ある休日の羽沢珈琲店、多くの常連が席を埋める中、見慣れない顔をした若い男が入ってきた。その男はつぐみも見たことのない人であった。彼は席に着くなり店の中をキョロキョロと見回していた。
「(何してるんだろうあの人....虫でもいるのかな)」
仕事中であったがつぐみはその男を横目でたまに見ていた。彼は何かを目で追うかのように視線を動かしている。結局その日、彼はホットコーヒーを一杯頼んで、少し居た後に帰っていった。
数日後、つぐみだけでなくその日はイヴも羽沢珈琲店で働いていた。しばらく働いていると、また例の男が入って来た。
「(あの人....前に来てた人だよね)」
つぐみはまたその男の様子を時々に見ていた。彼は前と同じようにその辺りをキョロキョロとしている。
「(どうしたんでしょう?ツグミさん、あの人のことを妙に気にかけていますが....)」
イヴはその日初めてその男を見たので、そこまでその男のことを気にかけなかった。その男は前と同じようにホットコーヒーを一杯頼んで、少しして帰った。
「(今度機会があったら少し話聞いてみよう....)」
そう考えてつぐみはお店を出る男を見送った。
また別の日の羽沢珈琲店、その日は紗夜が来ていた。その日はつぐみやイヴはいなかったが、件の男は来ており辺りをキョロキョロとしていた。ちょうど紗夜の視線の延長線上にその男はいたため、紗夜は彼の少しおかしい様子が気になった。その日の彼はカフェオレを一杯頼んでその後帰っていった。
それからしばらく間の空いた日、つぐみが働いていると例の男が来た。今回も漏れず、辺りをキョロキョロとしている。前からこの男の事を気にしていたつぐみは、注文を聞きに行くついでにとうとう本人に直接尋ねた。
「あの,...来てくださる度に辺りを気にされているようですが、何か気になることでもありますか....?」
それを聞いた男は少し目線を逸らし何かを考えるような表情をしていたが、もう一度つぐみの方を向き直ってこう言った。
「えっと....聞いたら後悔するかもだけど大丈夫?」
男の発言の真意を汲み損ねたつぐみだったが好奇心の方が勝り、首を縦に振った。
「えっとね、君には視えてるか分からないけど....小さい男の子が店の中を走り回ってるんだ」
「えっ....?」
男の思わぬ発言につぐみは呆然として思わず間の抜けた声を上げた。男は続けて
「まぁ....あまり気にしすぎない方が良いよ。1人しか僕には視えてないからしばらくしたらきっといなくなるよ。あ、注文はホットコーヒーでお願いします」
と言って安心させるかのように微笑む。最後に注文を挟む辺り、なんだか呑気そうな男であった。つぐみはまだ呆然としていたが、注文が来たことを認識して少し駆け足でキッチンへ向かった。
また更に後日、つぐみとイヴが店の手伝いをしているとその日は紗夜が来たが、少し様子がいつもと違うように思えた。何か少し落ち着きのない様子で、つぐみの方に視線を移すと何か決まり悪そうにしている。よく店に足を運んでくれる紗夜の様子につぐみとイヴはさすがに気がかりに思えた。紗夜の注文を取りに行くとき、つぐみは紗夜に訊いてみた。
「あの....紗夜さん。もしかして何か悩みでもあったりしますか?」
そう訊くと、紗夜は『えっ』と小さく声を漏らしたが、つぐみの方を見返して
「いえ....少し前にここで妙なことがありまして、でもそのことを羽沢さんに伝えるのもどうかと思いまして....なのでどうしても自然に振る舞うことができなかったんだと思います」
と、答えた。それを聞いたつぐみは
「それってもしかして....ここに来る男性のお客さんの事だったりします?」
と、紗夜に尋ねる。
「....羽沢さんも知ってたんですか」
「はい、それでどうして辺りを見回しているのかも聞きました。えっと、紗夜さんも....ですか」
「ええ、その時もあまりにも辺りを気にされているようでしたので思わず聞いてしまいました。小さい子どもがいるということを....私たちの見えないところにですが」
紗夜が件の男から聞いた話をつぐみにする。2人が何か深刻そうな表情をして話している様子を見てイヴが近づいてくる。
「お二人ともどうしたんですか?」
「あっイヴちゃん、えっと....たまにここに来て周りをキョロキョロしてるお客さんって知ってる?」
「はい、私も少し気になっていたので少しお話をさせていただきました」
イヴの返事を聞いて紗夜は
「どうやら私も羽沢さんも若宮さんもあの人について知っていたようですね。そういえばさっき若宮さんはあの人から話を聞いたと言ってましたが、どんなことを聞いたのですか?」
と、イヴに尋ねる。
「私が聞いたのは、あの人には双子のお兄さんがいるってことです。サヨさんはどんなことを?」
「えっと、少し妙なことなのですか....何か私たちの見えないところに小さな女の子がいるということです。どうせちょっとした悪けだとは思いますが....」
紗夜は少しバツが悪そうに話す。それを聞いて少しして真意を汲んだイヴは少し体を震わせた。それを見た紗夜は
「すみません、やはりこういうことを軽率に言うのも―って羽沢さん?どうしました?」
怯えるイヴ以上に少し様子のおかしいつぐみを見て紗夜が尋ねる。
「さっき紗夜さん....小さな女の子が女の子がいるって言ってましたよね」
「え?そうですが....」
「私があの人から聞いた話では小さい子どもは男の子だって....その子一人しかいないって....」
イヴ以上に怯えた表情でつぐみが言う。ここで紗夜が何かを思い出してハッと顔をあげた。
「若宮さん、あなたはあの人について双子だって言ってましたよね?ということは....」
そこで3人は顔を見合わせ、しばらく動けなかった。少しして向こうの方から『すみませーん』という声が聞こえ、そこで我に帰ったつぐみがその客のいる方へ向かった。その客は
「えっと、カフェオレ1杯お願いします」
と、注文してつぐみがキッチンの方へ向かっていくのを目で追っていた。
僕もあんなところじゃなくて羽沢珈琲店でバイトをしたいものです。すーぐ食器割りそうだけど。