少年の誓い~魔法少女リリカルなのはO's~   作:さっき~

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――初めて言葉を交わした時、彼はちょう不機嫌そうやった。
――まぁ、折角のお昼休みにお弁当を取られて走り回されれば、それも仕方ないと思ってまうなぁ。
――事実彼は、その相手に報復とばかりに綺麗な肘鉄をかましとったから。
――そんな変わった場面が、私、八神はやてと瑞代聖君の出会い。

――思えば聖君はいつも、何処か相手との距離を測りながら接しとった。
――ある一定のラインを敷いて、自分に近しい者とそうでない者を分ける。
――露骨に態度を変える訳やないけど、けれど明確な違いがあったのも事実で……。
――時折見せる憮然とした顔が、それを如実に物語ってた。

――せやけどそれと同じ位、彼は近しい者に少なからず信頼を寄せている。
――その姿が何処か『あの子』にそっくりで、気付けば私はそんな彼を微笑みながら受け入れてた。

「何笑ってんだよ?」

――そうやって訝しげな顔で柔く睨む視線も、ぶっきら棒やけど真っ直ぐな優しさも……。
――心に秘めた強い想いも、絶対に曲げない頑なな意志も……。
――本当にあの子に、ヴィータにそっくりで。
――もしヴィータが男の子やったら、きっとこんな感じなんやろなぁ。

――そうなると勿論、心配の種もある訳で……。
――彼はどんな目におうても、決して逃げたり、目を背けたりせぇへんから。
――いつか必ず、引き返せない所まで進んでいってしまいそうや。

――せやから私が気付いてあげなあかん。
――2度も傷付いて、しかも2度目は見知らぬ相手に攫われてしもうた聖君。
――彼がこれ以上、何処かへ行ってしまわんように
――その足が留まっていられる場所を、何も気にせずゆっくり休んでいられる場所を、私が作ってあげなな。








はやて編(№ⅩⅩⅩより分岐)
H№Ⅰ「新しい家族」


 

 

 

 

 黒が視界を埋め尽くしていた。

 どちらが上でどちらが下で、どちらが右でどちらが左なのか、それすら感覚で理解出来ない微睡の中。

 揺蕩う湖面のように、ふわりふわりと全身が揺られていた。

 

「……」

 

 数秒、それとも数十秒か……。

 体を覆う暗闇の揺り籠はその感触を消失させ、突如掛かった負荷によって全身が強張りだした。

 

 気付けばこの体は、境界線の見えない地面の上で立ち上がっていたようだ。

 未だ視認する事の出来ない自らの足による着地は、自身の精神に奇妙な感覚を植え付けている。

 漆黒のカーテンは依然として降り立ったまま、眼前1センチすら認識させてくれない。

 本当に摩訶不思議で、不気味で、無味な世界が広がっていた。

 

 

 ――――だが、俺はこの光景を知っている。

 

「居るんだろ、アポクリファ」

 

 黒一色に塗り潰されたその空間に、確信染みた問いを投げる。

 残響の欠片すら聴こえないこの場所で、しかし発された声は確実に外界へ向けられたもので……。

 

《Hello.(ごきげんよう)》

 

 故に、それに答える者も存在した。

 機械染みた女声が耳朶を打つと同時に、目の前の世界に一筋の光が走った。

 それに呼応して更に幾筋の光が走り、何も存在し得なかった空間を形作っていく。

 まるで蜘蛛の巣のように張り巡らされた光線は、奥へ奥へと続いていき……。

 その先に在る1つの金珠へと、俺の意識を導いていった。

 

 それは間違えようもない、我が相棒たる『アポクリファ』の姿だ。

 

「こうして顔を合わせるのは、2回目だな」

《Yes.However,I did not think that the change here was early to there,either...(そうですね。まさか、そこまで此方側への切り替えが早いとは思いもしませんでしたが……)》

「切り替え?」

《......No,it is not anything.(……いいえ、何でもありません)》

 

 何やら含みのある発言が聴こえた気がするが、彼女は至極当たり前のように流した。

 そのあまりの素っ気無さに、此方としても少々戸惑いを感じてしまう。

 一体その言葉にはどのような真意が隠されているのか、俺には分かりようがない。

 追及を避ける拒絶にも似た態度、しかし、それが俺への思い遣りからくるものであると、心の何処かで何となく感じていた。

 別にアポクリファに嫌われた訳ではないのだと知り、腹の底から安堵の息を吐く。

 

「それにしても、自分の内側に自分が居るっていうのも変な話だな」

 

 初めてこの空間に辿り着いた時に教えられた、此処が『俺の内側』だという事実。

 その後クロノさんから俺の体内にアポクリファが居るという事を伝えられて、何となくの納得は出来ていたけれど……やっぱり変な感覚だ。

 といった感想を率直に彼女に告げると、たおやかに微笑まれた。

 

《You say a wonderful thing truly.(貴方という人は本当に、不思議な事を言いますね)》

 

 人工知能である筈の彼女だが、何やら俺の発言がツボに入ったらしい。

 物腰柔らかな接し方で、此方を見守るような優しさを湛えた声が向けられる。

 何処か心地良く、しかし胸の内をくすぐる音色に、俺としても無性に居た堪れない気になってしまう。

 ――――何だよコイツ、まるでシスターみたいだぞ。

 

「……ったく、お前の口振りも随分なモンだけどな」

《No,It is defeated by you who have naturally accepted such me.(いえいえ、こんな私を当然のように受け入れてる貴方には負けますよ)》

「何だそりゃ」

 

 目の前で明滅を繰り返す金珠に、呆れの混じった呟きを返す。

 アポクリファの自虐にも似た言葉は、俺にとって理解出来ても納得しかねるものだ。

 人と機械、俺達を隔てる事実は決して覆す事も否定する事も出来ない絶対的なものかもしれない。

 それでも俺は、その違いを受け入れて接していくと決めている。

 それはアポクリファだけじゃなく、レイジングハートも、バルディッシュも、リインフォースも同じだ。

 

「だから一々、そんな事言うなっての」

《Hijiri......(聖……)》

 

 本人達がどう思っていようが、自身が決めたそのスタンスは簡単には変えられない。

 自分でも不思議な位の意地の張り具合だが、元々俺はそういう類の人間らしいから仕方ない。

 なので、その辺に関しては彼女達に納得して貰うしか――――

 

 

 

 

 

 

 

 

『――――――――――――――――――――!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっ……?」

 

 その時、俺の鼓膜を何かが震わせた。

 よく分からない『音』のような何かが、聴覚にダイレクトで飛び込んできた。

 反射的に背後へと振り返り、次いで周囲へと視線を向ける。

 しかしそこには暗闇を照らす幾筋の光のみで、その音源たる存在は見えない。

 

 そもそも此処は所謂『俺の内側』という場所であって、俺達以外が存在する筈がないのだ。

 だとするなら、この音は一体……

 

 

 

『――――――――――――――――――――!!』

 

 

 また聴こえた。

 いまだ全容は掴み切れないが、その音はどうやら幾つもの音源が折り重なったもののようだ。

 

 

『――――――――――――――――――――!!』

 

 大地を踏み抜くように駆ける足音、それも1人や数人ではなく、数十や数百といった大人数のそれだ。

 そしてそれに負けない程の怒号もまた、数え切れない叫びによって構成されている。

 力強い雄叫び、悲痛なまでの嘆き、腹の底から吐き出されるそれ等は、圧倒的な存在感を以って俺に向けられていた。

 

『――――――――――――――――――――!!』

 

 その2つの音の隙間から、甲高い金属音が鳴り響く。

 まるで鋼と鋼のぶつかり合い、鎬と魂を削る音色を深々と刻んでくる。

 無数とも呼べる音源が生み出す旋律は、何処か――――――――『戦場』を想起させる音楽のようで。

 この胸を否応無く揺さぶってきた。

 

《What's this......(これは、一体……)》

 

 傍らの相棒も戸惑いの反応を見せる。

 長らくこの空間に居座っている彼女もこの状況は想像の埒外のようで、いつもの口数の多い様子は鳴りを潜めている。

 迷いを露わにするアポクリファを見遣りながらも、この場を支配する絶叫は止む事は無い。

 ……何というか、いい加減ウンザリしてきたんだが。

 

「ったく、訳分かんねぇな」

《It is agreement.This time is also likely to finish(同感です。ですが、この時間も終わりのようです)》

 

 回避不可能にして問答無用に此方を囲い込む声の軍勢を前に、アポクリファが労わるように言葉を掛けてくる。

 同時に頭上から、この空間を裂くように目映い光が差し込んできた。

 これは……

 

《It is in the end of a dream.(夢の終わりですね)》

 

 そう、現実へ戻る合図だ。

 眠りに就いている俺が、今まさに目覚めようとしているのだろう。

 その証拠に、徐々に広がっていく光によって目の前の光景が霞んでいくのが分かる。

 傍らに座すアポクリファの輪郭さえも、あやふやで曖昧なソレに変わっていく。

 

 それはつまり、この空間との別れを意味していた。

 

「そんじゃ、また現実でな」

《Agreement.While it is near,It is surely this place again......(そうですね。遠くない内、きっとまたこの場所で……)》

 

 だが、俺達の繋がりを隔てるものではない。

 決して触れ合えはしないが、それでも誰よりも近くに彼女は存在するのだから。

 なら今はこれで充分、後は目覚めてからやるべき事だ。

 1つの納得と共に全身が光に包まれ、意識が少しずつ浮上していく。

 全身に張り巡らされている感覚が緩やかに消失して……

 

 

『――――――――――――――――――――!!』

 

 

 胸を締め付ける、戦場の苦しい嘆きが木霊した。

 きっと知らない何処かの、名も知らない誰かの発した最後の叫び。

 最後までその意味を知る事は無かったけれど、そこに込められた想いと無念だけは振り払う事が出来なかった。

 

 そして俺は、現実へと回帰する。

 耳朶を打つ抱え切れない程の音色に、自分自身が潰されてしまわないように……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ……」

 

 ジリと瞼を焼く陽光に覚醒が促され、同時に息が漏れた。

 徐々に双眸を開いていけば、視界には窓から差し込む陽光と真っ白な天井。

 

 いつもより幾分か広い――――いや、完全に見慣れない光景だ。

 ゆっくりと体を起こして周囲を見渡せば、背の低い丸テーブルと2つのスポーツバッグが並んでいる。

 その横には綺麗に折り畳まれた衣服一式が鎮座していた。

 

 更に周囲を見渡せば、今俺の居る場所が何処かの一室である事が分かる。

 昇り始めた朝日に照らされたそこは、傍らの小さな棚を除けば、殆んど何も無いと言っていい質素な所だった。

 目覚めた瞬間の視界が低く感じるのも、自分の寝床がいつものベッドではなく敷かれた布団であるが故だ。

 視界に映る此処は、何から何まで今までと違う場所で、寝起きの思考が状況を理解出来ていない。

 此処は、一体……

 

「――――あぁ、そっか。アイツ(・・・)の家だったな」

 

 目の前の状況を少しずつ噛み締めながら理解に至り、そそくさと着替えを始める。

 壁掛け時計の針は5時半を示しており、自分の起床感覚が乱れていない事が確認出来た。

 なら後は、やる事など決まっている。

 

「くぅぅぅっ……」

 

 立ち上がりと同時に体を伸ばして、窓から差し込む光を一瞥。

 空には果てしない青が広がり、アクセントとして雲の白さが良く映えている。

 うん、良い天気だ。

 今日一日の晴天を約束する空模様に、着替えを終えた俺は足早に部屋を出る。

 

「流石に早いか……?」

 

 自宅ではないが故か、音を立てぬよう恐る恐る扉を開けてしまった。

 まぁ時間が時間だから仕方ない、そもそもこんな朝早くに起床する方が珍しいだろう。

 ……いや、ランニング中に散歩しているお爺さんとかよく見掛けるけどさ。

 ともあれ、この家の生活リズムには合わなかったようだ。

 

《Although it seems whether there is any necessity of loitering to there......(そこまでコソコソする必要は無いかと思われますが……)》

 

 スリッパで床を擦らないように歩いていると、慣れ親しんだ相棒の呆れた声が脳裏に響く。

 きっと彼女には俺がさぞ不審に見えるのだろうが、此方としては一応の気遣いによるものなので、追及は勘弁して欲しい。

 

(別にいいだろ。それとおはよう、アポクリファ)

《Yes,Good morning.(えぇ、おはようございます)》

 

 階段を下りながら、取り敢えず挨拶で誤魔化した。

 その間にも無音状態での移動(スニーキング・ミッション)は続けられる。

 大型のテレビとL字型のソファが鎮座するリビングを抜け、そしてそのまま玄関へ続くドアを開けようとして――

 

 

「何コソコソしとるん?」

「…………あっ」

 

 突如、無防備な背中に声が掛けられた。

 今の俺にとってとても聴き慣れた、角の無いやんわりとした耳心地の良い声色。

 そちらへと振り向けば、既に身支度を終えて不思議そうに俺を見るこの家の家主――――八神はやての姿があった。

 

 朝の静かな空気の中、妙な沈黙が俺達を包んでいた。

 ……いや、どうして朝っぱらからどうして女子と見詰め合ってるんだよ俺。

 不意を突かれた為に上手く働かない思考、それを無理矢理叩き起こして何とか口を開く。

 

「えっと、おはよう……やっ…………は、はやて(・・・)

「おはよーさんや、()

 

 何処かぎこちない挨拶の俺と対照的に、目の前の少女は朗らかに言葉を返した。

 浮かべる笑みも非常に明るく、向けられる此方までそれが伝染ってしまいそうな程だ。

 だが今の俺にそのような余裕などある筈も無く、その笑顔から逃げるようにそそくさと玄関へと向かう。

 

「何処か行くん?」

「あ、あぁ……。いつもの日課ってヤツだ」

 

 手早くスリッパから靴に履き替えて、軽く爪先で石床を叩く。

 少しばかり調子を狂わされたが、この習慣だけは続けないといけないからな。

 開錠した扉を開くと、そこから強い陽光が差し込んでくる。

 

「今日もえぇ天気やね。日課の方はどの位で終わるん?」

「ランニングは30分位だな。一応この家からのコースとか考えるから、多少は延びるかもしれない」

 

 中丘町(このあたり)の地理はある程度把握しているけど、スタート地点がいつもと全く違う場所だ。

 今後の為に、此処専用のランニングコースを作っておく必要がある。

 背中に掛かる彼女の声に答えを返しつつ、あぁそれと、と言葉を続けた。

 

「テラスの方を借りていいか? 軽くトレーニングとかしておきたいんだが」

「そんなん気にせんでえぇよ。聖はもう、うちの家族(・・)なんやから、一々許可を取る必要なんかあらへんよ」

「…………あぁ、うん」

 

 彼女のその言葉に、何とも言えない妙な感覚を抱きながら言葉を濁す。

 何の屈託も無く、さも当たり前のように口にされると、此方としてはどう受け取るべきか判断に困る。

 つーか、さっきからコイツに振り回されてる気がして、少し悔しいんだが……。

 

 兎も角、いつまでも玄関で突っ立っている訳にはいかない。

 それじゃ、とだけ告げて俺は太陽の下へ飛び出した。

 

「いってらっしゃーい」

 

 目には見えないが、きっと笑みを浮かべながら口にしているであろうソレを背中で聴く。

 温かいような、くすぐったいような、とても柔らかくて不思議な音色。

 気恥ずかしさを感じつつも、夏の熱気を振り払うように俺はランニングを開始した。

 

 

 時期は夏真っ盛り、当然だが肌に纏わりつく熱気は朝早くからもそれなりに感じられる。

 それでも嫌悪感を抱かずにいられるのは、海鳴に吹く涼しい風のお陰だろう。

 この町で育ち早十数年、そんな今更な事実が頭を過ぎりながら……

 俺は、今のこの状況に至った経緯を思い出していた。

 とある少女が導き出した、あまりにも突発的で、思い付きにも程がある1つの提案を……。

 

 

 

 

 

 昨日、俺はアースラの医務室で目覚めた。

 記憶の最後にあった静寂と暗闇に包まれた世界から一変し、目の前には眩む程の真っ白な部屋。

 そんな突然の状況変化に狼狽える俺を落ち着かせてくれたのは、傍らに居た1人の少女――――八神はやてだった。

 そこで彼女から、これまでの事のあらましを教えて貰った。

 2日前のあの黒衣との戦いの後、俺はとある次元世界の廃墟に攫われたらしい。

 そしてそこから救い出してくれたのが彼女だという。

 

 あぁ、その事は憶えている。

 気を失う直前、霞みゆく視界に映った必死な表情で走り寄る姿を。

 薄れていく意識の中で感じた、この体を抱き留めてくれた温もりを。

 すぐさまアースラに運ばれた俺だったが、幸いな事に重度だったのは魔力の枯渇だけのようだ。

 それも一晩の睡眠によってほぼ回復、魔法の直撃による全身の痛みも問題無いレベルまで鎮まっている。

 またまた後日検査を言い渡されたが、同時に離艦許可も早い段階で貰う事が出来た。

 

 だがそこで「ハイさようなら」とならないのが、この問題の面倒な所だった。

 今回の『瑞代聖の誘拐事件』によって、本格的に俺の身の安全について熟考しなければいけなくなったからだ。

 クロノさん曰く、敵の規模が把握出来ない現状では、管理局側からの満足な対応は期待出来ないとの事。

 その点に関して此方が申し訳無くなる位に謝罪をしてきたので、慌てて止めたのを憶えている。

 ともあれ、このままでは家に帰れないし、帰れたとしても他の家族が狙われる可能性だって在り得る。

 家族の誰かが狙われるという点に関しては、あの黒衣の俺に対する執着具合や周囲への秘匿的配慮を鑑みると、そう安易に手を出してくる事はあまり考えられない。

 とは言え師父の事を思い返すと、手段を選ばずという可能性が絶対に無いとは言い切れない。

 何より、家族が傷付けられる可能性は一分たりとも見過ごす事は出来ない。

 

 しかし此方の打てる手段が無い、という現状もまた事実。

 そもそも自分の身すら守れない俺に何が出来るのか、というのが目下の問題だった。

 こういう時の為に日頃から鍛えていた筈なのに、誰よりも自分自身の問題の筈なのに、肝心な時に俺は何処までも無力で無能でしかなくて……

 

「くっ……」

 

 ベッドの上で、悔しさを堪えるように拳を握り締める。

 それがどれだけ滑稽な姿であろうと、この身に圧し掛かる自責の念からは逃げられない。

 

 彼女が1つの答えを導いたのは、そんな時だった。

 

「なら、うちで聖君の身柄を保護しよか?」

「…………はっ?」

 

 あまりに唐突で突飛な提案に、色々背負ってた筈の重りとか何やらが全部吹っ飛んでしまった。

 当の本人はさも当たり前のような顔で此方を見遣りながら、言葉無く俺に提案(ソレ)を向けている。

 

「確かに君達が彼の傍に居てくれれば心強いが……。しかし、君はいいのか? それに騎士達の事もある」

「せやかてこのまま放っておけへん。そう考えたら、これが一番最善の策やと思うよ」

「現状を鑑みれば、確かにそうだが……」

 

 言葉では懐疑的になりながらも、割とその意見に乗り気なクロノさんの姿に言い知れぬ不安を感じた。

 いや、2人は一応俺の身の安全について真剣に話し合っているのだ。

 いやいや、でもしかし、俺の身柄を八神の家で預かるって事はつまり……。

 思考の海に沈んでいる俺を置き去りにしながら、その横で2人の遣り取りは淀み無く続いて、そして――――

 

「クロノ艦長のお墨付きも貰った訳やし、聖君、早速ひなた園に戻って準備せな」

「はっ、えっ……いや、何が…………」

「手ぶらじゃアカンよ。うちには男物の服一式は無いんやから」

「っておい、マジでそれで決定なのかよ!?」

 

 マイペースで此方を促す少女に食って掛かるが、当の本人は何処吹く風。

 いつの間にか下された結論に異を唱えようとクロノさんの方へ向くと……溜息を吐きつつ此方を見ていた。

 

「管理局が動けない現状で、最も安全で確実な案であるのは違いない。実力のある古代ベルカの騎士が傍に居るのなら、これ程頼もしい事も無いだろうしな」

 

 簡単には相手も手が出せないだろう、そう続ける男性の表情は紛れも無い自信に満ちている。

 甚く満足げな様子なのだが、ちょっと待って欲しい。

 どうやら話の流れを汲み取るに、俺が八神に保護される、つまり彼女の家に厄介になるという事のようだ。

 

 …………それって拙くないか?

 幾ら俺が正体不明の魔導師に狙われているとは言え、同い年の女の子の家に転がり込むとか色々と駄目だろ!?

 いや彼女1人じゃなくて家族だって勿論居るけれど、これはそういう問題じゃなくて……。

 事此処に至り、問題の重大さを実感して脳内を焦りが占めていく。

 確かに状況に即した最善策なのかもしれないが、こればかりは俺の良心によって憚れるものだ。

 だがそんな俺の肩を叩いて、クロノさんは一言

 

「分別だけはしっかりとな」

「何言ってるんですかアンタはぁぁぁ!!」

 

 あまりに自然と発された警告に、思わず反射的に突っ込んでしまった。

 いや言いたい事は分かりますけれども、それでも、それでも貴方には男である俺の意を汲んで欲しかった……!!

 

「さぁ聖君。早いとこ準備して、うちに行こか」

 

 そして八神よ、せめて俺の青少年的な逡巡とか躊躇いとかその他諸々を察してくれ……。

 傍らで俺を急かしてくる少女を見ながら、きっとこの想いは届かないのだろうと確信した。

 

 

 それからの流れは本当に、感嘆の意を漏らすレベルでのスムーズさだった。

 ひなた園に戻ればシスターの手によって一週間分の俺の衣服一式の用意が出来ていたし、師父への簡単な事情説明も終わっていた。

 身の回りの必要なものと夏休みの宿題、読み掛けだった本数冊を用意するだけでアラ不思議、完全に準備が済んでしまったのだ。

 とは言っても、俺が居ない事で師父達に負担を掛けてしまう事、その間の弟妹達は大丈夫だろうか、という懸念によって中々家を出られず……

 

「家の事は皆で何とかする、だからお前は気にせず行けばいい。八神さんに宜しく言っておいてくれ」

 

 有無を言わさぬ師父の言葉によって、半ば無理矢理な形で未練を断ち切られた。

 最後まで後ろ髪を引かれる想いが燻っていたけど、結局今のままでは家族に迷惑を掛ける事に変わりない。

 だから何としても今回の問題を迅速に解決して、俺の日常を取り戻す。

 そう心に誓って、俺は愛すべき我が家から背を向けた。

 

 

 

 

 

 2度目の八神家の来訪、それがまさかこんな形で為されようとは思いもしなかった。

 用意して貰った空き部屋で荷解きをしつつ、終わり次第宿題で時間を潰して……。

 八神の家族(ヴォルケンリッター)の面々との顔合わせになったのは、その日の夜の事だ。

 事情は既に主である彼女から伝えられているらしい、が…………俺の顔を見たヴィータの訝しむ視線から思うに、彼女にはあまり歓迎されてはいないらしい。

 シグナムさんとザフィーラは、意外にも静観を決め込んでいて終始口を開く事は無く……。

 シャマルさんは逆に、満面の笑みと共に歓迎の意を述べてくれた。

 

 何となく分かっていた事ではあるが、俺の存在は八神家にとっては微妙な立ち位置にあるらしい。

 突然の提案によって決定した今なのだから、そりゃこうなるよなぁといった感じだ。

 寧ろヴィータの対応が最もあって然るべきものだけに、他の3人の対応には釈然としない感情が渦巻いている。

 兎も角、八神家からの了承(1人は渋々)を得られ、何とか俺は此処で過ごす事を許された。

 ……にしても、八神は無茶が過ぎる。

 これまでの流れを思い返し、胸中で溜息と共にそんな呟きが漏れた。

 

 しかし俺は誤解していた、彼女はまだ本領を見せていない事に――――

 

「ほんなら、聖君も八神家の一員やね」

「…………はっ?」

 

 やんわりとした笑みを浮かべながら、爆弾級の一言を投下した。

 

「あぁそうよね。折角一緒に暮らすんだから、他人行儀は良くないわよね」

「そやそや。この家に居る間は皆と同じ、八神家の一員や」

「はいですー。聖さんも立派な家族なのですよー!!」

 

 俺を八神家の一員として加えようとする八神と、似たような反応で同意するシャマルさん。

 いつの間にか宙に浮いていた空色の妖精(リインフォース)は、満面の笑みで高らかに声を上げていた。

 

「どうして俺が、八神家に組み込まれるんだよ!?」

 

 飽く迄、『瑞代』の人間として居候する立場であると主張する俺。

 しかし此方の意見を柳の如く受け流しながら、掴み所の無いふにゃっとした笑みを崩さない彼女には、あらゆる言論は無意味だった。

 

 正直、自分でも過敏なまでの意識だと理解はしていたが、家族という繋がりの大切さを信じているからこそ、簡単には頷けなかったのも事実。

 俺が『瑞代』であるように、彼女達も『八神』という絆がある。

 その中に我が物顔で居座ろうなどとは、どうしても出来なかったのだ。

 

「突然俺が家族って言われても困りますよね、シグナムさん」

 

 故にこの問題を有耶無耶のまま流そうと、先程から静観を決め込んでいた女性に問いを投げた。

 俺と適切な距離を取るこの人ならば、そう簡単に肯定を示す事は無い。

 だが、その確信にも似た自身の回答は、次の一言で瓦解の一途を辿った。

 

「そこまで気構える必要は無いぞ、()。主の言うように、自分の家だと思って寛ぐといい」

 

 今まで俺を『瑞代』と呼んで明確な線引きをしていた筈の彼女が、その掌をいとも容易く翻したのだ。

 恐らく、いや間違いなく、八神が事前の口裏を合わせていたのだろう。

 柔らかな笑みと正確な手腕のギャップによって、相対す少女に縞模様の丸っこい耳と尻尾を幻視してしまった。

 

「く、このタヌキ……」

「タヌキでえぇよ。タヌキらしいやり方で、家族になって貰うから」

 

 得意満面で言い放つが、よくよく思い返すと、非常に意味の分からない台詞だと思う。

 こうして完全に進退窮まった俺は、シャマルさんの諌めるような言によって、半ば意地の張り合いになっていた状況に終止符を打った。

 飽く迄『家族らしく』という形で過ごしたい、そんな八神の純粋な好意からの言葉を、俺は蔑ろにする所だったのは反省すべき事だろう。

 

「それじゃ改めて宜しくな、八神」

「違うでしょ聖君。家族なんだから、きちんと名前で呼ばなくちゃ」

「いやいや、別にそこはいいじゃないですか!? なぁ八神」

「……」

 

 そしてこの後、彼女の『名前で呼ばないと返事はしない』という滅茶苦茶な態度によって、更に状況が混沌としたのは言うまでもない。

 

「あぁもう……………………はやて(・・・)!!」

「うん、これからよろしゅうな。()

 

 最終的に半ば自棄になりながら彼女の名前を呼び、この場は収められた。

 何というか、最後まで八神家の面々に引っ張り回され、弄り回された記憶ばかりが残ってしまった。

 

 でも、彼女の名前を呼んだ時に見せた、花の咲いたような笑顔が何よりも心に刻まれている。

 とても嬉しそうで、けれど少し恥ずかしげなそれは、決して忘れてはいけない彼女の本心のように思えた。

 

「此方も宜しくお願いしますね、聖さん」

「あぁ、分かったよ。リイン」

 

 目の前を浮かぶ小さな少女と交わした言葉で、俺はこの家に受け入れられる事になった。

 幸先良いのか分からないが、此処で繰り広げられる生活はどうなるのだろうか……。

 心を過ぎる幾つもの不安と少しの期待、それ等を抱えながら夜は過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――」

 

 コンクリートのタイルが敷き詰められた八神家のテラス。

 頭上から降り注ぐ陽光も強い熱を帯びだし、額からは汗が幾筋も垂れ流れる。

 それを意に介さぬまま俺は只管に四肢を操り、拳や脚を振り抜く。

 

「ふっ……!!」

 

 俺の行う型は、一般的な武術のような形式的なものではない。

 そもそも歴とした流派に属した事も、教えを請うた事も無い俺では、そのような機会は無いのだ。

 故に今の自分に出来るものといえば、実戦を想定したアドリブ染みた体運びの訓練となる。

 

 踏み込みと同時に右拳、退きと同時に右足を上段へ振り抜く。

 背を向ける体勢から更に右足で切り返し、勢いに乗せて左足でも上段に蹴りを放つ。

 一挙手一投足を途切れさせず、どのような体勢からも次の挙動を意識し、常に最善の踏み込みから打撃を打ち込む。

 

「はぁっ……!!」

 

 始めたばかりの頃は、それはもう未熟の極みのようなもので、体の動かし方を何一つ満足に出来なかった。

 それ以前に初手すら迷う程だ、今なら絶対に在り得ないレベルと言っていい。

 だからこそこの数年間、何度も何度も繰り返し、その度に挙動を少しずつ体に馴染ませていった。

 

「せいっ……!!」

 

 今こうして何の躊躇いも無く繰り返せているのは、ひとえに『継続』という心構えが形を成した結果なんだろう。

 昔は年上との喧嘩が絶えなかった為、ボロボロにされる度に反骨心から我武者羅になったのを憶えている。

 その機会は今ではめっきり無くなったが、今でもその想いは変わっていない。

 大切な人達を守りたくて、常に強い自分で在りたいと願って、俺は前を見続けてきた。

 

 でも、今の状況はこれまでの比じゃない。

 俺を狙う黒衣、そしてヤツが操る魔法技術は、此方にとって完全に埒外の代物だ。

 このままではきっと何も変えられず、俺は八神家の皆に守られるだけになってしまう。

 それは駄目だ……自分が巻き込まれた事物であるなら、俺自身が誰よりも真正面から立ち向かわないといけない。

 そうでないと――――

 

「朝早くから精が出るな」

 

 胸中を占める煩悶を振り払うように拳を振り抜くと、徐に声を掛けられた。

 静かで、しかし凛とした芯の強さを内包する女声を発する人は、この家で唯一人だ。

 

「シグナムさん、おはようございます」

「あぁ、おはよう」

 

 鍛錬を中断して挨拶をすると、彼女も微笑むように返してきた。

 切れ長の瞳が真っ直ぐに此方を見据え、静かに佇んでいる。

 一分の揺らぎも無い立ち姿は清廉さに満ち、この陽気の中で尚、気持ちを弛ませぬ空気を醸し出していた。

 正しく、この女性が持つ騎士としての在り方を示している。

 

「聖、先程までのそれは、誰に習ったものだ?」

「え……あぁ、今のは自己流です。多少は師父から教えて貰いましたが、殆んどは自分で考えたり、本の知識を拝借して今の形に……」

 

 他意の無い純粋な疑問に、俺は嘘偽り無く全てを答えた。

 いや、本当は喧嘩という名の実戦で得たものをフィードバックしたりするけど、流石にそんなバイオレンスなものは聴いて貰うものでもないだろう。

 俺の答えにシグナムさんは、目線を下げて腕を組み、何やら思案顔を見せる。

 何を考えているのだろうか……。

 

「私はこれでも、一時期は剣道の指導員も務めていた身だ。今では管理局の仕事で、道場へは行けていないのだが……」

「そうなんですか」

「それ故に少々気になる事がある」

 

 刹那、此方に向ける視線が鋭さを増した。

 しかし俺に対する敵対心から生まれるものではなく、話題に対する真剣さを表しているのだろうと、落ち着いた声色から予測出来る。

 

「先程の一連の流れ、まだ粗が目立つ部分が多い。しかし、ある点に於いては目を見張るものがあった」

「ある点ですか?」

「あぁ。お前の『下半身の使い方』だ」

 

 まるで、さっきまで俺が行っていた型の一つ一つを思い出すように告げる。

 

「あれだけ規則性を無視した動きの連続、しかしどのような体勢からでも踏み込みと腰の捻りはしっかりと行われている」

「……」

「上半身と下半身の連動、これはあらゆる武術やスポーツに通ずる基礎だ。これをお前は自己流で見付けたのか?」

 

 シグナムさんの言葉に、先程までのやり取りに納得した。

 俺の動きはその場その場で動きを変則的に変えるが、踏み込みや腰の動きは決して疎かにしない。

 それはシグナムさんが今言ったように、あらゆる運動の基礎であり重要な点であるからという事もある。

 

「そうですね。拳打(パンチ)にしても、上半身の力だけじゃまともな一撃は打てない。踏み込みと腰の使い方、これがあって初めてこの拳に重みが乗る」

 

 喧嘩の相手はいつだって年上で、体格に差のある相手ばかりだった。

 体の小さかった俺にとって、その差を埋める為の技術を体得する事は必然とも言える。

 力強い踏み込みによって腰の捻りに鋭さを与え、それによって拳を引っ張って最大級の力を乗せる。

 今の形に至るまで紆余曲折あったけれど、だからこそ今の俺にとって最も効率の良い体の使い方となった。

 

「なるほど。もしかしたらお前は、無手よりも武器を持った戦闘の方が向いているかもしれないな」

「武器、ですか?」

「先程までのお前の拳による一撃は、腕の力ではなく全身の力を連動させて打つ。それは、武器を使用する上で重要な体運びと同じだ」

 

 淀み無く言葉を続けていくシグナムさんは、表情には出ていないが楽しそうな声色が混じっている。

 まぁその点はさておき、この人の言葉に考えさせられるものがあるのも事実だ。

 確かに自分の腕の延長となる武器、特に重量や長さのある長物の類は、腕の力だけではなく全身の力を用いなければまともに操る事すら難しい。

 以前読んだ事のある世界の武器に関する歴史書にも、ポールウェポンの項にそのような記述があったのを憶えている。

 尋常ならざる膂力の持ち主なら違うだろうが、そんな例外は回答として成立しないから無視だ無視。

 

「もしもの時の為に、アームドデバイスを持つ事を考慮してみてはどうだ?」

「俺が、アームドデバイスを……」

 

 ベルカ式魔法を扱う為のデバイスにして、この人達(ヴォルケンリッター)を騎士足らしめる武器。

 そのような代物を、俺が持つって……。

 何というか、今まで考えた事すら無かったその発想に、思考が全く追いついていけない。

 そんな俺の状態を知ってか知らずか、目の前の女性は顎に手を添えながら更に思案へ沈んでいく。

 

「となると種類は私のような剣、ヴィータのハンマー、他には槍や斧といった辺りだろうか」

「あ、いや、あの……ちょっと待って下さい」

 

 深みに嵌まっていくシグナムさんを、戸惑いながらも無理矢理引き上げる。

 どうも話の中心がデバイス、というよりも武器である点が、騎士であるこの人の興味を強く惹いているらしい。

 そういうの好きそうだしなぁ、シグナムさん……。

 だがしかし、そもそもの問題点が幾つかある。

 まず俺の魔法適性がミッド式である事、そして、既に俺は自分の相棒(デバイス)を持っているという事だ。

 それを指摘すると、シグナムさんは思い出したかのように声を上げた。

 

「そういえばそうだったな。私とした事が失念していた」

「唯でさえ魔導師として未熟なのに、更にベルカ式なんて敷居が高過ぎますって」

「ふむ、そうか……」

 

 此方の至極真っ当な意見に、少しだけバツが悪そうに答えを返す。

 俺の今後の事を真剣に考えてくれるのはとてもありがたい事だけど、そのスタート地点からして俺にとっては大変を通り越してヤバいものだ。

 それにアームドもインテリジェントと同じ……というか在り方故に少々の差異はあるが、知能と意志を有している。

 流石にそんな2機を同時に操るのは敷居が高過ぎるし、何よりもお互いの処理が衝突(コンフリクト)してしまったら失笑すら湧かない恥晒しだ。

 

「主の騎士杖(シュベルトクロイツ)のような、人格非搭載型のアームドデバイスもあるにはあるが……」

「どちらにせよ、今の俺には過ぎたものだと思います」

《That,It is the intention in the future(つまり、将来的にはそれもアリだと……)?》

「言葉を額面通りに受け取るなっての」

 

 横から茶々を入れる相棒に、呆れるように返答する。

 まだ魔法について右も左も分かっていない、そんな俺が将来の事を考えるなんて度の過ぎる行為。

 何よりも専心を向けるべきは今であり、目の前に立ちはだかる問題を解決しなければならないのだ。

 今の俺の相棒はアポクリファ、それだけが俺の事実。

 

「フッ……良い関係が築けているようだな」

《Because nothing will be made if I am not in Hijiri.(聖は私が居なくては何も出来ませんからね)》

「…………反論出来ねぇ」

 

 ごく当たり前の事実を指摘され、悔しさやら恥ずかしさやらが沸々と込み上がってくる。

 シグナムさんを前にして、相棒からまさかこのような仕打ちを受けるとは……。

 しかも彼女は大人の女性らしい余裕からか、微笑みながら俺達を見遣っている。

 その態度が余計に此方の羞恥心を煽るというのに、本人は全く気付いていないのが困りものだ。

 

 だがその時、ふと先程の言葉を思い出した。

 シグナムさんの「剣道の指導員をしていた」というものが、何となく頭を過ぎったのだ。

 シグナムさん……剣道……指導員…………。

 何だろうかと心中で反芻して、心の引っ掛かりを掴もうとする。

 

「……あっ!!」

 

 そして見付けた、というか思い出した。

 この海鳴にある剣道場で思い浮かぶのは、滝川当真さんが師範を務める『滝川道場』だ。

 俺もかつて、数度だけ教えを請うた記憶がある。

 その時に、確か聴き慣れない名前を聞いた気が……。

 

「もしかしてシグナムさん、滝川道場に居ませんでしたか?」

「あぁ、知っていたのか?」

「何となく、何処かで名前を聴いた憶えがあったんです。それで、もしかしたらと思って……」

 

 此方にあっけらかんと答える女性の問いに、俺も返す。

 『シグナム』という名前をきちんと憶えていた訳じゃないけれど、聴き慣れないそれらしい名前は記憶に残っていた。

 少し曖昧な俺の答えに当の本人は、ほぅ……とだけ呟いて納得の意を示す。

 にしても、初めて会った時に何となく聞き覚えがあったのは確かだけど、まさかこんなニアミス染みた繋がりがあったとは……。

 本当に、世の中は奇縁に満ちてるなぁと実感する。

 

「精を出すのもいいが、そろそろ朝食の時間だ」

 

 不意に掛けられた声、そして徐に家の方に向けられる視線を追うと、そこにはテーブルで皿を並べているシャマルさんの姿があった。

 あぁ、もうそんな時間だったのか。

 鍛錬も大体こなしていたが、シグナムさんとの話が思っていたより長かったらしい。

 ……って、呆けてる場合じゃない。

 これから一緒に暮らすのだから、自分に出来る事はやっていかないと。

 

「俺、ちょっと手伝ってきますね」

「そうしてやってくれ」

 

 それだけ伝えると、物干し竿に掛けてあったタオルを取って急いで玄関へ戻る。

 漂ってくる味噌汁の香りに反応する空きっ腹、それに苦笑しながら汗を拭う。

 はやての作る朝食はどんなものだろうかと、心に期待を込めながら……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白米に焼き魚、小皿にはひじき豆煮、大皿には瑞々しい野菜が盛られ、長皿には厚焼玉子。

 目の前のテーブルに並べられたメニューは、一般的によく見られる和食そのものだった。

 とは言え八神家の料理番である八神はやての手による品々、味の保証は語るまでもない。

 

「味の方はどやろ?」

「あぁ、美味いぞ」

 

 彼女の問いに自然とそう答えてしまう程、俺の味覚はその味を受け入れていた。

 職場実習でひなた園に来た時にもコイツの料理は食ったから、今更な感想ではあるが……。

 

「当然だろ。はやての飯はギガウマだからな」

「流石はやてちゃんです、デキる女というやつですね!!」

 

 凄まじいスピードでご飯をかっ込んでいるヴィータとサイズに合わせた食器を広げるリインが、幸せを噛み締めるような満面の笑みを浮かべている。

 ギガウマって表現は中々斬新だが、まぁヴィータなりの最大級の褒め方なのだと理解した。

 つーかリインの食器一式はどうやって揃えたのだろうかと、少し気になるな。

 

 それにしても、こういう笑顔を引き出せるのも、八神の……はやての料理の魅力なんだろう。

 

「これだけの料理を作れるなんて、本当に凄いよなぁお前」

「そんな事あらへんよ。ひなた園の時もそうやけど、ほんま聖は褒め過ぎやねー」

「お前……それは蒸し返すなよ」

 

 今でも憶えている実習2日目の朝、俺の褒め言葉を曲解した彼女の言葉。

 その所為でバニングスと不毛なやり取りがあったのは、今は語るまい。

 それについて興味あり気な隣のシャマルさんに「何でもないです」と答えつつ、右手の箸の動きを再開させた。

 うん、厚焼玉子の仄かな甘みが良い感じだ。

 ……そういえば以前、学校の屋上で弁当を食ってた時

 

『はい聖君……あーんや』

 

 ――――うん思い出すのは止めよう、色々とマズい。

 顔面に篭もりそうになる熱を理性で振り払って、食事に専心を向ける。

 焼き魚の身を箸で解して一口入れれば、絶妙な塩加減に白米が進む。

 

「ねぇ聖君、これもどうかしら」

 

 料理に舌鼓を打っていると、隣の女性から豆煮の小皿と同じ器を差し出された。

 だがその中にあるのは、鶏肉と人参の和え物のようだ。

 テーブルを見渡してみると、どうやらこれはこの一皿だけ。

 他の品目は人数分あるというのに、何故この料理はこれだけなのだろうか?

 そんな疑問を頭の片隅に残しながら、「頂きます」という言葉と共に箸を伸ばし一口

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――――――――――――――――ん?」

 

 …………訳が、分からなかった。

 食した瞬間、口の中に何とも言えない違和感(あじ)が広がった。

 それは決して食材が痛んでいるとか、問答無用に不味いとか、そういう事ではなくて……。

 言葉に出来ない酸味と底から這い寄るような甘味、暴れ回る苦味とチクチクと刺してくる辛味が、音も無く味覚を強襲してきたのだ。

 

 こ、これは、一体……!?

 

「それね、私が作ったの」

『――――!?』

 

 シャマルさんの何気無く呟かれた言葉に、ヴィータとシグナムさんの目が見開かれる。

 それが何を意味するのかは知らないが、今の俺にはそちらに気を配る余裕は無い。

 体が飲み込む事を拒否しているが、しかし吐き出す事は許されない。

 冷や汗が流れるのを感じながら意を決し、自身を奮い立たせて異物(たべもの)を飲み込んだ。

 

「……」

「聖君、この料理どうかしら?」

 

 全く邪気の無い微笑みが向けられている。

 この料理はこの人が作った物だ、つまり質問の意味は『今の料理の味はどうだったのか?』というものに違いない。

 ……冷や汗は止まった、だが目の前には新たな問題が存在する。

 この一切の悪気の無い笑顔に、俺はどう答えればいいのか。

 

「不味いなら不味いって言っていいんだぞ」

「そうだな、事実はきちんと伝えるべきだ」

「もう、2人共!!」

 

 言い分は辛辣だが、2人の言葉からは惜しみない優しさを感じる。

 その優しさに涙が出そうになる、きっと料理に対するショックではないと思いたい。

 兎も角、何とか誤魔化しの感想だけでも伝えなければ……。

 

「こ、個性的な味ですね……」

「あら? もしかして、口に合わなかった?」

 

 平静を装うとして何故か引き攣ってしまった顔を見て、シャマルさんも場の雰囲気を察したらしい。

 「美味しくない」とか「不味い」ではなく、飽く迄「口に合わない」と言った辺りに、彼女の持つプライドの一端を見た。

 

「ったく、何でシャマルが作ってんだよ?」

「だ、だって……折角聖君が家族になったんだから、歓迎の意味も込めて……」

「歓迎なら昨日はやてがギガウマ料理を作ったんだから要らねーだろ!!」

「で、でも……」

 

 ヴィータの追及に段々と言葉を濁していく。

 眉根を寄せて縮こまっていく様子は、此方が申し訳無くなる程だ。

 

「……」

 

 ぶつぶつと文句を言い連ねるヴィータを尻目に、俺は箸を再び動かした。

 その向かう先は…………『鶏肉と人参の和え物』。

 

「って、お前何してんだ!?」

 

 少女の驚愕の声を気にも留めず、俺は口を動かしていく。

 甘味、酸味、苦味、辛味、それ等が隊列を組んで俺の口内を攻め立てる。

 混ざりに混ざってよく分からない存在(あじ)が這い回る感覚を、半ば意地だけで飲み下す。

 

『折角聖君が家族になったんだから、歓迎の意味も込めて……』

 

 その言葉を聴いて、シャマルさんの想いを知った。

 俺にとってはそれだけで充分だ。

 家族への想いが根底にあって、それを形にして俺へ渡してくれたのであれば……

 真っ直ぐ、きちんと受け取るのが俺のすべき事だ。

 

「聖君……」

 

 隣から何やら甚く感動したような声が聴こえるが、気を向ける余裕は無い。

 今の俺は、目の前の物体(りょうり)を完食する為だけの人間だ。

 

「す、凄いです……」

 

 似たような反応を見せるのは空色の妖精、だがそれにも反応は返せない

 掴む箸は一定の速度で、顎の動きは機械の如く。

 そして舌は、途轍もない七転八倒(ハーモニー)の末に誕生した微妙(あじ)に翻弄されていた。

 しかし、此処でへこたれる訳にはいかない。

 何故なら――――

 

「実はね、こっちにも……」

 

 ふとシャマルさんの声が耳に届き、そちらを振り返ると…………小さな鍋を抱えた女性が。

 その鍋の中には、今俺が一心不乱に食している和え物と全く同じものが。

 つまりこれは、そういう事なのか。

 

「…………」

 

 予想外の事態に、ヴィータが目を見開きながら此方を見ている。

 言葉は無い、だが何が言いたいのかは大体分かっている。

 故に俺は1度頷く事で、嘘偽り無く彼女に答えた。

 

 ――――俺の食事(たたかい)は、これからが本番だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~Interlude side:Hayate~

 

 

「~♪」

 

 和気藹々とした朝食の時間は終わって、今は後片付けの最中。

 隣ではシャマルが、鼻歌交じりに食器を片付けてる。

 自分の料理を食べて貰えたんが、余程嬉しかったんやねー。

 

「上機嫌やね、シャマル」

「えぇ、まさか全部食べてくれるなんて思わなかったから」

「お料理の腕はもうちょい精進せなあかんけどなー」

 

 それだけはきちんと伝えてリビングの方へ視線を向ける。

 そこには、ヴィータから手渡されたコップの水で口直しをしている聖の姿。

 傍らにはリインが忙しなく飛び回り、心配げな顔を浮かべている。

 私もまさかお鍋に入っとる料理、全部食べるとは思わんかったからなー。

 

「だが、お前の料理が個性的過ぎるのは違いない。食べ物で遊ぶなと言っているだろう?」

「遊んでません!! 体に良い美味しい料理なんだから!!」

 

 シグナムの注意に頬を膨らませて反論しとる姿は、まるで子供みたいや。

 まぁ美味しいかは別として、半分食べたとこで味には慣れたみたいやから、聖も割と平気そうやね。

 完食という偉業を見とったヴィータは、何やら彼を少し尊敬しとるみたいやし。

 ちょう変わった感じやけど、シャマルの料理のお陰で、新しい八神家が少し纏まった気がするなー。

 

「それにしても、本当に宜しかったのですか?」

「ん? どうしたん、シグナム」

「……聖の事です」

 

 一通りの洗い物が終わった所で、不意にシグナムが問い掛ける。

 その顔は決して険しさはあらへんけど、何処か真剣さを感じさせる面持ち。

 気付けば隣のシャマルも、同じように表情を引き締めとった。

 

「諸々の問題に対して、現状が最も有効な手であった事は確かです。ですが主はやて、貴女自身はこれで良いと思いますか?」

「聖がこの家に居る事、シグナムはそれが納得出来へんってこと?」

「そこまで嫌っている訳ではありません。彼が誠実な人柄である事は理解しています」

「シグナム、つまり貴女は、男女としての分別の問題の事を言ってるのかしら?」

 

 シャマルの返す問いに、ほんの少しの逡巡の後に静かに頷く。

 そのやり取りで、彼女が危惧しとる問題が何となく理解出来た。

 同い年の男の子との一つ屋根の下の同棲生活、騎士として実直なシグナムにはちょう引っ掛かる問題なんやろな。

 まぁ、言いたい事は分かるんやけど……。

 

「そう思うんは分かるけどな、シグナム。聖が今立たされとる状況は、私達が何とかせなあかんと思うんよ」

「そうよ。もし聖君がまた狙われたら、今度こそ逃げられない。それは貴女も分かるでしょう?」

「……あぁ、私とて将を務める者だ。聖の実力がどの程度のものか把握している」

 

 そう、彼の魔法資質はお世辞にも高いとは言えへん。

 せやけど聖は自分から関わった事から逃げへんから、また事件に巻き込まれてしもたら、今度こそ後戻り出来んとこまで行ってまう。

 

「それにもしあのままひなた園へ戻ったとしても、きっと家族が傷付かない為に出ていってしまう可能性が高いわ。責任感の強い彼なら、尚更……」

「それは、確かに」

「せやから私等が居場所を作ってあげな。聖がゆっくり休む事の出来る、無理せんでえぇ場所を……」

「……そう、ですね」

 

 シャマルと私の意見は、何とかシグナムに届いたみたいや。

 思慮深くそれまでの言葉を咀嚼して、一先ずは納得した顔を見せてくれた。

 シグナムも聖の事を嫌ってる訳やなくて、私達の事を考えての苦言。

 決して無下にしてえぇ意見やないから、せめて此処の生活を通して、少しでも受け入れて貰えれば万々歳や。

 

「でも私はあまり心配してないのよねぇ。何たって名前を呼ぶのも躊躇っちゃうんだもの……聖君も、はやてちゃんも」

「しゃ、シャマルっ!?」

「聖君の名前を呼ぶ練習、1人で何度もしてたってリインが言ってたわよ」

 

 なっ、まさかあの子からそんな情報が漏れとるとは……!?

 確かにリインと私は常に一緒やけど、せめてその事は言わんで欲しかったなぁ。

 

「そうだったのですか?」

「ははは……ちょう恥ずかしいなー」

 

 言葉は静かに、けど驚いた様子でシグナムが見てくる。

 そんな真っ直ぐに見られても困るんやけど……。

 

 家族という関係をきちんと示す為に、今までの君付けの呼び方じゃあかんと気付いた。

 せやから『聖君』から『聖』に変えようと決めた訳やけど……。

 今まで同年代の男の子の名前は何度も呼んできたけど、呼び捨ては初めてで、心の中で何度も葛藤があったり無かったり……。

 

『ひっ……聖く……やなくて…………ひじ、り。うん、そうやね……ひじり…………聖や』

 

 うちの騎士達を待っとる間、聖の居ない所で何度も呼び方の練習をしとったなー。

 お陰で本人を前にしても平気で言えるようにはなったけど、それとは別に……

 

『あぁもう……………………はやて!!』

 

 あんな大きな声で真っ直ぐに名前を呼ばれると、ちょう恥ずかしくて……。

 特に相手は、今まで『八神』としか呼んでくれへんかった男の子やから、慣れない感覚も相まって平静を装うのに必死やった。

 そんな胸をくすぐるような感情、新しい家族と共に過ごすこれからへの期待、様々な想いを抱きながら時間は流れていく。

 

「さぁ、今日も一日頑張ろか!!」

「えぇ、そうね」

 

 まだ見ぬ不安は拭えんけど、今はまず目の前の事から。

 此処には貴方を守ってくれる皆がおるから、何の心配もせんでえぇよ。

 

 聖の未来は、八神家が全力で支えてみせるからな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




最初に言っておきます……
シャマルの料理は不味くないですから、奇跡的に微妙なだけですから!!(`・Д・)
まぁ、違和感とか存在や微妙に『あじ』というルビを振った人間ですがね!(`・ω・´)

どうも、おはこんばんちはです( ・ω・)ノシ
はやて編№Ⅰをお読み下さり、ありがとうございます。

まずは完成が遅くなってしまい、申し訳ありませんでしたm(_ _)m
更新までの間に色々とあってモチベーションが下がり気味だったのですが、皆さんから頂いた感想を読み直して復活して参りました。
兎も角今回から始まった『はやて編』、初っ端から伏線や前フリをブッ込んでます(`・ω・´)
というかこのルートを始めるにあたって、最後まではやての聖に対する呼び方を悩んだのですよ。
これまで通り君付けでいくか、それとも呼び捨てに変えるか。
結局は後者になりましたが、やはりこれまでの積み重ねがあるので、少し違和感がありますよね?
他にも聖の青臭さ成分が足りない感じもありますし、これでは『少年の誓い』らしくない!(`・Д・)
いやまぁ、それは置いといて……。
事前に説明した通り、このルートでは『聖の脆さ』がテーマとなっております。
今はまだその片鱗は見せていませんが、きっとその内分かるかもしれません。
そして彼は八神家での生活を通して、どのような想いを抱える事になるのか……。
読者の方々には、見守って頂きたく思います。
それと、はやての方言がおかしいと思ったらご指摘の方もお願いします。
唯、「なぁ」と「なー」みたいに同音が入り混じっているのは、雰囲気だと思って下さい。

そういえば、感想とかで訊かれた事もあるので一応。
この『少年の誓い』の各キャラENDは、本来の在るべき未来へ繋がらない完全IFストーリーとなってます。
なので、なのは編ならStSでの『頭冷やそうか』問題も無くなるでしょうし、フェイト編なら躊躇い無くスカリエッティを弾丸ライナーで相手のゴールにシューッ!! するでしょう。
このはやて編でも、そういった変化はあるでしょうね( ・ω・)


今回はこれにて以上となります。
感想や意見、タグ関連やその他諸々は遠慮無くドシドシ書き込んで下さい。
皆さんからのお声が原動力なので、是非、是非、是非宜しくお願いします!!( ;Д;)
では、失礼します( ・ω・)ノシ


そういえば、前回の更新をした後に久し振りに『PSO2(Vita)』をプレイしたのですが、久々にハマってしまいましたね。
ハギオス(Ship5、ファイター/ハンター)なのですが、気付けばレベル57まで上がっていたりして驚きました(;・ω・)
後は『アルノサージュ』でしょうか。
この作品に出てくる『詩魔法』を見ていて、当初、聖の魔法資質に『音波の変換資質』とか考えていたのを思い出しました。
楽器型のデバイスによる演奏で、味方の能力を底上げするというバッファー的なヤツです。
まぁ、彼の性格的に無理だと確信したのでボツにしましたが……。

では、更新の為に封印していた『第3次スパロボZ』を解放しますか。
シャマルの中の人こと、柚木さんがヒロインなので楽しみです( ・ω・)













魔法少女リリカルなのはO's
~それは遠き幻影の誓い~




「待ちなさーい!!」

 突然の事だが、俺は今、追われている立場だ。
 後方より迫り来る人影から感じる不安感を拭う為に、先程から必死に逃走している。
 ……なのに、何故か一向に距離が開かない。

「いい加減に諦めろー!!」
「嫌です!!」

 トーンの高い少女の声色、しつこく食い下がるその存在は、全く諦める事無く追走に励んでいる。
 いや、そろそろ本当に勘弁して頂きたいんだけど。
 もう何分もこんな不毛な逃走劇を繰り広げてるし、何よりも今は昼休みだ。
 何人、何十人もの生徒が此方を物珍しそうに見ている状況は、俺としては早々に終わらせたい事実だった。

「止まりなさーい!! ひじりー!!」
「だから嫌って言ってるじゃないですか!!」

 そして何度、この不毛なやり取りを繰り返しただろうか。
 その度に注目を浴びているのだから、本当に、マジで勘弁して欲しい……。
 と、その時――――

「聖!!」

 俺の名を呼ぶ女子の声が耳に届いた。
 それは紛れも無い、とても聴き慣れた少女のもので……
 金色の長い髪を靡かせながら、俺と追跡者の間を割って入るように飛び出してきた。

テスタロッサ(・・・・・・)!!」

 そう、俺のクラスメイトである少女、フェイト・テスタロッサ。
 彼女は追跡者の前に立ちはだかると、諌めるように声を上げた。

「どうして聖を追い掛け回しているの――――アリシア(・・・・)

 それを向けられているのは、彼女と同じ色の長髪を持つ追跡者、アリシア・テスタロッサ。
 目の前のクラスメイトの2つ上の姉であり、この聖祥大付属中の生徒会長でもある、小さな少女だ。

「どうしてって……お姉ちゃんは、さっきフェイトが聖に泣かされているのを見たんだよ!!」
「「……えっ」」

 突然ビシッと持っていたハリセンを此方に向ける(ハリセンには『ツッコミ一番、平和は二番』と書かれている。それでいいのか生徒会長
 自信と少しの憤慨に満ちた表情、しかし発せられた言葉には俺達2人は呆気にならざるを得なかった。
 俺が、テスタロッサを泣かせた……?

「俺、お前を泣かせたっけ?」
「わ、私は知らないよっ……!?」

 いやそうだろ、俺だってそんなのは身に覚えがない。
 さっきって言ったって、4時間目の授業は体育で外だったし……
 だが相対すテスタロッサ先輩は、俺達の反応が気に入らないのか、むぅっと頬を膨らませながら追及を繰り出す。

「だって、さっき2人が外で一緒だった所を見たんだよ!! そこでフェイトが泣いている所も!!」

 改めてハリセンの切っ先(?)を此方に向ける。
 だがそれを聴いても、俺とテスタロッサには全く記憶に無いものでしかない。
 しかしそこで、テスタロッサは小さく声を上げて俺を見てきた。

「もしかして、私が目をこすった時の……」
「……あ~、アレか」

 確か突然の風で目にゴミが入ったとかで、そんな事があったような。
 いや確かに、傍目から見れば泣いてるようにも見えるけどさ……。
 まぁつまりは、今回のこの騒動は、妹大好きなお姉ちゃんによる勘違いって事か?

「あれ? もしかして、早とちりだった、かな?」
「もしかしなくてもだよ……」

 バツが悪そうに言葉尻を濁す先輩の姿に、テスタロッサは頭を押さえている。
 ハァ……と溜息を吐く様子は、思わずご愁傷様と言いたくなる程だ。

「もう、こんな周りに迷惑を掛けたら駄目だよ」
「ゴメ~ン、だからそんな怒らないでよ~」
「ちゃんと聖にも謝ってね」

 妹に諭されて、小さい体が更に小さくなるテスタロッサ先輩。
 申し訳無いけど大体が自業自得なのと、俺は被害者側なので是非とも深い反省をして頂きたい。
 生徒会長なのに日頃からフリーダム過ぎるんだよ、先輩は……。

「聖もゴメンね、勘違いで追い回しちゃって」
「本当、もう勘弁して頂けると助かります」

 腹の底から吐き出すように、半ば諦観に満ちた呟きを漏らす。
 悪気が無いのは重々承知してるので、今後はもっと考えてから動いて欲しいと後輩は思うのです。
 ついでにこの人の抑え役とか、居てくれると非常に助かるのですが……。

「だったら、聖が生徒会に入ってくれればいいんだよ」
「それは遠慮します。というか、何度も断ってるじゃないですか」
「きっと聖にとっても良い経験になると思うんだけどなー」

 いやいや、家の用事という歴とした理由がありますから。
 冷静に答えを返したら、頬を膨らませながら此方を睨んできた。
 その視線も可愛らしいものでしかないのだが……。

「ぶーぶー」

 まるで小動物が不機嫌を感じているような仕種である。
 だがしかし、それを向けられた俺に一体どうしろと?

 ある日の昼休み、俺の身に訪れる日常の風景の一端。
 目の前で可愛らしく文句を垂れる小さな先輩、その姿に苦笑しながら、緩やかに時間は流れていった。


・アリシアの生存、フェイトの2歳上というINNOCENT仕様
・テスタロッサ夫妻が健在で、家族旅行で海鳴に偶々来た
・そこでジュエルシード事件発生するも、なのはだけでなくフェイトも手伝ったので問題無く収束
・なのでアースラは地球に来ていない
こんな感じになれば、アリシア編とかも出来そうですね、しませんが( ・ω・)

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