少年の誓い~魔法少女リリカルなのはO's~   作:さっき~

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――聖が我が家に来てから、早数日。
――最初は色々と戸惑ったり居心地の悪さを感じとったようやけど、そこはそれや。
――うちの騎士達は良い子ばかりやから、大きな問題は今の所は起きとらんね。
――本人も生粋の働き者やから、うちの仕事を率先してやってくれとるし。
――私等も色々と助かっとるよ。

「聖君、今日は『茄子の味噌炒め』にしてみたの」
「朝から随分と大物を持ってきましたね……」

――あのシャマルの料理を完食してから、聖はヴィータ曰く『シャマル専用毒味(あじみ)役』に任命された、というか本人から頼まれたみたいや。
――それからというものの、シャマルは一層料理に対して真剣に取り組んどる。
――肝心の腕の方はまだまだみたいやけどなー。

――そして初っ端から割と厳しい顔をしとった当の聖は、意外にもその役割を放棄する気は無いようで……。
――曰く

「昔、沙耶とかに色々作って貰った事があったからさ。何ていうか、微笑ましいなぁって」

――玉子の殻が沢山残っとるサンドイッチ、塩を振り過ぎて辛くなったおにぎり、色んな物を混ぜ過ぎてよく分からない栄養ドリンク
――昔を懐かしむようにそれを語ってる彼はほんまに楽しそうで、その姿をシャマルとダブらせとるらしい。
――あかんなシャマル、小学生と同レベルに見られとるよ。

「あんま無理すんなよ?」
「その味に慣れるというのも、大概無事ではないだろうが……」

――そんな彼を無情な言葉で労うのは、ヴィータとザフィーラ。
――この2人は、夜になると聖に魔法の訓練を行っとる。
――ベルカとミッドという隔たりはあるけど、単純に魔法を制御する方法や、身を守る術を教える位なら可能や。
――まぁ、それでいつもヘトヘトになるまでやるのも、どうかと思うんやけどなー。

「聖さん、ガンバですよ!!」
「自分で始めた事だ。可能な限りは果たしておけ」

――更に応援するリィンと、静かに見守るシグナム。
――リィンは出会った当初から変わらず、聖と毎日楽しそうに話したり遊んだり、絶えず笑顔を浮かべとる。
――聖もリィンを妹のように可愛がっとるから、ほんまの兄妹のようやね。

――逆にシグナムとは、あまり話す所を見とらんなー。
――とは言え、お互い嫌っとるというよりも、会話に花を咲かすような人柄やないって所やね。
――2人共、実直な所とかそっくりやから。
――唯、シグナムが聖を静かに見とるのはよく見掛ける気がするような?


――そういえば、聖も夜になるとひなた園に連絡を入れとるみたいや。
――師父さんと、どんな話をしとるんやろ?
――きっと私等の事なんやろうけど、ちょう気になるなー。


――――少しずつ、ほんまに少しずつやけど、聖との生活が当たり前になり始めてきとる。

――――決して特別やないけど、本当に大切な『当たり前』の時間に。









H№Ⅱ「託されるもの」

 

 

 

 

 

 朝早くから照りつける陽光、新鮮な空気に混じる熱気を肌に感じながら肉体は稼働する。

 右腕が空を切り、左腕が熱を払う。

 右脚が鋭く振り抜かれ、左脚が垂直に落とされる。

 内側から発される熱が汗となって流れ落ち、大振りの動きによって飛散していった。

 

 今日も、いつものようにトレーニングだ。

 

「っ……!!」

 

 八神(この)家に来てから、少なからずの時間が経過した。

 最初は慣れなかった見知った相手との共同生活も、家族のように気負わず接してくれる人達のお陰で問題も無く居られる。

 このテラスから見える光景も、数度繰り返した今では見慣れたものだ。

 きっとこの後は、いつも通りに朝食の時間が始まる。

 ついでにシャマルさんの料理の味見役をやるのだろう…………頑張れ俺。

 

 いや別にその役割に不満は無いのだが、あの人の料理は食べるまで味が全く分からないビックリ箱仕様。

 それを食うには、事前にあらゆる味を受け入れる心の準備が必要なのだ。

 はやての料理は見た目や香りから、ある程度の味の方向性は分かるし、実際に食えばそれを上回る良い意味での驚きだ。

 だがしかし、シャマルさんの料理には常識なんてものは通用しない。

 盛り付けも香りも何の問題も無い筈なのに、口にした瞬間、此方の味覚に違和感を深く捻じ込んでくる。

 『どうしてこうなった』という言葉が脳内を駆け巡ったのは、最早何度あったのだろうか……。

 まぁ引き受けたのは俺だし、本人も真剣に取り組んでるから、今更この役割から降りるつもりも無いけどさ。

 

「はっ……!!」

 

 肢体は絶え間無く動き続ける。

 その中で次に思い出すのは、ヴィータとザフィーラが手伝ってくれている魔法訓練。

 まだ魔法という技術に慣れていない俺に、基本的な制御方法を2人からレクチャーして貰っているのだ。

 ミッドとベルカという違いはあれど、根本的な魔力制御に大きな違いは無い。

 ならばと申し出てくれたのが、まさかのヴィータからだった。

 俺の八神家入りを不服に思っていた彼女だが、きっとはやてを始めとした家族へ降り掛かる問題を軽くする為なんだろう。

 そんな彼女の姿に何を思ったか、もしもの補助という名目でザフィーラも手伝ってくれる事になったのだ。

 

「ふぅぅぅ……」

 

 思考と共に淀み無く稼働する肉体、力を込めて振り抜かれるソレの動きを一旦止める。

 深く息を吐きながら拍動する心臓と高ぶる気持ちを鎮め、精神を研ぎ澄ます。

 そして一際深い呼気の後――――両手両足に魔力を集束させた。

 先程まで静かだった周囲は、その瞬間から渦巻く風によって空を切る音色を響かせ……。

 同時に集束地点に、緩くも圧し掛かるような負荷が襲った。

 

「……っ」

 

 全く動かせない訳じゃない。

 だが鍛錬を再開しようにも、絶えず働き掛ける重力(ふか)が動きを少しばかり阻害している。

 四肢の末端に重りが括り付けられたような錯覚、常に全身に違和感を覚えてしまう。

 傍から見れば鈍間な動き、何とも不格好な姿だろう。

 

 とはいえ、この結果は俺の未熟が故のものだ。

 2人から聴いたのだが、俺の魔法制御は正直言って未熟なレベルらしい。

 プログラム通りに起動して制御が出来ていれば、そもそも今のように風が渦を巻き続ける事も無ければ、重みを感じる事だって無い。

 つまり俺の集束や圧縮技術が未熟故に魔力が留まり切れず、こうして大気を巻き込んで風を形成しているという。

 重みを感じるのも同じで、集束し切れない流動が下に向かって落ちているのだとか。

 

 まぁ、そこからまともに使えなかったラウンドシールドの問題点の解決に繋がったのは不幸中の幸いだったのだけど……何というか、個人的に釈然としなかった。

 

 

 兎も角、2人から告げられたのは『最低限まともな魔力制御が出来るようになる』という課題だった。

 このままでは他の魔法を使った所で、本来の半分程度しか機能を発揮出来ないとまで言われている。

 もし再び黒衣と対峙したとなれば、その点は何よりも足枷になり得るものだ。

 圧倒的な実力差ではあったが、もしあの時、俺が自分の魔法の力を最大限引き出せていたなら……。

 決してあんな無様は晒さなかったかもしれないし、今みたいに誰かに迷惑を掛ける事も無かったかもしれない。

 『もしも』なんて可能性の話、とうに過ぎてしまった以上は無意味なものでしかないけれど、それを胸に刻んで未来への糧にする。

 それが、半端者の瑞代聖に出来る数少ない手段だった。

 

《Control is still unfamiliar.(制御はまだ不慣れですね)》

(これでも、始めた時よりはマシになってるんだけどな)

《It understands.Probably,that will be still insufficient and right?(分かっていますよ。ですがまだ足らない、そうでしょう)?》 

(……あぁ、全然駄目だ)

 

 相棒の声に答えながら、心を静めていく。

 制御には何よりも集中力が必要、だからもっと強く意識して魔力を操らなければならない。

 この右手に、左手に、右足に、左足に……。

 それぞれの中心に魔力を集めて、外へ漏れないように圧縮して留めて……。

 数度の呼吸と共に感覚を四肢に集中させ、魔力の流れを意識的に操作する。

 

 すると、徐々に負荷が和らいで、周囲に渦巻いていた風が静まっていくのが分かる。

 決して即時的な発動ではないが、確実に集束していくのを肌で感じられた。

 ……そうだ、これをきちんと維持させていけば大丈夫な筈。

 

《Good job.(良い傾向です)》

(これなら、2人の言う魔力制御の点も早い内に解消出来そうだな)

《Let's do our best to a slight degree.(もう少し詰めていきましょう)》

(そうだな)

 

 アポクリファの声に簡単に応え、一連の魔力運用を繰り返す。

 2人の指導を受け始めてから、暇さえあれば何度も行ったきた訓練。

 魔法という技術に触れてから少ししか経っていない俺では、才能以前に魔法そのものに慣れていないという覆せない欠点がある。

 だから今の俺に出来るのは、練習を繰り返して少しでも多く経験する事だけだ。

 慣れていないなら慣れるまで、使えないなら使えるまで、只管に研鑽あるのみ。

 

 そして少しでも早く、ヴィータとザフィーラに認めて貰う。

 雲一つ無い快晴の空の下、胸の内に掲げたその想いと共に、鍛錬は朝食の時間まで続けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「駄目だな、全然なっちゃいねー」

 

 その努力の結果は、ものの見事に切り捨てられました。

 

「以前より魔力運用が良くなってるのは確かだ。けどな、実戦でそんな悠長な事をしてられると思ってんのか?」

「……まぁ、そりゃそうだけどさ」

 

 長柄のハンマー型デバイスを肩に担ぎながら、当然のように言い切る紅の少女。

 踏ん反り返って偉ぶる様子は、その小柄な容姿も相まって、小憎らしくも愛らしさを感じさせる。

 しかし、発される言葉には揺るぎない現実を此方に突き付けていた。

 

「オメーが魔力制御に集中してる間、相手だって棒立ちで待ってる訳じゃねーんだよ。実戦レベルまで叩き上げて、初めて『使い物』になるんだからな」

 

 そうだ、どれだけ制御に成功したとしても、それはトレーニングの場だけのものでしかない。

 最も重要な実戦という状況で魔法1つにあんな時間を掛けては、そもそも使う以前の問題だ。

 故に、彼女の言葉に返せるものは俺には無く、沈黙と共に受け入れる事だけが許された行為だった。

 

「まっ、そもそも魔法そのものの適性の問題もあるしな。不慣れな中でも結果が出てるだけマシだと思っとけって」

「そう言われてもなぁ……」

 

 彼女から一応のフォローを頂くが、その内容はあまり素直に受け取れなかった。

 確かに適性によって技術の伸び率に差が出るのは当たり前だけど、しかし不慣れを理由に足踏みは出来ない。

 そもそもそれが許される状況じゃないのだ、目の前で微妙な顔をしてしまっても仕方ない事だと思う。

 そんな表情を顔面に張り付けた俺に反応したのか、一連のやり取りに静観していた蒼い狼が声を上げた。

 

「焦った所で何が変わるのか、分からないお前ではないだろう?」

「……まぁ、そうだよな」

 

 目の当たりにする不甲斐無さに腐りそうだった心が、その一言で何とか持ち直しかける。

 自分の非才は今更で、それを嘆いたとしても変わるものは何も無し。

 ならばそんな苦汁はさっさと飲み下して、地道にやっていくのが何よりも現実的だ。

 

 ……嘆くだけで報われるのなら、俺はとうの昔に超人の域に達しているって話だ。

 馬鹿な事を考えていないで、1ミリでも前に進む事だけ考えればいい。

 

「よし、そんじゃ気合入れ直した所で早速実戦だ」

「実戦って――――っておい!?」

 

 気持ちを切り替えた所で唐突に、紅いドレスが宙を舞う。

 此方から大きく距離を取りながらの飛翔、フリルを靡かせながら旋回した彼女は視線を俺に向ける。

 同時に、その手に握られたハンマーを力強く振り被った。

 その力の込められた目元と意地の悪そうな笑み、思考の間も無く嫌な予感が全身を駆け巡りだす。

 

「聖、きちんと打ち込んでこい!!」

「いやお前、急に訳分かんねぇって!!」

 

 そんな俺の反応を意に介さないヴィータは次の瞬間、弾かれたように飛び出した。

 進行方向は言うまでもなく俺の居る場所だ。

 

「ぶっ飛ばされたくなかったらなぁ!!」

 

 無茶苦茶な台詞を吐き捨てて、紅色の少女は弾丸となって迫り来る。

 全くブレない直線機動、接敵までの時間はほぼ無いに等しい。

 対応を吟味する暇も無く、気付けば俺は反射的に腕を前に突き出していた。

 

「アポクリファ!!」

《Round Shield》

 

 此方の呼び掛けの意を察した相棒は、すぐさま魔法を起動し真円の灰盾を形成。

 だが相手は、既に自らの間合いに入っている。

 接近の勢いに乗せて、彼女は躊躇いなく鉄槌を横薙ぎに振り抜いた。

 ――刹那、腕を通り抜けて肩にまで衝撃が走った。

 

「ぐっ!?」

 

 その重さに喉から苦悶が漏れ出る。

 眼前ではぶつかり合うハンマーと円盾が火花を散らし、鎬を削る攻防を繰り広げていた。

 しかし……

 

「おりゃぁぁぁ!!」

 

 少女の気合と共に均衡は一瞬で崩れ、此方の防御をアッサリと押し出していく。

 足裏で噛み付くように地面に踏み込むが大した意味は為さず、この身は鉄槌の威に押し流されるだけ。

 力の前に悲鳴を上げる防壁は遂にひび割れ、崩壊は時間の問題だった。

 

「チッ……!!」

 

 修復は元より耐え切る事すら不可能と判断し、舌打ちと同時に横に回避。

 容易く盾を破砕してその場を抜ける少女を見送り、距離を取ってその軌跡を目で追った。

 彼我は先程と変わらぬ有視界距離、天と地にて視線がぶつかり合う。

 この目に映るのは未だ崩れぬ不敵な笑み、それが示すのはまだ終わっていない(・・・・・・・・・)という事実。

 

「ったく、何だってんだ……」

 

 突然始まった訓練、彼女の不意打ち気味の吶喊に思わず愚痴が零れた。

 だがそんなもので相手は待ってくれない。

 再度構えを取り体勢を整えるヴィータを視界に収めて、此方も迎え撃つ用意を始める。

 

「今のお前ではヴィータの一撃を止める事は出来ん」

 

 ふとすぐ近くから、至極冷静で、無情な呟きが耳朶を打った。

 紛れも無くザフィーラからのものだが、そんな事は俺だって先程の激突で否応無く理解している。

 変換資質によって俺のシールドはデフォルトで『逸らす』特性を強く持っているとは聴いたが、彼女の『魔力を込めただけの一撃(テートリヒ・シュラーク)』の突破力の前では無意味に近い。

 だがしかし、実際アレに対して他にどう対処しろというのか……。

 

「聴こえた筈だ、打ち込んで来い(・・・・・・・)と……」

「つまり、ぶっつけ本番ってヤツか」

 

 次いで発される言葉、その意味は正しく理解出来ている。

 というよりも、これまでの流れである程度予想出来ていた事だ。

 しかし土壇場で実践を強要するとは…………中々スパルタをやってくれるなコノヤロウ。

 

《But losing will be disagreeable(でも、やられるだけなんて性に合わないでしょう)?》

(そりゃそうだ)

 

 俺に発破をかけようとするアポクリファの言葉に同意する。

 自分が未熟なのは理解してるが納得はしていない、認めはしても享受はしない。

 

「もう一発いくぞ!!」

 

 その宣言と共にヴィータは再度突撃へ移行した。

 大気の壁を貫いて此方へ飛行する様はまさしく緋弾、手にする伯爵(ハンマー)が鈍く光る。

 このままでは先程と同じ結末、盾を囮に転がって避けるのが精一杯だ。

 ――――そんな無様、2度も繰り返したりしない。

 

「あぁ、来いよ……」

 

 右の拳を強く握り、挑発染みた言葉で自らを奮い立たせる。

 そこからの体運びは無意識なまでにスムーズで、気付けば構えは既に出来上がっていた。

 

 そして拳に集う魔力の流れを制御する。

 集束点から逃げようとする力を押さえつけて、無理矢理押し込むイメージで掌に収めていく。

 押さえ切れない流れを握り潰して、更に留め、手の内で流動させる。

 周囲に巻き起こる風すら意地で引き込み、自らの力として束ね上げる。

 

《Geo――――》

 

 視線の先には少女の姿、携えた武器(デバイス)に魔力を奔らせての突撃。

 時間は無い、数瞬後の強烈な一撃が否応無く理解出来た。

 だがその理解を振り切って前へ一歩、力強く踏み込む。

 

「ぶっ飛べぇぇぇぇぇ!!」

 

 地面を砕かんばかりの踏み込みから、流動を押し込んだ拳を全身の力で引っ張る。

 上空からヴィータの気合の声が聴こえるが無視。

 拳には以前まで感じていた重みは無い、周囲の大気がそこに舞い込む不思議な感覚だ。

 そして――――

 

「堕ちろ!!」

《――――Impact》

 

 眼前までに迫った少女、振り抜かれたハンマー目掛けて全霊を以って叩き込む!!

 激突するその刹那、耳をつんざく轟音と共に空間が爆ぜた。

 

「はぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「でりゃぁぁぁぁぁ!!」

 

 腹の底から吐き出される裂帛の気合、眼前で激しく鎬を削る魔法(だげき)

 魔力によって強化された必倒の一撃と、拳に集った流れを力とする加重の一撃。

 互いが互いを喰い破らんと力の奔流をぶつけ合い、その余波が周囲の全てを吹き飛ばす。

 

「ぐぅっ……!!」

 

 今の自分に出来る全身全霊の一打、それでも尚、俺より一回り以上も小柄な少女を押し返せない。

 確かに彼女はその姿で、これまで数多の戦場を駆け抜けてきた騎士だ。

 未熟者であるこの身が超えられないのは当然……だとしても、負ける訳にはいかない!!

 眼前で拮抗する力と力、火花を散らしせめぎ合い、その様相は激しさを増していく。

 

 だがそれも長く続く事は無く、決着のつかない力比べは互いを押し返す形で中断された。

 地を滑りながら体勢を整えてヴィータの方を見れば、仕切り直しとばかりの突撃体勢が見て取れる。

 まだ満足していない、って顔だな……。

 自分勝手なペースで事を勧める態度に、本当なら悪態の一つでも吐くべきなのだろう。

 でも不思議な事に、頭の中は完全に迎撃という行為のみに染まっていた。

 

《One more.(まだ来ます)》

「分かってる!!」

 

 今度は左手、掌に魔力を集め、強く握り込んで押し留めるイメージを……。

 その反応に巻き込まれる大気すら手繰り寄せ、鋼の風を纏いて鋼の(こぶし)に昇華させる。

 さぁ、次も遠慮無くいかせて貰う!!

 合図無く接近するヴィータ、低空で飛び掛かる真紅のドレスへ、この手に握り締めた魔法を叩き込んだ。

 

「堕ちろ!!」

《Geo Impact》

 

 3度目の激突。

 先程よりも素早く構築した俺の魔法、しかし精度は決して劣ってはいない。

 彼女の一撃にだって、喰らい付いてみせ――――

 

「嘗めんなぁぁぁぁ!!」

「なっ!?」

 

 だがその決意は、彼女の前ではあまりにも無意味だった。

 術式構築にミスは無く、魔力の集束・圧縮だって出来た筈なのに――――どうして完全に押されている!?

 圧倒的な力の差に、強く踏み込んだ足が地面を削り徐々に後退させられていた。

 

「これでっ、どうだぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 そして遂に、気迫と共に押し出されたヴィータの一撃が俺の魔法(ジオ・インパクト)を打ち砕いた。

 

「つっ……!?」

 

 その力の前に抵抗は意味を失くし、体は容易く宙へ放り出される。

 数瞬だけの空間飛行、しかしそのままでは駄目だと体に喝を入れ、背で着地すると同時に後転。

 すぐさま体勢を元に戻して周囲の状況を確認した。

 

 どうやら吹っ飛ばされたのは数メートル程、その先の少女にこれ以上の追撃の様子は見られない。

 寧ろ彼女の顔には多少の満足が感じ取れる辺り、もう今のような滅茶苦茶なやり方は無いと思っていいだろう。

 本当、あんな無茶振りは勘弁願いたい……。

 内心でそうぼやきながら、警戒していた心を落ち着ける。

 

「やれば出来るんじゃねーか」

 

 するとヴィータが徐にハンマーを肩に担ぎ、口を開いた。

 その音律は全くいつも通りで、先程までの一連の流れに対して何一つ悪びれる様子は見られない。

 ……釈然としないのは、きっと気のせいじゃない。

 そんな俺の胸中を知ってか知らずか、飽く迄いつも通りにヴィータは振る舞う。

 

「それなりに焦らせたつもりだけど、構築や制御も最低限出来てたからな」

「そう、か?」

「あぁ。まだまだ粗もあるが、まずは第一段階突破ってヤツだな」

 

 魔法を正しく発動させる制御能力、取り分け魔法戦ではその練度は高いレベルを要求される。

 戦闘という緊張状態が続く状況下で、如何に平常心を保ちながら、正確に素早く魔法を行使出来るか。

 魔導師にとってそれは、まず何よりも重要な初めの一歩だった。

 

 その言葉を聴いて、先程のヴィータが行った一連の流れにも理解出来た。

 つまりアレは、彼女なりのそういったシチュエーション作りだったのだろう。

 まぁ、突発的な部分までリアルに再現しなくても、とは思うが今は我慢だ。

 とは言え……

 

「でも、完全に競り負けた」

 

 最初の打ち合いはほぼ互角だったが、2度目は数瞬の拮抗すら許されなかった。

 それはつまり、俺の魔法制御が未熟であった証に他ならない。

 彼我の実力差を否応無く理解させられた以上、彼女の『第一段階突破』という評価を素直に受け取る事は出来そうもなかった。

 

「こんなザマじゃ正しく制御出来たなんて、とてもじゃないが言えない」

「いや、そのような事は無い……」

 

 しかしそんな俺へ、静かに語り掛ける声が届いた。

 とても低い、しかし体の内側へ響く確かな意志を伴った力強さ。

 今まで口数少なく見守っていた守護獣、ザフィーラのものだ。

 

「お前は確かに制御に成功している。唯、相手が悪かっただけだ」

 

 その意味を理解出来ない俺に、ザフィーラは言葉を続ける。

 彼が言うには、俺の魔法制御はきちんと成功しており、一定の水準を満たしていたらしい。

 ならあの圧倒的な威力差はどういう意味かと問うと、彼は一言

 

「ヴィータが本気を出した、それが先程の結果に繋がったというだけの話だ」

 

 …………それで、大体の状況を把握した。

 つまりアレか、教師が生徒に対して立場を度外視した全力を放ったと……。

 蒼き狼からの発言によって至った結論、改めてヴィータに視線を向ける。

 今度はジト目のオマケ付きだ。

 

「……あ、あんぐれーの敵だって現れるかもしんねーだろ!?」

 

 少々バツの悪そうな顔、それでいてぶっきら棒に吐き出されたのはそんな理由(いいわけ)だった。

 フンと鼻を鳴らしてそっぽを向く仕種は、彼女の容姿と相まって非常に可愛らしい為に、俺としても憤慨する気にはなれない。

 まぁ確かにそういった状況も想定するべきなんだろうけど、そんな段階を一気に飛び越える行為はとても困るのだ。

 まずは土台を鍛える所から、そうでなくては話にならないと俺は考えている。

 あまり悠長な事を言える状況じゃないが、それが2人と話し合った末の結論でもあったのは確かだ。

 

「とっ、兎も角だ!! 次からは今みたいな実戦を想定した訓練でいくぞ!!」

 

 ハンマーの先端を俺の眼前に突き出して、ヴィータは強く言い放つ。

 未だ小憎らしい態度を崩さないが、気付けば俺の隣にまで寄っていたザフィーラは、その姿を見るなりフッと表情を和らげている。

 

「まだまだ子供でな、悪いが付き合ってやってくれ」

 

 その瞳は大切な家族を、掛け替えのない仲間を、深く想う守護者としての優しさに溢れている。

 普段からはやて達を一歩引いた場所から見ていたこの蒼狼の、非常に珍しい一面を見た気がした。

 その様子に、まるで父親みたいだ、という感想を抱きながら彼だけに分かるよう小さく頷く。

 

「おい聖、余所見する程余裕だってんなら手加減しねーからな!!」

「って、お前が本気出したら訓練にならねぇだろうが!?」

「知るか!! オメーが死ぬ気で喰らい付いてこい!!」

 

 ザフィーラとの声無き合図を何と勘違いしたか、ヴィータが声を荒げながら理不尽を突きつけてきた。

 コレは酷い、完全に取り付く島も無いとはこの事かと身を以って実感する。

 いや、訓練に本腰を入れるというのは寧ろ望む所なんだが、こう八つ当たり気味な対応だと非常に困る訳で……。

 隣のザフィーラも聴こえない程度に溜息吐いて、最早何も言えぬとばかりに目を伏せる。

 オイそこの盾の守護獣、何で他人事のように静観してやがるんだ。

 

「オラ、行くぞ!!」

「あぁもう分かったよ、全力で喰らい付いてやるよ!!」

 

 少女を諌める役目を放棄したザフィーラを尻目に、俺も半ばヤケクソに意を吐き出した。

 もうどうにでもなれとばかりに腹を括り、数十分後の自分の有様を幻視する。

 

 ――きっと今日も、体力と魔力の限界まで。

 ――――自らを鍛える為に、魔法の領域へと足を踏み込んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、俺ははやてに連れられて本局のとある一室にまで足を運んでいた。

 幾つものデスクに散乱する紙媒体の文書諸々、その間を行き交う白衣の人々。

 だが何よりも目を惹くのは、数多くのデバイスが浮かぶ培養液が満たされたポッド。

 それがこの、『本局第四技術部』と呼ばれる場所を端的に表していた。

 

「……」

 

 視線の先では、目まぐるしく動き回る人の流れ。

 行っては戻り、戻っては行って、何度も繰り返される人の波。

 兎にも角にも人、更に人、何処までも人、オマケとばかりに人……。

 最早数えるのも嫌になるレベルの人数なのだが、目の前の人達はそんな事実を歯牙に掛ける事も無く動き続けている。

 目の前で起きている状況は何が何やらサッパリだが、取り敢えずこれだけの人が居るのに肩をぶつけずに移動出来るのが凄い、というのだけは分かる。

 

「……」

 

 目の前の人達の邪魔にならない一角で、声も発さず只管に待ち続ける。

 唯、過ぎ去っていく光景を見詰めながら……どうしてこのような状況に陥っているかを改めて思い返す。

 と言っても大した経緯などではなく、此処に来たのは『リインフォースのメンテナンス』という事情の為だった。

 

 この場所がこれ程までに忙しい様相を呈しているのは、少し前より管理局の全局員のデバイスメンテナンスを実施しているかららしい。

 勿論リインもデバイスなのでそれを受けなければならないのだが、彼女は局内でも極稀なユニゾンデバイス。

 色々と勝手が変わるらしく、その為に作業が後々に回っていたらしい。

 確かレイジングハートがメンテを受けた時って、あの『魔法学院』の生徒とのいざこざがあった日で、バルディッシュは更にそれ以前らしいから結構開きがあるんだなぁ。

 

 それで当人(リイン)のマスターもとい、マイスターである少女はどうしたのかというと……どうやら突然の呼び出しを受けたらしい。

 

『リインの事、頼むなー』

 

 軽く手を振りながらそれを告げた彼女は、俺をこの場に残して去っていった。

 まぁ特別捜査官という立場である以上、何かしらの秘匿情報もある筈から、俺を連れていく訳にもいかないのだろう。

 その辺に関しては部外者の出る幕ではないので、静かに待つ事だけが俺に出来る事だった。

 ……とは言うものの、流石に慣れない場所で1人というのは、手持ち無沙汰とか気まずさとかが過ぎるぞオイ。

 目の前でアクティブに動き回る技術部の人達と比べて、借りてきた猫のように縮こまっている俺の姿は実に滑稽だった。

 

「やぁ、久し振りだね」

「え……あ、ランドロウさん」

 

 あまりに見慣れぬ、それでいて奇妙で珍妙な光景に圧倒されていた俺へ向けて、1人の男性から声が掛けられた。

 ヨレヨレの白衣に無造作に散らかった髪型と無精ヒゲ、文句無しの駄目さ加減を全身に纏った、この部門(しろ)の主――――ベリアル・ランドロウ技術主任。

 以前、本局に来た際に2回程顔を合わせただけだが、そのインパクトから顔も名前も脳に刻み込まれてしまった人物でもある。

 

「お久し振りです」

「あぁ、元気にしてたかい?」

 

 まぁ、と曖昧な返事を返して、改めて当人の様子を伺う。

 以前よりは幾分かマシな顔色ではあるが、それでも目の下のクマや少し痩けた頬は見逃せない。

 正直に言ってしまえば、『勤労意欲に溢れたゾンビ』から『まだ生きている人間』程度の差である。

 穏やかな微笑みを浮かべているが、その裏には相当の疲労が溜まっているのだろうと見て取れた。

 

 だがそれよりも、気になる事が……

 

「あの、俺に構ってて良いんですか?」

 

 目の前で右往左往する白衣の軍勢を指差して問う。

 そう、この人はこの状況に於ける中心人物の筈で、こうやって愛想良い態度で俺に接する暇は無い筈だ。

 

「恥ずかしい話なんだけど、強制的に休憩に入らされてしまってね……」

 

 ボサボサの頭を掻きながら、ハハハッと乾いた笑いで答える。

 なるほど、やる事が無くなって俺とは別の意味で手持ち無沙汰…………まんま以前のスクライアと同じだな。

 流石は管理局に所属する職業病人(ワーカホリック)である。

 

「君の方は?」

「はやての付き添い……なんですが、当の本人が呼び出しを喰らっています」

「さっき彼女が言ってたのはそういう事か」

 

 俺の答えに、顎に手をやり納得の面持ちを見せるランドロウさん。

 その様子から考えて、きっとアイツが此処を離れる前にその旨を聴いたのだろう。

 

「それなら、そろそろ……」

 

 

 

「ひぃぃじぃぃりぃぃさぁぁぁぁぁぁああぁぁん!!」

「のわっ!?」

 

 突如、トーンの高い少女の声が俺の名を力一杯叫んだ。

 天真爛漫を体現する突き抜けた声の方へ振り向くと、ドップラー効果を伴って空色の妖精が飛び掛かってきた。

 って、危なっ!?

 俺の驚きを余所にそのまま顔面へ突撃――――する直前で旋回し、頭部の周りをクルクルと飛び回りだした。

 その表情には、悪戯っ子特有の憎らしくも愛らしい笑みが見て取れる。

 

「リイン、お前なぁ……」

「えへへ」

 

 メンテから解放されたからか、妙にテンションが上がっているらしい。

 俺を中心にして、楽しそうにクルクル飛行している。

 

「今のリインは『悪い子リイン』なのですよー」

「何、だと……!?」

「なので聖さんに悪戯ですー!!」

 

 もう傍目から見ても、大層はっちゃけていらっしゃるご様子。

 どうやら、動き回れなかった時間が相当苦痛だったようで、自由を得たリインはもう水を得た魚である。

 はしゃぎ回る姿は、彼女がデバイスという存在である事を忘れさせてしまう程に子供らしく、大変微笑ましい姿だ。

 ……が、両手で俺の頬をムニムニ弄ったり、髪をグシャグシャにするのは如何なものかと口にせずにはいられない。

 仕方ない、ならば此方もお前の挑戦(いたずら)に応えよう。

 

「そんな事をするヤツは、こうだ!!」

 

 元気に飛び回る彼女を両手で優しく捕まえ、綺麗な空色の髪を人差し指でグリグリと押し当てる。

 当然サイズが違う為、痛くならない力加減は忘れない。

 

「ほれほれー」

「あうあうあ~、止めて下さいです~!?」

 

 ついでに軽く頭を回して色々と弄ってみた。

 案の定為すが儘のリインは、両手を上げてアワアワと目を回している。

 うん、これは非常に面白い……が、流石にやり過ぎると可哀想なので手から解放する。

 

「あわわ~、目が回るですよ~」

「リイン、悪い事をしたら何て言うんだっけー?」

「ご、ごめんなさいです~」

 

 頭が前後左右に振られながらも飛行魔法を保っている辺り、何だかんだでリインは器用なんだろう。

 うぅむ、此処でも魔法資質の差が如実に表れているなぁ……。

 

「うぅ、聖さんの方が意地悪ですぅ……」

「ふっふっふっ、俺に挑もうなど数年早いわー!!」

 

 だがそんな事よりも、こうしてリインと何の意味も無くじゃれ合ってる時間がとても楽しく感じる。

 やっぱり俺は、こうして子供と遊んでいる方が性に合っている気がするな。

 

「ハハハッ。君達、まるで兄妹みたいだね」

 

 俺達のやり取りを横で眺めていたらしい男性が、笑みを交えながら此方を見ている。

 愛情にも似た優しさを、その双眸に湛えながら。

 

「はい、リインと聖さんは家族なのですよ」

 

 先程の言葉に気を良くしたリインが目の前を飛翔し、その視線は、何故か俺に向けられている。

 何だオイ、その期待するような眼差しは……。

 それに釣られて、ランドロウさんも伺うように俺の事を見てくるし。

 言外に答えを求められている現状に、俺は……

 

「いや、それは流石に……」

 

 言葉尻を濁しながら、弱々しくもやんわりと否定的な言葉を吐いた。

 確かに一緒の家に住んでいるし、付き合い方もはやてを始めとして親しくして貰っているが、適切な距離は保っていると思う。

 だから、俺達の関係は『家族』のような特別な間柄ではな――

 

「違う……ですか?」

「え?」

「リイン達は、家族じゃないのですか?」

「あ、いや、その…………」

 

 ――――何故だ。

 何でどうして如何にして、目の前の妖精は涙ぐみながら俺を見ているんだ。

 

「リインは、聖さんと家族になれてすごく嬉しかったです。でも、聖さんは違うんですか?」

「あのなリイン、それはだな……」

「違うんですか?」

「あぁ、えっと……」

 

 ――――何故だ。

 何がアレしてこうなったのか、か細さと儚さと懇願に満ちた彼女の声は、それだけで抗えぬ力を内包している。

 涙目までプラスして、小さな少女から無言の圧力のようなものが発せられていた。

 言いたい事が分からない訳でもないが…………あぁもう。

 

「そう、だな。うん、家族みたいなもんだな……」

「はいですぅ!!」

 

 どうやら俺という奴は、子供のあぁいった顔は何度見ても心が折れてしまうようだ。

 此方の答えに弾けるような笑顔を振りまくリインを見て、改めて自分の性質を痛感した。

 いや、此処まで喜んで貰えるなら全然良いし、後悔の類は一切無いんだけどさ。

 

「良いお兄さんのようだね」

「ははは……こうして振り回されてますけど」

「想いを大切にしている証拠さ、恥じなくていいだろう?」

「そう、ですか」

 

 ランドロウさんのさり気無いフォローが、兄心に深く沁みる。

 

 それにしても、俺にとってはやて達は家族なのか、という疑問は頭の中で何度も反芻していた。

 リインの問いに対して濁した形になったように、正直な事を言って、未だに明確な答えは出ていない。

 確かに自分では違うとは言えるが、心の何処かで彼女達を受け入れ始めている節がある……かもと感じている。

 それじゃ一体、今の俺は……

 

「家族は、大切にした方が良い」

「……ランドロウさん?」

 

 自問と共に思考の海に沈み掛けた俺を、隣り合う男性の声が引き上げた。

 振り向けばそこには、何かを懐かしむような想いを秘めた瞳が俺を見据えている。

 しかし発された声は俺に向けられているようで、その実、何処か遠くへ向けられていた。

 

「昔、私にも大切にしていた家族が、妻が居てね」

「大切にして、いた……?」

「あぁ。もう亡くなって十数年になる」

 

 淡々と呟かれる言の葉に、()くした事実に対する悲しみは感じられない。

 それは流れた年月によって癒えたものなのか、はたまた感傷を捨て去った故なのか……。

 

「本人からすれば他愛無いものだったかもしれない。だがその小さな悪意は、現実として1人の命を奪ったんだ」

 

 この人の言う『小さな悪意』が何かは分からない。

 唯、決して聞き逃してはいけないもので、目を逸らしてはいけない現実だという事だけは理解出来た。

 だから俺は、ランドロウさんの言葉を静かに待つ。

 

「今はもう過ぎた事だが、当時は本当に大変だったさ。何せ、過度のショックでリンカーコアが機能不全を起こしてしまった位だからね」

 

 それまで使い道は無くとも持ち得ていた魔力が、その日を境に完全に存在を消失。

 デバイスマイスターという立場上、特に必要性は無いが、それでも今まであった筈のものが無くなってしまった事は、本人にとっては衝撃的な出来事だったのだと。

 まるで歯牙にも掛けず、当たり前のように告げた。

 

「とまぁ、私の過去語りはこんな所だ。そんな私だからこそ、君に『家族を大切に』と言うのさ」

「ランドロウさん……」

 

 今まで、大して繋がりの無かった相手からの助言。

 遠くを見ながら語る姿は、仕事による疲労感を大いに漂わせながらも、大人らしさを感じる風格を呈していた。

 そんなアンバランスさを抱えた男性に見詰められ、俺は唯、その視線を見返す事しか出来なかった。

 この人に言われるまでもなく、俺だって家族を想っているし、大切にしている気持ちは充分にある。

 ひなた園(あのばしょ)で育った時間は、この心に刻まれた掛け替えの無いものだから……。

 

 でもこの人の心の奥底に抱えた想いは、きっと俺とは別種のものなのだろう。

 かつて在った時間、喪くしてしまった大切な存在、抱えたそれ等の意味を正しく理解して、圧し掛かる重みに耐えながらこの場に立っている。

 それは、高々十数年しか生きていない俺では理解し切れないものだ。

 

「肝に銘じておきます」

「あぁ、そうしておいてくれ」

 

 だから俺は、その言葉を素直に受け取った。

 口でなら簡単に「大切にしている」と言えるが、彼の口にする言葉の重みが許さなかったのだ。

 それはひとえに、歩んできた時間の差か……。

 

「それでは、そろそろ失礼しますね」

「おや、待ち人はまだのようだが?」

「その内来ますし、此処に居ても邪魔なだけですから。行こうぜ、リイン」

「はいです!!」

 

 いつの間にやら俺の肩の上に座っていた小人で妹な妖精が元気良く答える。

 朗らかに手を振って見送るランドロウさんに失礼します、と一言だけ告げて忙しない研究室を後にした。

 スライドした扉の先の通路では、一般の局員の人達が疎らに行き交っている。

 

「はやてちゃん、遅いですね」

「まぁ、適当にその辺りで待ってるか」

「そうですね」

 

 偶々近くにあった休憩スペースを指差してリインに問うと、肯定の言葉と共に一度頷いた。

 唯でさえ私服姿の一般人というこの場にとって異質な存在なのに、立ったまま此処に居ると余計変に見られかねない。

 そんな結論に至った俺は、そのままテーブルと組になった椅子に腰を下ろした。

 だがふと、目の前の少女の事である疑問を思い出した。

 

「そういえばリイン、実体化の時間は大丈夫なのか?」

 

 リインは意志を持つデバイスなのでこうして自立行動が可能だが、普段ははやての魔力供給を得ながら剣十字の中で眠っていると、はやてやシャマルさんから聴いた事がある。

 だが俺が八神家に来てから、大体の時間は実体化しているリインを見ていた。

 これは一体どういう事だろうか、というのが唐突に思い出した疑問だ。

 

「地球に居る頃は周りに気を付けなくちゃいけませんけど、こうやって少しずつ慣れさせているのです」

「慣れ?」

「今年、局員の採用試験に挑戦しようと思っているんです。その為に、少しでも長い時間の実体化が必要不可欠なのです」

 

 リインの答えに驚きを感じつつも、なるほどという納得に至った。

 確かに局員になるのであれば1人の人員として扱われる為、長時間の実体化は必要最低限な条件だろう。

 それにしても、こんな小さなリインが局員を目指しているという事実には驚きを隠せない。

 この子が完成(うまれて)からまだ2年だと聴いていたし、普段から甘えたがりな姿を目にしていた俺には想像すら出来なかった答えだ。

 ……やっぱり家庭環境がアレだから、色々と自分なりに自立しようと頑張っているんだろうな。

 自分の現状で手一杯な俺とは、まるで雲泥の差だ。

 

「そっか。だったら一生懸命頑張らないと駄目だぞ。俺も応援するからな」

「ありがとうございます。一生懸命頑張って、聖さんに良い結果をお知らせするです!!」

「いやいや、それは俺よりはやてが先だろ」

 

 目の前で改めて決意を固めるリイン。

 そのやる気に満ちた姿を見て空回りを心配しつつも、きっとこの子なら大丈夫なんだろうという確証の無い未来を思い描いていた。

 

「にしても、はやて遅いな。流石に暇になってきたぞ」

「それじゃ『アッチ向いてホイ』しましょう」

「ほう、それで俺に挑むとは中々のチャレンジャーだな、リインよ」

 

 主の帰還は未だ果たされず、結局はこうして遊びながら時間を潰すしか出来ないのか俺達だった。

 時空管理局に来てまでする事か、と思わなくもないが、一向に帰ってこないアイツが悪いので仕方ない。

 

「むむむ、これは強敵の予感です。でも負けないですよ!!」

「来いリイン、『ひなた園のアッチ向いてホイ(キング)』の実力を知るといい!!」

 

 なので今は、リインとの触れ合いが全てである。

 時折疎らながら人の目が向けられるが無視、そんなものはどうでもいいのだ。

 

「いくですよー」

「おう」

「「じゃんけん、ぽん!!」」

 

 互いの了承と共に始まった初戦、先手を取ったのは――リイン。

 小さな指先が俺へと向けられる。

 

「あっち向いて――――」

 

 さぁ、何処に向け

 

 

「あら、何をやっているのですか?」

 

 刹那、俺達の間に第三者の声が差し込まれた。

 

「え?」

「――――ホイ!!」

 

 あまりに突然だった為、半ば反射的にその声のする方へ顔を向けてしまった。

 ついでにリインの指差した方向と一致したのは、何の冗談なのか。

 

「リインの勝ちですー!!」

「なっ!? 今のは無しだろ、ノーカンだノーカン!!」

 

 そう、今のは急に声を掛けられたから釣られたのであってだな。

 本当は逆方向を向こうと思ってたんだぞ、本当だぞ?

 

「ふっふ~ん、負け惜しみは駄目なのですよ~」

 

 しかし此方の抗議も何処吹く風、リインは鼻歌を混じらせながら勝ち誇った笑みを浮かべた。

 くそっ、邪魔が入ったとは言え『ひなた園のアッチ向いてホイ王』の俺が負けるとは何たる失態!!

 全く誰なんだ、俺達の真剣勝負(アッチむいてホイ)を邪魔する輩は

 

「お邪魔をしてしまってごめんなさい。楽しそうな声が聴こえて、つい……」

 

 改めて振り向くと、そこには黒を基調とした法衣で身を包んだ長い金髪の女性。

 俺より年上だろうか、穏やかな佇まいで浮かべる柔和な笑みが印象的だ。

 その隣にはもう1人、白のスーツという酷く目立つ格好の、これまた長い緑髪の男性。

 そちらも俺より幾らか上だろう、身形も相まって爽やかな印象を見せている。

 

 紛う事無き美男美女というべき存在が、何がどうしてか俺を、というよりも俺達を見ていた。

 ……訳分からんぞこのシチュエーション。

 

「騎士カリムとヴェロッサさん!!」

「こんにちは、リインフォース」

「久し振り、元気そうで何よりだよ」

 

 しかし隣のリインはごく自然と、その2人に笑みを向けていた。

 その様子は知り合い、というよりも友人といった親しい者に対するそれだ。

 

「本局の方に来るなんて珍しいですね」

「えぇ、少しばかり用事があって」

 

 和気藹々と、リインと女性の会話は続く。

 珍しい、という事は管理局とそれなりの関係にありながら特殊な立場だったりするのだろうか?

 なんて考えても、そもそも相手の素性も知らないのだから考えるだけ無駄か。

 

「貴女は……メンテナンスかしら」

「はいです。きちんと診て貰ったので、バッチリですよ」

「ふふふ、それは良かった」

 

 ……うん、とても会話が弾んでいる。

 もう何か無関係の俺を置き去りにしていくレベルで楽しそうである。

 いや、別に会話に入りたいなんて願望はこれっぽっちも無いのだけれどさ。

 と、そこで漸く女性は金髪を靡かせながら俺へ視線を向けた。

 

「貴方はこの子のお知り合いですか?」

「えぇ、まぁ……」

「聖さんはリイン達の家族ですよー」

 

 穏やかな問いに答えあぐねていると、目の前を緩やかに飛行する妖精がまたもその答えを言い放った。

 それを聴いた2人は、頭の上にクエスチョンマークを浮かべる。

 リインよ、その答えは俺の事情を知らない人にとっては理解出来ないぞ、きっと。

 だがその時、緑髪の男性の方が何やら納得したような笑みを浮かべて――――

 

「なるほど、君がはやての彼氏かい?」

「……………………は?」

 

 ――――突然何を言いましたかコノヒトは?

 

「そうなんですか。ふふっ、あの子もそういう年頃なのね」

「………………………………は?」

 

 ――――アナタも何を言ってるんですか?

 あまりに急な事で思考が追い付いていないが、何やら危険な物が投下された気がするのは気の所為じゃない。

 そもそも俺がはやての彼氏って…………彼氏?

 

「って、誰がアイツの彼氏ですかっ!?」

「え、違うのかい?」

「違います!! 寧ろ何でそんな結論に至ったんですか!?」

 

 見当違いな答えを放った男性が、すっ呆けたような顔で訊き返してくるので真っ向から切り捨てた。

 無いから、そんな事実何処にも無いから!!

 まぁ確かにはやては器量好し気立て良し、一般的な家事は完璧だしそれを鼻に掛けず努力を怠らない、人として尊敬出来る女の子だ。

 そりゃ俺だって好きか嫌いかと訊かれれば好きな方だけど、だがそれは友人としてであってアイツとそんな関係になったなんて事実は何処にも無い!!

 何だってそんな答えが……って

 

「リイン、さっきの説明じゃ事情を知らない人に誤解を招くだろ」

「そうなんですか?」

「そうなの」

 

 元はと言えば、リインの発言があの見当違いな答えに繋がったのだ。

 きちんと経緯を説明しないからこんな事になるんだぞ、と決して声は荒げず、言い聞かせるようにソレを伝える。

 

 同時に現状を完全に誤解していた2人に、簡単な紹介と俺自身の置かれている状況を説明した。

 第97管理外世界出身である事、はやて達とは友人関係である事、そして魔法事件に巻き込まれた末に八神家に居候している事。

 とは言え事件そのものは、渦中の俺ですら分からない事ばかりなので、伝えられる事なんて高が知れてるのだが……。

 

「なるほどね……。確かに不明瞭な点が多過ぎて、管理局が対応をあぐねてしまうのも無理は無い、か」

「管理局に携わる1人として、結果的に貴方の危機を見過ごす形になってしまった事は、本当に申し訳ありません」

「別にその事はもういいですよ。間が悪かっただけで、誰かが悪いって訳じゃないんですから」

 

 俺に促され席に着いた2人、その内の緑髪の男性――ヴェロッサ・アコースさんが、顎に手を当てながら呟く。

 その隣で本当に申し訳無さそうに、金髪の女性――カリム・グラシアさんが深々と頭を下げてきたので、取り敢えずやんわりと止めた。

 その点に関しては既にクロノさんとの話で分かっていた事だし、正直な所、他人に謝られるのはあまり好きじゃない。

 

「それに今は、はやて達が傍に居てくれてますから問題はありません」

 

 友人、八神はやてを始めとした八神家の面々による瑞代聖の護衛。

 誰か1人は必ず俺の傍に居れるよう、スケジュール面で局に取り計らってくれたクロノさんには頭が上がらない。

 それは勿論はやて達にも言える事で、胸中では申し訳無い気持ちで満たされていた。

 

 はやては局内で『特別捜査官』という肩書きの下、様々な部隊を渡り歩きながら実績を重ねていると聞く。

 同い年でありながら、俺では生涯追いつけないだろう場所に居る少女。

 そんな彼女の足を、巻き込まれたとはいえ引っ張ってしまっている現状は、決して正しいものとは言えない。

 

「本当は、自分で何とかしないといけないんですけどね……」

 

 この身に宿る、誰も守れないちっぽけな魔法の才能を恨めしく思う。

 いつまでもウジウジするのは趣味じゃないけど、流石に儘ならない状況ばかりで頭を抱えたくて仕方が無い。

 はぁ、と知らぬ間に溜息を吐いてしまう程、今の俺は心に不安を落としていた。

 何の負い目も無く誰かに頼れる性格だったら、きっと救われたんだろうなぁと思ってしまう。

 

「きっと大丈夫ですよ」

「グラシア、さん……?」

「今貴方が感じている辛さは、決して無駄なものではないと思います」

 

 胸を締め付ける自らの不甲斐無さを、不可視の自嘲(やいば)が際限無く傷付ける。

 だがそれを、女性の澄んだ一声が振り払った。

 

「その顔を見れば分かります。今の立場に甘える事を良しとせず、自分に出来る事を模索し、より良い道を見付けようとする意志が伝わってきますから」

「それは……」

 

 まるで此方の奥底を見透かすように、寸分の躊躇いも無く口にした言葉が優しく胸を突いた。

 確かに立たされた状況を少しでも改善出来るよう、強くなる為にヴィータとザフィーラに訓練を付けて貰っている。

 並行して普段の鍛錬にも魔法の要素を加える事で、今まで以上に自分を高める為の努力を課していった。

 その結果が今の自分で、とてもじゃないが努力の分に見合ったものとは呼べないかもしれない。

 

 けれど、手にしたものは小さくとも、前へ進もうとする意志は確固たるものとしてこの胸に在る。

 今はまだ花開かなくとも、この道を歩き続ければきっと大切なものが掴めると信じて……。

 

「その想いを忘れなければ道は開かれます。いつの世も、何かを為す者はそのような真っ直ぐな人ですから」

 

 目の前の女性が発する言葉の一つ一つが、今の俺を肯定してくれている。

 一言一句が胸に優しく沁み込んで、心に淀む不安を拭い去っていく。

 それは、今まで何度も俺に教えを説き、導いてくれた師父やシスターのようで……

 金糸のような髪をそよと揺らす姿は、至上の清廉さに満ちていた。

 

 

「それに僕としても、君には色々と頑張って貰いたいからね」

「アコースさん?」

「はやての事さ」

 

 今度は、今まで沈黙していた男性が俺を見据えながら口を開いた。

 しかし急にはやての事と言われても、アイツに対して頑張って何とか出来るものがあるのだろうか?

 

「君だって一緒に暮していれば分かるだろう? 彼女の頑張りがどれ程のものか」

「それはまぁ、確かに……」

 

 はやては魔法関係は勿論、普段の私生活でも多くの物事をこなしている。

 炊事・掃除・洗濯等々、家事と呼べるものに関して殆んどが彼女主導によるものだ。

 いや、それはヴォルケンリッターの皆が何もやらないという訳じゃない。

 はやての手伝いは率先して行っているし、それは最近になって生活を共にしている俺も同様だ。

 

「そう、はやてはとても頑張っている。頑張り過ぎる位にね」

 

 それでも、誰よりも多くの事をはやては自ら行っている。

 正直やり過ぎじゃないかと思ってしまうが、本人は何の苦も無くこなしてしまうものだから何も言えない。

 代われるものなら代わるべき、だが彼女が優秀過ぎるが故に逆に足を引っ張って、後々に余計な苦労を掛けてしまう。

 結局、適材適所という判断に落ち着いてしまうのだ。

 

「でも、だからといって俺にアイツより上手く出来るものなんて……」

「それは少し違うんじゃないかな」

「え……」

 

 当たり前のように否定するその声に目を見開く。

 そこには何か含んだような笑みを浮かべた、1人の男性が居た。

 

「確かに彼女は大抵の事なら何でも出来る人間だ。でも同時に、何でも抱えてしまう人間でもある」

 

 不意に、その笑みに陰りが生まれた。

 どうにかしたくても出来ない、もどかしさを感じさせる表情。

 それは隣のグラシアさんも一緒だった。

 

「辛い事も苦しい事も、内側で抱え込んだまま今に至っている」

「正直私には、はやてが生き急いでいるように見えてならないんです」

 

 2人共が、八神はやてという1人の少女を心配している。

 年齢的にはまだ子供で、けれど特別捜査官という重責を担う少女の心の行く末を……。

 

 だからこそ、俺には分からなかった。

 彼女の内面を知る事の無かった俺に、この人達が何を期待しているのかを。

 

「僕等にとってはやては妹みたいなものだけど、常に傍に居れる訳じゃない。だからこそ聖、君に頼むんだ」

「あの子の肩の荷が少しでも軽くなるよう、傍で支えてあげて欲しいんです」

「俺が、はやてを……」

 

 彼女が、その小さな体で抱える大きな重みを、少しでも和らげられるように……。

 大した力を持たない人間に、そんな大仕事を任せようとしている。

 俺よりもはやてとの親交の深いこの2人が、彼女にとって唯の保護対象でしかないこんな子供に。

 そんな2人に彼女を任されたという事実はとても誇らしく思える……けれど、どうしても素直に頷く事が出来ない。

 

「……」

 

 だって俺はアイツの、八神はやての凄さを知ってしまっているから。

 俺なんかの支えが無くとも前へ進める強い人間だと、理解して納得してしまっているからだ。

 目の前の2人は、そんな事言うまでもなく分かっている筈で、それでも俺を信じてくれている。

 だからその想いを無駄にしたくない、なら無力な俺に出来る事は一体何だ?

 今の俺に見付けられる(こたえ)とは、一体何なのか……。

 

「フッ……。義姉さんの言葉、早速実現してるようだ」

「えぇ、そうね。この真面目さを、何処かの誰かにも分けて欲しい位にね」

「はてさて、一体誰の事やら……」

 

 何やら2人が軽口を言い合ってるが、思考に没頭する俺にはその意味は理解出来ない。

 まぁ、口を挟む必要も無いだろうから構わないか。

 それにしても今の俺が出来る事、アイツに向けられる想いが何なのか、今はまだ明確な形を持てないでいる。

 こういう時に物事を器用にこなせない自分に、焦りを感じてしまう。

 

「まぁ、今はまだ始まったばかりだ。はやてとの生活の中で、少しずつそれを見付け――――」

 

「――――カリム!! ロッサ!!」

「と、どうやら当人の帰還のようだ」

 

 アコースさんの言葉を遮って、聴き慣れた少女のそれが耳に届いた。

 そちらに振り向くと、すっかり見慣れた姿が小走りで俺達のテーブルに近付いてくる。

 その瞳には、ほんの少しだが驚きのようなものが見て取れた。

 

「はやてちゃん、お帰りなさいですー」

「ただいまやー。リインも聖も待たせてごめんなー」

「大切な用事だったんだろ、気にするなって」

 

 別れてからそれなりの時間が経った為だろうか、その顔には少し気まずそうなそれが見える。

 俺とリインがその程度で憤慨する訳はないと分かっているだろうに、律義と言うか何と言うか……。

 そんな彼女に、グラシアさんは丁寧に、アコースさんは気軽に挨拶を交わしていた。

 自然体で接するはやての姿は、2年来の付き合いという事実を裏付けるには充分なものだ。

 

「それにしても、2人揃って本局に居るなんて珍しいなー」

「ちょっとした用事があったの。それだけよ」

「そして僕は、その付き添いって訳さ」

 

 少し前にリインが口にしたような言葉を並べるはやてに、律義に答える2人。

 

「しかし、元気そうで安心したよ」

「色々あると思うけど、あまり無茶をしては駄目よ」

「分かっとるよ。ほんまカリムは心配性やねー」

 

 3人の遣り取りを、俺は少し離れた視点で見ていた。

 飽く迄マイペースを崩さないアコースさん、はやてを心配するグラシアさん、そして何でもないように2人に笑顔を向けるはやて。

 三者三様ではあるが、これもある意味では1つの絆の形なのだろう。

 

「そういえば、シスターシャッハはおらんの?」

「彼女は別件の方に出てるの」

「僕が此処に居るのはそういう意味さ。本当は断りたかったんだけどねぇ」

「ロッサは相変わらずやなー」

 

 俺の知らない、八神はやての一面がそこにあった。

 正直言って俺なんかよりずっと親しげな様子で、先程2人から託された言葉の意味に迷ってしまう。

 ……俺、本当に必要なんだろうか?

 その疑問が、1度は浮き上がった筈の思考を再び深い底へと誘っていく。

 

「…………」

 

 だが、色々と考えたとしても、そもそも俺ははやてを知らな過ぎるんじゃないだろうか?

 

「―――り?」

「…………」

 

 俺が知ってる八神はやては、出会ってからのアイツだけだから、それ以前の事は全く知らないと言っていい。

 もしそこに、俺に出来る事があるとしたら?

 

「―――じり?」

「…………」

 

 仮にそうだとして、本人にそれを訊けるかと問われればそれは無理だし、勘付かれてしまったら本末転倒だ。

 はやては優しいから、きっと俺の気遣いに対して負い目や申し訳無さを感じてしまうだろうし。

 八方塞というか、本当に俺の周りは儘ならない事が多いな……。

 

「聖っ!!」

「うおっ!?」

 

 突如、耳元で大音量が炸裂した。

 完全な不意打ちと化したそれによって意識は引き上げられ、反射的に顔を上げれば、そこには此方を心配げに見詰めるはやてが居た。

 

「ずっと黙ったまんまやけど、具合でも悪いん?」

「いや、そんな事は無いぞ」

「そんならえぇけど……」

 

 いけない、考えに没頭し過ぎて周りを見てなかったようだ。

 しかもはやてに余計な心配までさせてしまったみたいだし、これは注意しておかないとな。

 

「それじゃはやて、私達はもう行くわね」

「分かった。久し振りに話せて楽しかったよー」

「それは私も同じよ」

 

 微笑みながらはやてを見詰めるグラシアさんは、それだけの簡単な別れの挨拶を交わす。

 そして俺の方に数瞬だけ視線を向けると、お辞儀と共に踵を返した。

 

「今回の任務は色々難しいだろうけど、無理しない程度に頑張ってくれ」

「分かっとるから、そんな心配せんでえぇよ」

「それと聖、君が道を見付けられるのを祈っているよ」

「……はい」

 

 それじゃ、と手を上げて気障っぽく去っていくアコースさん。

 俺よりも大きな白いスーツの背中、最後に掛けられた声援にも似たその言葉を胸に刻み付ける。

 自分の中にある決意を、より強固なものとする為に……。

 

「聖、ロッサとどんな話しとったん?」

「ん? まぁ、ちょっとな」

 

 2人が去っていった後、隣で好奇心に満ちた目を向けるはやての問い掛けに、誤魔化すように答えを濁す。

 何せこの少女こそ、その話の中心人物なのだから。

 

「何で隠すん? ちょう怪しいなー」

「大した事じゃねぇって。なぁ、リイン?」

「そ、そうですねー」

 

 笑みながら追及してくる彼女の言葉をかわしながら、俺達もまた、この場を後にする。

 少しばかり長くなった本局滞在だったが、今回の用事はこれにて完了だ。

 先程からちょくちょくと幾つかの視線を感じるが、既に解放された気分の俺には意味を成さない。

 やっぱり慣れない場所だと気持ちまで窮屈になるからなぁ。

 

「聖、この後は暇やったっけ?」

「あぁ、特に用事は無いけど」

 

 

 

「それじゃ、買い物に付き合って貰ってえぇか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 管理局から地球へ戻って八神家へ帰宅する道すがら、はやて御用達のスーパーに寄っていた。

 どうやら今日の夕飯の準備と足りなくなったものの補充だそうで、カートに乗せた籠を押している俺の先で、はやては材料の吟味をしている最中。

 ジャガイモ、玉葱、茄子にトマトとアスパラ。

 精肉コーナーでは豚肉を品定めしているはやて、これはつまり……

 

「カレーか」

 

 それもこの時期特有の、所謂『夏野菜カレー』というヤツだ。

 

「正解や、よく分かったなー」

「これだけ夏野菜が揃って、更に豚肉と来れば答えなんて決まってるだろ?」

「それやと、豚肉と夏野菜炒めもあるんやけどねー」

「……そうか、それは盲点だった」

 

 確か夏野菜はカレーだけじゃなくて、炒め物も幾つか種類があった筈だ。

 味噌炒めだったり黒酢だったり、めんつゆって組み合わせも本で見た事があったな。

 やはり本だけの知識ではなく、実際に何年も作っているはやての方が見識は広いようだ。

 流石、八神家の台所の主である。

 そんな他愛無い会話を繰り広げながら、俺達は店内で様々な食材を籠に入れていく。

 

「あら、はやてちゃんじゃない」

 

 加工肉食品のコーナー、そこを通り過ぎる俺達に声が掛けられる。

 ホットプレートの横に立つ、恰幅の良い女性店員が此方を見ていた。

 先程向けられた声からして、はやての知り合いだろうか?

 

「おばちゃん、こんにちはー」

「えぇこんにちは、今日も可愛いわねぇ」

「おばちゃんも充分べっぴんさんやないですかー」

「あらあら、本当にお上手ね」

 

 昼手前の空いている時間だからだろうか、はやてとの会話に花を咲かせている女性店員。

 近所の主婦の井戸端みたいな光景にも見えなくもない辺り、はやての人付き合いの良さや家庭的な一面がよく表れている。

 そういえば、シャマルさんもよく近所の人達と話してる所を見るなぁ。

 なんて日常的な事を思い出してると、はやてと話している店員さんの視線が俺に移った。

 此方に向ける妙にニヤついた顔に、頭の片隅から嫌な予感が過ぎる。

 

「それで、そこの子はもしかして……はやてちゃんの彼氏?」

「へっ?」

「ぶっ!?」

 

 その予感の意味に気付く前に、店員さんが躊躇い無く言葉(ばくだん)を放り込んできた。

 あまりに突然の事にはやては間抜けな声を漏らし、俺は今日2度目であるにも関わらず、脊髄反射で噴き出していた。

 何故だ、何故コイツと居るだけでそんな方向に話が向かっていくんだ……!!

 

「ちゃうよおばちゃん。聖はそういうのやなくて」

「単なる居候です!!」

「あらそうなの? でも……」

 

 まだ言葉を続けようとする様子に、嫌な予感が継続される。

 

「もう必要な分は揃っただろ? 早く行くぞ」

「え、ちょ……聖っ?」

 

 これ以上の会話続行はドツボに嵌まると判断し、俺は素早くはやての手とカートを引いてレジへ向かった。

 俺に引かれるがまま、はやては「おばちゃん、またなー」と手を振っている。

 余裕が見て取れるその様子が小憎らしい、コノヤロウ。

 

「聖、お米も少なくなっとったから、忘れたらあかんよ」

「あーはいはい、分かったっての」

 

 何処までもはんなりと、マイペースな彼女との買い物は続く。

 その後、会計の時もレジの店員さんから似たようなくだりのやり取りが行われ、精神的にゲンナリしたのは言うまでもない。

 

 

 

「なぁ、やっぱり私も少し持った方が……」

「気にするなって言ってるだろ。この程度なら昔から慣れてる」

「せやけど……」

 

 夏の日差しが降り注ぐ商店街を、俺達は隣り合って歩く。

 俺の手には先程買った食材諸々を詰め込んだ大袋が提げられ、空いているもう片方で米袋を抱え込んでいる。

 その姿に少なからず申し訳無さを感じているのか、先程から何度か買い物袋の交換を申し出ていた。

 確かに隣の少女の持つ袋は1つ、しかも内容量も半分しかないともなると、優しいコイツはそう感じてしまうのだろう。

 いや、本当に俺の方は問題無いんだけどな。

 彼女に伝えたように、昔から家の手伝いをしてきた俺にとって、この程度の荷物(おもさ)などあって無いようなものだ。

 

「あまり気にするな、使えるものはどーんと使っとけ」

「……ほんなら、聖の好意に甘えとこか」

「そうそう、一々難しく考えるなって」

 

 相手を想うあまり、ほんの些細な事でさえ気に病んでしまう。

 それはきっと途方も無い優しさを持つが故の弊害で、あの2人が言っていた抱え込んでしまう原因の一つなんだろう。

 自分の中でまだそれに対する明確な答えは出ていないけど、だからこそまずは、こうして身近な所から始めてみよう。

 

「――――家族、なんだから、さ」

「聖……」

 

 俺達の間にあるその繋がりを以ってして、たとえどれだけ小さくとも、はやての支えになれるように……。

 今まで誤魔化し続けてきた関係(きずな)を、自分の言葉で確かなものに変えた。

 …………本当は、滅茶苦茶恥ずかしいけど、でもきちんと伝えなければいけないと思ったから。

 

「そやったな、私等は家族や。それがいつまで続くかは分からんけど、今は立派な八神家の一員や」

「……おぅ」

「ありがとな、聖」

 

 噛み締めるように呟くはやては、夏の太陽に負けない程の眩しい笑顔を浮かべた。

 とても綺麗で、どんな不安も吹き飛ばす、優しさと明るさに満ちた純粋な少女の喜び。

 

「……っ!?」

 

 それを真正面から、しかも間近で向けられて、思わず心臓が大きく拍動した。

 全身の血液が沸騰しそうな程、特に顔面は爆発するのではと感じてしまうレベルで熱を帯びている。

 ――あぁヤバい、何だってそんな風に笑い掛けるんだよお前は!!

 ――素で美少女のクセして、どう考えても反則だろうがコノヤロウ!!

 頭の中は熱暴走で、訳の分からない衝動が埋め尽くしていく。

 鎮まれ鎮まれと、声にならない呪詛を送り込んで何とか平静を保つ努力をするが、それでも完璧とは言えない。

 

「どうかしたん?」

「…………何でもねぇよ」

 

 結果、憮然とした顔で明後日の方を向くという無様を晒していた。

 だがこれも仕方ない、今また彼女のあの笑顔を見てしまったら、きっともう何も口に出来なくなる。

 未だ心の中でじんわりと残る、優しさと穏やかさの欠片が、この季節とは別の暑さを醸し出していた。

 

「おーい、はやてー!!」

 

 商店街を抜けて住宅街へ、燦々と降り注ぐ光と、時折吹き抜ける涼風を感じながら帰路を行く。

 その途中にある中丘公園と呼ばれる場所で、彼女の姿が目に付いた。

 特徴的な赤い三つ編みと、小柄ながらも元気溢れる躍動的なそれは、とても慣れ親しんだものだ。

 

「あ、ヴィータや」

 

 彼女に気付いたはやては、呼び掛けに呼応するように手を振って応えた。

 ご老人方の中から飛び出してきたヴィータは、そのまま此方へと駆け寄ってくる。

 

「もうリインのメンテ終わったの?」

「ちゃんと終わっとるよ。ヴィータの方も、もう終わるん?」

「うん。今日の練習はもう終わりだよ」

 

 練習と聞いて、そういえばと思い出す。

 確かヴィータは近所の老人会のゲートボールチームに入ってるんだよな。

 手に持っているスティックと番号入りのゼッケンを見て、それが事実なのだと改めて認識する。

 

「ほんなら、一緒に帰ろか」

「うん、今じーちゃんばーちゃん達に挨拶してくるから、待ってて!!」

 

 はやての言葉にすかさず頷くと、そそくさと先程までの場所へと戻っていく。

 手早く荷物を片付けて、老人会の方々に元気良く手を振ってまた俺達の許へやってきた。

 その時の、ヴィータを見送る人達の穏やかで温かい瞳が、今の彼女がどのような立場でいるのかが分かった気がする。

 きっとあの人たちにとって、ヴィータは本当の孫のような存在なんだろうと……。

 

「ほら、ボーッと突っ立ってんなよ聖」

「あぁ、そうだな。さっさと帰るとするか」

 

 両手の荷物を抱え直して、いつの間にか数歩前を行っていた2人の後を追う。

 

「にしても結構な大荷物だな、それ」

「問題無い、俺は荷物持ちに関してはベテランだからな」

「偉そーに言ってっけど、微妙にかっこ悪いな」

「言い返せない自分が憎い……」

「あはは、私は率先して荷物持ってくれる男の子はかっこえぇと思うよー」

 

 そんなフォローになり切っていない言葉を聴きながら、俺達は再び帰路に就く。

 今度は1人増えて3人に……いや、正確には5人だろうか。

 はやての剣十字の中に居るリインフォース、最近は比較的静かに俺の中に住まうアポクリファ。

 たとえ姿が見えなくとも、その存在は確かなものとして此処に在るのだから。

 

「そろそろ試合があるんやったなー。調子はどや?」

「バッチリ!!」

「ゲートボールの試合か。見た事無いから、少し興味あるな」

「だったら見に来いよ。ルールもちゃんと教えるからさ」

「おぉ、それは楽しみだな」

「試合の日は家族皆で応援やね」

 

 決して姦しくもなく、静かでもなく、ゆったりと時間は流れていく。

 この一時はきっと、いつまでも続くものではないと分かっていながら……

 こんな『特別』な日々が少しでも続いて欲しいと、声無き声で、胸の内に願っていた。

 

 まぁ、自分の立場を鑑みれば、自分勝手な考えなんだけどな……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「皆きちんと宿題をやってますか?」

『あぁ、問題は無い。時間を決めて毎日やっているさ』

「ちゃんと見てあげて下さい、平太は隙あらばサボりますから」

『確かにな』

 

 夜、夕飯と魔法訓練を終えての風呂上がり。

 後はグッスリ眠るだけの時間に差し迫ってきたが、俺の一日はまだ終わっていない。

 俺の居ない間のひなた園の様子を師父を通して聴く、それがこの家に来てからの日課となっていた。

 少しは頼りになってきた弟妹達だけど、やはりまだまだ心配する気持ちは残っていて……。

 だからこうして、皆が元気で過ごせているか知りたかった。

 

『お前の方こそどうなんだ? そちらで暮らし始めて少し経ったが、生活には慣れたか?』

「つい最近、漸くといった感じです。此処の人達は皆優しいですから」

『それは良かった。粗相をしていないか心配していた所だ』

「心配しなくても大丈夫ですよ」

 

 八神家に来てからそれなりの時間が経ったけど、やはり師父の声を聴ける今の時間は大切なのだと実感する。

 どのような時も泰然と振る舞うこの人の声は、聴くだけで此方の心を落ち着かせてくれる頼もしさに溢れていた。

 いつか俺も、この人のような強さを手に入れられるだろうか……。

 

「師父、少しいいですか?」

『……あぁ、構わない』

 

 そんな事を考えていると、ふと、昼間の出来事を思い出した。

 だからそのまま、何の疑問も抱かず了承してくれた師父に向けて、言葉を紡いだ。

 

「支えたい誰かが居て、でもソイツは、俺よりずっと何でも出来る人間で……」

 

 一つずつ確かに、自分の中にある不安や想いを声に変えていく。

 未熟な自分が進もうとしているその先へ、微かな光源を頼りにしながら。

 

「そんな事は元々分かっていた事でした。でも、だから自分に出来る事が分からないんです」

『……』

 

 普段なら絶対に吐く事の無い弱音にも似たその言葉に、師父は静かに耳を傾けていた。

 

――あの子の肩の荷が少しでも軽くなるよう、傍で支えてあげて欲しいんです――

 

 グラシアさんのあの言葉に対して、俺は未だ明確な道を見出せずにいる。

 焦っても仕方の無い事だとは分かっているけど、もどかしさは時間と共に大きくなっていた。

 

「何も出来ない無力な自分が、アイツに出来る事が何なのか……それが知りたいんです」

 

 だから聴きたかった、あらゆる難題を乗り越えてきた大人であるこの人の意志を。

 たとえそれが答えにならなくとも、俺の次に繋がる大切なものだと信じて……。

 

『昔、お前に『無力である事と弱い事は違う』と言ったのを憶えているか?』

「……はい、憶えています」

 

 突然問われた言葉の意味。

 それはかつて、受話器の先に居る男性から教えられたものの一つであり、今の俺が我武者羅でも前を向き続けている大きな理由でもあった。

 

「力とは、言うなれば意味の無い『暴力』であり『兵器』。強さとは、その兵器に意味を与え、在り方を決める『意志』であると……」

『そうだ。力だけ持ち得ても、それは他者を傷付ける事しか出来ない。誰かを守りたいと願い、それを心に深く刻み付けた時、力は誰かを守れる強さになる』

 

 ――――力だけじゃ、誰も守れない。

 幼い頃よりこの胸に在り続け、今も尚、自身に言い聞かせてきた言葉。

 小さかった頃はその意味がよく分からなくて、力を拳銃に、強さを人間に、それぞれ当てはめて教えて貰った覚えがある。

 いつだったか、俺に鍛えて欲しいとせがんできた平太にも伝えた言葉だ。

 

 ならばその反対である『力を持たない強さ』は、どれ程の意味を持つのか。

 無力なままで何かを守ろうとする想いは、どれ程の困難の先に遂げられるものなのか。

 ……それはつまり、今の俺が見付けようとしている道そのものを示していた。

 

『無力である以上、限界は存在する。それは仕方の無い事だ…………だが、お前はそれで納得出来るか?』

「いいえ。全く、これっぽっちも出来ません」

 

 たとえこの身が無能で、何も出来なかったとしても……

 きっと、何もかもを諦めてしまう言い訳にはならない。

 たとえ無力なままでも、這いつくばるような無様を晒しても……

 前を向き続けていれば、きっと見えるものが、見付けられるものがある筈だと信じている。

 誓いを立てた幼かった日から、今日に至る今まで、俺はその想いを糧に前に進もうとしてきた。

 だから師父への返答に、一切の迷いも逡巡も存在しない。

 

『答えは見付からなくとも決意は在る。今までのお前と何ら変わっていないじゃないか』

「……確かに」

『だったら無理に変わろうとせず、お前のまま進んでいけばいい。たとえ、その途中で間違ってしまっても……』

「その間違いを認めて、進んできた道を糧に、その上でやり直していけばいい」

『あぁ、そこまで分かっているなら充分だ』

 

 それは決定的な答えでも、道を指し示す為の助言でもなかった。

 唯、俺の中の焦りを感じ取った師父が、飽く迄『俺のまま』で進む事を良しとしてくれただけだ。

 だったらこうして悩んでいる必要は無い。

 そもそも色々と考えを捏ね繰り回した所で、俺は俺にしかなれない以上、出来る事なんて最初から決まっていた。

 そんな簡単な事でさえ、先程までの俺には見えていなかったのだ。

 

「すみません、考え過ぎてたみたいです」

『いや、これはお前達の問題だ。考えを突き詰め、正解へ至ろうとする行為に間違いは無い』

「兎に角、まずは自分らしく前を向いていこうと思います。その先に、何か見付けられると信じて……」

 

 こうして結論に至り、霞がかっていた脳内が晴れていく感覚が広がる。

 未だ不安が無いとは言えないが、それに気を取られて視界を曇らせてしまえば本末転倒だ。 

 俺は俺だ、この身で出来る事を模索していこう。

 

『それでいいさ。案外、切っ掛けはすぐにやってくるかもしれないからな』

「だと良いですけどね」

 

 師父の冗談染みた言葉に、お互いに軽く笑い合う。

 人生は小説よりも奇なりとは言うが、世の中そう簡単に事は運ばないのが常である。

 しかしこの人が言うと、妙に現実味を帯びてくるから不思議な気分だ。

 これが『言霊』というヤツだろうか?

 

「遅くまで相談を受けて下さってありがとうございます」

『気にするな。お前の道が見付かる事を祈っているぞ』

「はい。師父、お休みなさい」

『あぁ、お休み』

 

 ふとテーブルの置時計に目を向けると、時間は夜11時に迫る所まで来ていた。

 流石にこれ以上はお互いに差し支えるという事で、今日の会話はこれにてお開き。

 最後にきちんと挨拶を交わし、携帯の通信を切った。

 

「…………」

 

 師父と話して分かった事、そして見付けた事は無いと言っていい。

 けれど、問題の大きさにばかり目を向けていた俺の目を、少し離れた場所にまで連れて来てくれた。

 きっと今日一日で色々あり過ぎて、知らぬ間に頭の中が混乱していたんだろう。

 こういう時は、ゆっくり休んで気分を一新するのが一番だ。

 そう結論付けて俺は、敷布団へと身を放り出した。

 

(アポクリファ、お休み)

《Yes, good night.Let's do our best tomorrow also.(えぇ、お休みなさい。明日も頑張りましょう)》

(あぁ、そうだな)

 

 内に宿る相棒との会話を期に、徐々に微睡に堕ちていく精神。

 体力も魔力も枯渇ギリギリ、しかし不快にならない疲労が全身を心地良く襲う。

 それに抗わず、身を委ねて……

 

 今日もまた、この八神家(いえ)での一日を終えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




奈々さんの『SUPERNAL LIBERTY』でお気に入り曲は『Million Ways=One Destination』です。
僕の乏しいセンスで直訳をすると『無限の可能性は一つの結末に至る』的な……?
幾つもの分岐を経て結末へ向かうこの作品に、割とあってる感じでとても好きです。

どうも、おはこんばんちはです( ・ω・)ノシ
はやて編№Ⅱをお読み下さり、ありがとうございました。

またも完成に時間を掛けてしまいました、まずはその事について申し訳ありませんでしたm(_ _)m
そして出来上がったのは……本文2万8千文字オーバー、文字数がカウントされない前書き部分も千文字超えなので、合計で3万文字弱にまでなっていました。
コレは酷い……(;´Д`)
読んで下さる方々が途中で飽きてしまわないかが非常に心配です。
だったら不要なシーンを削れ、と言われるかもしれませんが、残念ながら作者的に要らないシーンとか無いんですよ今回は。
殆んどの作者さんが『リリカルなのは』を題材にすると、もう魔法戦バンバンがメインになると思いますが、この作品は寧ろキャラとの心の交流がメインです。
特に今回ははやて編という事ですが、はやてだけでなく騎士達を含めた『八神家』という他のヒロイン編とは一線を画す状況となっています。
多少、話が分散してしまうのは此方の至らなさですm(_ _)m
でもリインと遊んでいるシーンは凄く楽しい(゚∀゚)!

余談ですが、聖の魔力制御による魔法全般の威力低下について。
(個人的に)分かり易い例だと、ナルトの螺旋丸の修行の第三段階ですかね。
魔力を『留める』事が出来なかったが為に、周囲にその魔力が分散してしまい、本来のスペックを出し切れなかったといった感じで補完して下さい。

そして今回の新キャラである、教会騎士カリム・グラシアと管理局査察官ヴェロッサ・アコースの2人。
活動報告の方で書いた『StSキャラを2人出す』といったのは彼等の事でした。
設定上、はやてとの出会いはこの作品の時間軸では2年前に為されているので、此処での登場は問題無いと判断した次第です。
実はシャッハも出して「ヌエラさんですね」→「シスターシャッハで宜しいですよ」→「俺がシスターと呼ぶのは全次元世界に於いて1人だけです!」→「ならば私の力で、貴方にシスターと呼んで貰います!」という武闘派的ストーリーを挟もうと思って止めました。
それとカリムが管理局の制服を着てなかったのは、彼女の立場が明確ではなかったので、その点を敢えて取っ払っただけです(流石にまだ理事官じゃないですよねー
ちなみにリイン局の採用試験の話ですが、実際にこの年の秋がそのタイミングなので話のネタとして振っておきました(同タイミングで、はやての上級キャリア合格がありますね
そして次回も、StSのキャラを1人出す予定だったりします。


今回はこれにて以上となります。
感想や意見、タグ関連やその他諸々は遠慮無くドシドシ書き込んで下さい。
皆さんからのお声が原動力なので、是非、是非、是非宜しくお願いします!!( ;Д;)
では、失礼します( ・ω・)ノシ

「力だけじゃ、誰も守れない」という台詞、実は№ⅩⅠで既に前振りはあったんですよね。
前回のシグナムの名前のくだりといい、忘れた頃に前振りを回収してますよね、この作品。




















Xenogloss...?
※はやて編後の重大なネタバレを含みますので、見たくない方はブラウザバック推奨です









 本局に存在する超巨大データベース、無限書庫。
 そこにある、一部の者に与えられる司書室の中で、僕はとある1冊の本の解読を行っていた。
 書かれている内容は全て誰かの手書きで、本というよりも手記に近いかもしれない。
 しかし、その文字体系は僕等のものとはまるで違っていた。

「やっぱり、この文字は……」

 でも何処かで見覚えのあった僕は、スクライアの一族に連絡を送り、ある解析資料の提供を頼んだ。
 未だ全容の見えていない対象ではあるけれど、もしかしたらという可能性に頼った結果、彼等は確かに持っていたのだ。

「――――アルハザード」

 既に遺失した古代世界。
 卓越した技術と魔法文化を持ち、そこに辿り着けばあらゆる願いが叶うと言われた伝説の理想郷。
 この本は、そのアルハザードに関連すると思われる遺跡等で散見された文字の形や配列が非常に似通った……いや、ほぼその通りと言っていいもので記されたものだった。
 でも改めて解読を始めてみると、その内容は酷いものだ。
 まるで幼児が書き殴ったような、意味も何も無い文字の羅列で、真面目に読もうとするだけで眩暈を起こしてしまいそうになる。
 しかし、その中である一部分だけが目に付いた。

「これは……『ゼノグラシア』?」

 その単語を呟いた途端、それまで滅茶苦茶だった文字配列が霧のように消え去り、新たな文字が浮かび上がる。
 それは、僕達が慣れ親しんだミッドチルダの公用語だった。
 つまりこれはフェイク、内容を秘匿する為に偽装した文字列を被せたのだ。
 恐らく先程呟いた単語が解除キーとなっていたんだろう。
 しかしこれで解読の問題は解決した、僕は改めてその手記を読み進めた。

「アルハザード人は我々の想像を超える秘術を数多く持ち得ているが、中でも『異能(ブレイン)』という力を持った『異能者(ブレイナー)』と呼ばれる者達は一線を画していたようだ」

 そこには、アルハザード人の中に居る特殊体質者『ブレイナー』について書き記されていた。
 曰く、それは遺伝子の最奥に刻まれた極少数だけが持ち得るものだと。
 更に『ブレイン』は幾つもの種類に分けられ、『ゼノグラシア』もその一つだという事。

「ゼノグラシアとは『異文体現者』。系統樹の異なる存在を本能的に理解する意識(チャンネル)を持つ、人間の枠を超えた相互理解のバケモノだ」

 しかもそのゼノグラシアにも、更なる系統別の細分化が為されているらしい。
 強靭な肉体と魂を持つ竜種を理解する『共鳴牙(ドラゴニア)』、多種多様な形態を持つ昆虫を理解する『共鳴触(インセクティア)』、そして人が造りし道具を理解する『共鳴器(ハーモニクサー)』等々。
 およそ僕達の常識の遥か上を行く力を、選ばれたアルハザード人は手にしていた。
 手記は続く。

「更にその理解する力は、時として対象の力を最大限以上に引き出す事も出来る。それは恐らく、相互理解の果てにある『共鳴効果』が生み出す奇跡なのだろう」

 人と人でないものの共鳴、それが何を意味するのかは分からない。
 けれど分かる事もある。

 クロノが『ゼノグラス』という言葉を僕に伝えたタイミング
 この本の所在を突き止めた存在
 それは確かに、ある人物を指していた。

「君は、一体……」

 今まで魔法に関わる事も、不自由も無く地球で過ごしていた筈の少年。
 危険の只中に居て尚、決して逃げない意志を貫こうとしている彼は……

 瑞代聖、君は一体何者なんだ?








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