やはり俺の恋慕はまちがっている。 作:真園(しんえん)
戸塚との歓談を楽しんでいる内にも6限のゴングが鳴り、放課後が始まった。普通ならば放課後のホームルームがあるのだが既に担任が不在のため、自動的に流れ解散となりクラスメイトは蜘蛛の子のようにパラパラと教室から散開していく。
「八幡、行こ」
「おう、そだな」
戸塚の言葉に頷き、中身がスカスカで軽いスクールバッグを肩に背負う。
未だに夏の足音すら感じることは出来ないぬるま湯のような気温。6月上旬、何時もより幾ばくか早い梅雨入りに地球温暖化の影響ですかねと朝七時のニュースキャスターは真剣な表情で話していた。異常気象が起きる度に地球温暖化が騒がれるのは分かるが、たかが梅雨入りの時期が少し早かったり遅かったりするだけで温暖化が槍玉に上がるのは二酸化炭素君だって溜まったもんじゃないだろう。365日で地球が一周回ると決めたのはグレゴリオ13世で、要するに人間が真っ白な場所にそのような基準点を据え付けただけだ。人工的な基軸なのだから自然の誤差など考慮されるはずもなく、ド文系人間代表の俺的には何でもかんでも平均を外れたら温暖化温暖化とどよめくのはやはり何処かズレていると思わざるを得ない。
6月の廊下は放課後に宴もたけなわと浮かれてガヤガヤとあちこちで喋り始める学生諸君とは裏腹に、湿っぽく陰鬱な空気が流れていた。と言うのも今日の天気は日中雨、更に数時間後には小夜嵐らしい。天蓋を見ればどんよりと、黒寄りの灰色な分厚い雲が太陽の日差しをものの見事にシャットアウトしていた。そのせいで校舎内は電灯が点いているのにも関わらず気持ち薄暗い。
耳を打つ高校生の喧騒感をBGMに歩いてると、それまで無言だった戸塚は口を開いた。
「そういえば八幡ってこういうイベントの裏方に参加したことあるの?」
「俄然無いな。そもそも一般参加も自主的にしたこともない」
「うわ〜なんか想像つく」
思い出すのは中学一年の文化祭。
俺の中学は文化祭でクラス毎に合唱をやるのだが、そういうのには必ず一人は張り切りすぎて空回りしているリーダー格の女子がいる。男子!もっと声出して!とか言ってくる奴。真面目に歌ってたとは言えクラスで浮いていた俺は当然そんな意識他界系の女子のターゲットにされ、その期間中俺の名前は"比企谷八幡"から"そこの男子"というPCのフリゲーに出てくるモブキャラみたいな名前で呼ばれ続けることに相成った。真面目な人間が馬鹿を見る、それを地で行く体験で、それからは中学のイベントは大体適当にぬるりと過ごしてきた訳である。
「……じゃあ、僕と回る?勿論雪ノ下さんと回れるならそれで良いけど」
「あ、ああ。でも良いのか俺で」
「八幡は僕とじゃ、イヤ?」
「んな訳ないだろ俺と回るからには全クラス効率的に行くプラン立てるから楽しもうな」
「ごめん、それは気持ち悪いから止めて」
……はっ。
戸塚の上目遣いにやられて思わず隠れた欲求が表に出てしまった。本当に男なの?戸塚君じゃなくて戸塚ちゃんじゃないの?
本当は女の子だよね?とか聞いたら今度こそ絶交されそうなので、ミーティングが行われる教室に着いた俺は誤魔化すことにした。
「と、とにかくここだよな」
「確か、うん」
一度も来たことのない教室だ。ドアに付いたガラス窓からは既に何人かの生徒が来ているのが見て取れた。
スライドドアをガラガラと開けて中に入ると一気に中にいた人々からの視線が突き刺さる。しかしそれは一瞬の事で、直ぐに各々スマートフォンやら読書やらに戻って行った。
「……凄い静かだね」
戸塚の指摘にコクリと頷いて答える。
きっと、ここにいる大部分がやりたくて来た訳ではないんだろう。謂わば貧乏くじの集会所で、だからこそ誰も彼もが示し合わしたかのように口を閉ざしてオーケストラの演奏が始まる前みたいな静寂が形成されているのだ。
用意された椅子に座り、辺りを見渡してみる。
教師の姿はあるが、時間まで余裕があるからか後ろの方に座って全体の様子を見ていた。他の委員は殆ど全員が思い思いに自由に過ごしており、俺と戸塚を除けば話し声はもう一組くらいしか聞こえてこない。
「雪ノ下さん、いなそうだね」
「ああ。まだ時間もあるしな」
小声で話す。
雪ノ下陽乃───雪ノ下雪乃の姉は、現時点でこの場には姿を見せていない。いれば圧倒的な存在感で部屋に入った瞬間に気づいた事だろう。そもそも生徒会長という役職上この会議に出る必要があるかどうかは疑問だが、しかし俺も戸塚も出てくると踏んでいる。
期待薄に雪ノ下雪乃も探してみる……が、そちらも居ないようだ。参加しないと考えて良いだろう。
何故か電源の入っている冷房に反射的にブレザーのボタンを閉めつつも展開が進むのを待つ。気分は犯人の往来を待つ張り込み刑事で、後はあんぱんとパック牛乳さえあれば完璧だった。
「聞いてなかったけど、戸塚って何の係に応募する気なんだ?」
ふと気になった俺は軽い気持ちで問いかける。
戸塚は顎に手を当てて、如何にも考えているといった素振りをしながら口角を上げた。
「そうだなあ……経理とかかな?あとは力仕事でも良いかも、テニスやってるから体力あるし」
「や、戸塚は経理をするべきだと思う。うん、戸塚は数学できるしな、経理が天職だろ」
「何その謎の経理推し……別に良いけどさ」
いやな?
幾ら男とはいえ、容姿は完全にJKよりJKしちゃってる戸塚に肉体労働させる訳には行かないでしょ。何なら戸塚に肉体労働はNGと日本国憲法に記載するまである。レッツ改憲運動。
「八幡は何やるの?」
「俺か?そうだな………」
悩んでみるが中々思いつかない。
俺が学校でやってきた役職なんて外野とか蚊帳の外とかそういうのばっかだったからな。
「……掃除係だな」
「放課後に班でやってるじゃん」
そう言って戸塚は溜息をついた。
「僕は八幡なら案外副委員長とかでも合うと思うんだけどなぁ。ほら、大人数に向かって話すのは無理でも計画練るの得意じゃん?参謀とか向いてるんじゃない?」
「前者はその通りだが後者は過大評価だからなそれ」
「え〜。絶対黒幕とか似合うのに。残念」
それ、本当に俺を褒めるつもりで言ってんの?俺のCV櫻井孝宏じゃないんだけど。
「言っとくけどな、俺なんかが黒幕を演じようとしてもただのピエロになるだけだぞ?映画とかで無駄にヘイトだけ集めて親玉に切り捨てられる小悪党が関の山だから」
「へ〜。私はそういうのも好きだけどな〜」
それは戸塚の声にしては凛としていて、それでいて掴み所のないほど柔和だった。
俺はこの声を一度、聞いた事がある。
予想外の事に表情が固くなりつつも、仄かに薫る甘い香水の匂いに釣られて俺は後ろへと首を動かした。
そこには、入学式の時と一寸も変わらない笑みを浮かべた雪ノ下陽乃がニヤリとして立っていた。
「生徒会長……」
「そこは雪ノ下先輩って言って欲しいかな」
生徒会長は完全で完璧な笑みを浮かべながら言う。
入学式に見た雪ノ下陽乃より柔らかい雰囲気があるのは制服を着崩しているからだろう。リボンはルーズに緩め、Yシャツは第2ボタンを開け放ち、ピンク色のカーディガンを腰に巻いている。
その服装は確かにピシリとブレザーを着こなしていたあの時より明るい印象に見えた。
しかし、それが俺には違和感にしか見えない。第一印象が4月の正装だからとかではなく、果たして雪ノ下陽乃はこんな人間だったのだろうかと。
客観的に見れば中身と外見の整合性が取れず、だがそれが歪とも称せない。未知の人種だった。
「それでキミ、自分が小悪党だって?」
「……ええ。正義の味方なんて何処まで行っても独りよがりな偽善だし、かと言って悪の親玉になるほどの強い信念は俺にないんで」
「そうかなあ?私はヒール役も似合うと思うよキミは。名前、なんていうの」
「一年の比企谷八幡です」
「そう、一年生ね。まあ同じ実行委員ってことでヨロシクね」
そう言うと雪ノ下先輩はゆっくりと教師の方へと歩いて行った。
───あれが、雪ノ下陽乃。
遠くから眺めた時とは違う、明確に1と0で表すことのできないその全貌は警戒心すら覚える。透明なビー玉を百個並べて覗いたような瞳には俺がどう映ったのか、一切の予想も付かない。
考え込んでいると、戸塚が俺の方を叩く。
「やったね。八幡、生徒会長に名前覚えられたんじゃない?」
「………そうだな」
まるで自分の事みたいに嬉しげに言う戸塚に、思い出す。
雪ノ下陽乃と接触し、名前を覚えられる。その第一段階は幸運にも何の障害もなく突破出来たのだ。それを手放しで喜べるかはさておき、やっと目的へ一歩前進出来た実感はある。
「それにしても生徒会長、意外とラフな格好だったよね。もっと固いのかと思ってたよ」
「ああ。ギャルかってくらい着崩してたな」
雪ノ下先輩の格好は戸塚にも印象的だったようで、先程より声を大きくして言った。
そんな事を話している内にパラパラと教室に入ってきていた実行委員は途絶え、見渡せば席はほぼ埋まっていた。
やっと始まるのか、少し遅かったな。
雪ノ下先輩と話していた教師は何故か頭を抱えながらも前へと出た。
「……えー、全員集まったな。これより初回の文化祭実行委員会を始める」
教室の中を改めて確認するように一瞥すると、教師は重い口を開いた。
「まず自己紹介しよう。私は現代文と生活指導担当、平塚静だ。この文化祭実行委員会のケツ持ちをやらさ……やることになった。今回は初回ということもあって私が司会をしているが、次回以降は司会進行含めてほぼ全てを諸君に任せようと思っている。具体的には実行委員長と副委員長が執り行う形になるだろうな」
思わず戸塚と視線が合う。
いや、教師がケツ持ちとか言うのどうかと思うんだけど。完全に趣味出てるじゃん、極道物のドラマとか好きでしょゴクセンとか。しかもやらされるって言いかけちゃってるし。
自らの失言に気付かなかったのか、平塚先生は文化祭の意図やら方針やらを説明し始めた。
それ自体に欠片も興味もない俺は隣で戸塚可愛らしくウンウンと頷いてる動きをトレースしてあたかも聞いているような雰囲気を演出をしつつ、平塚先生のその容姿を観察する。
現代文教師なのに、白衣。微かに皺が寄っていることからして洗わずに2日目か3日目と言ったところだろう、特段潔癖症では無いことは伺える。
白衣のポッケはモコリと膨らんでおり、何かが入っているのが見えた。手の平に収まるサイズで、長方形。文房具と言うには若干大き過ぎるがペンケースと言うには小さ過ぎる。
加えて香水がちょっと強い。それに詳しくはないが、フローラルな匂いと言うには少し香りが薄すぎる。まるで駄菓子屋の空気みたいで、それが最前列に座ってる訳でもない俺の鼻を軽く劈いた。恐らくドラマとかでも良くマダムが嫌味っぽく言ったりするが、これが安い香水ってやつなのだろう。まるで何かを隠すようなニオイだ。
推察するに、匂いで消すのはニオイしかない。それも気付かれたらマイナスな感情を抱かれるニオイ。───タバコだ。
タバコと仮定すれば線と線が繋がる。ポッケに入っているのはタバコのケースで間違いない。
……平塚先生、容姿はキリッとしてて美人なのに極道物が好きで喫煙者なのか、と1ミクロンくらい落胆してると平塚先生は「さて」と話を区切った。
「粗方こんなところだろう。質問は、うん、無いな?では早速委員長を決めようと思う」
質問は?と聞いてから無いと断定するまでの時間凡そ0.5秒。俺でなきゃ見逃しちゃうねと言わんばかりの速攻である。何だろう、八幡この委員会でやってけるか不安になってきた。
「では、一応聞いておくが自推者は」
その時、最番前列中央に座っていた雪ノ下先輩が手を上げた。
その瞬間平塚先生はとても疲れた徹夜明けのサラリーマンみたいな表情になったが、多分気のせいだろう。
「はーい!静ちゃん私やる」
「いないようだな、しょうがないなお前らは。よし、じゃあ他推に行くか」
「よし!じゃないよ。静ちゃん、無視しないでよ〜」
雪ノ下先輩は不服といった表情を顕にして立ち上がると、平塚先生の元へとパタパタと足音を鳴らして歩み寄った。
つかこの先輩、教師を名前呼びとかマジか。綿菓子くらい軽い日常を送る女子高生が歳の行ってくたびれた、もう良いおじさんの教師をマスコット扱いして名前呼びするのは良くあるが平塚先生はどう高く見積もってもアラサーだぞ。
「雪ノ下、お前な。生徒会長と文化祭実行委員長を兼任出来ると思ってるのか?聡明なお前なら分かるだろ?ん?」
宥めるかのように平塚先生は雪ノ下先輩の肩をポンポンと叩く。ただその目は全く笑っていない。何この教師、対峙してない俺ですら怖いんだけど。
その手を退けるように掴むと、雪ノ下先輩は今日一番かもしれない笑顔を咲かせて平塚先生の手を離した。
「私なら出来るよ静ちゃん。生徒会の方はめぐりちゃんに任せてるからね。それにこの時期の生徒会の仕事の大部分は文化祭関連の書類の処理だから、私がこっちに来ることで書類のダブルチェックが出来る。言わば私が生徒会からの派遣社員ってとこかな?他の子が出てくるなら考えるけど……」
暗に、そんな人居ないよね?という意思確認兼強迫の籠もった目配りを教室全体に向ける。怖えよこの女。
俺でも普通なら不可能であることは理解出来る。仕事の大部分が文化祭関連の書類処理とか確実に嘘っぱちだ。各種月次報告書作成、予算編成、定例議会、備品の管理、と普段の活動だけでも枚挙に暇がないのに、加えて文化祭実行委員なんて常人の仕事量とは思えない。
それでも熟してしまえそうなオーラを感じてしまうのは雪ノ下陽乃の人徳なのか。それとも生徒会長というこの高校においてはカースト最強の称号に無意識に無敵のイメージを俺が抱いてしまっているのか。
平塚先生はたっぷり10秒ほど額に手を当てて考え込むと、艷やかな髪を鬱陶しそうに掻き分けた。
「……………分かった、まあ良いだろう。どうせお前以外立候補しないだろうしな」
「ありがと静ちゃん」
「謝るなら今後はよしてくれ。そもそも今年受験だろうに」
「そんなの余裕だって。勉強なんかでこんな面白いイベント見逃しちゃ損だよ」
と、へっちゃらな表情で宣わる。
雪ノ下先輩とは全く逆の人種である俺的にはこんな学内イベントはウェイしか楽しめないという酷い現実を全身で受け止めた上でスルーして生きてきたから共感は出来ない、だが殊に雪ノ下陽乃はそんな俺とは違い将来の懸かった受験すらもかなぐり捨てて文化祭を追いかけている。見た目に反して刹那主義のような一面があるのだろう。
「じゃあここから私が進行していい?」
「ああ、くれぐれも頼むぞ生徒会長」
意気揚々と発言する雪ノ下先輩に、納得は行かないながらもそうする他無いといった平塚先生は顔を強張らせながらも再び後ろへと移動した。
雪ノ下先輩は声を張った。
「はい、注目。次に副委員長決めるんだけどやりたい人ー!……って自推で決めるんじゃ面白くないかな」
その不穏な気配の漂う言葉に室内が少しざわめいた。
面白くない、雪ノ下先輩はそんな身勝手な理由を基準に副委員長を決める選出方法を考案しようとしている。───適当過ぎる、ここにいる全員がきっと言葉にせずとも内心で思ったことだろう。気になって隣をチラリと見れば戸塚も目を丸くして驚いていた。カワイイ。普通に癒やされた。星5全体ヒーラーで実装してほしいまである。
雪ノ下先輩は豊潤とした薄紅色の唇を歪め、縫合したかのように頬を緩めた。
「うん、逆にしようか。じゃあ副委員長になるのが嫌な人、手を挙げてー」
その楽しげな声は沈着とした場に嫌に良く響いた。
先程同様、自己推薦にしてもきっと決まるだろう。だがどうしようもなく時間が掛かるのは自明の理で。だから雪ノ下先輩のこの方法は極めて合理的だ。やりたくない人間を選考外へと弾いてしまえばいいのだから。
しかし雪ノ下先輩は一般生徒への思慮が欠如していた。
「あり。誰も挙げないんだ」
シーン、と誰もが身動きせずに着席している。
時計の長針が時を刻む音。誰かの咳払い。開いた窓から聞こえてくる雨音。今総武高校で、この教室は一番嫌な時間が流れている場所なのは疑いようがない。
誰も挙手しないのも当然だ。
手を挙げた瞬間、その人間はこの場で副委員長という立場から逃げたと全員から視認される。この場でのみ一種の罪悪人となってしまう。
実際にそういう扱いされるかと言われれば否だろう。誰もが成りたくない役職なのは全員が全員理解している。互いに互いが状況を理解しているならば、それを無為に批判など出来ないはずだ。
それなのに何故一人残らず猫を目にしたネズミのように逃げる事を厭うのか。答えは、その理由が他者にではなく自己にあるからだ。謂わばスティグマの問題である。ホームレスが生活保護支給を断るのと一緒の原理で、ここで手を挙げれば恥辱を得てしまうと誰しもが感じている。だから誰も挙手しない。
なんてつらつらと並べた理屈を雪ノ下先輩も理解したのか、端正な顔に笑みを貼り付けた。
「そっかそっか。そりゃそうなるよね、じゃあ次はみんな目を瞑ってその間に嫌な人は手を挙げるって形にしようか。それなら手を挙げるよね?」
絶対開いちゃ駄目だよ?と雪ノ下先輩はウインクする。何時もなら美人という感想が出てくるような仕草でも、今に限っては恐怖の大王が剣を引き抜いたように見えた。
確かにその条件でなら手を挙げる人もいるだろう。最後には嫌な人間が集められて副委員長候補から除けられる為にスティグマの問題は解決されていないとは言え、他者の視線が排除されることにはこの場に置いて多大な意義がある。決定的な、拒否を表明する瞬間を現在この文化祭実行委員会という組織でトップが確約している雪ノ下陽乃以外が見れないという状況は挙手する人間からすれば一定の安心感が生まれるのだ。
「はいじゃ、瞑って」
俺はその言葉に従って、瞼を下ろした。
光は閉ざされ、漆黒に潰され、何も見えなくなる。
空調の音と、隣に座る人の臭いと俄に感じる熱、「ふんふん、閉じたね」と雪ノ下先輩の確かめるような声が否が応でもここが会議室であると認識させられる。
「はい、やりたくない人は正直に手を挙げて」
再び問われる。
自問自答の時間だった。
やりたいか否かと聞かれれば、勿論やりたいはずがない。クラスで騒ぐだけ騒いで肝心な事は放り出す陽キャラ共の為に身を粉にして働く道理など何処の世界にも無く、義理も無い。それを受け入れて尚働く人情も無ければ奉仕精神も無い。即ち、俺が態々見ず知らずの集団の為、率先して参画する意義など1つもない。
だから結局。惜しむらくは雪ノ下先輩とのコネクション、雪ノ下雪乃への可能性なのだろう。
比企谷八幡は集団への帰属意識が非常に浅薄で、行動する理由など大抵個の為だ。内訳は大部分は自分の為だし、残りの大部分は小町の為。戸塚も含んでも良いかもしれない。
「はい、目を開けて良いよ」
眩しいほどに飛び込む光を耐え、俺は目を見開く。
「そことそことそこと……面倒臭いし挙手した人は自分でも分かるよね?今日もう終わりだから帰っていいよ」
雪ノ下先輩は人差し指を差そうとして、数をなぞるのが億劫になったのか捌けるのを指示するような動作で手をひらひらとさせた。
分かってはいたが、自己推薦で決めるより残酷だ。挙手したと思われる人間はバチが悪そうに立ち上がる。
隣からもガタリと椅子が揺れる音がした。
「八幡、僕校門で先に待ってるから。……頑張ってね」
「……おう」
戸塚の表情は他とは違い、アクセントに添えられたミントみたいに爽やかな笑顔だった。元々戸塚は俺有りきでこんな集まりにも参加してくれた訳で、更に俺に重要なポストが来ることを望んでいるから尾を引くこと無く辞退できたのだろう。
ただ、この後まだ選考あるんだよなぁ。
この先の事を考えて気が重くなりながらも俺は戸塚に手を上げて答える。
───そう、俺は手を挙げなかった。
葛藤を乗り越えて今ここにいる、なんて述べたら古臭い少年漫画の1ページみたいで一周回ってダサく感じるかもしれない。だが一人を是として孤独を是として、そこから生じる全ての寂寥感や社会的デメリットまで是として生きてきた俺からすればこれは特異点たる決意だった。
大多数が帰ったのを見届けると、雪ノ下先輩は無機質に、淡々とした笑顔で口を開く。
「それじゃあ続きやろうか」
続きは明日出します