少年の誓い~魔法少女リリカルなのはO's~   作:さっき~

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「っつ……!?」
「ほらほら、その程度なのかい?」
「誰が!!」

――視線の先で、途轍もない熱量が振り撒かれていた。
――決して気温が高い訳でも、降り注ぐ陽光が強過ぎる訳でもない。

――唯、その光景が、あまりにも激しかった。
――荒々しく暴風のような動き、有り余る力の悉くを発散するように駆け巡り、弾丸の如き拳を放つ女性。
――艶のある茜色の髪、ツンと飛び出すように生えた獣耳が特徴的なその姿は、私の大切な相棒であり家族。
――対するは最小限の動きでソレを受け流し、時に真円の灰盾で受け止め、ほんの少しの隙を見逃さず拳や蹴りを返す少年。
――靡く黒髪の奥に光る切れ長の瞳、刃物を髣髴とさせる威圧的な力を秘めたそれは、私にとって慣れ親しんだ人が放つ光だった。

――交差する体躯、風を切る腕、打ち抜かれる正拳、カウンターのような蹴撃。
――互いの踏み込みの度に地面が鈍く鳴り、クロスレンジで視線と拳を交わす。
――接近しては離脱、タイミングを図っては再度接近。
――まるで風のぶつかり合い……いや、嵐といってもいいかもしれない。
――それ程までに、どこまでも激しく2人は戦っていた。

「おっと」
「ちっ……」

――余裕顔で上段蹴りを避けるアルフに、聖は舌打ちと共に距離を取る。
――依然として優はアルフにあり、劣は聖に置かれていた。
――元々のスペックもそうだけど、関わってきた戦場の質が違う。
――だからこそ、こうして『訓練』を行っているんだけれど……。

『故に、此方としても最善の策を取らせてもらう事にした』

――もう1週間前に聴いたクロノの言葉、その意味が正に目の前の光景だった。
――最善の策、それは聖に『魔導師としての力を付ける』というもの。
――今後起こり得る最悪の事態を想定しての対抗策。
――クロノから渡された聖のデータ、そして彼の考案した訓練プログラムを元に、ここ数日で試行錯誤を重ね続けていた。

「堕ちろ!!」

――上空から落下しながら、鋼鉄の風を纏う拳を突き立てる。
――それをアルフはシールドを形成して阻み、大きく後退して距離を取った。
――対峙する状況は幾度として変わる事無く、ループするように初めの位置へと戻っている。
――こうして訓練を続けて何度の実践を重ねただろう?

――クロノから渡された資料によると、聖は『流動』と呼ばれる資質の持ち主らしい。
――重力や斥力等、物体に掛かるエネルギーそのものに変換するという、決して優秀ではないけど稀有な力。
――変換先が複数存在するという大変珍しく、そして大変扱い辛いだろう代物。

「と、思っていたんだけどなぁ……」

――意外にも彼は、それを当たり前のように使い分けていた。
――それが凄く気になって本人に訊いてみた所、発動時に発する言葉やイメージで可能だと言っていた。
――そのイメージが強ければ強い程、魔法の出力に多少なりとも差が出るらしい。
――聖が散々言うのを渋っていたラウンドシールドについての出来事は、ジオ・インパクトの威力を底上げすると言う意味ではきちんと効果を表していた。
――私見だけど、アポクリファの意図しての行動かと思っていたりする。
――穿った見方かな?

「っ、これで!!」
「何ぃ!?」

――体を沈めて滑り込むように背後に回った聖は、アルフのマントを掴んで力の限り投げ飛ばす。
――その姿を見る度に思うんだけど、聖の戦い方って色々と変わってると思う。
――魔法戦では滅多に見られない投げ技や、魔法の発生効果や周囲の物を利用しての戦術。
――相手を出し抜く為に様々な策を弄し、一撃を与えんと疾駆する。
――それが卑怯と言われる事だとしても、何の躊躇いも無く、当然のように手段の一つとして行使する。
――更に彼の資質が『加速』方面に秀でていた為、私の教えた高速移動魔法も覚え始めている。
――まだ発動に難があるみたいだけど、きっと近い内に実戦での使用も大丈夫かもしれない。

――でもまさか、クロスレンジで相手の眼前で手を叩く『猫騙し』を使うとは思わなかった。
――アレって、確か相撲の技だよね?
――だけどアルフもかなり驚いていたし、私も使ってみようかな?
――あっ、それじゃバルディッシュはどうすればいいんだろう?

「鉄拳無敵!!」

――そうこうしてる間に2人の戦闘は、アルフのバリアブレイクによって終わりを迎えた。
――灰色のシールドを破った彼女の拳に吹き飛ばされ、聖は背中で地面を数メートル滑走している。
――やはりと言うか、今日も聖はアルフに一本取れなかったみたいだ。
――だけど彼自身の反応速度や発想力が生み出す奇手は、アルフが冷や汗を掻く場面を幾度も作り上げている。
――それを生み出す要素が天性のものでなく、一から積み上げてここまで至った努力の結晶なのだから凄い。
――本人曰く『殴られ続ければ、誰でも身に付く程度のもの』と言ってるけど、つまりはそれだけ痛い思いをしてきたと言う事。

「どうした?」
「え、あっ……何でもないよ」

――背中に付いた砂を払いながら、彼は少し憮然とした顔を私に向けている。
――アルフに負けたのが相当悔しいみたいだけど、寧ろ少しでも追い詰める事が出来る聖は充分だと思うんだけれど……。

「で、バルディッシュ的にはどんな感じだ?」
《45 points(45点)》
「あー、やっぱそんなもんかぁ」
「まぁ、聖もまだまだって事だね~」
「突破されたらお仕舞いだな。かと言って避け続けるのも一苦労だし……」

――腕を組みながらブツブツと考え事をしている彼の瞳は、もう私じゃなくて違う場所を見ている。
――真剣に、必死に、先程の戦いを脳裏に蘇らせている。
――それはつまり、それだけアルフとの訓練に熱を入れていた訳で……。
――私の担当する魔法講座も一生懸命に取り組んでくれているけど、こんなに熱心になってる所は見た事無い。

――何故だろう、少しだけど悔しい気持ちになった。
――もしかして私の教え方が悪かったのかな?
――それとも、やっぱり聖は座学よりも体を動かす方が好きなのかな?

「せめてバリアブレイクみたいなモンが使えれ…………何ぼ~っとしてんだ?」
「えっ……あ、ううん。何でもないよ」
「大丈夫か? まさか、寝不足か?」

――至って真面目に、そして全くの見当違いな心配り。
――だけどその思い遣りは本物で、彼の表情を見れば一目瞭然。
――ソレが純粋に嬉しく思う。

「付き合って貰ってる俺が言うのもあれだけど、あまり無理すんなよ」
「大丈夫だよ。今までの仕事と比べたら、アルフと分担出来るから大変じゃないし」
「まぁ、だったら良いんだけどさ」
「もしかして、心配してくれてるの?」

――刹那、彼の顔が燃え上がるように真っ赤になった。

「あっ、当たり前だろ……」

――視線を逸らしながら呟くその言葉に、不意に私の顔に笑みが浮かんだ。
――それはなんて事無い、彼の優しさから生まれた喜び。
――聖はいつだって、本気の本気で相手を思い遣れる心を持っている。
――瞳は真っ直ぐじゃなくても、向けてくれる言葉は間違いなく一直線。

「何笑ってんだよ?」
「ううん、何でもないよ。それより、そろそろ戻ろう」

――そこで、はたと気付いた。
――強くなろうと必死に前を向くその姿、決して諦めない心に宿る想い。
――それが大切な親友である、なのはに似ている事に。
――いつも眩しい笑顔を浮かべている彼女と、家族の前でしかあまり笑わず、不器用な顔ばかりしてる目の前の少年。
――共通点の一つも見つけられなさそうな、そんな2人だけど……。
――真っ直ぐな想いは、きっと誰かを守れるような強さに溢れていた。
――私の勘違い、唯の思い付きなのかも知れない。
――だけど私は、純粋にそう思っていた。








F№Ⅲ「忍び寄る影」

 

 

 

 

 

 エリオ・モンディアル、彼との出会いから数日が経った。

 最初は何かにつけて遠慮気味な姿勢だったが、何度も顔を合わせれば自然とそういった部分も無くなってくる。

 と言うよりも、俺がそんな事をさせる訳がない。

 まだ年端もいかない幼子が、俺みたいなヤツに対して遠慮する方がおかしいんだ。

 意味も無く、理由も無く、甘えていい。

 それが子供の特権なのだから……。

 

「そんじゃあ今日も、遊びたいヤツは集まれぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

『はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!』

 

 まぁそれは、エリオだけに限った話じゃない。

 だだっ広い広場の中央、俺の張り上げた声に釣られるように、無数の歓声が辺り一面から湧き上がる。

 特別保護施設、気付けば来る事が当たり前になっている日常。

 気付けば、大半の子に顔を憶えられている事実。

 そして、その遊び相手として職員の方々に任されてしまっている状況。

 

 ……うん、別にいいんだけどな。

 俺だって子供達と一緒に遊ぶのは好きだしさ。

 

「よし、目一杯遊ぶぞ!!」

『おぉぉぉぉ!!』

 

 天高らかに掲げた俺の腕に合わせるように、皆も同じポーズと満面の笑顔で応える。

 まるで向日葵畑みたいな、暑さをものともしない力強さがそこにはあった。

 キラキラと輝いて、目の当たりにしている自分の頬が緩む様子が、手に取るように分かる。

 その笑顔の輪、中心から少し外れたそこに――――――赤髪の少年が控えめに、それでいて期待に満ちた眼差しを俺に向けていた。

 ニッ、と笑い掛けると、困惑したように視線を彷徨わせて……。

 最後には、ささやかな笑みを返してくれた。

 

 ……あぁ、今日も良い日だ。

 眩しいまでの笑顔を目の当たりにしながら、俺は今日一日を楽しく過ごせる予感を、その胸に秘めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは、頂きます」

『頂きます』

 

 両手を合わせ、告げられた言葉は意図せずに合唱となる。

 様々な音色で重ねられるソレは文字通り、言葉通り、食事の挨拶。

 目の前で彩られる料理、それを構成する多くの食材達への感謝を込めて……。

 赤味噌を使った『味噌ミートパスタ』に夏野菜のサラダ、そしてコンソメスープという、シンプルながら量的にも満足のいく品々。

 味噌の塩気の強い香りが鼻腔をくすぐり、食欲へダイレクトに叩き込んでくる。

 

 ――今日も良いお仕事です、シスター。

 そしてシスターと同じ隣のテーブル、俺と丁度背中合わせの席に座っている……………………ハラオウン。

 

「兄さん、どうかしました?」

 

 フォークでパスタの麺を絡め取りながら、隣の沙耶が俺の顔を覗き込む。

 そこで漸く、自分が挨拶の後から、全く手を動かしていない事に気付く。

 いつもなら食欲を自制しながらも、シスターの作る最高の料理に舌鼓を打っている最中だと言うのに……。

 周りは既に団欒の様相を呈しており、師父のテーブルに居る平太に関しては、パスタの3分の1を消費済み。

 もっとよく噛まないと消化に悪いと、何度も言っているんだけどなぁ。

 

「食欲無いんですか?」

「いやいや、今現在、腹の虫達が楽団を組んで大合奏している最中だ」

「ですよね。兄さんに夏バテなんて似合いませんから」

 

 強かに言葉を返す彼女の様子に、少しだけ笑みが漏れる。

 直前に見せた心配げな表情については、敢えて言及するまでもないか。

 内心で思い遣りへの喜びを噛み締めつつ、やっと俺も食事へ手を伸ばした。

 赤味噌の香ばしさに喉を鳴らしながら、メインディッシュを一口。

 

「……」

 

 美味い、そうとしか表現させない味覚への訴え。

 いつも食べている温かい味と、いつもと違う不思議な味。

 確実な変化を促されながら、それでも胃にも心にも優しいそれ等は、正しく家庭料理の最たる在り方。

 体温とは別種の温かみ、それがテーブルを彩る品々にこれでもかと込められていた。

 それを想像と技術、経験と両手で2人は作り上げたのだ。

 

 

 

 

 

 さて、いい加減この辺で現状の説明をするべきだろう。

 と言っても、つい最近同じような事はあったと思うから詳細は必要無いだろう。

 単純に言ってしまえば『何故かハラオウンとアルフが、ひなた園に泊まりに来た』という単純な事だ。

 そこに納得が付随するかどうかは、人それぞれだろうが……。

 

 ハラオウンが俺の護衛任務に就いてから、俺達の共有時間が増えたのは言うまでも無い。

 それが、数日前にハラオウン家にお邪魔する事になった理由、と言うか切っ掛けの一端らしい。

 では今回は何故か……その疑問は当然湧いて出るだろう。

 だがそんなものは、あの人に掛かれば何事も無く済まされてしまうのだ。

 

『今日、ちょっと本局の方に遅くまで残らなくちゃいけないの。クロノ達も当分は戻ってこないし、そうすると家にはフェイトとアルフだけになっちゃうでしょ?』

『そんな状態で、年頃の娘を家に置いておくのは、幾らなんでも……ねぇ?』

 

 至って笑顔で、何の躊躇いもせず告げるリンディ・ハラオウンさん。

 モニター先のその姿と続け様の言葉に、嫌な予感が先走る。

 いや、ねぇって言われても……。

 

『そんな訳で聖君、フェイトとアルフの事をお願いね』

『いや、お願いって言われましても……』

『ひなた園の方には、もう連絡済だから安心して』

『……』

 

 最早、何処から突っ込めばいいのか分からない。

 前回といい今回といい、この人には先見の明があるとしか思えないんだが。

 そして師父、そういう事は俺にも事前に教えて下さい。

 

『ハッハッハッハッハッ!! 男なら細かい事を気にするもんじゃないぞ』

 

 どこまでも陽気に気楽に、心底状況を楽しんでる様子が携帯越しでも分かった。

 それを聴いた瞬間、何とも言えない感情によって手が震え、携帯が軋みを上げたのは秘密だ。

 シスターなんか笑みを浮かべたまま「あらまぁ……」なんて言うだけだし。

 大人の後ろ暗い部分を垣間見た瞬間だった。

 …………

 ………

 ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現在、時計の針は11の手前を指している。

 昼間は慌しいリビングも、この時間となると殆んどがその形を潜める。

 既に風呂にも入り終え、後は布団にダイブしてグッスリと寝るだけ。

 それが瑞代家の生活サイクルであり、健全な心と体を作る為の義務なのだ。

 特に皆はいつもはしゃぎ回るから、今の時間なら体力が空っぽになって、1分掛けずに熟睡状態に容易に移行するだろう。

 いつも全力なのだから、当然と言えば当然。

 でもそれは一日一日を大切に力の限り生きている証だから、きっと褒められる事だ。

 

 首に掛けたタオルで濡れた髪を拭きながら、脳裏に浮かぶ皆の姿に微笑みを浮かべる。

 そのまま階段を上がり、自分の部屋まで歩を進めようとしたその時……

 

「兄さん」

「沙耶……?」

 

 寝間着姿の我が妹が、何の前置きも無く眼前に立っていた。

 ひなた園の中でも優等生であり、皆の手本となっている彼女。

 もう就寝時間は過ぎてる筈だが、どうして此処に?

 そんな俺の疑問も意に介さず、沙耶は俺を見据えたまま言葉を続ける。

 

「先程、フェイトさんから言伝を頼まれまして」

「ハラオウンから?」

「はい。重要な話があるそうなので、兄さんの部屋で待ってるそうです」

 

 淡々と、それでいて何か含みを持たせた声で呟く。

 双眸を閉じて、視線を合わせないようにしているその姿は、何処かいつもの沙耶らしくない。

 どうしてか、少し不機嫌そうにも見える。

 

「沙耶、どうした?」

「いいえ、別に何も……」

 

 いやいや、その顔はどう見ても『何も』って感じはしないぞ?

 普段から起伏の少ない子だが、それは他人から見ればの話でしかない。

 家族である俺は、既にその明確な違和感を鋭敏に悟っていた。

 

 ……だが彼女がそれを貫くのであれば、此方としてもあまり強く出られない。

 踏み込み過ぎて沙耶を不快にさせる訳にもいかないし、それが自分だけで解決するべき問題なら、寧ろ手出しは不要だ。

 

「……そっか。それじゃ、俺は部屋に戻るから」

 

 だけど、いつか沙耶が俺を必要とするのなら、その時はこの身が持ち得る全てで力になろう。

 それが、兄貴ってもんだからな……。

 自然な笑みを向けて「おやすみ」と声を掛け、俺は妹の脇を抜けるように歩を進めた。

 それにしてもハラオウンの重要な話って、一体何だろうか?

 まぁ、部屋行けば分かるか。

 

「兄さんは――」

 

 不意に耳を掠めた声が、その歩みを縛り付けた。

 窓から吹き抜けるそよ風に乗って、それは俺を発生源へと振り向かせる。

 視界に映るのは、此方に背を向けている妹の姿だけ。

 

「フェイトさんの事、どう思っているんですか?」

「え……」

 

 不意を突かれ漏れたのは、俺の呟き。

 放たれる声は涼やかに耳に入り、そこに込められた意味が心に直に訴えてくる。

 

「兄さんはフェイトさんの事、好きなんですか?」

「は……はぁ!?」

 

 それを汲み取るのに数瞬の時を要し、噛み砕いた刹那に脳内がシェイクされた。

 俺が、ハラオウンを……す、好き…………!?

 その言葉が脳裏を掠めた瞬間、イメージは明確な形となって思考を埋めていく。

 えぇと、沙耶の言う『好き』っていうのは、恐らくだが『LOVE』的な意味合いの事を言ってるんだよな?

 ――――いやおい、何で急にそんな話になった!?

 

「なっ、なななな何言ってんだよ!?」

 

 夜の帳の包まれた時刻は深い所まで刻んでいると言うのに、放たれたのは可笑しいまでの素っ頓狂な叫び声。

 その滑稽なまでの戸惑いは、しかし内面から溢れ出すモノに蓋をする為に必死だった。

 あぁうん、ハラオウンは少し自己主張が弱い所もあるけど、とても気の利く良いヤツだってのはよく知ってる。

 それに、この前アルフに無理矢理言わされた感があるが、アイツを可愛い女の子だと思っているのは本心だし……。

 いやしかし、だからといってそれが好きという感情に繋がってるかと問われたら、きっと違うかもしれないし……。

 

 考え出すと本当に思考が止まらなくなるので、それ等を力尽くで振り払って兎に角口を開いた。

 

「俺がハラオウンを好きって、と……突然どうした?」

 

 だが吐いて出たのは、まるでご機嫌伺いをするような低姿勢な語調。

 今の自分が引き攣った顔を浮かべているのが、手に取るように分かってしまう。

 いや、別に図星を突かれたからって訳じゃなくてだな……。

 急に突拍子も無い事を告げた妹に対する、戸惑いとかそういう類のものであって……。

 あぁ、湧いて出る言葉の全てが言い訳臭く聞こえる。

 

「さ、沙耶?」

「……」

 

 俺の声に沙耶は答えない。

 無言の背中は、普段の彼女らしからぬ拒絶を表しているようで……。

 家族として何年も一緒に居る俺でさえ、二の足を踏みそうになってしまう。

 だけどその姿に、ゴチャゴチャしていた脳内が急速に冷やされていった。

 俺より小さな体が、見えない震えを抱いているような気がして……。

 

「沙耶……」

 

 依然として背を向けたままの沙耶の表情は掴めず、今までの発言がどういった意図によるものか判断出来ない。

 唯、冗談交じりに言った事で無いとだけは、声色から理解出来た。

 俺の静かに呼び掛ける声に、沙耶は「いえ……」とだけ呟いて――

 

「何でもありません。お休みなさい」

 

 自分だけ納得したように、その場から歩み去っていった。

 淀みない歩行は流れるが如く、夜風に髪を靡かせながら消えていく。

 俺は唯、その姿を見送る事しか出来ずに……

 

「―――――――――」

 

 よく聞こえない音が、空間に溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前、何やってんだ?」

 

 ドアを抜けた先、麗しき金髪を靡かせる少女が俺の椅子に座していた。

 いつもその場所に居るのは自分という常識から外れた光景の中、彼女はハードカバーの本に視線を走らせていた。

 そしてベッドには小犬が一匹、体を丸めながら穏やかに寝息を立てている。

 どうやら俺を待つのに飽きて、一足早く睡眠状態(ワンダーランド)に飛び込んでいったらしい。

 愛くるしいその寝顔を壊すのは気が引けて、静かに後ろ手でドアを閉める。

 何の気無しにそこへ近付くと、声に気付いた彼女の頭が上がった。

 

 その時ふわりと、靡いた彼女の髪から優しい香りを感じて慌てて振り払った。

 どうやら先程の沙耶との会話が、未だに尾を引いているらしい。

 

「あぁ、お帰り。聖が戻って来るまで暇だったから、ちょっとだけ本棚から拝借したんだ」

 

 ほら、との言葉と同時に、持たれていた本の表紙を向けてきた。

 

「翻訳済みの旧約聖書かよ……」

「前にはやてが内容を訊いてたでしょ? それから少しだけ気になって」

 

 淡い笑顔を見せながら、少し恥ずかしげに言葉を紡ぐ。

 八神に教えたのって、確か職場実習の時じゃなかったか?

 もう2ヶ月以上も前の話、それを今もまだ憶えていたというのか?

 

「だってあの時の聖の顔、凄く活き活きしていたから」

「いや、確かに色々口走ったのは事実だが……」

 

 それで興味を持つってのは、如何かと思うんだけどなぁ。

 何か自分の姿が理由になるのが、途轍も無く恥ずかしいし……。

 

《A word a little while ago is considered too much.(先程の言葉を意識し過ぎですよ)》

 

 あぁもう、アポクリファも黙ってろ!!

 折角気にしないように接しているのに、これじゃまともに話も進まない。

 強く頭を振ってソレを打ち消し、無理矢理に平静を取り戻す。

 

「重要な話があるんだろ? 時間も遅いし、早くしようぜ」

「あっ、そうだね」

 

 素気無く言い包めると、彼女も同意して聖書を本棚へと戻す。

 ソレを横目にバスタオルで髪に残る水分を拭き取っていると突然、周囲を言い知れぬ感覚が覆い尽くした。

 ――――結界魔法?

 と言う事は、話ってのはやはり……。

 

《It is a translation called an important story as the muffling field and it are used.(消音結界、それを使う程の重要な話という訳ですね)》

 

 周囲に聞かれては困る話、魔法関係と考えて間違いないようだ。

 得心のいった俺の横では、既にバルディッシュを手に何処かと通信を繋いでいるハラオウンが立っていた。

 そして徐に現れた空間モニターには――――

 

『はぁい、2人共』

 

 翡翠色の瞳と美麗な顔立ちが画面一杯に広がっていた。

 柔和な笑みと弾むような声色から、画面先に居る女性の精神状態がよく分かる。

 全身からそれらしさが滲み出てるな……こっちからは上半身しか見えないけど。

 

「リンディさん」

『フフフ……こんな遅くに2人っきりなんて、聖君も役得ね』

「――――はぁ!?」

 

 画面の先の女性は何を思ったか、俺達の顔を見遣るなりそんな事を仰りやがりました。

 

「なっ、何言ってるんですか突然!?」

『あら、フェイトみたいな子じゃ不満なのかしら?』

「いやあの、不満とか不満じゃないとか、そういう話じゃなくてですね!?」

『あらあら、そこまで否定されたらフェイトが可哀想じゃない』

 

 突然訳の分からない事を言い出し始めた女性は、飽く迄マイペースに俺に言葉を投げつけた。

 あまりに突飛で開けっ広げな内容に、此方も上手く切り返せずに言葉に詰まりそうになる。

 この物言い、何時ぞやの士郎さんを髣髴とさせるぞオイ。

 

『フェイトもよ? 貴女だって女の子なんだから、こういう2人っきりの時こそ積極的にならなくちゃ』

「か、母さん!?」

『フフフ、初々しいわねぇ』

「ななっ、何言ってるの!?」

 

 まるで隙を突いたかのように標的をチェンジ、リンディさんは自身の娘へと口撃を開始した。

 ハラオウンも俺と似たような状態で、母親からいいように振り回されている。

 慌てながら何とか返そうとしているが生来の押しの弱さからか、上手く言葉を見付けられていない。

 

 と、その様子を横目で見ていた俺の視線と、彼女の視線がぶつかった。

 

「「あっ……」」

 

 顔を真っ赤にしたハラオウンが此方を見ている。

 だがそれは自分も同じだろうと、頭の片隅で他人事のように思っていた。

 

 ――――非常に気まずい。

 目の前で恥じらうハラオウンの姿を見ると、自分の内側から何とも言えない感情が浮き上がってくる。

 それが余計に恥ずかしくて、2人揃って視線を外してしまった。

 

『フフフ……』

 

 俺達の様子を、微笑みながら見詰めている1人の女性。

 その笑みは一体どのような感情から来るものなのか、知らないし知りたくもない。

 唯言える事は……この人も師父や士郎さんと同じタイプの大人だという事実。

 昔から俺の頭を悩ませる、悪戯心を失わない大人達の1人だった。

 

 いや、つーかそれよりも――――

 

「大事な話をするんじゃなかったんですか!?」

「そ、そうだよ母さん!!」

『あぁ、そういえばそうね。2人が面白くて、つい……』

 

 微笑みを絶やす事無く、さも当然のように呟かれたそれに頭を抱えざるを得ない。

 あぁもう、海鳴の大人達は本当に困る事ばかり……。

 しかも今日に限って、沙耶との会話から続け様に『こういった』話題を振るのだから性質が悪い。

 

 俺とハラオウンの追及によって、漸く表情と居住まいを正したリンディさんは、一言謝罪を述べた末に言葉を続けた。

 

『それじゃ時間も遅いし、手短に用件を伝えるわ』

 

 先程までのやり取りを完全に無かった事にしようとしてる女性に、反論したい気持ちが沸々と湧き上がるが敢えて言うまい。

 画面の先には双眸に込められた怜悧な光、普段の温和な光源とは思えない変貌。

 凄まじい切り替えの速さに、振り回されてた俺の精神が落ち着いてくるのを感じる。

 それは隣のハラオウンも同じだろう。

 

「リンディさん、それで話っていうのは?」

「さっき急に連絡が来たから驚いて訊けなかったけど、私達2人にっていう事はもしかして……」

 

 神妙な顔付きに変わったハラオウンに、彼女の母親はゆっくりと頷く。

 その反応は言外に肯定であると同時に、何かしら不穏なものであると言う事。

 ――脳裏に、一抹の不安が過ぎる。

 

『前に聖君に教えて貰った、『ハギオス・アンドレイル』という名前についてよ』

 

 リンディさんのその言葉に、数日前の遣り取りが思い起こされる。

 ハラオウン家にお邪魔した日に交わした、俺とリンディさんの会話。

 黒衣の奴に告げられた聞き慣れない名前『ハギオス』に、言い知れぬ違和感を抱いていた俺を、この人は鋭く見抜いたのだ。

 だが結局、その時はリンディさんも分からないという結論に至っている。

 

「それって、聖を狙っている黒衣が言ってた名前だよね?」

「あぁ、俺に向かって奴は言ってた」

 

 今でも鮮明に覚えている、あの電子音に覆われた声。

 そして時折見せる感情の発露に、俺の精神が否応無くざわめく。

 いつ聞いても不快だ、あの声は……。

 

 ……駄目だ、集中しないと。

 

「それで、その名前がどうかしたんですか?」

 

 記憶が確かなら、この話は数日前以来していない。

 それを今こうして掘り起こすと言う事は、その名前に連なる何かを見付けたって事だろう。

 俺の考えを読み取ったように画面先の女性は一つ頷き、言葉を続ける。

 

『実は私、その名前を知っていたの』

「――――えっ?」

 

 その何気無く呟かれた言葉によって、内心に動揺が走った。

 それは間違いなく目の前の、それでいて遥か彼方に佇む女性の一言が、あまりにも突飛過ぎたからだろう。

 

「ちょ、ちょっと待って下さい。あの時リンディさん、知らないって!?」

『確証が持てなかったのよ。何せ最後に聞いたのが、10年以上も前だったから』

 

 淡々と、そして表面には出さないが申し訳無さそうに、頬に手を当てて目を伏せる。

 おどけた様子でありながら、その実、純然たる謝罪の体を見せていた。

 だがすぐに居住まいを正して、目元に力を入れ直す。

 

『それで管理局での用事と併せて、私個人で少し調べてみたの』

 

 家族想いのこの人が、仕事とは言え自分の娘を家に置いていくという事実。

 それに(かこつ)けて、ウチに泊まらせて俺を驚かそうって魂胆もあるんだろうけど……。

 それでも少しおかしいとは思っていたが、そういう意味があったのか。

 ――だがその言葉に違和感を抱いた。

 

「管理局でって、まさか……」

 

 そう、この人は今キッパリと言った。

 管理局と、しかも『用事と併せて』と……。

 つまりそれは、最初からそのつもりでアッチに行ったという事だ。

 そして何よりも重要なのは、『ハギオス・アンドレイル』という名前を調べるのに、管理局を利用した事実。

 地球は管理外世界だと言われている以上、そのデータベースに存在するものは……。

 

『ご明察、管理局のデータベースには確かに残っていたわ。第6管理世界の一都市『ストラスブール』の出身に、アンドレイルという名前が……』

「アンドレイル。つまりその名前を持つのは、ハギオスだけじゃないって事だよね?」

『うん、フェイトもきちんと執務官やってるわね。その通り』

 

 ハラオウンの矢継ぎ早に弾き出された解答に、彼女の母は満面の笑顔で応える。

 それに恥ずかしげな笑みを返す姿は、親子らしい温かな遣り取りだ。

 しかし今は、そっちに気を取られてはいられない。

 これから話す内容は、笑顔を向け合って出来るものじゃない筈だから……。

 

『最初に言っておくと、これから話す内容は決して部外秘ではないという事。それでも、可能な限り他言無用でお願いね』

 

 翡翠の双眸に映るのは、強制ではなく嘆願。

 決してその意見を押し付けたりせず、敢えて各々に判断を委ねていた。

 それが俺達を信頼してのものか、もしくはその『話』自体が大したものじゃないのか。

 幾ら考えても、聴く前の自分では判断のしようもない。

 

 ふと隣に視線を向ければ、ハラオウンが俺を真っ直ぐに見詰めていた。

 コイツも恐らく、中心人物であろう俺の判断を待っている。

 事件に関係するからと言って、自分が聴いていいのか…………遠慮気味な視線が物語っていた。

 だから一度だけ、その目を見返して強く頷いた。

 

『それじゃ、私の知り得る限りの情報を教えるわ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第6管理世界の一都市であるストラスブール出身の局員、『ルシル・アンドレイル』。

 若干8歳にして管理局の技術部に所属し、デバイスマイスターの資格を10歳で取得した天才技術者。

 記録によればこれが最年少取得者のレコードであり、それは今も保持されているらしい。

 デバイス製作に長けた彼だが、その本領は『デバイスに実装するAIの製作』だ。

 デバイスとしての最低限の下地を作り上げると、そこからが彼の本当の仕事となる。

 汎用性のある柔軟な思考から、魔導師の性格や資質に合わせた特別な思考等、彼の手によって生み出されるAIは悉くがオーダーメイドレベルにまで昇華される。

 その神懸かった手腕によって着々と実績を上げ、彼は20歳を迎える前に第四技術部の副主任にまで上り詰め、数年後には主任として部を牽引していった。

 人は彼の類稀なる技術、そして人のような柔軟なAIを生み出すその手から、敬意を表して『最高鍛冶師の御手(ヘファイストス)』と讃えた。

 

 

 その彼と同じ世界に住む1人の女性、『アリエス・アンドレイル(旧名:アリエス・オアロード)』。

 ルシルとは生まれた頃から家が隣同士という、言わば幼馴染という関係だ。

 アリエスも13歳の時に管理局へ入局、魔導師適正は無かった為、内勤として従事する。

 そこから本局での経理事務、そこから運用部という人事を取り仕切る役職に就いていた。

 ルシルのような天才ではなかったが、キレのある頭脳は内勤局員の中でも優秀と言われていたらしい。

 

 

 新暦53年、それがルシルとアリエスが婚姻を結んだ年である。

 2人揃って仕事一筋の人であったが、それでもお互いをよく知る存在は特別なものだった。

 多くの者に祝福されながら、彼等は同じ道を歩む事を決めたのだ。

 

 そして新暦56年、この世に新たな生命が誕生した。

 それが――――『ハギオス・アンドレイル』だ。

 健やかに生まれた黒い瞳の赤ん坊は、両親の満面の笑みと感涙の中で大きな産声を上げた。

 順調に産褥期も終え、アリエスは管理局を退職するに至った。

 それが自分達の子の為だというのは、想像に難くないだろう。

 

 

 

 そして1年後、アンドレイル家には――――――妻の亡骸が倒れていた。

 ルシルとハギオスは足取りが途絶えて行方不明、その世界の機関と管理局も捜索を行った。

 しかし何も見付かる事は無く、第6管理世界から『アンドレイル親子』が完全に消失したのだ。

 

 

 

 

 

 数年後、他の管理世界でルシルは発見されたが、既に彼は事切れていた。

 死因はアリエスと同じく、殺傷設定の魔法によるものだったらしい。

 だが犯人を特定する証拠は微塵も存在せず、捜査は一向に進まなかった。

 管理局は最後まで手を打とうとしたが、全く進まない状況を見て遂に捜査の打ち切りを決断。

 ハギオスの存在に辿り着けぬまま……。

 

 ルシル・アンドレイル、享年27歳。

 アリエス・アンドレイル、享年25歳。

 ハギオス・アンドレイル、失踪宣告により享年1歳。

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 それが、リンディさんから聴いた話の内容だった。

 夫婦は姿形も分からぬ犯人に殺され、たった1人の息子は行方不明。

 此処とは違う別の場所の、見知らぬ一家に起こった凄惨な末路。

 そして黒衣は俺に向けてハッキリと言ったのだ、ハギオス・アンドレイルと……。

 つまり、それは――

 

「――ったく、どうだっていい事だろ」

 

 その結論を切り落とすように吐き捨てて、頭を振って思考の外へ追い払った。

 自分には関係無い、心底へ強く言い聞かせる。

 

 …………そう、関係無い。

 俺は瑞代聖であって、ハギオス・アンドレイルではない。

 イコールで結びつく事の無い、完全な他人の出来事でしかないんだ。

 そこに悲しさや同情心なんて生まれる筈はない。

 

 敢えて言うならば、テレビに映るニュースを見詰めている感覚そのもの。

 ルシルとアリエスという夫婦が殺され、ハギオスという子供が行方不明になったと聞いても……。

 「あぁそうなのか」という、無味乾燥な呟きしか出るものは無い。

 見知らぬ他人の死に対して心の底から悲しむ人なんて、世界中探しても稀だ。

 亡くなった人がどういった人物でどのような道程を経てきたか、知りもしないのに悲しむのは違うと思う。

 その人が生涯を掛けて積み上げてきたモノに、その価値を知らない他人の慰めなんて混じってはいけない。

 ルシル・アンドレイルとアリエス・アンドレイルの死に、家族や多く友人知人が悲しんだに違いない。

 

 だったらそれで充分だ。

 俺は唯、そのような出来事があったという事実を忘れなければいい。

 2人の死を悲しむ『資格』は、赤の他人である俺には無いのだから……。

 これを誰かに言えば薄情者とか言われるだろうけど、それでもこの考えを変えるつもりは無い。

 未熟者の心には、死した命は余りにも重過ぎるから……。

 

 

 

 

「聖、どうかした?」

 

 その声に感覚が急浮上する。

 声の方を見れば、ハラオウンが俺に合わせるように歩いていた。

 いや、それはさっきからずっとなんだが、それすらも意識の外に置いていた自分に驚いている。

 取り敢えず「何でもない」と答えて、頭を切り替える。

 

「それにしても意外だったなぁ、ランドロウ技術主任が休暇を取ってたなんて」

「管理局の魔導師全員のデバイスメンテナンスをしてたんだろ? 休ませないと死ぬぞ、あの人」

 

 中天から傾き始めた日差しは強く、今の季節を否応無く主張する。

 その熱を中和するのは、そよと横薙ぎに吹く潮風。

 全国的に本格的な猛暑に見舞われている日本だが、此処はその影響もあってか幾分過ごし易い。

 不快感をあまり感じさせないハラオウンの顔が隣にあるのが、何よりの証拠だろう。

 

「と言うよりも、きっと無理矢理休ませられたのかもね」

「だろうな」

 

 フッ、と漏れそうになる笑いを押し止めて、話題の男性の姿を思い浮かべる。

 ヨレヨレでシワだらけの白衣、髪はボサボサで不精の塊が顕現化したような存在。

 しかし眼鏡の奥に光る双眸は強く、只管にデバイス達へと向けられていた。

 自分の体を顧みず、唯々己が望む最高峰へと挑む背中は、どこまでも気高い。

 第四技術部の人間として長年携わっているのは、伊達ではないのだろう。

 

「でも残念だったね。もしかしたら、きちんと話を訊けたかもしれないのに」

「仕方ねぇって。こっちの事情を押し付ける訳にもいかないだろ?」

「……うん、そうだね」

 

 俺の諦観の言葉に対して応えるのは、無念の声色。

 事件に臨む執務官として、1人の友人として、隣のコイツは全力を尽くそうとしている。

 ランドロウ技術主任の許へ足を運んだのも、その一環だった。

 第四技術部と言えばルシル・アンドレイルが生前、主任を務めていた部署でもある。

 そして現主任も入局数十年のベテラン、2人の接点は嫌と言う程存在している。

 しかも実際に、入局当時から付き合いがあるらしく、2人が公私共に親友だというのは周知の事実なんだったそうな……。

 共に天才的な技術を持つ者同士だから、そういった点でも意気投合するような仲だったんだろう。

 

 それを教えてくれたのは、言わずもがなリンディさんだ。

 今でこそ後方勤務ではあるが、以前は前線に赴く機会が多く、彼等の力を存分に借りていたらしい。

 結論から言えば、ルシル・アンドレイルの事は、誰よりもベリアル・ランドロウが知っている。

 今回の事件は俺……延いては『アンドレイル』の姓が、何かしらの繋がりがあると踏んだ俺達は、リンディさんの提案の翌日に行動を起こした。

 のだが…………結果は先程の会話の通りだ。

 朝早くから通い慣れた本局に向かった、だけど当の本人は休暇中の身。

 アテンザさんに笑顔で門前払いを受けたのが、つい先程の出来事である。

 

「……」

 

 事件に関わる何かがあればと思ったけど、やはり世の中そう簡単には上手くいかないらしい。

 ハラオウンの力に少しでもなりたかったという想い、それは現実の前で容易く破壊されてしまった。

 まぁ、俺じゃこんなもんか。

 

「聖……」

「ん?」

 

 不意に掛けられた言葉に、反射的に隣へと顔を向けると……

 

「どうした?」

 

 暗く沈んだ、夏の陽気には不似合いな表情があった。

 何処か居た堪れないような、申し訳無い気持ちが彼女を包んでいる。

 

「思い詰めたような顔してたよ。やっぱり……」

 

 此方の様子を窺いつつ、言葉を繋げようか惑う姿が視界を埋める。

 それが良い事なのか、悪い事なのか、判断出来ずに視線が彷徨っていた。

 

 ――あぁ、コイツはまた。

 今日は朝からずっとこの調子、正確に言うとリンディさんとの話が終わってからずっとだ。

 きっと『俺』(ハギオス)の過去が思っていた以上に凄惨だったとか、それに対して俺が気負っているとか、そんな理由なんだろう。

 気にしてないって言ってるんだけどな、昨日からずっと……。

 全く変わらずなその様子、そしてハラオウンの難儀な生真面目さに、思わず溜息が漏れてしまった。

 

「俺は瑞代聖であって、ハギオス・アンドレイルじゃないんだ……よっ!!」

 

 今の俺にとって、その出来事はフィクションと大差無い。

 だからいい加減気にするなと想いを乗せて、陽の光を反射する彼女の金髪をガッチリと掴んだ。

 そのまま無遠慮に、頭を撫でた。

 

「そりゃそりゃそりゃそりゃっ!!」

「えっ、えぇっ、えぇぇぇぇえぇぇえぇぇ!?」

 

 滑らかな金色の流れを無視しながら、荒々しく彼女の髪を撫で付ける。

 あまりに突然、突拍子も無いその行動に、目が点になりながら慌てふためく様子は何とも可愛らしい。

 それを止めようとする彼女の手は、見えない蜘蛛の巣を払うように中空を惑う。

 

「ちょ、ちょっと聖!?」

 

 即座に制止の声が向けられる。

 だが困った彼女の反応は『嫌悪感』に類するものではなく、『羞恥心』に近いもののようだ。

 本気で嫌がってない所から、それが何となく窺える。

 しかし、このまま彼女の恥ずかしがる姿を衆目に晒し続けるのは、流石に本人にとっても宜しくないだろう。

 先程から通り掛かる人々の視線が否応無く突き刺さっているのが、肌を通して分かる。

 

「ほらっ」

 

 最後に一度、トンっと軽く小突いてから、彼女の滑らかな金色をゆっくりと解放した。

 サラサラと風に靡いていた髪は、接触で発生した静電気によって、無残にもクシャクシャに成り果てていた。

 その惨状に少しやり過ぎたかと胸中で呟くが、特に後悔はしていない。

 辛気臭い顔を続ける位なら、少しでも気が紛れた方がハラオウンも良いだろうし、俺もそんなの見たくない。

 その原因が俺にあるのなら尚更だ。

 

「うぅぅ、酷いよぉ。髪が滅茶苦茶だよ」

「安心しろ。今みたいな顔したら、次からはもっと酷いぞ。こうグリグリっとウメボシをだな……」

「そっ、それは止めて欲しいなぁ」

 

 俺の力強く握った拳に、ハラオウンは困りながらもやんわりと拒絶を示す。

 幾分か和らいだ雰囲気を纏う姿は、いつも通りの彼女だった。

 うむ、ハラオウンはそうしている方がずっといい。

 

 彼女の表情に納得のいく気持ちを感じながら視線を外し、蒼く澄み渡った空へと移す。

 依然として太陽光は燦々と降り注ぎ、その強い熱気は此方の精神に少々の不快感を募らせる。

 先程からハラオウンにばかり気がいっていたが、陽光の熱量は確実にこの体を少しずつ侵食している。

 額や背中をゆっくりと流れる汗を感じながら、時折吹く風に身を委ねていたのだけれど……。

 流石にこうも日差しが強いと、完全な差し引きゼロとはいかないらしい。

 隣の少女も顔に出していないが、額から薄っすらと汗を掻いている。

 

 …………あぁ、そうだ。

 

「ハラオウン、ちょっと自販機探してくる」

「え?」

「適当に冷たいヤツ買ってくるから、そこら辺の木陰で休んでてくれ。その間は頼んだぜ、バルディッシュ」

《Yes.(了解)》

 

 ハラオウンの相棒にそう言うなり、彼女の答えも聴かずに俺は駆け出した。

 行き交う人々はそれなりの数、家族や友人、はたまた恋人だったり……。

 三者三様のそれを尻目に、熱を纏った空気を抜けていく。

 視線の先には並木の深緑が揺れ、耳を澄ませばサラサラと葉が鳴っている。

 駆け抜ける速度は決して速くはなく、風景を横目に見る余裕を持って進む。

 

 いつも俺に付き合ってくれているハラオウンに対する、ほんの少しのお礼を……。

 高々ジュース1本で返せるものじゃないけど、今はそれしか出来ないから。

 駆ける足でしっかりと地を踏み締め、俺は先を急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~Interlude side:Fate~

 

 

 ジリジリと地上を照らす陽光の白、それを遮る木々の下は黒を映し出す。

 まるで境界線のように隔たれたその影の中に、私は1人で立っていた。

 先程まで掻いていた汗が風に飛ばされ、蒸れるような空気の中で体を冷やす。

 相反する熱を体に帯びながら、私は1人で待っていた。

 彼を、瑞代聖を……。

 視線の先にあった背中は既に無く、アスファルトを歩く人々に埋め尽くされている。

 

「ふぅ……」

 

 ゆっくり息を吐いた。

 溜息とも、疲れた時に出る息とも違う。

 暇を持て余した、手持ち無沙汰であるからこそのモノ。

 聖がジュースを買いに走ったのが今から1分前、たったそれだけの時間が私に暇を与えた。

 さっきまで2人で居たから、1人である今が途轍もなく静かで寂しい。

 

「はぁ……」

 

 また違う息が漏れた。

 原因はやっぱり、あのアンドレイル家の話。

 3人の家族に起こった不可解な事件、凄惨な結末に決して良い気分にはなれなかった。

 そして行方不明、失踪宣告によって死亡扱いとなったハギオス。

 悲しい出来事の連なりが、私の心を強かに抉っていた。

 

「……」

 

 それでも、こうして顔を歪めずにいられるのは、きっと聖のお陰なんだろう。

 彼の撫でてくれた感触が、今も残っている。

 乱暴で荒々しく、お世辞にも心地良いとは言えない掌の感触。

 だけど、自分の秘める優しさを惜し気も無く込めたその手は、触れた場所を温かくしてくれた。

 沈んでいた心を引き上げてくれた、魔法のような手。

 ミッドでもベルカでもない、聖だけが持つ『魔法(やさしさ)』。

 今までその力でひなた園の皆を守り、救ってきたんだろう。

 

「ううん、きっと私も……」

 

 知らず、彼に救われていた。

 本当なら守らなくちゃいけない立場なのに、それでもその優しさを受け入れていた。

 そっと自分の髪に触れてみる。

 ついさっきまで聖が問答無用に撫でていたそこは、ほんのりと温かい。

 皮膚で感じる暖かさじゃなくて、心で感じる温かさ。

 自然と顔が綻んでしまうような、そんな快い温度だった。

 

「――――あっ」

 

 な、何やってるんだろう私……。

 自分の頭に触って、しかも笑ってるなんて。

 きっと傍から見たら凄く可笑しく見えるよね?

 うぅぅ、自分の行動を思い返すと、凄く恥ずかしいよ……。

 そう意識すると、今度は顔まで熱くなってきた。

 

《What's wrong with you(どうかしましたか)?》

「うっ、ううん!! 何でもないよ!?」

 

 あぁ、今の私きっと凄く動揺してるよ。

 普段は物静かなバルディッシュにまで声を掛けられるなんて、相当今の自分は可笑しいんだろう。

 しっ、深呼吸しなくちゃ……。

 加速する心を諌めるように、深く息を吸って、ゆっくりと息を吐く。

 何度も何度も、全身の熱を逃がすように何度も……。

 

「ふぅ……」

 

 数度の呼吸の後、漸く心の動揺が落ち着いてきた。

 先程まで忙しなく働いていた鼓動も、今はいつも通りのリズムを繰り返している。

 胸に手を当ててそれを確認し、ほっと一息。

 

 ――――良かった。

 あんな姿を聖に見られたら、恥ずかしくてどうにかなっちゃいそうだよ。

 

 

 

 

 

「あれ?」

 

 こんな姿、誰に見られたって恥ずかしい筈なのに……。

 私、どうして聖に見られた時の事だけ考えていたんだろう?

 他にも親しい人は沢山居るのに、どうして私は――――

 

 

 

 

 

《――Sir(主)》

「……うん、分かってる」

 

 その考えは、唐突に胸の奥に仕舞われていた。

 背後に現れた違和感、それが何か探る前に私は振り返った。

 木々が立ち並び、緑深いその場所は、自然が生み出した闇のように生い茂っている。

 

 違和感は、そこに居た。

 腰まで伸びた癖のある薄青の髪、此方を真っ直ぐに射抜く赤の瞳。

 どんな黒よりも麗しい黒衣を身に包み、一寸の揺らぎも無くそこに立つ1人の少女。

 

「君は……!?」

 

 荒げそうになる声を必死に押さえ、静かに呟く。

 相対する少女は、そんな私を何の感情も持たずに真っ直ぐ見ている。

 唯、そこにあるモノを見るだけように……。

 その双眸は傍から見ても異質で、意志のある光が灯っていない。

 だけれど私はそれ以上に、目の前の存在に驚きを隠せなかった。

 自分と同年代の少女、薄青の髪に赤い瞳。

 

「……カリス・ハルベルト」

 

 それを私は知っていた。

 彼女の名前、出身世界、今までどのような生活を送っていたか。

 事細かとは言えないけど、確かに私の記憶にその情報は存在した。

 その理由は明白、それが必要な状況であったから。

 自分の立場、つまりは時空管理局の執務官として必要なものだったからだ。

 私が追っていた『誘拐事件』の被害者である、カリス・ハルベルトの情報が……。

 

「何で、此処に」

 

 12件の被害、その中で戻って来なかった残り3件の内の1人。

 その彼女が今、私の目の前で悠然と立っている。

 

「ど、どうして?」

 

 意味が分からないと、頭が混乱の極みに達していた。

 確かに今までの9件の全て、何の前触れも無く被害者が家族の許に戻っていた。

 そう、家族の許に……。

 もしこの子が解放されたのだとしたら、間違いなく家族の許に戻される筈だ。

 なら、この状況は――

 

「……」

 

 何も言わず、彼女の口は私に対して答える動きをしない。

 それ以前に彼女は、私の存在に何の感情も抱いていない。

 路傍の石を見るように感慨も無く、視界に収めるだけの行為。

 その双眸を直視するだけで、私の心に途轍もない不安が圧し掛かってくる。

 彼女の両親の話を聴く限りは、こんな目をするような子じゃない筈だ。

 ならば、彼女の身に何があったと言うのだろう。

 

「……」

「まっ、待って!!」

 

 不意に、少女は踵を返した。

 誰かからの命令を遂行するように、何の前触れも声掛けも無く、機械染みた動きで歩み始めた。

 私は反射的にその後を追う。

 今までの事例とは異なってはいるけど、それでも被害者である彼女を放っておく事は出来ない。

 風に靡く漆黒の法衣を視界から離さないように、私は深緑の中へと踏み入れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 臨海公園の緑はとても豊かで、特に歩道から少しでも離れると、森のように木々が乱立している。

 今私が居る場所も、その例に漏れず深い緑色に包まれていた。

 彼女を追ってからまだ数十秒、それでも先程までの風景とは大きく様変わりしている。

 その中で、私は少女――カリス・ハルベルトと距離を置きながら相対していた。

 本当ならすぐにでも保護するのが常套なのだけど、何故かそれを憚ってしまっている。

 自分でも分からない、だけど本能というか感覚でそう理解していた。

 迂闊な行動は出来ないと、感情が理性を抑え込んでいる。

 

「……」

 

 未だ口を開かず、何も言わず、私を見据えている。

 その瞳は無感情で冷たく、それでいて圧倒的な威圧感を放っていた。

 

「君は……」

 

 その声にも、大した反応は見せたりしない。

 体、首、顔、瞳、全てがピクリとも動かない。

 唯立っている事だけが、自分自身の意味とでも言うかのように……。

 耳に入るのは自分の声と、木の葉の擦れ合うささやかな音色。

 会話なんていうものは最初から存在していなかった。

 

 しかし、このまま言葉まで律されてしまったら、私は何も出来なくなってしまう。

 たとえ返答の可能性が限り無く少なくても、無言で互いを分かり合う事なんて出来ないのだから。

 

「カリス・ハルベルト、私は時空管理局の――」

『――執務官、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンだろう?』

「っ!?」

 

 そして、漸く自分以外の声が返ってきた。

 それが私の望んだ者からではなく、全くの第三者からのものではあったけれど。

 

『初めましてと言うべきかな? 管理局の誇る、若き天才魔導師の1人』

 

 ノイズ混じりの音は、それが人の声であるという事実を容易に隠している。

 同時に、彼女の隣に空間モニターが現れた。

 展開された円形魔法陣、その先に映ったのは漆黒の法衣。

 カリス・ハルベルトが身に付けているそれと、全く同じ闇色。

 違う点を挙げるのならば、それはフードによって素顔を覆い隠している一点だ。

 

『しかし、まさか君がハギオスの護衛に就いてるとはね。管理局の執務官は、意外と暇人のようだ』

 

 クックッ、と喉を鳴らしながら嫌味な笑声を放つ。

 まるで此方の神経を逆撫でするように、言葉の餌を此方に投げつけた。

 

 けれど、私は若輩ながらも執務官という立場に身を置く1人。

 その程度の挑発に乗るつもりは無いし、寧ろ先程よりも警戒を高めていた。

 モニターの先に居る男性とも女性とも判別出来ない漆黒の法衣が、確かに『ハギオス』と言ったのだ。

 もう10年以上も前に失踪宣告を出されている名前を、まるで知人のように語っている。

 そして闇と同化するような漆黒の法衣、その2点と自分の情報を合わせる事で、1つの事実に辿り着く。

 つまり目の前に居る者こそが、聖の言っていた黒衣本人なのだ。

 

 彼の身を狙い、私達と敵対姿勢を取る相手。

 自分の中で改めて状況を把握すると、先程以上の警戒心が胸中に募った。

 

「貴方は一体、何者ですか?」

『この状況で君は、私が味方などというおめでたい思考をしてるのかな?』

 

 此方に向けられる一言一句を聞き漏らさず、少しでも相手を特定出来る情報を引き出す。

 今の私に必要なのは、この状況を冷静に対処し、最大の効果を得るという事。

 返す言葉に皮肉気なニュアンスを感じるけど、犯罪者やそれに連なる者を相手にする場合は、その程度で言葉を濁してはいけない。

 

「はぐらかさないで下さい。貴方が行っている事は、決して認められる事ではありません」

『軽口の一つも返せないとは、少し頭が固過ぎなのではないかな?』

「答える気は無いんですね?」

 

 画面越しで相対す黒衣は、私の姿をせせら笑う。

 それが何を意味しての行動かは分からない。

 大半の犯罪者は精神的な優位を保つ為に、苦し紛れな軽口を叩く事がよくある。

 だけどこの人からは、そのような切羽詰まった雰囲気は感じ取れない。

 寧ろ顔が見えない事で、得体の知れない空気を醸し出している。

 警戒心が更に高まる。

 

『おやおや、管理局の執務官ともあろう者が、犯罪者から答えを期待しているのかね? だとするならば、君は少々世の中を甘く見過ぎている』

「自分の行動には悪意が無いと言うんですか?」

『それが正しいと信じているからこそ、私は行うのだ。不純物の混じった意志に、貫く価値などありはしない』

 

 それはまるで、天声のような力強さを内包していた。

 自身の意志の正しさを、さも当然のように饒舌に語り出す。

 犯罪者の枠組みに己を嵌めていながら、そこに躊躇いや罪の意識は存在しない。

 我欲、到達点にのみ専心を向けるその姿は、間違いなく研究者タイプの次元犯罪者だ。

 

『君も執務官ならば、この状況が話し合いだけで解決しないと理解しているだろう?』

「ですが言葉を交わさなければ、何も分かりません」

『ふむ、リンディ・ハラオウンの娘というから、どれ程のものか興味があったのだが……』

 

 言葉尻を濁して、徐にフードの中に腕が吸い込まれる。

 顎に手を添えているんだろう、考える仕種の典型だ。

 でもそれが黒衣の内側を特定するものには弱く、依然として対峙する相手が男性なのか女性なのか分からない。

 話し方からすると男性のように思えるけど、口調自体は幾らでも誤魔化せる。

 マルチタスクによる会話と思考の同時進行は、しかし大した結果をもたらす事無く平行線を辿っていた。

 一体、目の前に映る人は何者な――

 

 

 

 

 

『所詮は、『本物』を知らぬ半端物であり紛い物か』

 

 

 

 

 

 

 

 ――刹那、積み重なっていた思考が消失した。

 嘲笑を含んだその声が、脳内に響き渡って何度も木霊する。

 

「なっ、何を言って――」

『――違うと言うのか、フェイト・テスタロッサ。プロジェクトFの産物である君が……』

 

 心臓が一際強く拍動した。

 

「どう……して…………」

『此方側の世界では、思わぬ繋がりが存在するものだ。ヒュードラ事件を引き起こした大魔導師も、その1人さ』

 

 『ヒュードラ事件』、その事件の名を聞いた事がある。

 中央技術開発局で開発されていた次元航行エネルギー駆動炉『ヒュードラ』が、起動実験中に暴走し、中規模次元震を引き起こしてしまった事件。

 そしてその事件の中心人物は――――プレシア母さんだった。

 その後は地方へ異動になり、そのまま辺境にて行方不明と記録には残っていた。

 つまり黒衣の言う『大魔導師』とは、プレシア母さん……?

 

『君の事も勿論知っている。彼女が全てを擲ってでも取り戻そうとしたイノチ、その失敗作であると』

 

 間違いない。

 この人はプレシア母さんと繋がりを持っていたんだ。

 あれだけの研究をたった1人で続けていくのは、並大抵の事で出来るものじゃない。

 私は知らなかったけど、きっとこの人もその一端を担っていたのかもしれない。

 だから知っているんだ、プロジェクトFを……。

 私が、その失敗作だと言う事も……。

 

『それが今では管理局に属し、しかも執務官となっているとはね。失敗作も失敗作なりに色々手を尽くしてると見える』

「何が言いたいんですか?」

 

 私の心を傷付けようと、言葉が棘となって襲い掛かる。

 締め付け、壊してしまおうと、目に見えて黒衣は口数を重ねていく。

 それが漆黒の法衣に包まれた、悪意の形だった。

 

「確かに私は失敗作だったかもしれません。アリシアではありませんでした」

 

 しかし、その苦しみに嘆く時はもう終わっている。

 数年前のあの時に、涙を流すのも、心が崩れそうになるのも、もう終わった。

 今の私には、いつか終わる悲しみに暮れるよりも、これからの楽しさや嬉しさを探す事の方がずっと大切だって知っているから。

 多くの人から、その大切な事を教えて貰った。

 

「それでも私は、今此処に立っています。1人の人間として、時空管理局の執務官として、そして……」

 

 だから貴方の言葉には、決して屈したりしない。

 

「瑞代聖の友人として、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンは貴方から彼を守ります」

 

 家族を心から愛する彼を、友達を本当に大切にする彼を守りたい。

 その想いが私の力となってくれる。

 目の前の黒衣に負けないと、絶対に聖を守って見せると決意させてくれる。

 

「だから、たとえどんな状況でも、必ず貴方を――」

 

 

 

『…………ククク』

 

 溢れ出る気持ちを言葉という形に変えて、強さへと昇華するその行為。

 モニターの先に居る漆黒に言い放つその直前、沈黙を保っていたソレは動いた。

 震えるように小刻みに、注目しなければ分からない位の微弱さを以って……。

 フードの奥から漏れるのは、愉快な音色にも似た機械染みた笑声。

 自然と、自分が訝しげな顔に変わっていくのが分かる。

 

「何を……」

『あぁ、いやぁ悪かったね。君の言葉がとても尊くて、同時にとても滑稽に思えてしまってね』

 

 クシャ、と握り締めたフードを引き下げる。

 その奥から未だに漏れる不適な笑みは、決して途切れる事は無く、愉しげに歪んでいた。

 『尊い』『滑稽』という背反する単語を並べ立てるその言葉に、一体どのような意味があるのか。

 真意を読み取れない私は、気付けば言葉を失っていた。

 

 ――そしてそれが、この事件における最悪の失態だった。

 

『誰かの為に何かをする、それを体現する君の立場は正に理想だろう。フェイト・テスタロッサという存在にとって、それを選択したのは最良だ』

『しかし、何故それが君にとって最良か分かるかい?』

 

 先程までのゆっくりと紡がれる言葉が、急激な変化を伴った。

 流れ出るような言葉は、私の口を開く機会を容易く奪い取る。

 いつしか私は、黒衣の言葉に耳を向けているだけだった。

 

 

 

 

『それは、君にあるモノ(・・・・)が無いからだ』

 

 その言葉が、胸を突いた。

 

『君の先程までの決意、確かに人として素晴らしいものだろう』

『そして君の行動には、常に誰かが存在する。誰かが助けを求めている、誰かが自分を必要としている。だから君は誰かを助け、誰かに必要とされる』

『素晴らしき善意、まるで聖者の如き振る舞い。尊敬に値するよ。だが……』

 

 奔流のように淀みなく、先程とは比べ物にならない位の饒舌さが耳を打つ。

 決して声高らかに主張してる訳ではないのに、放たれる一言一句の重みが遮る事を拒絶している。

 黒衣の言葉は間違ってはいない、それは今までの自分がやってきた事を端的に表したモノだ。

 執務官として、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンとして、困っている人々を助けたいと思ったのは事実。

 

 だから間違っていない、筈なのに……。

 体が震えている、来るべき言葉に対して……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『その行動に、意志の根幹たる『我』が存在しないのはいただけない』

 

 

 

 

 ――――――ドクン。

 

 その一言に、声にならない声が漏れた。

 訳が分からない、貴方は一体何を言ってる?

 自分にはその言葉に思い当たるものなんて、1つも無いのに……。

 

 ――――体だけじゃなくて、心まで震えていた。

 

『君はいつだって他人の存在によって動いてきた。『P・T事件』に於いては創造主たるプレシア・テスタロッサ、『闇の書事件』では友人である高町なのはや八神はやて……』

『更に嘱託魔導師になる時、執務官を目指した時、君はいつだって誰かの存在や言葉によって導かれてきただろう?』

 

 言葉が、返せない。

 プレシア母さんに頼まれてジュエルシードを探し、なのはが危険な目に遭っていると知ってヴォルケンリッターの皆と戦って、最後には夜天の魔導書の真実を知って皆と共に闇の書の闇を破壊した。

 嘱託試験をリンディ母さんやクロノに勧められて受け、クロノの執務官としての姿に憧れて執務官を目指した。

 

 ……何一つ、間違ってはいない。

 

『さて訊きたいのだが、今の言葉の中に、君自身の我は存在したかな?』

「私、は……」

 

 違う、ソレは違う。

 確かに切っ掛けは自分からじゃなかったけれど、それでも決めたのは全部自分だ。

 自分の意志で、全て決めてきた。

 だから、貴方の言ってる事は間違っている。

 

「私は、いつだって自分で決めてきました。自分の、意志で……」

『いやそれは違う。君は考えたとしても、決して拒否を選ぶ事はしない。そのようなものは、決断とは程遠い代物だよ』

「っ……」

 

 違う、私は無条件に受け入れたんじゃない。

 きちんと考えて、悩んだ上で受け入れたんだ。

 

『受け入れなければ居場所を失ってしまう。孤独が自分を無意味にしてしまう。君は持ち続けたかったのだよ、自分が存在してもいい場所を』

「ちっ、ちが――」

『否定出来まい。今まで誰かを助ける事で、誰かに必要とされる事で、自分の居場所を保ち続けてきた自分自身を』

 

 違う、違う、違う……。

 全身を使っての本気の否定、なのに心と体が今まで以上に大きく震えてしまう。

 

 ――きっと怖いんだ。

 この人の言葉が、自分の心を言葉だけで絶えず削り穿ってくるから。

 削られている、ガリガリと力強く。

 今まで大切に守ってきたものが、過ごしてきた大切な日々が、全て壊されるような感覚に襲われる。

 自分を奮い立たせてきたものが、自分自身が足元から壊されていく。

 

「あ……あぁぁ…………」

『今も君はハギオスを守る事で、彼に必要とされている。彼の傍に自分の居場所を作る為に――――君は彼を利用したのだよ』

「っ、あっ…………」

 

 ハギオス、それが指している意味は1つだけだ。

 瑞代聖という、私の大切な友達の存在。

 私は唯、守りたかっただけなのに……。

 私は自分の為に、彼の優しさを利用していた?

 

 違う、それは絶対に違う!!

 

『無意識に自分の拠り所を作っているのは、そうしなければ自分は存在してはならないと知っているからだろう? そう――――』

「違う、違う、違う……違う!!」

 

 駄目、駄目、駄目、駄目!!

 それ以上言わないで、それ以上私を追い詰めないで!!

 私を支えてきた心を、重ねてきた想い出を壊さないで!!

 駄々を捏ねる子供のように、両手で抱えた頭を我武者羅に振り乱す。

 だけどそれは、何の意味も無い行為。

 突きつけられる言葉から逃げようとしている、精一杯の拒絶でしかなくて……。

 自分の中の防衛本能が下した、最後の悪足掻きだった。

 

 それでも言葉は、止まらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『フェイト・テスタロッサ・ハラオウンは、人間のフリをした偽物(にんぎょう)なのだから。分かるかい、ハギオス』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――――――――――――え」

 

 その言葉の意味を、理解出来なかった。

 今、あの人は、ハギオスって言った?

 ハギオスと言うのはハギオス・アンドレイルの事で、それは同時に聖の事であって……。

 

 …………………………聖?

 何で、聖の名前が出てくるの?

 何で――

 

「ハラ……オウン…………」

 

 ――後ろから、聞き慣れたその声が聴こえるの?

 まるですぐ傍に居るように、とても近い場所から発せられたみたいだ。

 居る筈なんてないのに、彼は今何処かに行っているんだから。

 違う、私の後ろには誰も居ない。

 きっと今のは幻聴で、振り向いたって何も変わらない。

 

 何も、変わらないんだ……。

 

「――――――っ!!」

 

 だから私は、呼吸を忘れて駆け出した。

 漏れたのは息ではなく意気、目が眩むような吐き気と共に地を踏み締めていた。

 私に無情な現実を突きつけた黒衣から身を背けて、この薄暗い木々の中を抜ける。

 

 ――駆ける。

 

 放たれた言葉によって陰鬱と化した心を、少しでも和らげたくて、光の下を目指した。

 駄目、それは自分にとって都合良く居場所を作ってきた今までと同じ。

 

 ――駆ける。

 

 それじゃ、私は何処に行けばいいの?

 人形でしかない私は、どうすればいいの?

 

 ――駆ける。

 

 何も出来ない。

 あの人の言う通り、私の行動指針は誰かの存在や言葉。

 もう誰も頼れない、頼っちゃいけないんだ。

 

 ――駆ける。

 

 その事実が胸を込み上げる度、自分の中で何かが激しく揺さぶられる。

 根底が徐々に崩れていって、仕舞いには全てが粉々に瓦解していく。

 駄目、駄目、駄目、もう何も考えられないっ!!

 土を踏み締める感触も、肌に触れる熱気も、手を強く握り締めた時の痛みも……。

 双眸の奥から感じる熱も、頬を伝う冷たい何かも……。

 

 

 

 

 

 振り向きざまに見えた、居る筈の無い彼の顔も……。

 何もかもを振り切って私は、崩れ落ちそうになる脚に有りっ丈の力を叩き込んで、駆け抜けた。

 

 

 

 

 ――もう今の私に、居場所は無い。

 

 ――いや、最初から無かったのかもしれない。

 

 ――私のような偽物(にんぎょう)に、人間らしいモノなんて……。

 

 

 

 

 

 

 

 




自分は当たり前だと思っていた日常。
しかし、突きつけられた違和感は、彼女を容易く打ち砕いた。
逃避の先は、何も見えない暗闇か、それとも……

どうも、おはこんばんちはです( ・ω・)ノシ
フェイト編№Ⅲをお読み下さり、ありがとうございます。

少しずつエリオを始めとした異世界の子達との絆を深める聖、お前そればっかだな(´・∀・)
フェイトはフェイトで、彼の傍に居るだけですし。
当時から思っていましたが、聖とフェイトが一緒に居ると、何事も無く時間が過ぎていく感じなんですよね。
お互いの持つ空気感を受け入れているというか、沈黙に居心地の悪さを感じないというか……。
だからこそアルフやリンディさんが茶々を入れる訳ですがね(´・∀・)弄られ系
あ、途中で聖が聴こえなかった沙耶の台詞は「頭ごなしの否定が無い時点で、兄さんの答えなんて分かりますよ」です。
そしてなのは編では全く触れなかった『ハギオス・アンドレイル』という名前の謎が、今回で明かされました。
かつての読者さんが『ハギオス=カカロット』と例えていたのですが、ぶっちゃけそのまんま過ぎて吹いた覚えがあります。
更に黒衣の登場によって、聖とフェイトの日常が崩壊してしまいました。
フェイト編は此処から怒涛の展開が続いていくので、その中で聖がどのように立ち向かっていくのか……。
読者の皆さんに、見守って頂きたく思います。

今回はこれにて以上となります。
感想や意見、タグ関連やその他諸々は遠慮無くドシドシ書き込んで下さい。
皆さんからのお声が原動力なので、是非、是非、是非宜しくお願いします!!( ;Д;)
では、失礼します( ・ω・)ノシ




ランキングを見たら久し振りに載っていました!(゚∀゚)ヤッター!!
少しでも色々な人に見て貰って、色々な声を聴かせて貰えると非常に嬉しいです。
そして最近は、自分でも色々考える事が多かったりします。
この作品特有のタグとか、まだまだ先なので敢えて考えていなかった聖のバリアジャケット案とか……。
作品と並行して、1つずつ考えていきましょうかね(`・ω・)


フェイト編№Ⅲを投稿したのが2009年7月11日、そして2010年11月23日に『GOD』が出た訳ですけど……。
アルフ、フルドライブで投げ技使ってましたよねー(´・∀・)マジカヨー



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