ひきこもった魔王様   作:シガレット

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第2話

 朝、館で一番に目覚めたリリィは身支度をしてから庭の花に水をやり始めた。かつてケイリー夫妻が店から追い出したとても背が高い恐ろしい女だ。ところがケイリー夫妻の印象とは違い、彼女はとても優しい心根の持ち主だった。館の住人で彼女が怖がる者がいても、彼女を怖がる者はいない。

 

 リリィは身長五メートルもある巨体でありながら、身を屈めてひとつひとつ花の健康具合をたしかめていた。このせいでリリィは腰を悪くしていたのだが、子猫やぬいぐるみといったような可愛らしいものには心血を注がずにはいられない性格なので、自分の腰よりも花の方が優先順位が上だった。同じ住人のムンからは、まだ若いのに姿勢が悪いとよく叱られていたが、彼女はのんびり屋で、楽観的に物事を考えるので、あまりそのことについて気にしていなかった。なるようになるさ、という言葉が口癖だった。

 

 門の近くから赤ん坊の泣き声が聞こえたのは、彼女が花に水やりを始めてから三十分経過した頃だった。時刻は午前六時ちょうど。最初、リリィはそれが獣の鳴き声だと思って身を震わせた。そう思ったのも、かつてリーズエンドの過激派の村人たちが獰猛な闘犬をこの屋敷に放ったことがあったからだ。その日もリリィは花に水をやっている最中で、犬からしてみれば格好の的だった。しかしリリィは花に夢中で気づくことなく、がぶりとアキレス腱を齧られた。これまでにない衝撃的な痛みで、その後も傷跡は消えずに残った。彼女は必死に持っている金属性のじょうろを振り回し、犬を追い出したが、この一件が原因でそれからは犬を触ることができなくなってしまった。犬が去った後、手入れしている花を踏み潰され、黒い土がところどころ掘り返されている庭の光景を見て、彼女はしばらく一人ですすり泣いた。

 

 ……またあいつがきたかもしれない。リリィはそう考えずにいられなかった。もう次こそは油断せずに撃退してやろうと、周囲を警戒しながら少しずつ門のほうへと歩みを進めた。その間も赤ん坊は泣き喚き、その度にリリィは驚いて歩みを止めた。しかし近づくにつれ、リリィは奇妙に感じた。犬にしては鳴き方が違う、とそこで初めて気づいたのだ。おそらく彼女ではないほかの住人だったなら、初めからわかっていたことであっただろう。赤ん坊だとすぐに気づいたかもしれない。しかしリリィは村の住人が新種の恐ろしい獣を放ったのかもしれないと逆に怯えてしまった。きっと犬では駄目だったので、どこか他所の地から変な生き物を取り寄せたのだ。

 

 リリィはじょうろを握り締め、恐る恐る門に触れてしっかり施錠されているかたしめ、安堵のため息を吐いた。それから獣は塀からよじ登る気配もないか門の中から顔を出して外を覗いたところ、門からそう離れていない塀の側に木製の籠が置いてあったのを見つけた。彼女は五分ぐらい悩んだ末、門を開き、その籠を拾いに行った。その頃には彼女も人間の赤ん坊だと薄々察しはついていたが、慎重になることはやめなかった。籠の中を見ると、彼女はようやく笑顔になり、ぱっと顔を輝かせた。

 

 なんて可愛い赤ん坊なのだろう! リリィは興奮して、赤ん坊をまじまじと見つめた。そしてそのゼリーみたいに柔らかい頬っぺたを優しく指で突いた。すると赤ん坊は泣くのをやめ、不思議そうにリリィを眺めた。まあ、なんて綺麗な目をしているんだろう、と彼女は思った。この子、きっと捨て子なんだ。私がたすけてあげなくちゃ!

 

 リリィはそう思うと、もう迷うことはなかった。自分のことでは何事も即決できないが、そこに他者がかかわると行動がいつもの二割り増しで早くなるのだ。 

 

 「もう大丈夫」とリリィは有頂天になってそう言うと、早足で赤ん坊を館の中へと連れて行った。

 

 

 

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