少年の誓い~魔法少女リリカルなのはO's~   作:さっき~

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――本格的に始まった私こと高町なのはによる、瑞代聖君への教導。
――初日にて発覚した彼の持つ魔法資質、無意識下での『流動』への変換。
――それを知る事で、彼の魔導師としての方向性は決まった。
――如何にして流動という力を活かすか、そして聖君に合った魔法戦の戦術を見付けるのが今後の課題。

「くっ、こっち……!!」

――その中でまず何よりも必要だと思ったのは、防御や回避と言う身を守る為のスキルだった。
――眼下では現在、私が放つ追尾弾をシールドで防いだり避けている聖君の姿。
――教導隊でもよく使用される、弾丸回避訓練(シュートイベーション)と呼ばれるものを実行中。
――対魔導師戦で処理や回避の困難な自動追尾弾、思念操作弾への対応を覚える為には持って来いの訓練。
――頭で理屈を覚えるよりも、倒れる程の実践を通して体で覚えさせるという、教導隊の教えに限り無く近いもの。

――事実、この一週間で彼はその技術を伸ばしていた。
――最初はシューター3発で30秒持たせるのも難しかったけど、何度も体に弾丸を叩き込まれていく内に、自然と避け方や防ぎ方、視線を向けるべき方向を覚えて、今では6発で1分がアベレージになっている。
――通常の回避から、ラウンドシールドによる防御、リペル・アトモスフィアによる弾速減少中の回避、その使い分けも上手く出来てる。
――元から肉体的なポテンシャルや思考・反応速度は常人以上、それに加えて本人の血の滲むような反復練習によって、少しずつだけど確実に成長している。
――『聖専用 魔法講座ノート』のページもどんどん埋まっていく、とは本人談。

――うん、とても真面目な生徒さんで、教える方もつい熱が入っちゃうね。
――眼下で一生懸命に弾丸を往なすその姿に、レイジングハートを構える腕がウズウズしてきた。

「聖君、大きいの行くよ!!」
「ちょっ、ま、待て……それはっ!?」

――きっと砲撃への対応だって必要になるよね?
――そう自分に言い聞かせて、バスターモードに変形したレイジングハートの先端を聖君へ向ける。

《Ms.Raising Heart,Please stop your master.(レイジングハート、貴女のマスターを止めて下さい)》
《It is safe.It's any experienced thing.(大丈夫ですよ。何事も経験です)》
「既に経験済みだぞ、オイ!!」

――その叫びも虚しく、杖を包む環状魔法陣は桜色の魔力を増大させていく。
――大丈夫、気絶する程の威力じゃないから。
――下手したら色々と拙いけど、レイジングハートが言ったようにきっと大丈夫だよ。

「ディバイン、バスター!!」

――バスケットボール程の大きさにまで膨れ上がった魔力を一気に放出し、桜色の奔流が地上へ降り注ぐ。
――大気を突き抜ける光の帯は凄まじい速度を以って、真っ直ぐに聖君へ伸びていった。

「シールド!!」

――バスターを阻むように展開される灰色の魔法陣。
――それはつまり、彼が状況に応じての判断を冷静に下せているという証拠。
――それじゃあ次は、防御力を確かめないとね。
――攻める魔法と受ける魔法、瞬く間に両者の距離はゼロに、鎬を削る対峙を為す。
――衝撃で踏み込んだ足が地面を抉り、徐々に後退していく聖君。

――そして

「まだまだ!!」

――私の砲撃が彼の防御を貫いた。
――押し潰すように盾を破った光線は、聖君を伴って爆発。
――砂煙が吹き上がり、着弾点の周囲をカーテンのように覆う。
――数秒間の静寂、そよ吹く風がそれらを巻き込んで視界を晴らし、そこで気付いた。

「やり過ぎちゃったかな?」
《Don't worry.(いいんじゃないでしょうか)》

――仰向けで地面に倒れている、聖君の姿。
――非常に疲れたような、それでいて不条理を嘆くような顔で。
――不服そうに私を見詰めていた。


――確実に一歩一歩進んでいる、間違いなく最初の頃より彼は頼もしくなっていた。
――でも何故か、時折見せるその瞳に、不安を抱かずにはいられなかった。








N№Ⅲ「すれ違う想い」

 

 

 

 

 

 眼前のテーブルに並ぶ料理の数々。

 色取り取りのそれらは、一つ一つがメインディッシュを誇るかの如く仕上げられている。

 放たれる香りが鼻腔をくすぐり、味や舌触りの想像を否応無く膨らませ、胃に運ぶ時を今か今かと待っていた。

 

 ……本当に美味そうだ。

 決して格式の高い華美なメニューではない、一般家庭にだって当然出るだろうものばかり。

 それでも目の前に繰り広げられる世界地図のような色彩は、確実に俺の食欲に侵食し刺激する。

 今すぐにでも箸を取り、全てを心行くまで食したい衝動が思考を埋め尽くす。

 しかしその全ての感情すらも、目の前の現実の前では霧散してしまう。

 

「恭ちゃん、お醤油取って」

「ほら、あまりつけ過ぎるなよ」

「いやぁ、仕事の後の美味い飯は最高だな」

「そう言ってくれると、腕を揮う甲斐があるってものね」

 

 アッサリと、しかしお互いを思い遣る兄妹。

 ベッタリと、愛情を周囲に振り撒く夫婦。

 そして……

 

「聖君、どうしたの?」

 

 俺に不思議そうな顔を向けている少女、高町なのはの姿。

 純粋な疑問に首を傾げながらの様相は、歳相応の可愛らしい少女そのもの。

 左側に束ねられた栗色の髪を揺らして彼女は、此方を真っ直ぐに見詰めている。

 卑怯なまでの愛らしさを秘めるその姿、しかし今の俺にそれは効きやしない。

 

「いや、何でも……」

「どうしたんだい聖君、手が止まっているじゃないか」

 

 高町にばかり意識が向いていた俺に振られた、指摘するような男性の声。

 まともに反応を返せないままその人を見れば、何が不満なのか、俺を促そうとしている。

 

「遠慮なんてしなくていいのよ。沢山食べてね」

 

 かと思えば、今度はその隣の女性のはんなりとした言動が耳に止まる。

 続け様に発される、俺の引き際を無くそうとするそのコンビネーションは、この2人が夫婦たる所以だろうか?

 いや、そんな事を考えるのも無粋だ。

 最早、今の俺に逃げ場なんてものは存在しない。

 右手に持つ箸を動かす事だけが、今俺が此処に居る意味なのだから。

 

「い、頂きます」

 

 半ば緊張気味にそう口にして、俺は目の前に広げられた料理へと箸を付け始めた。

 その様子を微笑ましそうに、大層可笑しそうに見ている高町一家。

 さて、どうして俺は此処でこうして、高町家の皆さんと食卓を囲んでいるのでしょうか?

 それにはまず、本日の昼間の出来事を思い返す必要があるだろう。

 …………

 ………

 ……

 

 

 

 

 

 

 

 四足の低いテーブルと、柔らかな青色のソファを備えた高町家の居間。

 その卓上に教科書やノートを並べ、俺と高町は夏休みの宿題に勤しんでいた。

 正直、朝早くからの訓練でクタクタではあるのだけど、学生の義務として怠る訳にもいかない。

 学校長から免除を受けている身として、可能な限り優秀な成績と生活態度を示さなければ、立場もへったくれも無いのだから。

 ペンをノートに走らせ、教科書の問題を解いていく。

 元々中学が始まったばかりの問題だから、難しいものなんて何も無い。

 高町が優秀なのは当然として、俺もそれなりに勉強には自信がある。

 故に、片手間で大した意味の無い雑談を交わしながらも、純然たる静寂が空間を支配していた。

 高町が提案を口にしたのは、そんな時だった。

 

「突然なんだけど、合宿しようと思うんだ」

 

 突然だな、本当に。

 腹の底に溜まっている疲れを誤魔化すように教科書に集中していた俺に向かって、既に確定事項のように用件を述べやがった彼女は、何の悪気も映らない双眸を此方に向けている。

 急に合宿って、一体どういう訳だ?

 俺からすれば、コイツの家に来てるだけでも充分それに近い事だと思うんだが……。

 

「ここ一週間ちょっとの朝と夜の訓練で、聖君の魔法戦での機動力も少しずつだけど付いたと思う」

 

 だから今後は、じっくりと突き詰めていきたい、と彼女は語る。

 その為には少しでも長い時間を掛けての訓練が必須、ならば必然的に一緒に居るべき時間を増やす必要がある。

 そこで高町の提案、数日程だが高町家に泊り込みでの合宿をしようというのだ。

 

「別にそこまでしなくても……」

 

 彼女の意に対する俺の第一声は、少し呆れ気味なソレだった。

 今だって充分一緒に居る時間が圧倒的に多いと言うのに、これ以上増やしてもどうかと思うというのが、本当の所。

 日替わりでひなた園と高町家での勉強会を行っている現状だが、流石に泊り込みとなると拙いだろう。

 

 家族が居るからと言っても、高町は俺と同い年の女の子なんだ。

 そんな気は毛頭無いつもりだが、それでも何かあってはお互いに困る。

 何よりも士郎さんや桃子さんだって、俺が泊まる事を許す筈が無い。

 だって2人は、高町のご両親なん――

 

「こうして家に来てくれてから、2人共凄く嬉しがっちゃって。今度は是非泊まりに来て欲しいって言ってたよ」

 

 ――ですよね?

 何故だろう、高町家の情操教育に酷く歪なものを感じてしまう。

 アンタ等本当に親なのか、と失礼極まりない問いを向けたい衝動に駆られた。

 それにしても家に来た位で次は泊まりなんて、幾らなんでも発展し過ぎじゃないのか?

 歓迎してくれているのは嬉しい、だけど俺はそこまで受け入れられるような奴なのか甚だ疑問である。

 

「お父さんも、色々話したい事があるんだって」

「士郎さんがなぁ……」

 

 思い返すのは、俺の目標である1人の男性。

 優しくも力強い精神、屈強な肉体を持つ高町士郎さん。

 大人として、父親として完成されたあの人が、一体俺と何を話したいのだろう?

 

 説教しか全く以って予想が付かない。

 ……まぁ、良い意味で歓迎されてるみたいだから悪い気はしない。

 つーか、背中の辺りがむず痒い。

 

「聖君、顔赤いよ?」

「なっ、何でもねぇよ……!!」

 

 心が浮き立つような感覚、記憶に存在するそれは、師父に褒められた時と同じもの。

 自然と熱くなる顔は赤みを帯びて、少女の無遠慮な覗き込みによって明後日の方向を向かざるを得なくなる。

 それが自分の墓穴を掘る行為だと分かっていながら、半ばヤケクソ気味に顔を背けた。

 ったく、そんなの自分で分かってんだよ……。

 

「それに、急に言われてもウチの方にも事情があるんだぞ」

 

 ひなた園は、様々な事情で行き場を失った子供達を養護する施設。

 俺を除く13人の子供達を世話する師父とシスターの苦労は、常人では耐えられない程にまで上っている。

 だからこそ俺が可能な限りの手伝いをして、2人の苦労を少しでも和らげようとしているのだ。

 だが、此処で急にその人手が無くなってしまえば、たとえ微力であろうともその負担が2人に圧し掛かる。

 その状況は最も避けるべきもの、俺は己の誓いに背く訳にはいかないのだから。

 

「あ、それなら大丈夫だよ。今朝、お父さんが電話して確認取ってたから」

「即行かよ……」

「それに了承は貰えたって言ってたから」

 

 あぁ、そういえば師父が電話受けてたな。

 朝早く携帯からだったから珍しいなとは思っていたけど、まさかあれが士郎さんだったとは……。

 しかも師父、何で問題無く了承してるんですか。

 あの人の意見は個人によるものではない、恐らくだけどシスターや弟妹も承諾してるのだろう。

 つまり、誰も否定意見を申す者は居ないという事だ。

 

「大丈夫だよ。ひなた園と同じように寛いでくれて構わないから」

「……心配の種はそっちじゃねぇ」

 

 進退窮まる、外堀を埋められるとは正にこの事だ。

 自分を差し置いて決められた現状に、何かしらの謀略が働いていると勘繰ってしまう。

 主に大人達的な意味で……。

 何処かすっ呆けた高町のフォローに頭を悩ませつつ、俺は結局逃げると言う選択肢を選べなかった。

 

 ――――別に、楽しみだなんて少しも思っていないからな?

 

 

 

 

 

 

 ……

 ………

 …………

 高町一家(+おまけ)の夕食は恙無く終わった。

 途中、何度も桃子さんが「美味しい?」と訊いてきて、色々と気が休まらなかったのは良い思い出として残しておく。

 でも本当に美味かったし、心底嬉しそうに表情を綻ばせる桃子さんを見れたのは、お釣りが来る程の儲けだ。

 その様子を隣で微笑ましそうに見ていた士郎さんもまた、翠屋に居るマスターとしてじゃなくて、1人の夫として妻の喜びを噛み締めて……。

 恭也さんと高町さん、そして高町も2人の様子を楽しげに見詰めて、穏やかで温かい空気が終始流れていた。

 素直に、良いと思える光景。

 ひなた園とはまた違う、高町家の一家団欒を垣間見た瞬間だった。

 

 そしてその後は、高町と共に桜台へと来ている。

 理由は言わずもがな、『なのは教導官(せんせい)の個人レッスン(命名:高町なのは)』夜の部だ。

 今回も前と同じ、高町さんの逢引発言を聴きながらの外出。

 恭也さんの殺気立った気配に身震いを覚えたが、そこは高町の鈍感スキルの加護により切り抜ける事が出来た。

 ……ったく、逢引じゃないっての。

 

「ほら、よそ見しないで!!」

 

 っと、拙い。

 こめかみに向かって楕円の軌跡を描く弾丸、桜色のそれは俺を昏倒させようと襲い掛かる。

 素早くシールドを作りそれを受け止め、そのままずらして後ろへと流す。

 しかし直後、今度は2つの光弾が上下から迫ってきた。

 両弾共に俺の正中線をなぞる軌道、ならば回避は容易い。

 半身を引いて地を蹴り、横っ飛びの要領で往なす。

 

「まだまだ行くよ」

 

 今度は3発、前方と左右から蛇の体躯の如き不規則な弾丸。

 全て防ぐのは不可能、避ける為のルートは前方の弾丸の真下1メートルの空間のみ。

 

「アポクリファ!!」

《Repel Atmosphere(リペル・アトモスフィア)》

 

 俺の体から発せられる風、近付く全てを阻む斥力の波動。

 それにより3方の弾丸が減速し、隙を突いて回避ルートへスライディングで潜り込んで抜ける。

 靴底が砂埃を立て、土を削りながら滑っていく。

 

 純白の魔導師、高町の位置は変わらず上空で固定されている。

 その周囲を飛び回る弾丸は残り3つ、現在俺を狙っているのが計6つ。

 すぐに方向転換して此方へ襲い掛かる。

 ――――到達まで1秒。

 

「くっ……!!」

 

 考えている暇なんて無い。

 何度も見て、何度も受けた弾丸の対処法なんて、本能で理解している。

 あんなバラバラに散らばっている状態では、確実に受け止める事は出来ない。

 真っ直ぐに此方へと集う弾丸の軍勢を横目に、俺は走り出した。

 

 反時計回りの大きく弧を描くルート、高町との距離を一定に保ちながら、視界には常にシューターを入れておく。

 案の定、俺に近い光弾から順に軌道修正を行い、再び追尾を開始する。

 それを目視で確認し、更に疾走を続ける。

 弾速はそれ程速くは無い、此方のスピードとほぼ同じだから簡単に追い着かれる心配は無い。

 

 半周ばかり走り終え弾丸の位置を確認、今度はその群れに少し近付くようなルートに変更。

 その背中を追って、続々と俺へと群がるハイエナ共。

 

「そろそろか……」

 

 スピードを緩めず、チラリと背後を見遣る。

 6つの光弾、それぞれが様々な軌道を描き、最終目標物たる存在(オレ)へと集う。

 だがその陣形は、既に崩壊している。

 バラバラに散らばっていた筈の弾丸は、2度の進路変更によって俺の後を真っ直ぐに追う形に変わっていた。

 つまり、俺のルートに沿って固まっている状態に変化させられているのだ。

 

 ――――後は、根気の勝負。

 最後の一工程、地面を擦りながら急停止して体を反転させる。

 

「シールド!!」

 

 迫り来る光球の群れ、先程までは範囲が広過ぎてシールドをすり抜けられる可能性があった。

 だが今の状態ならこの盾1枚で事足りる、残る問題は強度だけだ。

 掌を桜色の軍勢に向けて瞬時に魔法盾を形成、すぐ眼前にまで迫っていた弾丸が直撃した。

 

「っ……!?」

 

 たった一発、さりとて与える衝撃は尋常ではない。

 手心を加えた師父が放つ拳打を掌で受け止めた時と同質の振動が、骨を伝って肘にまで到達する。

 このままでは3発目で盾がひび割れ、4もしくは5発目で破壊される。

 有りっ丈の魔力を盾に叩き込んで強度を高めて群れを迎え撃つ。

 灰色の魔法陣が呼応するように高速回転を繰り返し、苛烈な魔力弾の嵐がそれを打ち崩しに掛かる。

 

「ぐっ、つぅ……」

 

 まるで機関銃のよう。

 接触の間は1秒も無い、衝撃の値はその度に乗算され、右腕を通してその現実を否応無く知らしめる。

 使用魔力の底上げを行った盾であってもこの威力、もし判断が少しでも遅れていれば、この右腕は容易く弾き飛ばされるだろう。

 威力の低い訓練用の魔法弾だと言う高町の言葉が、途端に信じられなくなった瞬間だった。

 

「……っざけんな!!」

 

 いや、その言葉は真実、結局は自分の力不足が招いた結果だ。

 彼女を非難する言葉を吐く前に、自分の劣っている部分の見直しから始めろ。

 自身の弱さから零れ落ちた『逃げる心』に喝を入れ、歯を食い縛り地を強く踏み締める。

 いつの間にか残り3発の弾丸も発射されている……此処が正念場ってやつか。

 

「くっ、そぉぉぉ!!」

 

 腹の底に溜めた気概を悪態と共に吐き出し、桜色に淡く光るソレ等を見据える。

 そしてせめぎ合いは、3つの光点が着弾する事で頂点へと至る。

 時間差なんて無いほぼ同時の着弾は、今までの訓練で最高の攻撃力を誇っていた。

 段々強くなる(クレッシェンド)なんかじゃない、これは一気に強くなる(フォルテッシモ)だ。

 踏み込んだ地面が抉れるが、そこは男としての意地で耐える。

 

 この訓練、始まった当初から数えれば20回は優に超えているのに、今まで一定時間を耐え切った事は一度も無い。

 少しでも結果を見せなくては、訓練してくれている高町に申し訳無いし、変われない自分を許せなくなる。

 

 前方に群がる魔法弾は盾に喰らい付き、その構成を侵食する。

 表面には亀裂が走り、瓦解寸前となった灰色の盾。

 桜色の脅威に貪り尽くされたソレが、とうとう限界を向かえ、消え去る瞬間――

 

「っっっ…………えっ?」

 

 ――光弾が、消えた。

 微風に吹かれて飛ばされたかのように、綺麗サッパリ、極自然に空間から霧散した。

 何が起こったのか……分からない。

 分かる事は、俺を襲う光弾の存在が完全に無くなったという事実。

 

 急変する状況、感情と理性が意味不明という解答のみを出す。

 そして……全身の力が抜けた。

 訓練によって研ぎ澄まされ、張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れたのだ。

 

「はぁぁぁぁ……」

 

 膝から崩れ、そのまま前のめりに身を投げ出す。

 頬を当たる土の冷たさが、茹だるような暑さには嫌と言う程気持ち良い。

 疲労が全身を急速に駆け回り、呼吸も酸素を過剰に摂取しようと躍起になっている。

 

 ――――あぁ、疲れた。

 

「2分、耐えられたね」

「えっ?」

 

 ふわりと、頭上から舞い降りる声。

 優しく穏やかに、小雨のように降り注ぐその音色は、心に染み入るように溶けていく。

 顔を上げれば目の前に、純白を身に纏う少女がやんわりとした笑顔で俺を見下ろしていた。

 2枚重ねのスカートの内側が微妙に見えそうなアングルだった事実は、目を逸らして頭から打ち消しておく。

 

「3日前から始めた9発でのシュートイベーションだったけど、対応もきちんと出来てきたね」

「そりゃ、どうも……」

 

 体を無理矢理起こす事で、視線の高さという精神衛生上の問題をクリアする。

 目に毒だ、あの光景は……。

 ふぅと一息吐いて、漸く彼女の言葉を聴く体勢になった。

 

「魔法の選択・展開速度も上々、魔法自体にも慣れてきたみたい」

「そりゃあ、最近はずっとこれだからな。この位が出来て普通だろ」

 

 寧ろこの程度が出来なけりゃ、本当に能無しだろう。

 今まで嫌と言う程の高町による反復練習、只管避けて受けて喰らっての繰り返し。

 それをあれだけ繰り返せば、対処法は思考ではなく本能に刻まれる。

 体に付いた痣の分だけ、俺はゆっくりと前に進んでいる。

 

 ……だけど、その距離は決して長くない。

 

「全然駄目だ」

 

 9発のシューターは今日で3日目、そして今日漸く時間内での完全回避を達成した。

 でもそれは、本来なら3日も掛かる筈の無い訓練だ。

 

 高町にも言われたのだが、俺は魔法に対して自分の理屈で動き過ぎる嫌いがある。

 先程の追尾弾を誘導する行為も、俺の予想が外れていれば半分は防げても、もう半分は確実に俺を狙う。

 もっと魔法に対して相応の思考と反応をしなければ、いつか自分で自分を窮地に追い込む。

 

 そういった部分で俺は、頭でっかちの大馬鹿野郎だ。

 高町(せんせい)の教えを全く反映出来ていない、駄目な生徒。

 これじゃ、魔法の為の訓練になりやしない。

 

「まぁ、その辺りは今後も突き詰めていけば大丈夫だよ」

 

 彼女は笑顔でそう言うが、やはり俺には納得致しかねる。

 俺を狙う黒衣は魔導師であり、その為に俺は魔法訓練をしているのだ。

 なのにこれでは非効率極まりない、強くなるなんて夢のまた夢。

 自分の不器用さと不甲斐無さに腹が立つ。

 こんなんじゃ、高町の足を引っ張るだけじゃないか。

 

 せめて――

 

「なぁ、何で攻撃魔法の練習をしないんだ?」

 

 教導が始まってから一度として使っていない魔法。

 身を守るのではなく、敵を打倒する為の力。

 それさえあれば、先程のシュートイベーションだってもう少し健闘出来たかもしれない。

 あれには一定時間の回避だけでなく、術者に一撃与える事も達成条件に入っている。

 実戦に於いても、逃げ回るだけよりも相手を倒せた方が確実だ。

 しかし高町は、一度として俺にその魔法については教えてくれない。

 困ったように俺に笑い掛けるだけ……。

 

「まだ聖君には早いよ。まずは確実に魔法を対処出来るようにしなくちゃ」

「何だよ、確実って……」

 

 このままじゃ高町の力になれないって言うのに、それでは何も分かりやしない。

 いつその『確実に対処出来る』ようになるのかすら、全然予想が付かない。

 もしかしたら、一生その場所に辿り着けないかもしれないという不安にすら駆られる。

 

「大丈夫。だから今は、訓練通りにいこう」

《Surely by one step.(一歩ずつ確実に)》

「レイジングハートもこう言ってるんだから」

「……あぁ」

 

 高町とレイジングハート、2人による応援染みた声色。

 体の疲れを吹き飛ばすような、高らかな元気溢れる声援。

 それでも俺の心の不安は、決して拭える事は無かった。

 いや、逆に沸々と表層へと侵食していく。

 

 ――本当は高町自身も、教える気が無いんじゃないのか?

 ――面倒な状況を避ける為に、適度にあしらってるだけなのではないか?

 

 何の根拠も無いその思考、しかしそれが完全に拭える事もまた、無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~Interlude side:Nanoha~

 

 

 ふぅと一息を吐いて、部屋に鎮座しているベッドに腰を下ろす。

 背を向けた先にある窓から吹く風が、お風呂で火照った体を程好く冷ましてくれるのが心地良い。

 その快感に浸り、体に溜まった疲れに身を委ねて眠ってしまいたくなる。

 けれどそれは駄目、私にはまだやるべき事があるんだから。

 

「レイジングハート」

《All right.It is this grading.(分かっています。今回の彼の採点ですね)》

「うん。レイジングハートから見て、今回の聖君はどうだった?」

 

 小棚の上にある電気スタンドの隣、ハンカチに乗せられた紅玉姿のパートナーに告げる。

 最近、一日の終わりと称して行っている私とレイジングハートの話し合い。

 今日も今日とて、教導による聖君の対応を評価していく。

 

《The judgment after my physical strength is neatly understood is wonderful.(自分の身体能力をきちんと理解した上での判断は素晴らしいものです)》

「そうだね」

《Perhaps, the usage of the body might have been naturally remembered by the training that he had done up to now.(恐らくですが、彼が今まで行ってきた鍛練によって、体の使い方を自然に覚えたのでしょう)》

 

 シューターの弾速を見極めて、自分が出来る行動範囲を即座に理解する。

 それは誰にでも出来るものじゃなく、何年も地道に鍛錬し続けた彼だからこそ出来る、反射神経が与える恩恵。

 

《However, there is part where it relies on only the sense by yourself a lot. I think that you may multiuse the defense by magic a little more.(しかし、己の感覚にのみ頼ってる部分が多々あります。もう少し魔法による防御を多用しても良いと思います)》

「でも、私達と違って総魔力量が少ないから、そこを考えての事じゃないかな?」

 

 受け止めるのではなく、避ける事を重要視してるのは、シューター1発に対する消費魔力を鑑みての結果なんだと思う。

 被弾率が高くなるのは確かだけど、全体を通しての消費魔力はそれだけで大きな差を作るだろうし……。

 だけど堅実な行動こそが生存率を高める要素だから、私自身もレイジングハートの意見には賛成かな。

 けど今までの訓練で、決して見逃せない彼特有のスキルもあった。

 

「でも、あの反応速度は凄いよ」

《Yes, be going around training by middle range now, and if that becomes a cross range stove......(えぇ、現在はミドルレンジでの訓練を中心に行っていますが、あれがクロスレンジになれば……)》

 

 始まった当初は魔力弾に対して直線的な回避しか出来なかったけど、今はそれ以上の対応を見せている。

 弾速を見極め、自分が回避可能な距離の限界まで引き付けて、弾道の変化を最小に抑える。

 理屈で分かっていても、それに必要な動体視力や身体能力は常人ではまず困難。

 それをほぼ生身に近い状態で行っている。

 もし彼が私と同等、もしくは少しだけ低いレベルの魔導師だったなら――

 

「私でも、クロスレンジの完璧な対処は難しいかも……」

 

 今は私の操作じゃなくて自動追尾での訓練だけど、あの見切りならいつか、操作弾にもすぐに対応出来るかもしれない。

 複数に対する反応だって、場数をこなせば幾らでも応用が利く。

 聖君は魔法資質以上に、自身の全感覚を用いての機動戦を得意としている。

 お父さんの言っていた『生傷の絶えない日々』が、きっとそれを与えたのかもしれない。

 家族を守る為に戦い続けた彼の、努力だけで積み上げた才能を……。

 

「だけど、やっぱり危険だよね」

《There is no exception and....... From I to evaluation of 50 points therefore.(例外無く……。なので私からは、50点の評価です)》

 

 彼の素での防御は危うい。

 アポクリファによる強化魔法を用いても、シューターを10発叩き込めば絶対に耐えられない。

 砲撃ともなれば一点突破である分、一撃で抜かれる可能性が圧倒的に高い。

 レイジングハートの指摘も、その点を加味してのものだと思う。

 やっぱり今後は魔法での防御を多用させるべきかな。

 

「そうだね。最近はラウンドシールドの展開も高速で出来てるし、次のステップに進む為には、これまで以上に正確な発動を意識させなきゃ」

 

 まだ本格的な戦術を決めるには早い。

 出来る事を一つ一つ、確実にこなせるようになってからで充分。

 聖君の持つ才能はいつか必要になるけど、まずは基礎的な部分を固める。

 階段を一足飛びして踏み外しちゃったら、きっと取り返しのつかない事になる。

 

 あの時の私のように、大怪我に繋がる可能性だって充分にあるから。

 ……あんな辛い思いを彼に味わってほしくない。

 私の教導は彼を傷付けるものじゃなくて、彼を守るものじゃないといけない。

 今はゆっくりかもしれないけど、一歩一歩確実に進んでいこう。

 そう心に強く念じて、明日の訓練への意気込みを秘める。

 

「それじゃレイジングハート、いつも通り、始めよっか」

《It's that.(アレですね)》

「そう、アレだよ」

 

 気持ちを切り替え、今度は別の議題。

 今はまだ言えないけど、いつかきっと必要になるモノ。

 私とレイジングハートだけの秘密。

 月が中天を下るまでずっと、枕元の小さな明かりを頼りに……。

 私達は絶え間無く、語り合っていた。

 

 いつか来る、その日の為に……。

 

 

~Interlude out~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 身を仰向けに倒しても、不安は拭えなかった。

 窓から映る銀月の光で心が安らぐ訳も無く、優しき光は内に秘められた不安を増大させる。

 畳を構成するい草の香り、穏やかに流れる涼風だけが今の俺の平静を保っていた。

 月が中天に差し掛かる間際、漸く床に就いたというのに眠れやしない。

 これでは、俺に部屋を宛がってくれた士郎さんに申し訳が無い。

 

 その眠気を阻害する理由は、今日の訓練の事。

 分かっている、高町の言ってる事が正しいって事は……。

 俺の考えの方が正しいなんて、これっぽっちも思っていない。

 それでも何処か、釈然としないモヤモヤが心に渦巻いている。

 

「……」

 

 掴めそうな場所の異物なのに届かない、気持ち悪さが全身を襲う。

 どうにか振り払いたくて、無理矢理目を瞑るが意味は無い。

 心臓を緩く締め付ける、蛇の体躯のような感触が消えてくれない。

 早く忘れないと、心を切り替えて、明日も頑張らないといけないんだ。

 そうしないと、また高町に迷惑を掛けてしまう。

 また彼女が困ったような笑顔を浮かべてしまうから……。

 

 

 

 

「……あれ?」

 

 サイドテールを静かに揺らす少女の姿、今日まで憶えている姿を思い返してみて気付いた。

 それは別段、特に変わったものではないけど、どうしてか気に掛かった。

 

 ――――俺、アイツの笑顔ばかり見てる気がする。

 

 その何気無い一つ、どうしてそんな考えに至ったか分からないけど……。

 決して、忘れてはならないものだと感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、今日も今日とて、気持ちの良い晴れ晴れとした天気。

 夏の暑さも近海から吹く風によって、幾分か和らいでとても過ごし易い。

 朝の訓練も終え、美味しい朝食も頂いて、さて宿題に勤しむかと意気込んでいた。

 しかし気付けば……

 

「皿洗いの最中」

 

 人生とは斯くも分からぬものなり、なんてクダラナイ事を考えていたりする。

 目の前に大量に鎮座している皿、コップの数々。

 その一つ一つを底抜けのラックに載せて、横にある巨大な洗浄機に入れていく。

 パン屑やクリームがこびり付いたソレ等は、如何にも使用済みの跡が見て取れた。

 それもその筈、これは『翠屋』のメニューに提供された器なのだから。

 

「それにしても、全然減らねぇ……」

 

 この作業を始めて早2時間が経っているが、減っては増えて、減っては増えての繰り返し。

 洗い終わった皿やコップを決められた場所に置いても、次の瞬間には無くなっている。

 その為、自分がどの位の食器を洗ってきたのか、既に感覚が麻痺してしまった。

 単純作業故に疲労は溜まり難いが、それでも洗浄機から漏れる水蒸気は俺を執拗に狙ってくる。

 お陰で額からは徐々に汗が流れ出して、拭うのが面倒になる程だ。

 

「本当、タイミングが悪いと言うか……」

 

 どうして俺が、翠屋でこのような雑事に精を出しているかと言うと、簡単に言えば臨時のバイトのようなものだ。

 高町と宿題をしていた時に届いた突然のコール。

 それは翠屋で働いてる最中の士郎さんからのものだった。

 アルバイトの人が体調を崩して出れなくなってしまい、人手が足らない。

 だから高町と俺に、昼の間だけでも手伝って欲しいとの事だ。

 

 高町にとっては家族の一大事、俺としてもお世話になっている人達の力になる。

 二つ返事でそれを引き受けて、宿題もそのままに翠屋まで走り出した。

 そして今に至ると言う訳だ。

 

 本当なら接客の方に人手を集中させたい所だが、小さい頃から何度か手伝いをしていた高町とは違い、不慣れな俺を前線に投入するには些か不安。

 不慣れ以上に無愛想で器用に物事をこなせない俺では、翠屋自体に迷惑を掛け兼ねない。

 普段からお世話になっている側としても、それだけは避けたかった。

 皿洗いというポジションに据えたのは、店にとっても俺にとっても完璧な采配だったと言えるだろう。

 流石人気店の店長、状況に対応した観察眼がよく光っている。

 

「聖君!!」

 

 それからも何分、何十分と皿を洗い続けていると、不意に少し離れた場所から声が響いた。

 それは昔から聞き慣れた音色、大人としての風格溢れる重低音、高町士郎さんのものだ。

 水に触れ過ぎて表皮がふやけた手を近くのタオルで拭いて、すぐにカウンターに居るであろうその人の許へ向かう。

 

「士郎さん、どうしました?」

 

 普段見ないバックヤードを通りながら、そこへ続く道を抜けた先に大きな背中があった。

 広い肩幅、白いシャツの中には鍛えられた肉体が比類無き強靭さを誇り、1人の男としての威厳を醸し出す。

 その男性は俺に気付くと、手元のコーヒーメーカーから視線を外して振り返った。

 朝から働き詰めなのに、その表情からは微塵も疲労感は見えない。

 そこにあるのは、沢山の人が自分達の店に来てくれている事実から生まれる喜びだけだ。

 本当に凄い人だ。

 

「カウンターに常備している豆が切れてしまってね、裏から取って来て貰えるかい?」

「はい、種類を言ってくれれば」

「それじゃあこの袋と同じものを3つずつお願いするよ」

 

 と、空になって平べったく変形した袋を渡される。

 赤や黒、紺色のそれは、家でも見た事のあるコーヒー豆を入れるやつだ。

 表記はキリマンジャロとモカ、ブルーマウンテンの3種。

 

「それじゃ、すぐ取って来ます」

 

 確かバックヤードにあるバットの中に、これと同じ袋が入っているのを見た覚えがある。

 この店の目玉の一つである士郎さんの淹れるコーヒー、それが切れるとなれば一大事だ。

 記憶を頼りにその場所へ、通り掛かる他の人達を丁寧に避けながら目的の物を見付ける。

 内容量は1袋が300グラム、全部合わせれば2.7キロ。

 近くに置いてあった一回り小さなバットにそれを載せて、そそくさと士郎さんの許まで早歩きで向かう。

 それにしてもまだ昼を軽く過ぎたばかりなのに、もう豆が切れるなんて、余程繁盛してるのだろう。

 それだけ翠屋の味が、多くの人達に愛されている証拠。

 直接的なものではないが、その手伝いが出来る事が少しだけ誇らしく思えた。

 

「士郎さん、持って来ました」

「早かったね、ありがとう」

 

 俺の到着を待っていた士郎さんに、持ってきた凡そ3キロの豆を渡す。

 この店の双璧たる店長のコーヒーを構成するそれを、割れ物を扱うかのように丁寧に。

 俺よりも大きな手でしっかりと受け取る士郎さん。

 後は先程までのポジションに戻って、また皿洗いを再開させるだけだ。

 

「そろそろ入店も落ち着いてきたから、聖君も休むといい」

 

 この店の回転率はすこぶる良いからか、少しでも目を離せば短時間で皿が溜まる。

 急いで持ち場へ行こうと踵を返したのだが、彼の一言で全て止まってしまった。

 

「え、ですけど……」

 

 確かにカウンター越しから見る光景は、最初に見た時よりも落ち着いて見える。

 しかし客入りが収まってきたとは言え、在卓がある限り食器類が減る事は無い。

 今こうしている間にも洗い物は増えていき、追加が入れば更に多くなる。

 これしか出来ないのだから、もっと扱き使ってくれて構わないのだが……。

 その俺の意見に士郎さんは、渋い顔でどうしたものかと腕組みをする。

 もっと仕事を、その想いを乗せた視線に対して、判断の困った士郎さんが口を開きかけたその時――

 

「おやおや、何か聞き覚えがある声だと思えば、隆坊のトコの聖じゃないか」

 

 緩やかで、綿毛のような声が耳を打った。

 発生源は士郎さんの先にあるカウンター、そこに静かに佇む老婆。

 白髪に皺の深い丸っこい顔、広がる日向のような穏やかな笑み。

 見覚えのあるその姿。

 

「トキさん……」

 

 気付けば、口が勝手にその名を呼んでいた。

 

「あぁそうだよ。アンタの礼拝堂トコに、散歩がてら遊びに行ってるトキ婆さんさ」

 

 俺が呼んだ名前にうんうんと頷いて答え、一層深い笑みを零す。

 礼拝堂で師父やシスターを交えて雑談したり、ひなた園の子供達の遊び相手をしてくれる親切な人。

 そして、この海鳴市で知らぬ者は居ないと言われる有名人。

 生涯健康を信条とするパワフルお婆ちゃん、『御浜時子』さんだ。

 その人が何故か、目の前でコーヒーを啜っていた。

 

「アタシだって、コーヒーの一杯や二杯飲むさ。士郎坊の淹れるコーヒーは格別だからねぇ」

「ハハハ、恐縮です」

 

 何気無い賛辞に、恭しく一礼する士郎さん。

 この人に掛かれば士郎さんや師父でさえも、子供のように扱われるようだ。

 滲み出る雰囲気は春の陽気そのもので、誰の心も穏やかに溶かしてしまう。

 そのトキさんの持つ不思議な力によって、先程まで逸っていた心が静かになっていくのが自分でも分かった。

 

「それより、あまり士郎坊を困らせるんじゃないよ」

「え、あ……」

「アンタが居なくても店は動くんだ。だったら今は、身を引くんだね」

 

 ゆっくりと、子供に優しく言い聞かせるように、トキさんは己の意を述べていく。

 それが俺を諌めるものだと理解すると同時、自分の身勝手さを思い知った。

 

 士郎さんはこの店の店長、此処の事を誰よりも知っている人だ。

 どれだけのお客さんが来て、どれだけの忙しさになるのかを、誰よりも把握している。

 その士郎さんが休んでいいと言ったのだから、問題は全く無い筈だ。

 だと言うのに俺は、もっと仕事をさせてくれと自分勝手な意見ばかりを述べてばかりで……。

 バイトでも何でもない自分が、そんな立場も無視した反論を口にした。

 仕舞いには士郎さんを困らせる始末、こうしてトキさんに叱られるのも当然だ。

 

「まぁ、アンタが一生懸命なのは士郎坊も認めてる。だから言う事は聴いてやりなさい」

「……はい」

 

 最後のそれを聴いて、自分の浅はかさを恥じ、愚かさを反省する。

 この店を想うなら、今この時は自分の出る幕じゃない。

 身を引く事が、俺に出来る唯一だった。

 

「トキさん、そこまで言わなくてもいいですよ。実際、聖君はきちんとやってくれました」

「分かってるよ。この子はいつだって、誰かの為に一生懸命になれる子だからね」

 

 それでもこうして、この人達は俺を働き必要以上に評価する。

 交わされる言葉に思わず居た堪れない気持ちになるのは、仕方の無い事だと思う。

 嬉しいけど恥ずかしい、そして恐縮してしまう。

 目の前の男性と老婆は我が子を慈しむように、微笑みのような双眸で俺を見遣っていた。

 

「べ、別に俺は、当然の事をしたまでで……」

 

 この言葉は本当だ。

 普段から色々とお世話になっている士郎さんや桃子さん、その2人が困っているとあれば力になろうとするのは当たり前。

 現実には皿洗いしか出来なかった訳だが、微々たるものでも喜んで貰えるのなら俺としては充分だ。

 だから身に余るようなお褒めの言葉を頂いても、正直困ってしまうとしか言いようが無いので……。

 どもるように返した言葉はしかし、2人の笑みを深めるだけのものとなった。

 

「なのはにも言っておくから、2人で空いてる席で昼食を取るといい」

 

 今回の手伝いに関して、士郎さんはきちんとバイト代を出すと言ってきた。

 しかし雇われの身でもない俺が給金を貰うなんて、明らかに筋違い甚だしい。

 そう丁重にお断りする代わりに、翠屋のメニューから一つご馳走するという事でお互いの意見が合致した。

 俺からすればそれでも充分筋違いだと思うけど、士郎さんが全然引いてくれなかったので観念する形に収まったのだ。

 しかし翠屋のメニューと言えば、お手軽な値段でありながらも味に定評のある事で有名。

 それが決まった時に、心底楽しみで仕方がなかったのは言うまでも無い。

 

「それにしてもアンタの顔を翠屋で見るなんてねぇ。将来の進路とか、そんな感じかい?」

「違いますよ、唯の手伝――」

「それはいいアイディアですね。どうだい聖君、ウチの次代の店長に立候補しないかい?」

「――――は?」

 

 何を突然、その一言を言う暇も無く今代店長は、年齢を感じさせない爽やかな笑顔で思いも寄らない言葉を放つ。

 

「恭也は別の道だし、美由希は良い人を連れてきてくれないからなぁ。君のような真面目な子になら、翠屋もなのはも任せられるんだが……」

「おやおや、あんな可愛い子まで付いてくるんなら、男として引く訳にもいかないねぇ」

 

 しかもカウンター越しのトキさんまで、士郎さんの出任せな冗談に乗っかるという始末。

 俺にとって頭の上がらない2人の協力態勢、それが幾ら馬鹿げてる内容でも強く出れないのが痛い所である。

 

「俺を弄る対象にするのは構いませんが、その言い方は高町に失礼です」

 

 それでも、彼女を引き合いに出すのは如何なものかと思う。

 こういった冗談に付き合うのには慣れているというか最早諦めている、だけど高町にまで内容が及ぶのは見過ごせない。

 万が一俺が翠屋の店長を継いだとしても、今の言い方では、高町がそのおまけにしか聴こえないではないか。

 それ以前に高町にだって相手を選ぶ権利があるのだから、店長になったからハイどうぞってのはおかしい。

 冗談でも、言っていい冗談と悪い冗談があるのだから。

 少しばかりの憤慨を込めて、それだけは譲れぬと2人を目を向ければ……。

 

「やっぱり、なのはは守るんだね」

「おやおやまぁまぁ、健気な子だよホント」

 

 何が面白いのか、思い切りニヤケ面を浮かべていた。

 

「あぁもう、分かりました!! 休みますからこの話は止めましょう!?」

 

 その顔を見て、もうこれ以上この場に留まる事はしてはいけないと判断した。

 あの顔は弄るポイントを発見した時と同じ、つまりはこのまま続けば先程より苛烈な口撃が待ち構えているという証拠に他ならない。

 故に、撤退こそが賢明な判断だった。

 

「それじゃ早く着替えておいで。その間に食事を用意しておくよ」

「はい、それじゃ失礼します。トキさんもゆっくりしていって下さい」

「いやもう充分さ、そろそろ帰るつもりだったからね。士郎坊、会計頼むよ」

 

 静かに佇んでいた老婆はそれだけ言うと、手元の伝票を持って、腰をゆっくりと持ち上げる。

 緩慢ながらもしっかりとした動きは、生きた年月を感じさせる精錬さに満ちていた。

 最後に一度だけ微笑んで、レジまで歩を進める。

 その温かい姿と士郎さんの背中を見送って、俺はその場を後にした。

 

「今日はありがとう、聖君」

 

 その言葉を胸に刻みながら……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれからの翠屋は慌しい昼間の時間を抜けて、緩やかな流れに収まっていった。

 店内に留まる客数も途端に減り、今は小波のような状態。

 その中、空いていた席を利用して遅めの昼食を取っていた俺と高町。

 互いにOLTBサンドで腹を満たしながら、軽い雑談に興じていた。

 内容は専ら、今日の事について。

 

「どうだった、初めての翠屋でのお仕事は?」

「皿洗いしかしてないけど、色々と勉強になった気がするな」

 

 次々と運ばれてくる使用済み食器を片付けながらも感じていた、周囲の動き。

 桃子さんと松尾さんが中心となって、他の人達もそれぞれの役割に徹し、あの嵐のようなオーダーを見事なまでに捌いていった。

 人気店の厨房は戦場だと聞いた事はあるが、今日初めてその言葉の意味を理解出来た。

 人を引っ張るとは、あぁいった人達の事を言うのだろう。

 

「色んな人が頑張っていてさ、俺にもっと出来る事があればなぁ、って少しだけ思った」

 

 忙しい時間だったけど、あの空間は確かに団結した空気が漂っていた。

 少し離れた場所でそれを感じていた自分は、そこに混じる事は出来なかったけれど。

 

「初めてにしては上出来だよ。お母さんはお皿足りなくなる事が無くて助かったって言ってたし、フロアの人達も下げた食器を置くスペースが常に空いていて助かったって言ってたから」

「……そっか」

 

 それは決して特別な事ではなく、至って当然の問題。

 それでも俺が少しでも役立てたと言うのなら、それはとても嬉しい事で、少しだけ恥ずかしい事でもある。

 感謝されるような事をした訳じゃない、言われた事を言われたようにやっただけ。

 まぁ……足を引っ張らずに済んだみたいだし、良かったんだろう。

 ゆっくりと胸の内に広がる嬉しさ、それを噛み締めると共にサンドイッチを大口開けて一口。

 焼いたパンのさっくりとした食感、沢山のレタスとオニオンに薄切りビーフ、そしてトマトソースの生み出す絶妙な味のバランス。

 その美味しさに、仕事を終えた充足感が全身の疲労を癒していく。

 あぁ、今日はとても良い日――

 

「やっぱり居た、なのは。……と、瑞代?」

 

 ――だと思いたいこの頃。

 物理的にも精神的にも噛み締めていた俺の背後から掛かる、フレンドリーな一言。

 前までは毎日のように聴いて、長期休みになってから途端に聴かなくなったその声。

 想起するのは金髪のショートボブ、強気な性格と気高い誇りを携えた双眸。

 モゴモゴと咀嚼しながら振り向いた先には、イメージ通りの少女と、静かに佇む艶やかな紫の髪の少女。

 クラスメイトのアリサ・バニングスと、隣のクラスの月村すずか。

 共に友人としての付き合いのある2人の少女、それが何故だか目の前で立ちはだかっている。

 

「アンタ達、翠屋で何してんのよ」

「なのはちゃん、聖君、久し振りだね」

 

 そして訳も分からず、訝しげな視線を向けるバニングス。

 片や静かな笑みで挨拶を交わす月村。

 何だろうか、2人を見た瞬間、この穏やかな時間が確実に変質するだろうと直感した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へぇ、2人揃って此処の手伝いしてたんだ」

 

 あの後すぐに2人共、俺達と相席する形で腰を下ろした。

 俺の隣にバニングスが、高町の隣に月村が……。

 4人居座るには少々狭いのだが、まぁそこは我慢する所だろう。

 そして軽い事情説明、バニングスも月村も、特に問題無く納得してくれたようだ。

 

「でも、なのはは分かるとして、どうして瑞代まで手伝ってるのよ?」

 

 ――訂正、片方が完全には納得していないらしい。

 しかし言いたい事もよく分かる実情だけに、真実をどう伝えればいいのか悩んでしまう。

 翠屋は高町家の問題で、そこに俺の名前が挙がるというのはおかしいのではないのか?

 つまりはそういう事だろう。

 思わず、むぅ、と聞こえない程度の声が上がる。

 

 此処で真相を語るのは簡単だ。

 『俺が今、高町の家に厄介になっていて、突然のヘルプを聞き付けてやって来た』

 しかしそれを言えば、コイツ等に変な勘繰りをされてしまうだろう。

 だから、どうにか『らしい』答えをでっち上げなくてはいけない。

 

「聖君、今私の家に泊まっているんだよ」

『……え?』

「それで今日、お父さんからヘルプが掛かって、一緒に来て貰ったの」

 

 だが無情にも、真実は光の速さで白日の下に晒されてしまった。

 言うなれば俺と同じ立場に居て、同じように誤魔化さないといけない筈の彼女が自ら、それを何の躊躇いも無く喋りやがった。

 その答えに一瞬凍り付く空間、そして違う意味で凍り付く俺の思考。

 

 ――――どうする、どうやって内容を誤魔化す!?

 今更嘘でしたなんて理由は効かない、元よりそれが真っ当な解答なのだから。

 だったら、どうして俺が高町の家に泊まっているのか、その理由だけでも隠さないといけない。

 これより先は『魔法』が関わるし、必然的に俺が狙われているという事も話さなくてはいけなくなる。

 でもこの2人に伝えれば、否応無しに過度な心配を掛ける事に繋がる。

 それだけは避けたい、折角の夏休みなのだから、2人にはもっと有意義に使って貰いたい。

 焦燥感が思考を埋めて、どうにも納得のいく理由が思い浮かばない。

 

 だと言うのに、その原因を作った少女は何の問題も無さそうな顔を保っている。

 こうなったら、コイツの判断に任せるしかないのか?

 ……頼んだぞ、高町。

 

「ど、どういう事よ!? 瑞代がなのはの家に泊まってるって!!」

 

 直後、当然のように小爆発を起こすバニングス。

 隣の俺に掴みかからんばかりの勢いを以って、激しく詰め寄るその姿に、俺は完全に気圧されてしまった。

 あまりに騒がしい声だけに、向かいの月村が何とか宥めてくれているが、依然としてその様相は変わらず。

 そしてその月村もまた、事情説明を求める様子で此方を見ている。

 

「お父さんが聖君をウチに招待したかったらしいんだけど、中々来てくれなくて困ってて。そしたら今度は、師父さんに直接許可を取っちゃって」

「そ、そうなんだ。師父の意見はひなた園の総意でもあるから、今更断るのも悪いと思ってさ」

 

 淀み無い高町の言葉に続くよう、俺も矛盾しないように事実を述べていく。

 嘘は言わず、それでいて根本からは外れた解答。

 ナイスだ高町!!

 視線を向けると、小さく頷いて答える彼女。

 まるで最初から事情を隠す為に用意されていたかのような、そんな答え。

 確かに間違ってはいないし、士郎さんの事を少なからず知っている2人なら、全く疑問に思わないだろう内容。

 全く、用意周到な奴だ。

 

「ま、まぁそういう事なら仕方ないわよね」

「士郎さんの事だから、一度決めちゃったら絶対に実現させそうだもんね」

 

 と、2人も良い具合に納得してくれたようで一安心。

 これでこの話題に対する追及は、ほぼ避けれたと思っていいだろう。

 ったく、肉体的な疲労の次は精神的な疲労かよ……。

 コイツ等の顔を見た時の直感は、正しく当たっていたという事らしい。

 

「それで、2人はどうして此処に来たの?」

 

 既に高町は話を別方向に持っていく手を進め、2人に対して何の脈絡も無い会話を振っていた。

 いや実際には、彼女も気になっていたのかもしれない。

 バニングスと月村が、此処に来た理由を……。

 そしてそれは俺も同じ、この2人を見た時からずっと気に掛かっていた。

 何気無いその問い、しかしバニングスは少しだけ顔を赤らめながら……

 

「夏休みに入ってからメールの遣り取りしかしてなかったし、ちょっと気になったから来てみただけよ」

 

 恥ずかしさを拭うように、少しだけぶっきらぼうにそう答えた。

 それだけよ、と言いながらも未だ顔の赤みを取れないバニングスと、その姿を微笑ましそうに見遣る月村。

 この2人を見て、やっぱりコイツ等は親友なんだなって思った。

 

 恐らくバニングスが月村を誘って、此処まで引っ張って来たんだろう。

 その間月村は、きっと彼女の姿を今みたいな笑みで見ていたに違いない。

 バニングスはそれに気付く度に、「何笑ってるのよ!?」と赤い顔で怒っていた筈だ。

 

 心配だったんだ、友達が今どうしているのかを……。

 コイツが恥ずかしそうに怒っているのは、いつだって誰かを想っている時だ。

 そして月村はそれを知っているから、こうして何も言わずに佇んでいるのだろう。

 本当に高町は、良い友達に恵まれてるよ。

 

「ありがとう、アリサちゃん。すずかちゃんも」

「べ、別に心配とかそんなんじゃないわよっ! 気になってただけで……」

「なのはちゃんを見付けた時のアリサちゃんの顔、凄く嬉しそうだったけどなぁ」

「すっ、すずか!?」

 

 素直にお礼を言う高町も、一層顔を赤くして否定するバニングスも、その彼女に追い討ちを掛ける月村も……。

 ハラオウンや八神の事を隔ててる訳ではないが、それでも彼女達3人が1つの形として完成されているのもまた、紛れも無い事実だった。

 何年もの時間を掛けて築かれてきた親友の輪、今この時もより強く、固く結び付けられている。

 俺と高杉、瀬田達とは違うその繋がりは、誰が見ても羨望するに足る無二のもの。

 

 それは目の前で見ている俺にも例外は無く、こんなに近くに居ても、何処か遠い存在のように感じられた。

 それを寂しく思う自分に苦笑しながら、今の今まで忘れていた昼食の最後の一口を放り込んだ。

 

「聖君、お皿下げてくるよ」

 

 空になった純白の器、最早テーブルのスペースを取るだけの存在。

 普段はあまり気にならないそれだが、今の4人でテーブルを占拠している状況を鑑みれば、それを放っておく事は色々な意味で命取りとなる。

 そんな状態を気遣ってか、高町はそそくさと俺の皿を奪って店の奥へと消えていく。

 視界から消えるその刹那に、少しだけ染まった頬を隠しながら……。

 彼女もまたバニングスの想いを一身に受け、気恥ずかしさで一杯なのだろう。

 

 その初々しい姿にもう、ご馳走様としか言えない。

 

 

「――――それで、今度はどんな事に関わってんのよ」

「えっ……?」

 

 それはまるで、不意打ちの如き一言。

 つい数瞬前まで、コイツ等の遣り取りを蚊帳の外で見続けていた俺に向けられたその言葉。

 脊髄反射のように振り向いた横には、不満に彩られた金髪少女の顔。

 耳に届いた声と寸分違わぬ感情を貼り付けて、隣の彼女は俺を真っ直ぐに射抜いていた。

 

「何も言わなくても、アタシ達にだって分かるわよ。2人が何かに巻き込まれてるって事はね」

「あ、いや……」

 

 嘘は吐いていない、彼女達が納得出来る理由のみを伝えた筈なのに。

 その裏を、完璧に読まれていた。

 嘘偽りを見抜く心眼のような鋭さを以って、バニングスは断言する。

 

「なのはは昔からそうよ。自分が無茶をする時は、いつだってアタシ達に本当の事は言わない。心配させないようにしてるのも、アタシ達が関わるものじゃないって事も分かる……」

 

 あまりの急転による此方の動揺に目もくれず、彼女は悉く言葉の弾丸を放つ。

 その一つ一つが、今この場に居ないアイツに向けられている。

 怒るように、哀しそうに、諦めたように、辛そうに、そんな友達への想いに溢れていた。

 本当なら俺が聴くべき事じゃない。

 しかし心の何処かで聴かなくてはいけないと思い、その場から一歩も動けなかった。

 

「だから、無理に聞き出そうとは思わない。その時が来るまで、ずっと待ってる」

 

 それは宣言。

 親友の抱える問題を一緒に解いていくのではなく、只管に待つという行為。

 魔法(もんだい)に関われない2人が出来る、最愛の少女に向ける想いの形。

 いつ終わるとも知れず、それでも待つと決意した強い心。

 

「だからその代わり――――なのはの事、アンタに任せたわよ」

 

 ちょっと頼りないけどね、と悪戯っぽく余計な一言を乗せて。

 ポンと肩を叩くような気楽さ、友達に簡単なお願いをする時と同じように。

 バニングスは、俺にそれを向けた。

 しかし、テーブルの下で握られている拳は小さく震えている。

 何も出来ない、力になれない、その悔しさを胸の内に抱えて……。

 それでも尚、コイツは高町の事を俺に任せた。

 

「バニングス……」

 

 無力さを嘆いて、悔やんで、そして他人に親友の事を頼んだ。

 その行為は、どれだけの想いの積み重ねによって出来上がったものなのだろう?

 

「私からもお願い。今、一番なのはちゃんの力になれるのは、きっと聖君だけだから」

「月村……」

 

 そう告げる彼女の穏やかな笑みの裏に、どれだけの想いが秘められているのだろう?

 親友でありながら、必要な時に力になれないその無念に、どんな気持ちで耐えているのだろうか?

 1人の少女の為だけを想う華奢なその身に、確かに宿る思い遣り。

 

「……分かった」

 

 何の了承も無しに一方的に向けられる想いの数々。

 だが押し付けられたモノだとしても、俺にはそれを受け取り、果たす義務がある。

 この状況を作った張本人は、瑞代聖なのだから……。

 故にバニングスと月村が預けてきた想いは、俺自身が背負っていく。

 そして――

 

「アイツが、高町が傷付かないように、俺は強くなる」

 

 ――2人の不安を拭えるような、そんな強さを手に入れる。

 どれだけ困難だろうとも、その場所まで絶対に辿り着いてみせる。

 

「守れるように、強く……」

 

 今はまだ弱々しく、ちっぽけな自分。

 だけどこの胸に宿る意志だけは、誰にも負けたりしない。

 俺を狙う黒衣の存在がどれだけ強大だろうと、絶対に勝ってみせる。

 高町の負担を少しでも減らせるように、俺はもっと強くなるのだ。

 その想いを心に秘めて、今日の訓練の事に思いを馳せる。

 今までの成果を、彼女に見せれるように……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――その時の2人の顔を憶えている。

 ――笑顔の中に残る、ほんの些細な不安を。

 ――そして気付くべきだったのかもしれない。

 ――彼女達に高町を任せられたという事実に浮ついて、自身に眠っていた筈の『焦り』を加速させてしまった事を。

 

 ――それが高町を深く傷付けるモノだとも知らずに。

 ――彼女にまた、辛い笑顔を強いる行為だとも知らずに。

 ――この時の俺は、自分の安易な考えばかりに目を向けていた。

 

 

 

 

 




どうも、おはこんばんちはです( ・ω・)ノシ
なのは編№Ⅲをお読み下さり、ありがとうございます。

なのはの指導で魔法戦の訓練を続けていく聖ですが、心の片隅には何か言い知れぬものを抱えています。
この辺りから波乱の予感がひしひしと……。
そして久し振りの登場であるアリサとすずか、リリカルなのはに於ける日常の象徴である2人です。
個別ルートを終えてからは出番は減りましたが、まぁそこは一足早く幸せになったという事で我慢して貰いましょう(;・ω・)
さて、次回からは一気に物語が加速する事でしょう。
お待ち下さいm(_ _)m

今回はこれにて以上となります。
感想や意見、タグ関連やその他諸々は遠慮無くドシドシ書き込んで下さい。
皆さんからのお声が原動力なので、是非、是非、是非宜しくお願いします!!( ;Д;)
では、失礼します( ・ω・)ノシ



こうして感想くださいアピールをすると、優しい読者の方々が書き込んでくれて本当に嬉しく思います。
正直泣き落としみたいな真似ではありますが、割とマジで感想とか読者さんの反応が気になるので仕方ありません(;-ω-)
これは自分を正当化してるのではなく、我欲に忠実なだけです。


それと現在の状況報告です。
ストーリーのストックですが、遂に10話を切りました。
これが無くなれば、今までのような連日更新は完全にストップします。
そして今後の予定も今の内に伝えておきます。
なのは編が終わり次第、次はフェイト編、その次がはやて編となります。
この流れは設定上、元々決まってた流れなので変える事は無いと思って頂けると幸いです。
自分の手元にあるのはフェイト編の後半までなので、実ははやて編には全く着手してませんでした。
今の段階で「はやて編の流れとかイベントをどんな感じにしようかな~」って状態です。

でも何よりも、はやての『方言』の問題が未だに解決に至っていないんですよね。
その辺りは以前掲載時から沢山感想を頂いてるとある人とツイッターで話して(ネタバレ無しで)妥協点を見付けましたけど不安は拭えません。
ですがまぁ、それはその時になってから考えましょう( ・ω・)
兎に角、頑張ります(`・ω・)Ω9


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