東方小説合同コミュニティ 企画小説   作:北屋

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続きまして、今回の主催者にして主犯、コミュニティ副管理人代理補佐役、北三郎の作品です。


ゆめのおわり

ふつふつ、と。

厨房の中、火にかけた薬缶が低い唸り声を上げ始める。

丁度いい頃合いだ。

火からおろした薬缶の中身を、まずは用意しておいたティーカップに注ぎ、温めていく。続いてよく磨かれた銀製のティーポッドに茶葉とドライローズ、ローズジャムを入れ、慣れた手つきで湯を注いでいく。

途端に立ち昇る良い香りに頬が緩むのを感じた。

 

「こんなところですか」

 

蒸し上がりを待って、一人、どこか満足げに呟いた。

焼けたばかりのお茶請けと、今まさに淹れあがった紅茶を乗せたワゴンを押して、彼はそっと厨房を後にした。

 

 

 

 

紅い館の中、こつりこつりと固い靴の音が響く。

小さな窓から見上げてみれば、目に映るのは厚い雲に覆われた曇天の空。

昼間だというのに薄暗く、ともすれば気が滅入るような空模様だが、この屋敷の主にとって、この天気は最高のものらしい。

となれば、我が主のおわすところはあそこに違いない。

そう判断して、彼はゆっくりとワゴンを推し進めていく。

主の喜びは従者の喜びであれ。

そう常々考えてはいたが、彼はこんな天気の日はどうもあまり好きにはなれなかった。

別に、じめっとした空気も、どっちつかずの天気も、嫌いな訳ではない。若い頃とは違って、そういったもののあるがままを楽しむだけの余裕は多少心得ている。

 

「あたた……」

 

だが、こういう天気の日ともなると体の節々が痛むのはどうにも我慢が出来ない事だった。

腰をさすって、右腕の付け根を抑える。

ほんの少し前までならばなんてこと無かったというのに、少し体を動かすだけでもうこれだ。

枯れ枝のようになったこの体には、昔ほどの力はもう残されてはいないのだろう。

そんな下らない事を考えながら、ワゴンをえっちらおっちらと押して行き、たどり着いた広間。窓を開けて、テラスに出る。

 

「遅い。待ちくたびれたわよ」

 

最初に飛び込んでくるのは、愛用の椅子に座り込み、冷ややかな一瞥をくれる主の姿。

白磁のように透き通った肌、青みかかった銀の髪。紅い瞳と、口元に見え隠れする鋭い牙。

まだ幼さを残し、しかし、それでも見る物を魅了してやまない美しい姿。

永遠に紅い幼き月。

吸血鬼、レミリア・スカーレット。

彼女こそが彼の、唯一無二の主だった。

 

「遅れまして申し訳ございません」

 

彼が一礼すると、

 

「だって、お姉さま。ここに私たちがいるなんて、一言も言ってないでしょ?それじゃ遅れても仕方がないじゃない」

 

同じく幼さの残る声で、主の横から不満の声を上げる少女が一人。

レミリアにどことなく似た姿、すなわち彼女もまた美しい。

揺らめく炎のような金色の髪。そして姉と同じく紅い瞳に鋭い牙を持つ彼女はフランドール・スカーレット。

今日のお茶会には彼女も出席しているらしい。

 

「あら? そのくらい、察してみせるのが従者の務めじゃない?」

 

「それならちゃんとここまで来れてるんだから、責める必要はないじゃない」

 

「でも遅刻は遅刻よ」

 

少し不機嫌そうに噛みつく妹に対して、余裕の姉は悪戯っぽく微笑んで、

 

「ねぇ、そこのところどう思う?遅刻は私の従者としてどうなのかしら?」

 

話の矛先が彼に向いた。

困った顔で口を開きかけると、すかさずフランがさらに噛みつく。

 

「いつからお姉様の従者になったの? 独り占めはずるい!」

 

「この屋敷の用人なのだから、屋敷の主たる私のもの。当然でしょ?」

 

「どこが! ねぇ、あなたからもお姉様に言ってよ」

 

「そうね。この際だからあなたからもフランに言いなさい。自分が誰のものなのか」

 

二人の視線を真っ向から受けて、彼は困ったように微笑んで、頬を掻く。

答えようがない質問というのは、人が思っている以上に身近で、この世の中にはありふれているのだ。

 

「レミィ。この掛け合い、いつもやってるけど、いい加減飽きた」

 

ぱたん、と。

軽い音とともに、読んでいた分厚い本を閉じて紫髪の少女がだるそうに呟く。

 

「そう? 私は気に入ってるんだけど」

 

にやり、と薄く笑ってレミリアは、

 

「さて、と。冗談はこのくらいにしてお茶にしましょう。今日は何かしら?」

 

「はい。今回は、ローズティーなど、準備してみました」

 

花びらの浮いた紅茶を注いぎ、続いて、お茶請けを切り分けて小皿に移し、彼女達の前に配膳する。

 

「なかなかいい香りね」

 

カップを手に取って、パチュリーが小さくこぼす。

いつもは無表情な彼女だが、今は口元に薄い笑みが浮かんでいるのが見て取れる。

 

「美味しそう! 今日のおやつ、これ何?」

 

「ファーブルトンという、プディングに似たフランスのお菓子です。今回はドライフルーツを多めに入れてあります。お口に合えばよいのですが」

 

うきうきした表情で尋ねてきたフランドールに答え、彼は一歩、その場から後退してまっすぐに立った。

まるで熟練の執事のような、生真面目な挙動だった。

 

「大丈夫!あなたが作った料理で、美味しくなかった試しなんてないんだから」

 

うきうきとした表情で、さっそくお菓子をフォークで小さく切り取って口に運ぶ。

彼女の横ではレミリアとパチュリーも同じタイミングで紅茶に口をつけていた。

全員が黙り込む。

彼にとって、いつも一番緊張するのはこの一瞬であった。

 

「また腕を上げたわね」

 

ほう、と。

小さくため息をついてレミリアがそっけなく言い放つと、彼は丁寧に、深く頭を垂れた。

主からのその一言は、彼にとって何よりも貴重なものだった。

 

「お菓子も美味しいわ、お姉様!」

 

「分かってるわ。ゆっくり食べるから、そんなに急かさないで」

 

太陽のような笑顔で、今にも自分の口に一切れを突っ込んできそうな妹を軽く制して、レミリアは紅茶をもう一口。

 

「尤も、紅茶に関してはまだ咲夜には及ばない。励むことね、料理長」

 

「はい。精進致します」

 

彼はさらに深く頭を下げる。

料理長。

それが、この悪魔の館で彼に与えられた役目だった。

 

「それで、レミィ。咲夜はどうしたの?」

 

「あぁ、彼女は今、」

 

レミリアが言いかけた時、爆音と閃光があがった。

だが、この場にいる誰もそれに驚くことはしない。つまりは慣れ切っているのだ。

 

「……なるほど。それで料理長がお茶会に顔を出したわけね」

 

説明などなしに、すべてを納得したようにパチュリーは頷き、ちらりとテラスの向こう側に目を向ける。

庭先では、紅魔の門番と白黒の魔法使いが弾幕を競い合い、今話題に上ったばかりのメイド長が劣勢の門番に加勢に入ったところだった。

 

「あ、魔理沙だ」

 

フランドールは席を立つと、テラスから身を乗り出して三人の戦いに目を輝かせた。

 

「……まずいわね。私の図書館が心配になってきたわ」

 

「咲夜がいるし大丈夫でしょ。……料理長。もう少ししたらカップを二つ追加」

 

「かしこまりました」

 

返事を一つ。

彼はちらりと、繰り広げられる少女たちの弾幕戦に目を向ける。

色とりどりの閃光が目まぐるしく輝き、少女たちが飛び回る。

弾幕ごっこ。少女たちが繰り広げる、派手で綺麗な技の競い合い。

その光景を見るのは、彼にとって密かな楽しみでもあった。

 

「気になるの?」

 

「え? あ、いや」

 

彼が見とれているのに気が付いたのか、主が面白そうに彼に問いかける。

 

「なんなら、あなたも参加してみれば? 案外良い線いくかもしれないわ」

 

「滅相もございません」

 

紅い吸血鬼はなおも楽しそうに、

 

「あら? 少し前までは喜び勇んで参戦してたのに」

 

「少し前ですか……まぁ、私も大人になったという事ですよ」

 

苦笑交じりに否定する。

 

「何だ。つまらない」

 

「しがない料理長に、あまり多くを求めないでください」

 

じんわりと、まだ痛む右腕の付け根を押さえながら薄く笑ってみせた。

かつてはともかく、今の彼にはそんな元気はもう残ってはいなかった。

いかにごっことは言っても、日に日に衰えていくこの体では、巻き込まれただけでそのままぽっくりと逝ってしまうかもしれない。

今の彼は、紅魔館の料理長に過ぎないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お茶会をメイド長に任せて、彼は一人、紅魔館の門に足を延ばした。

激しい戦いで幾分荒れた門の周りを見回してから、目当ての人物を見つけ朗らかに声をかける。

 

「こんにちは、紅さん」

 

「あれ? 料理長」

 

紅魔館の塀に背を預け、服の埃を払っていた彼女は、料理長に気づくと目を丸くして、それから、魔理沙にやられたのか、幾らか乱れていた服を恥ずかしそうに正して苦笑を浮かべた。

 

「お恥ずかしいところを……」

 

「いえいえ。お仕事、お疲れ様です。こちら、差し入れです」

 

一礼してから、お盆に乗せた烏龍茶と月餅を彼女に示した。

 

「わぁ! いつもありがとうございます。今日は月餅ですか」

 

「はい。最近、大陸の料理にも力をいれ初めまして」

 

冷えたお茶を一気に飲み干すと、彼女は月餅に齧り付いた。

餡の程よい甘さとクルミの香ばしさが口の中に広がり、途端に彼女の顔に笑顔の花が咲いた。

 

「美味しい! お店が出せますよ、これ」

 

「あはは。これでも、料理長ですから」

 

そんな彼女の様子を見て、料理長の顔にも笑みが浮かぶ。

手放しで無邪気に褒められるのは、幾つになっても嬉しいものだった。

 

「この餡、ナツメ、じゃないですよね? なんでしょう?」

 

「隠し味に、山の神様から頂きました干し柿をいれてあります」

 

「なるほど、甘さの割にさっぱりしていて舌に心地いいですね。……あ、お茶をもう一杯。というか、つざ……料理長も一緒に一休みしましょうよ」

 

「サボりのお誘いですか? 良いですね。折角ですし、一緒にメイド長に叱られましょうか」

 

「叱られるのは勘弁願いたいのですが……」

 

料理長が悪戯っぽく笑って、お茶を注ぐ。

自分の分のカップまでちゃっかり用意している辺り、元よりここで少しサボるつもりであったらしい。

 

「また、霧雨さんですか」

 

「えぇ。最近は落ち着いていたと思ったのですが、また急に襲撃をしかけてきまして。今日も残念ながら、」

 

「それはそれは……ご苦労様です」

 

適当なところに腰を下ろして、取り留めのない会話を交わす二人。

門番と料理長、立場こそ違えど同じ職場の仕え人として共感するものがあるらしく、話のネタは尽きない。

 

「今日は咲夜さんも手伝ってくれたんで、いけるかと思ったんですが」

 

「あぁ、霧雨さん、日増しに強くなってますものね……さすがです」

 

「えぇ。もう、料理長が手伝ってくれないからですよ」

 

おどけたように頬を膨らませて彼女はそんな文句を彼にぶつけてみせた。

 

「あなたが手伝ってくれれば、撃退くらいわけないかもしれないのに」

 

「御冗談を。私は、ただの料理人ですよ」

 

「そんなご謙遜を。少し前まではあなただって、」

 

「美鈴」

 

困ったように笑うばかりの料理長を小突いてからかっていたら、ふと二人の背後からそんな声がかかった。

 

「げ、さ、ささ咲夜さん!?」

 

「げ、とは挨拶ね。侵入者を防げずに、そのすぐ後にへらへらとサボりとはいい御身分じゃない?」

 

咲夜の冷たい視線を受けて、美鈴が震えあがった。

美人が凄むとそれだけで恐ろしい。そんな事を考えていたら、今度はその目が料理長の方に向けられた。

 

「料理長も何をやっているのかしら。お客様……と彼女の事を言うのはあまり乗り気ではないけれど。人がきている時に給仕をサボって油売ってていいのかしら?」

 

「いや、その……お言葉ですがメイド長。私のお仕事は料理であって給仕はメイドの皆様のお仕事かと。それに、ほら、こんなむさ苦しい男がお嬢様方のお茶会に顔を出すのは、」

 

足元に音もなく突き立ったナイフが、彼の見苦しい言い訳を遮った。

 

「二人とも、持ち場に戻りなさい」

 

「は、はい!」

 

びしり、と。敬礼をしてそそくさと門の前に戻る美鈴を見ながら、料理長もそっと腰を上げて埃を払う。

 

「承知いたしました」

 

「待ちなさい。何をしれっと外に向かおうとしているのかしら?」

 

何気ない調子で館の敷地外にでようとした彼の首根っこを、咲夜ががっちりと捕まえる。

 

「いや、あははは……」

 

「笑って誤魔化すのをやめなさい。あなたの職場はこっちでしょ」

 

半ば引きずられるようにして、料理長も自分の持ち場へと連行されていく。

男女の差があるといえ、実戦経験豊富な若者相手では、老いさらばえた裏方では抵抗のしようもないのだった。

 

「痛い痛い! 分かりましたから、耳を引っ張らないでください! ち、千切れます」

 

そのまま耳を引っ張られて紅魔館の廊下をしばらく進んだところで、彼がついに音をあげた。

彼の降参を受け入れて、咲夜はそっと手を離す。

 

「はぁ……分かりました。それで、私はまた、お嬢様達のお茶会に向かえばよろしいのでしょうか? その、霧雨さんは、」

 

さすがにあからさまではないものの、声と表情には嫌そうな雰囲気がにじみ出ていた。

そんな彼の様子を見て、咲夜は深くため息をついて、

 

「いいえ。お茶会は終わったから、厨房に戻って頂戴。魔理沙も丁度今帰ったところだし……それにしたって、そんなに嫌そうにするものじゃないわ」

 

「別に、嫌な訳じゃないんですよ。ただ、気まずいと言うか、なんと言いますか」

 

しどろもどろに答える彼に、メイド長は軽く肩をすくめてみせる。

それっきり、彼女はその件に関して何も言わなかった。

 

「それはそうとメイド長。今晩の献立はいかがしましょうか?」

 

「そうね……さっき、キノコの話題が出て、それにお嬢様が興味をしめしていたわ」

 

「左様でございますか。ならば、本日はキノコのシチューなどいかがでしょう」

 

「悪くないわね。ただ、今日はさっぱりしたものが食べたいとも仰っていたけど」

 

「では、味付けを和風よりにしてみましょう」

 

「任せるわ。副菜はどうするの?」

 

「そうですね……」

 

夕食、すなわち主達にとっての朝食の献立に考えを巡らせる。

そんな時だった。

 

「ところで」

 

ふと、咲夜が振り返り、

 

「何か? ……って、メイド長!?」

 

立ち止まって、顔を覗き込む。

思いのほかに距離が近く、どぎまぎする料理長だったが、彼女は構わずに手を伸ばし、彼の額に手を当てた。

 

「ふむ。熱はなさそうね。最近、あなた顔色悪いわよ?」

 

「はぁ……そうですか?」

 

咲夜が手を離すと、料理長は頬を掻く。少しばかり朱がさしているのはご愛敬、いきなりの事に、彼も照れているようだった。

 

「ちゃんと食べてる? この頃、あなたがまともにご飯食べてるところ見た事ないのだけれど」

 

「いや、それはまぁ……大丈夫です。咲夜さんとは食事のタイミングが合わないだけです」

 

「そう。なら良いのだけど」

 

一見して淡泊ともとれる態度でそう言うと、再び彼女は踵を返した。

 

「お嬢様達の前で倒れるような醜態だけはさらさないで頂戴ね」

 

「心得ております」

 

料理長が一礼すると、かちり、と金属質の固い音が聞こえた。

咲夜が懐中時計の蓋を開く音だった。

 

「あんまり、心配させないで頂戴」

 

その言葉を最後にメイド長の姿が消える。

どうやら時を止めて自分だけ先に仕事に戻ったらしかった。

 

「心配、ですか」

 

誰もいなくなった廊下で、料理長は一人苦笑を浮かべる。

心配させるな、とは今現在心配している事の裏返し。

何だかんだと言っても、彼女もちゃんとこちらの事を見てくれる良い上司なのだ。

先ほど触れられた額をそっとなでると、彼女の手の冷たい感触がまだ少しだけ残っている気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こつり、こつり、と。

固い音が響く。

静まりかえった薄暗い図書館の中では、僅かな靴音も大きな音のように聞こえるのだ。

紅魔館の一角に広がる大図書館の中、たった一人で歩を進める男が一人。

ひんやりとした空気と本の匂いに包まれるのが、彼は意外と好きだった。

 

「あれ? 料理長さんじゃないですか」

 

本棚の陰から顔を覗かせた少女が目を丸くする。

 

「こんばんは、小悪魔さん」

 

会釈をすると、彼女は不思議そうに首を傾げて、ぱたぱたと彼の方に駆け寄ってきた。

 

「今日は、どうしたんですか? あ、また新しい本を借りに来たんですね? 丁度、料理長さんが好きそうな本が新しく入ったんですよ!」

 

「え? あぁ、それでしたら是非お貸しいただきたいです……っと、いけないいけない、今日はお嬢様から、ノーレッジ様を夕食にお呼びするように言われてきたのです」

 

新しい本と聞いて微笑み、しかしすぐに自分の仕事を思い出して顔を引き締める。

 

「あ、そうなんですね。パチュリー様でしたら、あちらに。ご案内しますね」

 

「お願いします」

 

小悪魔に先導してもらって図書館の中を進む。

それなりに長く紅魔館で仕事をしているが、それでも図書館の中を一人で進むのは未だに心細く、迷いそうになるので、彼女の厚意が嬉しかった。

五分ほど歩いただろうか。

図書館の片隅に淡い光が見えた。

 

「ノーレッジ様。お食事のご用意が出来ました」

 

専用の椅子に腰かけ、魔法の光の下で本の頁をめくる少女に声をかける。

対する少女はどこか煩わしそうに、本から視線を彼に移し、

 

「あぁ、もうそんな時間」

 

「お忙しいのであれば、また後程、こちらにお届け致しますが」

 

ぱたり、と分厚い本を閉じる音が響いた。

 

「いいえ。キリが良いところだったから丁度いいわ……フラン」

 

立ち上がった彼女が、料理長からは死角となっていた本棚の陰に声をかけると、一拍おいて幼い声が返ってきた。

 

「なーに? あ!」

 

金色の髪の少女がひょっこりと顔を覗かせたかと思うと、料理長の顔を見て太陽のような笑顔を見せた。

そして次の瞬間には彼女は駆け出して、料理長の腰のあたりに思いきり抱き着いた。

 

「わッ!?」

 

衝撃にふらつく体をどうにかこうにか倒れる寸前で支える。

こんな展開も随分と慣れたものだ。

 

「料理長! どうしたの、こんなところで?」

 

「いえ、ノーレッジ様にご夕食の事をお伝えしに来たのですが……フランドール様もこちらにいらしていたのですね」

 

てっきり彼女は地下の自室にいるものと思い、メイド長が呼びに行ったようだが、彼女は無駄足に終わったようだった。

 

「うん。パチュリーに魔法を教えてもらってたの」

 

「それはそれは……」

 

料理長が優しく笑う。

地下室に閉じこもっていた彼女が、こうして自室以外にも積極的に顔を出すようになったのが、純粋に嬉しかった。

 

「今度、料理長も教えてよ!」

 

「いえいえ、私なんかが教えられる事なんて……そうですね。お料理の事でしたら、いくらでも」

 

「うん、それで良い。今度、お料理の事教えてよ。それから、もっとお話したいな。外の世界のお話とかも聞いてみたい」

 

「承知致しました。こちらこそ是非にも」

 

料理長の返事を聞いて、フランは満足そうに彼を解放する。

そんな二人の様子をじっと見ていたパチュリーが、

 

「フラン。先に食事に行っていてもらえるかしら? 少し、準備したら私も行くから」

 

「うん。じゃあ、料理長も一緒に行こ?」

 

「いえ、私は少し、図書館に用がございまして。すぐに向かいますので」

 

「えー? じゃあ、待ってるから早く来てね」

 

不満そうに頬を膨らませながらも、彼女は大人しく宝玉の翼を羽ばたかせてゆっくりと飛んでいく。

彼女を見送って、その後ろ姿が見えなくなってから、料理長とパチュリーは対峙した。

 

「さて、と。料理長。最近、調子はどう?」

 

「調子、ですか。それはもう、問題なく」

 

パチュリーの漠然とした質問に、彼は微笑みながら答える。

しかし彼女の目はそんな彼とは対照的に笑ってはいなかった。

 

「……そう。なら、その腕の方はどうかしら?」

 

言われて、料理長はそっと自分の腕を押さえた。

半ば無意識の動きだった。

 

「……天気が悪い時は、少し痛みます。ですが、好調ですよ。さすがはノーレッジ様とマーガトロイド様の魔法です」

 

そう言って、彼は右腕を曲げて力こぶを作るような仕草をしてみせた。

男性としては悲しいくらいに細い腕だった。

 

「そう。なら、問題は本体の方なわけね」

 

「っ」

 

何気ない風に、パチュリーが呟いた一言が彼の心に突き刺さった。

 

「体をもう少し労わりなさい。人間は脆いのだから、私たちに無理に付き合えば、すぐに限界がくるわよ」

 

「いや、それを言うならばメイド長も」

 

「あの子とあなたじゃ地力が違うわ」

 

言ってから、彼女は椅子から降りて伸びを一つ。

軽く地面から浮き上がり、料理長の横を通りすぎていく。

 

「良いわね? あなたに倒れられたらみんな困るの。あなたの事はともかく、あなたの作る料理は、この館の誰もが気に入っているのだから」

 

「……肝に、銘じます」

 

そんな彼女に深く頭を垂れる。

そんな彼を振り返って、パチュリーは、

 

「さ、それじゃお説教はここでおしまいにして、行きましょうか。待たせるとレミィがうるさいから」

 

「はい。すぐに」

 

「今日の夕食の献立は何かしら?」

 

そう言って彼女は料理長に微笑みかけた。

 

 

 

 

 

料理の出来に一喜一憂し、美味しいの一言に顔をほころばせる。

時に主とその妹に遊ばれて、その友人に呆れられる。時たま同僚と愚痴を交わして、上司に叱られる。

これが今の、彼の日常だった。

代わり映えせず、しかし常に刺激に満ちていて、代わりなんてない大切な日々。

館に住まう者達の笑顔が一番の喜び。

そう、一番の……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして夜が降りてくる。

太陽は西の地平線に飲み込まれ、人間が生きるべき時間は終わりを告げた。

黒よりも深い青が空を覆い、月が淡い光を放つ。

人ならざるものの時間がやってきた。

 

「ふぅ……」

 

あてがわれた部屋の中、ため息を一つ。

壁に掛けられた時計の針を確認して、彼はカンテラの明かりを頼りに文字を記し続ける作業を中断した。

夕食も、その片付けも完了し、彼の今日の仕事は無事に終わりを迎えた。

長い一日の最後に訪れる、一人きりの自由時間。

けれど、まだ宵の口といったところだが、すでに体は休息を求めていた。

ほんの少し前までならば、もっと夜更かしをすることも、そしてお嬢様達の相手をする事も難なくこなせたというのに。

そう考えると、何とも言えない寂しさのようなものがじんわりと、心の中に滲んでくる。

人の一生は、短い。

こうなってから、痛感する。

色々な事があった。

悲しい事、嬉しい事。辛い事や楽しい事。

十分すぎるほどに一生を味わった。そう考える一方で、しかしもっと色々な物を見て、聞いてみたいと思う自分がいる事に気づく。

人間とは強欲なものだと、つくづく思う。

否、人間などという大きなくくりではなく、自分に限ったことなのかもしれない。

全てに満足し、笑顔で最期を迎える……そんな事が、果たして今の、そしてこれからの自分に出来るのだろうか。

 

「いけませんね」

 

軽く首を振って、暗い考えを追い払う。

近頃、めっきり弱気になってしまった。気を抜くと嫌な考えに心が支配されそうになる。

そんな考えの持ち主は、この館には似合わない。

弱気を振り払うためにも、今日はもう寝たほうが良いのかもしれない。

そう思って、自室に備え付けの戸棚を開いて酒瓶を取り出した。

この館に努める事になった際、彼が持ってきたそれは、もう残り半分を切っていた。

深紅のワインをグラスに注ぎ、月を見やる。

窓で切り取った月を肴に、寝酒をやるのもたまには悪くない。

 

「乾杯」

 

カンテラの火を消して、小さく呟く。

こんなに月が綺麗なのだから、作り物の光は無粋だった。

 

「こんばんは。良い月ね」

 

ふと、そんな声が背中にかかる。

一瞬身を強張らせて、しかしすぐに彼は表情を崩して振り返る。

 

「こんばんは、お嬢様。良い、月の夜ですね」

 

いつからそこにいたのだろうか。

彼の背後に、主であるレミリア・スカーレットが立っていた。

 

「何か、御用でしょうか? お夜食をご希望でしたら、すぐに何かお作りしましょう」

 

「いいえ。そういうわけじゃないわ」

 

腰を浮かしかけていた料理長を軽く手で制して、彼女はゆっくりと彼の方まで歩き出したかと思うと、徐に向かいの席に腰かけた。

テーブルを間に向かい合う形になる二人。

 

「お嬢様?」

 

「月が綺麗だから、少しお酒を楽しみたい気分なの。付き合いなさい」

 

言うなり、彼女は料理長が用意したワインを一息に飲み干した。

 

「……ふぅ。あまり良い物じゃないわね」

 

眉をひそめる主に、料理長は深く頭を下げる。

 

「失礼致しました。すぐに代わりの物をお持ち致します」

 

「いいえ、このままで構わないわ。ほら、早くあなたも飲みなさいな」

 

「しかし、」

 

「従者の特別は、主にとっても特別と知りなさい。……これ、外の世界の銘柄ね?」

 

「……はい」

 

レミリアのグラス、そしてその後に、新たに用意した自分のグラスにワインを注ぎ、料理長は頷いた。

彼は外の世界の出身だった。

奇妙な境遇を経て、幻想郷に招かれた身の上である。

それから幻想郷に来てからも数奇な運命をたどり、そしてすったもんだの末に紅魔館の主に拾われ、今に至る。

その物語はあまりにも長く、この場で語れるものではなかった。

 

「この館に招かれた、丁度その日に外の世界から流れ着いたお酒です。香霖堂の店主と、霧雨さんからお祝いにと頂きました」

 

「そう。……良い物ではないけれど、決して悪い物でもないわね」

 

彼女は再びグラスに口をつける。

 

「やっぱり、外に帰りたいと思うものなの?」

 

彼女の問いかけに、彼は間髪入れずに答えた。

 

「いいえ。あちらには、正直あまり良い思い出がありませんから」

 

同じく彼もグラスを傾けて、中の紅い液体で喉を潤した。

 

「こちらに来た時、そしてお嬢様に拾って頂いた時から、私という人間の一生は始まったのです」

 

「嬉しい事を言ってくれるじゃない」

 

微笑む彼女が、本当に嬉しそうに見えたのは料理長の目の錯覚か、はたまた酔いが見せた幻想か。

 

「いろいろな事がありました」

 

「そうね。色々あったわね」

 

「幻想郷に来た当初は、てっきり自分は死んだものと思いました」

 

始めは自分が居ても良い場所を求め、絶望し、死に場所を求めた旅路だった。

ここで果てるのも悪くないと、いつ死んでも後悔はないと、そう思っていた。

 

「普通の人間なら死んでもおかしくないわ。でも、あなたは今もちゃんと生きている」

 

「思えば、お嬢様との出会いも、最悪の形でしたね」

 

若さと青さを武器の代わりに引っ提げて、レミリアに食ってかかった事もあった。

何もかもが気に食わなかったあの頃。

繰り返した無理に、無茶と無謀を重ね合わせた日々。今でも鮮明に思い出せる。

 

「えぇ、初めてよ。あんな無礼な男は」

 

「……あー……。思い返せば、大分、だいぶ、酷い言動でしたね、私」

 

唸るように呟く。

どうやら、若かりし日のあれこれを思い出し羞恥の念に苛まれたらしかった。

そんな彼を面白そうに見ながら、レミリアは続ける。

 

「えぇ、本当に。縊り殺してやろうかと思ったのは、1回や2回じゃないわ」

 

「恐ろしい事を言いますね……ですが、こうして生きてお嬢様にお仕えする事ができている。我ながら、なかなか運が良い」

 

「運? いいえ、あなたがそういう運命を持っていたというだけの事よ」

 

「そういうものですか? いや、お嬢様が運命だと仰るのなら、そうなのでしょうが」

 

運命を操る程度の能力。

彼女の言葉がどこまで本当なのかは、誰にも分からない。

だが、主を疑う気持ちなど微塵もなかった。

 

「でも、あなたのおかげでフランは昔に比べて落ち着いて、社交的になってくれたわ」

 

「私の、ってわけではないですよ」

 

「あなたが紅魔館で働くようになって、咲夜も仕事が楽になったって言ってたわよ」

 

「むしろ、今の私はメイド長の足を引っ張っているような」

 

「門番は、同志が出来た、なんて喜んでたわ」

 

「それは、同じ務め人としてなのか、サボり仲間としてなのか、返答に困りますね」

 

レミリアがくすくすと笑い、釣られて彼も声を出して笑う。

空になった自分のグラスにワインを注ぎながら、彼はしみじみとした調子で話を続けていく。

 

「本当に、いろいろありました。霧雨さんに振り回されるのは、やはり大変でしたよ」

 

「その割には楽しそうな顔をしてるわね」

 

「なりゆきとは言え、人里の為に走り回った事もありましたっけ」

 

「里の人達、それにあの半獣もあなたに感謝していたわね」

 

「博麗さんには余計な事をするなって怒られましたっけ」

 

「それから、永遠亭の薬師にも叱られていたわね」

 

料理長は苦笑いを一つ。

酒で満たされたグラスを掴む。

 

「考えてみると、私は並みの人間の一生の、何倍も濃い時間を過ごしてきましたね。これなら、悔いは残らなさそうです」

 

と、そう言った時だった。

グラスを持つ料理長の手を、レミリアの小さな手が掴んだ。

 

「悔いが、ないですって?」

 

「え?」

 

驚いて、レミリアの顔を見る。

彼女の顔は、もう笑ってはいなかった。

 

「本当に? 本当にそう思うの?」

 

「え、えぇ。あれだけ派手に生きてくればそれは、」

 

ぎりぎりと、そんな音がした。

彼女の手が、指先が料理長の腕を締め上げる音だった。

 

「お、お嬢様? 痛いです」

 

「……嘘」

 

真剣な表情でレミリアは告げる。

その双眸が月光を受けて紅く輝いていた。

 

「あなたの言うところの派手な生き方。その結果がこれなの?」

 

レミリアが料理長の袖をまくりあげた。

そこにあったのは、人間の腕ではなかった。

木材を加工して作り上げられた、義手だった。

 

「今日の魔理沙もそうだったけど。あなた、最近、私達以外に顔を見せたがらないわね。それは何故?」

 

「それは……」

 

料理長が言いよどむ。

 

「当ててあげましょうか。弱った姿を友人に見せたくないから、ね? 走って、叫んで、泣いて。その度に傷ついて、ボロボロになって。そしてあなたは何を得たというの?」

 

「……この義手でしたら、本物よりも良く動いてくれますよ。最近では、私の生身の体以上に、」

 

「真面目に答えなさい」

 

深紅の視線に耐え切れなくなって、料理長は彼女から目を逸らす。すると、窓に映った自身の姿が視界に入って来た。

幻想郷に入った時に比べれば幾分年齢を重ねた横顔。白髪の混じった髪。目の下に浮かんだ消えない隈。

だが、しかし、そこに映るのは、まだ若い青年の顔だった。

人の身で、人の領分を超えた事をし続けるのなら、体を張るしかない。

魂を燃やすしかない。

命を削るしかない。

その結果は見ての通り。

腕どころではない。体中にガタがきていた。

 

「得たもの、ですか。そう言われると難しいですね」

 

レミリアに腕を掴まれたまま、彼は首を傾げ、

 

「それで得たものは……きっと、全部です」

 

「全部?」

 

「えぇ。今ある、この私の全て。それがきっと、答えです」

 

真っすぐに、レミリアを見つめ返す。

 

「……周りに、大変な事になっている人がいて」

 

ぽつり、ぽつり、と。

彼は語りだす。

考えながらだからか、その言葉にまとまりはなく、一言しゃべっては黙り、黙ってはしゃべる。

だが、そんな彼の言葉に、レミリアは黙ったまま耳を傾けていた。

 

「何とかしてあげたくて。そしたら、オレには何とか出来る力があって。だから、何とかしてみようとした、ただそれだけでした。……やりたい事があって、その為の力がある。背伸びして指先を精いっぱい伸ばせば届くかもしれない。それは、やってみるのに十分な理由だと思います。私じゃなくても」

 

「……そう、ね」

 

「オレは……私は、好きな事を好きなようにやってきました。だから、得たものはあっても、失ったものなんて、一つもないんです」

 

料理長の言葉を聞き終えてからも、レミリアは何も言わなかった。

目を閉じて、思案気に、吟味するかのような表情を浮かべていた。

 

「お嬢様?」

 

沈黙に耐え切れなくなった料理長が問いかける。

しかし、レミリアは応える事無く椅子から立ち上がる。

 

「お嬢、」

 

料理長も立ち上がり、彼女に再度声をかけようとした。

その瞬間だった。

彼の体が凄まじい衝撃に浮き上がったのは。

 

「か、はっ……」

 

叩きつけられたショックで、呼吸が止まった。

目の前がぐらぐらと揺れる。頭が痛い。

 

「お、お嬢様、一体……?」

 

ようやく定まってきた視界、至近距離で自分を見下ろすレミリアの顔が映る。

どうやら自分はレミリアによって押し倒されたらしかった。

 

「黙りなさい」

 

何をするのかと、そう問おうとした口に、彼女の指先が押し当てられる。

それだけで、料理長は黙らざるをえなかった。

指先を押し当てたまま、彼女は料理長の顔をじっと覗き込む。

気を抜けば吸い込まれてしまいそうな、真っ赤な瞳が美しかった。

思わず息を飲む。彼女と見つめあうこの時間が、永遠にも思えた。

 

「ねぇ、料理長」

 

指先を離し、それを一舐めしてから彼女は言う。

彼の役職名を呼ぶその声は、なぜかひどく官能的に聞こえた。

心の奥までが蕩けるような声音。

彼女の顔が近づいてくる。

甘い吐息がかかる距離。少しでも動けば唇が触れそうな距離。

 

「料理長。あなた、一緒に永遠を生きる気はない?」

 

「それは……?」

 

酩酊状態にあった意識が、その一言で一気に覚醒した。

彼女の言う永遠。それはつまり、

 

「そうすれば、もっと色々な事が出来るわよ? その体だってそう。フランもパチェも、それから咲夜も美鈴もきっと喜ぶわ」

 

それはこれ以上ないくらいに魅力的な提案だった。

例え、それが悪魔の囁きだったとしても。

 

「また、前みたいに楽しい毎日になるわよ」

 

レミリアの吐息を、首筋に感じる。

あとほんの少し。身じろぎ一つでもすれば触れる。

彼女の口づけを受ければそれで終わり。

否、新しい生の始まり。

風前の灯となったこの体、命。

近づいてくる終わりを前にして、けれど後悔は尽きない。

もっとしてみたい事だってたくさんある。

全部を満たすのに、人間の一生は短すぎるのだ。

だが、彼女を受け入れれば話は違う。

前ほど動かなくなったこの体は、前以上に動くようになるだろう。

前には経験出来なかった事も、やりたかった事も、もっとずっと楽しめる。

近づく終わりに怯え、独りで耐え忍ぶ人の生から解放されるのだ。

これ以上に嬉しい事はない、はずだった。

 

「申し訳ありません。……お断り、します」

 

けれど、彼の口をついて出た言葉はそれだった。

その瞬間、レミリアが息を飲むのが分かった。

 

「何故? 限りある生の何が良いと言うの? 永遠が欲しくないの?」

 

薄く、笑う。

人は脆く、壊れやすい。人の一生は短く、儚い。

だが、それの何が悪い。

満たせないと知りながら、それでも精いっぱいに限られた時間を生きるのが人間だ。

たとえその最期の瞬間、心の底から笑えなくてもいいじゃないか。

満たされない一生を、しかし満たされたと言い切る。言い張る。

笑えない最期を、それでも笑う。

虚勢を張って、見栄を張って。

あぁ良い人生だったと、声高に宣言してみせるのが人間のあり方だ。

だからこそ、

 

「ここでそれを受け入れれば、きっと私は私ではなくなってしまう」

 

だからこそ、彼は意地を張る。

 

「それを受け入れれば、お嬢様の忠実なる……かどうかは置いておいて、従者としての私は存在し続けるでしょう。しかし、レミリアの友人たるオレは、きっといなくなってしまう。……それは、出来ない」

 

レミリアが上体を起こして、料理長の顔を再び覗き込んだ。

その目が、丁度今日の月のように丸く見開かれていた。

永遠が欲しくないと言えば、きっとそれは嘘になる。

ここで断った事を後悔する事もあるだろう。何故あの時自分はと、嘆く日が来るかもしれない。

だけど、ここで受け入れるのは違う。

ここで折れたら、二度とは彼女の友人を名乗れない。

 

「それに、」

 

「それに?」

 

「永遠ならば、私は既に頂いております」

 

今度は意地でも何でもない。

心からの言葉だった。

 

「たとえこの身が朽ち果てようと、たとえこの命が燃え尽きようとも。お嬢様や皆様の記憶に、心に残り続ける事が出来るのであれば、それは永遠ではありませんか?」

 

例え滅びようとも、死ぬまで共に。

それっきり、彼は黙り込む。

同じく、レミリアも何も言わなかった。

月光が照らす部屋の中、見つめあう人間と吸血鬼。

 

「くだらない。貴方らしい戯言ね」

 

やがて、ため息を一つ。

レミリアが呆れたような表情を浮かべ、彼を解放して立ち上がる。

 

「申し訳ありません」

 

彼も続いて立ち上がり、服の埃を払う。

 

「興覚めね。……二度とは誘わないわ」

 

「そうして下さい。次は断れる自信がありませんから」

 

おどけて言うと、彼女は面白そうに吹きだした。

 

「ふふっ、この私の誘いを断った事、死ぬまで後悔なさい。せいぜい夜な夜な枕を濡らすと良いわ」

 

「それは何とも情けない図ですね……」

 

同じく、料理長も笑ってみせた。

それは意地か、それとも本心か。彼自身にも分からなかった。

踵を返し、扉を開いたレミリアの、その背中に彼はふと声をかけた。

 

「お嬢様。しばしお暇をいただきたいのですが」

 

「……何?」

 

先ほどまでの笑顔が嘘のように、彼女は鋭い目で彼を睨みつけた。

 

「まさか永遠のお暇、なんて事は言わないでしょうね? そんなつまらない冗談を言う従者や友人はいないのだけど」

 

「まさか」

 

対する彼は面白そうに笑って、

 

「久しぶりに、昔の友人知人を訪ねてみようかと思いまして」

 

「あぁ、そう。それなら構わないわ。せいぜい、今の体たらくを笑われてくると良いわ」

 

レミリアは頷くと、今度こそ彼の部屋を出ていった。

一人残された従者は、のっそりと動いてベッドに腰かけ、

 

「勿体ないこと、したかなぁ……」

 

ぼそりと、呟いた。

また一つ、人生の悔いが増えたような気がする。

だが、不思議と今はそれも悪い気分ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

湖の畔、涼やかな風が草木を揺らす。

天上に輝き、照り付ける太陽を眩しそうに見上げ、彼は額に浮かんだ汗を拭った。

本日は晴れ。

どこまでも青い空に薄い雲が流れていく。

 

「お疲れ様です」

 

門に寄りかかって半眼を閉じていた美鈴に一声かけるが、返事は返ってこなかった。

苦笑いを一つ浮かべ、そっと彼女のそばまで歩み寄り、

 

「紅さん。開門をお願いできますか?」

 

「え? うわっ、寝てません。寝てませんよ、私は」

 

声をかけた側が驚く程のオーバーリアクションで紅美鈴は慌てふためき、尻もちをついた。

 

「って。料理長さん!? お戻りになられたんですね!」

 

「はい。大分、厨房を空けてしまいました」

 

美鈴の手を取って立ち上がるのを助けると、彼女は彼の手を両手で包むように掴んで、

 

「本当に! 急にいなくなったんで、心配したんですよ!? せめて一声くらいかけて行ってくださいよ!」

 

「いや、出発の際にお声がけはしたのですが」

 

思い出してみれば、あの時も彼女は門にもたれかかってうとうととしていたように思えた。こちらの話に何度か頷いていたので、てっきり理解してくれていたものだと思ったのだが。

 

「お嬢様が首を長くしてお帰りをお待ちです。さ、どうぞお入り下さい」

 

開かれた門を通って、館の敷地内に一歩を踏み入れ、そこでふと思い出して、里で買ってきたお団子とお茶の入った水筒を渡す。

 

「あ、そうだ。これ、お土産です。よかったら、お仕事の休憩中にでも食べて下さい」

 

「ありがとうございます! ですが、それよりも……」

 

「はい?」

 

「料理長さんのお料理が恋しいなー、なんて」

 

照れくさそうに頬を掻きながらそう呟く彼女を見て、料理長は一瞬呆気にとられたような顔をしてみせた。

しかし次の瞬間には満面の笑みを浮かべ、

 

「あはははは。料理人冥利に尽きますね。分かりました。すぐに業務に復帰しますので、しばしお待ちを」

 

深く、一礼して館の中に進んでいく。

帰って来た。

我が主の住まう、紅魔館へと。

 

 

 

 

 

「あら、料理長」

 

「これはこれはメイド長」

 

廊下でばったりと遭遇した上司は、そばまで歩み寄って、まるで値踏みでもするかのように彼の頭からつま先までに目をやって、

 

「しばらく顔を見なかったけど、大分顔色が良くなったんじゃない?」

 

「そうですか?」

 

窓ガラスにうっすらと映った姿を確認してみるが、自分で自分の変化には気が付けない。

 

「えぇ。休暇は楽しめたのかしら?」

 

「それはもう。久方ぶりに友人に会ってお話が出来ましたよ」

 

「そう。後で何があったのか聞かせてもらえるかしら?」

 

「勿論です。大したものではありませんが、お土産もありますので後程」

 

「それはそうと、お嬢様がお待ちよ。早くお行きなさい」

 

「お嬢様が? こんな時間にですか?」

 

改めて時計を確認し、窓の外を見やる。

単身が指すのは時計の上方向、太陽はまだ空で笑っている。

吸血鬼たる主が、こんな時間まで起きていると聞き、首を傾げずにはいられなかった。

 

「あなたが今日帰ってくるって言って、ずっと起きてらっしゃったの」

 

「それは……承知致しました。すぐにお伺いします」

 

 

 

 

 

「りょーりちょー!」

 

「おっと! フランドール様」

 

廊下を進んでいく最中、角を曲がって来た小さな影が料理長の腰元に飛びついた。

主の妹にして、もう一人の主。

フランドール・スカーレット。彼女は心底嬉しいといった笑みで料理長の顔を見上げ、

 

「随分長い休暇だったわね? しばらく料理長のお料理が食べられなくて、寂しかったんだよ?」

 

「それは……すみません」

 

頬を掻きながら、料理長は苦笑する。

自分の……自分程度のモノが作る料理がここまで評価された事が嬉しくて。

彼女たちに大なり小なり寂しい思いをさせてしまった事が少しばかり心苦しくて。

そんな二つの思いが入り混じった、甘くて苦い、優しい微笑みだった。

 

「それに、料理長。私との約束、なかなか実現してくれないんだもの。忘れてどこか行っちゃったんじゃないかって、不安だったのよ?」

 

「はて、約束……ですか?」

 

何の事だろうかと、小首をかしげる。すると、見上げるフランの目元が見る見るうちに吊り上がり、彼女は不機嫌そうに頬を膨らませる。

 

「あー!? 忘れてたの? 信じられない!」

 

「え? いや、そんな、この私がフランドール様との約束を忘れるなど」

 

「じゃあ、何の事なのか言ってみてよ!」

 

「そ、それは、」

 

言葉に詰まると、心なし腰にしがみつくフランの力が強くなった気がした。

……いや、心なし、どころではなかった。

あぁでもないこうでもないと考えを巡らせる時間経過と共に力は間違いなく強くなり、みしりみしりと、料理長の体が悲鳴を上げ始めていた。

 

「妹様。料理長が約束を忘れるわけないじゃないですか」

 

実際に苦鳴をあげそうになっていた料理長の後ろから、そんな声があがった。

 

「こ、小悪魔さん」

 

首だけを回して声の主を確認する。

そこには、呆れたようにため息をつく小悪魔の姿があった。

 

「ね、料理長さん。妹様とお料理、何でしたら今晩から始めてみてはいかがですか?」

 

「え、あ!あぁ、そうですね。それは良い考えです!」

 

小悪魔に言われて、ようやく約束が何であったのかを思い出した。

ふとした会話の中で、冗談のように交わした約束。

忘れていた自分が恥ずかしくて、申し訳ない気持ちでいっぱいになってくる。

 

「……本当に忘れてない?」

 

「はい。勿論。折角ですし小悪魔さんの仰る通り、今晩、フランドール様がお目覚めになりましたら一緒にケーキを作りましょう」

 

「ケーキ? いきなり難しくない?」

 

まだ料理長を疑っているのか、訝し気な表情で彼女は尋ねる。

 

「いえいえ。簡単ですよ? 何、私がきちんと教えてあげます。それから、いろいろな話をしましょうか」

 

「……うん!」

 

色々な話をしよう、それもまた約束の一つ。

料理長が小さくウインクをすると、フランは元気に返事をして彼を解放した。

外の世界の話、幻想郷に来てからの話、紅魔館に来てからの話、この休暇中にあった話。それから、これからの話。

話す事、放したい事は山ほどある。さて、どこから話そうか。

 

「料理長さん、お戻りになったのですね」

 

「えぇ。ご無沙汰しております」

 

思わず考え込みそうになったところで、小悪魔の一言が彼を現実に引き戻した。

 

「(先ほどはありがとうございました)」

 

口の動きだけでお礼を言うと、彼女はくすくすと笑いながら軽く会釈を返してくる。

 

「お休みの間にも、料理長が好きそうな本が何点か図書館に入ったんです。良かったら、今日、お部屋にお届けしましょうか?」

 

「はい。それはもう、是非とも」

 

「承りました。……と、料理長。パチュリー様が、お嬢様と一緒にお待ちです。紅茶が冷める前に来るようにとの伝言をお預かり致しました」

 

「何と。それでは急がなければ……フランドール様、また後程」

 

「うん! 約束したからね!」

 

手を振るフランに別れを告げて、小悪魔の案内の下、主達の待つ部屋へと足を進める。

もうそれなりに勤めてきて、慣れた道筋であるというのに、これから会う相手は良く知っている人物だというのに、何故だか妙に緊張していた。

 

「中でパチュリー様とお嬢様がお待ちです。では、私はこれで」

 

「ご案内いただき、ありがとうございました」

 

ふよふよと飛んでいく小悪魔に一礼してから、扉に向き直り、服装を正す。主の前でみすぼらしい格好は出来ない。

こほん、と咳ばらいを一つしてから、扉を叩く。

 

「お嬢様、ノーレッジ様。入ります」

 

一拍おいて返ってきた短い返事を合図に扉を開く。

二人の少女、三つの椅子、そして丸テーブルの上に置かれた三人分のお茶が目についた。

 

「あら、料理長。思ったより遅かったわね」

 

「面目次第もございません」

 

「まぁ、いいわ。席に着きなさい。紅茶が冷めるわ」

 

促されるままに椅子に座る。

どうやら今回は、ただの従者としてこのお茶会に招かれたわけではないらしかった。

 

「それで、久しぶりに会ったみんなの様子はどうだった?」

 

料理長が紅茶に口をつけると、パチュリーがそう切り出した。

 

「皆さん、お変わりないようでしたよ」

 

笑いながら料理長はこの数日間であった事を語り始めた。

湖の周りでは妖精の友人達から悪戯を受けて、危うく氷漬けにされそうになった事。

人里までの道中では妖怪の友人に追い掛け回されて、食べられる寸前、齧られるところまで追い詰められた事。

人里を訪ねたら、教師の友人に紅魔館での暮らしはどうなのか、大変ならいつでも里に戻っても良いと言われ、しばしの会話の後に何故か頭突きを貰い、寺子屋の講師を手伝う事になった。

竹林を訪ねたら、薬師の友人に問答無用で拘束され、各種検査を受け終わるまで解放してもらえず、健康には気をつけるようにと散々お説教を受けて、大量の薬を売りつけられた。

神社を訪ねたら、巫女の友人は相変わらずの様子で、お茶を飲みながら世間話。半ば強制的に賽銭を奮発する羽目になり、しまいには掃除まで手伝わされた。

魔法の森を訪ねたら、魔法使いの友人に、生きていたのか、何故自分を避けるのかと随分と詰問された。それから罰として彼女の家の掃除を手伝わされた。

 

「……良いように使われてるわね」

 

パチュリーがげんなりした顔で呆れているが、語る当の本人は楽しそうだった。

前と変わらずに接してくれた事。今でも彼を友人として扱ってくれた事。

みんなが健やかで、平和に過ごしている事。

それが彼には嬉しくてたまらないらしかった。

 

「結局、私の取り越し苦労でしたよ」

 

紅茶を飲み干してため息を一つ、料理長は淡く微笑む。

変わってしまった自分を友人たちにさらすのが怖かった。

友人達の目が変わるのが怖かった。

彼女たちに忘れられてしまう事が怖かった。

だけど、蓋を開けてみればそんな事はなかった。

友人たちは相変わらずで、彼女達から見た自分は変わらないらしい。

幻想郷は今日も平和。明日も、明後日も、その次も。

それからこの先ずっと、ずっと―

 

「そう。良かったわね」

 

カップを置いて、レミリアが呟く。

 

「これも、あなたの言う“永遠”の形なのかしらね?」

 

悪戯っぽく微笑んでレミリアが料理長に尋ねる。

横で首を傾げるパチュリーを他所に、料理長は力強く頷いた。

 

「さて、それじゃあ、今日からまたお仕事頑張って頂戴。料理長」

 

「はい。これからも、末永くお仕え致します」

 

立ち上がり、深く、深く頭を垂れる。

所詮はか弱く、そしてとうに枯れた人間ではある。その時はいずれそう遠くない内に訪れる。

だけど、それでも。

この世界は続いていく。

どこまでも、いつまでも。永遠に。

ならばその世界の一部である自分も同じ筈。

永遠は、確かにそこにあった。

 

「あぁ、そうだ。言い忘れたわ」

 

「はい?」

 

レミリアは、ふと思い出したように手を軽く打ち合わせた。

思わず顔を上げた料理長を真っすぐに、真剣な面持ちで見つめ、そして、

 

「お帰りなさい、料理長」

 

その美しい顔に、花が開いた。

今までに見てきた何よりも美しい笑顔だった。

だから、彼も負けじと、心からの笑みを浮かべてみせる。

 

「ただいま、レミリア様」

 

求めてやまなかったもの。

彼の居場所は、確かにここにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この物語を、全ての幻想入り主人公に捧ぐ

 

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