飼っていた芋虫がモスラとして異世界召喚された話 作:GT(EW版)
緊急事態発生!!
緊急事態発生!!
レオちゃんこと吾輩、現在飼い主様と共に遭難中!
繰り返すッ! 吾輩、飼い主様と共に遭難中!!
突然ですまない。
さて、吾輩たちは今、見知らぬジャングルの中にいる。この意味がわかるか? 吾輩にはわからん。
……そう、さっぱりわからぬのだ。
その日も吾輩と飼い主様――モラは部屋の中にいた。
今は小学校の夏休みという膨大な自由時間を与えられているらしいモラだが、彼女はこの時間を吾輩の成長をテーマにした自由研究に当てて勤しんでいた。
そんな彼女の為に吾輩が励んで行ったことと言えば、とにかく食べることだった。桑の葉をモリモリムシャムシャ。食べれば食べるほど成虫へと近づき、脱皮を介して変態への道が開ける。
モラが吾輩の為に用意してくれた育成環境は快適なものであり、吾輩の中でも順調に成長している実感があった。
そんな吾輩の姿をモラはスケッチブックに描いたり、脱皮を行った後には成長の記録として体長を測られたりもしたものだが、吾輩にとってそれはご褒美に他ならなかった。いや、やましい意味ではなく。
吾輩の成長の過程が彼女に記録され、その記録がいつか、彼女自身の糧になる。そんな将来を思えば、カイコとしてそう遠くなく終える短い生にも確かな意味を見出せるものだ。
くたばりぞこないの転生者にとって、こんなに名誉なことはないだろう。
故に吾輩は、彼女に対するファンサービスを欠かさない。
吾輩は彼女の研究がマンネリ化し、飽きが来始めたと思った時にはこの身のエネルギーを消耗しすぎないよう気を配りながら、ケースの中で感謝の舞を披露する。
そうすれば彼女が笑顔になり、思い出の記録として動画におさめてもらえたりもした。うむ、飼い主様かわいい。お守りしたい。
我が飼い主、モラはきっと学校でも大層な人気者に違いない。聡明で健気かつ優しいの三拍子揃った良い子なのだ。当然である。
彼女が日々吾輩に見せる笑顔は眩しく麗しいものであり――今は小さな昆虫に過ぎない吾輩の心を癒してくれた。
「……レオちゃんって、私の言葉がわかるのかな?」
食後の休憩中、この間と同じように吾輩の身体を手のひらに乗せたモラが呟く。
これまでに三回の脱皮を終えたことで、既に吾輩の身体も産まれた頃より遥かに大きくなっており、カイコらしい白い姿に変わっている。しかしそれでも子供の手の内に簡単に収まる程度の大きさに過ぎず、その体格差が吾輩のか弱さを教えてくれた。
「ふふ……そんなわけないか」
吾輩が愛玩動物としての役目を果たすべく彼女の手のひらで動物園のパンダの如くこてんと転がっていると、そんな吾輩を見てモラが笑った。
良き飼い主に恵まれた吾輩がすべきことは、一刻も早く成虫になった姿を見せること。だが彼女の手に乗せられたこの時間もまた、吾輩は好きだった。
――そんな時である。
吾輩たちのいる部屋の中が、突如として眩い光に覆われたのは。
『モスラさま たいようのこ モスラさま
あわれなるしもべ の いのりにこたえ
いまこそ まいおりてください』
何の前兆もなく巻き起こったその現象に、モラが吾輩を手に抱えた体勢のまま椅子から倒れ落ち尻餅をつく。
きゃっと彼女の口から漏れた短い悲鳴も束の間、一気に視覚限界まで広がってきた光の中で吾輩たちはその「声」を聴いた。
「え……」
モラは乱れたツインテールを直す余裕もなく、呆気に取られた顔を浮かべている。
吾輩にも表情があったなら、同じ反応をしていたところであろう。
その声は優雅な響きを持って、吾輩の心を揺さぶってきた。
『うみをこえ ときをこえ いのちをこえし しゅごしんよ いまこそ われらをおすくいに』
「声……? だれ……? だれなの!?」
五感とは違う、もっと別の部分から直接語りかけてくるような「女の声」。
透き通るように響くその声は、手に届かない何かに縋るかのような儚くも美しい「歌」だった。
光は最高潮に達していくメロディーと呼応していくように膨張し、そして――
「あ……」
つんざくような、大きな何かの鳴き声が聴こえた。
その瞬間、吾輩は、モラは見た。
虹色に輝く粉と共に、光の奥で羽ばたく美しい色を。
極彩色の模様がゆったりと上下する光点の中で、それは圧倒的な存在感を放っていた。
しかしその存在を吾輩たちが認識した瞬間、全てが幻のように見えなくなった。
……そうして光が晴れて視界が開けた時、吾輩たちは冷房の効いた涼しい部屋ではなく、どことも知れぬ深い
それが、遭難の経緯だ。うむ、まるで意味がわからん。
だが今一番動揺しているのはモラだろう。元々人からカイコへの転生などという奇妙な体験をしている吾輩の方は今更驚くことでもないかと冷静さを取り戻すことが出来たが、ごく一般的な女子小学生に過ぎないモラの方はそうもいかない筈だ。
突如として自宅から転移し、着の身着のまま謎のジャングルに放り出されてしまった彼女は両親を呼びながらその場を走り回ると、どこからも反応がないことに愕然とへたり込んだ。
スカートの腰を土に下ろし、吾輩を抱えたまま力無く呟く。
「どこ……どこなの、ここ……」
受け入れがたい状況に対するその動揺は、彼女の目に涙を滲ませた。
モラは普段から落ち着いた子であったが、彼女とてか弱い子供だ。このようなわけのわからない状況では大人とて狼狽えるであろう、当然の反応だった。
「パパ……ママ……」
もしも……これがテレビ局か何かのドッキリ企画だったとするならば、関係者全員をこの手でコロコロしたいところだ。
カイコの身では不可能だが、我が飼い主様が泣いている姿を見るのはそれほどまでに心苦しく、そして腹立たしいものだった。全くもって……自分の無力さが憎くなる!
「……レオ、ちゃん……?」
大丈夫だ。何とかなる――そんな励ましの思いを込めてこの身を彼女の手に擦りつけると、それに気づいた彼女が目を下ろし吾輩の姿を見つめる。
吾輩はそんな彼女に対して頭部を向けると、人が頷くようにオーバーリアクションで身体全体をばたつかせた。
「もしかして……励ましてくれてるの……?」
疑いが確信に変わったかのような反応を浮かべる彼女の目に、吾輩は飼い主様の聡さを改めて感じた。
「不思議な子……あなたはやっぱり、不思議なカイコだね……」
くすりと微笑みながら涙を引っ込める彼女を見て、吾輩はばたつかせていた身体を止めて手のひらに寝転んだ。
この程度のボディーランゲージで身体中のエネルギーを消耗しすぎてしまった。桑の葉を……桑の葉を所望する……
「あっ、た、食べ物あげなくちゃ……桑の葉っぱは持ってないけど……これとか、食べるかな……?」
桑の葉ではないのか……が、やむを得んぜよ。この際、葉っぱなら何でもいい。
モラが周囲に生い茂る草木の中から恐る恐る青葉を摘まみ取ると、吾輩は差し出されたそれを口に運び、一心不乱に貪った。
うむ、問題ない。桑の葉ほどではないがそこそこうめぇ。
「食べてる……良かった……でも、駄目だったら吐き出してね?」
大丈夫だ。飼い主様。
特に身体から拒否反応は出ていないし、カイコの身体は見知らぬ青葉を食べ物として認識してくれていた。
桑の葉の時と変わらない吾輩の食事風景を見て安心したのか、モラは一先ずの息を吐く。そして吾輩を乗せた手とは反対の手を自らの腹部に添えながら、困り顔で呟いた。
「私の食べ物も、何とかしなくちゃ……」
彼女も空腹の様子だ。飼い主様より先に食事して誠に申し訳ない……
語るまでもなく、衣食住とは人間にとって必要不可欠なものである。
衣に関してはノースリーブに短めのスカートというジャングルの環境にそぐわぬものながら身に着けているものの、食と住に関しては一から探さなければならない状態なのだ。ため息を吐くのも当然だった。
「どこかに人がいればいいんだけど……」
……確かに、一番手っ取り早いのは人が住んでいる場所を見つけ、助けを求めることだ。
しかし今吾輩たちを取り巻く環境はどことも知れないジャングルの中であり、それも周囲の植物を見た限りでは日本かどうかさえ怪しいものだ。
辺り一面がアマゾンのような雰囲気に包まれており、時折野生動物たちの鳴き声が聴こえてくる。どう考えても女子小学生がいていい場所ではなかった。
「トラとか出ないよね……? 大丈夫だよね……?」
不安そうに周囲を見回す彼女の姿を見て、吾輩は今ほどこの身の軟弱さを呪ったことはない。
もしも吾輩に力があったのならと……何故吾輩が転生したのが、力無き昆虫だったのかと呪ってさえいる。
彼女を守りたいと思っていながら、吾輩の方こそ彼女の手で守られなければ生きていくことが出来ない。こんな惨めな思いをする吾輩は一体、前世でどれほどの業を背負ったのかと忘れ果てし過去を恨んだ。
そんな吾輩を抱えながらモラは立ち上がり、スカートの尻についた土を払うと彼女は彼女自身でその身を守る為に歩き出した。
人を捜し、食べ物を探し、このジャングルの中で安全を確保しようとする姿は彼女本来の冷静さと聡明さが窺えるものだった。
その際にも彼女は謎の青葉を貪っている吾輩のことを、両手で覆うことで外敵の目から隠してくれていた。ジャングルの危険と言えば獰猛な野生動物が思い浮かぶところだが、カイコである吾輩としては蟻を含む全ての生き物が危険生物と言ってもいい。
野生への回帰能力が皆無であるカイコは風吹けば飛ばされてしまう脆弱な存在であり、ちょっとでも気を抜けばあっという間に森のおやつになってしまう。
……モラの足手まといになるぐらいなら、そうなった方がいっそ救われるところなのかもしれない。だが、そうなった場合大いに悲しむであろう優しい飼い主様のことを思うと、吾輩も最大限生きなければならなかった。
故に、吾輩は彼女の手の内で食事を続ける。謎の青葉そこそこうめぇ。
しかし、モラが歩けども歩けども先は見えず、どこもかしこも草木ばかり。
どことも知れぬこのジャングルは、やはり相当に深いようだ。
人工的に舗装された道は存在せず、一方で獣が通ったと思われる獣道は各所に見えた。
空から照りつけてくる身を焦がすような日差しは、頭上を覆うほど生い茂っている大木の枝葉が隠している為まだ居心地が良かったが、気温はおそらく30度を超えておりこのままさまよい続けるのは肉体的に危険である。
子供であるモラは勿論、吾輩も。
通常、カイコの飼育環境は23度から27度ぐらいまでの室温に保たなければならないと言われている。この適正温度を守っていれば一年中飼育できる生き物であるが、保てなければ育つことが出来ない。
自然環境への適応能力が皆無である吾輩では他の昆虫のように周りが適度な気温になるまで仮死状態で休眠する真似も出来ず、待っているのは死だけだった。
一刻も早くもっと涼しい場所を……せめて、水源だけでも確保しなければならなかった。
と、その時である。
吾輩の祈りが通じたのか、いや、モラの頑張りが功を成したのだろう。ふと涼やかな風が吹き、ザザザ……と川の流れる音が薄っすらと聴こえてきた。
疲労していたモラの顔に、明るみが差す。
――だが、まだだモラ。まだ安心は出来ない。
水を求める生き物は、人間だけではない。
このようなジャングルの中に川が流れているのならば、他の動物たちも同様に水を求めてやってくる可能性が高い。
そんな動物たちを食らう為、川を狩場に潜んでいる肉食動物だっているだろう。
具体的な例としてはワニを始めジャガー、ヘビ、クマなどが挙げられる。仮にここが日本だとすればクマの出没率が現実的であり、水があるからと迂闊に近寄るのは危険であった。
ここはまず、吾輩が先行して安全を確認……したいところだが、カイコの身体で飛び出そうにも彼女の手から身を乗り出すだけで精一杯だった。
「レオちゃん、危ないから引っ込んでて」
わかったよ、ママ……じゃなかった。すまぬ飼い主様。
なんと面目ない……無力なものだ。
先走ろうとした吾輩の奇行を制したモラの顔は心配そうな目をしており、申し訳なくなった吾輩は身の程を弁えしゅんと頭を引っ込めた。
――だが、この時……モラはその意識を吾輩に傾け足を止めたことで、図らずもその命が救われることとなった。
刹那の間合い、何かが目の前を横切った。
そこは今しがたモラが歩き向かおうとした、川の音が聴こえた場所である。
横合いから彼女を「狩る」為に狙いを定め、茂みから飛び出してきた野生動物の姿があった。
その姿を前に、モラが硬直する。
「あ……っ」
恐怖に引き攣った顔で、呆然とその巨体を見上げる。
吾輩とて、人間であったならばたちまち失禁していたところであろう。
目の前に現れたその生き物はあまりにも巨大で禍々しく、吾輩が想像もしていない姿だった。
「っ……ぁ……!」
意識を復帰させた瞬間、モラは悲鳴を噛み殺した声を上げながら踵を返し、全力でその場から走り出した。
野生動物に背中を向けるのは危険とも言うが、一体誰が今の彼女を責められようか。目の前の怪物から逃げる為に少しでも速度を上げようとするのは、至極当然の選択と言えた。
……いや、最善を言うのであれば、この時彼女は吾輩を投げつけるなりして相手の気を逸らした後、全速力で離脱するべきだったのかもしれない。
追ってくる野生動物――「全高2メートルに及ぶ巨大な昆虫の姿」に、吾輩はそう思った。
ぎらめくグロテスクな複眼に、先ほどモラの身を切り裂こうとしていたハサミのような前足。
その姿はまるで――巨大な【ヤゴの化け物】だった。
化け物は「ヒョヒョヒョヒョ」と不気味な鳴き声を上げながら草木をなぎ倒し、地を這いずりながら逃げるモラを追い掛けてくる。
放たれる圧倒的な威圧感の程は、もはや動物の枠に収まらない別格の存在だった。
アレを形容するに相応しい言葉を挙げるとするならば――まさに【怪獣】と言ったところであろうか。
世にも珍しい転生カイコを飼っている十一歳の少女。ふわふわなツインテがトレードマークであり同級生よりやや背が低め。
当然の如く美少女であり、頭は悪くないがちょっと世間知らずなお嬢さんである。虫好きという趣味があってか同性の子とは趣味が合わず、クラスでも友達が多い方ではない。隠れファンはそれなりに多い。
自由研究と趣味の為にカイコを飼ってみたが、なんだか図鑑で見たのとは違う生態に興味津々。カイコがEXILEダンスを踊ったことを両親に話したら微笑ましい顔で笑われた。
本作の小美人枠その1。
名前の由来はお察しの通りエリアス姉妹から一文字ずつ。キラキラネームかと思ったが最近この手の名前をよく見る気がする。