少年の誓い~魔法少女リリカルなのはO's~   作:さっき~

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――昔、ある本を読んだ事がある。
――とある街に住んでいた女性と、心優しい吸血鬼の物語。
――夜の間しか姿を現せない吸血鬼に、ひょんな事から出会ってしまった女性。
――ミステリアスだが何処か間の抜けている吸血鬼、明朗快活で姉御気質な女性。
――そんな凸凹な2人の恋愛物語。

――だが所詮は異種同士、本当の意味で結ばれる事は無かった。
――隠していた正体がバレた吸血鬼には、味方なんて居なかったのだから。
――町の住人に取り押さえられ、女性にも見放された。
――簡単にそれを振り払う事は出来たであろう吸血鬼は、しかし敢えてそうする事は無かった。
――人の血を吸う事しか知らなかった彼が、女性と過ごす内に様々な事を知ったから。
――彼には裏切られた絶望感よりも、ありがとうの感謝の気持ちで一杯だった。
――色んな事を教えてくれて、たったの一度でも好きだと言ってくれてありがとう。
――もし叶うならば…………人でありたかった。
――心臓に杭を打たれる直前、彼は笑顔でそう言った。

――この本を読み終わって、子供心に思った事があった。
――何で、自分と違うだけで嫌われるんだろうと。
――まだ世界と言うものをきちんと知らなかった、無垢な子供の戯言。
――でも師父は、その言葉を笑ったりしなかった。
――忘れちゃいけない、俺の心にそう刻み付けて。

――大人になれば嫌でも分かる、自分と異なる者への畏怖。
――この世界は、いつだって違うというだけで全てが拒絶される。
――だったら、その世界に生きる今の俺は、やはり同じなんだろうか?

――心の何処かで、それは違うって言ってる気がする。
――それは綺麗事が言いたいんじゃなくて、自分の誓いに目を背けたくないから。
――理解したい、理解して欲しい、その想いが今の俺にはあるから。
――言葉が通じるなら、心があるなら、きっと何処かで繋がれる。
――そんなガキみたいな願いを、今になって実感し始めた。

――他人からすれば、それこそ綺麗事で一笑される誓い。
――でも心の底から溢れ出た願いや想いは、きっと間違いにはならない。
――だってそれが、本心というものだから。


――だから誓う。
――俺はすずかを理解して、すずかに理解して貰う。
――決めたのだから、一緒に笑うって……。







S№Ⅲ「異端の存在」

 

 

 

 

 

「起立、礼」

『さようなら』

「はいは~い、それじゃまたね~」

 

 時間は昼を回り、号令によって一日の学校生活に終わりを告げる。

 今日は土曜日、半日で授業が終わる日。

 三沢先生の片手を振って教室を出て行く姿が、子供みたいに清々しい。

 それがおかしかったのか、クラスの何人かは忍び笑いをしている。

 

 その中で俺は、唯一人……視線を机に落としていた。

 クラスの中で俺だけが、別の空間に居るみたいで……。

 最近にしては珍しい、曇天の空が今の俺をよく表していた。

 

 ――あれから数日、すずかが学校に来る事は無かった。

 電話を掛けても出なかった、メールを出しても返って来ない。

 月村家に行っても会えない、体調が優れないの一言で回れ右。

 その事実が、俺の心を少しずつ削いでくる。

 

 自分の行動に後悔は無い。

 だとしてもこんな状況じゃ、流石に精神的にキツい。

 木曜辺りから飯も喉を通りにくくなったり、睡眠時間も減ったり。

 身体的にも辛いのが、実際の所だ。

 一応、表には出さないようには気を付けてるんだが……。

 

「聖、大丈夫?」

「あ、あぁ……大丈夫だ」

 

 目の前のハラオウンにさえ、目に見えて心配される始末。

 きっと俺の答えなど全く信用されていないだろう。

 自分でも分かる、これが痩せ我慢でしか無い事を……。

 自分の想いの深さを、自分で見誤っていたようだ。

 こんなになってしまう程、俺はアイツを想っていた。

 

「でも顔色悪いよ。その……」

「分かってる、気味悪がらせて悪かった」

 

 あぁ、駄目だな俺は……。

 大切な友達に迷惑掛けて、嫌な気持ちにさせてしまう。

 すずかの事ばかり気に掛けて、今の自分の周りに全く気が付かない。

 そんな視野の狭い奴が、誰かを守りたい、救いたいなんて言っていい筈が無い。

 自分の行動や言動が他に影響する事を、忘れてはいけないのだ。

 

「そっ、そんなつもりはないよ。その、心配だから……」

 

 だから俺は、申し訳無さそうにするハラオウンに言葉を掛ける。

 俺は大丈夫だと、出来るだけ安心して貰えるように。

 

「大丈夫だよ。最近、色々とあってさ……」

 

 心配される事、それ自体を嫌っていた今までの自分。

 でもそれは違うのだと、最近は思うようになってきた。

 心配して貰う事ってのは、きっと、応援して貰ってる事と同じだから。

 まだ大丈夫? 頑張れる?

 すずかとバニングスに言った俺の『心配させろ』は、きっとそういう意味合いもあったのだ。

 

 ――――友達をもっと頼って、その上でもっと頑張れ。

 だったら俺は、その言葉を拒絶する必要は無いのだ。

 

「いつまで掛かるか分からないけど、いつか必ず終わらせて見せる」

 

 互いの視線がぶつかり合う。

 でも逸らさない、俺の意志を見せる為に。

 放課後の喧騒など、今の俺達には全く耳に入らなかった。

 

「だから待っててくれ。そうすれば、いつもの俺に戻るからさ」

 

 軽く微笑むようにそう告げた。

 昔から誰かに笑い掛けるのは苦手なのだが、微々たる程度なら出来る気がする。

 そしてこう宣言したからには、もう後には引けない。

 すずかとの絆は、絶対に取り戻す。

 相対するハラオウンの真剣な顔を見据えて、自身の気持ちを引き締める。

 

「ん?」

 

 決意を新たに気を引き締めていると、ポケットから突然の振動。

 それは間違いなく、携帯の着信を意味していた。

 こんな真昼間に一体誰からだろうか?

 ハラオウンに悪いと一言告げてから、ソレを手に取る。

 着信相手は、どうやら知らない所かららしいが、こんな時に何処の誰だ?

 迷惑メールだったらぶっ飛ばすぞ、取り敢えず高杉を……。

 と、意味の分からない事を考えながら携帯を開いた。

 

 新着メール欄を確認して、今届いたヤツを開く。

 そこには――――『やっほ~、忍ちゃんで~す』のタイトルが。

 

「って、月村さん!?」

「どっ、どうしたの聖!?」

「あ……いや、何でもない」

 

 あまりに意外な人からのメールに、半ば脊髄反射的な驚き方をしてしまった。

 ハラオウンも釣られて驚いてるが、幾ら何でもそれは釣られ過ぎではなかろうか?

 張本人が冷静になれる位だ、この少女にはそういった天性の才があるに違いない。

 ……んな事は今は関係無くて、今はこのメールだ。

 一体どうして俺に、つーかどうやって俺のアドレスを?

 まぁいい、取り敢えず本文を確認しないと。

 

『すずかの事について話がしたいんだけど、今日暇あるかな?』

 

 それだけ、たったそれだけの一文。

 捻りも遠回しな表現も何も無い、非常にストレートで分かり易い内容。

 でも、その文字列だけで充分だった。

 この心を、この足を動かすに足るものだ。

 気付けば俺は、机に手を付けたまま立ち上がっていた。

 

「重ねて悪いが用事が出来た」

「えっ?」

「そんな訳だから、行く」

 

 何が『そんな訳』だ、と内心突っ込みを入れたくなるが無視。

 突然の起立に目を丸くするハラオウンに構う事せず、俺はそそくさと帰り支度を始める。

 面倒なので机の中の物全て鞄にぶち込み、目の前の少女に「そんじゃまたな」とだけ告げて帰路へつく。

 その刹那――

 

「頑張ってね」

 

 軽く手を上げて答えて教室を出る。

 と、そこでも1人の少女に――

 

「すずかの事、頼んだわよ」

「――っ!?」

 

 瞬間、胸がドキッと高鳴る。

 その言葉に振り返らなかった自分を偉いと思った。

 堪らず廊下を走り出し、廊下を駆ける。

 そのまま一気に―――――という所で、唐突に肩を押さえられた。

 あまりに突然の出来事だった為、体が倒れそうになるが踏ん張って耐える。

 ったく、何だこの忙しい時に、今は1秒だって惜しいんだぞ!!

 スタートダッシュを阻まれた所為か、非常に憤慨したような気分でその対象に目を向ける。

 そこに居たのは……

 

「そんなに急いでどうしたんだ、瑞代」

「瀬田……」

 

 我がクラスの委員長にして、天才眼鏡少年の瀬田藤次。

 眼鏡の奥の双眸が俺を射抜いていた。

 

「悪い瀬田、急用ですぐにでも行かないと」

「ちょっと待ったぁ!!」

「おうよおうよ、急がば回れだぜぃ瑞代!!」

 

 さっさとこの場を抜け出して月村さんの所に行かないと、というのに更に此処で遠藤と金月が両サイドから登場。

 何だってこのタイミングで出てくるんだ、だから俺は今急いでいるんだって!!

 ついでに金月、この状況にその言葉はチョイス的に完全な間違いだぞ。

 

「だから馬鹿コンビ、今はお前等に構ってる暇は無いんだっての!!」

 

 月村さんからのメール、『すずかの事について』という文面を見た時から、俺はもう居ても立ってもいられない状態だ。

 出来る事なら今すぐに飛んでいきたい位、この想いは逸っている。

 だがその俺に、瀬田は人差し指をピッと真っ直ぐに向けてきた。

 その瞬間、全身を駆け巡っていた気持ちがシンと鎮まり返る。

 

「瑞代、別にお前を止めるつもりは無い。唯、ちょっとばかりな」

「ちょっとばかりって……」

 

 その瀬田の言葉を理解出来ず、呆然としてしまう。

 一体コイツは何が言いたいのだろうか。

 だが次に口を開いたのは瀬田ではなく、俺の左右に立つ2人だった。

 

「瑞代は昔っからさ、こうと決めたらテコでも動かないヤツだってのは、俺達がよく知ってる」

「いや寧ろ、邪魔するテコはぶっ壊すのが瑞代だもんな。どんなにキツい壁が目の前にあっても、全然気にもしないでさ」

 

 とても気軽に、まるでいつもしている日常会話のような声は、しかし俺へ真っ直ぐに向けられている。

 そして何よりも、その言葉はとても親しみ深く、途方も無く俺への信頼に溢れていた。

 

「今のお前を見れば分かる。突っ走りに行くんだろ、自分の大切なものの為に」

「あぁ」

 

 フッと微笑む瀬田もまた、遠藤や金月と同じだ。

 コイツは、いやコイツ等は、俺のこれからを何となくだが理解している。

 だからこれから告げられる言葉は、きっと――――

 

「なら存分に無茶してこい。そしてキッチリ片を付けて、ちゃんと戻ってこいよ」

 

 それだけ言うと、瀬田は握り拳でトンと俺の胸を叩いた。

 そして遠藤と金月は、2人して親指を立てて此方へサムズアップ。

 俺を見る2人の顔は、外の曇天とは似ても似付かない程、笑顔に満たされている。

 あぁ、やっぱりそうか。

 

「分かった。それじゃ、行ってくるな」

 

 ――――それは、俺の背を叩く友人達のエールだった。

 何故だろうか、たった数言話しただけなのに、とても力強い風を感じる。

 掛け値無しの信頼感に心は軽く、体の内側から力が湧いてきた。

 それだけで充分、きっと今なら何処までも駆けていける。

 

 俺の返事に頷いた3人を一瞥し、再びこの体は動き始めた。

 障害となる生徒を減速せずに回避し、階段を一気に飛び降りる。

 着地の衝撃に怯む事無く、そのまま昇降口まで一直線。

 上履きを鞄に仕舞って、靴に履き替えてまたも走り出す。

 

 そして校門の所には、ニヒルな笑みを浮かべた1人の学生。

 ソイツは俺の姿を確認すると、片手を挙げて待ち構える。

 

「……」

 

 互いの視線が交錯するが、言葉は無い。

 唯、その横を通り過ぎる瞬間、俺もまた手を挙げて――――力強く打ち合った。

 

「フッ……」

 

 パァンと乾いた音が響く。

 たったそれだけが、俺達の交わした(ことば)

 だが、それだけでアイツの言いたい事は充分に伝わった。

 脚に込められる力は更に増し、一気にトップスピードまで駆け上った。

 

「ったく、良い友人だよ。お前等はさ!!」

 

 曇天の空の下、吐き出される言葉。

 そして空模様とは真逆に、俺の表情は晴れやかな笑みに変わっていた。

 他人からはどう見えるか知らないが、そんなものは知った事ではない。

 

 すずかの親友である彼女達が、俺に託したのだから。

 この事態の行く先を、俺の意志が向かう道を……。

 何年もの絆を持つ少女達が、出会ってから数ヶ月しか経っていない俺に……。

 

 昔からの友人達が、俺の背中を押してくれた。

 この先に何があるのか未だ分からない事ばかりで、不安が無いと言えば嘘になる。

 それでも俺を信じて、少ない言葉で送り出してくれた奴等が居た。

 

 色々な人達から受け取った信頼の証、それはきっと何よりも大切なもので。

 今の俺に出来るのは、それを背負って前に進むだけだ。

 

 頑張らないと、男が廃るってもんだろ!!

 

 腹の底から吐き出すように、心中で思いの丈をぶちまける。

 軽くなった体を行使して走る、奔る、疾る。

 制服のままじゃ色々と面倒だから、即行で家に帰って着替えて。

 昼飯を食ってる暇は無い、そのまま月村さんの所まで直行だな。

 

 ――さぁ、やる事と行き先は決まった。

 ――これより俺は、自分の道を真っ直ぐに進むのだ。

 ――曲がらない、捻れない、折れない、砕けない、こうと決めたら最後まで貫く。

 ――それが、自分にとっての(ただ)しさ。

 ――間違う事もあるだろうけど、立ち止まる事もあるだろうけど

 ――いつの日か思い返して、良かったと思える未来を作っていきたいから。

 ――子供みたいな幻想だと馬鹿にされようとも

 ――子供だから出来る無茶をしてみせる!!

 

 未だ晴れる様相を見せない空を見上げ、俺は駆け足で真っ直ぐ走っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月村さんから指定された場所である、とある喫茶店に着いた。

 そこ居たのは、長く映える紫髪を吹き付ける風に靡かせて佇む美女。

 美術展に飾られるであろう絵画を思わせるその姿は、この当たり前の風景と比べて酷く浮いていた。

 だが俺は、そんな些細な事に気を傾けるつもりは無い。

 現在の時間は午後1時、依然として空模様は変わらず……。

 だが、確実に変わったであろうものは確かにあった。

 

「はぁい、こんにちは~」

「あっ、はい……」

 

 優雅に紅茶を口にしながら気軽に挨拶された事による、俺の緊張感とかその他諸々。

 ――アンタ何で普通にお茶してるんですか?

 これからするであろう話の内容が内容だけに、一応覚悟はして来てるのだが全てが削ぎ落とされた気がする。

 しかも目の前の女性は、こっちの意図を理解した上でそれを行う。

 性質が悪いったらありゃしない。

 はぁ、と溜息を一つ吐いた俺は、此方の出鼻を見事に挫いてくれた人の向かいに腰を下ろす。

 

「久し振りね」

「えぇ、すずかの家に行った時以来ですね」

 

 もう1ヶ月以上前の事だが、その時の事は今でも鮮明に憶えている。

 まるで童話の世界を髣髴とさせる、現実離れしたお屋敷様。

 そこに住む人々…………そして猫、猫、猫、猫。

 学校では見えない、プライベートのすずかの姿。

 どれも印象的で、全てこの胸の奥に残っている。

 

「それで、話っていうのは……」

 

 でも今は、過去を思い返してる時じゃない。

 一番重要なのは過去ではなく、今なんだから。

 そう俺が話を促すと、相対する月村さんは整った顔を引き締めた。

 それを見て、今頃になって気付かされる。

 きっと先程までの彼女は、俺をリラックスさせる為にいつも通りの様子でいたのだろう。

 ……いやまぁ、実はそんな考え微塵も無かったという可能性も無きにしも非ずだが。

 

「そうだね、元々そのつもりで呼んだ訳だし」

「すずかについて、とメールにはありましたけど」

 

 それを見たからこそ、学校から此処まで休み無く走り続けたのだ。

 八方塞の今の状況、姉であるこの人なら何か切っ掛けをくれると信じて。

 そして目の前の女性は、一度紅茶を口にして……

 

「聖君は、『人外』ってモノをどう思う?」

 

 

 

 

「――――はっ?」

 

 トンデモ発言を口にしだした。

 人外? ジンガイ? 外人じゃなくて人外?

 急に何を言い出すんだ、この人は……。

 

「あの、それとすずかにどんな関け――」

「――いいから、答えて」

 

 だが月村さんは、一層の真剣味を帯びた顔で二の句を告げる。

 そこには、今の問いが暇潰しの質問の類でないと言外に訴えていた。

 本当ならすぐにでもすずかの話をしたいところだが、目の前の女性の瞳を否定する事もまた、出来なかった。

 だから心中で、先程の言葉を反芻する。

 人外とは……。

 

「人外。人の常識、倫理から外れた者。人在らざる者、異界の存在」

 

 自分が今まで読んできた本の中にあった、それらを示す言葉の意味。

 人から外れるから『人外』。

 名は体を表す、その言葉通りなら今の俺の発言が正解だろう。

 

「つまり、人間とは異なる異生物だって事?」

「常識的な考えなら、ですけど……」

 

 何故か訝しげな顔と棘のある声で俺の答えを促す言葉を、敢えて回りくどい言い回しで続けた。

 

「俺は別に、人外を異生物だなんて思った事はありません」

 

 常識的な考えや答え、それは自分の意志を剥奪した上での世界の意志。

 つまりそこには、自分の感情や倫理は存在しない。

 その言葉はきっと、月村さんが望む答えではないだろう。

 だからこれから話す言葉こそが、俺の意志で感情で倫理に基づいた結論だ。

 

「常識観念とか倫理なんてものは、一般人だって簡単に外れる事が出来ます。人外なんて言葉は結局、その人の考え方で人であったり、人でなかったりする」

 

 月村さんが言った、異生物という人在らざる者。

 俺が言った、人であり人を外れる者。

 考え方次第で、言葉の解釈の違いで、ソレを指す意味は大きく異なってくる。

 

「そして俺は、人外もまた人であると思っています」

 

 常識や倫理から外れる、その行為にはきっと意味がある。

 そこに至るには、きっと相応の意志がある。

 

 例え人と、出生や構造が違っていても……。

 そこに心が、想いが、意志があるのなら、それもまた『人』だろう。

 それは唯の綺麗事だろうけど、馬鹿みたいに胸の奥に大切に仕舞いこんでる。

 昔、小さかった自分が抱き続けた考えは今も変わらない。

 

「……」

 

 月村さんの表情は変わらない。

 寧ろ、より一層の深みを持たせたそれは、自然と威圧的なものに変わっていく。

 

 ――この人は今、俺の意見に対して怒りを覚えている?

 その意図は分からないが、きっと俺の甘言を無責任だと思っているに違いない。

 確かに聴くだけなら、ガキが都合良く言い放った綺麗事そのものだろう。

 

「自分の言ってる言葉が、マンガのような綺麗事だって分かってる?」

「分かってます。それでも……」

 

 ――その綺麗事は、きっと忘れてはいけない。

 だって綺麗事って言うのは、世界の常識や倫理、その全てを度外視した原初の心。

 無くしてはいけない、自分が自分で在り続ける大切な要素だ。

 

「俺はそれを曲げない。それが、俺が(ただ)しいと信じた答えだから」

 

 遠い遠い願いの先、1人の大きな背中がある。

 誰よりも尊敬するあの人が教えてくれた、宝物の一つがそれだった。

 

「……」

「……」

 

 互いに瞳を逸らさない。

 俺の言葉を聴き、目の前の女性が何を思ったのかは分からない。

 でも何を思われようと、今更撤回するつもりは無い。

 自分自身が本気で正しいって思えるのだから、これ以上の正義は無い。

 そして、月村さんは――

 

「分かった。それじゃあ本題に入りましょうか」

 

 溜息を一つ吐いて一転、180度旋回の如く表情を変えた。

 先程まで睨み合うような体勢だった為、そのギャップに思わず虚を突かれた気分である。

 つい数秒前まで纏っていた緊張感は一体何処へ置いてきたんですか……?

 百面相ここに極まり、ってヤツだろうか?

 

「きっと聖君も気付いてると思うけど……」

 

 女性の豹変に気を取られてる隙に、当の本人は何て事無く会話を続ける。

 切り替えの速さは、やはり女性特有のスキルというか、凄いな。

 そんな変な尊敬の念を抱きながら、漸く話を進められるという事に安堵し、また緊張する。

 これからの俺の行動を決定付ける為にも、この人の話は一字一句聴き逃す訳にはいかない。

 

「さっきの話は、決して無関係じゃないって事」

「人外が云々って事が……?」

 

 確かに、軽い会話をするには重い内容の話だった。

 だったら一体、その質問の意図は何なのか?

 俺の答えに、何を見出したというのか?

 

「そう。何故なら――――」

 

 まるで意を決するように、真っ直ぐな瞳で俺を射抜く姿。

 精巧に作られた人形のような整った顔立ちと、名刀を思わせる鋭利な視線は、クールビューティーと呼ぶに相応しい存在感を醸し出していて。

 思わず瞬きすら忘れてしまう程、目の前の女性に釘付けになってしまう。

 言葉を発する艶やかな唇の動きを、凝視せずにはいられない。

 すずかの時とは違う、月村さんの持つ妖艶さに引き寄せられて……

 

「――月村は、人間じゃないから」

 

 その言葉に、驚愕した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~Interlude side:Suzuka~

 

 

 ――もう、昼間なんだ。

 

 気怠い体を揺り起こして、窓の先を見遣る。

 灰色の雲が世界を覆い、光差さない廃墟のような光景が広がっていた。

 

 まるで、今の私みたい。

 そんな自虐的な皮肉も……

 

『――待ってるから、俺』

 

 過ぎった記憶(こえ)が、全てを吹き飛ばしてしまう。

 忘れたいのに、何処かで忘れちゃいけない気がして……。

 気付けば今日まで、何度も反芻しては掻き消すという行為を繰り返していた。

 

「はぁ……」

 

 時間が経てば少しは変わってくれると思っていた。

 でも変わったのは、私が望んだものじゃなくて……。

 

 ――聖君を信じたいという、叶ってはいけない願い。

 

 何度打ち消しても、その度に膨らんでいく想い。

 駄目だと何度言い聞かせても、決して止まってくれない。

 

「もう……」

 

 分からない。

 自分が、分からない。

 

「どうすれば、いいのか……」

 

 自分の心が、分からない。

 自分がどうするべきか、分からない。

 

「分からないよぉ……」

 

 どうして聖君は、私から離れようとしないの?

 どうして聖君は、あんな言葉を私に掛けるの?

 どうして聖君は、そんなに強くなれるの?

 どうして私は……

 

「こんなに、弱いの?」

 

 窓から流れてくる淀んだ風に靡く髪。

 体に纏わりつくそれが、今はとても鬱陶しい。

 自分の一挙手一投足、その全てにも嫌悪を感じてしまう。

 もう――――死んでしまいたくなる。

 

「駄目だよ。私、もう駄目」

 

 周りだけじゃない、自分自身すら分からないそれは、まさに恐怖そのもので。

 怖い、怖い、怖い……。

 背筋が震えて、知らず自分の体を力強く抱きしめる。

 今は夏なのに、酷く寒く感じる。

 ……気分が、悪い。

 

 ――――その時、脳裏にある人の姿が浮かんだ。

 

「助け、て……」

 

 このままじゃ駄目。

 でも、どうしていいのか分からない。

 だからあの人を、今の私に答えを教えてくれるかもしれない人を呼ぼう。

 小刻みに震える腕を伸ばして、その手で……

 私は、携帯を掴んだ。

 

 

~Interlude out~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――夜の一族。

 西ヨーロッパを発祥とする吸血鬼の別称。

 とある人の意見では、遺伝子障害の定着種らしい。

 異常な跳躍力、鋭敏な聴覚や視覚、並外れた再生回復能力を持つ、高性能な肉体を有しているのが最大の特徴。

 だが体内で生成される栄養価、特に鉄分のバランスが悪いらしく、それを補う為に完全栄養食となる血液を欲するようだ。

 

 ついでだが、月村さんが言うには子供も出来にくい体質だとの事。

 …………それを聴かせる意図が分からん。

 兎も角それが、月村の血族の正体だった。

 

「それが私達、月村家の真実」

 

 その言葉で、彼女は全てを言い終えた。

 

「――――」

 

 声が……出なかった。

 聴かされた話の内容は、完全に自分の常識を逸脱していた。

 吸血鬼、その存在は確かに知っているし、聞き覚えは幾らでもある。

 だがそれは『本』という媒体を介したフィクションだった。

 本物が居るなんて、テレビのドキュメント番組の特集で流れていた位だ。

 それだって本物が居たという痕跡を辿るだけで、結局はあやふやなまま終わってしまう。

 

 誰も知らなかった、この世界の真実。

 その中の一つが俺の目の前で、優雅に紅茶を飲んでいる。

 信じろ? 普通なら無理な話だ。

 荒唐無稽、証拠なんて何一つ無い夢想話でしかない。

 

 ――だと言うのに俺は、それを完全に否定出来ずにいた。

 だって俺の記憶に、それに関連しそうなものがあったから。

 

「その……夜の一族は、瞳が紅くなるって事、あるんですか?」

「見たのね、すずかの瞳を」

 

 緊張で喉が絞まって声が出ない。

 頷いて答える俺を見て、月村さんはハァと溜息を吐いて下を向いた。

 数瞬の後、彼女が顔を上げると――

 

「っ!?」

 

 ――そこには、真紅に光る双眸。

 鮮やかに輝くソレは、ルビーのような異彩を放っている。

 そしてそれは俺の記憶にあったモノと全く同じ、すずかが見せた瞳と同質だった。

 その変化は、人ならば有り得ないものだ。

 

 だが、気になったのはそれだけじゃない。

 あの時、俺が気絶してしまった後……誰がアイツ等を、あの場から退けたんだ?

 俺が目を覚ました時、傍にはすずかしか居なかった。

 つまり、そう言う事なのだろう。

 並外れた身体能力を発揮すれば、数だけの奴等なんて脅威足りえない。

 

 俺が疑問に思いつつも、心の奥に秘めて見逃していた謎。

 それが今、自身の内で氷解していく。

 その事実は同時に、月村さんの話が真実である事を如何無く示していた。

 すずかが、月村家が吸血鬼の一族だと言う事が……。

 

「もう分かるでしょう? 貴方の目の前に居る人間は、人間の皮を被った化け物だって」

 

 先程の質問、そして気付かぬ内に押し留めていた疑問。

 統合すれば結論は一つしかないと、俺の思考が冷静に判断する。

 何よりも、月村さんの自虐のように吐き捨てた言葉で……

 不必要な否定や、現実逃避は無意味だと否が応にも理解出来た。

 

「……」

 

 完璧に納得出来た訳じゃない。

 それでも、視線の先に居る女性の双眸は真っ赤に染まっていて尚、俺から目を逸らしたりしない。

 その視線が、その姿勢が、虚構を語る人のものだと誰が言えるだろう。

 夜の一族、吸血鬼の別称、遺伝子障害、高性能な肉体……。

 確かに、普通なら信じられる話じゃないだろう。

 けど、この人はその話をする為に俺を呼んだのだ。

 だったらそれは、俺が知る必要のある話であり、そして……

 

「……言わないで、下さい」

 

 俺の意志がその場凌ぎの嘘ではないと、伝えなければならない。

 俺の言葉が、その意志を示さないといけない。

 

「化け物なんて、言わないで下さい」

 

 さっきの月村さんの、あの顔を覚えている。

 今までにどのような思いで過ごしてきたのか、俺には分からない。

 でもあんな顔を見て、それを放っておくなんて出来ない。

 そんな事、何があってもしたくない。

 

「俺はすずかの事も、貴女の事も、絶対に化け物だなんて言わせない……!!」

 

 ――化け物なんて言葉、誰が認めるものか。

 例え本人がそれを享受しようとも、俺だけは絶対にそれを否定し続ける。

 自分勝手な綺麗事かもしれないけれど、間違いなく自分で決めた事だから。

 だってこの人は、すずかは、月村の人達は……。

 膝の上の握り拳は、その想いの強さを否応無く表していた。

 

「月村さんはすずかのお姉さんで、すずかは俺の大切な――」

「――はいストッープ」

「…………えっ?」

 

 突然、目の前に出された人差し指。

 細くて長いそれは、ピンと暗い天を差している。

 俺の視線はそれだけに釘付けになり、全神経が視覚に集中する。

 

「……」

 

 その奥には、綺麗な笑みを湛えた美女が1人。

 あまりに晴れやかな笑顔は、真っ直ぐに見詰めるには少し……。

 

「……っ!?」

「あれ? どうしたのかなぁ?」

 

 子供が悪戯する時のような、無邪気な笑みがそこにある。

 一つ一つの何気無い仕種が、見ている者の胸を打つ。

 そして何より、目の前の人は相手をおちょくるのが大好きな人なのだ。

 横に視線をずらすが、熱くなった頬は一向に冷めてくれない。

 ……何だろう、『完敗』という文字が頭に浮かんだ。

 

「それで、さっき聖君が言おうとしてた言葉なんだけど……」

 

 弾んだような声色に、視線だけそちらへと向ける。

 目の前には、見るまでもなく素晴らしい笑顔な月村さん。

 表情が勝ち誇ったように見えるのは気のせいだとして、一体何だろうか?

 と、今度はその指を横へ向けて……

 

「それは、すずか本人に聴かせてあげて」

 

 ねっ、とウィンクして笑みを深める。

 彼女の指差した方向に目を向ければ、そこには一台の黒塗りの高級車。

 そして傍らに佇む、麗しき従者であるノエルさん。

 主である女性とはまた違う微笑みで、俺を見詰めていた。

 

「そんな訳で、行きましょっか♪」

 

 妙なハイテンションで席を立ち上がる月村さんを見て思う。

 ――何がそんな訳なんですか?

 余計なツッコミなので敢えて口には出さないが、最早この人のノリには驚かされてばかりだ。

 

「ハ、ハハッ……」

 

 だけど、あれだけの話をした後なのに、何故か胸が軽くなった気がした。

 知らずに頬が緩んで、気付けば心の奥から笑っていたんだから。

 マイペースで気さくで、かなり悪戯好きな女性。

 しかし心の奥では、いつも見えない何かと闘っている。

 でも、今は……。

 傍らの伝票を掬い取り颯爽と会計に向かう後姿は、どこか嬉しそうだった。

 きっと彼女の持つ心の強さが、どんな辛さも跳ね除けているんだろう。

 ……本当、強い人だよ。

 

「それじゃ、レッツゴー!」

 

 だからそれに着いて行く事にした。

 彼女が誘う先が何処へ向かっているのか、そして何が待っているのか。

 それは分からないけど、きっと必ずアイツに続いている筈だ。

 アイツの、すずかの許に行く為に……。

 

 俺は前に進むと――――心に誓う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~Interlude side:Suzuka~

 

 

 昼頃より更に曇りを増した空は、今にも雨を落としそうな程。

 そんな空の下、家門の傍に私達は立っていた。

 

「そうか、そんな事が……」

 

 全てを話し終えた私に、そんな声が掛けられる。

 その表情は少し険しくて、見るだけで思い悩んでいる事が分かった。

 目の前の男性、高町恭也さん。

 さっき携帯で私が呼んだ人で、私の知りたい答えを持ってるであろう人。

 

「それで、すずかちゃんは……」

「分からないんです。どうすればいいのか、全く分からないんです」

 

 自分の心の不安を、喉の奥から吐き出す。

 ――自分自身が分からない。

 それは、今の存在そのものに対する疑問。

 

「聖君がどうして私にあんな言葉を掛けるのか、私がどうしてこんなに迷うのか全然分からない」

 

 ――――待ってるから。

 その言葉を思い出す度に、胸が苦しくなる。

 拒絶しようとする自分の意志と、受け入れたいという願いが対立して、もう何が何だか分からない。

 自分ではもう、どうにも出来ない。

 助けて欲しかった、私を理解出来る人に……。

 だから、お姉ちゃんを理解出来るこの人なら、私を助けてくれると思ったから。

 

「どうすれば、私は……」

 

 きっと恭也さんなら、答えを知っている筈だから。

 

「どうすればいいんですか?」

 

 それは、自分の心に何度も向けた自問自答。

 分からなくて、その度に考えて、その度に心を傷付けていく。

 自分を押し潰そうとする不安に、足許が覚束無くなる。

 怖くて堪らなくて、目の前の大きな体に寄り添ってしまう。

 安心出来る温もりが欲しくて、縋るように……。

 でもやっぱり、胸を巣食う不安は消えてくれない。

 

「俺にはすずかちゃんの気持ちとか、彼の考えを、本当の意味で理解する事は出来ない」

 

 不意に――

 大きくない、しかしきちんと耳に届く声で、恭也さんが口を開いた。

 

「でも、その不安に押し潰されそうなのは、見ていて痛い位に分かる」

 

 大きな腕で優しく体を包まれる。

 いつもお姉ちゃんが感じてるモノを、この時だけは私が感じている。

 それに罪悪感が無いと言えば嘘になるけれど、今はこうする事でしか自分を保てなかった。

 

「俺は夜の一族の事は知っているけど、夜の一族の人の持つ想いは、皆それぞれだから分からない」

 

 ――知ってるのは、忍だけだ。

 微笑むような優しい声で、愛しい人の名を呼ぶ。

 それが、この人の持つ愛情の深さ。

 

「だから結局、歩み寄ろうとしない限りは一生分からないままなんだ。今のすずかちゃんと彼のように」

「わ、私は……」

「同じだろ? 聖君の考えが分からないって、さっき言ってたんだから」

 

 それを聴いて、確かにと思う。

 分からないと言いながら、私は彼の言葉を聴く事を恐れている。

 それが私にとって、どんな影響を及ぼすのかを、恐れているから。

 

「だからじゃないか? 聖君が言った事は」

「えっ?」

「『お前とは理解し合いたい』って、つまりはすずかちゃんの事を知りたいと思うんだ。一生分からないままは、きっと嫌なんだろう。だから彼は歩み寄った、君に……」

 

 まるで自分の事のように話す恭也さんを、真っ直ぐに見詰める。

 私の頭より上にあるそこには、包み込むような安らぎを与えてくれる瞳があった。

 

「聖君は自分の間違いに気付いたから、こうやって出来る範囲で頑張ろうとしている」

「……」

「難しい事だけど、それでも彼なら頑張るだろう。全力ですずかちゃんを理解しようと努力するだろう」

「……」

「それから、逃げるだけなのかい?」

「――――っ!?」

 

 

 その静かで確かな声に、心臓が思いっ切り跳ねた。

 逃げる、私が聖君から逃げている。

 それは重々承知の上の事。

 なのに、改めて他の人から指摘されると、それが酷くおかしく聴こえる。

 でも、私は――

 

「私は、夜の一族なんです。聖君とは違う、化け物なんです!!」

 

 ――彼とは違う。

 その現実を、有りっ丈の力で叫ぶ。

 今の私の行動の全ては、その現実が目の前に立ちはだかるが故の行動。

 私が化け物である現実がある以上、私と彼は分かり合う事は出来ない。

 ……出来る筈が、ない。

 

「人じゃないんです。神様にも見放された、化け物なんですよ!!」

 

 それが子供の癇癪と言われようと構わない。

 私の存在が、聖君を傷付けてしまった事は確かなんだから。

 私の存在が、先週のアレを引き起こしてしまったんだから。

 私が普通の人で、普通の女の子でありたいと願ったから、聖君はあんなに傷付いて……。

 

「だから、無理なんで――」

 

 

 

 

 

「――――それでも彼はまだ、すずかちゃんを見放していない」

「…………ぁ」

 

 一瞬、時が止まった。

 恭也さんの一言に、私の思考がストップした。

 自分の瞳を見開いて、目の前にある恭也さんの瞳を見詰める。

 依然として揺らがないソレには、強い意志が込められていた。

 

「でっ、でも、夜の一族を知ったら……」

「聖君を、信じられないのかい?」

「っ、それは……」

 

 その言葉を受け入れちゃ駄目。

 そうしないと、私が頑なに抑え続けてきた想いが、この胸から溢れ出てしまう。

 必死な反論はしかし、次の言葉に簡単に封殺されてしまった。

 どうして、恭也さんまで……。

 

「まだ何もしない内から諦めるのか?」

「っ……」

「本当にそれで、後悔しないのか?」

「…ぃ、ぁ……」

「すずかちゃん、自分でも分かってるんだろう? 心の中では、彼を信じたいって気持ちがある事を……」

 

 畳み掛けるような恭也さんの言に、私の心が曝け出されていく。

 やめて、ヤメテ、止めて!!

 その一言一言が、自身の心に必死に塗り固めた意志を剥がしてしまう。

 本当の気持ちが、表に出てしまう。

 

「此処で逃げたら絶対に後悔する」

「……」

「だから、すずかちゃんも負けちゃ駄目だ。聖君に負けない位、すずかちゃんも強いんだから」

「わ、私は、強くなんか……」

 

 聖君の真っ直ぐな想いを、きちんと受け止められない。

 そんな心が脆弱な自分が、強い訳がない。

 お姉ちゃんみたいに、自分の想いを貫く勇気も無いんだから。

 

「大丈夫だよ。俺と忍は知ってるから」

「――っ」

「優しい人は、本当の強さを知っている」

 

 何年も前から、この人を見てきた。

 身勝手な嘘や大仰な賞賛は言わない、誠実で実直な人。

 その姿は彼に、聖君にとてもよく似ている。

 だから信じてしまいたくなる、打算無く、その言葉を……。

 震える体を優しい抱擁に委ねながら、私は問う。

 

「私……強くなれますか?」

「あぁ、保証するよ」

 

 何の疑いもせず、私を信じてくれるその瞳が背中をそっと押してくれる。

 とても温かくて、だから躊躇っていた筈の一歩を踏み出したくなってしまう。

 

 何よりも、私を待っていてくれる人を……。

 私は――――信じると決めた。

 もうちょっと頑張ろうと、決めた。

 

「私――」

 

 その想いを聴いて貰おうと、声を出そうとして……。

 

「……」

 

 目の前の人の表情が、まるで凍りついたようなモノに変わった。

 先程までの優しさが微塵も消え去り、無機質なものに成り変わっている。

 まるで、居る筈が無いものを見るような、あり得ないものを見るような……。

 そんな顔と瞳をしていた。

 

 一体、何を見てるんですか?

 その問いと共に、恭也さんと同じ方向に振り向けば……

 

 

 

 

 

 

「―――――ぁ」

 

 喉を絞められたような声が漏れた。

 視界に広がった現実、あまりにも唐突で、非現実的で……。

 願っていなかった訳じゃないけど、それでもこんな時に出会うなんて思いも寄らなかった。

 

 

 ――どうして此処に居るの?

 ――私は勇気を持って、貴方の所に行こうとしたのに。

 ――どうして、貴方はもう来ちゃうの?

 

 

 ――どうして…………聖君。

 

 

~Interlude out~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、あまりに唐突な場面だった。

 月村さんと共に、ノエルさんの操る高級車に乗る事数十分。

 町の中心部から少し離れた月村家の近辺に着いた。

 降りてから、どんな言葉を掛けようかとウンウン唸りながら、その姿を月村さんに笑われながら……。

 俺は彼女へと至る道程を行く。

 

 その時間で緊張とざわめきを胸に秘めながら、一歩一歩を確実に踏み締めていた。

 見上げた曇天は最早、涙を流す寸前にまでなっている。

 あぁ傘忘れたなぁ、なんてくだらない事を考えられただけ、まだ余裕はあったのだろう。

 

 

 でも、曲がり角を抜けて、月村家の家門のすぐ近くまで到着、という時に……。

 その光景が広がっていた。

 2人の人影、それが重なり合うように見えた。

 顔を見れば、姿を見ればそれが誰か分かった。

 高町恭也さんと…………月村すずか。

 恭也さんはすぐさま俺達の存在に気付いたらしく、その双眸を驚愕に見開いている。

 すずかは彼に体を預けているから、此方をきちんと見えていない。

 だが数瞬後には、恭也さんの瞳に釣られて此方を向いた。

 

 

 

 その2人を見て、その瞳を見て、何故だか笑いが込み上げてきた。

 何故なら、2人共全く同じような状態だったから。

 あり得ないものを見たような、存在し得ないものを見たような、そんな双眸。

 でも込み上げてくる笑いは現実逃避でしかない。

 徐々に現実を受け入れる度、その状況を見て吐き気を催してきた。

 

「聖君……」

 

 恭也さんの声が聞こえるが、正直答えるつもりは更々無い。

 体は凍りついたように微動だにせず、2人で抱き合ってる。

 見せ付けられてるようで、途方も無く頭にキた。

 それでも表情も思考も冷めていた。

 隣に居るであろう月村さんも先程から、一言も言葉を発していない。

 何と阿呆な光景だろう……。

 

「ひっ、じ……り君……」

 

 何故だろうか、すずかの声がイヤに頭に響く。

 どうしてだろう、と考えてすぐに答えに至る。

 

 ――――この光景を、自分で納得してしまったから。

 

「ハッ……」

 

 すずかの抱えている問題ってのは、恐らく月村さんにだってあった筈だ。

 でも今の彼女に、そんな陰は存在しない。

 それは、彼女の傍に彼が居たから。

 高町恭也という、強い男性が居たから大丈夫だったのだ。

 それを誰よりも理解してるのは、2人の傍に居たすずかだろう。

 苦しく辛いその現状を打破する方法を考えれば、容易にソレを思い付く。

 

 それは――――恭也さんに助けを求める。

 自分の姉という身近な存在が証明してるのだ、彼なら助けてくれるという確信を。

 俺のような場違いな子供なんかより、成熟した大人である恭也さんこそが、自分が救ってくれるに違いない。

 至極当然、その言葉に尽きるだろう。

 なら今までの俺の言葉は、積み上げてきた俺の想いは……

 

「ハハハッ……」

 

 最初から、唾棄すべき、無意味な紙屑程度のものだった。

 そう考えると何故だろうか、本当に笑いが込み上げてくる。

 

「ハハハハハハハハハッ……」

 

 腹の底から零れる暗い響きの嘲笑(わらい)が、静かなその場に木霊する。

 その負の感情と生気の無い声が、薄暗い空模様と不気味な位に調和していた。

 本当、吐き気がする位に、よく似合っていた……。

 

「ハハハハハッ」

 

 だが力無き声は次第に……

 

「ハハハッ」

 

 その脆弱さを露呈し……

 

「ハッ」

 

 花散らすかの如く……

 

「――――ます」

 

 弱々しい呟きを以って、事切れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~Interlude side:Shinobu~

 

 

「――――ます」

 

 隣の少年の呟きは、本当に小さくて弱々しくて……。

 先程の笑いも含めて、それはどこまでも悲しかった。

 たった一言――――『帰ります』という、それだけが異様に耳に残って、彼を直視出来なかった。

 きっと今の彼には何も無いから……。

 そんな姿を、私は見たくなかった。

 

「ひ、じり君……何で?」

 

 決死の力で絞り出した声は、少し掠れていて情けないにも程がある。

 それでも、此処で聖君を帰してはいけないと直感した。

 引き止めないと、きっと皆が後悔する。

 俯いた顔からは彼の瞳は見えない、どんな表情をしてるのかも分からない。

 でも口許だけは、死んだように力が入っていない事だけは分かった。

 

「…………雨が」

「えっ?」

「雨が、降ってるんです」

 

 俯いた顔を曇天の空へ向け、呟いた。

 瞳が前髪に隠れて、その奥の光は見えないけど……

 静かに頬を伝う、透明の雫だけはハッキリと見えた。

 彼だけに、悲しい(あめ)が降り注いでいた。

 

「雨が、降ってるんで……帰ります」

 

 その言葉に、どんな想いが込められていたのだろう。

 絶望、失望、後悔、怨嗟……。

 そのどれかかも知れないし、そのどれも違うかも知れないけど、私には分からなかった。

 だって彼の言葉の響きが、あまりにも無色透明で、機械的な呟きだったから。

 

「今日は、俺の為に時間を作って下さって、ありがとう…………ございます」

 

 芯の無い声、きっと今の彼自身にも芯が存在しない。

 唯そこに立ってるだけの、人形になってしまったかのように……。

 そして聖君は、脇目も振らずに駆けていった。

 

「あっ……」

 

 その後姿に、誰も声を掛けられない。

 唯、地面に残った彼の雫の痕が、私の胸を強く締め付けた。

 この後、彼は一体どうなってしまうだろう?

 深く傷付いた心は、一体何処までの悲しみと辛さに沈み込んでしまうのだろう?

 その傷が癒える事はあるのだろうか、そして何より……。

 このままで何もかも終わらせてしまって、本当に良いのだろうか?

 

 そんな事――

 

「すずかぁ!!」

 

 ――駄目に決まってる。

 

「何してるの!? 早く追いなさい!!」

「お、ねぇ……ちゃ」

「グズグズしないで!!」

 

 突然の声掛けに目を丸くする我が妹。

 確かにあまりに唐突な事で、状況を理解し切るのは難しいかもしれない。

 でもそんな悠長な事をしてる暇ですら、今は惜しい。

 だから彼の去った方向を指差して、大声で促す。

 

「聖君がどうして此処に来たのか、分からない訳じゃないでしょ!!」

「あっ……」

「だったら追いなさい!! 今すぐ、全力で、捕まえなさい!!」

 

 2人っきりで彼と話して分かった事がある。

 人外に対する、自分の意見。

 

 ――俺はそれを曲げない。それが、俺が聖しいと信じた答えだから――

 

 夜の一族、私達の正体を知った時の、彼の意志。

 

 ――俺はすずかの事も、貴女の事も、絶対に化け物だなんて言わせない……!!――

 

 言ってる事は子供染みた夢想話。

 でも聖君はそれすらも本心にしてしまう。

 きっとそれは、行うにはとても難しくて、同時に果てしなく尊いもの。

 この世で彼だけが持つ事が出来る、純粋で無謀な夢物語。

 だからこそ、私は信じる事を決めた。

 だから、すずか――――アンタも、現実だけに押し潰されないで。

 

「聖君を信じてあげなさいよ!!」

「っ、私……」

 

 私の言葉に、強い葛藤を見せるすずか。

 でも数瞬後には、決意を胸に弾かれたように走り出した。

 

「聖君!!」

 

 まだ迷いは消えていないと思う。

 だけど今は、彼を追い駆ける事が何よりも必要だった。

 その迷いを乗り越えるには、彼の言葉が何よりも重要になる筈だから。

 

「すずか、絶対に繋ぎ止めるのよ」

 

 駆けていく後姿に、心を込めた声援を送る。

 聴こえなくても構わないから、どうかあの子が頑張れますように……。

 

「忍……」

 

 気付けば自分の傍に1人の気配。

 今回、色々と問題を起こしちゃった張本人、高町恭也。

 表情は少し浮かないけど、今は信じてあげるしかないでしょう?

 

「ねぇ恭也」

「何だ?」

「何の打算も下心も無い、心の底から相手を理解したいって気持ちって、一体何だと思う?」

 

 聖君が貫こうとしてるその姿勢、その想い。

 それを突き動かす根本は、一体何なのか。

 考える素振りをする恭也は、幾分かの後に口を開く。

 

「きっと好意、好きって事なんだろうな」

「そうかなぁ?」

「えっ?」

 

 恭也の答えは間違いじゃないだろうけど、私は少し違うと思う。

 聖君の信念、自分の為の行動。

 自分の為だからと、何も欲さずに前へ進んでいく力。

 

「無償の好意、純粋な相互理解、それってきっと……」

 

 本人は否定するかもしれない。

 自分はそこまで出来た人間じゃないって、卑下するように。

 だけどそれは違う、聖君はとても凄い子だ。

 だって――

 

「愛、なんじゃないかな……」

 

 ――無自覚のまま、人を愛せてしまうんだから。

 

 

~Interlude out~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――少年の想いは潰えた――

 

――様々な人に支えられてきた彼にはもう、これ以上縋れるものは存在しない――

 

――ならば、どうやってその体を奮い立たせる事が出来るだろうか?――

 

――誰が、今の彼を救う事が出来るだろうか?――

 

――もし、それが可能だとするならば――

 

 

 

「聖君!!」

 

 

 

――たった1人の少女こそが――

 

――少年の誓いを、支えていく事が出来るのかもしれない――

 

 

 

 

 

 

 

 




どうも、おはこんばんちはです( ・ω・)ノシ
すずか編№Ⅲをお読み下さり、ありがとうございます。
現実を知り、それでも決意を固める聖と、恭也の言葉で聖への想いを気付き始めたすずか。
このままハッピーエンドに行くと思った? 残念そう簡単にはいきませんでした!
いやそもそも、自分は作品内で主人公を甘やかすつもりとか一切無いんで。
主人公に甘い世界とか、見てて飽きちゃいますから(・´ω・)
誤解ではありますが、恭也という存在によって聖は自らの誓いを貫けませんでした。
いつだったか恭也は日常編に於いて重要な立ち位置だと言いましたが、つまりはこういう事です。
アリサ編、すずか編共に、彼の存在が聖の心に重く圧し掛かります。
さて、目の前の現実から逃げてしまった聖と、彼を追い駆けるすずか。
2人の想いの行方は、一体どのような結末を迎えるのか……。

次回、すずか編№Endで確認して下さい!(`・ω・´)
はい最終回です、アリサ編より1話短いですがエピローグです。
でも文章量はそんなに差が無いので、別にすずかが不遇という事でもないのでご安心を。
そして№ⅩⅢの冒頭であった前フリが、今回やっと日の目を見ました。
まぁあの場面ですずかを出してる時点で、見え見えだったと思いますが……。

今回はこれにて以上となります。
感想や意見、タグ関連やその他諸々は遠慮無くドシドシ書き込んで下さい。
直接メッセージでも、作者的にウェルカムです。
では、失礼します( ・ω・)ノシ



事前に後書きに書こうと思っている事を、必要時に忘れる事案が発生。
アルノサージュ、延期が無ければ……(´・ω・)
でも延期が無かったら、この辺りで更新とか止まっちゃいますね。

それと少しずつですが読者さんからの評価が入って、遂に評価バー(?)に色が付きました!
ありがたやありがたや(-人-)
これからも『少年の誓い』を宜しくお願いしますm(_ _)m
感想の方も、出来たらお好きな事を書き込んで下さい。

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