飼っていた芋虫がモスラとして異世界召喚された話 作:GT(EW版)
空と海の狭間で、神は目覚める。
銀色に染まりゆく緑の大地で、少女の歌に応え救世主が産声を上げた。
早朝――朝の日差しは雪雲に隠れている為拝むことはできないが、既に日付は変わっていた。
アンギラス出現から十時間以上経過した今、インファント島は全土が雪に覆われ、元の温暖さは見る影もない。環境が激変したこの一夜でどれほどの生物が死滅したかわからなかった。
焚火を囲みながら毛布に包まり、ほんの少しの仮眠に入っていたベラの元にある報告が寄せられたのは、その時だった。
『……アンギラスがこちらへ向かっている?』
今もなお低下を続けている気温の中で夜通し歌い続けたことで痛む喉を震わせながら、ベラはこの仮設避難所に訪れた部下の言葉に眉をひそめる。
これまでかの大怪獣の見張りに当たっていた男の報告は、彼女にとって覚悟はしていても訪れてほしくなかった事象だった。
「はい……アンギラスは沈黙を破り、こちらに向かって動き始めました。しかし現在は道中に出現したメガニューラの大群に襲われ、これと交戦中です」
『そうか、メガニューラが……なるほど、この島を奴に支配されるのは、他の怪獣にとっても面白くないのだろう』
これまで眠ったようにその場から動かず、島の気候変動に力を注いでいたアンギラスがとうとう動き出した。
その理由はおそらく……いや、間違いなくこの場所で覚醒を待つ「神」にあるのだろうとベラは推察する。
千年龍王アンギラス――かの大怪獣の力が噂通りであれば、この島に生息する怪獣たちではとても歯が立たない。時折メガヌロンを喰らいに訪れる空の大怪獣であればどうにか張り合えるかもしれないが、今この島にいる中でアレを止められる存在はいない。
アンギラスもおそらく、そのことには気づいているのであろう。だからこそ、この島で最強の存在である神――モスラを狙いに動き出したのだ。
『少しでも、足止めになれば良いが……』
今しがた見張りの男から告げられた「メガニューラ」とは、メガヌロンの成体である。その関係はヤゴにおけるトンボと同様で、外見もまたハサミのような凶悪な前足を携えてはいるものの概ねトンボと同じだ。
しかし翼長は約五メートルと怪獣の中では小型だが、メガヌロン同様凶暴且つ残忍な攻撃性を持っており、人間から見ればとてつもない脅威であることは疑いようもない。何より厄介なのは、成体になり羽根を得たことで縦横無尽に空を翔けるようになったこのメガニューラは、常に100体以上もの群れで行動していることだ。
鈍重なメガヌロンとは違い、一度襲われたら最後逃げ切るのは不可能であり、うっかり縄張りに踏み込もうものなら遺体すら残らない。故に島民たちにとってメガニューラの存在は数いる怪獣の中でも最大級の警戒対象であり、これまでも空の大怪獣に並ぶほどの犠牲をこの怪獣に払っていた。
同じ島民としてその脅威を理解している男が、ベラの呟きに対して問い掛けてくる。
「メガニューラの軍勢が、アンギラスを追い払ってくれるとは考えられませんか?」
『それはない』
問い掛けにベラが返したのは、一片の気休めもない確固たる事実だった。
怪獣同士がぶつかり合いお互いに消耗してくれればという希望的観測は、まさに虫のいい話だとベラは断じた。
『アンギラスの放つ冷気は、メガニューラ最大の武器である飛行速度と物量を完全に封殺してしまう……メガニューラからしてみればアンギラスは、全身から殺虫剤を撒き散らしているような存在なのだ。数に任せて纏わりつこうにも、触れた瞬間片っ端から氷漬けにされるだけだ……勝てる見込みなどない』
「そんな……」
『クモンガさえもまるで歯が立たなかった以上、カマキラスやエビラでもアレを止めることは不可能だ。勝ち目があるとすれば、怪獣女王モスラだけ……』
自分で口にすればするほど、改めて絶望的な状況だと言うのがわかり反吐が出る。
ベラもまた日頃は目の仇にしている島の怪獣たちにさえ頼りたくなる感情が理解出来てしまい、酷く情けない都合の良さに嫌悪感を抱いた。
しかしそれほどまでに無力なのが、この島における人間という存在なのだ。
この島には大怪獣に対抗できるような武器は無く、あるのは先代の守護神が遺してくれた鱗粉を練り込んだ団子や弓、槍だけが辛うじて持ち合わせた防衛手段である。それはインファントの民を今日まで生き永らえさせてくれた必需品であったが、精々が小型の怪獣をテリトリーから追い払う程度の威力であり、アンギラスのような大怪獣を止めるには成すすべもなかった。
「ベラ様……大丈夫ですか? 酷くお疲れのようですが……」
『……大丈夫だ。私を誰だと思っている? お前はそんなことよりも、女子供の避難を急がせろ』
……心が折れてしまいそうだ。少しでも気を抜けば、民の前で泣き出しそうになってしまう。
そんな己の弱い心を取り繕った表面で奮い立たせながら、ベラは気丈な言葉で男の気遣いを突き返し、胸の内で自嘲する。
年齢や性別的には自分もここから避難させるべき女子供の一人なのだが、そんな考えは母を失い、この座に就いた時点で捨て去っていた。
故にいつ如何なる時も、民の前に立つベラは常に長としての振る舞いを心掛けてきたつもりだ。
「ベラ様も避難を。ここは危険です」
『私は神に仕える巫女……今生まれようとしている神の元を離れることなど、できるものか』
長は民を率いる者だ。本来ならば、民より先に死ぬことは許されない。
だがそれ以上に許されないのは、仕える相手を見捨てることだった。
長である一方で本分はモスラの巫女たるエリアスであるベラには、この場からの退避に応じることができなかった。
『声はまだ出せる……休憩は終わりだ。私は一秒でも長く、神に聖歌を捧げなければならない。それがエリアスの使命だから』
「しかし……!」
エリアスとしての使命――それを果たすことこそが、この混沌の時代に自分が生まれてきた意味だとベラは考えていた。
そして巫女として
神への献身は、彼女自身の喜びだったのだ。
「あ……」
そんなベラと、これまで隣で同じ毛布に包まっていた少女の視線が合わさる。
声のボリュームを落としていなかった為か、睡眠中の彼女を起こしてしまったようだ。
「ベラさん……ごめんなさい……私、寝ちゃってたみたいだね」
『モラさん……』
モスラと共に異世界から渡り来た少女、マハラ・モラ。
昨夜はベラと共に祭壇の上で祈りを捧げていた彼女は、一日の疲労から彼女自身が気づかないうちにベラよりも先に寝落ちしてしまっていたのだ。しかしベラには別段そんな彼女のことを糾弾する気持ちはなく、寧ろ酷使してしまったことを申し訳なく思っていた。
ベラにしてみればこちらの言葉を終始信じてくれて、遅くまで付き合ってくれただけでも万感の思いだ。
碌に眠れていない為か、モラにはまだ眠気が残っているのであろう。ウトウトと目を瞬かせながら身を起こすモラに対して、ベラは労わるように背中を支えてやりながら言い放った。
『モラさん、ここは今から危険地帯になります。急いでここから……』
「……うん、聞いてた。私も残るよ」
『え……?』
この子だけは最優先に避難を……と考えていたベラの頭を、思わず硬直させる返事が返ってきた。
どうやら彼女は、先ほど交わされたベラと見張りの会話を聞いていたらしい。
インファントの言語はわからない彼女だがベラの言葉だけは聴き取ることができる為、そこから会話の内容をなんとなく察したのであろう。
自身の避難、この場からの退避を拒否し、彼女は言った。
「レオちゃんの傍で見守るのが、巫女の使命なんだよね? だったら、私も一緒に残るよ。私も、巫女なんでしょ?」
さも当然のように言い切った彼女は、真っ直ぐにベラの目を見据えていた。
その眼差しに、ベラは思わず息を詰まらせて見入ってしまう。
力強さと澄み切った美しさを併せ持つその瞳は、ベラが今よりももっと幼い頃……その記憶に深く刻み込まれていたものだった。
それは先代のインファントの長であり、かつてモスラに仕えていた……母と同じ目だと、ベラは思った。
故に、ベラは彼女の決心に言い咎めることができなかった。
「一人より、二人の方がいいでしょ? 私にはベラさんみたいな力はないけど……ベラさん、なんだかとても寂しそうだったから」
『……っ』
えへへ、と照れたように微笑む彼女の姿を見て、ベラは言い淀む。
正直に言うとベラは、このモラという少女に対して深い負い目があった。何も知らずに生きていた違う世界の子供を巻き込んでしまったと、悔やんでもいたのだ。
しかしそんなベラの思いを知ってか知らずか、モラはすっかりこちらに対して気を許した顔をしている。
自分を巻き込んだベラに対して恨み言一つ言うことなく……無垢なる純真な心が、ベラには太陽のように眩しかった。
「とうとい」
毛布の中から顔を出したモラの微笑みを見て、見張りの男が思わず溢れてしまったという具合にぼそりと呟く。
ほんの少しだけその声を聴き取ったベラは、真っ直ぐに自分を見つめるモラの視線から逃げるように振り向いて問い掛けた。
『何か言ったか?』
「私も残ります。ベラ様が神に仕えるのと同じように、巫女様を守ることこそが我々の使命なのです」
『……はっきり言っておくが、この状況でお前にできることは何もないぞ?』
「それでもです」
この年齢で長を務めているという立場もあり、ベラは島の民に対して常に尊大な言葉遣いを心掛けている。侮られないように、要らぬ心配を掛けさせないようにする為に。
そんなベラの凛とした声に応じる男は、騎士然として片膝をつきながら首を垂れて言った。
「今ベラ様を失えば、どちらにせよ我々は終わりです。それならばせめて、最期は貴方の盾になりたい。他の者たちも皆同じことを言うと思いますが……誰もがお守りしたいのです、貴方を」
それはさながら、女王に尽くす臣下のようであった。
完全に覚悟が決まっている様子の姿にベラは肩を竦め、小さく溜め息を吐いた。
「ベラさん、その人はなんて言ってるの?」
『……護衛たちの一部はこの場に残り、私たちの警護を続けてくれるようです』
「そうなんだ……なんだか、騎士様みたいでかっこいいね」
『…………』
モラの言葉は能天気にも聞こえるが、島の長として民に忠義を尽くされるのが悪い気分ではなかったのは確かだった。些か行き過ぎなのではないかという憂いもあるが。
だが、だからこそ思うのだ。
誰も死なせたくないと。
もう誰も、犠牲にしたくないと。
『モスラ……』
この状況を覆す為の、唯一にして最大の切り札。
島の未来を切り拓く為には、神の君臨は絶対条件だった。
『貴方が、最後の希望です』
己の身から毛布をはがしたベラは、儀式用のドレスに着替え、白い息を吐く。
願いを込めた眼差しで振り向いたベラは神の祭壇を――その上に鎮座する、
――それは、銀色の世界だった。
木々を薙ぎ倒しながら地響きと共に、大怪獣アンギラスは前進していた。
四足歩行の足が振り上がっては接地する度に、大地は南極のような氷に覆われていく。それはさながら野生動物が自らの縄張りを示すマーキングのようだった。
踏みしめた地を余すことなく氷漬けにしながら前進していく姿は歩いた場所全てを支配したのだと示しており、島そのものを屈服させる姿はまさしく「王」であった。
何者にも、その前進を止めることはできない。
それは彼と同じ枠組みに括られている「怪獣」とて同じだ。
輝かんばかりの黄金の鱗を纏った龍王の足元には、氷漬けになった100以上もの虫の残骸が散らばっている。それは数分前にかの怪獣の行く手を阻もうと群がってきたメガニューラの成れの果てだった。
元の島のような温暖な環境でのみ生きられるメガニューラたちは自らの種を守る為、群れの総力を挙げて自分たちよりも遥かに巨大な怪獣へと挑んだ。しかしその行動は、彼らの滅びがほんの僅かに早まっただけに過ぎなかった。
襲い掛かってきたメガニューラの軍勢を数分で全滅させたアンギラスは、その残骸には目もくれず再び前進を続けていく。風に吹かれたような顔で遺骸を踏み越えていく姿は、自分が殺したメガニューラたちのことを始めから敵とすら認識していない様子だった。
しかし彼は向かっている。
ただ一体、そんな自分を唯一倒しうると感じた強敵の元へ。
――決戦の時は近い。
繭になっている間は三人称視点でいきます
もすもすファンとしては幼虫で戦う展開を書きたかったのですが、一度戦ってから成虫になるまで時間を掛けていたらその間に島が滅びそうだったのでサクッと繭になりました。おゆるしを