断崖の街、アラモスタウン。
きっと衛星写真があれば、青と緑が濃い街であることが窺えるだろう。
大河の中島のように佇む町を見据え、長い橋を渡る影がふたつあった。
ひとり。
一度立ち止まり、背筋をただす。視線を高くするとホウと息を吐いた。
これから、あそこへ向かうのだ。
それにしても。
「ハァ……ハァ……長い橋だ……」
片手に杖を握りながら、額の汗を拭った彼は隣をてくてく歩む彼女を見た。
彼女は彼が追いつくまで橋の欄干から眼下の湖と見紛う大河を見ているようだった。
「広い湖を渡しているなぁ。ずっと昔の橋だろうに、よくこれほどの巨大な建築物を……。これだけでアラモスタウンが観光資源だけで成り立っているだけの理由があるものだ」
感心して石造りの柵を撫でる彼女は、身を乗り出すほど真剣に見つめている。危ないぞ、と声をかけつつ彼は再び歩き出した。
「ゴーディ氏と言ったか……彼は腕の良い設計士であり、先見の目がある賢人だったのだろうな。ポケモンの力があったとはいえ、素晴らしいものだ」
「うんうん、本当に……あ、ほら、ポッポが飛んでいるぞ! おーい!」
「元気だな……。はあ。いいかい、パンジャ。私達は観光に来たわけではないのだ」
彼は、ぜいぜいと苦しい胸を押さえた。
彼女――深青の髪を揺らしたパンジャは、冗談めかした抑揚のある声音で答えた。
「もちろん。我々の研究のためだ。分かっている。分かっているとも。ただ、アオイが意外に苦しそうで見ていられないんだよねえ」
「見苦しくて悪かったな! あと運動不足で本当にすまない!」
彼――赤い髪の青年、アオイは歩き続けたせいで赤い顔で答えた。冗談に乗るだけの余力はあるのだ。ふたりで、笑いながら橋の向こうを見つめた。
「まあまあ、待ち合わせまで時間はある。ゆっくり進もうじゃないか。なに、橋を渡ればもうすぐだ。アイスを食べて一息いれよう」
「見えている目標に近付いているように見えないというのは、なかなかのストレスだな。……騒ぐ時間も惜しかった。さっさと行こう。すまないが、荷物を持ってくれないか」
「はいはい。……んー? アオイ、そろそろパソコン買い換える?」
アオイが背負っている荷物、その重量のほとんどは彼が普段使いしているパソコンだった。パソコンは据え置き、持ち運び用に関わらず進歩が早い分野だ。旧式に成り下がるご時世、壊れる前に買い換えすることは珍しいことではなくなりつつある。彼は、両肩を上げて下げる運動をしながら言った。
「買っても良いが、これから会う人物がどの程度の処理能力を要しているかによるな。時空間の研究――なにやら高度な分析装置が必須そうじゃないか。それを見てから考慮してもいいだろう……。もっとも、私の懐具合との相談ではあるが。ああ、ところで彼女達はどこまで行ったんだ?」
アオイの言う、彼女達とはポケモン達である。ほんの十分前のこと、過去に負った怪我でどうしても歩みが遅くなりがちな彼を置いて歩いて行ってしまった。ポケモンの好奇心は、往々にして彼の歩調に合わせてくれない。歩き続けるパンジャが目を細めた。
「もう橋の向こうまで着いたかもしれない。でも、あの子もいるし無茶はしないさ。君のリグレーはしっかり者だろう」
「リグレー……便宜上、彼とするが何を考えているかいまいち分からないんだよなぁ」
「まあ、表情の分かり難いポケモンではある。宇宙から来たとか何とか。まさかの話と思っていたが……再検討の余地ありかな」
エスパータイプのリグレー。一説には、宇宙からの来訪者だとか何とか。真偽不明の噂がちらつくポケモンだ。元はと言えばアオイのポケモンではない。つい数週間前に再会した母から譲り受けたポケモンなのだ。そのため距離感がまだつかめない。
「大きな不和がなければ、私はそれで……ただのそれでいいんだ」
独り言を呟いてアオイは歩く。視線の先。小さな焔が揺らいでいた。
陽炎かと見間違えたが、焔は青い。
「おっと、急かしているようだよ」
青い焔を頭上に揺らしたヒトモシが駆けてくる。
「ミアカシさん」
アオイは、一緒に暮らしているヒトモシのことを「ミアカシ」と呼んでいる。ヒトモシと呼ぶのは人間に対して「ひと」と呼びかけるものだろう。そんなことを考えついたのでアオイはヒトモシを「ミアカシ」と呼んでいた。
どうやら慌てているようだ。アオイが息を切らしていると同じくらい、ミアカシも息を荒くしていた。
(何か危機があるのだろうか?)
しかし、ここは橋の上で見晴らしの良い場所だ。アオイの目に見える危機は無い。
「うーん、何を慌てているのだろうな」
ふたりが歩調を早める。
その時、一瞬だけ空が暗く陰り、過ぎ去った。
何事か。
顔を見合わせていたふたりはお互いの顔が暗くなったことに驚いて、空を見上げた。
「こんにちはー!」
金色の髪を眩しく煌めかせて、ひとりの女性が手を振る。
ふたりは口を開けた。
「これは驚いたな……!」
アオイは帽子を手で抑えながら言った。
空から降りてくる――それは気球だった。
□ □ □
「乗せていただき、ありがとうございます。……ずいぶんと長い橋なのですね」
「あはは、今日はずいぶん暑いからね! 橋の上は日陰も無くて大変だったでしょう」
ヒコザルに指示をした女性は、アリスと名乗った。音楽を学んでいる学生であると語る彼女は勉学の隙間にこうして町のガイドもしているらしい。
あの橋は、あの川は、あの町は――明朗に話す彼女は、かなり良いガイドだろう。
アオイは話に頷きながら、ヒコザルの真似をして気球の骨組みに掴まるミアカシを見てハラハラ、ドキドキしていた。ポケモンのなかでも類い希な平衡感覚を持つヒコザルはミアカシを翻弄しながら、軽々と鉄棒を渡り歩いて気球の調整をしている。ミアカシはそれどころではなさそうだった。あっちへよろよろ。こっちへよろよろ。とにかく危なっかしい。
説明が終わる頃、ちょうど長い川を越えた。
「アラモスタウンへは、お仕事で?」
「え、ええ。研究の一環で。それと、ふたりで旅行も兼ねています」
アオイは話をふる。遠景を興味深そうに見ていたパンジャが、ようやくアリスに焦点を映した。
「まあ、素敵! 時間があったら庭園を観に行くといいわ」
「庭園……設計士ゴーディ氏が造形した庭園と聞いています。ポケモンと人間の調和、その理念は百年経った今でさえ常に新しい。わたしは造形には暗い身ですが、よく計算された街だ。綺麗だと心から思います」
「時間があれば伺ってみたいと思います。美しいものは好きなので」
次第に、けれど確実に高度を落としていく気球がやがて静かに地面に着地した。
「ミアカシさん、行くよー」
鉄棒につかまっていた彼女は、しっかりアオイにつかまった。高いところが恐かったのかもしれない。ヒコザルが元気に手を振っている。
「それでは、アリスさん。またどこかで。Best Wish!」
「素敵な気球の旅でした。ありがとうございます」
「ハァイ、ありがとう。楽しんで過ごせますように。街のガイドが必要な時は声をかけてね!」
頼んでみるのも悪くないかもしれない。その言葉に頷いたアオイは、鞄を握ると街の雑踏へ歩き出した。
□ □ □
このように。
アオイ・キリフリは、研究のためにシンオウ地方アラモスタウンを訪れた。研究目的は、いくつかある。ここへ来たのは、そのうちのひとつだった。
『異世界への接続法法』である。
数ヶ月前、学説上の存在でしかなかった異世界への存在が明白になった。――ここで言う『異世界』とは、現在彼らのいるいる世界に対する、未来であり、過去であり、選び得なかった可能性であり、捨て去った可能性の世界の総称だ。
星の数ほど存在する可能性。それは流れる時のまま、大木が枝葉を広げるように可能性は広がり続けるものらしい。
そんな異世界を観測可能にした技術を作った女性がいた。もともと、アオイは生態学者の端くれだ。好き好んでこの分野に手を出したわけではない。彼が、研究を行う理由は、ただひとつ。
『「なぜこの世界に人間が、ポケモンが存在しているのか」。私はどうしても知りたいのだ』
『世界の不可能のことごとくを踏破してみせよう。いずれ最新の英雄に成り果ててみせるさ!』
『これが――これこそが――これだけが――私が示せるお前への愛なのだ』
カントー地方のある都市では、現在に対し時間軸を登り降る試み――計算式の跳躍を可能にする高密度演算装置の開発が行われた。ポケモン生命工学の粋を集め、因果律の破壊を目論んだのは最古の謎に挑む探求者、ヒイロ・キリフリ。彼女こそアオイの母にして、創世記から続く世界の鳥瞰図を作ろうとした存在だった。
だが、数ヶ月前のある日。彼女は姿を消した。
解答まで辿りつく術を手にしながら、築き上げた全てを廃した。曰く――「これは、正しい手段ではなかった」から。
彼女がどこに行ったのか。彼女自身の予想では、反転世界、やぶれた世界と呼ばれる世界の裏側だと後に残された書面は言う。しかし、疑問はつきまとう。本当にそこにいるのか? 人間としての姿を保っているのか? アオイは分からない。何も分からない。全てが謎であるが――「生還者の例もある」。その言葉を信じ、アオイは彼女に再び会うため、当てのない研究に着手した。それは北極星の無い世界で未開の海へ漕ぎ出す無謀に違いなかった。それでも、彼女は正解の一片に辿りついたのだ。
確率は0ではない。1である。そう断言されている研究ほど安心して絶望できるはない。母が研究者生命を懸けた『生命の価値を裁定する』研究とは、当事者の誰もがが望まぬ形で息子に引き継がれた。母から与えられた唯一して最高の、季違いの誕生日プレゼントとして。
時空間の研究。
それは最古の謎と言い切るだけの裏付けがある。アーティスト・ゴーディは数多の研究者のうちひとりに過ぎない。幸いにして、右も左も分からない研究者が学べるだけの蓄積がアラモスタウンにはある。それがゴーディの系譜だ。子孫が同じ研究をしているらしい。親しい同僚から情報を得たアオイは、こうしてアラモスタウンを訪れた。
「この街は、テンガン山脈に囲まれた平坦な地だ。ここは中州であり中島。長い時間をかけて、河川が削り出した土地だ。造られた自然空間が漠然とした空白地帯を生みだす。この平坦な地形は時空間が安定しやすいのかもしれない。『アーティスト・ゴーディの慧眼』が、どこまで裏付けに足るか。……まあ、私の想像だが」
気休め程度の杖をつきながら、アオイは歩く。その歩調に合わせパンジャはアオイの荷物を請け負ったまま歩く。そして、意外と正解に近いのではないか、と彼女が同調した。峻厳な山脈より時空間は安定しそうだ。
「自分で言っておいてひっくり返すようだが、山頂は安定していると思う」
「なぜ?」
「周囲に並び立つ山が無い場合、その山頂の周囲に何も無い。そこに一種の空白が生まれる」
アオイはテンガン山を例に挙げた。
「あそこは何だか曰く付きだと聞いたことがある」
「ああ、シンオウ神話の……」
ふたりはイッシュ地方から来た人間であるため、シンオウ神話は知識でしかない。けれどこのシンオウの地に住む人々は違う。シンオウ神話は信仰であり、肉であり骨であるらしい。ふたりにはいまいち理解が及びにくい距離でシンオウ神話は、実にこの土地に馴染んでいるものらしい。
「我々で言うところの、カゴメタウンにあるジャイアントホールのようなものだと思っていたが……」
「……実に無農薬的で民族風味のオカルトだが、何事も煙の無いところに焔は立たず、神話の本質は常に歪曲されている。注目すべきは内容ではなく神話の構造だ」
「神話は象徴でしかないと?」
「ほとんどは、だがね」
「では時空間の研究とは、神話の事実を解明する試みなのでは?」
「……言うな。言ってくれるな、パンジャ。ただでさえ両眼で把握できない研究規模で頭がおかしくなりそうなんだから。けれど、あの人は神話の探求から答えを得たのでは無い。あの人の手段は、科学だった」
辿りつきさえすれば、手段は何だって構わなかったのだろう。あの人で出会った後ではそれをよく思う。正しく、目的のために手段を選ばない人だ。――あの人になれない私がいったいどこまで遂げられるのか。
「アオイ?」
「あ、ああ、空白で曖昧で虚ろだから価値があるのだ。『誰も』見ていないということが『何も』起きていない『可能性』を含有する。だから、パンジャ。問題は、最大の問題は、この『可能性』が『ある』ということなのだ。0ではない。1である。そのことが重要なのだ。恐らく何よりも」
「では、観測者がいた場合はどうなる?」
「0が消え、1になる。逆もまた証明できるだろう。だから、そうだ、この街の構造は、ひょっとすると――。もし、この世界の在り方というものがポケモンによって保たれている場合、それを証明することができるかもしれない」
「どうやって?」
「それが分からない。伝説のポケモンと呼ばれるそれらを任意に呼び出せる都合の良い『とっておき』があるのだろうか? ……いや、しかし……現在まで確認はできていないはず……いいや、分からないな」
「我々は情報が少ないなかで研究をしなければならない。ひとつの仮説として記憶しておこう。――では、アオイ。わたしはフィールドワークに行くが、君は研究者と会ってくる、という予定だね?」
「ああ、事前の予定通りでいこう。面会が終わったら連絡をする」
「了解した。荷物はわたしが持っているよ」
「頼む。ああ、君も」
アオイはほんの一瞬だけ宙に目を彷徨わせてから。
「――気をつけて歩くように。暗がりにはよく注意してほしい。興味は慎重に取り扱わなくてはいけない。私はこの町に何か異常な出来事が起これば、ひとつも見逃したくないんだ」
「ありがとう。ほかならぬ君からのご忠告だ。気をつけて歩くようにしよう。ふふっ君も転ぶなよ」
「いやいや、本当に、まったくだ。……ああ、そうだ。時間が余ったら庭園に行こう」
彼女のためを思っての提案だったが、どうしてだろう、彼女はひどくショックを受けた顔をした。
「えっ? 本気だったのか? あ、いや、いつもならすぐに帰るだろう? 出張にかこつけて遊ぶのはカントー地方だけかと……」
「私にギャンブルのことを思い出させるようなことを言うのはやめるんだ。ともかく、久しぶりの遠出だ。観光していこうじゃないか」
「へぇ…………」
ふたりはしばし見つめあう。君にもそんな情緒があったのだね、というパンジャの目が雄弁に語った。それを見てしまったアオイは顔を赤くした。
「ふたりで出かけるのだって、久しぶりだろう……私だって浮かれることもあるさ……」
片手を上げるとパンジャは去って行った。その足取りは今にもスキップをはじめそうだった。
「……なんだ。パンジャのやつ、機嫌がいいな」
ミアカシが不思議そうな顔をこちらを見ている。
アオイがそうであるように、近付く祭の陽気に湧く街に影響されてしまったかもしれない。
青い空に時空の塔がよく映える。聳え立つ尖塔の陰を辿るようにアオイは歩いた。
作中、面白かったもの、興味深かったものを教えてください。
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登場人物たち
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物語(ストーリーの展開)
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世界観
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文章表現
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結果だけ見たい!