月明かりに照らされた漆黒の海を、1隻の船が往く。しかしこの船はただの漁船やフェリーの類いなどではない。
シェアーフィンス級航空母艦1番艦<シェアーフィンス>、それがこの船の名だ。
飛行甲板を備え付け、そこから戦闘機を発進させる。空母といえばそんなイメージではなかろうか。しかしこの<シェアーフィンス>は違う。
シェアーフィンス級はISのみの運用を主軸として開発された空母で、ISの移動式前線基地としての意味合いが強い。
空母の代名詞たる甲板は廃止され、前面に4つ、後面に2つカタパルトデッキが備え付けられている。後面のカタパルトは主に帰還用として使われるため、メインカタパルトは前面の4つとなる。
全長426.4メートル。理論上でのIS搭載可能数はおよそ60機。対空装備のファランクスやミサイルなどの装備の他に、実弾がほぼ効かないIS対策として<ブルーティアーズ>のレーザー技術を応用したビーム連装砲が2基、ビームファランクス砲が多数新たに配備されている。
「しかし、わざわざこれを持ち出さなくともよろしかったのでは…」
まさにSFに出てきそうな外観を誇る<シェアーフィンス>の艦橋にて、リビティア・マサラッキは眉間に皺を寄せる。がっしりとした体躯を持つ壮年の男は、50を過ぎてもなおその迫力は衰えることはない。
「そんな顔をするなキャプテン。どのみちこれのテストはしなくちゃならないんだ。スコールの発案なんだから乗るしかない」
「しかしですな……」
傍らに佇んでいた女性に苦笑されたマサラッキは、より一層眉間に皺に寄せる。
「民間の教育機関に対して、これは些か過剰——あ、いや…」
マサラッキは思わず口ごもる。<シェアーフィンス>艦長を任されているマサラッキだが、眼前でモニターを見据える女性にはどうしても敵わない。
白髪をなびかせた彼女は、おおよそ空母という現代兵器の内部では明らかに異質な、腋が露出している黒い巫女服を纏うだけでなく顔の上半分を仮面で覆い、その素顔を窺い知ることは叶わない。
何から何まで異質な風貌の彼女の名はレイナ・アオイ。亡国機業の幹部にして、スコールと同じく実働部隊を任されている腕利きのIS乗りだ。
腕利きなのだが、マサラッキは彼女のことを心から信頼しているわけでない。名前からして日本人であることは間違いないのだが、その他の情報が一切合切分からないのだ。
外見こそ20代前半のそれだが、生年月日も出身地も不明。亡国機業が誇る情報網を駆使して探しても個人情報が全く出てこない、まさしく謎多き人物なのだ。
一応レイナからは「名前は本名」と公言されてはいるがそれも怪しい。そして素顔を誰も見たことがないという事実がレイナ・アオイという人物をミステリアスな存在に昇華させていた。
「せめてミューゼル氏以外の者の意見も聞いた方が良かったのでは」
ところでこのシェアーフィンス級だが、最初から亡国機業に組み込まれた空母ではない。元々シェアーフィンス級は、いわゆる『白騎士事件』後、IS時代の到来を見越した米軍が開発を進めていた。しかしあまりにも莫大な費用が必要になったため計画は頓挫、凍結しお蔵入りとなった。
そんな時に亡国機業がアメリカ政府や軍内に潜むシンパからシェアーフィンス級の情報をキャッチ。亡国機業が所有する秘密ドッグ内で建造が進められ、およそ5年の歳月をかけこの秋に完成したばかり。つまり<シェアーフィンス>にとって、この航海は処女航海なのだ。
「その必要はない」
マサラッキの懸念を含んだ問いかけにレイナはそう返す。
「あの篠ノ之束をこちら側に引き入れたスコールに逆らえる者なんて今やいないに等しい」
「なるほど。確かに」
「スコール達は、すでに京都に?」
レイナの問いかけに、副艦長であるエアナ・シャーティが答える。
「はい。IS学園側も我々の討伐に動き始めているみたいで」
「学園内の仲間からの?」
「はい。彼女も織斑一夏らと共に」
「なるほどねぇ」とレイナは鼻を鳴らす。
「エムには、束博士お手製の新型が渡っているんだろう?確か<黒騎士>と言ったか」
「報告ではそのように」
シャーティは淡々と答え、マサラッキは重い口を開く。
「明日の京都は戦場になりますな」
「ま、観光名所に被害がなければ、どうぞご勝手にってね」
あっけらかんとするレイナに後ろ姿を見てマサラッキは頭痛を感じた。しかし直後に発せられた言葉にマサラッキは心を入れ替える。
「我々は我々の仕事をするだけさ」
「やはり、学園襲撃を」
IS学園襲撃。それが今回レイナ達に任せられた任務だ。
亡国機業による学園襲撃は過去2度行われている。いずれもスコールの部下であるエムとオータムによるもので、どちらもこちらが虚を突く形となったが今回は直接対決。スコール自ら重い腰を上げての戦いとなる。
そして新造空母<シェアーフィンス>を据えた別働隊にもまた別の任務が与えられていた。
「博士が起こしたワールド・パージで分かっただろう?あそこはただの教育機関じゃない」
「それを改めて探すのが我々の任務ですか」
「米軍の特殊部隊まで動いたんだ。第3世代の<ファング・クエイク>まで引っ張り出してな。何かなくては困る、けど」
束が起こしたワールド・パージの出来事に関しては断片的にだが亡国機業の上層部は把握している。その際に学園の地下区画深くに『何か』があることも確認したがその『何か』までは掴みきれていなかった。
またこの時に、米軍特殊部隊もアクションを起こしたが、こちらの動向は未だ知れない。
レイナは確信めいた笑みを浮かべる。
「風の噂によると、<暮桜>が眠っているらしいけどねぇ」
「なんと…」
マサラッキの目が見開く。周囲の空気も変わり、どよめきが起こる。
「あくまで噂だが、もしかしたら、な」
<暮桜>はまさに伝説的な機体だ。たった1本の剣を持ち、<暮桜>を纏った織斑千冬の鬼神めいた戦いぶりは彼女が総合優勝を果たした第1回モンド・グロッソから数年経った今でも燦々と輝きを放っている。
レイナは空いていた艦長席へと座ると、ファイリングされた書類を手に取り、中から1枚の写真を取り出す。
「ま、とにかく我々は与えられた任務を遂行するだけだ」
レイナは写真をファイルの中に戻し、艦橋を後にした。
「あーあ、いいなー織斑君達」
「専用機持ちになると2回も京都いけるんですって奥さん」
3時限目を終えた直後のIS学園。今日はこんな風なボヤきが特別多く聞こえる。
今日の朝に新幹線で東京駅を経った一夏達は既に京都に到着している時間帯だ。
全学年の専用機持ち、ならびに一部の教員は京都への下見へ出発。本当の目的は別にあるのだがそんなことを一般生徒が知るすべはない。
専用機持ちが1番集中している1組の教室を眺めると空席がチラホラ。担任である千冬と副担任の真耶が京都へ行ってしまい、まともにクラスが機能しなくなってしまった。
止む無く今日と明日はずっと1組は自習なのだが、何故か今日は教壇に立った(立たされた)緑葉のトンデモ話を延々と聞かされ続けてきた。
なんでも千冬直々の指名らしく、しかもこれがまた話が結構面白かったため蓋を開ければ盛況に終わった。
4時限目のチャイムが鳴り、生徒は各々自分の席につく。もっとも千冬が居ないためか動きはいつもより鈍重に写る。
「はいみんな席についてください〜」
ドアを開けて緑葉が入室。その後には龍驤と藤川、先日から学園にやってきた西園寺も緑葉に続いて入室。
生徒の目線が一点に緑葉に注がれる中、教壇に書類を置いた緑葉は一息つく。
「えー、先生でもないのにこんなことするのってどうなんだと思うんですが」
生徒から笑いが漏れる。鬼軍曹千冬がいないためか多少緊張の糸は緩んでいる。
「本来なら4時限目に突入。ってことになるんですが、予定変更SHRへ入ります」
唐突に放たれた台詞に、生徒達はみな首を傾げたりどよめきが起きている。そこへ藤川が口を挟む。
「実は先程、職員会議がありまして、まぁ我々は参加できないんですが。それで菅野先生から知らされたんだけど、今日と明日は半日でいいんじゃねえか?ってことになりましてですね」
「つまり、今日はもう授業終わりです」
緑葉が結論を言った瞬間、教室中から歓声と拍手が巻き起こる。中にはガッツポーズまで作っている生徒までいるが、緑葉が「静かに」と言い放つと喧騒はピタッと止む。
「すげぇ」と変な感心を露わにする藤川の横で緑葉は生徒1人1人を見据える。
「えーと、とりあえず今日と明日の半日授業は確定です。理由は担任も副担任もいなくて授業が進まない1組に合わせて、って感じだったっけ?」
チラ、と緑葉が横目で藤川を見やる。目線に気付いた彼はこくりと頷く。
「そうだね。でまぁこれから今日の午後から夜にかけてなんだけど、できるだけ、うんまぁというか絶対に学生寮の外には出ないでください。待機です」
まさかの一言に収まりつつあったどよめきが再び蒸し返す。生徒達は互いに顔を見合わせて困惑しきっている。
「これは1年だけの話ではなく、2年や3年の方にも通達されています。どうしても外に出なくてはならないという用事がある人は先生に許可を取ってから外出してください。
あと先生側から呼ぶ場合もあります。それ以外の無許可での外出は一切認めません。もしも無許可外出をした場合は反省文を書いてもらいます」
『ええ〜〜〜!?』
一通り緑葉が説明し終えた後、案の定教室中から不満を露わにする大ブーイングが巻き起こる。緑葉自身も生徒の立場だったら絶対ブーイングする、そんな同情があるため強気な姿勢は取れない。
「なんでですか!?」
「いくらなんでも理由もなしにそれはあんまりですよ!」
「休みは嬉しいけど納得いきません!」
「ブーブー!」
生徒の喧騒が激しくなりかけた瞬間、1人の生徒がスッと手を挙げる。クラスの中でも1番のしっかり者と評される鷹月だ。
喧騒が止んだのを確認して、鷹月は緑葉の目を見て訊ねる。
「私はその決定に不満に反対するつもりはありません。しかし、理由の方は教えてもらえないのですか?」
鷹月の毅然とした態度のもと発せられた質問に思わず緑葉は引きつり笑いを見せる。
「うーんやっぱり真面目だなぁ。でも申し訳ないんだけど私からは何も言えないんだ」
「……わかりました」
緑葉は決して嘘は言っていない。本当に口止めされていると察した鷹月はアッサリ引き下がり席に座る。
やがて各所から漏れていたブーイングや不満も収束していく。これ以上どうこう言っても仕方がないと諦めた様子だった。
やがてSHRも終わり、生徒達は学生寮へと戻っていく。ISを使った訓練を具申してきた生徒もいたがそれもまた却下されている。
教科書をまとめている相川と鷹月の姿を見つけた緑葉が声をかける。
「あーっと、相川さん、鷹月さん、のほほんさんはすぐに職員室まで」
「え?あ、ハイ」
それだけ言うと緑葉は藤川達を連れて教室から退室。相川と鷹月は互いに顔を見合わせて訝しんでいたが本音はいつも通りだった。
「私、なんかやっちゃったかなぁ?」
「この前のレゾナンスの件とか?」
「あ、あー……」
思い当たる節があった相川はげんなりと肩を落とす。結局あの後は緑葉が裏でアレコレ工面してくれたお陰で特別に設定された門限ギリギリになんとか学園に到着。その翌日レゾナンスでの一幕を知っていたクラスメイトからは「朝帰りだー」などとどやされた。
外部でのISの無断使用という御法度をやらかした相川であったが、どういうわけか未だに罰は下されていない。それこそ簡単な反省文だけで済まされたままだ。恐らくこちらも緑葉が色々根回ししたのだろうと相川は結論づける。
「どうせなら忘れたままでいてほしかったけどなぁ…」
「でもそれならなんで私や本音ちゃんも呼ばれるんだろう」
「確かに。うーん違う理由…、はもっと思い当たらない」
レゾナンスでの一件なら相川だけを呼べばいい話。何故自分まで、と鷹月は解せないなぁと首を傾げた。相川もまた疑問を浮かべながら教科書をまとめ終え教室から出る。
結局レゾナンス以外で思い当たる節が出てこずモヤモヤした気持ちのまま職員室の扉の前に到着。ノックをしようとした鷹月が手を伸ばした時、不意に1人の女性に呼び止められる。
「貴女達はこちらへ」
呼び止められた相川らは自分達に声をかけた女性の方を見る。その女性は千冬と同じようなダークグレーのスーツを着こなしており、髪は左側に束ねたサイドテール。クールな雰囲気を感じさせ、まさに『大人の女性』と呼ぶに相応しい。
「鷹月さん、あの人知ってる?」
「ううん。見たことないもん」
目の前に立っている女性を相川達は見たことがなかった。学園の教員なら少なくとも1回は会っているはずだが、記憶を引っ張り出しても会った記憶がない。するとこの女性は学園の関係者ではないということになる。
相川と鷹月が戸惑っていると、本音が静かに口を開いた。
「大丈夫だよ〜。私の知り合いだから〜」
「そうなの?」
「なら、一応は…」
本音の一言に鷹月はホッと胸を撫で下ろす。
兎にも角にもとりあえず危ない人物ではないと判明したところで相川と鷹月らは警戒心を少し緩める。
そのやりとりを見ていた女性の方は表情を変えることなく廊下を歩いていき、相川らも後をつける形で彼女の姿を追った。
「生徒会室…?」
スーツ姿の女性に連れてこられた場所はなんと生徒会室だった。
さすがにこれは予想外だったのか相川と鷹月は女性と本音の姿を見る。
本音はいつも通りだが、スーツ姿の女性の方は真面目な雰囲気を崩さない。
徐ろに本音が生徒会室の扉を開け、女性を誘なう。彼女はお辞儀をして、本音の厚意に甘える形で生徒会室に入っていく。
「きよひー達もはやくはやく〜」
本音は片手で重厚な扉を抑えながら2人に向けて手招きする。扉を抑えていた腕が小刻みに震えている辺り限界が近いことを察した相川と鷹月は生徒会室へと入室する。勿論ノックと「失礼します」は欠かさない。
何気に始めて生徒会室に入った相川と鷹月を出迎えたのはこれまた異質な面々だった。
まずは先程のスーツ姿の女性。彼女はソファーへと座り、対面するような形で藤川と西園寺が座っている。
さらにスーツ姿の女性の隣にはこちらも会ったことがない女性の姿が。ピンク髪で横髪はおさげ。エンジニア関係の人なのか、つなぎ服がなんとも様になっている。ソファーを取り囲むようにフランシィを含む数人の教師の姿が。
壁に背中を預けるように菅野が立ち、書記の席には本音の姿が。そういえば本音ちゃん生徒会メンバーだったな、などと思いながら相川が目を移した先は会長席ともう片方の書記の席。
生徒会会長である楯無、書記であり本音の姉である虚も楯無らのサポートを任されているため両者共に京都へ行っている。そのため学園には不在である。
会長が座す椅子に緑葉、書記の椅子には龍驤が座していた。
「あの、これは一体」
開口一番、鷹月が緑葉へ問う。
「うーんとね。その前にそこの2人について紹介した方がいいかな?」
「さんせ〜い」
緑葉が言う2人とは、察しの通りスーツ姿の女性とつなぎ服を着た女性である。机に置かれた煎餅を頬張る本音を横目に2人はソファーから立ち上がる。
「加賀と言います」
「鶴屋重工でエンジニアをしている明石です!よろしくお願いします!」
片や真面目、片やフレンドリー。そんな第一印象を感じていると加賀は相川と鷹月に名刺を渡す。渡された名刺を見ると、加賀が鶴屋グループの者だということが分かった。
明石からは握手を求められ、恐る恐る手を差し出すと固い握手が結ばれる。一連のやりとりを会長席に座りながら眺めていた緑葉が笑みを浮かべる。
「加賀さんと明石は藤川君がわざわざ本社から呼び寄せた腕利きでね。かなりのモノを持っている」
「それなりの権限を持ってますからねぇこのヒゲは」
「君もヒゲだなんて言うんじゃないよ」
明石の言葉通り、藤川はグループ内でそれなりの権限を持っている。場合によっては緑葉でも逆らうことができないほど。
そんな光景が繰り広げられていると、壁に背中を預けていた菅野が身体を起こす。
「挨拶もこれくらいにして、本題に入ろうじゃないか」
「せやな。もうあんまり時間もないで」
時計を見た龍驤は緑葉を見やる。緑葉は椅子から立ち上がり生徒会室に集まった面々を見渡す。
「いいかな?菅野先生」
緑葉の確認の問いかけに、菅野はゆっくりと頷く。
「ではこれより、『オペレーション・ディオネア』の作戦会議を始める」