やはり俺の恋慕はまちがっている。 作:真園(しんえん)
放課後の運動部員の喧騒感、空気を裂くかのように劈くホイッスルの音色、吹奏楽部の雑多に鳴り響く金管楽器の音を背に下駄箱に着いた俺は上履きを外靴と交換した。
何時の間にか雨は上がり、しかしそれでも辞書のように厚い雲に覆われた空は薄暗く、ジメジメとしている。
解けた靴紐を屈んで結びながらも頭を占領するのは先程のこと。
雪ノ下陽乃は俺の目的に気付いていて、素知らぬフリで脅迫してきたのだろうか?
何せ雪ノ下雪乃の名前は普通なら出てこない。俺の目的、即ち雪ノ下雪乃との縁を作る為にその姉雪ノ下陽乃と接触を図った、そんな事実を認知してなければ口に出る言葉ではないはすで。
だがそんな意図を彼女が知る術は無い。だからここ分からない。理解が追いつかない。
それともただの姉妹愛で吐かれた発言だったのだろうか───とまで考えたところで校門に戸塚の姿が見えた。
「八幡、やっと終わったんだ!お疲れ」
「おう。待たせて悪いな」
「ううん。全然待ってないよ」
テンプレートなデートの待ち合わせみたいなシチュに思わず心臓が皮膚を破って突き出てきそうになる。落ち着け俺、戸塚は間違いなく男の子だから。男の娘なだけで、腕の筋肉だってテニスによって培われた特訓から……全然付いてない、だと!?
「じゃ、じゃあ帰るか」
「うん!」
満点の笑顔を咲かせた戸塚はそれとなく俺の左手を掴んで引っ張る。戸塚の手はスベスベで柔らかかった。テニス部員だというのに鉛筆より重いものを持ったことが無いのではないかと邪推してしまうくらい柔らかかった。
いやそうじゃなくて、俺の手を掴んだ?
戸惑った俺に戸塚は「あ!」と言って手を引っ込めた。
「ごめん……気持ち悪かったよね」
「あ、いや、違う。ただナポレオンが女の子だったらこんな感じなんだろうなぁって思っただけだ」
いや何言ってるんだ俺。動揺しすぎだろ俺。FGOだってナポレオンは男だからな俺。
「つまりだな。戸塚は凄いってことだ」
「そ、そうなんだ」
慌てて口にしたフォローも我ながら塵ほども論理性が無かった。きっと疲れてるんだろう、早く帰って小町の飯を食べて寝よう。そうしよう。
「八幡、どうだったの?」
歩幅を合わせて歩きながら校門を出たところで、互いに流れていた静寂な空気は破られた。
主語が無くともその話題の理解は容易だ。副委員長のことだろう。
「まあ、結果から言うなら俺が副委員長になった、らしい……はずだ」
言葉にすると現実感がなくてドンドンと語調が尻すぼみになって行った。
「なんでそんな竜頭蛇尾なの……でもおめでとう」
「ああ。戸塚のおかげだ、ありがとな」
俺一人では決してこんな順調には行かなかっただろう。その言葉はお世辞なんかじゃなく、本心からだった。
「う、うん…………」
「ただ雪ノ下先輩にはどうも警戒されてる気もするんだよな」
「え?それってどういうこと?」
「分からん」
「目だけじゃなくて脳味噌まで腐っちゃった?」
「言葉の切れ味良すぎて最近怖いんだけど」
どうやったらそんな言葉を鋭利にできんの?何で研いだらそんな日本刀みたいになるですかね……もしかして俺が砥石的な役割になってるの?八幡そろそろ潰れちゃうからな?
「ともかく、本当に分からないんだよな。雪ノ下先輩に警戒される理由なんて思い付かんぞ、話したこと自体今日が初めてだし」
自転車を押しながら一応思い返してみるが、やはり俺の記憶には無い。
廊下ですれ違ったことも、ましてや遠目で見たことすらこの2ヶ月無かったはずだ。それくらい学年の差異から生じる隔壁は大きい。まだ雪ノ下雪乃の方がすれ違ってるまである。
「そっか。そうだよね」
戸塚は少し眉を顰めて頷く。
「でも、副委員長を選んだのは雪ノ下先輩なんだよね?」
「ああ」
「なら少なくとも嫌いってことは無いんじゃないかな?幾ら八幡の目が腐敗していて思考回路が斜め右上にズレてても嫌いな人は横に置かないと思うし」
「おい。言葉、言葉」
何か俺戸塚に悪いことした?物凄い八つ当たりを感じるんだけど……。
「ごめんごめん。だけど八幡もそう思わない?雪ノ下先輩、自由奔放そうだし自分の苦手な人なんて普通に拒否しそうじゃん」
雨上がりで出来た水溜りは並んで歩く俺達を映し出し、次の瞬間には俺の押す自転車のタイヤによってピチャンと水の跳ねる音を立てて波紋が生じて反射した像は歪んだ。
「そうだな。この1日で随分とイメージも変わっちまったからな」
「確かに。入学式の時は真面目だったよね」
「特に服な。あんな着崩す印象無かったぞ」
戸塚は同意するように首を縦に降った。
正に今風のギャルといった感じ。あの時の雪ノ下陽乃がどこからどう見ても委員長とか生徒会長なんかには見えなかったのは彼女自身の振る舞いもあるだろう。生徒会長が破天荒で許されるのはアニメ限定じゃなかったらしい、もしかしたら世の中探せば赤ちゃん生徒会長とか下ネタ連呼生徒会長とか……いないか。
赤信号で止まる。
大体午後5頃という丁度良い頃合いだからか、行き交う車は普段に増して多い。
黒。赤。白。シルバー。
二酸化炭素を撒き散らす音を響かせ忙しく駆け抜ける車の色をのをぼーっと見る。
この横断歩道を渡れば俺は右折、戸塚は左折することになる。つまり分岐路だ。
「…………八幡は、本当に雪ノ下さんに恋してるんだよね」
さっきまで降っていた小雨のように、戸塚は小さな声で言った。
「あ、ああ」
「……そっか。じゃあ、頑張らないとね!」
戸塚は屈託の無いヒマワリみたいな笑顔を浮かべると、信号が青になった。
ここで今日はお別れだ。
「八幡、また明日!」
「おう。明日な」
傘を左手に持ち替えて右手で手を振った戸塚に、俺も小さく振り返した。
戸塚に背を向けると自転車のハンドルを握り締め、右へと舵を切るとサドルに跨る。
景色が素早く流れ始めるとと同時に、生暖かい湿気が顔に当たる。
……何というか。
心地悪い。今の空気も、この妙な引っ掛かりも。
俺の6月の艱難は、雨風に流され下水口へと落ちていくようだった。
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それから家へはものの10分も掛からずに到着できた。
鍵をバックから取り出して、ガチャリと玄関ドアを解錠する。
「ただいま〜」
「あ、おかえりミドリ〜」
何それ、新しいバンド名?リリースした曲が音ゲーとかに収録されてそう。
小町はブォォンという一見文字にすればライトセーバーでも使ってそうな音を響かせながら廊下を掃除機でかけていた。
「今日も遅かったね。……もしかして、高校で彼女でけた?」
「んなわけあるか」
「だよねー。お兄ちゃんに限って無いよねー。ヘタレだし」
なーんちゃって☆、とか掃除機のスイッチをオフにして宣った小町はウインクする。
これは一発、兄としてガツンと言う必要があるだろう。
可愛い妹だからといって情に流されてはいけない、いけないのだ。
「小町、お兄ちゃんでも怒る時は怒るからな?例えばプリキュアの録画とか消したら超怒るし、夜中に部屋をカリカリされても怒る。あとソファーで気持ち良く寝てるにも関わらず腹の上にドスンと乗ってきても怒るぞ俺は」
「それ、3分の2は小町じゃなくてカマクラじゃん……」
つい日常の不満が出てしまった。
だがあの猫、確実に自分の立場を俺より上と思い込んでる節があるんだよな。従って我が家のヒエラルキーは順にお袋、小町、カマクラ、俺、親父となる。ペットが一番中間点にいるとか、やはり俺の家庭内カーストは間違ってる。はず。
「んで!なんでまた遅かったの?白状するでゲソ」
おい。それもう古いから。分からない人だっているんだからな。てか何で小町ちゃん知ってんの?もう9年前だからね?いや〜八幡気になっちゃうナ。
「まあなんつうか、文化祭実行委員になったんだ」
正直に答えると、一拍空いて小町は掃除機の持ち手部分を落とした。
「お兄ちゃんが!?そりゃまたなんで!?」
雪ノ下先輩と接触する為、なんて言ったところで理解どころか何も伝わらない。
なので事前に考えてたカバーストーリーを話すことにする。
「ああ、寝てたら何かなってた」
瞬間、小町の目の色が呆れた様子に変わる。
あれ。俺またなんかやっちゃいました?俺の言葉がおかしいって、それ弱すぎって意味ですよね?
「まーたこのゴミいちゃんは」
そう言って溜息を吐く。
ゴミいちゃんって何ですかね。もしかしてゴミとお兄ちゃんを組み合わせた新しい言葉だろうか。きっと流行語大賞間違いなしだ。ちょっと凹む。
小町はあ〜なるほどなるほど、と相槌を打った。
「それで、明日からも遅いってことね」
「そうだな。8時までには帰れると思うけど」
「りょーかい。じゃ、小町掃除の続きするから邪魔だし退いて」
辛辣ぅ……。
小町が持ち手を拾うと、再び爆音が掃除機から奏でられる。
しょうがないので言われた通り階段を上って自分の部屋へと向かう。
部屋に入ると俺はバッグを床に置き、制服のままベッドに倒れ込んだ。
今日は疲れた。何なら1日で2日過したみたいな濃縮感すらある。
原因は明白で、雪ノ下先輩に振り回されて挙げ句の果てには知らん奴と人狼ゲームまでやらされたからだろう。
一人トランプ、一人UNO、一人クトゥルフTRPGと数多の多人数ゲームをソロで熟してきた俺でも人狼ゲームは一人でやったことはない。だって全員の役職分かってたら最後にはメタ推理に入っちゃうし、一人で麻雀打つくらいには面白くないからだ。
まあ慣れない多人数戦というのもあったからして、そのゲームでは俺は負けた。責任は俺じゃなかった気もするが、細かいゲーム内容はさておき。
そこまでは良いのだ。
なのに雪ノ下先輩から副委員長指名されたのは何故だろうか。
確かに勝ち負けで副委員長を決めるとは一言も言っていなかったし、それは言葉にせずとも俺達4人はそこはかとなくそんな雪ノ下先輩の天衣無縫さを通じて理解させられていた。
と言っても。
雪ノ下先輩は俺を恫喝するくらいには警戒していた。なら、そんな奴を副委員長にする必要性なんて1ミリも無いのではないか?
思考が巡って、結論は出ず。
時計の針が進む音と、小町のかける掃除機の音に俺はいつしか意識を失った。