アラモスの観測者【完結】   作:ノノギギ騎士団

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最終話です。


夢の通い路を探して

 本日、三十回目の電話コールに、無機質な女性の声が応えた。

 ――僕が欲しいのは、君の声じゃない。

 眉をひそめ、ダイニングのテーブルにモバイルを滑らせた青年――マニ・クレオは膝の上に乗ったヤドンを突きながら、ため息を吐いた。

 

「ヤバいな……アオイさんにこうも連絡が取れないとなるとパンジャさんに監禁されている、かも、しれない」

 

 彼の傍で流行りのエネココアを飲んでいた妹は、兄が珍しく真面目な顔で言うもので噎せた。

 彼女もまた彼と同じくらい真面目な顔をして見つめ返すので、そこには鏡の中の人物が向き合っているように、傍目からは見える。

 

「ややや、そんなハズないでしょ」

 

「アオイさん、パンジャさんの激重感情に慣れすぎて一線越えても気づかない可能性があるから……。僕、インタビューの内容とか考えておかなきゃ。『挨拶もするいい人なんですよ。でも、いつかやると思ってました』」

 

「不謹慎すぎる。地下にいてたまたま都合が悪いかもしれないじゃない。考えすぎだよ」

 

「そう? うーん……?」

 

 マニの膝の上で寛いでいるヤドンがのっそりと体を起した。

 

「どうしたんだい、急に。これ?」

 

 マニのヤドン。標準よりすこし小さいヤドンは、ふにぶに、と鳴いてテレビのリモコンを引き寄せたがった。

 何となく電源のボタンを押すとちょうど夕方のニュースが流れていた。

 

「何か見たいものがあるのかい? うんうん、寝てばかりだったからね」

 

『次のニュースです。アラモスタウン全域と連絡が取れなくなる通信障害が発生しており、ジュンサー部隊が原因の捜索にあたっています。このことについて、ポケモンの専門家――』

 

 妹は、盛大に噎せた。

 マニはそれをギョッとして見る。

 

「な、なんだよぅ。さっきから、ちょっと慎みが無いなあ」

 

「兄さん、だって、アオイさん、アラモスに行くって今朝……だから、通信障害……だって」

 

「え……あ、あ、あああ! そうか、電話が通じないのは、そういうこと!? そっかぁ、ま、僕はパンジャさんのこと信じてたからね!」

 

 どの口が。

 妹の冷たい視線を躱し、えがった、えがった、と緊張が和らいだ――その時だった。

 ムームー、とモバイルが震え、マニは電話に出た。

 

「あい、こちらマニですけど」

 

『――アオイ・キリフリだが』

 

「うわああああああっ! ぼぼぼぼ、僕、全然、あの、大丈夫ですから!」

 

 マニは自分が何を言っているのか分からずに、アオイへの釈明を始めかけた。

 

「え、えーと、あ、そうだ、アラモスは、つ、通信障害じゃあないんです?」

 

『ああ、その件は後で。騒がないでくれ。疲れているんだ……。君に、すこし、頼みたいことがある』

 

 電話越しでも分かるほどに疲労の色が濃い声音だったのでマニはテレビの音量を下げ、しばし、彼の言葉に耳を傾けた。

 

 

■ ■ ■

 

 

 世界は、再び静けさを取り戻していた。

 神と呼ばれたポケモンは、上空のどこにも見えない。

 

(あの時間は、何だったのか。まるで夢幻だ……)

 

 何もかも元通りになった世界は、凍っていた時間が動き出したかのようだ。

 人々は通りに溢れ、耳を澄ませば雑踏の中に華やかな音楽が聞こえる。

 

 体に残る疲労と時折震える足の痛みが、現実であったことを教えてくれた。

 風が、切り揃えられたアオイの赤髪を揺らす。少しだけ肌寒い。

 

「寒くは、ないかい?」

 

 パンジャは、鞄にしまっていたアオイの上着を取り出した。

 

「大丈夫。でも、いただくよ。君は?」

 

「何も問題は無い」

 

「……。隣、座ったらどうだい」

 

 アオイは、自分の隣を叩いた。パンジャは、日を遮るようにアオイの前に立っていた。

 

「わたしは、ここにいるよ。気にしないでくれ」

 

「気にするよ。マニ君が来るまで時間があるんだ。意地を張ることもない。君も疲れているだろう。座ってくれ」

 

「疲れているからだ。座るとわたしはきっと寝てしまう。異常は、目に見えていないだけかもしれない。本当なら、今すぐにでもこの街を出てしまいたいんだ。……君を抱え上げてもね。それをできないくらい、わたしも消耗してしまった」

 

 パンジャは、彼の目を見つめてゆっくりと瞬きをした。

 

「世話をかける」

 

「いいや、わたしがかける迷惑のほうが多い」

 

「……近頃はそうでもないようだが」

 

「君は、足さえ治ればわたしの手を離れていくだろう。そう自虐することないと思うがね」

 

 曖昧に笑い、ささくれ立つパンジャをなだめたアオイは「ならば、一生このままだ」という言葉を胸の内に留めておくことにした。

 アオイの膝の上では、疲れ切ったミアカシが、ぷぅぷぅ、と穏やかに息を吐いていた。

 

「とにかく、君が気に病むことは無いだろう。動けない私を引きずって、君はできる限りのことを果たした。ありがとう」

 

「わたしを報わないでくれ。君に褒められたくて頑張ったワケではない」

 

「では、私を見損なわないでくれ。君の献身を当然のように受け取るほど、私は礼儀知らずではない」

 

 パンジャは疲れた顔に、微かな苛立ちを浮かせた後で――ふぅ、と息を吐き、アオイの隣に座る。そして、手袋を外した。

 

「意地を張って悪かった……そうしないとわたしの気が済まないんだ」

 

「本当に、気にしないでほしい。君がいなかったら私は、私は、きっと、もっと取り乱していたよ」

 

 本当だろうか、とパンジャは気怠い顔をアオイに向けた。

 

「――生き延びることより、母を探すことを優先したと思う。ミアカシを巻き込んでも、だ。私は、君のおかげで後悔しない生き方をできたと思うんだ。君もそうだろう」

 

 アオイは手袋の指先を咥えると外した。

 

「これからも親友でいてほしい」

 

「……わたしでよければ、君とずっと一緒にいるよ。君の隣に」

 

 二人は握手をした。

 浅い眠りから起きたミアカシがその様子をポケ~とした顔で見上げている。

 彼女の平穏は、穏やかな日々そのものだった。

 

 アオイが腰のベルトに携えていたモンスターボールが震えた。

 

「あ、リグレー」

 

 ふるふると頭を振って出てきたリグレーは、アオイの顔に激突してきた。

 

「だあっ!? なんだ、どうしたっ」

 

 エスパータイプらしく、いつも謎めいて表情の分かり難いリグレーは小刻みに震えていた。

 その小さな体の震えを掌に感じた時、アオイのなかにひとつの納得が生まれた。

 

(――きっと、この子は、怖かったのだ)

 

 起き出したミアカシがリグレーを引っ張った。

 何事かと電子音をあげたリグレーの前で、地面に降りたミアカシはモシモシとしきりに訴えた。それが今日の出来事の総括であると気付いた二人はクスクス笑った。

 

”大きなポケモンがやって来て、夕方の音楽が鳴ったから帰って行ったのだ。”

 

「そうだ。そうだね。ふふっ」

 

「たしかに。そうと言えなくもない」

 

 二人は、カラカラと笑う。

 強張った体が解けていく感覚に、二人はようやく事態の終了を実感した。

 

「だから……私達も帰らないといけないね」

 

 

 晴れやかな空には、音楽が流れていた。

 人々は、街中で生の喜びを語る。

 天才の叡知を。

 青年の機転を。

 少年の勇気を。

 

 ただ、町の一角。

 彼らが時間を過ごす庭園だけは、穏やかで静かだった。

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 庭園に留まり続けるアオイとパンジャは、互いに寄り掛かり眠りの浅瀬へ意識を漂わせていたのでトニオとアリス、そしてサトシ少年達のざわざわとした足音に気付くのには、時間がかかった。

 深く考えずとも、彼らと邂逅することは予想できたことだったが、その姿を見た瞬間に驚いてしまうほどにアオイは疲れ切っていた。

 

 ミアカシをパンジャの膝に置き、置いていた杖を手繰り、ベンチからようやく立ち上がったアオイは、トニオと互いに何を言ったものかと顔を見合わせた。

 

「この度は……」

 

「いえいえ、こちらこそ。お力になれず、申し訳ない」

 

 それから、すこしだけ世間話をした。

 ――アルベルト男爵が、元の姿に戻ったようですよ。

 アオイは、彼のことをほとんど忘れかけていたが、よかった、と言ってみた。

 

「結局、今回の問題は僕が知っておくべきことを……ずっと、知らなかったことが、その、事態を長引かせてしまったようなもので」

 

「……?」

 

 それからトニオが話したことは、アオイにとっては意外な内容だった。

 オラシオンの正体が楽曲であると気付いたのは、誰であろう、アリスだった。

 それを語るトニオには、後悔が見えた。

 

「……なる、ほど」

 

 アオイは、トニオが特別に劣っていたとは思えない。

 

「……。間が、悪かったのでしょう。誰が、何が、という問題では無さそうに思えます」

 

 パンジャは、遠くを見ながらそう言った。冷たくない代わりに温かみのない言葉だった。彼女なりに言葉を選び、最も傷つけない言葉を選択したのだろう。その努力がうかがえた。

 それもある。暗い顔で押し黙るアリスの横顔を見て、アオイも同意する。

 

 間が悪い。

 世の中の、ほとんどの問題はそれで解決できてしまう魔法の言葉だった。

 

 ゴーディ没までに時空の塔、オラシオンは完成した。

 彼の仕事は、完璧だった。

 ただ欠点を上げるとすれば――完璧すぎたのだ。

 

 音盤を設置して、起動させるだけで事態が収束する。

 

 この上なく、簡単だ。労力は時代を経るごとに簡単になるだろう。あと十年もすれば、この労力すら自動化できるかもしれない。数万枚の音盤から情報を取り出すことは、もうすでに難しい技術ではなくなっている。

 簡単で労の少ない仕事だからこそ子孫の間でさえ忘れられてしまったのだろう。

 知識は、人が繋ぐものだ。

 

「それでも――結局、あなた方は自分の力で解決してしまった。我々の出る幕など最初から無かったのだと思います。……少なくともアーティスト・ゴーディの未来図には」

 

「…………」

 

「とても冷たい言い方をしてしまうことを許してほしいのですが、それでも、考えうる限り被害が最小限でよかった。考えてもみてください。あれは、災害級の事態でしたよ」

 

「……僕には、とても……そうとは思えません……」

 

「…………」

 

「……失ったものが、大きいので……」

 

 トニオの顔は暗い。見つめる先には、アリスがいた。

 赤い目をこすり、気丈に笑う彼女に掛けるべき言葉は見つからなかった。 

 

「街の安全には替えられないでしょう。あの子達の命にも。誰もが最善を尽くした。あなた方はもちろん、一般のトレーナーもアルベルト伯爵も。誰もが街の為に動いていた。――それが、すこし、噛み合わなかっただけですよ」

 

「そう言っていただけると……ええ……」

 

「ありがとうね」

 

 トニオが弱々しく頷き、アリスが微笑んだ。

 

「……いえ。ええ。その。我々もダークライを悼みましょう」

 

 パンジャがせめてもの慰めを添えて、会話は終わった。

 軽い足音が聞こえて、アオイは長く伸びる影を見つけた。

 

「アオイさん」

 

「サトシ君。今日は、何と言ったらいいんだろうか、本当は、大人がすべきことだった……けど、君はやり遂げた。すまないね。ありがとう。あ、私、ごちゃごちゃなこと言っているね……」

 

 すこしだけ身をかがめたアオイは、まっすぐに見つめられて居心地が悪い。

 それでも、現実は見据えなければならないことだった。

 

「そんなことないです。オレ、夢中で走っていただけだから。何か難しいことを考える暇なんてなくて……ええと、とにかく、無事で良かったです!」

 

「ありがとう。君も、君たちが無事で良かった」

 

 アオイは、喉が渇くような気持ちで彼の前に座っていた。

 ――あと数十分も経たないうちに、私は彼と別れるだろう。そして、恐らくもう二度と会わないだろう。

 旅を続ける彼と留まり続ける自分は、もとより住む世界が違う。この街で、偶然出会ってしまった。関係性とは、実に、それだけなのだ。

 

「こんなことがあったばかりで聞くのも、おさまりがわるいが……君は、旅を続けるのかい」

 

「はい!」

 

 淀みなく答える声音は、恐れを知らない子供そのものだ。

 その純粋さを恐れ、哀れみ――羨ましいと思う。自分のために生きれなかったアオイは、彼が直視が耐えないほど眩しくも思うのだ。

 

 目を伏せた長い沈思の後で、アオイは顔を上げた。

 

「私は、君と出会えて良かった。『この世界は、我々が生まれるに値する素晴らしい世界だ』といつか君が思える世界を作りたいものだ。それでは、良い旅を。良い人生を。……隣にいる友を大事にしてね、なんて、大人の顔で言うまでもないね、君は」

 

「はい! アオイさんもお元気で。お大事に」

 

 ピカチュウとミアカシが互いに手を挙げて挨拶を交わした。

 彼らは笑っている。

 アオイも後悔しないように、笑った。

 

「ありがとう。Best wish!」

 

 アオイは小さく控えめに手を振った。

 振り返るサトシへヒカリが手を振る。おーい、と応えるサトシが不意に足を止めた。

 

「サトシ君?」

 

 ピカチュウが鳴いた。

 彼がじっと見ているのは、地面だ。

 

 手を下ろしかけたアオイは、こそこそとパンジャへ耳打ちした。

 

「どうしたんだろう。珍しい小石でも転がっているのだろうか……あ、シンオウにはジュエルがあったかな?」

 

「さあ? イッシュの地下では珍しくもないものだけど」

 

 サトシが振り返り、高台の対岸にある崖を差した。

 

「あ! アリスさん! 見て!」

 

 トニオがアリスの背を押して帰ろうとしていた矢先の出来事に、彼女は驚いてまずサトシを見つめ、それから指差す崖を見つけた。

 

「――――」

 

 声にならない声で、彼女はその名を呼んだ。

 今日ですっかり見慣れてしまったポケモンの名を。

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 一週間後。

 

 

 

「――という、顛末だ。分かったね?」

 

「むうー……」

 

 アオイは指の上でくるくるとペンを回し、レポートを読むマニ・クレオに優しい声をかけた。

 なぜ今日に限って優しいのか。

 それは、疲労困憊のアオイ達をアラモスタウンから連れだしたのが、マニだったからである。いつもよりも丁寧に説明と解説を終えた後で、パンジャからするりとお茶の差し入れが来た。ちょうどいい微温で飲める。

 

「ありがとう。パンジャ」

 

「ねぇ、パンジャさん。アオイさんの話、本当なんですか?」

 

 お茶とお菓子をテーブルに置いた後で、彼女も椅子に座った。

 頷いた彼女は、小さく首を傾げた。

 

「顛末のことかい? ああ、本当だよ。……何だか納得がいかない顔をしているね」

 

「ええ。僕には分からないことがあります。何ですか? 『未来を悪夢に見た』って」

 

 レポートに赤線を引いたマニは、黒い長髪をガリガリと掻いた。

 

「ああ、いえ、別に僕はゴーディの正気を疑っているワケじゃあないんですよ。アオイさんもパンジャさんも嘘を吐いているなんてことも思わない。だって、僕に嘘ついて良いことなんてひとっつも無いんですからね。――でも『悪夢』に未来を見せる力は無いはずですよ。そうだろう? ダークライ」

 

 ダークライ。

 アラモスタウンにいる彼とは別の個体。ハクタイの森に住む、アオイの奇妙な友人であるダークライはソファーでとろけていた。拗ねているのである。マニの言葉にも生返事をした。

 

「ふむ。君って意外に抜け目がないよな。私の冒険譚など目もくれない。いいや、好ましいよ。研究者ならば、かくあるべきだから。それで、どうなんだい、君」

 

 アオイにとっても気がかりな。それでいて、どうしようもなく解けない謎を彼は差した。

 

「僕は時空間の話が出た時に、これはギンガ団絡みの問題なのかなって思ったんですよ」

 

「ギンガ団? 彼らが見ているのは、宇宙だろう? エネルギー問題のことだとばかり……」

 

「う、うん? まあ、表向きはそうなんですけど、そうだと都合の付かない話もあって」

 

 ユクシー、エムリット、アグノム。

 彼が指折り変えた話にアオイは興味を惹かれたが、それは関係が無いとパンジャに遮られた。

 

「話を脱線させないでくれ。それで、どうなんだ。ダークライ、悪夢で未来を知ることは可能なのか?」

 

 真相を知るべくアオイは立ち上がり、ソファーでミアカシやリグレーにつつかれるままになっているダークライを揺り動かした。

 

「アァ……モゥ、ナンダカ……イヤ、ワカラナイ……」

 

 低くざらつきのある声でダークライは呟いた。

 ――悪夢で見た内容が、そのまま現実に現れた例は無い、と言った。

 

「アル、かも、シレナイ。でも、人は、逃げるカラ……」

 

「ううん。そうか。そうだな。継続した観察は君には難しい。第三のポケモンの介入を考えた方が健全かもしれない――ああ、もう。拗ねるなよ。君のこと、ちゃんと誘ったんだからな。アラモスに行く前に」

 

「カッコイィ……アァー……」

 

 ダークライは、溜め息とも何とも言いがたい声を上げていた。

 パンジャとマニが顔を見合わせた。

 

「ダークライは、ダークライに憧れているんだ」

 

「ウォ、アァー……」

 

「うん?」

 

「ううん? アオイ、解説を求む」

 

「ええと、その、ポケモンに社会的役割があることが、彼にとっては幸せで大切なことなんだ。……現状、爪弾きにされてしまっているダークライでも頑張れることがあって、頼りにされることがあるということは、きっと、幸せだと思う。だから、羨ましかったんだろう? その気持ちは、よく、分かるよ。誰からも要らないなんて言われるのは……悲しいことだ。それしか価値が無いと思うことはないさ。それでも、孤独が悲しいことだと分かるんだ」

 

「…………」

 

 ダークライは、彼にしては珍しいことに分かりやすく落ち込んでいるようだった。

 感情に敏いリグレーが、ちょっかいをかけたくて仕方のないミアカシに「ちょっと待って」と制止している。

 アオイは席に座った。

 

「ミアカシ、おいで。……君もいつか通る道だ」

 

 アオイはミアカシを膝に置いて大事に抱え持った。

 人間と共存が難しいポケモンはいる。それを人間は見て見ぬフリをしていることもあるのだ。

 

「いま分からないのなら、いつか分かる時まで好奇心を大事にしておくんだ。彼の生き方は、君の良き道しるべとなるだろう」

 

「ナルカナー……? ナルカナ……?」

 

 歯切れの悪い、しかも、自信に欠けていることばかり言うダークライに発破をかける心算でアオイは手を叩いた。

 

「――ダークライ、次の旅にはぜひ君も同行してくれ。旅だ。不自由を強いるだろう。けれど、きっと君の知見を広げる良い機会になると思うんだ」

 

「良いんじゃないですか。庭できのみの木の番をしているより、よほど良いですよ」

 

「いつになるか、分からないけどね。まあ……まあ、いいさ」

 

 パンジャは、アオイとの二人旅ではないことを気にしているようだ。けれど、アオイの決定に面と向かって反抗することはできず、説得を諦めた。

 彼女が何もしなくともダークライが煮え切らない状態は、変わらない。彼の消極性に賭けた節もある。

 

「コノママ……変わらナイ、変わらナイのかもナ……」

 

 ダークライは、どうやら長生きらしい。それはアラモスタウンでも分かったことだ。かの地のダークライは、アリスを彼女の祖母に見間違えたらしい、との話を聞いた。どんな理屈か分からないが、長寿なのだ。そのためダークライは気長で――しかし、通り過ぎる生物の速度を見ては、焦燥に焦がされているように思える。

 

 そのことをアオイは話そうと思ったのだが、パンジャが水の入ったコップを揺らしながら言った。

 

「アラモスタウンのダークライには、生き甲斐があった。自分を見てくれた少女に応えて、庭園を守るという役割だ。素敵だ。もう、あの子はいないのにね。とても素敵だ。報われることはないけれどね。誰かを守るという生き方は、誰かのために生きるという生き方は、おススメしないが、とても良いことだよ。充実感がある。――君の生き甲斐は何だい?」

 

「パンジャ」

 

 追い詰めるようなことを言うんじゃない、と意味を込めてアオイは彼女の名前を呼んだ。

 マニが緊張した面持ちで二人の顔を伺う。

 悪びれる様子なく、彼女は薄く微笑んだ。

 

「知っておきたいんだ。わたしは、ダークライの望みを知りたい。アオイが協力するのだ。わたしも力を尽くそう。だが……時に、夢は同時に叶わないものだ。何事にも優先順位がある。欲に再現は無いが、手には限りがある。君は、何を望む? 何が欲しい?」

 

「…………」

 

 ダークライは目を伏せたまま、何も答えなかった。

 パンジャは、目を細めて水を飲んだ。

 マニが突然「あーっ!」と大きな声を上げた。

 

「まあ、まあ、い、いま、無理して答えなくて、いいと思うよ! 僕は。僕はね。自分の未来だもの、じっと考えるのだって必要だからね!」

 

 彼の助け舟に、ダークライは乗りかかることにしたようだった。

 

「スコシ、考える……」

 

 アオイも頷いた。

 

「それもいい。可能性を探すんだ。私は、君を取り巻く環境を変えるよ。元手も実績も無いけれど、きっと、変えて見せる。――この世界は私達が生きて、生まれてくるに値する世界なのだと証明するために」

 

 励まされてすこしだけ元気を取り戻したダークライがソファーから身を起こした。

 

「アカイの……タマに良いコト言うナ……」

 

「アオイだ。あと、たまにって何だ、たまにって。常に良いことを言っているだろう」

 

 彼が元気になったのでミアカシが飛び出して行って、ダークライの影を掴もうと床を転げまわっている。

 リグレーがおどおどして彼女の後方を浮いている。

 アオイはホゥと息を吐いた。彼らの仲が良いのは、良いことだった。

 

「……アオイさん、二言目にはすごい壮大な話にしますよね。自分探しなのに」

 

「……自分とはつまり世界だ、という意味だよ。マニ君。鳥瞰的な世界構造への理解を深める手立てなワケだ」

 

「……オッケー。完っ全に理解しました。僕、アオイ検定一級なので」

 

 なんだこれ、狂人会議かな。

 知らない単語が飛び合う二人の会話を背中で聞き流し、アオイは何も言わないことにした。

 藪を突かなければアーボックもポッポも出てこないのだ。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

「――精が出るね。夜だ。休んだ方が良い」

 

「ああ……もうすこし。すこし……」

 

 その日の夕食後。

 そそくさと書斎に引きこもったアオイは、レポートを作成していた。

 手つかずにしているお茶を回収しに来たパンジャが、その様子を見て、フッと視線を切った。

 アオイの筆記を興味深そうな目で追っているミアカシだけが、焔を揺らしていた。

 

 パンジャは、丸椅子に座る。それは、小さく軋む音を立てた。

 

「……マニ君の指摘は、もっともだ」

 

「そうだね。だが、情報が欠けて、考察の余白が大きすぎる。何を言っても事実となり、虚偽になる。可能性は折り合わさって真実は闇のなかだ」

 

「ポケモンが関与すれば、人間の思考実験など木っ端みじんだ。聞かせておくれ。『百年前の人物が百年後の出来事を知る事』と『百年後の出来事を百年前の人物に伝える事』は、どちらが難しい?」

 

「科学の発展に賭けるとして『百年前の人物が百年後の出来事を知る事』の方が困難だと思う。……だが、ガラル地方では千年先さえ演算可能と聞いた。ポケモンの協力があれば、未来を予測する術はゼロではないかもしれない。ネイティオを千体動員して予知から未来の傾向を探るとか」

 

「アーティスト・ゴーディは天才だった。当世であっても、その評価だとしたら。……何か、奥の手があったのかな」

 

 アオイが、気になるのはこの点だ。

 ――トニオの一族が忘れてしまったものはオラシオンだけなのか?

 天才の本質は何か。時空の塔。あの建物は分かりやすいハコモノに過ぎない。

 災禍が過ぎ去った後であればアオイからゴーディに対する評価が変わる。

 

 ――彼の天才性とは、未来を予見したことではないか?

 

「『未来を知る』。とても魅力的だ。大事なことだ。――命など惜しくないほどに」

 

 言ってみると、その言葉は忌々しく不愉快だ。

 未来のことを語ることは楽しいことのハズだ。

 けれど未来を知識として『知る』ことは、条理に反した行いだ。

 

「…………」

 

「アオイ、そう気に病まないほうがいい」

 

「私は病んでいない。病んだのは母だ」

 

 未来を目指したアオイの母、ヒイロ・キリフリは行方不明になっている。

 

 その理由をアオイはトニオに対し『タイムマシンを兼ねた望遠鏡を作ろうとして』と言った。

 だが、動機は伏せていた。

 

 言葉が無力なほど軽くて言えなかったのだ。

 偏に『私への愛の証明のために』など。

 軽々しく言うのも憚れたのだ。

 

 疑問と真実のために身を投げた母を想う。

 

「『私達は、何のために生まれたのか』、『何のために生きるのか』――未来ならば、その答えがあるのだろうか?」

 

 レポートは、簡潔な言葉で綴られ、後にロケット団から購入した録画映像を添えてアオイの書斎金庫に封されることになった。

 

「いいのかい? 伝えなくて」

 

「名声など、どうでもいい。……君はそんなこと重々承知と思ったがね」

 

 アオイは、ダイアル式の小さな金庫を机に置いた。

 ダイヤルは適当に回して、その数字を覚えない心算だった。

 

 封書にまとめた書類とディスクを箱内に置き、厚い扉を閉じた。

 パンジャが答えたのは、アオイがその歯車を回す寸前だった。

 

「――いいや、違う。ギンガ団だよ」

 

「なに?」

 

 思いがけない単語にアオイは、驚いて手を止めた。

 その話は、君が遮ったハズだと彼は言った。

 

「君の興味がそこにあると知られたくなかったんだ。マニさんであってもだ。……ギンガ団は、時空間のことに関して何やら知見がありそうな話だっただろう」

 

「だが、いや、しかし……」

 

 アオイは、自分たち以外の研究者に対して懐疑的だった。

 ――多くの研究者と自分たちは、目的が違うのだ。見ているものが違うのに、上手くいくわけがない。

 

 だが、それを言えないのはパンジャの発言だからだ。

 アオイには無い観点からの話を期待するあまり、拒否は弱くなる。

 

「アラモスタウンでは反転世界のことが分からなかった。母君のことを考えれば、徒労に終わったと言ってもいい。あの街の出来事は、わたし達にとっては重要度の低い知識だが、もしも、彼らが時空間の研究に取り組んでいるのだとしたら、これは取引の材料にできると思わないか?」

 

「…………」

 

 ギンガ団が、時空間の研究に取り組んでいた場合。パンジャの案は、実現性を持つだろう。

 だが、アオイが即答できない理由もあった。

 

「――彼らが強硬派だったらどうする? ダークライはどうなる? トニオさんやアリスさんまで巻き込まれるかもしれない」

 

「ええ、ああ、そうだね」

 

 パンジャの顔は、ミアカシの光に照らされてもアオイの目には半分ほど見えていなかった。

 それでも、アオイは彼女の表情をありありと思い浮かべることができた。

 

 彼女は、たいていの場合、アオイを優先する。

 

 ほんの数秒の思考さえ惜しいと短絡的に。

 これしかないと信じ込めるほど衝動的に。

 

 だからこそ、それにより誰がどんな被害を被るのか、理解が及ばない。また、アオイの想定を受けても何が問題か分からないのだろう。

 ――私にとって利があることだから。

 だから、何の温度差無く、二の句を継げるのだ。

 

「大した問題は無い。君に自信が無いのなら交渉は、わたしがやる」

 

「パンジャ、問題の大小の問題ではない。可否の問題でもない。有無の問題なのだ。――とにかく。今は情報が必要だ。適切な判断ができない。意見を保留する。その間、これに触れることは許さない。絶対に、許さないからな」

 

 彼女は椅子から立ち上がった。

 うまく乗せた、と顔には現れない彼女の内面をアオイは知っている。

 

「許さないからな」

 

「分かった。ありがとう。触らないよ。君の気に障ることは何一つだって無いのだから。そう、カリカリしないで」

 

 パンジャはアオイの肩に手を置いて、揉むような仕草をした。

 彼の肩はもう長い間、凝り固まっていて、そう簡単には解れない。

 アオイは深く呼吸をして背もたれに体を預けた。

 

「……君は、いささか性急すぎる。私が驚くほどに」

 

「そうかな。そうかも。そうだったかもしれない。でも、手詰まりになってから手段を選ぶより、冷静な判断ができると思ったからね。わたしは後悔したよ。もっと考えておけばよかったとね。もうすこし正気の時分の判断を信じたくなったものだ。わたしは、君にそれを知ってほしくないのだ。……それでは、お休み。――よい夢を。愛しい君。親しい君」

 

 パンジャはアオイが使っていたカップを下げるとそう言い残して、書斎を出ていった。

 彼は、迷わずダイヤルを回した。

 数字を覚えるために、メモを取りながら。

 

(パンジャは、時空間の研究の手がかりが手詰まりになることを察しているのだ)

 

 アラモスタウンの研究が、ほとんど目的の糧にならなかったことを嘆いているのはアオイも同じだ。パンジャはきっとアオイのレポートを紙くず同然に思っていて、再生紙のリサイクル先を廃品回収からギンガ団に変えようとした程度の認識に違いない。とはいえ、紙くずと思っている点は、実のところアオイも変わりがない。

 

 これからの研究の道筋を考える。

 最善は何か。

 時間をかけて情報を集め、比較し、熟考し、道義的に問題の少ない選択をすべきだろう。

 だが。

 

(現実は、その時が来たら選ばなければならない)

 

 テーブルに肘をつき、祈るように手を合わせる。

 思考に答えは出ない。誰かの夢は、同時に叶わないからだ。誰かが得をして、誰かが損をする。

 

 ミアカシと目が合った。

 つぶらな瞳に映る自分はひどく狼狽していた。

 ――書かないのか、と。

 問われた気分になり、アオイはペンを取った。

 

 無地の紙に何を書こう。

 レポートはもう書き終わってしまった。

 

 次のことを始めなければならない。

 

 次。

 次だ。

 次とは、何だ?

 

 ――ギンガ団の調査? カントー地方に渡って母の足跡を辿る? シンオウ神話を紐解くべきだろうか?

 取り掛かるべきことは多い。多いハズなのにアオイは迷い続けている。

 

 母と同じ道を辿れば、同じ結果に辿り着くだろう。

 だが、彼女は、こんなことを学んだのだろうか? シンオウに関心のひとつも示さなかった彼女が?

 

 アオイの焦燥は、徒労であると知ることだった。

 本当は、何もかも無駄なことをしているのではないか。もっと別な方法があって、その方法ならば解法に辿り着くのではないか。選ばなかった可能性は、無限の幻の空想に姿を変えてアオイを苦しめ続けていた。

 もう、がむしゃらに知識を求める学生ではいられない。母の命がかかっている。

 

 限られた時間、限られた知識。

 それでも、選択しなければならない日はやってくるのだ。

 

「ああ……私は、正しく歩けているのだろうか……私は……私はっ――」

 

 目を細める先にある、薄青い光が涙で滲んだ。

 アオイが正しさにこだわるのは、ミアカシのためだった。

 

 この幼い灯火は、未来のためにある。

 世界の後ろ暗さを照らすためではない。

 

 彼女のためにも、自分のためにも、より良い手段を、納得できる方法を、正しい道を選びたいと思うのだ。

 過程を愛するようになったヒイロも、きっと、それを肯定してくれるだろう。

 

 苦悩する青年の傍に、ひとつ寄り添う焔がある。

 傷ましい魂を撫でる、彼のための焔は、その晩、ずっと離れることはなかった。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 意志は、ちっぽけなものだ。

 大きな力を持つ神の前では、きっと、一本の草木のように頼りない。

 

 けれど。

 

 小さな世界は、ひっそりと。

 確かな熱量をもって変化する。

 

 

 

 ■ ■ ■

 

 

 世界が、とある青年を爪弾いた。

 

 それにより、ギンガ団が崩壊するのは、数か月後の話のことである。

 

 

 




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あとがき
 映画を周回する度に見つけてしまう謎!
 気になる背後の設定! どこにもない情報を探せ!
 教えて読者の諸兄!

『ダークライが未来のことを知っていたのは、なぜ?』
『トニオはゴーディの子孫だけどオラシオンを知らなかったのは、なぜ?』

 などなど。拙作では、ひとまずの理屈を(根拠はゼロです)作りました。最高に二次創作って感じがして楽しかったです。

 でも、当時の雑誌にこんな情報が載ってたとか、インタビューでこんな記事が、とか。そんな情報があれば求めています。わりとマジで。



あとがき2
 映画の没設定について。
 没CMや台詞周りをよく読んでみると、現在の映画の形になるまでにいろいろあったんだろうなぁ、ということが察せられてよい勉強になりました。
 巷では、ピジョンのことばかり取沙汰される(サトシがピジョンの背に乗り立ち向かうシーンがあった。また、別映画の助太刀リザードンと対比させられた経緯があり、無印アニメを見ていたファンはとても喜び期待した)のですが、たぶん、ダークライは街の守護神的な立ち位置だった台詞とか、見つけることができて、変遷を感じさせる面白い資料だなと思いました。掘り出し物がある作品は、良い作品です。

 宣伝映像を見ると、没になった流れはこんな感じなんじゃないかと思います。
【起】サトシ達、街に到着。ヒカリの大会。男爵、何かやらかす(たぶんアリスとの婚姻関係含む所有欲的なもの)※全ての元凶。そそのかすロケット団。街の異変。
【承】男爵がやらかした結果、すごいポケモン来ちゃう。立ち向かうサトシ達、敗れそうになる。一度、破れる?
【転】オラシオン(楽曲であるという方針は決まっていたようだ)起動、ダークライ目覚める。なんやかんやあって、アリスにだけは心を開くようになるダークライ。再戦へ気持ちを固め、団結するトレーナー達。
【結】ダークライ特攻。異変おさまる。男爵に制裁的なペナルティ。悲しみに暮れる登場人物。ダークライの真意に気付く。→復活。

 男爵周りは、プ〇レールとか演出の小物が良い味を出してますね。「頼まれたら、断れない性格でね」とか。実に悪役のそれっぽい。シンオウ三部作の元凶はアルセウス映画に登場する彼なので、他映画との絡みで男爵の出番は削られたのかなぁ、とか思います。山ちゃんだぜ。絶対、強い悪役ですって(偏見)また、細やかな演出があればあるほど、他のストーリーがあって、その枠組みにいた誰かを持って来たのでは?という考えも働いて、想像が楽しかったです。


 ここまでお読みいただきありがとうございます!
・再編集系の二次創作は、とても難しいと反省をしながら、ひとまず書き終わりました。書き終わらないと経験値にならないからね……仕方ないね……。
・書きながら考察して、ああでもないこうでもないと、試行錯誤してしまったのでとっちらかった印象の拙作になってしまいました。読みにくいと感じられた方は、申し訳ない。またどこかの作品でお会い出来たら幸いです。

・この拙作を誰かにお楽しみいただければ幸いです。



 次の作品は、BW2の時系列でBW2の出来事が起こらず、BWから5年後の世界でBW2の出来事が起きる世界を書いていきます。イッシュ最大の抗争なので。頑張ります。

作中、面白かったもの、興味深かったものを教えてください。

  • 登場人物たち
  • 物語(ストーリーの展開)
  • 世界観
  • 文章表現
  • 結果だけ見たい!
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