飼っていた芋虫がモスラとして異世界召喚された話 作:GT(EW版)
そこは、巨大な祭壇だった。
ベラによる案内の下、長時間の徒歩を経て吾輩たちは地下道を抜けた。
屋外の冷たい外気に煽られながら、護衛たちが持つランタンの光だけが灯かりとなっている暗闇の中で、吾輩たちが前にしたのは東京ドーム一個分以上の面積がある巨大建造物の姿だった。
護衛の一人から手渡された毛皮のローブを羽織ったモラが、圧倒されたように感嘆の息を吐いた。
「大きい……ここが、貴方が私たちを連れていきたかった場所?」
『はい。ここはモスラの祭壇。モスラの幼虫が繭を作り、成虫になる為の場所と伝えられています』
「そっか……だから、生まれ変わる為の場所なんだ……」
周囲を見回したところ辺り一面が緑に覆われており、ここは密林の何処かであることが窺える。
ベラに「モスラの祭壇」と呼ばれた巨大建造物は、大樹のように聳え立っている複数の石柱に囲まれており、下には人が祭壇を上る為に使う石造りの階段がある。古代のインファント人は、この階段を伝って祭壇上の「神」と謁見していたのだろうか。
施設の各所は流石に老朽化が酷く年季による亀裂が目立ったが、古代文明の遺産としては破格なほど原型を留めていた。
『壁画にはここで繭を作ったモスラが、通常よりも高い能力を持って生まれ変わったという伝説が記されています』
「ここでレオちゃんを成虫にする為に、私たちを連れてきたんだね?」
『はい』
天気さえ良ければ太陽の光を浴びた壇上から後光が差し、さぞ神秘的に見えたことが容易に想像できる。
老朽化してなお神聖な雰囲気が漂っており、この場にいるだけで不思議と調子が良くなったように感じるのは、気のせいではないだろう。パワースポットとして考えても申し分ない祭壇だった。
……さて、そんな場所に吾輩は、とうとうたどり着いてしまったわけだが。
古代の守護神モスラはこの祭壇の上で繭を作り、成虫になったと言う。
その伝説に倣って吾輩もここで繭を作ることで、あの大怪獣にも劣らないインファントの守護神になれる筈だとベラは考えたのであろう。
その当てが外れれば、島は終わりだ。
吾輩が死亡するのはいいが、ベラたちインファント人が絶滅し、モラは元の世界に帰れなくなる。そんなことは、絶対に許されない。
だから吾輩は、何としてでもここで力を手に入れなければならない。無理だろうと何だろうと、やらなければやられるのだ。
――そう気張る吾輩であったが、その時気づいた。
吾輩を抱き抱えるモラが、覇気のない虚ろな目で祭壇を見上げていたのだ。
隣からそんな彼女の様子に気づいたベラが、心苦しそうに問い掛ける。
『……モラさんは、気が乗りませんか?』
名残惜しむように吾輩の頭を撫でているモラの手からは、迷いや戸惑いと言った感情が込められているように感じた。
彼女はベラの問い掛けに対して、静かに首を振りながら返す。
「ううん、そういうのじゃないんだ。ただ……」
俯きながら、その胸中を明かした。
「レオちゃんが本当の姿になるのは、とてもいいことだと思う。だけど私は……レオちゃんには怪獣と戦うだなんて、危険なことしてほしくなくて。それに……」
それは、吾輩に対する心配と……自分の傍から大切なものが離れていくことに対する、彼女の寂寥感だった。
「レオちゃんが今よりももっともっと大きくなって、本当に神様になっちゃったら……もうこうして抱き抱えたり、一緒にいたりできなくなるなって……それが、なんだか寂しいなって」
『モラさん……』
モラ……
『……ペット、だったんですよね……』
「うん……カイコを飼いたいなって思って、釣具屋に行って……そこで出会ったの」
ああ、そこで吾輩は出会ったのだ。
マハラ・モラという、最高の飼い主様と。
「レオちゃん覚えてる? あの時、貴方はたくさんのカイコと一緒にお店の水槽に詰め込まれていて……私がお店に入ってから、ずっとこっちを見ていたよね」
もちろん、覚えてるよ。釣具屋では滅多に見ない女子小学生が一人で来たのだ。それも人形のように整った容姿となれば、店の中でも目立つに決まっている。
少女の姿に思わず見とれてしまった吾輩は、立ち上がるように上体を起こしながら君を見つめていたものだ。
「そんな貴方を見て、私は貴方を飼うことに決めた。貴方を成虫まで育ててみたいって思ったの」
あの時は自分を飼ってくれとアピールしていたつもりはなかったのだが……あの見つめ合いがきっかけになったのであれば、吾輩としては何とも複雑である。
君に飼われて良かったと思っていながらも、君を今回のような出来事に巻き込んでしまったことを申し訳なく思っている自分がいるからだ。
君が吾輩を選びさえしなければ、こんなわけのわからない世界に転移することもなかった。そう考えると、吾輩はあの世界でただ一人君にだけは出会うべきでなかったのかもしれない。
「……でも貴方は、あの時からずっと、こうなることがわかっていたのかな?」
そんなことはない。
そんなことはないが、つくづく度し難い存在である。吾輩は。
イモムシに生まれ変わってまでこうして人様に迷惑を掛け続けている自分が、吾輩にはどうしようもなく情けなくて、許せない。
……そう思った吾輩の思考を読み取ったかのように、モラがおもむろに吾輩の頭を撫でる。
優しく柔らかな手で、赤子をあやすように。
「私は、貴方に巻き込まれただなんて思ってない。もちろん、恨んでなんかいないよ? 私、貴方と出会えて良かったって思ってる」
モラは前にも言った。
たとえ吾輩がモスラという神様でも、レオちゃんはレオちゃんだと。
あの言葉にはきっと、不本意に異世界転移に巻き込まれた今の状況に対しても、吾輩に恨むところは何も無いという意味が含まれていたのであろう。
彼女の儚げな優しい笑顔を見て、吾輩はモラという少女がどこまでも「愛」に溢れていることを理解した。
「貴方が私より大きくなったら、貴方の為に私にできることは、何もなくなっちゃうけど……」
彼女は好き好んで吾輩を飼い、ここまで成長を助け続けてくれた。
見知らぬ地でメガヌロンに襲われながら足手まといである吾輩を見捨てようとせず、全力で吾輩のことを庇ってくれた。
この子の愛は毒だ。
居心地が良過ぎて、それに甘え続けてしまう。
中途半端に人の意識を持っている吾輩は彼女の優しさを温かく感じると同時に、自分自身への情けなさを感じていた。
しかし彼女はこのような力無きカイコに献身することさえ負担に思わず、いつだって喜びを感じていたのだ。
吾輩たちの関係が変わってしまうことが寂しいと語る少女の姿を見上げて、吾輩は改めて彼女の美徳を理解した。
そんな彼女が潤んだ目で吾輩を見つめ、問い掛けてくる。
「モスラになっても、私のこと忘れないよね……?」
それは愚問だよ、モラ。
レオちゃんはレオちゃんだと、全ては君が言った通りだ。
だから成虫になろうが巨大になろうが、吾輩たちの関係は何も変わらない。
吾輩自身もまだ己の身体がどのような変貌を遂げることになるのかわかっていないが、たとえどのように変わろうと君のことは絶対に忘れない。
――約束だ。
勢い良く頭部を振り回しブンブンと頷くことで、吾輩は彼女の愚問に答える。
そんな吾輩の姿に目を細めながら、モラは笑顔で言い放った。
「……ありがとう、レオちゃん。貴方と過ごした時間、とっても楽しかったよ」
私もだよ、モラ。
出会った時のこと、過去のことを振り返っている間にも時は流れていく。
時間という容赦のない巡りの中で、インファント島の危機は着々と進行していた。
吾輩を両腕に抱えたモラはベラと共に階段を上り、しばらくして頂へと上り詰めた。
祭壇自体の高さは大樹の如く聳え立っている周囲の石柱群と比べれば一回りほど低かったが、その巨大さは地上で周囲を警戒している護衛たちを見下ろすには十分な高さだった。
そう、今この場にいるのは二人と一匹だけだ。
神聖な祭壇の上に足を踏み入れることが許されているのは、神たるモスラと神に仕える巫女エリアスだけだと。
ベラから散々説明された今でも、吾輩は己がこの場所にいるに相応しい存在とは思えなかったが……こうなってはもうやるしかないのだ。
モラを元の世界に帰し、ベラの祈りに応える。二つの目的を果たす為に、吾輩はモスラに対する「知恵」を担当するベラの判断に全てを委ねた。
『私の歌でモスラの力を活性化させ、成長スピードを上昇させます。繭の形成までどれほどの時間を要するかわかりませんが……この雪が祭壇を覆い尽くすまでには、必ずや成し遂げてみせます』
彼女が今から行うことは、最初に吾輩がただのカイコではないことを証明した際に行ったのと同じだ。
ベラが歌い、吾輩に急速的な異常成長を促す。身体が勝手に脱皮していくあの時の感覚は正直に言って怖いものがあったが、限界無しに力が溢れてくる感覚はあった。故にエリアスの歌による成長が今の子猫サイズで打ち止めということはないだろう。
吾輩自身の感覚としては最低でも人間サイズにはなれると思っているが、そこからさらにどこまで大きくなれるのかは想像つかない。ましてや成虫になった後でも想定される相対相手は全高60メートルオーバーの大怪獣アンギラスだ。あれと同等のサイズまで行ける自信などある筈もなかった。
……吾輩が怪獣になれば、怪獣同士ということでアンギラスとの意思疎通ができるようになって、どうにか対話による解決が図れないものだろうか。あれと戦いになった場合に被る被害を思うと、吾輩に対するモラの心配はごもっともであった。
「私は何をすればいいの?」
『モラさんは私の傍で、モスラのをことを見守ってあげてください。羽化に立ち会う巫女が多いほど、モスラの力が増大するという言い伝えがあります」
「見守るだけ? 私にも、何かできないのかな……?」
『……それなら、祈ってください。モスラの傍にずっといた貴方なら、私よりも上手くモスラと感応できるかもしれません』
「……わかった。私、祈る。レオちゃんが立派な成虫になれますようにって」
二人の少女が見守ってくれるのだ。ここで踏ん張れなければイモムシではない。
ああ、やってやる! なってみせるさ守護神に!
最初から、何かの間違いとしか思えなかった二度目の命だ。今更、巨大生物に挑むことへの恐怖などない。
吾輩はレオちゃん、世界一幸せなイモムシだ。
――だから君も、そんな顔をするな。
吾輩の運命を案じているのであろう曇った瞳をしているモラの胸を小突きながら、吾輩は彼女の顔を見つめる。
釣具屋で初めて出会った、あの時と同じように。
『モラさん……』
「……うん、わかってる……」
ベラが申し訳なさそうに掛ける声に頷き、モラが名残惜しそうに腰を落とし、吾輩の身体を祭壇に下ろす。
彼女の腕から解放された吾輩は送られる眼差しに頷きを返した後、もそもそと地を這いながら単身で祭壇の中央部へと向かった。吾輩がこれから条理を超えた巨大化をするに当たって、彼女たちの傍にいるのは危険だと判断したからだ。
そうして単身になって改めて気づかされたのが、今までいかに彼女の腕に温められていたのかという肌寒さと、イモムシが一匹で屋外に放り込まれる心細さである。
子猫程度の大きさになったとは言え、今この状況で鷹などの鳥に狙われたら一たまりもない。
尤も、今は空の野生動物などよりも、こちらを見つめながら今生の別れのような雰囲気を発している彼女の方が遥かに気になった。
このままでは、イヤだな。
……うむ、アレをやるか。
『え?』
「あ……」
こちらを見つめていたベラから、呆気に取られた声が上がる。
そしてモラからは、彼女が驚いたことがわかるハッとした息遣いが零れた。
そんな二人の視線の先にあるのは、この神聖なる祭壇の中央部で全身をくねらせながら踊っているイモムシの――世にも奇妙なストリートダンスだった。
虫虫トレインである。この度、身体が大きくなったことでさらにキレが増した。
この重苦しい空気と肌寒さを吹き飛ばす為に行った吾輩渾身のダンスは、目論見通り曇りがちになっていた二人の表情を変えることに成功した。
ベラには驚愕を。
モラには笑顔という変化を与えたのである。
うむ、我ながら自分の才能が恨めしい。
『え……え……?』
「ふふっ……レオちゃんったら」
ベラよ、見るがいい。これが吾輩だ。
モラよ、それでいい。君には笑顔が似合っている。
そうして踊ること約二十秒、二人のギャラリーの前で最高のパフォーマンスが披露できたと自負する吾輩は、指があればサムズアップを贈っていたところである。
そんな吾輩に対して、モラは熱い拍手を持って惜しみない賞賛を浴びせてくれた。
「ありがとう、レオちゃんっ!」
こちらこそありがとうな、モラ。君に飼われて良かった。
君のおかげでカイコとしての一生を、最後まで楽しく過ごすことができたと――吾輩は掛け値無しに、そう思った。
――そんな吾輩の余興を経て、和やかな空気に戻った祭壇の上で、気を引き締め直したベラの上演が始まる。
『【モスラレオ】……この歌を、貴方に捧げます』
彼女が島の未来を賭けた祝福の歌は、積もり始めた雪を溶かしきるような熱量を持って、深夜の空に響き渡った。
祭壇のイメージはKOMのアレみたいな感じです。