少年の誓い~魔法少女リリカルなのはO's~   作:さっき~

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「事情は聴いている」

――礼拝堂の扉を開いた時、耳にその声が入った。
――発生源は遥か先、内陣障壁の手前に居る人物。
――大きな背中、しかし俺にはそれ以上の大きな壁のように感じる。
――それだけの距離がある俺達だが、声はダイレクトに耳に届いた。

「お前が何の理由も無しに、こんな遅くなる帰ってくる事は思ってないからな。さっき、士郎さんから連絡があった」

――振り返ったその人は、至って冷静な表情だった。
――俺に怒りを向けるでもなく、悲しみを湛えるでもなく……。

「翠屋の手伝いをしていたらしいな」

――それはきっと、高町が仕込んだものだろう。
――あの非日常の世界を隠し通す為に、彼女が親に連絡したようだ。
――その気遣いを嬉しく思うと共に、せめて事前に口裏合わせをして欲しかった。
――お陰で今、冷静に慌てているのが実情だ。

――高町、いつかお前の長く伸ばした髪を引っ張ってやる。

「えぇ、忙しそうだったので……。連絡を忘れた事は、本当に申し訳ありませんでした」

――くだらない事を考えながら、口からは都合の良い嘘がペラペラ出て来る。
――この人に虚言が通じるだろうか、その心配が過ぎる……。
――きっとこの人に追求されてしまえば、最終的には八方塞に追い込まれるに違いない。
――それだけの推理力と観察力がこの人――――師父にはあった。
――だが

「そうか……」

――それ以上の追求は無かった。
――まるで全てを分かってるかのような対応に、俺の心が騒ぎ立つ。
――知る筈が無い世界の一端に、既に身を沈めたかのように……。
――そんな事ありえない。
――あんな非常識な世界、この人が知る術なんて無い。
――だからこのざわついた気持ちは、唯の気のせいに違いない。

「スミマセン……」
「気にするな。それより――」

――それでも恐らく、この人にも皆にも心配を掛けただろう。
――だからこの謝罪だけは、絶対に欠かしてはならない。
――それでも師父は、なんて事無い顔をして

「――――おかえり、聖」

――唯、優しい言葉を掛けてくれた。
――それは俺にとって、今までの現実に戻ってこれた証。
――俺の全てを包み込んでくれる、優しい場所に。
――今までもこれからも、此処は俺を守ってくれている。
――その事実を、今になって実感した。

「ただいま、帰りました」

――涙が出そうになる位、温かく迎えてくれたその場所で。
――俺は唯、その一言に万感の意を込めた。


――それは、現実への帰還。
――少年の心安らぐ、優しく小さな世界。







№ⅩⅩⅤ「自己責任の巻き込まれ体質」

 

 

 

 

 

「それじゃ、これで一学期が終わる訳だけど……」

 

 教壇に腕を突いて、体を前に乗り出しながら告げる我がクラスの担任教師。

 今は一学期最終日のホームルーム中、つまり明日からは夏休みになる訳だ。

 周囲の浮き立つ気持ちが、空気を伝って俺にぶつかってくる。

 いつになっても、夏休みに向けられる想いは誰もが一緒らしい。

 

「きちんとした生活習慣を心掛けて、宿題もやって、全力で楽しむ事!!」

 

 グッ、と握り拳を掲げて高らかに叫ぶ。

 まるで選挙運動中の立候補者みたいな姿は、我等が担任ながら微笑ましく見える。

 

「それじゃ解散。皆、2学期で会いましょ!!」

「起立、礼」

『さようなら!!』

 

 教室が張り裂けんばかりの合唱を以って、今までの学校生活に一先ずの終止符を打った。

 ルンルン気分で教室を出ていく三沢先生、鼻歌まで聴こえてくる様子は最早、生徒のようにしか見えない。

 何か良い事でもあったのだろうか?

 

「何でも、今年こそ彼氏を作るのだと意気込んでるらしいぞ」

「――お前、背後から喋るな」

 

 俺の疑問に、明確な答えを持ち寄ってくる背後の奴。

 今の今まで背後からの気配は感じなかったにも関わらず、ソイツは悠然とそこに存在しやがった。

 突然声を掛けられた俺だが、そこは慣れたもので冷静に対応。

 つーかコイツの登場パターンも、いい加減ネタ切れの予感がするんだが……。

 

「それで内容は兎も角、何でお前がそんな事を知ってるんだよ」

「フフフッ、企業秘密だ」

 

 振り返れば、嫌味ったらしい笑顔が視界に収まった。

 今まで何度も見てきたそれは、正直何度見ても気色悪いという感想しか抱けない。

 コイツの口から出る内容も、人のプライバシーに関わる事だし。

 それにしても三沢先生、彼氏居ないのか……俺にとってはどうでもいいが。

 

「って、お前そんな事は間違っても広めるなよ?」

「当たり前だ。俺をそこら辺のゴシップ記者と一緒にするな」

「だろうけどな……」

 

 高杉信也。

 コイツはやる事は無茶苦茶だが、実害が出ない限り対象を必要以上に追い詰める事はしない。

 だがコイツの周りに害を為す場合であれば、その力を振るう事に躊躇いは無い。

 普段のぶっ飛んだ性格が前へ突出しまくりだが、何だかんだで義理堅い男である。

 だから今言った事も、嘘偽りではないだろう。

 

「さて、お前は夏休み、何か予定はあるか?」

「突然だな、どうしたんだよ急に」

「実はな、今年の夏休みを利用して、神秘探しを世界へ広げてみ――」

「――誰が行くか」

 

 エルボーをその答えとばかりに、奴の鼻っ柱にめり込むように当てる。

 ……駄目だ、やっぱりコイツはぶっ飛んでるだけだ。

 そういうのは1人で行け、1人でな。

 情けない声を上げながら後頭部を床に叩き付ける姿を尻目に、高杉に問われた事について考えてみる。

 

「夏休み、ねぇ……」

 

 やはり例年通り、家や翠屋JFCの手伝い、それに師父の仕事の付き添い(毎度思うんだが、部外者が入るのを許していいのか神学校よ)、それと――――

 

『それじゃ1週間後に再検査をするから、フェイト達と一緒に来てくれ』

 

 ――――あった。

 あの日から普通の日常に戻った生活だった為、あまり意識する事が無かったのは確かだが……。

 でもそれは実際にあった事で、妄想の類では決してない。

 胸の傷もほぼ完治と言っていい程だが、未だに残る痕が何よりも強い証明となっていた。

 それにしても

 

「1週間って……」

《It's today.(今日ですね)》

 

 脳に直接響いてくる、機械的な女声。

 何を思ってか、ずっと沈黙していた彼女が今になって口を開いた。

 

(だよなぁ~)

《Because it is not separately a translation with the problem, it ends at once.(別に問題がある訳じゃないのですから、すぐに終わりますよ)》

(元々、病院とか検査とか嫌いなんだよ)

 

 口に出す音声としてではなく、心の声を彼女に返す。

 その異常にも、既に慣れてしまった自分。

 1週間前のある出来事のよって、自分の中にもう一つの存在を認識した。

 

 インテリジェントデバイス――『アポクリファ』。

 今までフィクションの中だけだった魔法という技術、それを現実足らしめる最も大きな要素がコイツだった。

 いつから彼女が俺の中に居るのかは知らないが、長い時を共に過ごして来たと本人は言う。

 

 聴いた限りでは俺が大怪我をする度に、リンカーコアからの微量な魔力を使って治癒魔法を施してくれていたらしい。

 記憶にあった俺の異常な回復速度も、それならば理解出来る。

 

 殆んど待機状態に近かったから記録も何も残ってないらしいが、今となっては特に気にしない。

 気付けばアポクリファとこの状況を受け入れてる自分が居て、不思議とそれが当然のようになっていった。

 そのお陰でこうして念話を使えるようになった事は、良い事なのか悪い事なのか……。

 

《Will it not be a thing immediately judged either(早急に判断する事でもないでしょう)?》

(まぁ、それもそうか)

 

 物事の善し悪しなんて、そう簡単に決める事は出来ない。

 視点を変えるだけで善悪は幾らでも変動するのが当たり前なんだから。

 ――――この世に、絶対的な悪が居ないように。

 

「聖……」

「ん? って、ハラオウンか」

「うん。今日だよね、本局に行くの」

 

 思考の深みに嵌まる直前、それを極自然に引き上げてくれた優しい声。

 俺の視界を占める、鮮やかに輝く金色の髪。

 長いそれを従えて穏やかに微笑む1人の少女が、視線の先で此方を見遣っている。

 どうやら彼女も憶えていたようで、俺の心を読んだかのようなタイミングで質問を返してきた。

 

「ハラオウンが付き添ってくれるのか?」

「うん。だって聖、行き方分からないでしょ?」

「ごもっともでございます」

 

 はは~、と時代劇のように頭を垂れる俺に、フフッと微笑を浮かべている。

 いつも思うんだが、コイツが笑うと本当に空気が緩やかになるなぁ。

 このフワフワとした空気感、結構嫌いじゃない。

 

「2人共、何してるのよ」

 

 その空気に続くように、横から快活な声が混じる。

 ハラオウンとは少し色の違う金髪、短く切り揃えられたショートボブ。

 気の強さを湛えた瞳は、彼女という人柄をこれでもかと表している。

 一週間前の出来事に於いて、俺と同様に巻き込まれた少女の1人――――バニングス。

 更に翌日、少しずつ治ってきた怪我を背負った俺に、強烈なビンタをかましてくれた奴でもある。

 

「何言ってんのよ、自業自得でしょ?」

「別に文句はねぇよ」

「何度も言うけど、アタシは謝んないからね」

「俺だってそうだ、あの時の行動に後悔は無い」

 

 別段ぶり返すような話題じゃないが、コイツが何度も釘を刺すように言うから、最近の恒例行事になりつつある。

 もう過ぎた事であるにも関わらず、俺達は何回もこのやり取りを繰り返していた。

 全てバニングスが発端になるのだが、それは彼女が俺に何か言いたい事があるという意思表示なのだろうか?

 毎回毎回、あの時の行動に対してブツブツ文句を言ったり、かと思えば深刻な表情をしたり……。

 

「もう、いいわよ」

 

 でも結局、最後には何も言わない。

 煮え切らない想いが過ぎるが、追求してもきっと答えてはくれないのだろうと、半ば確信していた。

 

「それより、さっきから何話してたのよ?」

 

 まるでさっきまでの雰囲気を払拭するように、バニングスがコロリと表情を変えた。

 そこには、直前まで浮かべていた暗いものは微塵も無い。

 だから俺とハラオウンは、彼女の明るさを尊重し言葉を続けた。

 

「俺の再検査、今日なんだよ」

「その場所がアッチだから、聖の付き添いで私が行く事になったんだ」

 

 さっきまでお互いが話していた事をそのまま、バニングスに伝える。

 本当なら秘匿されるべき内容、それを何の躊躇いも無く口にするという行為。

 事情を知らなかったが故に、最初は戸惑いもしたが納得する事は難しくなかった。

 それは至極簡単な――――バニングスも月村も魔法を知っている、というだけの話。

 実に単純明快、寧ろそうでない方がおかしいと感じる位に……。

 ハラオウン達がコイツ等に隠し事なんて、全然似合わないしな。

 隠す必要なんてまるで無かった。

 相手は信頼出来る親友で、彼女達もそれに応えてくれているんだから。

 ――閑話休題。

 俺達の言葉に納得の顔をするバニングスは不意に、俺へ心配げな視線を送った。

 

「……大丈夫なの?」

「問題無い。無理な運動は控えてるからな」

 

 だから俺は、なんて事無いすまし顔を意識して答える。

 これは本当の事で、朝の鍛錬は通常の三分の二に減らしてるし、ひなた園での手伝いも少し控え目にしていた。

 そのお陰で傷は完全に塞がり、普通に生活している分には痛みは無い。

 胸の古傷の上に痕が薄っすら残ってはいるが、特に気にするようなものじゃない。

 …………っと、あまり駄弁ってる暇は無いな。

 

「ハラオウン、そろそ――」

「――何処へ行く気だ――」

「――黙れ!!」

 

 背後から急浮上する気配に極限の反射神経を用いて、肘鉄を喰らわせ沈黙させる。

 俺がハラオウンに声を掛けた刹那、それはあまりにも一瞬の出来事だった。

 ……悪い高杉、お前の存在は完全に忘れていた。

 それでもあれだけの反応速度を叩き出した自分は、きっとツッコミ体質なのだろうと悟る。

 その為に培ってきた経験の内容は、甚だ不本意なものではあるが……。

 

「い、いいのかな?」

「まぁ……ね」

 

 床に沈む1人の馬鹿野郎を見ながら、金髪少女達は気まずそうな苦笑いを浮かべている。

 この惨状に慌てない所を見ると、いい加減慣れてきたようだが、俺からすればまだまだだな。

 コイツが関わっているなら、確実に仕留める覚悟は必要だぞ。

 どうせ息の根を止めようとしても、気付けばそこに居るんだからな。

 何という『自動不死鳥能力』だ。

 

「それより、さっさと行こうぜ」

 

 高杉に関わっていたら、いつまで経っても先に進まない。

 行動は迅速に、対応は正確に、昔から俺はそう教わっている。

 しかも時間指定とか無い以上、可能な限り先方を待たせる事はしたくない。

 いつもより軽い鞄を持ち、席から立ち上がる。

 この席とも、少しの間はお別れか。

 

《It is troublesome, and I seem to want to end it early.(面倒なので、早く終わらせたいそうです)》

(ハハハッ、聖らしい理由だね)

《I am sorry …… in a selfish child.(申し訳ありません、我が儘な子で……)》

(ううん、そんな事無いよ)

 

 脳内で交わされる、井戸端でよくありそうな会話。

 人が折角此処での生活に思いを馳せていたと言うのに、コイツ等ときたら……。

 アポクリファは俺の母親のような台詞で、ハラオウンは姉みたいな対応を返してやがる。

 何だこのほんわか空間は……。

 

「ほら、さっさと行くぞ」

「あっ、待ってよ」

「ちょっと瑞代!?」

 

 これ以上聴いていたら、何故だか無性に恥ずかしくなる。

 ほんのり赤らんだ顔を背けながら、空に近い鞄を肩に担ぐ。

 慌てて此方を追って来るハラオウンとバニングスに、敢えて振り返る事はしない。

 周囲はワイワイ騒ぎながら、夏休みという期待に満ちたイベントに胸を膨らませている。

 付き合いのある何人かのクラスメイトに別れを告げて、視線の先に居る2人組に近付く。

 古くから付き合いのある2人、この学校でも変わらぬ日々を過ごした友人。

 

「そんじゃな、遠藤、金月」

「おぅ、またな」

「瑞代、今年の夏はアツいぜ」

「「この夏から俺達の伝説が始まるんだ!!」」

 

 訳分からん叫びを口走る2人は、拳を握り互いの腕をガッシリと組んだ。

 ……取り敢えず馬鹿だなコイツ等は、例年通り。

 

「どうでもいいが、宿題は忘れるなよ?」

 

 ニカッと気持ち悪い位の笑顔を此方に向ける奴等に、突然冷静で容赦の無いツッコミが入った。

 振り向けばそこには、このクラスの委員長にして、バカコンビと同じく俺の友人である瀬田の姿。

 眼鏡が良く似合う整った顔立ちは、遠藤達のくだらん叫びを聴いた為か、呆れに満ち満ちていた。

 

「任せろ、今年の俺達は一味違うぜ」

「いつまでも成長しない俺達だと思うなよ?」

「「それじゃ、何を言っても宿題は手伝ってやらな――」」

「「嘘ですスミマセン今年も宜しくお願します」」

 

 先程までの勢いから一転、教室で土下座という情けない格好を晒す遠藤と金月。

 はぁ、と自然に溜息が零れたのは、俺と瀬田。

 どんなに時が経とうとも、コイツ等の芯は全く変わらないらしい。

 その将来に不安が立ち込める、溜息の原因はきっとそれだ。

 

「瀬田も、またな」

「あぁ、瑞代もな」

 

 土下座2人組を視界の端に追いやって、隣に立つ瀬田と簡単に言葉を交わす。

 これでコイツ等とも、少しの間お別れになる。

 ……まぁ、夏休み中でも何処かで会うんだろうけどな。

 その事実に苦笑しながら、彼等に背を向けて教室を出る。

 いつの間にか後ろに居たハラオウンとバニングスも、アイツ等と一言二言交わして俺に続いた。

 

「2組は……まだ終わってないのか」

 

 教室の出入り口の窓を覗き込むと、着席した生徒の視線が前に集まっている。

 教壇には初老の教師が、身振り手振りしながら熱く語っているのが見て取れた。

 

「2組の担任の先生、偶にホームルームの話が長いってはやてがよく言ってたからね」

 

 隣のハラオウンの言葉に、ほぅ、と納得する。

 確かに一言一言口に出すだけでも仰々しい動き、情熱に溢れたそれは教室には収まりきらない程だ。

 年を経ても衰える事の無い熱意が、あの先生から滲み出ていた。

 

「聞いた話じゃ、3,4組の体育の担当らしいわよ」

「ふぅん……」

 

 つまり、俺達の授業を受け持つ訳じゃ無いのか。

 あまり見ない人だったから、そのバニングスの説明で得心がいった。

 でも一度で良いから、あの先生の担当する授業を受けてみたいものだ。

 あぁいった人、正直嫌いじゃないしな。

 

「あっ、終わったみたいだよ」

 

 教室に響く「それでは以上!」という声と共に、座っていた生徒が立ち上がる。

 そのまま『さようなら』という合唱が廊下一杯に響いて、教室に張り詰めていた空気が払拭された。

 と、思ったのも束の間――――先生が出るよりも早く、教室の扉が開いた。

 そこから出て来たのは、俺達にとって馴染み深い少女。

 

「高町?」

 

 サイドテールが特徴的な彼女が、慌てた様子で教室から飛び出してきた。

 夏休みを目前に控えた今日という日に、友人との会話をする間もなく退出なんて、普通は見られない光景。

 一体、何があったというのか……。

 高町は目の前の俺達に気付く事無く駆け出して――――足を縺れさせた。

 

「あっ……」

「って、危ねぇ!?」

 

 気付けば体が動いていた、彼女の傍まで。

 前のめり倒れそうになるその姿を視界に収めながら背後に回って、彼女の左腕を掴み、反対の空いた腕を腹に回す。

 そのまま踏ん張る脚に力を込めて、無理矢理にその体を支えた。

 

「――っ!?」

 

 瞬間、少しだけ胸辺りにチクッとした痛みを感じたが、そんなものは無視。

 1秒の時間を掛けて、前に倒れかけていた体をゆっくり起こした。

 前後のバランスが整った所で、腕で抱くように抱えていた彼女を解放する。

 だが両腕に高町の感触が残っていて、心臓の鼓動が少しだけ早くなった。

 

「ったく……、何してんだよ」

「うぅぅ、ゴメンなさい」

 

 明後日の方向を向いて、小声で高町に文句を言い放つ。

 彼女の運動音痴っぷりは分かっていた事だが、それでも毒突かなければ、この胸騒ぎは誤魔化せない。

 まぁ本人もコッチ見ながら申し訳無さそうにしてるし、俺だって怒ってる訳じゃないからいいけどな。

 高町の顔が少し赤くなってるのが見えたけど、そんなものは無視だ無視。

 

「なのは、そんなに急いでどうしたの?」

「ちょっと本局まで行く用事が出来ちゃって……」

 

 ハラオウンの質問に忙しなく答える彼女は、見るからに時間に追われていた。

 しかも本局って、俺達と行き先が同じじゃないか。

 まぁコッチには時間の制限は無いから、コイツみたいに慌てる必要は全く無いんだけどな。

 

「先生の話してる時間が長過ぎて、予定より遅くなっちゃいそうだから」

 

 本人達から聴いた話じゃ、義務教育過程を終えるまでは、学校を優先させているらしい。

 そして今日は1学期最後の登校日、学業を本分としているなら休む訳にはいかない。

 重々承知した上でこの状況に陥ってるのだから、それだけ管理局(ソッチ)の仕事に思い入れがあるんだろう。

 その両立を数年前から続けているのだから、本当に凄いとしか言い様が無い。

 高町だけじゃなく、ハラオウンも八神も……。

 俺なんかよりもずっと高みに君臨する少女達は、相応の苦労を見事に乗り越えてきたのだ。

 それは決して誇大表現ではなく、厳然たる事実として目の前にある。

 

「よしっ、じゃあ走るぞ」

「えっ……?」

 

 一瞬、何を言われたのか分からないような顔。

 そんな少女を差し置いて、俺はその歩みを促す。

 

「急いでるんだろ? 俺達も本局に行く予定だし、丁度良い」

「そうだね、それじゃ行こう」

「それにお前を放っておくと、また何処かでコケそうだしな」

「む~っ、酷いよ~」

 

 頬を膨らませながら俺の言葉に反応する姿は、普段よりも年相応で可愛らしさが宿っている。

 それが可笑しくて、頬が緩みそうになる自分に喝を入れた。

 隣のバニングスに手を挙げ、そのまま俺は前へ進みだす。

 

「ほら、さっさと行くぞ。じゃな、バニングス」

「え、えぇ……。それじゃあね」

「あっ、聖君! アリサちゃん、それじゃ!」

「聖、待ってよ! じゃあまたね、アリサ」

 

 ハラオウンと高町の声が背中にぶつかる。

 追い駆けてくる気配を察して、それに振り返る事無く俺は階段を下りていった。

 出来るだけ速度は落とさず、しかし高町でも追い着ける程度のスピードで。

 

 夏を真正面から感じられる日差しの中、俺は後ろの少女達を想う。

 きっと俺では、生涯届かないであろうその場所。

 聖祥に来てから何度も羨んだ遠き世界、きっとまだ進み続けるその背中。

 たとえそこに追い着けなくても、今はこうして走っていこう。

 きっとその途中で、自分が選べる道があると信じて……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 研究所のような重厚な設備、その9割を白で統一する室内、そこで俺は椅子に座りながら医師である男性と相対していた。

 

「傷の方はほぼ完治と言っていい。痕の方も徐々に消えてるし、経過は順調のようだね」

「はい」

「だけど、まだ無理をしていい訳じゃないよ? 君の体はバランス良く鍛えられているから頑丈さは評価出来るけど、それでも人体というものは無理をし過ぎれば簡単に壊れてしまう」

 

 検査結果に関しては言われた通り、特に問題は無かったようだ。

 痕の消去も出来ると言われたが、自然に治るのにわざわざそんな事をする必要も無い。

 ありがたくお断りさせて頂いた。

 

《The word is convenient.(言葉とは便利なものですね)》

(使い方と気持ちの問題だ)

 

 全く、どうやら断った理由を、俺が面倒だからと思ってるらしい。

 そこまで無精者じゃないぞ…………多分だが。

 そんなくだらない問答をしてる間にも、医師の話は続く。

 

「リンカーコアも、一週間前のデータと比べて安定してるようだね」

「はぁ……」

「魔力の回復も完了してるようだし、結果から見て殆んど元通りといって差し支えないよ」

 

 目の前の男性の言葉を、理解半分の頭で聞き流す。

 正直、魔法と言うものを知ってから一週間経ってはいるが、未だに完璧な理解は出来ていない。

 アポクリファからも簡単な講義を受けてはみたものの、やはり今まで触れた事すら無かったものだけに実感がまるで沸かないのだ。

 自分で魔法を使ったあの時の記憶だって、あまり残っていない。

 憶えているのは、内から語り掛けてくる彼女の声、重力が流動して腕に纏わりつくイメージ、尖角と頭蓋を打ち砕く感触、その位だ。

 アポクリファという証人が居るには居るが、別段聴こうとも思わないし、その態度を察したのか彼女も言おうとしない。

 

「この分なら、あと一度検査に来てくれれば大丈夫」

「まだあるんですか!?」

「言っただろう、ほぼ完治と。まだ体内に痛みが残っている筈だよ?」

「……」

 

 その射るような言葉が、胸にグサリと刺さる。

 まるで俺の行動の全てを見透かしたような発言、まぁ体を調べたのだから分かってしまうのだろう。

 今日も確かに、高町を助けた時にそれらしいモノはあった訳だし。

 

「それが消えて、初めて完治と言えるんだ。ハラオウン提督には私から伝えておくから、また後日来て貰うよ」

「……分かりました」

 

 自覚のある事実を突きつけられ、ぐうの音も出ない。

 渋々といった顔をしながら、俺は医師の言葉に従った。

 

「そんな怒らなくてもいいだろう?」

「怒ってませんよ」

「そうかい。だったら睨まないでくれるとありがたいんだけどね」

「いや、別に睨んでないんですけど……」

「まるで彼女みたいだなぁ」

 

 ハハハと余裕な笑みを浮かべる男性は、近所の子供に対するそれと全く同じ。

 何処か釈然としない気持ちを抱えながら、俺は次に此処に来るであろうその時を考えていた。

 誰に頼めってんだよ、此処まで連れてって貰うの……。

 俺の近くに暇人なんて居ない、アイツ等はいつだって多忙の中に身を置いているのだ。

 友達の頼みならきっと断らないだろうが、だからって彼女達の好意に甘えるばかりは俺が嫌だ。

 これは自分で負った傷で、自分の行動の責任と同義。

 だったらその尻拭いは己で行わないと割に合わない。

 そんな無力なプライドが、俺の心で何度も訴え続けていた。

 

「少し気になったんだけど、君の胸の傷……」

 

 まるで突然思い出したかのように、医師はそう呟いた。

 意識をそちらに向ければ、不思議そうな表情を浮かべた男性。

 

「あぁ、今診た傷じゃなくて、それより前にある傷の方だよ。鳩尾辺りにある痣みたいなヤツさ」

 

 問われて、はたと思い出した。

 それは幼少の頃より、自分の胸にあり続けるモノを指しているのだろう。

 恐らく検査の時にでも知ったのだろうそれを、どうして今訊いてくるのか……。

 

「それが何か?」

「いや、特に何かあるって訳じゃないんだけどね」

「?」

 

 さっきとは違う困ったような笑いに、こっちも対応に困ってしまう。

 結局この人が自身の疑問を口に出す事は無く、有耶無耶なまま俺達の会話と検査は終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうだった?」

 

 自動スライド式のドアを抜け、近くの休憩スペースで1人腰掛けていた少女。

 俺に気付くや否や、傍まで寄って来てる姿はどこか犬のようで可笑しかった。

 一応心配してくれてるのだから、その考えは奥に留めておこう。

 

「ほぼ完治だけど、もう一回来いだってさ」

「そっか、いつになるの?」

「クロノさんに連絡するって言うから、その時にならないと分からん」

 

 こうやって尋ねてくるって事は、やっぱり着いて来るって事なんだろうな。

 申し訳無く思うけど、自分1人ではどうしようもない。

 面倒だから行くの止めようかと思ったりもしたが、コイツに止められるのは目に見えてる。

 最早、俺に出来る事なんて高が知れてるって現実を思い知るだけだ。

 

「それじゃしょうがないね」

「悪いな、世話を掛けて」

 

 心底申し訳無く思う俺の言葉に、「気にしないで」の一言でアッサリ引き受けてしまうハラオウン。

 器の大きい少女だ事で……。

 時々、自分と同い年である事を忘れてしまいそうになる程に。

 

「……悪い」

 

 目を背けたくなるような圧倒的な差は、俯いても視界から外せない。

 自分の不甲斐無さを感じずにはいられない。

 呟く言葉の音色は、それを自分自身で理解している証かのように、苦々しくて……。

 掌がギシッと軋みを上げるまで、握り続けていた。

 己の未熟さを認めたくない意地と、認めなければいけない理性のせめぎ合い。

 拮抗する2つの心は、拮抗するが故に己を傷付けようとする。

 自傷なんて行動、未熟者がする事なのに……。

 

「聖のせいじゃないよ」

「――――えっ」

 

 不意に、本当に不意に、左の拳が柔らかくて温かい両手に包まれた。

 自分を卑下する事でささくれ立っていた心が、緩やかに解けていくような感覚。

 顔を上げた先に見えたのは、酷く心配したようなハラオウンの表情だった。

 

「聖は悪くない、悪いのは私達なんだから。私達がもっと早くあの場に着いていれば、聖はこんな怪我をせずに済んだんだから」

 

 その言葉に、その表情に気付かされた。

 目の前の彼女もまた、自身を追い詰めていたのだと。

 俺を助けられなかった事を、早くあの場に辿り着けなかった事を悔いている。

 一週間も前から、今までずっと悔いていた。

 彼女の優しい温もりは、しかし怯えるように震えていて……

 

「昔から速く動く事には自信があったのに、情けないよね」

 

 とても悲しそうな顔で―――笑っていた。

 決して嬉しさや楽しさから来るそれとは違う、矛盾した笑み。

 胸を締め付けるその彼女の姿を、俺は…………見たくなかった。

 

「えっ……」

 

 左の温かい感触を、空いていた右で上から包み込む。

 ハラオウンに掛けれる言葉なんて、俺の中に然程多くはない。

 俺の存在がコイツを救える要素なんて微塵も無いんだ。

 だから今の自分に出来る事なんて、こうやって不安に押し潰されそうな体を支えようとする事しか……。

 昔、師父やシスターがしてくれた事を真似るしか、未熟な俺には出来ない。

 

「今こうしてお前と話せるのも、お前達が急いで来てくれたお陰だろ?」

「でもっ、もっと早く着いていれば!!」

「もう一週間も前の話だ、今更掘り返して何になるんだよ……」

 

 だから笑い飛ばしてしまえばいい。

 過去を悔やむコイツの不安を、目の前に居る俺の、今の姿で。

 

「いつまでそんな辛気臭い顔してんだ? 今のお前じゃ、不幸だって裸足で逃げ出すぞ」

「うっ……」

「ウジウジし過ぎだっての、頭からキノコでも生えてくるんじゃないのか?」

 

 ニヤリと意地悪い笑みを浮かべて、次々と言葉を並べ立てていく。

 真面目なハラオウンの事だから、さっきまでの考えなんて吹き飛んでしまってるに違いない。

 それを示すかのように、彼女の顔はみるみる赤く染まっていく。

 

「だからさ……」

 

 彼女の手を包んでいた手を離した。

 震えはもう無い、それだけでも俺にとっては充分だった。

 でもやっぱり、自分に出来る事があれば全てやっておきたい。

 離した手はそのまま少女の頭に……。

 

「綺麗な髪してんだから、笑った方が得だぜ」

 

 柔らかくて羽毛のような、サラサラとした金の髪を梳くように優しく撫でた。

 手触りが今までに触れた事が無い位に絶妙で、ずっとそうしていたくなる衝動に駆られる。

 でも、癖になりそうな彼女の感触に委ねてしまっては意味は無い。

 ――――悪いなハラオウン、実はこの優しさはフェイクなんだ。

 

「ほれほれ、笑え笑え」

「ちょっ、ちょっと聖!?」

 

 丁寧に撫でるのも束の間、急激に力を込めてナデナデからガシガシへと変化させる。

 ハハハハー、と妙な高笑いをする自分に色んな意味で苦笑しながら、それでも手は止めない。

 手と頭の摩擦で、彼女のしなやかな髪が少し逆立ってきた。

 何となく面白いからもっとやってみた。

 

「やっ、止めてって……」

 

 まるで角が生えたかのような髪型になって、漸く俺は自分の手を止めた。

 抵抗虚しく、されるがままだったハラオウンは、目尻に涙を薄っすら溜めながらこっちを恨めし気に見詰めている。

 

「うぅ、何するの聖……」

「お前がいつまでもうだつの上がらない顔してっからだよ」

 

 両手を使って急いで髪を整えるその姿は、今まで同じ事を受けてきた妹達と酷似していた。

 それが何だか微笑ましくて、クククッと忍び笑いが漏れる。

 

「わ、笑うなんて酷いよっ」

 

 完熟トマトのような真っ赤な顔を向けて、必死に対抗を試みるハラオウン。

 だが生来の押しの弱さが祟ったのか、どこか弱々しさが残ってモジモジしてる。

 もっと強気になっても良いと思うんだけどな……。

 擬音にすると『アワアワ』なハラオウンを眺めつつ、そんな今更な事を、俺は考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 検査に掛けた時間、約30分。

 俺が此処に来た理由、怪我の再検査。

 唯、それだけ。

 つまり――――――暇。

 本当ならそのまま帰れば宜しいのだろうが、突然ある事を思い出した。

 

『ちょっと本局まで行く用事が出来ちゃって……』

 

 学校の廊下でコケそうになった少女、高町が告げた言葉。

 彼女は言った、俺達が居るこの場所に用事があると。

 あれだけ急いでいたのだ、きっと重要なものなのだろう。

 

「高町ってさ、今何してるんだろうな……」

「なのは? そういえばそうだね」

 

 此処に着くまで一緒に来た訳だが、彼女は着くや否やすぐに何処かへ走っていった。

 本人から訊けば良かったのだろうが、どうしてかそうするのを躊躇われる。

 俺は唯の一般人で、既に此処の一員たる彼女達とは違うのだから。

 だけど何処かで気になり続けている、検査の時も今も……。

 真剣なアイツの瞳が、一体どんな場所に向けられているのか。

 あまり意識しないようにしていたのに、それ以上に心に引っ掛かっていた。

 

 

 

 

「高町教導官なら、訓練室に居るよ」

「「――えっ?」」

 

 背後からの声に、俺とハラオウンの声がハモった。

 2人揃って振り向けば、そこには自販機でボタンを押してる1人の男性。

 眼鏡を掛けていて、見た目的に年齢は初老辺り。

 白衣を着てる所を見ると、先程の医師のような技術者だろうか。

 その人は取り出し口から湯気の立つ紙コップを取り出すと、此方に振り返った。

 

「ランドロウ技術部主任」

「こんにちは、ハラオウン執務官」

 

 隣の少女はその顔を見るや、すぐに男性のものらしき名前を口にした。

 どうやらこの2人は、それなりに知り合いらしい。

 ニッコリと笑みを浮かべる男性――――ランドロウさんは先程の言葉を続けた。

 

「彼女は今、魔法学院の生徒さんの指導中だそうだよ」

 

 この人が言うには、魔法学院の特別授業が、この本局で行われているらしい。

 その授業を受け持っているのが、高町だとの事。

 ……にしても魔法学院って、名称が捻りも何も無いまんまだな。

 

「場所は君達がよく使っていた第一訓練室らしい」

「そうだったんですか」

 

 俺が本人から訊いていたのは、アイツが戦技教導官という役職に就いているという事だ。

 色々と事情があったらしく遅くなったが、今年になって漸く就けたと言っていた。

 正直な感想としては――――充分速過ぎると思うぞ。

 

「ところで、隣の彼は? 局員には見えないけど……」

 

 徐に俺へと視線を向けたランドロウさんは、笑みを絶やさずにハラオウンに問い掛けた。

 

「私の友人です。ちょっとした事情で検査を受ける事になって、付き添いとして私が一緒に来ました」

「なるほど……」

 

 ズズズッ、とコップに口を付けて一息吐く姿は、やはり大人としての風格が滲み出ている。

 仕事の後の一服といったところだろう。

 納得の呟きを漏らした彼は、「あぁそうだ」と口にするとハラオウンへ二度目の問い掛けをした。

 

「バルディッシュの調子はどうだい? 一応、出来る限りのメンテナンスはしたつもりだけど……」

「その節はありがとうございます。バルディッシュも元気ですよ」

「そうかい。なら良いんだけど……」

 

 と、またコップに口を付けて一息吐く。

 溜息に近いそれは、彼に疲労が蓄積してる事を教えてくれる。

 しかも、どうやら相当の疲れが溜まっているらしい。

 

「彼を高町教導官の所に連れて行くのかい?」

「えぇ、私の方にも急用が出来てしまって……」

「そうなのか?」

 

 うん、と控えめに頷くハラオウン。

 さっきから話していた筈なのだが、彼女の口にした言葉は初耳だ。

 しかも急用って、そうだったら早く言えよ。

 まぁ、俺を1人にするってのが心配なんだろうけど……。

 明らかに判断に困っている彼女は、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 

「だったら、私が連れて行こう」

「いいんですか?」

「そろそろレイジングハートのメンテナンスの時期だからね。高町教導官には会いに行くつもりだったから……」

 

 ランドロウさんの提案に、此方に視線を送ってきた。

 どうやら、俺に意見を求めているらしい。

 俺としてもハラオウンに用事があるなら、そっちを優先させるべきだと思うし構わない。

 その意味を込めて頷くと、彼女は「お願します」と告げて走っていった。

 

(ゴメンね聖、一緒に行けなくて)

(大切な用事なんだろ? だったら気にすんなって)

(うん、ありがとう)

 

 わざわざ念話で感謝を述べる辺り、彼女も大概律儀なもんだ。

 後姿を見詰めながら、俺はそんな皮肉気な感想を抱いた。

 純粋な羨ましさから来るその反動は、友人であるなら持ってはいけない感情。

 胸の内が黒く濁っていくのが、自分でも分かってしまう。

 

「それでは行こうか」

「あ、はい」

 

 飲み切った紙コップを握り潰して、ゴミ箱へ捨てながら彼は告げた。

 今の俺の気持ちはこの人にとって、路傍の石よりも興味を惹かれない駄物でしかない。

 だから引き摺らないよう意識しながら、俺は笑みを絶やさず先導を引き受けた男性に続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長い通路を、出会ったばかりの他人と歩く。

 ハラオウンという気の許せる相手の代わりである男性、正直今の状況に対してリアクションのしようがない。

 だがその対象たる人、ランドロウさんは何食わぬ顔で俺の隣を行く。

 その道中で軽く自己紹介はしたのだが、それでも気持ちが楽になる訳でもない。

 寧ろ、その内容で更に緊張感が高まった。

 

 ――ベリアル・ランドロウ、本局第四技術部の主任を務める、この道数十年のベテラン。

 多方面で利用される物を手広く、且つ質良く開発する事を念頭に置く技術集団の統括者。

 中でもデバイスの開発・改良に関して、この人の右に出る者は居ないらしい。

 管理局の魔導師なら、必ず一度は彼の手によってメンテナンスを受けているようだ。

 

 そんな凄い人が、何がどうしてか俺の隣を歩いているのだ。

 その慣れない緊張もあってか、すれ違う局員の方達と目は合わせても声を交わす事は出来ない。

 一礼だけという、礼儀としての最低限の行動なのだが、隣の人は違う。

 顔見知りであるからだろう、1人1人にきちんと笑顔で挨拶を交わしていく。

 仏頂面で礼をする俺とは大違い、大人である事がこんなにも遠いとは思ったのは初めてだ。

 

 その中で彼は俺に、決して多くはないが色々な事を教えてくれた。

 この時空管理局の事から、次元世界の事、更にはハラオウン達の事まで。

 特にハラオウン達の事は、耳を疑いたくなるような程のレベルだった。

 3人共、魔導師ランクS以上という年齢的にも破格の実力。

 豊富な才能に溢れ、若年ながら一線級の能力を持ち、数多く活躍してきた少女達。

 しかも10歳にも満たない頃から、管理局に入局していたらしい。

 

 自分がその歳でやっていた事を考えて、すぐに止めた。

 既に将来のエースとまで期待されてる彼女達は、真実として俺の視界から遠くかけ離れていたのだ。

 絶望的なまでの差に、思考は比較する事すら拒んでいる。

 天上の存在、俺の近くに居る事が不自然な位の学友。

 ランクDの平均と評された自分の、悲惨なまでの矮小さを遺憾無く見せ付けてくれる、世界の常識。

 どす黒い感情が、胸に広がる。

 

「さぁ、此処だ」

 

 その言葉と共に広がる視界、ガラスの先に映った場所に彼女は居た。

 恐らく俺達より1,2歳下だろうか、十数人の少年少女を前にして堂々とした出で立ちだ。

 制服らしきものを身に纏った彼女は、今まで見て来たものとは明らかに違う。

 少なくとも、何度もコケそうになった少女には見えない。

 指導する姿は凛々しく、只管に眩しくて尊い。

 桜色の魔法弾を指先一つで巧みに操って、様々な軌道を描く彼女の姿に思わず見惚れてしまう。

 そうして数分間、隣のランドロウさんと共に、無言で彼女を見詰め続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ……」

 

 気付けば小休止となったのか、生徒達が散り散りになっていった。

 両の目で高町をずっと見詰めていたから、時間の感覚とか殆んど麻痺していたらしい。

 訓練室に充満していた緊張の糸がプツッと切れた様子は、つい先程までとは雲泥の差だ。

 そしてガラス越しの高町は、退出するようで出入り口へ歩いている。

 だがその途中で俺達の姿を見付けると、驚きの表情と共に走り寄って来た。

 

「聖君!? ランドロウ主任も……」

 

 本当にこの少女が、先程まで10人以上の生徒に指導していた教官なのだろうか?

 そう錯覚してしまう程、今の彼女は毎日見ていた素の表情だった。

 

「おっす」

「やぁ、こんにちは」

 

 そんな彼女の様子を全く意に介さず、俺達は至って普通に挨拶をした。

 まぁ、俺からすれば1時間前までは一緒だったんだけどな。

 未だに状況を飲み込めていない彼女は、俺とランドロウさんを交互に見ながら現状を理解しようと努めている。

 きっと俺と隣の男性という、一見すると訳の分からない組み合わせ。

 事情を知らない彼女が混乱するのは、まぁ当然と言えるだろう。

 

 さっきのハラオウンみたいに『アワアワ』している高町は面白いが、流石に可哀想だと思ったのか、ランドロウさんが事情を説明し始めた。

 検査を受けた後の俺達に会った時からを、丁寧に細かく。

 説明する手間が省けたので、敢えて俺は何も言わず黙って聴いていた。

 そして漸く、高町も「そうなんだ」と理解へ至る。

 

「ハラオウンも忙しそうだったし、俺も高町が何やってるか興味あったから」

「にゃはは、もしかしてさっきのも見てた?」

「あぁ、バッチリな」

 

 俺の言葉に恥ずかしそうに笑う少女は、やはりいつも通りだった。

 

「あの生徒は、確か魔法学院だっけか?」

「そうだよ。学院側の特別授業で、本局まで来たんだって」

 

 ふむ、聖祥の職場実習みたいなもんか、多分。

 そしてその担当が、高町な訳だ……。

 そんな年の離れていない相手に堂々とした教導を出来る彼女は、確かにこの『戦技教導官』という役職に向いているのかも知れない。

 本当、スゲェ奴だなおい……。

 

「それで、ランドロウ技術主任はどうして此処に?」

「あぁ、レイジングハートのメンテナンスをしようかと思ってね」

 

 ハラオウンの時と同じ、一部の隙も無い笑みで高町に対応するランドロウさん。

 彼の言葉に思い当たる節があったらしい彼女は、「あっ」と気付いた様子で答える。

 

「それ程時間は掛けないよ。軽いメンテだから、4,5分あれば大丈夫だ」

「でも……」

「最近、私の方も忙しくなってしまってね。今日を逃すと、来週辺りまで出来そうにないんだよ、私もマリーもね」

 

 矢継ぎ早に繰り出されていく言葉の連続に、小さく唸って考え込む。

 数分で終わるといっても、今の彼女は仕事中の身。

 あまり離れる訳にもいかないだろうが、しかし相棒のメンテナンスも重要ではある。

 その狭間に、自分の答えを見出せないでいるようだ。

 役職に就く事で生じる責任、それが今の彼女を悩ませている。

 

「今は休憩中だろう? それまでに終わらせる自信はあるつもりさ」

「……」

「来てくれると、助かるんだけど」

 

 ランドロウさんのこれでもかとでも言いたげな連言。

 先程の高町の反応からして、このメンテナンスというのは既に告知されていたものなのだろう。

 それが今まで延びてしまったのは、ひとえに今の彼女の仕事熱心さが祟っての事に違いない。

 悪い事じゃないとは思うが、でも同時に悪い事でもある。

 

「行った方が良いだろ?」

「聖君?」

「事はお前だけの問題じゃない。お前を支えているレイジングハートにだって関係あるんだ」

 

 そう、高町の相棒である彼女にも密接に関わる問題だ。

 今回のメンテナンスを逃す事で、後に重大な問題が発生したなんて事があったら……。

 高町のみならず、レイジングハートも絶対に後悔する。

 俺は、自分の友人にそんな苦しみを味わって欲しくない。

 

「俺も友人として、アイツには万全で居て欲しい。万全なまま、お前を支えていて欲しいと思う」

「……そうだね。私だけの問題じゃないよね」

 

 俺の懇願に近い言葉に、高町も遂に陥落した。

 その結果に俺自身も非常に満足、それは隣の男性もまた同じだ。

 

《Thank you.(ありがとうございます)》

「気にすんなって。友達だろ?」

《...You are a wonderful person.(不思議な人ですね)》

 

 どうやらレイジングハートにとっても、良い結果に繋がったらしい。

 そりゃ、コイツの意見も大事なものだしな。

 高町の首に提げられた紅玉たる彼女は、明滅を以って此方に応えた。

 

「分かりました。レイジングハートのメンテ、お願いします」

「ハハハ、いやぁ良かった。これで拒否されたらどうしようかと思っていたよ」

 

 一部始終を見守っていたランドロウさんは、満面の笑顔だ。

 そんなに嬉しかったのか、それとも自分の状況がそこまで逼迫していたのか。

 きっと後者なのだろうけど、この笑顔を前にそんな勘繰りは不要だと思った。

 

「君もありがとう。デバイスであるレイジングハートの意見を尊重してくれて」

「あぁ、いえ。出過ぎた真似をして、此方もすみませんでした。高町にも、悪いな……」

「ううん、私は嬉しいよ。レイジングハートの事を想ってくれた言葉だから」

 

 何だろうか、こうも自分が肯定的に受け止められるのは非常に言葉に詰まる。

 別にそこまで言われる覚えは無い筈なんだけどな……。

 まぁ何にせよ、これで懸念事項も減った訳だから悪い事じゃない。

 

 それにしても、ランドロウさんの先程の食い下がりっぷりには少し驚かされた。

 至って物静かで優しそうな男性だと思ってたけど、自分の仕事に関する事は全く妥協しない姿勢そのものだ。

 見た目よりずっと情熱に溢れている人らしい。

 確かにこの人なら、癖のありそうな技術者集団を纏め上げるに足る存在だろう。

 師父のように静かな情熱とはまた違った、違う大人の一面を見た気がした。

 

「それじゃ、メンテナンスルームに行こうか」

「はい。それじゃ聖君、ちょっとだけ待ってて」

 

 合意した事で早速移動を始める2人。

 高町の言葉に「おう」と手を上げて答えると、2人は俺を置いてこの場を離れ、通路の奥の方へ歩いていった。

 まぁ部外者に見せたくないもの位は、組織なんだからあるよな。

 見えなくなるまでその後姿を見詰めて、気付けば2人の姿は影形無く消え去った。

 

 そしてこの場に残されたのは、部外者である筈の唯の一般人だ。

 時空管理局という場所で、多くの次元世界を統括する組織。

 そして自分は、その数多ある世界の中の一つで生きてきただけの人間。

 その事実に、此処に居る自分の存在が酷く場違いな気がしてきた。

 一人だった俺が、いつの間にか独りになっている。

 見知らぬ場所に置き去りにされたような心細さが心を埋めていく。

 

「……」

 

 何も言葉に出来ない。

 一緒に来てくれたハラオウンと高町が居ない、唯それだけだと言うのに……。

 ――自分の弱さが恨めしい。

 

「って馬鹿だろ、俺。この歳で寂しいなんて……」

 

 頭を振ってその考えを拭い捨てる。

 そんな子供染みた感情、この場に於いては不要なものだ。

 湿った空気のような気を紛らわせる為に、俺はガラス張りの部屋の先に視線を移した。

 和気藹々としてる子供達を見てれば、多少の気は紛れるだろうと思っての事だ。

 制服に法衣のようなものを羽織った姿は、何処か本の中の魔法使いを髣髴とさせる。

 そのファンタジックな出で立ちは、本を読んでるかのような錯覚に陥って、少しは俺の気が鎮まってくれると期待した。

 

 ――――でも

 

「おい……何やってんだよ、アレ……」

 

 視線の先、訓練室の一角。

 高町の訓練の小休止、思い思いの談笑の時間だろうその場は……。

 何人もの生徒の視線を釘付けにする光景に、様変わりしていた。

 思わず透明の壁に両手を力一杯に叩きつけて顔を近付ける。

 遠巻きに見ている彼等の視線の先、俺の双眸を射止めて放さないそれは……

 

「苛めじゃねぇか」

 

 数人の男子が、1人の女の子にちょっかいを掛けている様子。

 もしそれが言葉通りのものだったら、俺は此処まで動揺しない。

 最も俺が驚いているのは、そこに――――魔法が絡んでいるという事実。

 女の子の周りをクルクルと2,3個の魔法弾が、まるで獲物を捕らえる直前のように飛んでいる。

 渦中に居るその子は、酷く怯えた様子で固まってしまっていて全く動けない。

 

 対してその様子を楽しみながら見ている子供達は、見た目通りの悪ガキ。

 周囲は彼等をチラチラと見ているだけで、誰もこの状況に関わりたくないという意思を示していた。

 でも、それを見ていたのは彼等だけじゃない。

 此処に居る俺もまた、その目撃者の1人だった。

 

「……」

 

 女の子の周囲を取り巻く魔法弾の円周間隔が狭まって、少女の表情に一層の怯えが湛えられる。

 気付けば壁に張り付けていた両手が強く握られて、拳となってワナワナと震えていた。

 

 ――その顔を、誰が好き好んで見るものか。

 

「くそったれ!!」

 

 もしこの時、高町に念話をしていれば簡単に事を収められただろう。

 でも今の俺にはそんな考えなど微塵も無くて、心にあるのはたった一つ……

 

 間に合え、唯それだけだった。

 訓練室のドアのスライドする時間すらもどかしく、数十センチの隙間を縫うように入室。

 そのまま全力を以って、渦中に居る少女の許へ。

 悪ガキ達と少女を除く生徒達が俺に気付くが、誰一人として口を開けていない。

 そのまま回り込んで集団の中に乱入した。

 鬱陶しく飛び回る弾を姿勢を低く掻い潜り、背に少女を収めて少年達と対峙。

 

「何やってんだよ、お前等」

 

 目の前の魔法使い達に、魔導師ですらない愚か者が立ち塞がる。

 この行動がどれだけ馬鹿げた事でも、他人に笑われようと……。

 その程度の悪口、被る覚悟はとうに出来ている。

 

 今は唯、この胸に宿る自分の想いに忠実でいたい。

 それだけが、俺を此処に立たせている理由であり――

 

 

 

 ――ハラオウン達に負けたくない、ガキの意地だった。

 

 

 

 

 

 

 




どうも、おはこんばんちはです( ・ω・)ノシ
№ⅩⅩⅤをお読み下さり、ありがとうございます。

聖祥付属中も遂に1学期が終わり、夏休みへ突入。
それが何を意味しているか…………多少のトラブルが発生しても問題無い状況になりました。
もし大きな事件が起こってしまっても、気付かれる事も少ないでしょうね(・´ω・)
そしてまたもオリジナルキャラである『ベリアル・ランドロウ』技術主任の登場です。
いやだって、StSで第四技術部主任のマリーがこの時はまだ20歳ですから、主任にするには早過ぎるかなと……。
クロノはまぁ、次元航行艦の中の艦長の1人ですから、規模としては小さい方……ですよね?(´・ω・)
更に余計な事に首を突っ込んでしまった聖、このイザコザの行方は一体どうなってしまうのか?
答えは次回です。

今回はこれにて以上となります。
感想や意見、タグ関連やその他諸々は遠慮無くドシドシ書き込んで下さい。
直接メッセージでも、作者的にウェルカムです。
では、失礼します( ・ω・)ノシ


最近は、固定で感想を書いてくれる人が居てくれてますね。
ですが他の人の意見も、非常に聴きたい作者でございます。
少しでも構わないので「自分が書かなくても、誰かが書いてくれるだろう」と思わずに、お願いしますm(_ _)m
これを読んでいる皆さんが、この作品に一体どのような想いを抱いているのかを知りたい、というのは作者としてアリですよね?
宜しくお願い致しますm(_ _)m



嘘予告ネタは無いですよ?
ある意味のキャラの練習のようなものですし、そもそもネタも無いんです(ティアナと前回のフェイトは即興ですから

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