少年の誓い~魔法少女リリカルなのはO's~   作:さっき~

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「――――――っ!!」

――訳が分からなかった。
――視線の先に居る、見慣れた黒衣を羽織った1人の少女。
――空間モニターに映る、同じく見慣れた黒衣の姿。
――すぐ隣を逃げるように走って消えた金髪の少女。

「え……?」

――その振り返り様に見えた、頬を伝う雫と、今にも消えてしまいそうな双眸の光。
――刹那の時交差した瞳を逸らして、俺という存在を視界から無かった事にするように。
――落ち込んでるとか、そんな状態の比ではなかった。
――出会ってから今まで、一度たりとも見た事の無かった彼女の弱々しい姿。
――いや、弱々しいなんて抽象的なものじゃない。
――あれは『脆弱』そのものだ。

――残っている力は逃避の為に駆けている脚にしか存在せず、俺の混乱の隙を突いて視界から疾うに消え失せている。
――それが、思考の動作不良に拍車を掛けていた。

『フフフ……。潜在的に隠し続けていた本性、暴かれればこの程度か』

――モニター先に、見えない顔が呟いている。
――それは紛れも無く嘲笑であり、逃げるように去っていったアイツを馬鹿にする態度だった。
――無性に腹が立つと同時に、更に訳が分からなくなる。

「アンタ、ハラオウンに何を言った?」
『私は唯、真実を述べたに過ぎない。傷を暴いたのは私だが、傷そのものを作ったのは彼女自身なのだから』
「どういう……事だ?」

――未だこの状況を分析出来る程、精神も思考も正常には至っていない。
――緑葉の合奏が四方八方から聞こえるが、それは心を静める要因には足りない。

――心のざわめきが治まらない。
――あの時のハラオウンの顔が忘れられない、零れ落ちる涙が胸を突く。
――敵対する者が眼前に居るというのに、危機感よりもアイツの事にばかり気が向いてしまう。

『それより良いのかい? 彼女を放っておいて』
「……見逃すって言うのか?」
『私とて機を窺うだけの余裕はあるさ。今がその時でない事も、充分に理解している』

――不適に哂う黒衣の奥、その先にあるであろうヤツの素顔。
――今はそれを見る事は叶わないが、恐らく姦計に嵌めようなんて考えは無いだろう。
――ローブ越し、画面越し、そして言葉の端々から確かな余裕が感じられる。
――だったら、今の俺に出来る事は一つ。

「振り返ったら背中から、ってのは無しだからな」
『私は今まで、君に対しては誠意を見せてきたつもりだったのだがね』
「アンタ、何がしたいんだよ……」

――思わず頭を押さえたくなる衝動に駆られるが、それを瞬間的に振り切る。
――俺を狙わないというのなら好都合、それに甘えるのが今の俺にとっての最善。
――たとえ相手が、俺の身を狙う黒衣であろうとも構わない。
――何よりも、今はハラオウンの事の方が気掛かりだった。

「借りだなんて思わないからな」
『好きにしたまえ』

――以前の対峙と変わらず、黒衣は一部の焦りも見せずに佇む。
――違う点を挙げるとするなら、それは傍らに仲間らしき存在を置いている事。

――だがそんな事はどうでもいい。
――癖のある薄青の髪を靡かせる麗姿も、今は歯牙に掛ける心も無い。
――躊躇いも何も無く、俺はその2人から背を向けた。
――今は彼女の背中を追い駆ける事だけが、俺に出来る唯一。
――否、初めから選択肢なんか無かった。





――友人の、ハラオウンのあんな顔を見たくない。


――走る理由はたった一つ、それだけだった。









F№Ⅳ「崩れゆく日常に抗う意志」

 

 

 

 

 空の明かりは下った。

 好天に染め上げられていた青は赤を経て、麗しの黒へと衣装替えを終えた。

 陽光に熱せられた空気は、夜気の静けさに冷え、不快感を与えぬ過ごし易い域にまで落ち着いている。

 数時間もすれば日付も変わり、新しい明日へと足を踏み出すだろう。

 

 だけど今は、その緩やかに流れる時間がとても苦しかった。

 

「ったく、何だってんだよ……」

 

 誰に向けるでもない悪態が漏れた。

 それは決して他人に対する苛立ちを吐き出した訳じゃなく、状況の変遷に自分が追い着いていない事に起因している。

 あの後、公園を抜けてから探し続けたハラオウンの姿。

 人が通りそうな場所の殆んどに足を運んで、何度も携帯に連絡を入れた末、結局は何も見付けられなかった。

 彼女の背中も、辿った痕跡も、何もかも……。

 最後に見たあの顔が脳裏を離れなくて、それ故に誰かの手を借りる事が憚れて、そして今に至ったのだ。

 せめてアルフにだけでも言うべきだったなぁと、少し後悔している。

 あの時は彼女がひなた園の皆の相手をしていた事、使い魔の精神リンクならば察知するかもしれないという事、そして何よりも俺自身が焦燥によって頭が回らなかった。

 仕方ない、なんて言葉に意味は無い。

 後悔した所で、思い返した所で、過ぎてしまった時間はもう戻らないのだから。

 

「何やってんだよ、俺……」

 

 目まぐるしく巡る思考を一旦止め、視線を高く上げる。

 その先には、月明かりに照らされ薄く輝くステンドグラス。

 照明を無くし闇に染まり掛けた堂内に、横窓から入る幾筋もの白光が、この閉鎖された世界を照らしていた。

 綺麗な月明かり、だけど漏れるのは感嘆ではなく疲労の溜息。

 己の内側で渦巻く何かが臓物を締め付けて、息苦しさを感じている。

 幻想的な光景に目を奪われて、しかし心は何処か別の場所へと向けられて……。

 見上げた先には、重々しく鎮座した純白の十字架がある。

 尊敬、名誉、犠牲、贖罪、苦難の表象であり礼拝の対象。

 

「熱狂的な信者じゃないけどさ……」

 

 右手の親指と人差し指、そして中指を伸ばして指先を合わせる。

 そしてその手を額へ、そのまま胸へと落とす。

 続いて左肩から、更に右肩へ……。

 聖公会で定められた十字の画き方を倣い、祈祷を捧げる。

 

 この俺の行為に大した意味は無い。

 不吉なものを感じた時に、縁起直しの意味で行うものだ。

 この胸を締め付ける正体が分からないから、その不安を少しでも拭えるようにと……。

 

「…………はぁ」

 

 溜息と共に、その場にへたり込んだ。

 まぁ、俺の祈りが何かを変えるなんてのは無理な話である。

 別に敬虔な教徒でもない身分で、何かに縋ろうとする事自体が間違いなのだ。

 見上げる先の純白は、決して万人に力を与える存在ではない。

 秘蹟を受けるでもなし、俺は唯の一般人なのだから。

 今はこの違和感を、抱えて行くしかないのだろう。

 

 

 

 

『フェイト・テスタロッサ・ハラオウンは、人間のフリをした偽物(にんぎょう)なのだから。分かるかい、ハギオス』

 

 

 

 

「――――あ」

 

 刹那、脳裏にあの言葉が過ぎった。

 聞いたのは数時間も前、ハラオウンを探している間はその意味を考える暇すらなかった。

 だけど思い返せば、その言葉が一番心に引っ掛かっていたのかもしれない。

 ハラオウンと黒衣がどんな会話をしていたのか分からないが、少なくとも友好的なソレとは間違ってもあり得ない。

 しかし、いくら侮蔑の言葉であっても、アイツがあんなにも傷付いた顔をするだろうか?

 執務官の仕事を詳しく聞いてはいないけど、様々な事件に関わっているというのは知っている。

 その中で幾度も犯罪者と対峙してきた彼女が、あの時だけあんな反応するとはとても思えない。

 それとも、黒衣の言葉にはそれだけの説得力と意味があったのだろうか?

 アイツを人形呼ばわりする言葉に、それだけの意味が……。

 

「違う、アイツは紛れも無く人間だ」

 

 どんな相手だろうと、断じて人形なんて言われていいヤツじゃない。

 黒衣が何処の誰だろうと、その事実は変わらない。

 アイツは、ハラオウンは決して――――

 

 

 

 その時、キィ……という音が耳朶を打った。

 

「――っ!?」

 

 深い静寂を引き裂いて、まどろみから覚めたように双眸が開く。

 一瞬、己が耳を疑った。

 しかしすぐに拝廊の先、木製の扉が前触れも無く動いたのだと、聴覚がハッキリと理解した。

 説教壇を挟んだ身廊の奥、背を向けていて何も分からない。

 けれど誰かが、何かが、この礼拝堂に入る気配だけは感じ取れた。

 

「……」

 

 ゆっくりと、しかし確実に近付いている足音。

 踏み締める程の強さは無く、一歩一歩の間隔が長い。

 男性よりも女性だろうか、儚げな音色を奏でている。

 それに対して意味も無く緊張し、俺は知らぬ間に息を呑んでいた。

 こんな夜更けに、外から堂内の明かりが消えている事も分かっている筈なのに……。

 それでも構わず黙々と、息遣いさえ聞こえない程の静寂を体現している。

 歩みは止まらない。

 

「……」

 

 扉から入り込む涼風が前髪を掠める。

 俺の視線は未だに揺れず、十字架の足元へ注がれていた。

 

 ――――こんな時間に、誰が、どうして此処に?

 心は否応無く、突然の事に動揺を隠せずにいる。

 

 ――いや落ち着け、誰であっても冷静に対処すれば何の問題も無い筈だ。

 心中のくだらない遣り取りで何とか気を静め、音の無い溜息を一つ吐く。

 同時に内側の違和感が吐き出され、少しは気が楽になった。

 よし……と見えない影に相対する心構えを備え、立ち上がる為に腰を浮かす。

 

「っ?」

 

 だがそこで、足音が止まった。

 頼りない音程が唐突に消え、浮かし掛けた腰が時と同じように停滞する。

 どうしたんだろうと考える間も無く……

 

「神様、私は信心深い者ではありません」

 

 息が詰まった。

 原因は、突然放たれた音に驚いた訳ではない。

 その音色の連なりが自分にとって、あまりにも聞き覚えのあるものだったから。

 決して自己主張の強くない、穏やかに耳に残る優しい声。

 その中に潜む、何かに押し潰されそうなか細さ。

 正しくソレは俺の知ってる少女のものであり、だからこそ意味が分からなくなる。

 何故なら声の主は、今の今まで音信不通にも近い状態だったのだ。

 

 ならばどうして今になって、しかもこの礼拝堂に?

 いや、そんな事はどうでもいい。

 やっと見付けられたんだから、この状況を逃す訳にはいかない。

 

《Please wait.(待って下さい)》

(……アポクリファ?)

《Bardiche catches here. Please consider the meaning.(バルディッシュは此方を捕捉しています。その意味を考えて下さい)》

 

 内なる女声に問われ、少女の許へと進み掛けた一歩が止まった。

 先程まで沈黙を貫いていたその声は、俺の行動に先んじて横槍を入れ、容易くこの身を停止させた。

 

「ですが今日だけは――――」

 

 縋りつくような弱々しい旋律が耳を突き、此方の発言を封殺する。

 気付けば、説教壇を挟んで対峙する俺の場所は、完全な傍聴席となっていた。

 故に発言は許されず、彼女の声に耳を傾ける事だけが認められた行為だった。

 それがアポクリファの言う、バルディッシュの沈黙の意味なのだろう。

 

「――――私の話を、聴いて下さい」

 

 ……何故だろう。

 聞き慣れた筈のその声に、今は酷く違和感を覚える。

 普段よりも弱く、落ち込んだようなニュアンスがあるからだろうか?

 それとも、あんな場面に遭遇してしまった後だからだろうか?

 

 いや、きっと違う。

 胸に刺さるようなその感触の正体は、俺の不安に相違無い。

 少女の、ハラオウンの声に秘められた――――――決意に満ちた想いに対して。

 俺の心は純粋に、不安に包まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 語られたのは、彼女がこれまで辿ってきた人生だった。

 この世に生まれてから、今までに至る道筋。

 大魔導師である母を始めとする家族と共に過ごした日々、そして現在へと繋がる出来事の数々。

 ジュエルシードと呼ばれる、願いを叶える為の宝石を巡る事件。

 闇の書、夜天の魔導書の存在が引き起こした事件。

 その中で様々な人に出会い、様々な想いを知って……。

 自分の存在の意味を知った。

 

「私はプレシア母さんの本当の娘である『アリシア・テスタロッサ』、その細胞から生み出された人造生命体」

 

 自分は母親が取り戻したかった過去の出来損ないであり、不要な存在なのだと。

 仕舞いには「貴女はもう要らない」とまで言われ、自分自身を見失ってしまったらしい。

 それを救ってくれたのは、何度も戦って自分に呼び掛けてくれた高町、そしてボロボロになりながらも決して諦めなかったバルディッシュの姿だった。

 最終的にプレシア・テスタロッサを救う事は出来ず、彼女は事実上の死亡となってしまったが、それでも自分に手を差し伸べてくれた高町の存在が心の支えとなってくれた。

 

 そして、2人は友達になった。

 その時はまだ赤の他人だったリンディさんやクロノさんも、ハラオウンの無実を勝ち取る為に手を尽くしていた。

 裁判を迅速に終わらせる為に、異世界でも自由に行動出来るように、リンディさんとリミエッタさんは嘱託魔導師という役職を勧め……。

 クロノさんはハラオウンが無罪である事を主張する為の資料や証拠を用意し、裁判では保護観察という結果に落ち着いた。

 その時既に、リンディさんから養子縁組の話も出ていたらしい。

 

「皆が凄く優しくて、こんな私でもこれから、嬉しい事や楽しい事を探していけると思っていました」

 

 自分が選んだ道で、少しでも悲しみに暮れる人達を救いたい。

 その気持ちがハラオウンを支え、どんな時も挫けない強さをもたらした。

 言うだけならば易いだろう、だが行うのはこの上なく難いもの。

 その常人では到底進めない道を、彼女は強い意志で歩み続けたのだ。

 本当に強いと思う、なのに何故…………背中を通して聴こえる彼女の声が、あまりにも弱々しいのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

「でも、それは違いました」

 

 きっとそれは、あの時の言葉の意味。

 彼女を貶したあの一言が関係してるのだろう。

 バルディッシュは何も言わない、この場に俺が居る事を。

 だから俺は、黙って彼女の話を聴く事しか出来ない。

 ハラオウンに影を落とした、その真実を……。

 

「私は自分で決めていたと思っていて、その実、周りの皆に合わせていただけだったんです」

 

 それは、突然の告白だった。

 これまで辿ってきた彼女自身の道、途轍もなく険しいその道を、あたかも否定する物言い。

 掌を返すように、俺の聞いてきた全てを180度覆した。

 

「周りに合わせて、皆に都合の良い自分になって、決して嫌われないようにして……」

 

 苦虫を噛み潰すように吐き出される、文字の羅列。

 止め処無く溢れるそれは、しかし苦しげな息も混じっている。

 

「そうすれば誰かに拒まれる事の無い、皆と一緒に居られる場所が作れる。その場所があれば、きっとこんな私でも皆と同じでいられる」

 

 良い子になって、誰にも歯向かおうとしないで、相手に悪印象を与えない。

 そうすれば、相手は自分を受け入れてくれる。

 そして、自分が居てもいい場所を傍に作ってくれる。

 己の意志ではなく、他者から受ける厚意で居場所を手に入れる術。

 フェイト・テスタロッサ・ハラオウンは、そうして自分の身を置ける場所を見付けていたのだと……。

 

「あの人の言う通り。我が無い私は、誰かに受け入れられなければ、自分の居場所すら保てない。意識していなかったけど、それは事実でした」

 

 本能で理解していたから、意識せずともそのように生きてきた。

 それが正しいのかどうかすら考える事も無く、当たり前のように……。

 彼女にとって自分とは、他人が居る事によって存在していたのだと。

 

「そしてそれは、人として在り得ないモノ。つまり……」

 

 一度そこで言葉を切り、深く息を吸い込んだ。

 彼女の姿を一部も見ていないのに、聴覚だけでその様子を捉える事が出来た。

 それ程までに、ハラオウンの呼吸は大きく深く、そして潔い。

 だがその潔さは決して素晴らしいものじゃないと、俺の思考が訴えていた。

 何故なら今の俺には、彼女の次の言葉が容易に想像出来たから。

 

 決して言わせてはいけない、自身の今までを否定する一言。

 

 

 

 

 

 

「私は、人間のフリをするお人形でしか、なかったんです……」

 

 

 

 

 

 

 自分の存在を否定するソレだった。

 

「――――っ!?」

 

 分かっていた筈、予想していた筈なのに、耳に入った瞬間に喉が締め付けられた。

 同時に瞳孔が開いたような感覚、全身が総毛立って、体内に秘められた熱を放出する。

 

 聴きたくなかった……その言葉を、彼女自身の口から。

 知らぬ間に拳は握り締められ、歯は例えようも無い位の力で食い縛り、この身は小刻みに揺り動いていた。

 それは恐らく拒絶の意、彼女の言葉に反論を述べる精神の表れだった。

 

《Hijiri,wait please.(聖、待って下さい)》

 

 …………ふざけるな。

 

「作りはどうあれ、私の――」

「――ふざけんな!!」

 

 最早、我慢の限界だった。

 アポクリファの制止も、バルディッシュの真意も今は関係無い。

 腹の底から想いをぶちまけて、俺は今度こそ立ち上がった。

 躊躇いなんて無い、元よりそんなもの振り切ってしまっている。

 

「聖……」

 

 突然の出現に対し、彼女は刹那の動揺を見せた後、静かに名を呟いた。

 そこには、自分の告白を聞かれた焦りや戸惑いは微塵も存在しない。

 力の無い、それでいて何かを決意した瞳。

 真っ直ぐ立っていながら、今にも崩れ落ちてしまいそうな体。

 声でしか感じられなかった彼女の姿に、改めてその弱さを垣間見た。

 

「自分が人間じゃないって、本気で言ってんのか?」

 

 沸々と込み上げてくる何かが、脳天へと届こうとしている。

 爆発しそうになる感情を無理矢理押さえ込んで、どうにか問い掛ける事に止まっている声。

 だが理性の弁は決して丈夫ではない、今すぐにでも破裂しそうだ。

 それを向けるべき相手に向かって……。

 しかし視線の先の彼女は、至って平静を崩さなかった。

 

「聞いていたなら分かる筈だよ。私がどれだけ可笑しいモノなのか」

「だからって決め付けんな!! 俺が見てきたお前が人間じゃないなんて、誰が信じるってんだ!!」

 

 淡々と述べるハラオウンの言葉に苛立ちながら、自分の言葉を吐き出す。

 今まで俺が見てきた彼女の姿、思い起こせば沢山の想い出の中にそれは存在した。

 初めて会った時の心配げな顔、高杉との遣り取りで見せた苦笑い、俺を優しいと言った時の笑顔。

 そのどれもが、確かにハラオウンが生きていたという証。

 コイツが人形だなんて、人間じゃないなんてある筈が無いのだ。

 

「今まで俺達に見せてきたあの顔は、お前自身は、人間じゃないって言うのかよ!!」

「だってそれは、そこに私の居場所があったから。私が生きていい場所があったから、そうしていられただけ」

 

 淡々と、連々と、粛々と……。

 射抜く双眸は、まるでそれが当然のように語っていた。

 自分が異なる者であると、何の悲観も諦観も見出さずに受け入れて。

 自らの存在を異物として認めていた。

 

「そんな訳無いだろ!!」

 

 生きていい場所って何だ、生きちゃいけない場所ってモンがあるのか?

 人の生を否定する、そんなものがあっていい筈が無い。

 誰にだって分かる事なのに、どうしてお前は平気で言えるんだ?

 どうしてそこまで自分を貶せるんだよ、お前は……。

 

「でも、確かにそうなんだ。聖がそう反論したとしても、紛れも無い事実は此処にある」

 

 胸に手を当て、ゆっくりと息を飲み込む。

 今までの自分を脳裏に過ぎらせて、ハラオウンは穏やかに続けた。

 

「誰かが傍に居て、初めて私は生きていた。それは本当に、人として生きてきたって言えるの?」

 

 やんわりと、決して強くない語気。

 だが言葉の端々に、彼女の曲がらない意志のようなものが感じられる。

 断定する口調は正しく、他人の言葉に流されない強さを以って……。

 自分の存在を、絶対的なモノへと導いてしまっていた。

 

「私は、皆のように普通に生まれてこなかった。でもそれで私の事を差別する人は、誰一人として居なかった。だから私は普通で居られる、皆と同じように生きられるんだって信じてた」

「だけどそれは、自分を受け入れてくれた人達の傍、自分を拒絶しない空間への『逃げ』だったんだよ。自分の居場所だと明確に示された場所だから、私は安心していられた」

 

 静かに、本当に起伏の少ない語りが流れ出る。

 怖い位に淀みの無い言葉、それが俺の背筋を震わせた。

 どうしてそこまで冷静でいられるのか、自分の発している言葉は自分を否定している言葉だと知って何故……。

 最悪の答えに対しての悲しみも辛さも何も無い。

 朗読のように終始、余計な詰まりが存在しなかった。

 それが何よりも、俺に恐れを抱かせた。

 

「でも、もう駄目。無意識だったソレを知ってしまった。自分自身に存在する、人として有ってはならない行為を……」

 

 震えは、俺だけではなかった。

 ハラオウンもまた、その華奢な体を小さく、この暗闇では殆んど見えない程の震えを抱いている。

 月明かりのスポットライトが照らす先、双眸を閉じて浅く息を吸う彼女が居る。

 それはまるで前準備のよう、大きな意味を含んだ言葉を発する為の助走行為に思えた。

 

 数瞬の間、そして、瞳を開いた彼女は優しい声で囁く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だからもう皆と、聖と一緒には居られない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――拒絶の言葉だった。

 

「ど、どういう意味だよ……」

 

 刹那、脳内が五月蝿い位の警鐘を鳴らし始めた。

 その本能の意味を考える間も無く、俺は彼女に問う。

 此処で何も言わなければ、彼女がこのまま目の前から消えてしまいそうで。

 消え去りそうなその姿を、この腕で必死に繋ぎ止めようとしていた。

 

「私は皆を利用していた。友達という立場を使って、皆を自分の拠り所にした」

 

 しかしハラオウンは、俺の手を握り返そうとしない。

 どんなに腕を伸ばしても、少し離れた場所から見ているだけ。

 決して、自ら触れようとはしない。

 

「そんなの、本当の友達じゃない。唯の依存だよ」

 

 「だから私は、皆から離れる事にしたんだ」と、さも当然のように。

 彼女は、呟いた。

 

「魔法を始めたのも、管理局に入局したのも、執務官になったのも、事件に巻き込まれた子達を保護したのも……。全部が全部、理由は自分以外からなんだよ?」

 

 そして問う。

 その在り方が、本当に人間として正しいのか?

 皆の為に、誰かの為に、その言葉だけを追及し続けた自分に、人間らしさは本当に存在したのか?

 

 ――――俺は、それに答えられない。

 

「このまま、自分の自己満足の為に皆を利用し続けるのは嫌。だから、その前に断つ事にしたんだ。皆との繋がりを」

 

 それがお互いにとって、最も最良な判断だと彼女は言う。

 それがどんな痛みに繋がるのかを知っていて、尚それが正しいと言い放った。

 

 ――――言葉を、返せない。

 

「だからもう、聖とは一緒に居られない。守って、あげられない……」

 

 念押しとばかりに追い討ちを掛ける。

 結論、彼女が俺に言うべき最たる言葉を、最も言わせてはならない言葉を、遂に言い切らせてしまった。

 

 ――――でも、何も言葉が浮かばない。

 ――――――――何で浮かばないんだ?

 

「は、ハラオウン……!?」

「きっと、私達は出会っちゃいけなかったんだ」

 

 止めなくちゃと反射的に吐いて出たのは、名前しか呼べない情けないもので……。

 気の利いた台詞も、今にも消えてしまいそうな彼女を奮い立たせる言葉も、自分の内には何一つ無かった。

 友達に絶対に言わせてはならない、出会いの否定すら止められなかった。

 

「それじゃ、もう行くね」

 

 薄っすらと笑みを浮かべて、まるで下校時の別れの挨拶のような何気無い言葉。

 それに満足した彼女はそのまま踵を返し、此方に背を向ける。

 俺は唯、聴いているだけ、見ているだけだった。

 心の底から止めたい、彼女をこの場に留める言葉を言いたい。

 

「…………」

 

 ――――だけど、何も無い。

 ゆるりと静かに離れていく背中に、掛けるべきモノは自分の中に無かった。

 1メートル、2メートル、3メートル……。

 時を刻む音色、俺とハラオウンの間はソレと同じように開いていく。

 隔てる距離を詰めるには、アイツに必要な言葉を掛ける事が唯一。

 

 でも、その唯一が…………無かった。

 何故かは分からない。

 ハラオウンの話を聴き終えた時、既に俺の中には何も無かった。

 在り来たりな反論、叫ぶ事しか出来なかったのは、きっとその所為。

 力尽くでしか何も言えなかった、彼女を止める術を見付けられなかった。

 俺の未熟さが、彼女に最後の一歩を踏み出させてしまった。

 

「……っ」

 

 悔しいと心が吼えた。

 恨めしく歯を食い縛り、居た堪れなく拳を握り締める。

 だけどそれは己が未熟故の結果、どれだけ痛覚に訴えても止めようが無い。

 出来なければならないのに、結局何一つ出来なかった。

 ハラオウンの自己否定を、あんな平気そうな顔を向ける姿を、止められなかった。

 色々なモノが渦巻いて、胸を強く締め付けて離れない。

 

「それじゃ……」

 

 そしてハラオウンの歩みは止まらず、遂に彼女は、この神聖なる暗闇から抜け出そうとしていた。

 外と内を隔てる木製の扉、少し古びた金の取っ手を握って。

 

 たった一言、顔も向けずに呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――さよなら」

 

 ぎゅっと、体の内側が見えない何かに縛られた。

 

 ――違う――

 

 どうしてか分からないけど、それが脳裏を駆け抜けた。

 至って普通に聴こえたその声が、あまりにも見た目と相反していたと。

 込められた意味が、明らかに違うのだと理解した。

 

「ハラオウンっ!!」

 

 弾かれたように、締め付ける何かを振り切って、体が彼女を追う。

 行かせてはいけない、離れてはいけないと気付いた。

 彼女の告げた『さよなら』は、生涯続くであろう永遠の別れなのだと……。

 その行動を許してしまえば、俺達は一生離れ離れになってしまう。

 声を掛ける事も、顔を向け合う事も、何もかも出来なくなってしまう。

 

 

 

 

 それだけは絶対に嫌だった、筈なのに――

 

 

「あ……」

 

 この手は何にも届かない。

 木の打ち合う乾いた音が木霊し、世界を隔てる扉は、目の前で再び閉じられた。

 一つの作品として完成された木の板一枚、物理的な距離なら意味を持たないモノだったろう。

 だけど俺には、アイツとの距離が途方も無く隔てられ、繋がりまで別けられたように感じた。

 たった数センチの厚みが、簡単に蹴破れるものが、今は何よりも崩し難い壁だった。

 

 しかし、まだ間に合う。

 この扉をすぐにでも開ければ、彼女の背中に追い着ける。

 すぐさま取っ手を握り――――だがそこで止まった。

 

「くっ……」

 

 気付いた。

 今の俺に、アイツを追い駆ける資格は無いのだと。

 きっと此処で、堂内で止められなかった時点で終わっていたのだと。

 掛ける言葉すら持っていない自分では、彼女を救える筈が無いと。

 現実が、この身を押し止めた。

 

 何一つ出来ずに。

 

「…………」

 

 横窓から入り込む月光、優しく照らすその光が今はとても鬱陶しい。

 全てを見ていた月からの慰めのようで、心がどんどん卑屈になっていく。

 

 俺が何をやっても無駄、ハラオウンを救うなんて身の程を弁えない言葉は唯の喚き、言うべき事なんて最初から無かった、何よりもアイツ自身が納得してしまっていた。

 段々と内側へ落ちていく自分、視線は秒毎に、自らを恥じるように沈んでいく。

 

「………えっ?」

 

 そしてカーペットの上に、黒点のような跡を見付けた。

 いつも掃除を欠かさない礼拝堂で、このような目立つものを今になって。

 恐らくハラオウンの事ばかり気に掛けていたから、注意力を散漫にした結果なのだろう。

 本当に今日一日、俺は何一つ満足に出来ていない。

 もう何から注意すればいいのか分からず、兎に角その汚れを何とかしようと手で触れる。

 

 

 

 ――――濡れていた。

 

 

 

 

「あっ……」

 

 そうなのか。

 気付いた、漸く、今になってやっと。

 

「あぁっ……」

 

 もっと早く気付かなければいけないのに、俺は言葉を返す事ばかりに気を向けていて。

 アイツが居なくなってから、初めて分かった。

 

「あぁぁっ……」

 

 どんな辛さも悲しさも、あんなに平気そうに話していたから変だとは思っていた。

 だけど表に出なかったが故に、俺は最後まで気付く事が出来なかった。

 

 ――――アイツが、ハラオウンが泣いていた事に。

 何気無い顔をしながら、俺の見えない所で彼女が泣いていた事に。

 

「俺、馬鹿だ」

 

 話している時は顔を見せたのに、去り際は一度たりとも振り向かなかった。

 その意味を俺は、今の今まで全く考えていなかった。

 気付けたかもしれないのに、その機会を自ら手放した。

 本当に、救いようのない程の馬鹿だ。

 瑞代聖はそこまで愚か者だったのかと、心底呆れてしまう。

 

「馬鹿、だよ……」

 

 何も出来なかった自分が悔しくて、誰も守れなかった自分が情けなくて。

 大切な友達が目の前で消えてしまった事実が、あまりにもこの心を強く穿って……。

 未だ残る彼女の落とした黒点に触れながら、俺も幾つかの点を作っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 太陽光が眩しい。

 寝不足の目に、これ程の刺激は少々厄介だ。

 夏の日差しは早朝から全力全開、白い雲を撒いた蒼空は健全な輝きに溢れている。

 

 また、新しい一日が始まった。

 

「……」

 

 夏休みは一日一日が充実するものだと思っていたが、今の自分には全く思えなかった。

 朝の日課は身に入らなかったし、朝食もいつもの半分程度しか食べられなかった。

 そして今、礼拝堂の掃除中であるにも関わらず、手を止めて腑抜けたように突っ立っている。

 まるで抜け殻が俺を演じてるみたいで、酷く滑稽だった。

 だけど皆にも心配掛けてるだろうし、無理にでも何とかしないといけない。

 

 …………よし、掃除を続けるか。

 拭えない気持ち悪さを振り切って、箒を持つ手を再開させた。

 ささっと埃を払い集め、塵取りでゴミを取り除く。

 俺の気持ち悪さも払えればいいのに、そんなくだらない考えを抱きながら側廊を掃いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 半分程を終わらせた辺りだろうか、不意に堂内に足を踏み入れる音を聞いた。

 それは翼廊、つまりひなた園の出入り口の方からだった。

 

「兄さん」

 

 幼さを残した理知的な響き、身近でありながら敬意を忘れない心遣い。

 それが誰によるものかは、俺にとって考えるまでもない。

 瑞代家の弟妹達でそれを行えるのは1人だけだ。

 

「……沙耶? どうしたんだ、こんな朝早くから」

 

 再度掃除の手を止め、妹を見遣る。

 窓から入る朝の光を浴びて佇むその姿は、愛らしい天使の様相を表していて。

 しかし浮かべる表情と眼鏡越しの瞳は、どこか陰鬱としていた。

 

 今朝方目にした、鏡の先に居る自分みたいだ。

 不安が胸中を占める中、彼女は小さく、細々と口を開く。

 

「兄さんこそ、どうしたんですか?」

「えっ、何が……」

 

 反射的に、何でもない風を装って返す。

 唐突な質問返しだったが、振り絞った愛想笑いで、心に圧し掛かるモノを誤魔化していた。

 関係の無いこの子が知るべきモノじゃない、その想いを秘めながら……。

 決して悟らせてはいけないという本能に従い、彼女に笑い掛ける事で。

 だがその時、張り詰めていた何かが、音も無く切れた。

 

「誤魔化さないで下さい!! それじゃ何で、昨日からずっとそんな顔をしてるんですか!?」

 

 吼えた、彼女が……。

 家族の中で、弟妹達の中で誰よりも礼儀正しく、常に冷静であり続けた少女。

 張り上げる声が最も似合わないだろう彼女が、二言目に躊躇い無くそれを吐き出した。

 数年の時を共に過ごした中で見た事の無かったその姿、相対す俺は完全に圧倒されてしまった。

 

「昨日の夜、礼拝堂から戻ってきてからずっとそうです。表面上は隠していたかもしれませんが、皆ずっと変に思っていました」

 

 それを語る彼女の目が暗く沈んでいる。

 自分では隠していたつもりの姿、しかし家族に全て気付かれていた事実。

 あぁくそ、と心中で悪態を吐いた。

 

「今までもそんな時はありました。私達が悲しまないように、兄さんは自ら矢面に立って傷付いてきました」

「沙耶……」

「それでも最後は、兄さんは私達の傍に居てくれました。居続けて、笑ってくれました」

 

 華奢な体が、か細い声が震えている。

 きゅっと両手を握り締め、何とか力を入れようとして、それでも震えは止まらない。

 言いたいのに上手く言葉に出来ない、もどかしい様子に否応無く心がざわめく。

 

「でも、昨日は違いました。今までと比べ物にならない位、兄さんは辛そうでした」

 

 肉体ではなく精神に、見える傷ではなく見えない傷を。

 誤魔化そうと必死になって、だけどその必死さが何よりも違和感を覚えさせて。

 痩せ我慢の中に見えた脆さを、沙耶は誰よりも早く見付けてしまった。

 

「怖かったんです。見た事の無い兄さんの姿が、凄く儚げで……」

 

 更に強く手を握る。

 溢れ出しそうになる感情に蓋をして、いつもの自分を振る舞おうとする。

 だけどそれは難しくて、彼女の理性は簡単に流されてしまう。

 

「目の前から消えてしまいそうで、私は怖かったんです!!」

 

 一筋、頬を伝った。

 弁を破壊した流れは止め処無く、感情が雫となって落ちていく。

 礼拝堂の床を、無音で叩いていた。

 

「沙耶……」

 

 それが自分の不甲斐無さによって引き起こされた、純粋な悲しみだという事に深く苛立った。

 守ると決めた家族を傷付けた結果を目の当たりにして、自分の弱さを気付かされて……。

 本当ならすぐにでもその体を抱き締めたい、抱える辛さを少しでも和らげたい。

 

 だけど俺には出来ない。

 これは俺が招いてしまった、俺自身の罪だからだ。

 

「嫌です!! 兄さんが居ない生活なんて、私には過ごせません!!」

 

 塞き止める弁を失った感情は、もう止まれない。

 沙耶はこのまま、感情のままに本心を叫ぶ事しか出来ない。

 理性を払ってしまった人間に冷静さは一部も残っていないのだ。

 唯、目の前の存在にぶつけるだけ。

 

「私を『日倉(たにん)』から、『瑞代(かぞく)』にしてくれた兄さんが、私を支え続けてくれた兄さんが、兄さんが居なくなったら……」

 

 いつもの理路整然とした言葉は無い。

 喚き散らすように、泣き叫ぶように、必死に懇願するように、俺へ真っ直ぐに向けてくる。

 それなら俺は、沙耶に何を向ければいいんだ?

 

 

 

 

「――――――私、生きていけません!!」

 

 

 

 

――――誰かが傍に居て、私は初めて生きていた――――

 

 

 

 

 

 

「っ!?」

 

 その時、沙耶の言葉とハラオウンの言葉が重なった。

 自分以外の誰か、大切な人が居て初めて生きる意味を見出していた少女。

 それは決してアイツだけのものではなく、此処にも確かに存在したのだ。

 瑞代沙耶、俺の妹の心も……。

 

「お前、どうして……」

「だって当然じゃないですか!! 大切な人が、大好きな人が、自分の傍から居なくなったら悲しいに決まってるじゃないですか!!」

 

 最悪の未来を払うように、頭を強く振って声を張る。

 

「悲しくて、悲しくて、死んじゃいたくなる位辛いんです……」

 

 苦しそうに呟いて、遂に沙耶は膝から崩れ落ちた。

 慣れない叫びに疲れたのか、表情もうつ伏せてしまって見えない。

 依然として小さな体は震えていて、此方の不安を際限無く掻き立てる。

 

「沙耶っ!!」

 

 彼女に掛けるべき言葉は見付からない。

 だけど、このままじゃいけないと心が騒いでいた。

 箒も塵取りも気付けば床に落ちて、俺は傍に駆け寄った。

 

「ほら、落ち着け」

「にっ……兄さ、ん…………」

「無理して声を出すな。まずは泣き止めって」

 

 べそを掻いている為、鼻声になっていて言葉が詰まってしまう沙耶。

 兎に角落ち着かせるにはと、肩を抱きながら背中を撫でる。

 ゆっくり、ゆっくり、逸っている精神を諌めるように。

 だが、彼女は口を閉じたりしなかった。

 

「辛い、ですけど……」

「沙耶?」

「わら、って……ください」

 

 それは慟哭のように、しかし振り絞った声で微かに聴こえた叫びだった。

 唯一つの少女の願い、ワガママにも満たない真摯な想い。

 他人ならば取るに足らないその一言が、向けられた俺の胸を強く穿った。

 

「いつもの兄さんに、戻って下さい……」

「…………」

「皆を、元気付けられる兄さん。いつも、一生懸命な兄さん。誰にも、負けない兄さん」

 

 今の沙耶に、本来の俺は映っていないだろう。

 彼女の目の前にあるのは、弱くて醜い、中身を伴わない抜け殻でしかない。

 だけどその殻は紛れも無く俺そのものだから、彼女はそれを望んだ。

 家族を守ってきた、いつもの俺に戻る事を……。

 小さな体が、傍にある抜け殻に縋り付いていた。

 

「行って下さい、あの人の所に」

「沙耶、お前……」

 

 この子は全部、分かっていたのか。

 俺の胸を締め付けるモノが何なのか、言わなくても分かっていた。

 そして、どうすれば解決するのかも……。

 

「俺じゃ出来ない。アイツが泣いていた事を、俺は最後まで気付けなかった」

 

 だけど、それは既に過ぎてしまった。

 自らを傷付けて、何もかもを諦めて、別れを告げたハラオウン。

 引き止められなかった自分が、アイツに何を出来るというのか……。

 後悔しか残らないこの心が、言い訳がましく言葉を並べている。

 

 ――――でも沙耶は違った。

 

「大丈夫です。だって……」

 

 彼女は笑っていた。

 頬に雫の跡を残して、しかし表情は何処までも晴れ渡っていた。

 そこには何の疑問も、躊躇いも、悲観も無い。

 俺を心の底から信じている、唯それだけの笑みを浮かべて。

 

「兄さん、泣き止ますの得意ですから」

 

 あっけらかんと、簡単に言い切ってしまった。

 

 この問題にはハラオウンの今までが関わっている以上、他人が軽々しく干渉出来ない領域を意味していた。

 沙耶なら言われなくても理解している筈だろう。

 だけど彼女は、こんなにも当然のように言い切ってしまった。

 それは、つまり――――

 

「……そっか」

 

 どんなに問題が重くても、踏み入る事が躊躇われても。

 アイツに掛けるべき言葉が見付からなくても、涙を流していた事に気付けなくても。

 今の俺みたいに後悔に苛まれる位なら、気楽にでも前へ進む方がずっと正しい。

 問題の悪化を恐れて現状に留まるよりも、闇雲でも走る覚悟を胸に立ち向かう方が、ずっと正しいのだと……。

 

「俺は確かに間違った。大切な人を失くしてしまう程の間違いを犯した。でもそれを受け入れて、その上で進もうと思えば、まだ終わりじゃない」

 

 進む事の大切さを教えられたあの日、夜空に誓った想いを忘れてはいけない。

 一生と言うには儚い時間を、それでも悔いなく生きた彼女(アティ)の言葉は尊く強い。

 俺にそれを倣うだけの強さは無いだろうが、自ら終わらせてしまう選択を取るなんて愚かにも程がある。

 自分自身で最も嫌う未来を選ぶ、それは自分を裏切る最低の行為だ。

 

 それにまだ、全てが終わった訳じゃない。

 確かに俺はハラオウンを引き戻す事が出来なかった、その結果が今だ。

 でもそれは結果でしかない、俺が犯してしまった間違いだけど、その中の1つでしかない。

 

 ――――まだ結論(こたえ)は出ていない、だったら此処は結末(おわり)なんかじゃない。

 たとえ結果が出てしまったとしても、それは自分が納得出来るまで幾らでもやり直せる。

 だからまだ終わらない。

 此処はまだ、俺とハラオウンにとって『途中』なのだから……。

 

「沙耶、俺……」

「分かってます」

 

 腕に抱かれた妹は静かに、そしてハッキリと頷いた。

 

 そう、かつての俺は自分が求める結末の為に何度もやり直した筈だ。

 目の前の少女……沙耶(いもうと)の笑顔が見たくて、師父の書斎で何度も一緒に本を読んだじゃないか。

 その末に手に入れた笑顔(かがやき)は、確かにこの胸に刻まれている。

 今更、何に臆す必要があるというんだ。

 

「いってらっしゃい」

 

 その一言が、俺の背中を押す。

 たったそれだけの言葉が、一回り大きな体を簡単に動かしてしまう。

 

 

 未だハラオウンを引き戻す為の答えは無い、戻せる確証も無い、こうしている今だって自信も無い。

 そしてこの胸には迷いがあり――――

 

「あぁ、行ってきます」

 

 ――――決して止まらない覚悟があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~Interlude side:Fate~

 

 

 朝の光、青い空、白い雲……。

 唯そこに在るだけ、唯あるがまま、だけどそれが美しい。

 誰にも求められる事も無く、しかし凛として顕在を尽くす。

 私とはまるで違う強く在るべき姿、それがとても羨ましい。

 自分には無い強さが、どれだけ願っても手に入らない強さが……。

 

 ベッドにもたれ掛かる体が重い、顔を動かす事さえ億劫だ。

 照り付ける太陽が眩しくて、堪らず視界を手で遮る。

 見上げる事が、こんなにも辛い事だったなんて知らなかった。

 いつも見ていた景色が、こんなにも変わってしまうなんて思わなかった。

 

「……知りたく、なかった」

 

 自分の見てきた日常は、簡単に崩れるものだなんて信じたくない。

 だけど、それは紛れも無い事実だった。

 私にとって当たり前の世界は、皆の世界とはあまりにも違っていた。

 ツギハギだらけの歪なモノであって、決して正しいものじゃない。

 

 当然だ、私は皆とは違うんだから。

 

 

 

 

 プレシア母さんに言われた『人形』という言葉、決して拭えない事実だと分かっていた。

 アリシアの偽者だって事も、目を背けちゃいけないんだって。

 だから私はそれを承知の上で『フェイト』で在り続けた。

 

 でも私は誤解していた。

 私を受け入れてくれた皆が居たからこそ、フェイトで在れたとも気付かなかったんだから。

 誰かが居なくては、私はフェイトで居る事すら出来なかったんだから。

 

 

 

 

「最悪の、依存……」

 

 それだけが脳裏を過ぎる。

 私は、自分で自分を証明出来ない。

 そんなモノが本当に人間だなんて言えるのだろうか?

 

「……言えないよ」

 

 私は皆と違う。

 違ってはいけない根本すら、違ってしまったのだから。

 もう、終わらせなければいけない。

 皆との繋がりを、今までの自分、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンを……。

 アルフと契約を交わしたあの日、なのはと名前を呼び合ったあの日、ハラオウンの姓を名乗ると決めたあの日。

 

 

 

 

「ねぇ、大丈夫?」

「ふぇ?」

 

「んじゃ、これから宜しくな、ハラオウン」

「あっ、うん。こちらこそ宜しく、聖」

 

 

 

 

 聖と出会ったあの日。

 全てを、何もかもを捨て去るんだ。

 ……大丈夫、今の私なら傷付く事は無い。

 聖にきちんとお別れを言えたんだから、きっと大丈夫。

 懇願のお陰か、アルフも今は私の代わりを果たしに聖の許へ行っている。

 私が居なくなる事を、まだあの子は知らない。

 なら、心配の種は無い。

 きっと皆は心配するだろうけど、それも時が過ぎれば消えてなくなる。

 

「ほら、何も問題は起こらない」

 

 だから私は、安心して全てに別れを告げられる。

 ……さぁ、そろそろ行こう。

 これ以上誰にも迷惑を掛けない為に、私自身で最後の幕引きをしなくちゃ。

 アルフとの契約があるから、死んでしまう事は出来ない。

 だから代わりに、孤独と言う道へ歩を進めるのだ。

 

 傍らのベッドに腕を突いて、だらしなく項垂れた体を無理矢理引き起こす。

 昨夜からまともに動いてない所為か、足取りは重く頼りない。

 ふらふらと正中線の定まらない歩みは、しかし道だけは違えずに進んでいく。

 私室を出て、廊下を通って、階段を降り、リビングを抜け、そして玄関――

 

「……?」

 

 とても軽い何かを呼ぶ音(インターホン)が、家中に響いた。

 

 

~Interlude out~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう何もかもが吹っ切れた。

 

『今の自分には、ハラオウンを救う術を持っていない』

 

 そんな都合のいい理由を付けて、目を逸らす事で『友達を救えなかった』という事実から目を背けて、自分の傷を浅くしようとした。

 ふざけてるとしか言えない、無様な言い訳の羅列。

 くだらない自分にならない為に、くだらない自分が嫌いだから、俺は今まで強くなろうと決めた筈だ。

 無様だろうが汚らわしかろうが、その意地だけは張り続けなくちゃいけなかった。

 妹にそれを気付かされるなんて、俺は兄として本当に駄目なんだと思い知らされた。

 

 それからすぐだった。

 あの人からの連絡が来たのは。

 ……………

 …………

 ………

 ……

 

 

 

 

 

 

「それで君は、みすみすフェイトを帰らせてしまったと言うのか?」

 

 鋭く力強い視線が俺を射抜く。

 その声は空間に木霊し、全身を針の筵で覆うように突き刺さる。

 発されるプレッシャーは尋常ならざる圧力に満ちて、俺の全身を否応無く締め付けていた。

 

「……はい」

 

 息苦しさから、拳に力が入る。

 相対す男性の眼力に背筋は凍てつき、腕を伝う震えは全く止まらない。

 自分の声にまで伝染しなかったのが唯一の救いだった。

 だが依然として、彼の視線は弱まる事を知らない。

 傍らに立つ女性もその雰囲気に呑まれ、普段の朗らかな様子は形を潜めている。

 緊張などと言う生温い空気ではなかった。

 

「君は、自分が何をしたのか分かっているのか?」

 

 その言葉が胸に突き刺さる。

 深く鋭利な双眸が、今にもこの身を切り刻んでしまいそうだ。

 『恐怖』の二文字が思考を埋め尽くして、体は完全に萎縮していた。

 

「……はい」

 

 だが、心だけは奮い立っていた。

 放つ言葉にはきちんとした論理があり、ハラオウンの兄としての心がある。

 それは何物にも負けない強さ、家族へ向ける真摯な想いの具現。

 彼女から逃げた俺にとって、それは世界中のどんな言葉よりもこの意志を抉る。

 

 だからこそ、これ以上目を背けたり、逃げたりしてはいけない。

 削り、抉り、砕き、切り裂き、俺の意志を無限に傷付ける行為から。

 この身が受けるべき痛みは、それでもまだ足りない。

 

「そうか」

 

 それをクロノ・ハラオウンは、静かに頷いた。

 だが俺には分かる。

 兄であるこの人の目の前に、妹を深く傷付けた張本人が居る。

 それがどれだけ怒りを増徴させる事実なのか、俺には嫌と言う程分かっていた。

 内心では既に、憤怒が燃え盛っている筈だ。

 冷静に努めている表情とは裏腹に、両の拳は強く握り締められ、戦慄いていたから。

 

「あの子は昔から一生懸命だった。後ろを振り返らず、前を見続けて……」

 

 漆黒のバリアジャケットを通して、腕の震えは肩へと伝染していく。

 末端から中枢へと、徐々に徐々に這うように伝う。

 それはまるで、導火線を辿る小火のようだった。

 

「自分が何者か理解していたが故に、昔は独りで泣いていた事もあった」

 

 人造生命体、プレシア・テスタロッサの亡くした一人娘のクローン。

 それがフェイト・テスタロッサ・ハラオウンの本当の姿。

 細胞から作り出された体と、移植された他人の記憶によって構成された少女。

 

「それでも彼女は自分自身で答えを見付け、今まで歩き続けてきた」

 

 だが礼拝堂で聴いたあの言葉が本当なら、アイツは既にその事を乗り越えているだろう。

 そう、その事にのみ関しては……。

 

「我が無い、そう言う者も居るだろう。だが――」

 

 突然、上半身が前に押し出された。

 それは目の前の男性が、俺の胸倉を力の限り引き寄せたが故の結果。

 烈火の如く猛々しい双眸に映る怒りが、締め上げるように首元を圧迫する。

 

「自分の身を顧みず、誰かの為に歩き続けたフェイトを非難する事は、誰であろうと許されない!!」

 

 吐き出されるのは感情の嵐。

 途轍もなく大きく、そして小さな、少女の兄としての言葉。

 飛び込んでくる……溜め込まれ続けてきたその想いが。

 それを唯、俺は見詰めている。

 

「それでも君は、何一つ言ってあげられなかったのか!?」

 

 責める。

 自らの胸の内を曝け出し去っていった、彼女の背中を見送った俺を……。

 間違っている筈の罪の意識を、拭う事が出来なかった俺を……。

 近くに居た筈の俺を、クロノさんは人として正しく責めていた。

 

「何もしてあげられなかったのか!?」

 

 時空管理局の人間であるよりも、1人の女の子の兄である自分を。

 常に冷静であるべき人に、それを選ばせてしまった。

 きっとクロノさんは、最初からそうしたかったのだと思う。

 それでも自分は艦長だからと、人の上に立つ人間だからと、心を律してきた。

 どんなに辛くても、どれ程の苦悩があっても、弱い自分を見せない為に……。

 

 しかし、その全てを俺が吹き飛ばしてしまった。

 

「それがどういう事か、分かっているのか!?」

 

 射抜く瞳に、更なる熱が迸る。

 首を締め上げる力が震え、全身から発される感情が空間を満たす。

 背けたくなるような双眸が目の前にあって、体はピクリとも動かず、息も止まりそうだ。

 

 

 ――――だけど、目は背けない。

 ――――きちんと地に足を着けて。

 ――――言葉にしないといけない。

 

 

 

 

「……はい」

「っ!?」

 

 

 刹那、鈍い打撃音と、俺の左頬に衝撃が走った。

 焼き鏝を当てられたかのような熱、苛烈な衝撃。

 即座に、クロノさんに殴られたのだと理解した。

 だけど目を背けない、きちんと地に足を着けて、言葉にしないといけない。

 

「分かっています」

 

 ジリジリと焼かれる痛みに耐えて、外れかけた視線を元に戻す。

 体を倒すのは簡単だが、それは痛みから逃げているのと同じだ。

 そしてこの痛みは、逃げてはいけない俺自身の罪。

 向けられるべき罰を全て受け止めて、それでも尚、自分の意志を見せなければ……

 俺はもう、二度と動く事は出来ない。

 

「結局俺は、アイツから逃げただけ」

 

 友達を傷付ける事を恐れた。

 無用心な一言で、取り戻せたかもしれない笑顔を殺してしまいそうで。

 俺は、彼女に近付けなかった。

 

「何も気付けなかった、何も言えなかった、何もかも俺は間違った」

 

 そんな自分に、何が救えると言うのか?

 くだらない自問自答で、救うという無謀な行為を否定した。

 

「だけど一番の間違いは、一度の間違いで全部終わってしまったと思い込んだ事」

 

 きっともう遅い、だから俺の手にはもう負えないものだ。

 罪悪感だけを胸に残して、安易な道へ逃げ込んでやり過ごそうとした。

 そんなもの、自分が望めば幾らだってやり直しが出来るというのに……。

 それに気付こうとしなかった。

 沙耶に言われるまで、考える事すらしなかった。

 だから……

 

「だからもう逃げない。俺は誰が何と言おうと、ハラオウンに出来る事をする」

 

 明確な行動指針がある訳でも、掛けるべき言葉が見付かった訳でもない。

 それでも、前に進む事には意味がある。

 自分の罪だからこそ、誰よりも自分が向き合わなくちゃいけないんだ。

 

「何度拒絶されても、絶対に諦めない」

 

 今の自分には哀しい位にそんな事しか出来ない。

 だが、出来る事は見付かった。

 それだけでも、進んだって言えるんじゃないのか?

 

「たとえ、アイツが俺との出会いを後悔したとしても……」

 

 瑞代聖という存在が、今回の事件を引き起こす要因だという事実。

 つまりハラオウンの傷の原因は俺にあり、彼女は俺を責める正当な理由がある。

 俺なんかに出会わなければ、彼女はあんなにも苦しまずに済んだのだから。

 

「フェイト・テスタロッサ・ハラオウンが、瑞代聖なんかに出会わなければ良かったと言われようと……」

 

 きっと本当に言われてしまえば、俺の心は途方も無い位に傷付くだろう。

 楽しかったと心の底から思えた日々、これからも大切にしていきたい時間を否定されたら、間違いなく……。

 だけどその傷を抱えてでも、辛い想いを引き摺ってでも、俺は進むだけだ。

 もう引き返せない、引き返そうとも思わない。

 

「――――俺は、アイツの手を離さない」

 

 迷いの拭えない今だからこそ、この意志が進む為の原動力となる。

 間違ってしまった事を受け入れて、もう一度やり直して、次へ繋げる為に……。

 俺は、アイツの傍に行くんだ。

 

「……」

 

 対峙する瞳に揺らぎはない。

 そこに灯す光は、俺の言葉によって更なる力が込められている。

 鋭いなんてものじゃない、猛獣ですら射殺すであろう眼力に相違無かった。

 真正面から受けるこの体に掛かるプレッシャーは計り知れない。

 だけど此処で目を逸らしてしまえば、この胸の進む意志はその程度だという表れでしかなくなる。

 

「クロノさん、俺は行きます」

 

 その言葉に、返ってくる答えは無い。

 傍から聞き入れるつもりは無いのか、それとも……。

 

「……」

 

 交差する視線が、意地を張り合うようにぶつかっている。

 互いに退かず譲らず、先へ進む者とそれを阻む者が対峙していた。

 

「……」

 

 どれだけの時間、この場に立ち尽くしていたのだろうか?

 感覚すら麻痺してしまう程、俺達の意志は前だけを向いていた。

 そして――――

 

「好きにするといい」

 

 ――――俺は、最初の一歩を踏み出せた。

 踵を返したクロノさんは、そのままバリアジャケットをはためかせ歩を進める。

 足取りに迷いは無く、此方に振り返る事もしない。

 

 唯その背中が、俺に『やれるだけやってみせろ』と強く語り掛けていた。

 あらゆるものを背負い、何一つ取り零さず、全てを抱え切る大きな背中。

 言葉が無くとも力強いそれは、何よりも尊い男としての強さだった。

 

「……はい」

 

 その強さに敬意を表し、心の中で深く礼をする。

 礼儀は言葉だけで尽くすな、態度だけでも尽くすな……。

 己が意志に連なる行動で示せ。

 静かにスライドした扉へ抜けていく姿は、最後まで凛として。

 そのまま、消えていった。

 

「クロノ君も素直じゃないねぇ」

 

 静寂を破って、傍らに留まっていた女性が声を上げる。

 先程までの息の詰まる空気は無く、漸く彼女も本来のらしさを取り戻したらしい。

 あっけらかんと、何事も無かったかのように笑っている。

 

「でも大丈夫? 思いっ切り殴られてたけど……」

「この程度なら慣れてますから」

 

 そっか、と笑いながら納得するリミエッタさん。

 殴られて当然の事をしたんだし、別段怒る気にもなれない。

 寧ろ、殴ってくれて良かったとすら思っている位だ。

 

「もし殴らなかったら、ハラオウン艦長を尊敬して、クロノさんを軽蔑していました」

「あらら、君も中々厳しいんだね」

「当然です、俺も兄貴ですから」

 

 徐々に軽くなっていく空気に、やっと居心地の悪さから解放された気がする。

 こんな気持ちになれるのは、きっと目の前に居る女性のお陰だろう。

 そういった意味では、この人もある種の天才だ。

 居てくれて助かったと心から思える。

 

「それで、行くんだよね。フェイトちゃんの所に……」

 

 その問いに、一つ頷く。

 言葉に出すまでもなく、この意志が向けられる先は決まっている。

 アイツの許へ、ハラオウンの許へ向かうというたった一つの想い。

 どうすれば良いかなんて分からないけど、それでも今は少しずつでも進むだけだ。

 

「月並な台詞かもしれないけど、聖君なら大丈夫だよ」

「そう言って貰えると、多少は気が楽になります」

 

 喉の奥から苦笑が漏れる。

 気休めのつもりだろうけど、この人が言うと妙な説得力がある気がする。

 本人にはそんな気は一切無さそうだが……。

 

「それじゃ行こっか…………あっ、そうだ」

 

 退室を促されたその時、不意に彼女が目の前に立った。

 殆んど変わらない視線の高さ、真っ直ぐに見詰めてくる双眸。

 そして頭に、ポンポンと軽く柔らかい感触。

 

「頑張れ、男の子」

 

 ニッ、と笑みを深めて一言。

 他愛無いその言葉、俺の背中をそっと押すエールに、心がとても温かくなる。

 

 沙耶とリミエッタさん、今日はその2人に背中を押されたのだ。

 瑞代聖として、もう躊躇いなんて壁は砕かれたも同然。

 

「はい」

 

 こうなれば何処までも進み続ける。

 それだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――だが、運命は更に加速する。

 

 

 

 

(アルフ、どうしたんだ?)

(フェイトが、フェイトが……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(居なくなっちゃったんだよ!!)

 

 

 

 

 

 

 

 




少年は大きな間違いを犯した、でもそれは結果の一つでしかなくて。
意志ある限り、幾らでもやり直せるものだった。
ならば何度でも立ち上がろう、何度でも前へ進もう。
何故なら此処は、まだ結末ではないのだから……。

どうも、おはこんばんちはです( ・ω・)ノシ
フェイト編№Ⅳをお読み下さり、ありがとうございました。

礼拝堂でのフェイトの告白に、聖は何も返せないまま彼女との別れを向かえました。
無力で何も出来ないと自らを嘆いていた彼の背を押したのは、妹である瑞代沙耶。
未だ明確な答えは持ち得ずとも進むと決めた彼を、クロノやエイミィも彼等なりのエールを送りました。
そして消えたフェイト、その行方は……。
遂にクライマックスへと動き出した物語、消えゆく少女を聖は救い出せるのか。

今回の話は、以前掲載時に読者さんの1人から頂いたシチュエーション案から生まれた話でした。
以前は読者さん方にそういったリクエストもしてたんですよねー( ・ω・)ナツカシイ
思えば№Ⅸのクロノ達や、№ⅩⅩⅥの八神家の登場も、読者さんのリクエストから出来ていたり……。
そういった方々のお陰で、こうして『少年の誓い』も良い形になったのだと思っています。
非常にありがたく思いますm(_ _)m

今回はこれにて以上となります。
感想や意見、タグ関連やその他諸々は遠慮無くドシドシ書き込んで下さい。
皆さんからのお声が原動力なので、是非、是非、是非宜しくお願いします!!( ;Д;)
では、失礼します( ・ω・)ノシ




(∵)カンソウヲ オネガイシマス……

(∵)ソシテ オキニイリ300トッパ アリガトウゴザイマス




そういえば今更ですが、リリカルなのはINNOCENTのバレンタインイベント、無事に300位以内に入れました( ゚∀゚)ノ
まぁ元々ディアーチェデッキだったので、使える報酬もディアーチェだけなんですが……。
いやでも、それぞれのキャラのバレンタイン絵はとても可愛らしくて良いと思いました。
あのイラストを元に、13歳バージョンをイメージしろと言うのか……!!( -ω-)ムムム


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