町は、祭り最中だ。
根暗な性格であるアオイが、ちょっとだけ気後れするような陽気が町中に溢れている。
「すごい人混みだ」
「ああ、すごいねぇ」
「何も知らないのは、こんな時に幸いだな。町の異変などまるで遠い国の話のようだよ」
陽気さに救われるね、とアオイは内心に思った。
ダークライの影響など軽微だと感じさせてくれる。町の雰囲気に飲まれそうになりながらアオイは歩く。
パンジャがいないと振り返れば、露店でジェラートを買っていた。今日の彼女は、外の雰囲気が気になっていたバニプッチと一緒に歩いていた。
「頭にキーンとするのがいいね。アオイも食べる?」
「わ、私は遠慮しておこう……」
「そう? おいしいのに」
ペロペロしているパンジャとバニプッチを視界の端に追いやって歩く。そうこう話しているうちに時空の塔へ着いた。
地下のトニオ研究室へ向かう。
地上の喧噪はいよいよ遠くの出来事に感じられた。
「こんにちは、トニオさん」
研究室の扉を開けると山積みの本が出迎えた。
「こんにちは。昨日は大変でしたね」
「いえ。トニオさんはあれから解析だったのでしょう。お疲れ様です」
「解析結果はまだなんですが、昨夜すこし興味深いものを見つけました」
そう言ってトニオが取り出したのは、一冊の古びた手帳だった。
「これは?」
「ゴーディの日記です。このなかに写真とダークライの記述が、ありました」
彼が提示したページをのぞき込んだ。
「『アリシアが、庭園でダークライに会った』……アリシアとは、誰のことです?」
「アリスのおばあさんのことです。ダークライが庭園に流れ着いた時、庭園のポケモン達と争いになったと綴られています。……見慣れない侵入者を追い出そうとしたんでしょう。そこで、傷ついたダークライとアリシアさんが出会い、どうやら心を開いたらしいのです。それからずっと庭園に住み続けている」
そんなことがあったのか。
今も昔もダークライに手を差し伸べた人は、少ないながらも存在したらしい。
ホッとした気持ちになったアオイは、無自覚のうちに胸に手を当てていることに気づいた。
「そして、これからが重要な記述なんですが――ゴーディは、この町に起きることを予知していた」
『悪夢は私にやるべきことを教えようとしていた。未来のために、私は「オラシオン」を残さなければならない』
悪夢に関する日記の記述は、それ以上のものはないようだった。
悪夢の示唆を受けた、それ以降、ゴーディの人生は時空の塔の設計と建設に移行し、終えた。そして、いまに至る。
「――それで、オラシオン、とは?」
パンジャの質問は、やや軽めのものだった。
それもそのはず、アーティスト・ゴーディの系譜は百年経った現在まで続き、その末裔がいま目の前にいる。だから『まさか分からないはずがないだろう。HAHAHA』なんて楽観をしていた。それはアオイも同様だった。
そのため。
「いやぁ……それが……さっぱり分からなくって……」
「えっ」
「えっ」
「えっ」
三人の声は、折り重なった。
「オ、オラシオン……わ、分からないんですか? え、え、え、あの、『シンオウ・ジョーク!』とかではなく?」
パンジャは思わぬ疑問を掘り当ててしまった、と顔色を悪くしていた。その色は先ほどまで食べていたシャーベットの冷感色に似ていた。それに応じるトニオの顔色も優れない。
「い、いえ、ジョークではなく、本当に、分からないんですよ。これがポケモンなのか、物体なのか、概念なのか、さっぱり分からないんです。僕こそあなた方に聞こうと思ったくらいなんです」
「アオイ、心当たりは?」
「残念ながら……としか。しかし、アーティスト・ゴーディが遺そうとしたものでしょう? どこかに隠し込んでいるとは思えません。『万一の時』、悪夢が予言した日のために使われなければ意味の無いものなんですから。つまり」
「つまり?」
「実は、その辺にありふれているもの、かもしれませんよ。この街にだけある、特別なものはありませんか?」
それらしいことを言うものの、アオイはまったく自信が無かった。
この街にあって、ほかの街に無い物といえば『時空の塔』だが、時空の塔の別名が『オラシオン』だとは聞いたこともなければ、そのように呼ばれた事実もなく、ゴーディの日記も『時空の塔』の表記で一貫している。
事態を打開する術は、百年前に作られ、紛失しているらしい。
その事実に打ちのめされている三人は、俗に言う、お手上げ状態に近い。
「アーティスト・ゴーディは優れた建築家であり、発明家だったと聞きます。何か、発明品のなかでそれらしいものは?」
「代表的な発明品に、音盤があります」
「音盤?」
トニオは立ち上がると部屋の隅に置いた円形の機械を手に取った。機械といっても精密機械には見えない。歯車と金属の線と板を組み合わせた簡素な作りだ。
五キロほどのそれを受け取ったアオイは中を見た。整備用の油を差すために作られたのぞき穴からは複雑に噛み合う歯車が見えた。
どんな音が鳴るのだろか。――中身が気になるのか手を伸ばそうとするヒトモシのミアカシを遮りつつ、ふむふむ、と確認し、パンジャに渡す。
「定時になると時空の塔は音楽を鳴らすのですが、それを再生するために使う音源盤です。今で言うコンパクト・ディスクですね。――でも、それをオラシオンとは呼ばないので……」
うぅん。
三人は唸る。詰んだ。誰もが心の中で呟いていた。
外から軽やかなノックが聞こえたのは、そんな時だ。
「トニオ、入るわよー」
「やあ、アリス」
少年少女の歓声が聞こえる。アオイは振り返り、入ってきた客人を見つけた。そのなかに。
「こんにちは、アオイさん!」
「こんにちは。よいお日柄ですね」
「やぁ、元気そうで何より。君は、体はもう大丈夫かい?」
パンジャが隣で、ひらひらと手を振り。少年達に声をかける。
「もう、バッチリですよ!」
彼らの注意が逸れたところで、アオイはテーブルに立てかけていた杖を握った。
「――先の件は、お互いに『宿題』ということで。私の方も知人をあたってみますよ」
「ありがとうございます。僕ももうすこし日記を探してみます。打開策が分かれば、もっと良い手段も見つかるかもしれないので」
アオイとトニオはお互いに頷き合った。
「パンジャさん、それは?」
「これは音源盤、通称『音盤』という物でこの塔を鳴らすものらしいよ。――そうだ。アリスさん、先ほど十時の音楽が鳴りましたが、こうした音盤で鳴らしていたものなのでしょうか?」
「ええ、そう。十時と十二時、十五時と十六時に鳴らすの。本棚の上に置いてあるのが、音盤よ」
アリスはそう言って、トニオの研究室の本棚を差した。
「塔の中に女の子とポケモンのモニュメントがあったでしょう? あの台座にもたくさん音盤を収めているのだけど、収まりきらない分をここにも置いてるの。トニオが時々、劣化した部品を取り替えているのよ」
「年代物だからね」
「はいはいっ! わたし、やってみたい!」
目を輝かせたヒカリが勢いよく挙手した。 そのことに、きょとんとしたのはトニオとアリスだった。
その理由に、音盤を鳴らすことに興味があったアオイは諦めた。
「えっと、最上階まで歩きなんだけど、大丈夫?」
「だいじょうぶです!」
華麗にピースしたヒカリ。そして彼女のポケモン、ポッチャマも勢いよく胸を叩き――後ろにコロリと転がった。
「オレも行きたいです!」
「じゃあ俺も!」
サトシとタケシも続き、トニオが「オッケー」の返事をした。
伺うような視線を受けて、アオイは目を泳がせた。
アオイは足が不自由だった。しかも昨日の無理がたたり筋肉痛がある。数階程度の階段の上り下りならば耐えられそうだが、背筋を反らして見上げなければらならない時空の塔への巡礼は無謀だった。
「私は遠慮しておこうかな。パンジャ、君はどうする」
「わたしは登ってこようかな。写真を撮って来て君に見せるよ」
「分かった。では、ミアカシさんを連れていってくれ。頼むよ」
ワクワクしているミアカシは、アオイの言葉を待たずパンジャにくっついた。
それを見て、咄嗟に「私も行くよ」と言いかけたアオイであったが、やはり体力不足は誤魔化しきれないだろうと思い至り、リグレーに慰められながら一階で待つことにした。
「――それにしても、オラシオンだ。いったい何なのだろうね。いつか使うべきものをしまい込んではいないだろうが……。オラシオンは、物、やはり物なのだろうな。街に異変が起きる事態に対応できる物は何か。事態の解消ができる物、という観点から考えてくべきか」
ピピピイピ、とリグレーが音を鳴らす。
ふわふわと宙を漂ってアオイを癒やすリグレーに、何となく笑みがこぼれた。
「ヒイロなら、きっと片手間に解決してしまいそうな事件だよ。あ、さすがに過大評価しすぎかな……」
手帳を開き情報をまとめる。
書き終わり、手帳を閉じた時。
遂に音楽は天上から鳴り響いた。
■ ■ ■
「とても素晴らしい機構だったとも! 巨大な弦を巨大なハンマーが叩く――あの構造はピアノだ。螺旋のピアノだったよ。わたしはね、てっきりパイプオルガンのような空気の機構を想像していたのだが。あれは驚くべきことに百年前の建設以後、電気で動いているそうだ。うーん、やはり天才とは世の中にいるものだね」
「そのようだ。へぇ……面白い作りだね……」
パンジャの撮ってきた写真データを閲覧しつつアオイは素直な賞賛を述べた。非の打ち所などあるわけが無い。世にも稀で、しかも美しい構造物だったからだ。また、音楽も格別だった。塔の内部の音は反響し、細かな振動が体を震わせる。音と一体になったかのように感じる鳴動は、いかなクラシックホールでも再現が難しいだろう。
気球で地上に降りてきたパンジャの声は弾んでいた。彼女だけでは無い。大興奮のミアカシとリグレーが円を描いて駆け回っていた。
「ふむ。――そろそろ昼だ。休憩しよう」
「はーい」
外の景色が見える喫茶店に入る。キッシュとコーヒーを注文して、時空の塔前広場を見るとサトシ少年達がポケモンバトルをしていた。
「げ、元気だなぁ……」
「サトシ君は、スゴイよ。徒歩で最上階まで登ったのだからね」
途中から気球を使ったんだけどね、と時空の塔の中程に留め置かれたままの気球を見遣る。なるほど、上まで登るには直線でも良いらしい。今日のように風が穏やかな日は気球で運搬した方が疲れにくいだろう。とはいえ。
「君は?」
「もちろん、徒歩だよ。十歳で成人といってもまだまだ危なっかしい年頃だから大人がついてあげないと、てね」
彼女らしい気の回し方にアオイは肩を落とした。昨夜の会話がちらついたのだ。
「……まあ、無理をしないことだよ」
「分かってるとも。あ、ガレットも美味しそうだなぁ」
「三分の一程度なら食べられる。追加で注文してもいいんじゃないか」
「ああ、そう――」
穏やかな会話の途中。
妙な喧噪が、にわかに大きくなる。
アオイとパンジャだけではない。同じテラスで食事を摂っていた人は手を止め、ポケモンは空を見上げ、バトルは静止した。
理由を探し、いくつもの目が動く。耳を澄ませる。唾を飲み込む。
――ポケモンの咆哮? ワザの激突?
いいや、そのどちらでもない。
それは、空間に響き渡る叫び声のようだった。
喉を引き絞るかのような、悲痛な叫びだ。――では、音の出先は、どこか。
空間に満ちる声は、けれど、最初の方向性があった。
「――時空の塔だ」
誰かの言葉に、アオイは椅子を蹴って空を見上げた。
その瞬間。
空は、一度だけ小さな閃光を放ち消えた。
意味するものは、空間の途絶。
世界が均衡を放棄した、最も長い一日がアラモスタウンに訪れようとしていた。
■ ■ ■
後に、アラモス事件と呼ばれる神話で語られるポケモン達の争い。
これは、観測者の“私”が見た事件の一側面だ。
『誰が』
『何のために』
『どうやって』
謎を解することができない以上、この記錄は理路整然としたものになり得ないだろう。私は、すべてを知らないが故に、語ることはできない。
これは、記錄だ。
だが、これにこそ私が欲する『世界』の秘密があるはずなのだ。
『神話の実証』こそ私の望む情報の手がかりになるはずなのだ。
世界は未知で満ちている。
その未知を手ずから摘んでこそ、私は初めて貴女と対等に会えるのだと心からそう思うのです。
現在で映画の35分程度が経過したところです。
長いようで短いですね……
作中、面白かったもの、興味深かったものを教えてください。
-
登場人物たち
-
物語(ストーリーの展開)
-
世界観
-
文章表現
-
結果だけ見たい!