

 だから彼女の前を進む、顔を見られないように。

 なのに何故か、月村は俺の隣を歩いている。

 此処で早歩きなんてしようものなら、絶対笑われるに決まっているからやらないが……。

 

「月村」

「何?」

 

 それでもやっぱり、バニングスと同じように伝えたい言葉があった。

 俺が此処に来た目的、そして願い……。

 

「全力で――音楽を楽しもうぜ」

「うん」

 

 それを、美しい笑みで答えてくれた。

 ――だが

 

「そのタキシード、似合ってるよ」

「……うっせぇ」

 

 それが無ければ、俺的にもっと良かったんだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先程と同様に、伴奏者としての定位置へ着く。

 視線を向ければ、淀み無く月村は弾く体勢を作り終えていた。

 それが始まりの合図。

 それから一拍置いて、俺は鍵盤に指を置いた。

 ――――さぁ、始めようか。

 

 

 

 

 

 俺が奏でる音は変わらない。

 バニングスの時と同じく、やる事も変わらない。

 月村の演奏を支えるという、それ一点だけだ。

 

 流麗な音色が弦と弓によって放たれる。

 バニングスとはまた違った、特色のある音色。

 バニングスが『高貴』な色であるのに対し、彼女は『清廉』。

 何者にも穢されぬ、清く正しい心。

 優しさを込めたそれを、弦に乗せて音として運んでいく。

 彼女の人となりを表す、美しく響く音色。

 

 きっと、審査員の人達もこの音に魅了されている。

 清流のような滑らかな旋律に誰もが心奪われてしまうのは、最早必然と言ってもいいだろう。

 俺の素人耳でさえ、これは至高の音色だと感覚が理解していた。

 何より、そこに至るまでの道が、容易では無い事を物語っている。

 そしてその軌跡を通り抜けたのが、ステージの中央で毅然と演奏を繰り広げる少女。

 それが、月村すずかなのだ。

 アリサ・バニングスとはまた違った、彼女ならではの一つの到達点。

 

 きっと俺では届かない。

 それでも、彼女に少しでも近づける事が出来るなら――

 俺は――

 

「――っ」

 

 ――多少の無茶は、やってみせる。

 彼女の持つ音色に合わせるように、鍵盤のタッチを変える。

 バニングスの時のような『力強さ』ではなく、正反対に位置する『しなやかさ』。

 彼女が響かせる音を穢さない、柔らかな旋律を奏でる。

 

 鍵盤を優しく弾く。

 聞こえによってはバニングスの時より楽と思われるかもしれないが、とんでもない。

 単に弱く弾けば良い訳じゃない。

 その感触がハンマーに伝わり過ぎれば、弦を叩く感触を鈍らせる。

 結果的に音が遅れたり、弱々しく印象の薄い音になってしまう。

 そんなものは音を穢す以前に、演奏の邪魔でしかない。

 

 故に鍵盤を弾く指には、細心の注意を払う必要がある。

 集中力は今までと比にならない位に使っている。

 十指それぞれに向けられる神経は、思考回路がと共に焼き切れそうな程だ。

 

 いや、出来ない道理は無い筈だ。

 集中しろ、集中しろ、集中しろ……。

 使用する度に焼き切れるような感覚。

 脳髄が熱にうなされて、意識が目の前から遠くへと移り変わっていく。

 手元にある筈の鍵盤が、徐々に離れていってしまう。

 頭も段々重くなってきた。

 このままじゃ、きっと俺はぶっ倒れてしまう。

 だが、その刹那……

 

「――――」

 

 脳内に涼風が駆け抜けた。

 全身の血液が、淀みの無い清流に変化したような感覚。

 さっきまでの雑念は消えて、思考がハッキリとしてくる。

 これは、まさか――

 

「――――――――」

 

 ――例の覚醒現象。

 どうして今になってそれが起こったのかは分からない。

 だが、そんな事はどうでもいい。

 今は唯、この演奏を完璧にこなすだけだ。

 指が正確に旋律を奏でる、脳内に楽譜の音符が一つ一つ刻まれていく。

 次に何処を、その次は何処か、頭が指が勝手に反応していた。

 

 それでいて、月村の放つ音色が耳朶を打つ。

 耳でそれを感じ取り、俺は更に鍵盤を弾いていく。

 まるで、月村の演奏と一体化したような錯覚。

 彼女のヴァイオリンと、俺のピアノが――

 

「――――」

 

 ――正しく一つになっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全てが……終わった。

 全身は疲労感に塗れて、進む足並みも緩慢としている。

 頭の方は休んだ分、それ程苦にはなっていない。

 だがそんな体とは裏腹に、心はとても達成感に満ち満ちていた。

 それはやっぱり……

 

「終わったわね~」

「うん、そうだね」

 

 両隣に居る2人の少女のお陰だろう。

 制服に着替えたバニングスも月村も、翳りの一切無い純粋な笑みを浮かべていた。

 俺と同じ、やり切った達成感に満ち溢れている。

 それだけで、此処まで苦労をしてきた甲斐があるってものだ。

 

 ――そうだ、俺は笑顔それが見たかったんだ。

 生きている今を、悔いの残らないように……。

 何不自由無く生きている事に慣れて、一瞬一瞬を蔑ろにしてしまわないように……。

 心優しい幽霊が教えてくれた、大切な想い。

 忘れてしまわない為に、俺は出来る限りの事をする。

 2人の許に来たのも、その為の一歩だ。

 結果も本人達の満足のいくものだったしな。

 それにしても……

 

「お前等、何で徒歩なんだ?」

 

 先程からさも当然のように隣を歩くバニングスと月村。

 だがしかし、コイツ等が此処に居るのはおかしい。

 元々、ノエルさんによって送迎されてた2人だ。

 俺も家の近くまで送ると提案されたのだが、丁重にお断りを入れた。

 行きだけでも充分だと言うのに、それ以上を望むなんてお門違いだ。

 だから徒歩帰りなのだが……

 

「べっ、別にいいじゃないっ!!」

 

 何故か理不尽な怒りをぶつけられた。

 まぁそれは純粋な怒りではなく、親しみの篭もったものである事は明白。

 紅潮した彼女の顔が、それを物語っていた。

 そして月村は、そんなバニングスの様子に上品で控えめな笑みを漏らす。

 彼女と顔を見合すと、俺もそれに釣られて忍び笑い。

 

「って、アンタ達何笑ってんのよ!!」

「ううん、何でも無いよ」

「あぁ、あまり気にすんな」

 

 そう言いながらバニングスを諌めると、やはりと言うか更に顔を赤らめる。

 本当、コイツは面白いな。

 何となく本心を隠してるのは分かるが、そんな反応してればバレバレだろう。

 ――――俺みたいなヤツでも、コイツの期待には応えられたみたいだ。

 

 フン、とそっぽを向いて先を行くバニングス。

 ……でも少しすると、やはり隣の位置に着いている。

 何だかんだで近くに居てくれるコイツを、愛おしく感じてしまう。

 絶対に、口にはしないけどな……。

 

 ――と、反対側からチョンチョンと肩を突付かれた。

 そちらに振り向くと、月村が何か微妙な表情で俺を見ている。

 

「聖君、さっきからアリサちゃんばっかり見てるよ」

「そっ、そんなつもりは無いんだが……」

「もうちょっと、私を見てくれても良いんじゃないかな?」

「うっ……」

 

 何故だか無性に恥ずかしく感じるのは、気のせいだろうか?

 ほんのりと赤く染まった彼女の表情に、一瞬ドキッとさせられた。

 普段は一歩引いた辺りで皆を見守っている立場に居る月村。

 それが今、いつも以上に接近しているのだから驚きを隠せない。

 正直、真正面から彼女の視線を受け止めるのはキツい。

 どうしたってんだよ、月村のヤツ……。

 

「って、今度は2人っきりの空間作ってるのよ!?」

「痛っ、いででででででっ!!」

 

 あまりにも絶妙な不意打ち。

 視界外のバニングスに耳を引っ張られ、更に口許に引き寄せて大声で怒鳴りやがった。

 耳を突き抜ける激痛と耳鳴り、……キツいぞこれ。

 そちらへと向くと、今度はむくれた顔をしている少女。

 偶に見る、バニングスの『怒ってます』状態だ。

 ったく、何だってんだよこの状況。

 片方に意識を向ければもう片方がアクションを取って、またその逆も然り。

 下手すると別れるまで無限ループか、これ?

 ……ちょっと嫌だなぁ。

 

「何だよ、空間って」

「フンだ、そんなの自分で考えなさいよ」

「分からないから訊いてるんだけどな……」

 

 プンプンした様子でそっぽを向いて、バニングスは吐き捨てるように呟く。

 毎度のように解答者を置いてけぼりにする出題者。

 口に出すんなら、せめて分かるようにしてくれ。

 

「アリサちゃん、言わなきゃ伝わらないよ。もっと構って欲しいって」

「なっ、何言ってんのよすずか!?」

「少しは正直にならないと、聖君に嫌われちゃうよ?」

「別にアタシは……瑞代の事なんか………」

 

 おいおい、俺を置いて話を進めるな。

 バニングスなんかボソボソ喋ってて、もう何言ってるか分からん。

 全く、コイツ等と居ると休まる時が無い。

 まぁそれも、悪い気はしないけどな……。

 

 ――――――あっ

 

「そういえば……」

「「?」」

 

 不意に漏れた呟きに反応した2人に目もくれず、俺はポケットの中の感触を取り出した。

 それは掌サイズの二つ折りの黒い財布。

 開いて中を確認すると……

 

「あった……」

 

 手には2枚の紙切れ、またの名をチケット。

 昨日、師父から貰った『海鳴シアター無料券』だ。

 財布に入れっ放しだった為、妙なアーチを描いているが気にしない。

 何となく思い出して取ったそれへと、両隣からの視線が突き刺さる。

 

「「海鳴シアター、1日無料券?」」

 

 どうやら、興味津々と言った様子だ。

 …………あぁ、そうだ。

 

「欲しいなら、貰ってくれ」

「「えっ?」」

 

 と、俺の提案に目を丸くする2人。

 何をそんなに驚くのか分からないが、完全に虚を突かれた顔をしている。

 

「い、いいの?」

「師父から貰ったんだけど、2枚だろ? 1人で2回も見に行ってもつまんないし、かといって捨てる訳にはいかない」

「でも……」

「どんな物も使われてこそ意味がある。使われないのは、その物に対して申し訳無いからさ」

 

 きっと2人なら、暇な時があればすぐにでも行きそうではある。

 本当なら5人揃って行って欲しい所だが、今回は仕方ない。

 コンクールの労いの意味と言う事で我慢して貰おう。

 

「聖君、誰かと行かないの?」

「言ってくれるな。そもそも相手が居ない」

「「……」」

 

 言ってて切なくなるが、まぁそれは仕方がない。

 気軽に誘える相手なんて瀬田だが、アイツは部活で忙しいだろう。

 高杉、遠藤、金月は論外。

 そもそも映画館という密室の中、上記の3人が黙っていられる筈が無い。

 高杉なんて館内に何か仕掛けそうで怖い。

 それ以前に、男と2人っきりで行くのはどうかと思う。

 

「今日のコンクール、お疲れ様という意味で」

 

 ゆっくりと2人へ差し出す。

 英国紳士の如く、まるで貴婦人にダンスを申し込むかのように……なんて様にならない事はしない。

 別に俺を誘ってくれ、なんて馬鹿な事を言うつもりは無い。

 万が一にもあったら良いなぁ、なんて思ったりもしなくもないが……。

 だがそれは万が一、もしくは億が一、はたまた兆が一の確率の上で成り立つ希望。

 正直そんなものに縋っていては、破綻した時に自分が腐るだけだ。

 だからその想いは、胸の奥に仕舞っておく。

 

「折角だしさ、貰ってやってくれ」

 

 俺の手に握られたものを見詰めるバニングスと月村。

 未だ、どう受け取るべきか判断に困っている様子だ。

 まぁ取ってくれないと、俺はいつまでもこの状態なのだが……。

 

 2人は、これを受け取ってくれるだろうか?

 その答えは、きっと――――無限の可能性の中に

 

 

 

 

 

 

 




どうも、おはこんばんちはです( ・ω・)ノシ
№ⅩⅩⅡをお読み下さり、ありがとうございます。
今回も聖は色々な人達に助けられながら、2人の少女を無事に舞台へ立たせる事が出来ました。
未だ1人で何でも出来る人間にはなれませんが、少しずつでも聖は前へ進んでおります。

そして遂に、遂に、日常編共通ストーリーが終わりました!ヽ(´▽`)ノ
次からはタグにある通り、ヒロイン別のルートへと入ります。
まず、この№ⅩⅩⅡからは3つに分岐します。
アリサ編となるAルート、すずか編となるSルート、そして…………。
順番としてはAルート→Sルート→そして……的な感じでいきます。

今回は以上となります。
感想や意見、タグ関連やその他諸々は遠慮無くドシドシ書き込んで下さい。
直接メッセージでも、作者的にウェルカムです。
では、失礼します( ・ω・)ノシ


お気に入り数100突破、ありがとうございます!m(_ _)m
総UAももう少しで8000に達しそうな所で、読者の方々には頭が上がりません。
これからも続けていけるよう頑張りますので、生温かい目で見守って下さい。
あ、少しでも感想も出来れば欲しいなぁ……なんて(。・ω・。)
宜しくお願いします!m(_ _;)m
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