アラモスの観測者【完結】   作:ノノギギ騎士団

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次の話で、この物語は完結になります。

実質、拙作もしもし~の続編なこの話をここまで読んでくれてありがとう!


夢を見ていた 短い夢を

 リグレーが、ピコピコと電子音をこぼし、次の瞬間、アオイが腰につけたモンスターボールに引きこもり、結果として事態の収束まで姿を現すことはなかった。

 何事かと見上げたヒトモシのミアカシは、ちょうど踊り場で一息ついたところだった。

 

 地上三階に相当する気球の待機所までたどり着いたアオイ一行は、そこで街の全貌を見た。

 浮遊するリグレーが、街を見下ろす。ミアカシが、興味深そうに彼に倣い、閉じつつある世界を見ていた。

 

 砕けている。欠けている。

 世界という大きな手の平から零れ落ちた町は、玩具の作り物のように壊れていた。

 

(小さな瞳に、その光景がどんな意味を持って映っているものか……)

 

 アオイは、それを想像しようとして何も頭に浮かんでこなかった。

 ミアカシと過ごした一年間は、彼女にアオイの最期を考えさせる機会にはなったが、彼女自身の終わりを考える機会にはならなかったように思う。

 

 頭が痛い。

 何から考え始めるべきか――。

 

 どうしても目の前をちらつくのは、先ほどのパンジャの言葉だった。

『事態は、いかに死ぬべきか、という状況まで悪化したように思う』

 

 命は終わるものだ。

 だが、終わり方というものがある。

 

「パンジャ――」

 

 深刻な顔で話を切り出したアオイは、踊り場に着くなり座り込んだ。

 膝が笑ってしまい、震えている。心臓など胸が苦しくなるほど打ち震えていた。――もう、歩けないのだ。

 

「大丈夫か」

 

「すまない、私を引きずって運んでくれ。ああ、足が……こ、このポンコツめ……」

 

 アオイは、事故後の後遺症でうまく動かない足に触れた。

 

「君はリハビリを頑張ったよ。つかまって」

 

 パンジャに引きずられながら、ようやく下界が見える柵にたどり着いた。

 

 美しくあるため計算が尽くされた街は、無残に姿を変えていた。

 パルキアの咆哮の度に尖塔は崩れ、ディアルガの往来の度に石畳は亀裂を奔らせる。

 

(ダークライの姿が見えない――敗れたのか?)

 

 庭園を見つめる。人の声は、無風の世界ではすこしだけ聞こえている。

 長い、長い、ため息の後で、アオイは佇むパンジャに声をかけた。

 

 手が、震えていた。

 

 ――私には、まだ死への恐れがあるのだ。

 

「ところで。君は、私を殺してどうする心算だったんだ?」

 

「えぇ?」

 

 彼女は「今さらそれを聞くのかい」と言った。

 アオイは「まあ」と言葉を濁す。

 しかし、すぐに「目の前の疑問から取り掛かろうと思うのだ」と告げた。

 

「見ての通りだ。もう惨状と言ってもいい。こんな世界で、こんな状況で、どうするつもりだったのかな、と思ったんだ」

 

「どうするなんて、考えてもいなかった」

 

 パンジャの隣に寄り添うフリージオが薄青の光を明滅させる。

 その鎖を弄びながら、彼女は遠い目をしていた。

 

「もしも、君がこの状況を悲観していたら救いなるだろうとも考えた。――すまない、これはさっき階段を昇りながら考えた言い訳だ。『君を殺した「わたし」がどうなるのか、知りたかった』。ただ、それだけだ。だから、わたしが、どう生きようか、なんて考えていなかった。君を殺してみたいと思ったことは事実だけど、生きるために殺したいとは思わない」

 

 彼女は目を見開いて、一歩、柵に近付いた。

 アオイは、彼女が衝動的に身投げをするのではないかと思って声をかけた。彼女は、傷ついた顔をしてアオイから顔を背けた。

 

「下手な慰めはよしてくれ。自分で酷い矛盾を言っていることは、分かっているんだ。自己弁護もおこがましい程度にはね」

 

「ああ、そうだね。私に救済が不要なように、君に慰めも不要だとも。君は、ただ、すこしだけ、短い夢を見ただけなのだろう」

 

 アオイは、囁くように言った。

 

 夢。

 

 崩れ落ち、消えていく世界で、どうしても『夢』という言葉は儚い輪郭を持つ。

 背中の向こうで崩れていく風景のなかで、彼女は寂しげな顔をしていた。

 

「こんなものでも、君は、夢と呼んでくれるのね。……こんなもの。こんなものを。おぞましい。忌まわしい。ただの衝動だ。どうして。わたしが君を殺してしまえるように。君はわたしを殺しても構わないはずなのに」

 

「夢とは、欲だ。明暗で測るものではない。善悪で裁くものではない。熱量で測るものだ。君は、熱に浮かされたのだろう。母の夢を追って熱に侵されているのは、私も同じだ。……私は、まだ、君の感情の内実を解さない。お互いにもうすこし時間が必要だ」

 

「時間……」

 

 パンジャの言いたいことが、アオイもよく分かる。

 今さら、と言いたいのだろう。

 何度でも。この期に及んで、と。

 

「ミアカシ、おいで」

 

 閉じる世界をただ口を開けて見ていた彼女を呼び寄せる。

 ほのかに暖かい体を抱きしめる頃、パンジャが隣に立った。

 

「すこしの時間も、今は惜しい。――守るよ。君の親愛に応えよう。世界が終わるまで。いいや? 終わった後も。永久に……永久に」

 

「ありがとう。私も諦めたくはないが……文字通り、足手まといだ」

 

 アオイは、震える足を隠すように座り直した。

 

「すまない……ね」

 

 不思議そうにミアカシが「モシ」と言う。

 アオイのささやかな後悔を彼女が分かってくれないことが、辛かった。

 

 しかし。

 

 違う、とパンジャが吠えた。

 パルキアとディアルガ――その騒音に負けないように声を張る。

 

「そんなことはない。そんなことは、なかった。これまで一度だって無かった! ああ! 一度だって! 無かったんだ! だから、そんなことを言うのはやめて。いつも君が私の手を引いてくれた。君がいるだけでいい。それでわたしが救われる。今だって救われた!」

 

 すこしだけ未来を考えると弱るアオイの心を他でもない彼女が支える。

 そこにいるだけでいい、と誰かに言われる――そんな夢を、遙かな昔に抱えていたなと思い出した。

 

 アオイは、空を見上げた。

 

 たった数秒で世界は様相を変えていた。

 熱風に前髪が煽られる。

 ディアルガの放った光弾が時空の塔へ殺到する。それはアオイ達のいる気球の待機所も例外では無かった。

 

「――だから、世界が終わろうと、今日死んでしまうのだとしても、わたしは君のために戦える!」

 

 パンジャの命を受け、フリージオがディアルガの流れ弾を防いだ。

 

「伝説だの神だの知ったことか、そんなもの! ――フリィ、撃ちぬけ! 『ぜったいれいど』!」

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 それは。

 

 一度神体が吠えれば目が覚めてしまう、浅い夢だった。

 ダークライの昔日は、いつもセピア色に褪せている。

 

 何年、生きているのだろう。

 時空の塔の建設から完成まで見守ってきた。最も少なく見積もって百年だ。

 

 ――さまざまなことがあった。

 

 争いの多い時代であったし、国であったし、迫害があった。

 でも、終わってしまえればそれだけだった。

 それだけ。

 思い出にする価値も無い、寂しい記憶が多い。

 

 ――草笛の音が、聞こえる、気がした。

 

 あの日のことは、鮮やかな色を持って思い出すことができた。 

 

「……、……」

 

 アーティスト・ゴーディの庭園。

 風と水。

 静謐と調和をたたえる小さな箱庭に、その日は、小さな嗚咽が聞こえていた。

 

 蜜のような、とろけた黄昏の日。

 風にのって庭園を満たす音は、いつもの草笛ではない。

 

 鎮魂のための鐘の音だった。

 

 声が気になって庭園の奥から這い出てきたダークライが見たのは、木陰に隠れている少女だった。

 小さく細い手でぎゅっと顔を押さえつけて、ときおり震えている。

 

 けれど、ダークライが近づくことはできなかった。

 すでに心配そうに駆け寄るポケモンがいたのだ。

 

 ――アリシア……。

 

 薄暗がりに身を潜め、遠くから見つめることしかできなかった。

 ダークライには特別な少女だが、きっと彼女にとっての自分は世界にいる、ありふれた存在のひとつなのだろう。

 それを惜しいとは思わない。彼女の、優しさ、一心に相手を想う心は平等なものだ。

 だからこそ、惹かれたとダークライは分かってもいたから。

 

 けれど。

 

 ……、……。

 

 アリシアの優しさと同じ丈、悲しみも深いのだとダークライは知った。

 

 だから、悲しみにくれる彼女のそばに寄り添えないことは、惜しいと思う。

 何を伝えてよいのか。何を言うべきなのか。知識も相応しい言葉も無い。

 でも、寄り添うことはできると思うのだ。

 願うなら、その涙を止めてしまいたいとも思う。

 

 けれど、今いるポケモン達がそうであるように。

 寄り添うならば、だれだってできそうだ。

 自分である必然は無い。

 

 ダークライは、自分の手を見つめた。

 穴が開くかと思われるほど真剣に。

 そして、考えた。

 

 ――自分の、できることは?

 

 ――悪い夢が、何をできるだろう?

 

 その時、答えは出なかった。

 

 やがて時が経ち、ゴーディは枯れ、アリシアも世を去った。

 それでも、ダークライは変わらない。

 

 あの日の自問の答えは、まだ出ない。

 涙に濡れた黄昏の時間は、終わらない。

 

 

 だから。

 だからこそ。

 

 

 目を開き、アリシアによく似た瞳を見た時に――今度こそ、その涙を止めたい、と思えた。

 

 やるべきことは何か。

 やりたいことは、何だったのか。

 

 その答えを見つけて、ダークライは翔る。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 遙か上空を翔ていくダークライを見送り、トニオは頭を振っていた。

 アリシアとダークライの繋がりは、トニオには分からない。

 

 けれど、そこには単純で美しく、何よりダークライにとっての救いがあったのだろうと思えた。

 

 アリスとの短い会話の後、わき目もふらず、パルキアとディアルガのもとへ向かって行った。身体の状態や敵の強さがどの程度なのか。彼に考えが及ばないワケがない。

 

 ――消耗戦。

 

 そんな言葉が頭をよぎり、視界が暗くなる。

 ダークライがいくら強かろうとパルキアとディアルガの二体は手に余るのは明らかだった。万が一、勝つことができるとしても時間が足りない。街の崩壊はすでに数割を超したように見えている。彼が勝つまで街が持たない。

 

 地平線まで見えるようになるまで、もう間もなくなのだ。

 パソコンを開いて、フワライドが観測している映像を確認する。

 

 ――ああ、絶対的に間に合わない。

 

「ダメだ……ダメだ……何か、考えないと……考えないと、ダークライが……」

 

 実は、トニオの手には鍵がある。

 その名をオラシオンという。

 ゴーディが悪夢の予知により、残した『何か』。

 

 だが、その『何か』が分からない。

 

 分かったとしても、準備が必要なものならば――もう手遅れだ。

 それでも、縋るしかないし、賭けるしかない。

 

 橋の欄干を握りしめ、トニオは呟いた。

 

「オラシオンが……何か分かれば――」

 

 小さく、震える声でその名を呼ぶ。

 オラシオン。

 その名を知らないはずの声が聞こえた。

 

「オラシオン……? トニオ、あなた……オラシオンと言った?」

 

 アリスは、涙をこらえた目でトニオを見つめた。

 

「アリス、知って、いるの……!? オラシオンを!?」

 

 トニオはアリスに詰め寄った。

 ええ、と戸惑い、涙に濡れた声音だが、しっかりと彼女は言った。

 

「曲の名前よ。ゴーディが遺した、楽曲の一つであなたも聞いたことあるでしょう?」

 

「ア――ひょっとして、草笛の?」

 

 トニオは、思い出した。

 彼女の草笛を聞いたポケモンは大人しくなる。

 だから『彼女の草笛には、ポケモンの心を穏やかにする力があるのだ』――ずっとそう思っていた。けれど、ひょっとしたら、その力の何割かは『楽曲』のおかげだったのかもしれない。つまり、オラシオンという曲の能力は、ポケモンに安寧を齎すこと、かも、しれない。

 

 オラシオンは、分かった。楽曲だ。

 

 問題は、どうやって街中に響かせるか。

 神の如きポケモン達に聞かせるか。

 

「草笛の音をどうやったら、街に響かせられるのか……いっそ、アリスに歌ってもらうとか……放送装置は無事だろうか――」

 

「トニオ! 音盤の管理もしているのに。しっかりして。ゴーディの曲は、全部音盤になっているでしょう!」

 

「それだ! 音盤! いま、それが必要なんだ、アリス! ゴーディの日記にあったんだ! ああ、きっと、ゴーディは、この日、この時のために――!」

 

 ひとつ。

 現状を打開する手段が見つかった。

 

 トニオは、ゴーディの日記に見つけた写真をアリスに渡す。

 彼女の目が大きく見開かれて、最後に大きな涙が零れた。

 

「おばあちゃん……」

 

 吐息と同じ言葉をトニオは力強く頷いた。

 

 

■ ■ ■

 

 

 

「音盤を見つければ――!?」

 

 神と呼ばれるポケモン達の破壊行為は、留まることを知らない。

 庭園に逃げ込んだ誰もが手を合わせ、溜息を吐き、項垂れる現状において、それでも、サトシ少年達は――トニオ達がそうであるように――諦めてはいかなかった。

 

 時空の塔、その一階にたどり着いた彼らは、音盤を探した。

 

「でも、いったいどこに?」

 

「音盤って同じ形ですよね。何か、目印とか」

 

 ヒカリとタケシが、せめて名前が無いかと音盤を取り外した。

 

 対の尖塔を繋ぐ中間は、石膏で作られてた彫刻が飾られている。少女とポケモン達、そして自然との調和を描いたものだ。その彫刻には、いくつかの音盤が嵌められていた。

 

「トニオ、あれよ!」

 

 アリスは写真の裏に刻み込まれた楽譜と同じ紋章を持つ音盤を指さした。

 

「あとは、これを最上階までもっていくだけだ。――アリス、気球は!?」

 

「ヒコザルを待たせているわ。外に! サトシ君達も乗って!」

 

「はい!」

 

 外――上空は、乱戦状態だった。

 

 ダークライは、時空の塔に近付けないようディアルガとパルキアを攻撃する。そのせいでディアルガからもパルキアからも集中砲火を食らっているようだ。――しかし、時おり、横やりが入る。『れいとうビーム』の青い光が時空の塔への接近を阻んでいるのだ。

 

「あれは――」

 

「気球の待機所に……誰かいる、あ、パンジャさんだ!」

 

 風のない空間に、ふわりと舞い落ちる物がある。

 雪だ。

 

 ――戦っている人がいる。自分だけではない。彼らだけではない。

 まだ、諦めていないのだ。

 

 手足に力が漲り、トニオは駆けだした。

 アリスが、気球の重石に繋がる綱を切った。

 

「ヒコザル! 火力全開、上げて! ――みんな、つかまって!」

 

 アリスの声に応じて、気球は急上昇する。

 ズシ、と重力を感じながら彼らが見たのは、変わり果てた街の光景だった。

 

「そんな、街が……!?」

 

 ヒカリが思わず、口に手を当てて息を呑みこんだ。

 街は半壊していた。

 背の高い建物は、時空の塔を除きほとんど残っていなかった。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

「――近付けさせないっ!」

 

 パンジャは、油断なく辺りを見回していた。

 フリージオ、ニューラ、バニプッチ。

 彼女の手持ちのポケモンは全て戦闘に駆り出されている。

 

 それは、彼女の総力を意味した。

 

「君を守るよ。アオイは言ったね。山頂は観測の目が届かないと――この世界の生存者の最後のひとりになった時、生きてもいないし死んでもいない状態になるかもしれない」

 

「しかし、まぁ、都合の悪い賭には違いないが――ん?」

 

 ミアカシがサイコキネシスを外し、落胆の声を上げる。

 それをあやしながら、辺りを見回したところで彼は気球を見つけた。ダークライが護衛のように辺りを周回している。人が乗っているようだ。

 

「パンジャ、下方から接近する気球あり。当てるなよ」

 

「了解だ。なんだ、上空に逃げる心算かな。――正直、ここも他と変わらなくなってきたところだが」

 

 パンジャの言うとおり、時空の塔自体にも空間消失の範囲が近づいてきた。

 二人は階段を登って辿り着いたが、階段自体が消失しかかっており、足の悪いアオイはもちろん、健康なパンジャであっても降りることはできないだろう。

 

「誰が乗っているのか……」

 

 ニューラの『こおりのつぶて』が、パルキアにぶつかり、怒ったパルキアが塔に向かってたいあたりを食らわせる。直前に割り込んだフリージオが『まもる』を展開してそれを防いだが、巨体の衝撃はすさまじく風圧でアオイは飛ばされそうになった。

 

「わ、わ。さすがに、この高さは死ねるな!」

 

 震える手で柵にしっかりつかまるアオイは、途端に消失し始めた安全柵を見てギョッとした。ミアカシもさすがに驚いたようでアオイごとサイコキネシスで宙に浮かせ、比較的消失の少ない区画まで移動した。

 

「あ、ありがとう」

 

「そういえば、君の死因レパートリーに墜死は無かったね」

 

「それはもう幸いなことにね。経験済みは、圧死と焼死と失血死だ。どれも比べがたく酷く痛い。オススメしないね」

 

 アオイは、鞄をごそごそとあさり、目的の品を見つけた。

 すごいキズぐすりだ。スプレーが機能することを確認し、フリージオを呼んだ。

 

「フリィ、おいで! 治療しよう」

 

「バニィ、前に――」

 

 フリージオが下がり、代わりにバニプッチがニューラと前線に出た。

『せっかち』なフリージオは、しきりに震えてアオイをせかした。パルキアと衝突したせいで体力は削られている。一時であれ休息は必要だった。

 

「君が――ううん、誰も倒れるワケにはいかない。みんなで生きよう」

 

 シャンシャンと氷を揺らす音がする。同意を得た、とアオイはスプレーを振りかけた。

 

「――できることを、やるんだ。できるところからね」

 

 治療が終わったとみるやフリージオはパンジャの前に飛び出して行った。便宜上、彼女とする――フリージオはパンジャのことが好きなのだ。

 

「フリィ、気球を援護してくれ」

 

「パンジャ?」

 

 フリージオは、彼女の命令とおり、柵を跳び越えると地上二階付近を上昇してくる気球に寄り添った。

 パンジャが、ここで戦力を割くとは予想外だった。『まもる』と『ぜったいれいど』が使えるフリージオは、彼女にとって最強の盾であり、矛であったからだ。

 

 最大戦力を欠落させた後でパンジャは、呆然としていた。自分でも、どうしてそんなことを言ったのか分からない。今にもそう言いそうな顔をしていた。それでも。

 

「――きっと、君なら、こうするだろう。誰のものであれ、命は尊いものだから。あの子達を守ろうと」

 

 アオイは昇ってきた気球を見た。

 そこには予想されたトニオ、アリスとサトシ少年達がいた。

 

「あ、君たちは……!」

 

「オラシオンが分かりました!」

 

 無邪気に手をふるミアカシに、つい手をふりかけたサトシが半端な笑い顔を作った。

 彼らの頭上で交わされる言葉に、しばし、パンジャも指示の手を止めた。

 

「なに?」

 

「オラシオンは楽曲だったんです――いま、最上階まで行きます!」

 

「楽曲……最上階……ああ、そう、そういうことか、アーティスト・ゴーディ……!」

 

 外付けの装置で音を増幅させることは、難しいことではない。ただ、遠くに音を響かせるのならラッパの形にすればよい。

 だが、時空の塔は、そうではない。

 音はゆりかごのように反響し、がらんどうを満たすだろう。空虚な空間を。廃墟の街を。

 

 遠くに音を届けるのではない。

 

 形は、今日、この日のために。

 曲は、今、この瞬間のために。

 

(――すべて準備されていたのだ)

 

 アオイは、杖をたぐり、立ち上がった。

 

 舞台装置は最初から整っていた。

 ならば、後は、希望をつかむまで。

 

 アオイは、ミアカシを抱えたまま気球を指さした。

 

「アリスさん、最大火力を! パンジャ、最大限の援護を! ――ミアカシ、サイコキネシスで打ち上げろ!」

 

 アオイの指示に応え、ヒコザルはいよいよ強く火を噴く。

 ミアカシが手繰るように気球の形をとらえた瞬間――気球の位置が変わった。瞬く間に視界から消えた気球は、屋上近くまで上昇を終えたようだ。

 

 柵から身を乗り出して、その様子を見届けたアオイはミアカシを抱きしめた。

 

「よし、よし――よくやった、ミアカシ! うんうん、できる子だよ、君は!」

 

 テレテレしているミアカシは、頭上の焔をふよふよと揺らした。

 その様子をジッと見ていたパンジャに、アオイは身を固くした。

 

「…………」

 

「あ、いや、パンジャが頑張っていないとか、そういう意味じゃないけどね」

 

 ミアカシを隠すようにアオイの声は小さくなる。

 

「ああ、別に。君のために頑張るのは当然だから、別に、何とも思っていないんだけど、別に。君はそういう賞賛の仕方をするのだね。参考にするよ」

 

 ――待て、何のだ。

 アオイの疑問に対し、答えは無かった。

 

 直後、塔が揺さぶられる衝撃が奔る。

 空を見上げれば、ダークライのダークホールがパルキアとディアルガを捕らえた瞬間だった。

 

「あれは……?」

 

「眠りに誘う空間だ。ダークライの悪夢そのものだとか。実際、見るのも初めてだが――」

 

 それを、アオイは決死の攻撃と見た。

 

「アレが途切れた瞬間、ダークライは集中攻撃を受けるだろう」

 

「なぜ?」

 

 攻撃が止んだことでニューラもバニプッチも一時の休息を得ていた。もっとも、空間が消えかけているので二体はパンジャの傍を離れようとしなかった。片腕でニューラを抱きかかえながら、パンジャは単眼鏡を覗いていた。 

 

「君のポケモン達の攻撃は、彼らにとってささやかないやがらせだったが、二体のポケモンを足止めするダークライの攻撃は明確な敵意と受け取られる。『うっとおしい小さきもの』から『まず倒すべき邪魔者』という認識に変わるからだ。ダークライも今まで同時に二体を攻撃することは極力避けていたように見える――あの火力にまともに食らったらいかなポケモンであっても塵さえ残らないだろう」

 

「――――」

 

 空の戦力の要であるダークライが戦闘不能になれば、なし崩しだ。

 地上に残ったトレーナー達の奮闘も見える。だが、空の彼らには届かない。

 

 パンジャは、バニプッチとニューラに向けて言葉をかけた。

 

「さぁ、行きなさい、すこしでも消失が少ないところへ。さぁ、行きなさい、行きなさいと、わたしが『行け』と言っているんだッ!」

 

 躊躇った後に、驚いた彼らが「ピャッ」と小さな声を上げ、あるいは、割れた氷の音を立てて塔の外壁を昇っていった。

 

「パンジャ、いいのかい」

 

「こうするべきなんだ。生きる可能性が、すこしでも、あるのなら……こうするべきだ。わたしは、あの子達を愛しているけれど、君を置いてはいけないし、そばにいたいと願ったから」

 

 本当に、守るべきは子ども達だ。

 音盤を抱えた少年達の助けになればよいとパンジャは言った。

 

「――彼らは間に合う、だろうか」

 

 パンジャが振り返る先には、登り階段がある。――正しくは『あった』

 消失に巻き込まれ、完全に孤立したことをアオイも把握していた。

 

「それに賭けるしかないだろうな」

 

「もどかしい」

 

 彼女は険しい顔をしていた。

 

「――自分で解決できない難題をあんな子どもに任せるしかないなんて。可哀想だ。可哀想に。可哀想なのに」

 

 アオイは、彼女の言いたいことが分かる。

 悔しい。

 自分の命運を誰かに託さなければ、生きていけないことが悔しい。

 けれど、託される彼らも哀れに思う。

 

 ――本来ならば重荷を感じてしまう前に、大人が取り上げるべき仕事だ。

 

 アオイは、今日何度目かになる礼をパンジャに言い、足を下ろした。

 不安げに大人しくしているミアカシに語り聞かせるように彼は言った。

 

「やるべきことを自分で選んだのなら、どんな苦難も乗り越えていけるよ。――特に、子どもは幼いから恐怖を知らない。今に自分が死んでしまうなんて思いもしないだろう」

 

「それを知らないことは不幸なことだ」

 

「そう。私達は、それを不幸と呼ぶ。これ以上ない不幸だ。けれど、知らないから彼らは尊く、勇ましい。いつだって果敢に挑めるんだ。ひょっとしたら使命に駆られる大人よりも上手くコトを運ぶかもしれない」

 

 アオイの背中の向こうでは街であったと分からないほど崩れ始めていた。

 街の崩壊が止まらない。

 悪夢の中にパルキアとディアルガを封じ込めているダークライの限界は近い。

 

「信じてみよう」

 

「……君が言うから、わたしは信じるだけだ」

 

「今は、それでいい」

 

 どちらからともなく手を伸ばし、ふたりは手を繋いだ。

 

「これからの未来を拓いていくのは、ああいう子ども達じゃないかと思うんだ。底抜けに明るくて、負けず嫌いで、誰かのために懸命になれる子だ」

 

「そう。ねえ、アオイ。もしも、わたし達が子どもだったら、一緒に走ったかな」

 

 ぽつりと零された言葉に、アオイは耳を傾けた。

 二人の間には、選ばなかった選択の余白だけが許されていた。

 

「――明日は、来ないかもしれない。今日より悪くなるかもしれない。それでも。よそ見をせず、走ることができただろうか? 最期まで走ることができるだろうか? 一分でも一秒でも、足掻き続けられただろうか?」

 

 小さく震えて涙をこぼす彼女をアオイは抱きしめた。

 戦闘の忙しさに紛れていた感情が、彼女に追いついた。

 死んでしまうことは恐ろしく、なにより独りが怖いのだと泣く彼女に、アオイは応えた。

 

「よそ見をした君の手を引いて、私も一緒に走るよ。きっとね」

 

 見上げた先で、遂にダークライの力が尽きた。

 アオイの予測通りの猛反撃をまともに受け止め、宙に放られた彼の肢体が街と同じように消失する様を二人は無言で見送った。

 

 

 

■ □ ■

 

 

 

 そこからの出来事は、立て続けに起こった。

 限られた足場で最期の時を待つふたりの上空では、絶えずパルキアとディアルガが吠え、ぶつかり、技を交わす。

 

「マズいな」

 

「モシ……モシ、モシ……」

 

 ミアカシがアオイの腕のなかでもぞもぞと居心地悪そうに震えた。

 自分がここにいてもいいのか、と伺うような瞳にアオイは微笑み返した、つもりだったが、笑みはだいぶぎこちない。ミアカシは小さな両手で顔をギュッと覆ってしまった。

 

「ふ、不安だろう。私もだ。先ほどから手の震えが止まらなくていけないし、歯が噛み合わない……」

 

 足場は一メートル四方にまで範囲を縮めていた。これが無くなった瞬間、ダークライのように消え失せるか地面までノンストップ墜死は免れない。

 それでも、二人はかたく抱き合いながら、待ち続けるしか無い。

 

「地上も似たり寄ったりだ。庭園が砕けている」

 

 昨日、歩いたばかりの庭園の水場が砕けた様子を見てパンジャが暗く言った。

 もはや宥める言葉も尽きて久しい。

 

 しかし。

 空間の保持が限界という瀬戸際に、ゴーディの描いた奇跡は起きた。

 

 聞き間違うはずが無い。

 その音は。

 パルキアとディアルガが衝突する以外は、無音となりつつある世界に響き渡った。

 

「――鐘、の」

 

「音が……!」

 

 オラシオン。

 

 聞いたことはないはずなのに、どこか懐かしい調べ。

 天上から降り注ぎ、身を震わせるほどの荘厳な音色。

 

「は、は……はは、やったぞ、あの子達……」

 

「信じられない……っ。消失が止まった……パルキアもディアルガも動きを止めているっ――!」

 

 ミアカシが音楽に誘われて顔を上げた。

 この街の誰もが思ったことだろう。――もしかしたら、助かるかもしれない。

 

 それから先にあった上階でのやりとりをアオイは口達でしか知らない。

 

 なんとサトシ少年が『パルキアのバカヤロー!』と怒鳴り、街を元に戻すように呼びかけたのだと言う。それに応えるほどの情があったのか。詳しいことは定かでは無いが、確かにパルキアは約束を果たしたらしい。空間に散っていった街が瞬きの間に、復元されていく。

 

 音楽が終わると同時に神々の争いは終焉を迎え、街は元の姿を取り戻し、空の色は抜けるような青に変化した。

 

 悪い夢を見ていたと言われてしまえば信じてしまう光景を前に、二人は呆気にとられていた。

 

「お、お、お……おぉ……も、元通り、だね?」

 

「その、ように、見えるが、うん……」

 

 アオイは試しに杖の先で、先ほどまで消失していた鉄板を叩いた。

 鈍い手応えに、ふたりは一度顔を見合わせ、手を挙げて喜んだ。

 

「や、やったー?」

 

「はははは、あははは! ……はぁぁぁぁ、二度とごめんだ、こんなこと……」

 

「……そうだね……ホント、そうだね……はぁぁ、つ、つかれ、た……」

 

 上機嫌から一転、パンジャはくたりと膝をつき、アオイも気が抜けて座り込んだ。

 ミアカシが地べたに溶けるように魂の抜けた「モシぃ……ぃ」という声を漏らす。誰もが同感のようだった。

 

 

 三日ほど、ぐっすり眠りたいアオイにようやく分かることといったら、大したことは無かった。

 アラモスタウンを襲った未曾有の天災は、百年前の天才と勇気ある少年少女達によって跡形も無く解決されてしまった、というありふれた輝かしい結果だけだった。

 

 




【あとがき】
アラモスタウンの人々は、恐怖で震えている間に、なんだかよく分からないけど助かった!ってなっていそうだな、と思って書いていました。

あれ?もっと関わらないの?と思った方がいらっしゃったら、きっと、困難に向けて走れる方だと思います。アオイ達の手には、事態を変化させる鍵が無かったので、走る準備を整えている間に、時間切れになった感があります。

主人公が主人公たり得るには、やはり、必要なものがあるのだと勉強させていただきました……再構成って難しいね……

【あとがき2】
あと1話、もうすこしだけお楽しみいただければ幸いです!

作中、面白かったもの、興味深かったものを教えてください。

  • 登場人物たち
  • 物語(ストーリーの展開)
  • 世界観
  • 文章表現
  • 結果だけ見たい!
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