Parade~笛吹く黒衣の男   作:狂愛花

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第1章

・本文

 昔々、ある王国がありました。

 

 その王国では、多くの奴隷たちが働かされていました。

 

 奴隷は人としては扱われず、家畜以下の扱いを受けていました。

 

 ある日、その王国に一人の男がやってきました。

 

 全身が黒で覆われたその不気味な男は、働かされている奴隷たちを見つけると、笛を吹き始めました。

 

 その笛の音を聴いた者たちは皆、眠りについてしまいました。

 

 しかし、奴隷たちだけは眠りませんでした。

 

 男は奴隷たちを縛る鎖を断ち切ると彼らに手を差し伸べて言いました。

 

 「君たちはもう自由だ! どこへでも好きな場所へと行くがいい! 行く場所が分からないと迷う者は私と行こう! 私と共に縛られている者たちを解放しに行こう!」

 

 奴隷たちは皆、男について行くことを決めました。

 

 笛を吹きながら歩く男の先導に続き、元奴隷たちは列をなして歩き始めた。

 

 その行列はどんどん大きくなっていき、まるで何かのパレードのように見えました。

 

 その後、奴隷たちがいなくなってしまった王国は、働くものがいなくなってしまい、遂には滅んでしまいました。

 

 めでたしめでたし……。

 

 

 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△

 

 

 少女の頭に昔、読んだ覚えがある絵本のストーリーが思い浮かんだ。

 

 そのストーリーは、奴隷をこき使う悪い王様から、主人公である謎の笛吹男が奴隷たちを解放する勧善懲悪的な物語。

 

 脈絡もなく思い浮かんだその物語を少女は自虐的に嘲笑った。

 

 「(所詮は御伽話よね……)」

 

 雪や光、それを纏ったような白い髪と肌を持つ少女。その姿は正に可憐そのものと言えるだろう。

 

 まるで人形のような完成された美しさを持つ白い少女。

 

 しかし、その美しさは今の少女からは欠片も感じられなかった。

 

 髪は傷んでボサボサになっていて、肌はいたる所に傷があり、来ているワンピースも泥や煤に塗れて、可憐とは全く正反対のみすぼらしい姿をしていた。

 

 何故、可憐な白い少女がこのような姿をしているのか。

 

 少女の趣味だと言えば、理解に苦しむが、事実はそうではない。

 

 「さっさと立て!」

 

 男の怒号と共に振るわれた鞭が少女を容赦なく襲った。

 

 バシッ!

 

 少女の柔肌が裂ける音がした。

 

 激痛に少女の表情が歪む。

 

 それでも男は鞭を振り下ろし続けた。

 

 バシッ! バシッ! バシッ!

 

 振るわれた鞭が凶獣の如く倒れ伏せる少女に襲いかかる。衣服を裂き、肉を裂き、血がドクドクと流れでても、少女を助けようとする者はいなかった。

 

 それは少女が“奴隷”だからだった。

 

 少女を鞭打つ男以外、少女の周りにいるのは大半が少女と同じ“奴隷”なのだ。

 

 少女同様にボロボロの出で立ちの彼らには、少女を助ける術も、勇気すら無かった。

 

 もし助けようと飛び出したら、今度は自分が鞭に打たれると分かっている。

 

 だから誰も少女を助けようとはしない。

 

 「いつまで寝てる! さっさと立て!」

 

 鞭を振るうのに疲れた男は少女に近づき、その小さくか細い体を力いっぱい蹴り上げた。

 

 「カハッ!!」

 

 少女の体が数秒、宙を舞った。

 

 蹴られた衝撃によって体を巡っていた酸素が一気に吐き出された。無理やり外へと出された空気と共に胃液も一緒に吐出され、少女は痛みと不快感に襲われて更に胃液を吐き出した。

 

 そんな少女を汚物を見るような蔑んだ目で見下す男は、それ以上の暴力を止め、少女から離れていった。その去り際も男は呪詛のように口汚く少女を罵っていた。

 

 こんな目にあっているのに、まだ幼い少女は弱音一つ、涙一つ見せはしなかった。

 

 それは気丈に振る舞っているからではなく、諦めてしまっているのだ。

 

 “誰も助けてくれない”と。

 

 奴隷となってしまった当初の頃は、頬を打たれただけで泣き散らしていた。鞭に打たれ裂けた体が悲鳴を上げていた。

 

 しかし、いつしか痛みに慣れてしまった。

 

 いつしか涙は枯れてしまっていた。

 

 いつしか助けなどないと悟ってしまった。

 

 まだ年若い少女が知るには、あまりにも酷すぎる現実。それは少女の心を破壊するには充分過ぎた。

 

 しかし、そんな少女の心はまだ完全には壊されていなかった。

 

 理不尽な暴力に襲われている最中、彼女は奴隷たちを助ける謎の男の物語を思い浮かべた。

 

 それは彼女が心の奥底で物語の奴隷たちのように救われることを今か今かと待ちわびているからだ。

 

 だが、現実は非常で残忍だ。

 

 少女が奴隷となって幾星霜の年月がたったが、その間に少女の心が冷たくなっていけど、奴隷解放の英雄は現れはしなかった。

 

 そんな存在は現れやしない。

 

 頭でそう結論づけていても、心の中ではどうして夢を見てしまう。悲しい人間の性だ。

 

 泥に塗れた傷だらけのか細い四肢に微力な力を入れ、少女はヨレヨレと立ち上がる。

 

 そしてフラフラな足取りで、彼女を透明人間のように無視して作業を続ける奴隷たちの波に彼女は紛れていった。

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 奴隷たちにとっての唯一の至福の時間。それは睡眠の時間。

 

 この時だけは、奴隷たちは奴隷という鎖から一瞬だけ解放され、夢の中へと逃げることができる。

 

 家族と幸せに暮らす夢。

 

 お金持ちになって贅沢する夢。

 

 自分たちをこき使う者たちに復讐する夢。

 

 ただただ無気力に空間を空気のように漂う夢。

 

 見る夢は見る者によって様々である。

 

 無論、白い少女も例外ではない。

 

 彼女にとっても睡眠の時間は唯一至福の時なのだ。

 

 そんな彼女が見る夢は、家族と暮らす夢。

 

 それは昔、彼女にとって当たり前に存在していた日常であり、一瞬にして奪われた、愛しくかけがえの無い日常の風景……。

 

 彼女が何故、奴隷になってしまったのか?

 

 それは彼女の両親が死んでしまったことがきっかけだった。

 

 彼女は元々、良家の生まれである令嬢だった。

 

 優しい両親に愛され、穢を知らず心優しい少女へと彼女は成長していった。

 

 ある日、両親が事故で亡くなったと言う報せが彼女の下に届いた。

 

 すぐには信じられなかった。

 

 事実だと理解しても到底受け入れることはできなかった。

 

 彼女は泣いた。

 

 両親の死の報せが嘘偽りない真実であることに。

 

 動くことも話すこともない、氷のように冷たくなった両親の遺体の前で。

 

 しかし、悲劇はこれだけで終わりはしなかった。

 

 彼女の父親は、良家の現当主であった。

 

 その当主が亡くなったことで、次の当主は自然と当主の娘である彼女に継承される。

 

 しかし、良家などの裕福な家柄には、常に遺産や跡目などを巡って争うしがらみが憑き纏う。

 

 彼女の家も例外ではなかった。

 

 まだ成人もしていない幼子の彼女が当主となることを周りの親戚たちは猛反対した。

 

 確かにまだ幼い彼女では、良家の責務を全うすることはできない。

 

 彼らはそこに目をつけた。

 

 「かわいそうに……。両親が死んでしまって、さぞかし寂しいだろうね……。よし! なら私の所にきなさい! 何不自由ない暮らしをさせてあげようじゃないか」

 

 「駄目よ駄目よ。こんな男のところより、アタシのところに来なさいな! むさ苦しい男なんかより、女同士の方が何かと都合がいいじゃない? だからね? アタシが貴女の新しいママになってあげるわ」

 

 「いやいや、一人身に彼女を育てることなどできるわけないじゃないか。私たち夫婦の下に来ることが、彼女にとって幸せなことに決まっている」

 

 「夫の言うとおりよ。彼女には新しい両親が必要なの。一人身の貴方たちじゃ、役不足なのよ。だから、私たちのところにいらっしゃい」

 

 親戚たちは優しそうに彼女に救いの手を差し伸べてきた。

 

 しかし、その我先にという勢いと、優しさの裏に隠れている醜い欲望が、彼女に手を取ることを躊躇させた。

 

 それからも親戚たちは悲しみに打ちひしがれる彼女の許に何度もやってきた。

 

 子供が喜びそうな物を山のように携え、彼女のことを心配してると口々に言いながら擦り寄ってきた。

 

 そんな親戚たちの姿が、彼女には得体のしれない怪物に見えた。

  

 親戚たちは誰も彼女のことを本気で気遣ってなどいない。彼らの中にあるのは、彼女の親代わりになり、彼女をお飾りの当主に仕立て上げて実質的に当主の座につくことだけだった。

 

 心配していると嘯く親戚たちが恐ろしくなった少女は、彼らの誘いを断った。いや、自分に擦り寄ってくることを拒絶した。

 

 親戚たちも最初の頃、彼女に気に入られようと笑顔を貼り付け優しく話しかけていたが、何度来ても首を立てに振らない彼女に苛立ち、次第に怒りの形相を浮かべ罵詈雑言を浴びせて脅すようになっていった。

 

 案の定、怯えた彼女はより一層彼らを拒絶した。そして遂には部屋に閉じこもり誰にも会わなくなってしまった。

 

 このままでは不味いと思った親戚たちは、必死に取り繕ったが、効果はなかった。

 

 思い通りにならないことに業を煮やした親戚たちは、悪魔の囁きに耳を貸してしまう。

 

 “彼女を亡き者にしよう。”

 

 決断した瞬間、今までいがみ合っていた親戚たちは、少女を亡き者にする為に結託した。それからの親戚たちの行動は早かった。夜、少女が眠る屋敷に忍び込み、寝込みを襲い、その犯行を金目当ての賊の仕業に偽装する。念には念を入れ、自分たちに疑いの目が向かぬよう濡れ衣を着せる犯人役も街で見つけておいた。これによって少女は消え、自分たちは罪に問われず、当初の目的通り大金と権力を手にすることができる。

 

 しかし、後々に誰が当主の座に就くかで再びいがみ合うことになると、この時の親戚たちの頭にはなかった。

 

 そんな余談はさておき、これが親戚たちが結託して導き出した犯行計画だった。

 

 計画実行の日。予想していたよりも容易く屋敷に侵入できた親戚たちは、少女の眠る部屋に忍び込み持参した短刀で少女を刺そうとした。

 

 だが、ここで予想外のことが起こった。眠っていた少女が目を覚ましてしまったのだ。

 

 一瞬、親戚たちは驚きで動きを止めてしまった。

 

 暗い部屋に見知らぬ者たちがいることにパニックを起こす少女。

 

 「キャァァァァァァァ!?」

 

 屋敷に絹を裂くような少女の悲鳴が響き渡った。

 

 これに慌てた親戚たちもパニックを起こし、慌てて少女に襲いかかった。

 

 しかし、そんな親戚たちの一瞬の隙をついて少女は窓から外へと飛び降り逃げ出した。少女の部屋があるのは3階だったが、窓の下にあった植え込みの上に落ちたことで、数箇所の裂傷と右足の骨に罅が入った程度で済んだ。

 

 頭上から聞こえる親戚たちの焦り混じりの怒号を余所に少女は走り出した。

 

 体を動かすたびに体中の裂傷が、右足の骨の罅が、ズキズキと痛みだす。しかし、少女はそんなことなど気にしている暇はなかった。

 

 兎に角逃げなければ!

 

 少女は無我夢中で前に向かって只々走り続けた。

 

 しかし、相手は大人。子供である自分とは力の強さも違えば、走る速さも桁違いと言える。

 

 案の定、少女が必死になって走ったにも関わらず、彼らはもう追いついてきた。

 

 暗い夜の森の中。木々の隙間から差し込む月光だけが唯一の明かりといえる中、少女を追いかける親戚たちの表情は必死そのもの。一瞬後ろを振り返った少女の目には、まるで悪鬼羅刹が追いかけてきているように映った。

 

 それが彼女を一層恐怖させた。

 

 何秒、何分、何時間、森の中を走っただろうか。それ程に必死だった少女の目の前が一瞬で開けた。森を抜けたのだ。

 

 しかし、そこで待っていたのは、少女を更に追い詰める状況だった。

 

 少女の前には、なんと断崖絶壁の崖が大口を開いて待ち構えていたのだ。

 

 前には崖、後ろには殺意に満ちた親戚たち。正に前門の虎、後門の狼である。

 

 ジリジリと親戚たちが一歩一歩、着実に近づいてくる。

 

 それと一緒に少女も一歩一歩、後ろへと後退っていった。

 

 しかし後ろは断崖絶壁の崖。後退るにも限界がある。

 

 少女はあっという間に崖の淵まで後退ってしまい、逃げ道を失ってしまった。

 

 短刀を持って迫りくる親戚たち。

 

 逃げ道を失った少女は己の死を悟った。

 

 少女の目の前まで迫った親戚の男は、その手に持つ短刀を強く握り締め、切っ先を少女に向けて力一杯突き出した。

 

 迫りくる刃に少女は思わず一歩、後ろへと後退ってしまった。

 

 彼女の後ろは崖。当然、足を置く場所などなく、後退った足は空を踏み抜いて少女の体を後ろへと倒れさせる。

 

 幸か不幸か、それによって突き出された刃は少女を突き刺すことなく、衣服の一部だけを切り裂くだけに終わった。

 

 そして少女は重力に引っ張られ、崖下へと転落していった。

 

 少女にはその瞬間が全てスローモーションに見えた。

 

 突き出された短刀の切っ先。短刀を突き出す親戚の男の鬼気迫る形相。それを後ろから見守る他の親戚たちのハラハラした表情。それらの光景がだんだんと遠退いていき、少女の体を冷たい水が覆い隠し、少女の耳に水の音が聞こえたのを最後に、少女の意識は闇の中へと沈んでいった。

 

 そして目が覚めると、少女は奴隷の集団の中にいた。

 

 どうやらあの後、海に落ちた少女は運良く一命を取り留め、海岸に打ち上げられていたらしい。

 

 そこへ人買いが通りかかり、少女の外見を見て売れると判断して、奴隷の一人として捕獲したとのことだった。

 

 一難去ってまた一難。親戚から殺されそうになった次は奴隷として売り飛ばされる日々が少女を待ち構えていた。

 

 奴隷として当初、少女に与えられた役目は回春だった。

 

 可憐な外見に育ちの良さが伺える立ち振舞い。まだ幼いとはいえ、性の対象とする輩は少なくはない。それに将来的な楽しみも含めれば、売り物としては一級品と言えるだろう。

 

 最初に少女を買ったのは、然る国の王を務める初老の老人だった。

 

 優しそうな外見とは打って変わって、未だ性欲に溢れた老人は穢を知らない少女をすぐさま毒牙にかけようとした。

 

 しかし、少女の必死な抵抗によってなんとか未遂で済んだ。

 

 だが、それ以降も老人は何度も少女を襲おうとした。少女も必死に抵抗したが、幾度目かで抵抗虚しく、老人の毒牙に掛かってしまった。

 

 経験したことの無い痛みや不快感が少女を犯していった。

 

 それ以降も老人は何度も少女を求めた。少女が抵抗すると殴って大人しくさせるようになった。

 

 ある日、少女はいつものように自分を襲おうとする老人に思いっきり噛み付いた。今まで自分を好き勝手してきたことへの細やかな復讐だった。

 

 それが少女にさらなる不幸を呼ぶこととなった。

 

 噛みつかれたことに逆上した老人は、怒り任せに少女を痛めつけた。どんなに少女が泣き叫ぼうと決して許しはしなかった。

 

 肩で大きく息をし、額に大粒の汗を滲ませるまで暴力を振るい続けた老人だったが、それでも尚、怒りは収まらなかった。

 

 「この小娘を奴隷どもと同じように働かせろ! 泣こうが喚こうが決して許すな! 泣くなら鞭で打て! 喚くなら更に鞭で打て! 儂にこのようなことをしたことを後悔させてやる!」

 

 こうして少女は労働奴隷として働かされるようになったのだ。

 

 それからのことは、前述した通りである。

 

 王の命令に従って奴隷たちを監視する者たちは、他の奴隷よりも厳しく少女を攻めたてた。中には、王に隠れて少女を穢した者もいた。

 

 まさに波乱万丈の人生を僅か数年程度で経験させられた少女の心は、もうボロボロだった。

 

 今日もまた、かつての幸せな日々を夢に見るため、深い眠りへと落ちていった。

 

 もう戻らない日々を夢見ながら、少女は知らず知らず涙する。

 

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 「あっ」

 

 いつものように労働を強いられている時だった。少女は転んでしまった。

 

 すぐに監視の者たちに見つかり、暴力が雨のように降ってきた。

 

 「立て! さっさと働け!」

 

 バシッ! バシッ! バシッ!

 

 鞭で打たれ、殴られ、蹴られる。少女はいつものように無抵抗で暴力を受け続けた。それを周りの者たちは助けず見て見ぬふり。

 

 今日も今日とて変わらぬ日々が過ぎていく。少女を始め、その場にいる者たちは皆そう思っていた。

 

 「このっ!」

 

 監視の男が鞭を振り上げた、その時だった。

 

 どこからか音が聞こえてきた。

 

 その音はこの場にいる全員の耳に入り、全員が一瞬にして動きを止めた。普段、監視の者たちからの指示がない限り何があろうと動きを止めない奴隷たちは、どこからか聞こえてきた微かな音程度で動きを止めてしまったことに皆困惑した。

 

 それは監視の者たちも同じだった。いつもなら何があっても奴隷たちを休ませることなど許しはしない。だが、今はそれよりも何故か微かに聞こえてきた音が気になっていた。

 

 音は次第に大きくなっていく。

 

 その音は“音楽”だった。誰かが奏でる“笛の音色”だった。

 

 「誰だ! 笛など吹いているのは!!」

 

 監視の男が怒鳴った。

 

 奴隷たちがどよめく。

 

 その場にいる皆が笛を吹く者を探して辺りを見渡す。

 

 そして全員が一点の方向へと視線を向けた。すぐ近くまで来た笛の音色の聴こえる方向だ。一人の人影がそこにはあった。

 

 「貴様! 何者だ!」

 

 監視の者たちが集まり、現れた人影を警戒する。鞭を構え、槍を構え、剣を構え、敵対心を露にして武器を人影へと向ける。しかし、それでも人影は歩みを止めず、監視の者たちの方へと近づいていく。

 

 それは男だった。白髪の長髪。漆黒のマント。銀の仮面。その下から除く皺だらけの肌。そしてその男が奏でる横笛。

 

 「怪しい奴め…! 引っ捕らえろ!!」

 

 その言葉を合図に監視の者たちが笛吹男に飛びかかって行った。

 

 その時、不思議なことが起きた。

 

 笛吹男に飛びかかって行った監視の者たちが次々と倒れていったのだ。

 

 その光景を見ていた奴隷たちは我が目を疑った。

 

 笛吹男は何もしていない。ただ笛を吹いているだけだった。それにも関わらず、笛吹男に飛びかかって行った者たちは、男に触れる前に、まるで糸を切られた人形の様に倒れ込んでいった。

 

 騒ぎを聞きつけて警備の者たちがやってきた。

 

 「侵入者だ!!」

 

 警備の一人が叫び、警鐘が鳴らされた。

 

 けたたましい鈴の音が鳴り響き、衛兵たちがゾロゾロと集まって行く。笛吹男は一瞬にして衛兵たちに取り囲まれてしまった。

 

 しかし、それでも男は笛を吹くのを止めなかった。

 

 幾千もの槍や剣の切っ先が笛吹男を狙い定めている。その様はまるで針のむしろのようだった。

 

 「掛かれ!!」

 

 その言葉を合図に兵士たちが一斉に笛吹男に襲いかかった。

 

 しかし、案の定、兵士たちの刃が笛吹男に届くことはなかった。

 

 突進の如く笛吹男に襲いかかった兵士たちは、先の監視の者たち同様に、笛吹男に近づいただけで意識を失い、前のめりに倒れ込んでいった。

 

 「な、なに……!?」

 

 予期していなかった事態に兵士長は目を見開いた。

 

 当初、兵士長は唯の侵入者。過去にもあった、宮殿に忍び込み金銀財宝を盗もうとした盗人だろうと高を括っていた。

 

 しかし、実際はどうだ? 

 

 明らかに普通では考えられない出来事が目の前で起きた。その事実に兵士長は狼狽していた。

 

 「化物め!!」

 

 兵士長は恐怖に震える己を否定するように叫んだ。

 

 空元気に似たその威勢に任せて未だに震える体を叱咤し力を込める。先の兵士たちと同じように剣を構え、兵士長は笛吹男に向かって行った。

 

 「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 

 獣のような雄叫びを上げ、兵士長は渾身の一撃を振り下ろした。

 

 ギン!!

 

 鈍い金属音がその場に響き渡った。

 

 兵士長の刃は、笛吹男を捉え切り伏せることなく、空を切り、笛吹男の足元に突き立てられていた。

 

 「お前は…一体……何…者……なん……だ…?」

 

 振り絞って出したような言葉を零し、兵士長はその場に倒れ伏せた。

 

 あっという間の出来事だった。

 

 突然、その場に現れた謎の笛吹男によって、監視の者も、衛兵も、歴戦の兵士たちも、それを指揮する兵士長さえも、地に伏せて眠らされてしまった。

 

 まるで彼らが今まで虐げていた奴隷たちのように……。

 

 これで、その場で起きているのは、笛吹男と奴隷たちだけとなった。

 

 その時、笛の音色が止んだ。

 

 奴隷たちの視線が笛吹男に注がれる。

 

 笛吹男はゆっくりとした動作で口に当てていた横笛を離し、自分を凝視する奴隷たちに視線を向けた。

 

 そして彼は、高らかにこう言った。

 

 「ごきげんよう!」

 

 異様な沈黙に包まれた広場において、場違いな笛吹男の快活なその声はよく響いた。

 

 少し嗄れた声。年齢を感じさせる声色だが、その声からは何故か無邪気な幼さが感じられた。

 

 突然の事態に白い少女を始め、その場にいる奴隷たちは皆、どよめき、困惑していた。

 

 そんな奴隷たちなど余所に笛吹男は言葉を続けた。

 

 「ごきげんよう! 罪も無き囚人たちよ! 我等はこの世界という鎖から解き放たれた! 来る者は拒まないが、去る者は決して許さない。黄昏の葬列、楽園パレードへようこそ」

 

 そう言って笛吹男は深々と頭を垂れた。

 

 奴隷たちのどよめきが一層強くなっていき、辺りからざわめきが起き始めた。突然現れた謎の男が、兵士たちを謎の力で昏倒させ、今自分たちに訳のわからない事を言ってきている。

 

 しかしそんな中、白い少女だけは全く違う事を考えていた。

 

 それは数日前に不図、思い出した笛を吹く謎の男の物語。その物語の主人公である男は、笛を吹き人々を眠らせて奴隷たちを開放した。目の前の笛吹男は、笛を吹きながら現れ、手も触れずに兵士たちを昏倒させた。そして、“ここ”から自分たちを救い出してくれるととれる誘いの言葉。物語の笛吹男は奴隷たちのパレードを率いて、眼前の笛吹男もパレードを率いているらしい。

 

 少女の中で点と点が一本で繋がった。

 

 「ああ……私の…神様……」

 

 そう呟いて少女は跪き頭を垂れ、祈りを捧げた。

 

 そしてそれが合図だったかのように一人、また一人と周りの奴隷たちが少女と同じように跪き頭を垂れ始める。

 

 「ああ……神様……っ!」

 

 「救世主様……っ!」

 

 奴隷たちは祈るように手を合わせ、笛吹男を崇め奉った。その様はまるで天孫降臨を目の当たりにした信奉者たちのようである。

 

 自分を崇める奴隷たちを見渡し、笛吹男は不敵な笑みを浮かべ、再度高らかにこう言い放った。

 

 「さぁ諸君! 選びたまえ! 諸君は鎖から解き放たれ、その手に自由を得た! そして今! 諸君の目の前に道が開かれた! その足でどこか遠く、見知らぬ場所で新たな人生を歩むのか。それとも……」

 

 笛吹男は言葉をそこで切ると、ゆっくりと右の手を奴隷たちの方へと差し出した。

 

 「私と共に、黄昏の葬列……楽園パレードに来るか? 選ぶのは諸君だ」

 

 そう言って笛吹男は微笑んだ。

 

 奴隷たちは一瞬だけ近くにいる者同士で互いの顔を見合うと、すぐさま立ち上がり手を伸ばした。そして騒音のように一斉に声を上げた。

 

 「私は貴方と共に行きますっ!!」

 

 「俺もだっ!!」

 

 「僕もっ!! 貴方と行きますっ!!」

 

 「アタシも連れて行ってっ!!」

 

 数千、数万といる奴隷たちが、濁流のような勢いで笛吹男の下に雪崩れ込んだ。その水を得た魚の如き姿からは、先程までの廃人のような気配は消えていた。

 

 有象無象の衆が笛吹男に群がる中、白い少女は未だ瞳を閉じ、深々と頭を垂れ、笛吹男を伏し拝んでいた。

 

 「……」

 

 笛吹男は、自分に群がる群衆の波の中から、そんな少女の姿をジッと見つめていた。

 

 「……フッ」

 

 笛吹男は不敵な笑みを浮かべると、漆黒のマントを翻し、荒波のような群衆へと身を投じた。

 

 「っ!?」

 

 突然のことに奴隷たちは目を見開いた。そして咄嗟に体を躱した。笛吹男の突然の行動によって、一瞬にして人並みの中にぽっかりと空間が空いた。笛吹男は翼を羽ばたかせるようにマントを翻しながら、その空いた空間の中へと舞い降りた。

 

 「……」

 

 笛吹男はゆっくりと身体を起こすと、シッカリとした足取りで一歩一歩、歩みだした。笛吹男が一歩踏み出す度に、彼を取り囲んでいる奴隷たちが、無意識に彼の道を作るために避けていく。

 

 そんな周りの状況など知らず、白い少女は深々と頭を垂れ、瞳を閉じて笛吹男を神と拝み続けていた。

 

 「ごきげんよう! お嬢さん?」

 

 突然、真上から聞こえてきた声に驚き、少女は閉じていた目を見開いた。そして恐る恐るといった感じでゆっくりと頭を上げていった。上へと上がっていく少女の視界に最初に映ったのは黒い靴とマントの裾だった。そこからどんどん上へと視線を向けていくと、そこには少女のすぐそばに佇んでこちらを見下ろしている笛吹男の姿があった。

 

 「っ!?」

 

 少女は驚き思わず後退った。

 

 そんな少女を見て笛吹男はニッコリと笑みを浮かべると、三度、高らかに、今度は少女ただ一人に向けてこう言った。

 

 「ごきげんよう! 可哀想なお嬢さん。お嬢さんはどちらを選ぶのかな? 自分の好きなように生きるか、私のパレードに加わるか」

 

 そう言って笛吹男は少女の前にスッと手を差し出した。

 

 少女は差し出されたその手と笛吹男の顔を困惑したような目で交互に見た。

 

 笛吹男はそんな少女に何も問いかけず、ただ黙って少女が答えるのを待っていた。

 

 周りの奴隷たちもその様子を固唾を呑んで見守っていた。

 

 突然のことに暫し困惑していた少女だったが、やがてゆっくりと手を伸ばし、笛吹男の手を掴んだ。

 

 「楽園パレードにようこそ」

 

 笛吹男は自分の手を取った少女を抱き寄せ、そのまま抱きかかえ上げた。

 

 「えっ!?」

 

 またも突然のことに少女は驚き、声を洩らした

 

 そんなことなど気にせず、笛吹男は抱え上げた少女を自身の右肩へと座らせた。

 

 少女は状況が理解できずしどろもどろしていた。そんな少女を強い光が照らした。

 

 「っ!」

 

 少女は光の強さに目を細め、片手で顔を覆った。それは奴隷たちも同じだった。その場にいる全員が突然の強光に顔を顰めていた。

 

 やがて、光に慣れてきた少女と奴隷たちは、その輝きの正体を見ようと目を凝らした。

 

 それは地平線へと沈み行く夕陽だった。

 

 時刻は夕暮れ時。沈む夕陽など珍しくもなく、当たり前な光景だろう。

 

 しかし、彼女、彼等にとってはとても希少な光景に見えた。

 

 様々な理由から奴隷となり、王宮からの弾圧と劣悪な労働を強いられ、晴れの日だろうと、雨の日だろうと、雪や嵐の日であっても彼等は働かされてきた。

 

 そんな彼らにとって周囲の光景など見ている暇もなく、光景を眺めるなどここ何年もしてこなかったのだ。

 

 しかし、彼らは今、一人の笛吹男によって縛り付けられてきた鎖から開放された。

 

 幾年ぶりの自由に喜んだ彼らの瞳に映った、その夕焼けの光景は、赤く燃えがる太陽の如く、彼らの瞳と脳裏に焼き付いた。

 

 「さぁ! 諸君!! 黄昏が訪れた! 共に行こう! あの夕闇の彼方へと……」

 

 夕陽を背に纏い、笛吹男はまたも高らかに言った。

 

 「「「「「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」」」」」

 

 笛吹男の言葉に呼応して奴隷たち、いや、奴隷“だった”者たちは、雄叫びを轟かせた。

 

 「〜♪〜〜♫〜」

 

 笛吹男がまた笛を奏で始める。そして夕焼けの向こうに見える闇を目指して歩み始めた。

 

 そんな笛吹男の後を彼らも続いて歩いた。まるで童心に帰ったように楽しげに……。

 

 笛吹男の笛の音。彼が率いるパレードの祭り囃子。聴く者を高揚させ、愉快な気分に誘うその光景を見て、笛吹男の肩に座る少女も楽しくなってきた。

 

 《お嬢さん、歌を歌ってくれないか?》

 

 「え?」

 

 少女の頭に笛吹男の声が木霊した。

 

 一瞬、笛吹男に視線を向けるが、笛吹男は変わらず笛を奏でていた。

 

 少女は驚きはしたものの、「あぁ、これも不思議な力のなせる技なのか」と、すぐに納得した。

 

 そして、笛吹男が望むならと、彼女は幾年ぶりかに歌声を響かせた。

 

 少女の記憶では、最後に歌を歌ったのは、まだ幸せだった時、家族に披露したのが最後だった。

 

 何を歌おうか少女が逡巡していると、ふと脳裏に一つの歌詞が思い浮かんだ。

 

 その曲は、これまで少女が聴いたことも、歌ったこともない曲だった。

 

 にも関わらず、少女はその歌の歌い方を何故か知っていました。

 

 「(知らない曲なのに……。これも神様の力なの?。神様が、私に歌えと望んでいるの?)」

 

 神様が望むのならと、少女は瞳を閉じ、天を仰ぐと祈るように歌い始めた。

 

 ※エルの絵本〜笛吹男のパレード

 

 歌詞が進む度、みすぼらしかった少女の姿が変わっていく。

 

 砂埃で汚れ、傷んでボサボサになっていた髪は、魔法のブラシで梳かしたように汚れと痛みを消し去り、嘗ての艷やかで真っ直ぐな純白の輝きを取り戻していく。

 

 城兵たちに虐げられ傷だらけだった身体は、全体に刻まれた傷一つ一つが、白に塗りつぶされたように消えていき、嘗てのシルクのような白い柔肌へと戻っていった。

 

 土埃で黒くくすんでいた衣服は、毛糸の一本一本から汚れが消えて行き、元の姿から新たな姿へと変わりながら少女の体を優しく包み込んで行った。

 

 もうそこには、ボロボロに汚れたみすぼらしい奴隷の姿はなく、真っ白な天使の姿があった。

 

 「〜♫〜〜♪〜」

 

 少女は自身の変化を悟りつつも歌い続けた。

 

 その天使の如き歌声はパレード全体へと流れていき、そこにいる奴隷たち全員の姿をも変えていった。

 

 ある者は楽器を奏でる音楽隊へと。

 

 ある者は愉快に踊る道化師へと。

 

 ある者は祈りを捧げながら行進する信者へと。

 

 一瞬にしてそのパレードは色鮮やかな一団へと様変わりした。

   

 そしてその一団は、燃えるような茜色の夕陽に染まりながら地平線の夕闇を目指して進んでいく。

 

 「ねぇ、神様。私たちはどこに向かっているの?」

 

 歌い終えた少女が笛吹男に問いかける。

 

 「お嬢さん、その神様というのをやめては貰えないだろうか?」

 

 笛吹男は少し困ったような口調で言った。

 

 それを言われて少女は、もしかして気分を害してしまったのだろうか、と慌てた。

 

 そんな少女の思いを見通したように、笛吹男はすぐさま二の句を継いだ。

 

 「私はただの笛を吹く道化師なのだよ。お嬢さんが言うような神様なんて大層な存在ではないのだよ」

 

 自嘲するような笛吹男の口ぶりに少女はすぐに否定の言葉を述べた。

 

 「それは違います。貴方様がご自身のことをどう思っていようとも、私たちは貴方様に救われたのです。だから、私たちにとって貴方様は、神様と言っても過言じゃないのです」

 

 真っ直ぐな少女の思いを受け、笛吹男は苦笑を浮かべながら照れ臭そうに頬を掻いた。

 

 「ハハハ。それはとても光栄だよ、お嬢さん。ありがとう。しかし、やはり私は神様と呼ばれるのはむず痒くて仕方がないのだよ」

 

 すまないね、と笛吹男は優し気な口調で少女を諭した。

 

 神と呼ぶことを少女は決して譲りたくはなかった。だが、他でもない神と崇める笛吹男からの願いに、少女は口から出そうとした反論の言葉を飲み込んだ。

 

 「……分かりました。しかし、では貴方のことはなんとお呼びすれば良いのでしょうか?」

 

 少女の中に不満は残りつつも、少女は笛吹男の願いを聞き入れた。しかし、そうすると今度は笛吹男のことを何と呼べばいいのか悩んだ。

 

 少女にそう訪ねられ、笛吹男はすぐにこう答えた。

 

 「普通に名前で呼んでくれて構いませんよ、お嬢さん」

 

 「普通にと申されましても、私は貴方の名前を存じておりません」

 

 少女の返答に笛吹男は「なんと!」と驚いたような声を洩らした。そしてすぐさまケラケラと笑いだした。

 

 「ハハハ! いやこれは失敬! 目先のことに囚われてしまって大事なことを失念してしまっていたようだ」

 

 笛吹男は奴隷たちへの問いかけにばかり集中してしまい、肝心の“あいさつ”を忘れてしまっていたようだ。

 

 自分の馬鹿らしさに暫く呆れ笑いしていた笛吹男は、一呼吸置いて自分を落ち着かせると、改めて白の少女へと顔を向けた。

 

 「改めまして、私の名は“アビス”。皆を導くパレードの道化師。ようこそ! 我がパレードへ、白のお嬢さん」

 

 そう言って微笑んだ笛吹男、改め“アビス”は、自身の肩に座って自分を真っ直ぐに見つめている白の少女に対して、軽く頭を垂れた。

 

 暮れ行く夕陽の光を浴び、漆黒を纏うアビスの姿が茜に染まっていく。

 

 「……はい。こちらこそよろしくお願いいたします。アビス」

 

 そう言って白の少女は目下で頭を垂れるアビスに向かって満開の笑みを浮かべた。

 

 昼と夜の境目。燃えるような茜に包まれながら、アビスと少女を先頭にそのパレードは、宛もなくただ地平線を目指して、祭り囃子を響かせて行く。

 

 この日、とある王国から奴隷たちが姿を消した。

 

 貴重な労働力だった奴隷が消えたことで王国は奴隷たちが担っていた業務に追われることとなり、その隙を突かれ敵国の侵略を許してしまい、数百年の栄華を極めた王国は一瞬にして陥落してしまった。

 

 その噂は風に乗ってまたたく間に全土に広がっていき、各国はアビスの存在を“不幸を振りまく笛吹く死神”と恐れ慄いた。

 

 今日もどこかで笛の音色が奏でられる……。

 

 to be continued

 


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