少年の誓い~魔法少女リリカルなのはO's~   作:さっき~

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――現在、夏真っ只中。
――強い日差しに、熱気の篭もった空気。
――その暑さに体力を消耗してしまったり、食欲が不振してしまう事もある季節。
――だと言うのに、視線の先の光景にそんな変化は微塵も無い。

「おっし、今日は何で遊ぶ?」
「鬼ごっこー!!」
「かくれんぼ!!」
「えっと……缶けり!!」

――此処、海鳴養護施設こと『ひなた園』では、何人もの子供達が元気一杯に庭を駆け回っている。
――全身から流れる汗を気にも留めず、皆ニコニコしながら楽しそうに……。
――夏の暑さに負けない力強さ、純粋なまでの感情の昂り。
――その中心に立つのは勿論1人の少年で……。
――他の皆に負けない位に、楽しそうに走り回っていた。

「フフフッ」

――聖がアースラを降りてから数日、もう毎日のように見てる風景。
――なのに全然飽きないのは、凄く不思議……。
――ううん、それどころか見てるだけで心が楽しくなってしまう。
――これがひなた園の持つ、魅力なのかもしれない。

「フェイトさん、おはよう御座います」
「あっ、沙耶……。うん、おはよう」

――小鳥が鳴くような、静かで穏やかな声。
――いつの間にか私の横に立っていた少女が、その声と丁寧なお辞儀で挨拶を掛けてきた。
――それに倣うように、私も笑顔で返事をする。
――うん、此処の子達は皆礼儀正しい。
――師父さんやシスター、聖の教育の賜物なのかな?
――と考えながら沙耶を見遣ると、その手にはハードカバーの分厚い1冊の本。

「今日も庭で読書?」
「はい。家に篭もっていては、兄さんに怒られてしまいますから」

――彼女は読書を外でするという、珍しい趣味を持っている。
――本人が言うには春夏秋冬、季節を問わず、無理をしない程度で庭でページに目を走らせているんだとか……。
――気になって理由を尋ねたら、一言だけ私に告げた。

『運動の苦手な私には、輪の外で皆を、兄さんを見ている事しか出来ないので……』

――遣る瀬無くて、それでも傍に居たいという想いが、その源。
――純粋なまでに兄を慕うその姿は、とても微笑ましくて可愛らしかった。

「そう言えば、最近はよく来るんですね」

――不意に沙耶が呟いた。
――どこか棘を含んだ言い方、そして視線を合わせないように瞳を閉じて……。
――もしかして、私が居る事に怒ってるのかな?

「別に悪いとは全く思いません。貴女が居ると皆楽しそうですから……兄さんも」
「それなら良かった。もし邪魔だったら、どうしようかと思っちゃった」
「ですが――」

――静かに開いた双眸は、真っ直ぐに私を射抜く。
――その時、目の前に居る彼女と私の間に、一陣の風が巻き起こった。

「――兄さんは渡しません」
「えっ……?」
「それじゃ、失礼します」

――整然とした振る舞いを保ったまま、沙耶はその場を離れていく。
――その背中を、私は戸惑いの眼差しのまま見詰めていた。
――彼女の言葉に宿る真意、それに気付けなくて……。
――私に何を伝えたかったのか分からないまま、その背中は小さくなっていった。

「聖を、渡さないって……」

――広い庭を駆け回る彼の姿に視線を移す。
――学校ではあまり見られない、思い遣りと純粋さに溢れた1人の少年。
――家族との絆の強さをこれでもかと見せ付ける彼を、私は知らずに奪おうとしていたの?
――私は無自覚のまま、聖を占有していたの?
――あれからずっと傍に居続ける事で、沙耶や他の皆の居場所を奪っちゃったのかもしれない。

――でも

「皆の前から消えてしまう方が、ずっと辛い」

――此処の子供達が聖を必要としているのは、私だって知っている。
――『お兄ちゃん』の存在は、皆の心の支えとなっているのだから。
――だからこそ、私はそれを守りたい。
――今はちょっと窮屈な思いをさせるかもしれないけど、これが終わればきっと大丈夫。
――沙耶、それまで待ってて。

「それに……」

――私自身、彼の『心の強さ』を必要としている。

「聖ならきっと、あの子(・・・)を……」

――家族への愛を心根に宿している、彼の優しさ。
――きっとそれなら、寂しそうに笑うあの子を、本当の意味で笑わせてくれるかもしれない。
――私には難しい事を、簡単にやり遂げてしまうかもしれない。
――その手で、あの子を変えられるかもしれない。
――君の手は人の心を守れる、そんな不思議な力があるから。

――だけど、何故だろう?
――胸の奥が少し……痛い。








F№Ⅱ「出会いの喜び」

 

 様々な事情によって両親を失い、身寄りの無くなった子供達の総称――――『孤児』。

 俺は昔から、その名称が嫌いだった。

 両親の死別、もしくは行方不明によって孤独になった児童という意味では、名称による間違いは一切存在しないだろう。

 

 それでも、俺達は決して『孤児』(ひとりぼっち)なんかじゃない。

 ままならない現実、こんな筈じゃなかった未来、そんなものは道端にいくらでも転がっている。

 だけど世界は、そんな負と相反する正を持ち合わせていた。

 それが養護施設であり、俺にとっての『ひなた園』だ。

 どんな辛い現実が自分を押し潰そうとしても、守ってくれる人達がそこには居て……。

 決して自分は独りじゃないと、皆が教えてくれる。

 

 現在は孤児と言うより、養育不可能な状況によって預けられる事案が多い。

 自分には確かに親が居て、それでも傍に居られない子達はどんな想いをするのだろうか……。

 捨て子である俺には、その感情は分からない。

 だから敢えて言及はしない、家族となったのなら家族として接するだけだ。

 君は此処に居ていい、此処は君の全てを受け入れる。

 その願いを込めて、居場所を失った子達に世界に目を向けさせるのだ。

 居場所は与えられるものじゃなくて、自分で見付けて、自分で手に入れるものだから。

 

「私は、此処に居ていいんですか?」

 

 昔、そう言った女の子が居た。

 父親からの虐待によって心を閉ざし、出会った当初は口すらまともに開かなかったその子の瞳は、いつも陰鬱としていた。

 だから、一緒に本を読んだ。

 彼女は師父の書斎が気に入ったらしく、気が付けばそこで本を開いていた。

 だから俺は、その子の隣で一緒に本を読んだ。

 立場が違うから気持ちは共有出来ないけど、同じ場所に居る事は出来るから……。

 同じ本を読んで、そこから感じるものは共有出来るから……。

 

「私なんかと一緒に居て、楽しいですか?」

「楽しくない場所に、何時間も居たいと思う?」

「……変な人」

 

 その時の彼女の表情を、今でも憶えている。

 能面のような、生気の抜けた無表情の中にあった、唯一つの笑顔(かがやき)を……。

 それは生涯忘れない――――――――瑞代沙耶との大切な想い出。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~Interlude side:Fate~

 

 

「一つ質問してもいいか?」

「どうかした?」

 

 隣の彼が口を開いた。

 普段の様相と比べて、その表情には多少の驚きと戸惑いが見て取れる。

 疑問や驚嘆の意を含んだその呟きは、きっと私達の目の前にある場所を見ての事だろう。

 

「どうして、此処に連れて来たんだ?」

 

 あぁ、そういう事なんだ。

 さっきから釈然としない顔をしてたのは、その疑問の所為らしい。

 でもそれも当然かもしれない。

 何せ此処は、管理局本局の『特別保護施設』。

 少々の差異はあれど、彼の住むひなた園と同じ場所だから。

 

「うん、ちょっと聖に会って欲しい子が居るんだ」

 

 そして今日、何故此処に来ているのか?

 しかも全く関係の無い聖を連れて……。

 今までは暇があれば来ていたこの場所なのだけど、でも今後は自由に来れないかもしれないという事情説明をする為。

 確かにそれも重要な用事ではある。

 此処の子達は皆が私に懐いてくれてるから、少しでも顔を見せない時期が長くなると、心配させてしまうから。

 

 だけど、それが最たる理由かと問われれば、首を横に振らざるを得ない。

 本当の理由は今し方伝えた、彼に会って欲しい子が居るから。

 

「会って欲しいって言われてもな」

 

 眼前に聳え立つ純白の建物。

 汚れ一つ存在しない壁や、等間隔に張られた窓ガラスに目を向けながら彼は呟く。

 

「庭の方に行くから、一緒に来て」

「……あぁ」

 

 普段の聖にしては静かな返答を耳にして、私達は施設の門を潜った。

 此処の庭は建物の丁度裏辺りにあって、そこに沿って歩けばすぐに着く。

 隣を進む彼はそうしている途中、色々な場所に目配りをしている。

 窓から施設内を見回したり、地面の土を靴裏で擦ったり、道沿いに鎮座する木々を見上げたり……。

 兎に角、色々な行動を忙しなく行っている。

 何してるのかと問うと――

 

「いや、ウチと大分違うなぁって思ってさ」

 

 建物の構造、土の柔らかさや樹木の成長具合といったものを確かめていたらしい。

 すぐに「特に意味は無いけどな」と言い切りながらも、周囲への観察を続ける。

 彼にしてみれば珍しいのかもしれない。

 ひなた園以外の施設には行った事が無さそうだし、寧ろ興味を持つ事も無かったのかも……。

 そうしている間にも私達の歩は進み、間も無く施設の角を抜けた。

 

「はぁぁぁ……」

 

 視線の先、そこに映ったのは広々とした整地。

 ある場所には砂場、建物の近くには花壇が並び、遊具も備えられている。

 子供達が思いっ切り駆け回る為に存在する、最高の遊び場がそこにはあった。

 

「へぇ、良い場所だな」

 

 もう既に何人もの子供達が、遊戯に勤しんでいる。

 追いかけっこやボール遊び、近くの芝には何人もの子達が座り込んで談笑していた。

 その様子を、私と聖は黙って見ている。

 きっと胸に秘める想いは同じ、この広い世界で伸び伸びと過ごしている子供達への慈しみ。

 その微笑ましさを心に収めて、皆に願いを掛ける。

 

 どうか、より良い未来へ進めますように……。

 いつだって、どんな時だって、自由に未来(ユメ)を見れますように……。

 

「フェイトさーん!!」

「あっ、皆」

 

 突然の呼び掛けに反応すると、少し離れた場所から子供達が此方に向かって走ってきた。

 皆一様に笑顔を湛えて、私の来訪を歓迎してくれている。

 その事実に、自分の顔が綻んでいる事に気付いた。

 

「フェイトさん、来てくれたんだね」

「私、ずっと待ってました」

「僕も僕も!!」

 

 さっきまでバラバラで遊んでいたのに、今はもう大半の子が私の周りに集まっている。

 

「皆ゴメンね、来るの少し遅くなっちゃって」

「全然大丈夫!!」

「フェイトさんが来てくれるだけで、僕達嬉しいもん」

 

 顔一杯に、体一杯に嬉しさを表す皆の姿。

 それを真正面から受けて、何も思わないなんて事がある筈が無い。

 私の存在がこんなにも皆を支える事が出来る、その事実を確かに教えてくれる。

 体の内側から、例えようも無い充足感が溢れてくる。

 

「……ありがとう」

 

 皆が浮かべる心からの笑顔に、胸が温かくなる。

 その想いを大切に噛み締め、これからの自分を奮い立たせる。

 どんなに辛くても、皆の声が力をくれる。

 

 今の私達を取り巻く不可解な状況は、決して楽観視出来るものじゃない。

 何一つ真実を掴めていない、それでもこうして安らぎの時間を過ごしている。

 いつまた脅威が現れるとも限らないし、もしかしたら今もその準備を着々と進めているのかもしれない。

 この時間は聖を狙う黒衣(てき)に与えられた、束の間のものかもしれない。

 

「どうしたの?」

「ううん、何でもないよ」

 

 だけどこの子達との時間は、決して切り捨てていいものじゃない。

 こうして心を穏やかに出来るのは、必ずしもずっとじゃないのだから。

 今後となればそれが顕著に現れるだろう。

 だからこそ、限られた時間の中だけでもこうして皆と一緒に居たい。

 

「それで、そっちの人はだ~れ?」

 

 ふと、1人の女の子が私の後ろを指差した。

 それに釣られるように、皆もうんうんと頷いて私を見る。

 あぁそっか、まだ紹介してなかったよね。

 私達の間に無理に入ろうとせず、黙って成り行きを見ていた彼を……。

 皆が私と話せるようにと、自ら距離を取って邪魔をしないという気遣いを見せていた。

 少し悪い気がしたけど、彼なりの優しさだろうから敢えて言及はしない。

 それが、無言を貫いた彼へ向ける唯一の誠意。

 

「この人はね――」

 

 

 

「もしかして、フェイトさんの彼氏!?」

「えっ、ホントなの!?」

 

 何を勘違いしたのか、急に皆の様子が変わりだした。

 特に女の子達の声は、先程と比べ物にならない位に色めき立っている。

 

「いや、あのね……」

「きっとそうよ!! 今までフェイトさん、男の人なんて連れて来なかったもん!!」

「それじゃあ、ホントにホント!?」

「あ、あぅ……」

 

 うぅ、何か皆凄い騒ぎ立ててる。

 女の子達は嬉々としてるし、男の子達は気が気じゃなさそう。

 さっきより騒がしくなってるよ、絶対に……。

 止めようにも周りのパワーの方が圧倒的に強いし、全然聞く耳を持ってくれない。

 こういう時に強く出れない自分が、とても情けなく感じてしまう。

 それに、聖が私の……その…………彼って。

 

「そ、そういうのじゃなくって――――」

「フェイトさん綺麗だもんね~」

「うんうん、今まで居なかったのがすごく不思議」

「……」

 

 皆、完全に私の事無視してるよね?

 トントン拍子に話が積み重なっていく様を、私は止める事も出来ずに眺める事しか出来ない。

 私達の場合はこうじゃなかったけど、やっぱりこれ位の年齢だとこのテの話が好きなのかな?

 でも初対面の相手にこんな対応したら、失礼だと思うし……。

 聖も気を悪くするよね、私なんかと……その、恋人みたいに見られたら。

 

 うぅ、ゴメンね聖。

 胸に申し訳無さを秘めながら、先程から無言を通している彼の方を向くと――

 

「ゴメ……あれ?」

 

 ――そこには誰も居なかった。

 子供達も私の反応に気付いたらしく、呆気に取られたような顔をしている。

 

「聖、何処行ったの?」

 

 周囲を見回しながら探す。

 さっきまで、ついさっきまですぐ近くに居たのに。

 一体何処に……?

 

「あそこに居る!!」

 

 その声に気付いて指差す方を向くと、少し離れた場所の2つの影が目に映った。

 木造のベンチに腰掛けた赤髪の小さな子と、彼の前でしゃがんでいる1人の少年。

 いつの間に、という疑問は今は感じない。

 それよりもどうして、彼はあの子の許へ行ったのだろうか。

 

 初めての場所で、私はまだ何も言っていないのに……。

 既に彼は、自分に出来る事を為そうとしている。

 自らの過去によって、周囲に心を開けずにいる幼き子――――――エリオ・モンディアルの許で……。

 

 

~Interlude out~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初に気付いたのは、果たしてどちらが先だったろう。

 視線の先のベンチで、羨望と諦観の瞳を向けている姿を見た俺だろうか?

 それとも、ハラオウンに集まる子供達に釣られるように、此方を見ていた彼だろうか?

 だけど俺からすれば、そんな事はどうでもいい。

 ……その子の瞳が、例えようも無く暗く沈んでいた。

 俺が彼に近付いたのは、きっとそれだけの理由だ。

 

「おっす、初めまして」

 

 手を挙げて軽く挨拶。

 俯いていた赤髪から覗く幼い顔は、俺と言う存在(いぶつ)に対して酷く警戒していた。

 視線は定まらず、俺の全身を何度も見遣るように慌てている。

 それは、此方の一挙手一投足を見逃さず、いつでも対応しようとするソレに似ていた。

 ここまで嫌われてるのか、という苦笑が漏れてしまう。

 だけど、この程度は何となく予想は出来ていた。

 

「あの……何ですか?」

 

 そうやって怯えるような瞳を向ける様子は、何処か懐かしく……。

 否応無く、この胸を締め付けた。

 

「いや、君は皆と遊ばないのか?」

「そんなの……あなたには、関係無いじゃないですか」

「そりゃそうだ」

 

 恐らくまだ片手で数えられるであろう年の子に、まさかここまで正当性のある答えを返されるとは思わなかった。

 似合わない忍び笑いを発して、依然として頑なに俺を拒絶する姿勢の少年を見る。

 必死に何かを隠しながら、必死に俺から遠ざかろうとしているのは、明らかだった。

 何故だか……理由も無く、無性に悲しくなる。

 

「僕の事なんか放って置い――」

「ちょっといいか?」

 

 だからその言葉を遮った。

 姿勢を落として、見下ろしていた状態から同じ高さで向かい合う状態へ。

 突然のアクションに彼は、少し後退りながら自分を見上げる視線から逃げようとしている。

 そこへ徐に、俺は右手を差し出した。

 

「なっ、何ですか……?」

 

 一瞬だけ全身を震わせて、喉の奥から声を絞り出す。

 それがどんな想いの下に生み出される仕種なのか、俺には到底理解出来ない。

 唯、この子は俺に対して本気で怖がっている。

 それだけは、この身を以って理解出来た。

 

「今から君だけに、ちょっとだけ面白いものを見せてあげよう」

 

 空いた左手から取り出したるは1枚のコイン。

 500円玉程度の大きさ、銀色に輝くソレを彼の目の前まで持ち上げた。

 

「お、面白い……もの?」

 

 俺の言う『面白いもの』に上手い具合に反応し、視線の先のコインをマジマジと見詰めている。

 張り詰めていた緊張や嫌悪も、先程までと比べると少しは和らいでるようだ。

 よし、と内心で手応えを感じながら、俺は少年に笑い掛ける。

 

「言っとくが俺は素人、『ちょっとだけ面白い』だからな。あまり期待はしないように」

 

 そうやって冗談めかして告げて、そのままコインを右手に乗せた。

 掌の中央、それよりも少し手首寄りに置いて彼と目を合わせる。

 

「コイツを、よ~く見とけよ」

「う……うん」

 

 俺の掌に視線と神経を集中させるその姿は、『期待』に満ちたものだった。

 たった1枚の銀貨を、双眸が捉えて放さない。

 

「なんと、このコインは生きてるんだ。だから、このように――」

 

 少年が凝視する銀色のソレ、俺の語りも相まって最早眼を離せないらしい。

 此方を酷く拒絶する態度は形を潜め、目の前で起ころうとしている事に興味を注いでいる。

 

 ……これじゃ、失敗は出来ないな。

 掌の冷たい円形の感触を確かめながら、俺は少年の期待に応えるべく最後の工程へ。

 

「――――飛び跳ねるんだ」

 

 それは、不可思議の一端。

 掌に乗せた1枚のコイン、指で触れる事もせず置いただけの物体が――――宙を舞った。

 音は無い。

 俺の予告の数瞬後、弾かれたように掌を離れて少年の視界を越えたのだ。

 20センチ程の飛翔と共に、ソイツは力無く落下し手に収まる。

 たったそれだけ、時間にすれば数秒も無い刹那の出来事。

 

「うわぁ……」

 

 しかしそれは、確かに刻んだ。

 眼前で目を見開く少年の心に深々と、『不可思議』というものを……。

 

「どうだ?」

 

 感嘆の息を漏らす様子に、ニヤリと意地悪い笑みを浮かべて返す。

 だが依然として少年は、コインを握り締めた俺の拳を見詰め続けている。

 余程、今の光景に衝撃を受けたのだろう。

 掌から唐突に跳び上がったコイン、常識では考えられない異様な光景。

 正しく目が点になった彼は、あんぐりと口を開いたまま視線を注いでいる。

 

「もっと行けるぞ」

 

 まさかここまで反応してくれるとは思わなかった俺の心に、何とも言えない高揚感が浮上してきた。

 調子に乗って2度、3度、4度と目の前でコインを跳ねさせる。

 その度に真っ赤な髪をした少年は、大きく口を開けながら息を漏らす。

 

「……すごい」

「おっし、次は違うものだぞ」

 

 呆気に取られてる彼の隣に、さり気無く腰を下ろす。

 もう先程までの拒絶の反応は無く、今は唯、俺の操るコインに目を奪われていた。

 決して洗練されたものじゃないけれど、こんなにも強い興味を示してくれている。

 それが俺には、とても嬉しくて堪らない。

 

「これをよ~く見てろよ」

「う、うん」

 

 左手に乗せたコインを指差して、ソレを握り締める。

 そしてそこにチョンチョンと指を2,3度突っついて、開くと――

 

「え?」

 

 最初から何も無かったような空の掌、そして軽く両手を擦り合わせる。

 コインの姿は何処にも無い。

 

「あれ?」

 

 それからも何度か左手の甲と掌を見せながら、そこに右手を滑らせていく。

 目の前では、存在しないモノを探そうと必死に目を配っている少年。

 

「え? ええぇ?」

 

 掴みは上々。

 そして何も無い空間から何かを掴む右手。

 開いたままの左手にそれを乗せて――

 

「あ、あれ?」

 

 だけど、何も無い。

 更に掌を擦り合わせて、無手である事をアピール。

 

 さぁ、仕上げといくか。

 先程と同様に右手で虚空を掴み、強く握り込んだ左手の甲に向けて叩く。

 すると――

 

「はい、復活」

 

 開いた左手には、銀色に輝く1枚のコイン。

 影すら見せぬまま姿を消し、そして音すらさせぬまま再びこの手に舞い戻った。

 単純なトリックの応酬によるコインマジック。

 家族を喜ばす為だけに習得した、別段大した事の無い児戯のようなもの。

 

「これで、少しは楽しめたか?」

 

 未だ掌を見詰め続ける少年は、俺の問いには答えない。

 だがそれでも、彼の瞳に映る感情が、既に答えを出していた。

 最早、語るまでも無い。

 

「あの、その……」

 

 俺の目を真っ直ぐに見詰めている。

 恐らく今日初めて、この子が自分から俺を見てくれた瞬間だ。

 

「えっと……」

 

 途切れ途切れに、それでいて力一杯の想い。

 まだ幼いこの子が、出会って間もない小さな少年が、俺にはとても愛しく感じてしまう。

 時折沈みそうになる視線を何度も直しては、懸命に俺へ瞳を向けている。

 

 分かっていた事だ、この少年が他人に対して酷く怯えている事は……。

 

「もう一度……」

 

 初めて見たあの視線、きっとハラオウンが居たから前を向いていたのだろう。

 ハラオウンだけが、この子にとって頼るべき対象なのだろう。

 

 でもそれでも、自分から前を向かずに生きていくなんて無理だ。

 誰だっていつかは、自分の意志で前を向かなくちゃいけない。

 悲しい境遇とか、心を傷付ける過去なんて関係無い。

 どんな世界も、それを甘んじて受け入れる程、優しくなんてないのだから。

 

 だから俺は、君に声援を送る。

 声には出さないけど、自分から前を向こうとするその意志を、俺は精一杯応援する。

 だから、頑張れ。

 頑張って言ってくれ、自分の言葉を俺に向かって……。

 

「今のが……見たい、です」

 

 ――――あぁ、それだ。

 俺が聴きたかったのは、欲しかった答えはそれなんだ。

 自分の意志で前を向いて、自分の想いを吐き出す。

 自分の内側だけで生きるんじゃなくて、自分から外側へ想いを向ける行為。

 簡単な筈は無いし、こんな小さな子に期待するのは酷というものだろう。

 目の前で不安そうな表情を向けている彼を見れば、そんな事は一目瞭然だ。

 

 だけど俺の手は、小さな手を無理矢理に引っ張りたくない。

 いつだってこの手は、掴んでくれるまで差し伸べるだけだ。

 そして君は、一生懸命になって掴んでくれた。

 

「あぁ、好きなだけ見ていいぞ」

 

 それじゃ次は、一緒に歩く事を始めよう。

 最初はゆっくり、徐々に徐々に速さを上げていって、最後は走れるようになろう。

 

「名前は?」

「エリオ、エリオ・モンディアルです」

 

 それにはまず、名前を呼び合う事から始めるんだ。

 

「エリオか、良い名前だな。俺は聖、瑞代聖だ」

「ひじ、り……さん?」

「そうそう、宜しくな」

 

 そして笑って、言葉を交わそう。

 暗い顔なんて必要無い。

 今の君はまだ、後ろを振り返るような時じゃないのだから。

 エリオ、君も笑って俺と話そう。

 

 いつだって俺は、こんな事でしか接する事は出来ない。

 相手の事を考えて心の距離を合わせるんじゃなくて、自分から近付いて、相手に近付いて貰う事しか出来ない。

 動かすんじゃなくて、自ら動こうとする切っ掛けを考えて貰う。

 俺は相手の気持ちを共感出来る程、痛みも悲しみも分かち合える程、器用な人間でも聡い人間でも、ましてや強い人間でも無い。

 だから答えを聴くまで、自分の行いが正しいのかなんて分からない。

 

「……はい」

 

 だからその答えを聴けた時、自分の(ただ)しさを実感出来る。

 控えめだけど……決して喜色満面じゃないけど……

 エリオ、君の言葉は俺に力をくれた。

 それじゃ俺も、君に色んな不思議を見せよう。

 それがこの未熟者に出来る、数少ない想いを共有出来るモノだから……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、その後はどうしたのかしら?」

「他にも幾つか手品を見せて、最後に少しだけですけど、皆と一緒に遊びましたよ」

 

 テーブルを囲む風景、いつもと違う場所で、それは当然のように繰り広げられていた。

 その中で俺の話を最も嬉々とした様子で聴いているのは、リンディ・ハラオウンさんとエイミィ・リミエッタさんという2人の女性。

 淑やかでいて晴れやかな笑みを浮かべるその姿は、隣席に座るクロノさんがその場に居辛くなる程だ。

 

「エリオはずっと皆に対して怖がっていたから、あんな風に遊べるようになるのは、もっと先かなって不安だったんだ」

 

 隣に座るハラオウンも落ち着いた物腰ながら、発される声には嬉しさが多分に含まれている。

 あの子を保護した張本人である彼女としても、今までの塞ぎ込んでいた彼を見るのは忍びなかったんだろう。

 他人に対して言葉ではなく、態度や滲み出る雰囲気で拒絶するあの姿。

 

 小さい子供がするようなものじゃ決して無い。

 小さい子供にさせるものでも、決して無い。

 

「だから、エリオが聖の傍に居た時は凄く嬉しかった」

「……別にエリオも俺も、お前を喜ばせたくて一緒に居た訳じゃないからな」

 

 そう、俺はあの子と想いを共有したかっただけだ。

 第三者を喜ばせる為の、打算の秘められた行為なんかじゃない。

 俺はエリオっていう名前の少年に『不思議』を見せて、エリオは俺という赤の他人の『不思議』を見て……。

 そこから生まれるモノを、一緒に感じたかっただけ。

 アイツの反応は、見せている俺の方も嬉しくなる程だった。

 心躍る、ワクワクする、そんな感情に俺達は自然と包まれていたんだから。

 

「一緒に楽しい事をしたかっただけだ」

 

 あんな顔をする理由を、俺は知らない。

 きっと重要な事で、エリオ・モンディアルという少年を理解する為には必要なものなんだと思う。

 だけどそれを知ったからといって、彼を助けられる保証なんて無い。

 だったら、俺に出来る事なんて高が知れてる。

 

 それが――――――――隣に立って一緒に遊ぶ事だった。

 

「俺は他人の考えとか、想いとか、今まで積み重ねてきたものを言葉だけで理解出来る賢い人間でも、強くて器用な人間でもない」

 

 俺にとってソレは、その人だけのもの。

 易々と土足で踏み込んでいい程、軽いものなんかじゃない。

 だから、一緒になって同じ事をする。

 

「それが俺みたいなヤツに出来る数少ない、新しい家族との接し方だった」

 

 最初から無条件に甘えてくる子も居た。

 しかしそれと同じ位、酷く距離を取る子も確かに居た。

 だからと言って前者と後者を区別して接する事は出来ない。

 分け隔てない事、それは家族にとって最低限の礼儀だから。

 家族は家族、それ以外の何物でも無い。

 

「それが、貴方の持つ魅力なのかもしれないわね」

「魅力って……そんな綺麗な言葉を使うようなものじゃありませんよ」

 

 フフフと眩しい位の笑みを向けながら、何の恥じらいも無く告げるその言葉が胸に優しく突き刺さる。

 穏やかに包み込むようなソレが、俺にはとてもくすぐったい。

 

 何故だ、ハラオウン家には『他人に対して恥ずかしい事を恥ずかしげも無く言える』才能でもあるのだろうか?

 …………末恐ろしい家系である。

 

「フフフ……それじゃ私は後片付けでもしようかしら」

「母さん、私も手伝うよ」

「えぇ、お願い」

 

 そして最後までその笑顔を崩す事無く、女性は含み笑いの後に腰を上げた。

 背を向ける時に翡翠の髪を靡かせる姿は、何とも言えぬ温かさに溢れていて……。

 隣を歩く金色の少女の母親である事をよく表していた。

 この2人の背中も、一つの親子の形なんだろう。

 

「さて、それじゃ僕達も戻ろう」

「えぇ~、もうちょっと休んでいこうよ~」

「何言ってるんだ、もう充分休んだだろう?」

 

 声の方に振り向けば、席を立つクロノさんを引き止めているリミエッタさん。

 そう言えばこの2人は一時的な帰宅だから、すぐに戻らなくちゃいけないんだっけ?

 折角の数日振りの帰宅だと言うのに、たった数時間程度しか居られないなんてシビア過ぎるのではなかろうか……。

 

「早いんですね」

「それが仕事だから仕方ない。それでも、航行中では帰ってくる事も出来ないから、今回はまだマシな方さ」

 

 一息吐いて隣の女性を引っ張り上げ、そのまま玄関口へと……。

 リミエッタさんの方は最後まで愚痴を漏らしているが、彼は慣れたもので歯牙にも掛けていない。

 仕舞いにはリミエッタさんは、何故か俺へ懇願するような視線を向けていた。

 

「聖君、この分からず屋で頑固者な上司に何か一言を~」

 

 いや貴女、俺に何を期待してるんですか?

 まぁ、この状況を鑑みれば言える事なんて一つなんだけど……。

 最早呆れを通り越してしまった男性は、折角の休憩を根こそぎ奪われたようなレベルで既に疲れていた。

 そうだな、この人には言った方がいいよな。

 

「頑張って下さい」

「あぁ、ありがとう」

「なんとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」

 

 力無い女声が響く。

 世の絶望を一身に受けたような顔を湛えながら、引き摺られフェードアウトしていった姿は、言い方は悪いけど哀れとしか言いようが無い。

 脳内で『ドナドナ』が流れていたのは、勿論秘密だ。

 

「さてと……」

 

 そろそろ俺も家に帰らないとな。

 招待されたと言っても、長時間居座るのも気が引けるし。

 席から立ち上がって、台所に居る2人の方へ近付く。

 流し台で並ぶ姿は良く似合っていて、しかも2人共美人だから非常に絵になっている。

 ハラオウンってエプロン似合うなぁ、なんて考えが過ぎって、慌てて振り払った。

 

「そろそろ俺も帰りますね」

 

 夜も深まり始めたし、家族も待ってるだろう。

 それにこれ以上此処に居ても邪魔なだけだし。

 友人だからこそ、見知った相手だからこそ、きちんとその辺りの分別をつけなければならない。

 

「あら、急ぎの用事でもあるの?」

「別に無いですけど」

「だったら良いじゃない」

 

 何故か笑顔で引き止められた。

 

「いや、このまま居ても迷惑ですから」

「そんな事無いよ。ゆっくり寛いでて」

「そう言われてもなぁ……」

 

 次いで出るハラオウンの同意に、頭を掻き毟りたくなった。

 俺は言わばハラオウン家にとっての『異端』であり、自身でそれを理解している。

 だから彼女の言うように、家主が働いてる最中に寛ぐなんて行為は、到底無理な話だ。

 つーか、俺自身が嫌だ。

 

「だったら、アルフの相手してくれないかな?」

 

 すると渋い顔を浮かべる俺を見兼ねたのか、彼女は代価案とばかりに俺の足元に眼を遣った。

 同じく目を向けると、そこに居たのは茜色の体毛に包まれた小型犬。

 ちょこんと両足を揃えて座る姿。

 つぶらな瞳に無垢なる光を湛え、俺を見上げるその表情。

 思わず笑みが零れそうになる程の可愛らしさを纏って、この家のマスコット的存在は俺の足元に佇んでいた。

 いつの間に……。

 

「アルフもその方が良いよね?」

「そうだねぇ。食後の運動ってのも、悪くないしね」

「だってさ」

「…………分かった。もう少しだけ厄介になる」

 

 そんな期待するような目で見られたら、どう考えても断れんだろうが。

 しかもアルフは限っては、さっきから前足でポンポン叩いて言外に誘ってる様子。

 仕方なく、本当に仕方なく、俺はもう少しだけ此処に留まる事を決めた。

 

「ほら、アルフ行くぞ」

「抱っこ~」

「はいはい」

 

 前足掲げて万歳する小犬を、溜息一つで抱え上げる。

 小さくて、それでいて温かくて、腕に当たる体毛はサラサラとしていてくすぐったい。

 全く、食後の運動するんじゃないのか?

 そんな呟きを無視して、小動物は俺の腕の中に静かに収まる。

 俺は別に動物に好かれるような人間でも無いんだが、何故かアルフは抱っこをせがんで来る。

 何でもアルフは、抱っこをされると『その人の事』が分かるらしい。

 彼女曰く、抱っこにはその人となりが表れるのだとか…………マジで?

 そして彼女が見定めた俺の評価はというと――

 

『不器用だけど、大切に守っている感じ』

 

 ――との事。

 よく分からないが、嫌われてはいないようだった。

 

 

 

 

 

 さて、この辺りでさっさと状況の説明をした方がいいだろう。

 俺が此処に、ハラオウンの家に居る理由。

 本局の保護施設を後にした俺とハラオウンは、そのまま地球へ帰還し、家路へと着く予定だった。

 エリオと少し仲良くなれた事で浮ついていた俺の足取りが、妙に軽かったのを憶えている。

 だからだろう。

 

「ねぇ、家に寄っていかない?」

 

 その言葉に、何の躊躇いも無く頷いてしまったのは……。

 自ら言ってしまった手前、無かった事にするのも憚れた。

 それにリンディさんが俺に会いたがっていたという事実に対して、少しだけ気になった事も原因の一つ。

 彼女の先導に釣られるまま、期待半分不安半分で赴いた訳だ。

 

「いらっしゃい。ゆっくりしていってね」

 

 何処で聴きつけたのか、受け入れ態勢バッチリだったハラオウン家に脱帽せずにはいられなかった。

 

 ――リンディさん、どうして偶然にも翠屋のケーキを俺の分も含めて購入していたんですか?

 ――どうして、夕食を1人分多く作っているんですか?

 ――どうして、事前にひなた園へ連絡を入れたんですか?

 正直それに気付いた瞬間、身震いしてしまったのは秘密だ。

 

 

 

 

 

 そんなこんなで、今に至るという事だ。

 現在はカーペットに胡坐を掻きながら、アルフとボール遊びの真っ最中。

 ゴムボールを床に落とさないようにヘディングするという、至ってシンプルな遊びだ。

 それでも熱中出来るのだから、ボールという存在は中々奥が深い。

 

「19、20、21……」

「22、23、24……」

 

 着々と回数を重ねていく。

 このままなら30回の大台に乗りそうだ、と思ったのも束の間――

 

「せいっ!」

「のほわっ!?」

 

 ――山形の軌跡が突然、一直線に顔面へと突き刺さった。

 

「アハハッ!! 情けないねぇ」

「やりやがったなコノヤロウ」

 

 目の前で高らかに笑う小犬にジト目を向ける。

 だがそんな行動に大した効果も無く、仕方なくその小さな体躯を持ち上げるだけが出来る反撃だった。

 

「おぉおぉ怖いねぇ」

「尻尾振りながら何言ってやがる」

 

 そういう生意気を言うヤツはこうしてやる、とその体を抱き締める。

 腕の中にスッポリと収まったアルフを、そのままワシャワシャと撫でまくってやった。

 

「キャハハハハ!! ヤメ、ヤメテ!!」

「ほい」

 

 彼女の言う通り、すぐさま手を放した。

 胡坐で組んだ足の上に座っている彼女は、息を荒く呼吸している。

 だがすぐに俺へと視線を投げつけ、少し怒ったように声を上げた。

 

「何で止めるんだい……?」

「いやだって、お前止めろって言っただろ」

 

 先程とは逆の立場でジト目を向けるアルフに、ワザとそう言い返す。

 くすぐりを受けてる間、お前がずっと尻尾振ってたのを俺は見逃しちゃいないぜ。

 まぁこのまますっ呆けるのも可哀想だし、意地悪はこの辺りで止めるか。

 

「仕方ない、ほら」

 

 再び抱きかかえて、今度はその背を優しく撫でる。

 最初は悪態を何度か呟いていたが、次第にソレも無く彼女は落ち着いていく。

 体毛の流れに沿ってゆっくりと、掌を押し付けないように、そっと優しく……。

 

「あふぅ……」

 

 目を瞑り俺に身を委ねるアルフ。

 全身を脱力させて全てを受け入れるその様は、途方も無く可愛らしい。

 その姿に俺も、心を癒される感覚に陥っていた。

 

「やっぱりね~」

「どうした?」

「アンタ、動物に慣れてないね」

 

 むくっ、と顔を起こして俺を見遣る。

 その瞳には、何やら悟った様子が見て取れた。

 

「背中を撫でるその手付き、アタシにちょっと遠慮してるだろ?」

 

 その言葉に、少しだけ息が詰まった。

 

「アタシを不快にさせない為なんだろうけどさ、あんまり気にし過ぎると逆に駄目なんだよ」

「そうなのか?」

「あぁ、もうちょっと丹念にやってくれよ」

 

 それだけ言うとアルフは、再び顔を下ろした。

 どうやら、俺の膝から降りるつもりは無いらしい。

 マッサージを受けるように体を弛緩させ、静かに目を伏せる。

 

 ……何とも、注文の多い小犬様だ。

 仕方ない、だったら存分に満足して貰おうか。

 その呟きに俺の手もまた、彼女の背中を流れるように撫でていった。

 

「こんな感じか?」

「あ~、そうそう」

 

 漏れる言葉から、少なからず満足気な音が感じ取れる。

 まるで温泉にでも浸かったようなその姿に、思わず笑みが零れた。

 

「なぁ聖~」

「どうした?」

「フェイトの事どう思う?」

 

 

 

「――――――――――――――はっ?」

 

 だがそれは、その問いによって凍りつく事となった。

 ……えぇっとアルフさん、その質問は一体どういう事でございますでしょうか?

 

「そのまんまの意味だよ。聖にとって、フェイトはどう映ってるのかって事さ」

「ど、どうって……」

「じゃあ言い方を変えるよ。――――フェイトってさぁ、可愛いよね?」

 

 此方の思考を上塗りする畳み掛けるような連答、眼下ではニヤリと悪戯染みた笑みを浮かべる一匹の小犬。

 小さな背を愛撫していた手は既に硬直し、見詰め合うように俺達は相対していた。

 代わりに思考が尋常じゃないスピードで巡りだして、唐突に向けられた質問の意味を理解しようと奮起している。

 俺にとって、ハラオウンは……

 

「可愛いよね~?」

「うっ……」

「聖もそう思うだろ?」

 

 見上げる視線が俺を捉え、追及から逃れようとする意識を縛る。

 何だ、コイツは一体俺から何を引き出そうとしているんだ?

 

 ……まぁ、確かにそう言えなくも無いけどさ。

 聖祥に入学して初めて知り合った、一つ前の席の少女。

 金織物のような長い髪、整った顔立ちに穏やかな笑みを湛えた姿は、正しく造形美の極みと言っても過言ではないだろう。

 学校で毎日会っていたから、それ以前に『そういった目』で見る事を拒んでいたから、俺自身あまり考えないようにしてきたつもりだけど……。

 

「ま、まぁ……確かに、な」

 

 考えるまでも無く、アルフの言う言葉は一部の隙も無かった。

 否定するのも本人に悪いし何より事実である以上、それだけはやってはいけない。

 口に出すのは恥ずかしいのだけれど……。

 

「ちゃんと言ってくんなきゃアタシには分からないよ」

 

 だが俺の反応に笑みを深めた小犬は、悪戯っぽく更に追及する。

 「早く吐いちまいな」と双眸で訴え、俺の喉に引っ掛かる答えを否応無く引き上げようとしていた。

 相対しているこの状況、逃げ出そうにもアルフが太腿辺りを掴んで放さない為、おいそれと逃走する事も出来ない。

 つまりはこの場に於いて、ソレを言う事だけが俺に許された行為なのだと、言い知れぬ何かが告げていた。

 

「……可愛いんじゃ、ねぇのか」

「誰が?」

「…………ハラオウンが」

 

 瞬間、顔面がジワジワと熱を帯びていった。

 言い放った言葉は、今までの自分なら絶対に言わないし言えないものだろう。

 だと言うのに、何が悲しいのか、何の罰ゲームなのか、気付けば状況と小犬の悪戯心に流されていた。

 

 あぁ言っちまった、と両手で顔を覆いたくなる。

 その間にも全身の血行は異常活性の一途を辿り、それは主に顔面という部位に集中していく。

 どうにも我慢出来ず、顔を思いっ切り伏せて恥辱を前髪で覆い隠す。

 

「初々しいねぇ」

 

 だが俺の足を椅子に座る小犬には、それはいとも容易く覗ける位置であって……。

 小憎たらしい笑いを潜めながら、漸くその場から飛び降りた。

 音も無く地に足を着けたソイツは二歩三歩、そして……

 

「聖が可愛いってさ――――――フェイトの事」

「…………えっ?」

 

 直後に感じた嫌な予感と共に、急いで小犬の姿を追う。

 だがそれは、俺にとって命取りな行動と言っても過言ではなかった。

 テクテクと淀み無い小さな歩幅のその先に、自分にとって予想だにしない人物が見えたからだ。

 

 

 

「は、はらおうん……?」

 

 腰まで伸びた金髪、此方に向けられる赤い瞳、それは先程の会話の渦中に君臨した人物。

 2つのグラスが乗せられたお盆を手に、彼女はその場に立ち尽くしていた。

 微動だにせず、俺を真っ直ぐに見下ろす視線、そして表情には戸惑いが見て取れる。

 でも対する此方もまた、内心と外面は同じだった。

 

 ……何デスカ、コノ光景。

 

「……」

 

 声が出ない。

 いつもなら「いつまで突っ立ってるんだ?」とか「家の中で案山子になってどうするんだ?」みたいなクダラナイ言葉の一つや二つ吐けただろう。

 だが今は、全く以って思考が働いてくれない。

 我が脳裏を埋め尽くすのは、先程自らが呟いた言葉の意味。

 目の前の少女を可愛いと言ってしまった事による、途方も無い恥ずかしさだけ。

 それが当の本人に聞かれた、知られてしまった事実に、体を巡る熱が沸点を飛び抜けた。

 

 あぁあつい、とてもアツイ、かなり熱い、マジで暑い、本当に厚い、際限無く篤い……。

 比較的快適だった筈のハラオウン家の居間が、俺にとってはむせ返るようなサウナに思えた。

 背中にじわりと、汗が流れる。

 そして俺達の間には、得も言われぬ緊張が走っていた。

 呆然と開かれた口は未だ、音を発してはいない。

 

「……えっと、ゴメンね」

 

 そこで漸く、彼女が一石を投じた。

 頬は微かに赤く、対峙する俺の不甲斐無さに諦観し、自ら動く事でこの場を収めようと腹を括ったようだ。

 ハハハと乾いた笑いを発して何でもないように取り繕うその姿は、滑稽を通り越して健気にも見える。

 俺の隣に腰を下ろしてお盆を置く仕草はどこかぎこちなく、チラチラと何度も此方の様子を窺っている。

 

「……な、何だよ?」

「なっ、何でもないよ。うん、何でもない」

 

 だが取り戻した冷静は儚く、声を掛けると同時に無残に散り去った。

 ハハハ、ハハハ、と乾いた笑いは続く。

 気まずそうな笑顔を広げている様子に、此方まで気まずくなる思いだ。

 

「の、喉渇いたでしょ? これ、飲んで」

「あ、あぁ。ありがと……」

 

 目の前に差し出されたグラスには色合いからして紅茶、結露して透明の雫が伝っている。

 依然として気まずい空気が流れる中、どうにか気持ちだけでも変えようとソレに手を伸ばした。

 居間は少しでも、落ち着くものが欲しい。

 ヒンヤリと冷たいグラスを掴むと、そのままグッと一気に呷る。

 

「うわ……」

 

 口に広がる冷却感、喉を通る清涼感、体内を巡る安心感。

 隣のハラオウンが何やら驚いているが、それを無視して更に飲み続ける。

 

「……ふぅ」

 

 粗方飲み干して、そこでやっと一息吐いた。

 体内に充満していた熱が流れていき、同時に高鳴っていた鼓動も落ち着きを取り戻す。

 主の意向を完全に無視したカーニバルは、漸くフィナーレと言うか強制終了を迎えたようだ。

 ふぅ、ともう一度吐いた息で、酸素が頭にも回り始めた。

 

「それじゃあ、私も」

 

 すると隣の彼女も、両手にグラスを構え紅茶を呷る。

 小さく喉を鳴らしながら、澄んだ紅色の液体を嚥下していく。

 しかし全部を飲み切るのは無理だったようで、半分を過ぎた辺りで口を離した。

 

「流石に、聖のようにはいかないね」

 

 何を言ってるんだか、この少女は……。

 薄く笑みを浮かべるハラオウンはそう言って、飲み掛けのグラスをテーブルへと置いた。

 

「聖……」

「ん?」

 

 先程までの嫌な沈黙から一転、お互いの熱も落ち着いて漸く言葉を交わせるまでに戻った。

 あぁそうだ、気にしなければ大した事じゃないんだ。

 と、思っていたのに――

 

 

 

 

「さっきの言葉、ちょっと嬉しかった」

 

 ――――――――。

 ささやかな、恥ずかしげな、それでいて嬉しそうに彼女は笑った。

 満面の笑みとは違う、微笑む程度の小さなソレは、しかし彼女の魅力の全て。

 フェイト・テスタロッサ・ハラオウンという少女の持つ、至高の笑顔。

 高町が太陽の光を一身に受ける『向日葵』とするなら、コイツは月の光の下でささやかに映える『月光花』。

 美しく咲く一厘の花、紛れも無く俺の目の前にそれはあって……

 

「――――うっせ」

 

 収まっていた筈の熱が、再び喉元に迫り上がってきた。

 あぁもう、と頭を掻き毟りたくなる。

 何だってコイツは、いつもこんな顔するんだ。

 

 前もあったよなこんな事、つーか俺いい加減慣れろよ。

 いや無理だろ、目の前でこんな綺麗な笑顔見せ付けられて冷静で居られる筈が無い。

 居たらソイツは紛れも無く聖人だ、俺では到底真似出来ない。

 だから俺の心臓いい加減に止まれよ、心拍停止していいから止まってくれ。

 顔だけじゃない全身真っ赤だよこれじゃ、どうしてくれるんだコノヤロウ。

 

 最早顔を上げるなど不可能、馬鹿みたいに俯いて顔を隠す事だけ。

 

「ったく……」

 

 自らに悪態を吐く声にも力は宿らず、最後まで抵抗の意志すら持ち得なかった。

 結局俺が正常に戻るまでに幾分の時間を費やし、帰りが予想よりも遅くなってしまったのは、言うまでも無い事実だろう。

 帰りの道すがらに吹く涼風だけが、俺にとって唯一の救いだったのかもしれない。

 

 まぁそんな愚痴はどうでもいいとして、明日からまた慌しい一日が始まる。

 自分を取り巻く状況、自分が知るべき知識、自分が進むべき道。

 まだ闇雲に腕を振るう事しか出来ないが、それでも進んでいると信じて……。

 今はまず、ゆっくり休もう。

 

 

 

 

 

 

 




どうも、おはこんばんちはです( ・ω・)ノシ
フェイト編№Ⅱをお読み下さり、ありがとうございます。

今回は日常的なほのぼの回にして、新キャラのエリオ登場です。
StSでのメインキャラである彼ですが、今作の時間軸の新暦67年は『なのはの教導隊入り』『フェイトのSランク取得』『フェイトがエリオを保護する』といった出来事があるんですよね。
それがフェイト、ひいてはあの5人がひなた園に職場実習に来た理由に繋がる訳ですが、40話近く掛けての伏線回収でした(´・∀・)
そしてヒロインであるフェイトを放っておいて、先にエリオと仲良くなる所に聖らしさを感じます。
久し振りに登場したアルフも、初っ端から聖をおちょくって楽しんでおります。
取り敢えず言いますと、リリカルなのはのヒロイン達は「可愛い」と言われた程度で惚れるなんて軽い女の子ではありません!(`・ω・´)
フェイトが恥ずかしがっていたのは、その言葉を聖が言うという点が主です。
いやだって、普段の聖を知っている彼女からすれば、そんな事言うなんて予想も出来ませんからね。
とは言え2人が気付いてないだけで、着実に互いの想いが積み重なっているのは確かでしょう。
いつ、どちらが先に自覚するのかは分かりませんが……。

今回はこれにて以上となります。
感想や意見、タグ関連やその他諸々は遠慮無くドシドシ書き込んで下さい。
皆さんからのお声が原動力なので、是非、是非、是非宜しくお願いします!!( ;Д;)
では、失礼します( ・ω・)ノシ


更新についてです。
この後のF№Ⅲ、F№Ⅳ、F№Ⅴは連日ではなく、2、3日で1話更新をする予定です。
F№Ⅵについても、早い完成を心掛けて更新します。
もうストック枯渇が目前に迫っていますので、少しずつやる事をやろうかなという意味で……。
ご了承下さいm(_ _)m




そういえば最近、ランキングの方でこの作品の評価値を調べようと思ったら、全く出てこないんですよね。
除外設定を使っても出てきませんし、以前はきちんと見れたので仕様が変わったのかなと思ってます。
いやまぁ、どうせランキングに載る事も無いでしょうから、気にするだけ無駄なのかもしれませんが……(´・∀・)



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