Fate/Light Tune   作:炭団

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ここまでが前置きみたいなものです。


2、1月30日夜

「杏子。人ばっかりでなく、たまには自然な風景でも狙ってみないか?」

 

 祖父にそう提案されたのは夕ごはんの支度を終えた頃だった。そうだなぁ。気分転換にはなるか。

 

「それでどうするの?」

「天体写真だよ」

「天体写真?」

「うむ。三脚を立ててな。赤道儀で星を追っても良いし、カメラを固定して星を流しても面白いぞ。どうだ、やってみないか?」

 

 へぇ。面白そうだ。それで話は進み、食後にクルマで撮影スポットまで行くことに決まった。

 私はE○S-10Dに50mm/F1.8Ⅱを着け、お父さんから譲られたニューFM2に、祖父から……いや、お父さんと言ってしまったから、ここからはお祖父ちゃんだ。そのお祖父ちゃんから戴いたニッ○ールHCオートの28mm/F3.5を着けた。

 このニッ○ールCオート・シリーズは、それまでのニッ○ールオート・シリーズがマルチコートされたタイプで、旧連動式のツメが塞がっていてレンコンのようなピントリング(ローレット)が着いているのが特徴だ。

 なんで今の女子高生がこんな古いレンズを使うのか? それには理由がある。お祖父ちゃんやお父さんの影響はもちろんだけど、義務というか責務というか、そういうのもあったりするのだ。

 

 少しお祖父ちゃんの事を話そう。元報道カメラマンだったお祖父ちゃんは、仕事で嫌な写真を撮る事が多かったからか、趣味の写真にはとことんこだわった。同僚が家ではカメラを触らないという中で、次から次へとレンズやカメラを買い揃え、お祖母ちゃんを泣かせていたそうだ。

 だけどその御蔭で写真を嫌いにならずに済み、今もこうして趣味として続けられているんだと話している。だから病気で死んじゃったお婆ちゃんの仏壇に毎朝ありがとうと、手を合わせるのがお祖父ちゃんの日課だった。

 

 そんなお祖父ちゃんの愛機はニ○ンFのフォトミックFTnとF2のフォトミックASである。知らない人は知らないだろうが、知っている人からすれば日本のカメラ史に燦然と輝く名機中の銘機だ。

 だけど新聞社に務め始めた新人の頃はフォトミックじゃない、ただのFだったそうだ。それは写真部に転がっていたもので、ベテランや先輩は当時最新のFフォトミックだった。それを横目で眺め、羨ましかったという。

 けれど新卒で入社した翌年に東京オリンピックが開催され、そこで初めてFフォトミックを与えられたそうだ。フォトミックとは交換式のペンタプリズム部分に外光式露出計が付いたタイプをいう。つまり後からこの部分だけ買って、FをFフォトミックにできるのだ。

 

 もっと言えば、こうだ────。

 ノーマルF→誰しもが一眼レフで思い浮かべる、三角形に尖ったアイレベル・ファインダーが付いたもの。

 Fフォトミック→その尖ったペンタプリズムが、露出計付きになったもの。正面から見て左側に丸い測光部分がある。

 FフォトミックT→同じペンタプリズムなら、そこをもっと利用しましょうとTTL平均測光となったもの。TTLはスルー・ザ・レンズの略で、レンズから入る自分が取りたいと思った対象そのものの光加減を測るという意味だ。たぶんこの辺りまでが前期型。

 FフォトミックTn→測光形式が平均測光から中央重点測光となったもの。

 FフォトミックFTn→Tnの改良版。絞りが露出計と連動するようになった。それまではレンズごとに手動で開放値を設定しなければならなかったのだ。レンズの鏡胴根本にあるツメをF5.6に合わせ、絞りを最小から開放に向かってガチャガチャするのはここから始まった。廉価版のニコ○ートFTnにも同じ機構が入っている。

 そしてたぶんここからが中期型で、軍艦部の刻印が富士山型からアルファベットの社名になった。後期型はフイルム巻き上げレバーにゴムのカバーが付いているので一発でわかる。

 

 これがF2だとこうなる────。

 F2→アイレベル・ファインダーDE-1が付いたタイプ。露出計が要らなければ、電池も不要で一番安心。

 F2フォトミック→フォトミックファインダーDP-1付き。FフォトミックFTnと同じ機構。

 F2フォトミックS→フォトミックファインダーDP-2付き。露出計の指針がLEDになった。

 F2フォトミックSB→フォトミックファインダーDP-3付き。露出計の受光素子がCdSからSPDのなった。

 F2フォトミックA→フォトミックファインダーDP-11付き。Ai方式になってガチャガチャが必要なくなった。だけど露出計の受光素子はCdS。

 F2フォトミックAS→フォトミックファインダーDP-12付き。Ai方式。露出計の受光素子はSPD。

 お祖父ちゃんはASの前にDP-1のF2フォトミックを持っていた。それは現在私のオモチャとなっている。お父さんも中古で程度のいいF2フォトミックASを買っていて、MD-2モータードライブを着けて大切にしまっている。そして二人とも必ずボディに黒を選んでいた。これは黒がプロの証だという昔の考えがあるからだ。

 その後、Fはアポロとともに宇宙へ行き、F2は植村さんと北極へ行った。私は小さい頃、植村さんを宇宙飛行士だと勘違いしていた。それくらいFやF2の神話を聞かされて育ったのだ。

 

 マニュアルフォーカスで、露出計の性能もまだまだだった時代のカメラ。オリンピックではそんなFに300mmや500mmの望遠レンズを着けて、何枚も何枚も撮ったという。選手たちが魅せる躍動と感動、観客の興奮、そしてお祖父ちゃん自身の興奮。レリーズボタンを押す指先が震えたそうだ。そりゃそうだろうね。

 けれど3日目、4日目と進むうちに指の震えが止まったそうだ。オリンピックが終わって、同じ新聞社が発行するグラフ誌に、お祖父ちゃんの撮った写真が掲載された。ここからお祖父ちゃんのカメラマン人生が本当の意味で始まったのだ。

 

 務めて5年目になろうかという年に、フォトミックTnが出たのだけれど、結婚3年目でお金がなくて、泣く泣く我慢したそうだ。だけどその翌年にFTnが出て、ボーナスをお祖母ちゃんに預けず、その足でカメラ店に入っちゃった。そのせいで、3歳のお父さんの保育園の月謝や、借りていた部屋の家賃すら事欠くありさまだったと言う。

 普通に考えたらクズだ。けれどお祖父ちゃんはお酒は嗜む程度だし、博打もしないし浮気もしない。いわゆる『呑む・打つ・買う』などを一切しない人だった。だからお祖母ちゃんのお父さん、つまりひいお祖父ちゃんが写真一筋のお祖父ちゃんを応援して、何度も生活費の面倒をみてくれたと話してくれた。

 だからお祖父ちゃんはカメラをとても大切にしていて、毎日毎日磨いている。お父さんの幼児期から小学生時代の写真はみんなこの『F』で撮られている。

 

 お父さんも子供の頃から写真を学ばされ、中古のFを与えられえていた。それが今もあるのだけれど、まず持てば誰しもがこう思うはずだ。『重い』と。そしてフィルム交換。裏蓋が横に開かない。底にあるキーを回せば裏蓋込みで下側がガコッと外れるのだ。こんなので迅速な交換なんて出来ない。

 なので新聞社の人はF36モータードライブを取り付けた『F』を2~3台肩にかけるか、長巻のフィルムをそのまま納める専用マガジンを装着した。

 また、こんな変なマガジンを付けるからあそこにあるのかというくらい、シャッターボタンの位置も変だ。カメラの上部分を軍艦部と言うのだけれど、『F』はそこの前寄りでなく後ろ寄りにレリーズボタンがあるのだ。なんでも『F』の前のカメラと同じ位置らしい。だけどその分小学生には押しやすいので、お父さんは好きだったと話していた。

 その後少しずつ昇給し、次の『F2』は計画的に買えたそうだ。買い替えたクルマのローンに組み込んだ、みたいな事を亡くなったお祖母ちゃんが話していたとお母さんは言っていた。

 クルマは昔からジム○ーで、今が三台目だったと思う。シェラという1300ccだ。最初のは軽自動車で助手席はお婆ちゃん以外禁止で、お父さんも座ったことがなかったという。今は私が横に乗るので、お父さんも少し驚いていた。

 

 そんな筋金入りのニ○ン党だから、お祖父ちゃんはこのCオート・シリーズの世代と次の世代のニューニッ○ールのレンズをたくさん持っている。『F』の時代のニッ○ールオートなんて貧乏時代だったからほとんどない。だけどサードパーティ製やキ○ノンのスピゴットマウントだった頃のFDレンズなんかはちらほらある。一時、キ○ノンを触っていた頃もあったようだ。

 お祖母ちゃん一筋だったお祖父ちゃん曰く────。

 

『カメラは浮気しても文句を言わないからな。何よりどう違うのか知りたいじゃないか』

 

 そういう例えは理解できてしまうから、ヤメて欲しい。

 ともあれ昔は単焦点が当たり前だった。そんな頃、カメラ雑誌の特集でよく組まれたのが『初心者が最初に選ぶレンズ』『最初の交換レンズ』などだ。そしてボディとセットで販売され、メーカーが標準と謳うのが、焦点距離50mm近辺のいわゆる『標準レンズ』だった。

 では2本目は?

 スナップで是非とも欲しいのが35mmだ。誰でも扱いやすく、フレームの収まりが良い。だからコンパクトカメラの焦点距離もこの35mm辺りが多いのだ。

 では、それでも物足りなくなって、もっとワイドが欲しくなれば?

 そこで二つの選択肢が生まれる。24mmか28mmかだ。するとこんなレンズの揃え方になる。

 

 24mm→35mm→50mm→85mm→135mm

 28mm→35mm→50mm→100mm→200mm

 

 勿論24mmを選んでも50mmの後は100を選んでも良いし、28mmで85mmを選んでも良い。広角側か望遠側にズーム・レンズを選んでも良い。それはその人の好みだ。

 そしてキ○ノンはこの24mmに強いらしく、三種類も揃えていた時代があった。特殊なレンズを含めるともっとだ。対するニ○ンは28mmと100mmならぬ105mmが強かった。

 そんなカメラ・メーカーのレンズは時代の変遷とともに、システマチックにどんどんとそのラインアップを増やしていった。

 先程も言ったが、大きなメーカーは得意な焦点距離ではF値の明るい高級なレンズと、中間くらいのレンズ、暗いけれどシャープな入門用レンズをカタログに載せるようになっていた。

 

 それが家にある古いニ○ンなら、ニッ○ールHCオートの28mm/F3.5とニッ○ールHCオートの50mm/F2.0、そしてニッ○ールQCオートの135mm/F3.5の三本だった。つまりこの上にもっと明るいレンズが二つ以上あるという事だ。どれもニ○ンのサービスセンターでAi対応に改造してある。

 学生時代のお父さんも、このレンズで練習していたという。縁や指のよく触れる部分は塗装が剥がれて、下地の金属が光っている。そんなあちこち剥げたレンズは、親子三代に渡る歴史を刻んだ私の宝だ。

 そしてこのような格安の入門レンズは最後のマニュアルフォーカス・システムだった、Ai~Sニッ○ールまで生き残っていた。お父さんはそのAi~Sニッ○ールでレンズを揃えていたので、入門用に使えそうなレンズとボディは孫に譲ると話している。お祖父ちゃんも曾孫に全部譲ると話しているので、一人っ子の私は責任重大だ。

 

 けれど実際はニッ○ールHCオートの50mm/F2.0や135mm/F3.5なんてほとんど使わない。まずニ○ンと言えばマイクロの105mmだ。写真部の備品にも同じのがあるが、むちゃくちゃシャープなレンズだ。お年玉を貯めて中古で買った。

 敢えて言うならF4.0と暗いのが難点かな? 今はF2.8もあるけれど、何か違うような気がする。ボケ味はキレイなんだけど。

 お父さんから借りっぱのAi Micro ニッ○ール 55mm/F2.8や、お祖父ちゃんの家のカメラ・ケースに転がっていたタム○ンのSP90mm/F2.5(52B)なんかも断然出番が多い。

 歴代のSP90はプロに愛される名レンズだ。お祖父ちゃんも、お父さんも新しいのに次々と買い替えていた。だから昔のが余っていたのだろう。

 ただ、絞りの方向は良いけれど、ニ○ンだとフォーカスリングの無限方向が逆なんだよね。キ○ノン派なら絞りだけが逆になる。目で追わず指先と言うか皮膚感覚で覚えていると、これが中々慣れない。シグ○やト○ナーだと同じだから違和感があまりないんだけど。それでもシグ○のズームは広角と望遠が、逆回転の物が時々あって悩むとお祖父ちゃんは話していた。

 

 そんな事もあって今年度の体育祭では、これまた除湿機能付きカメラケースの奥で眠っていた、シグ○のミラー・テレフォト 400mm/F5.6が大活躍した。同時に見付けたタム○ンのSP350mm/F5.6と並んで、何故これがあるのか謎のレンズだ。

 どちらかがお祖父ちゃんので、どちらかがお父さんのらしいけれど。でもこんな手頃な焦点距離のレフレックスレンズなのに、全然売れなかったらしい。かなり希少性の高いレンズなのだ。500mmならたま~にカメラ雑誌の懐古特集で見るけれど、これもF8.0と暗いので普通の人はまず使わない珍しいレンズだ。なのに家には3~4本ある。

 独特のリングボケは汚いとよく言われるし、凹面鏡の反射を利用しているので、どこかピントが甘く芯がないとも言われる。だけどカラーでなくモノクロだと、とても味がある。特にポートレートなどで接近すると、被写体の後ろのボケが独自の世界を醸し出す。

 こんな風に使いどころでいくらでも楽しめる、往年の隠れた名レンズや名機が打ち捨てられて行く。デジタル時代を迎えて、そんな風に時代が代わってしまった。

 

 お祖父ちゃんのお友達からアナログ・カメラを戴いたこともあった。

 フ○のフ○カGS645WプロフェッショナルやGS645Sプロフェッショナル、それにフ○カGM670プロフェッショナルなどの中型カメラに、ペンタ○クスのMXやキ○ノンのAE-1などの一眼レフだ。それぞれ交換レンズ数本付きで戴いたので嬉しかった。

 特にGM670は50mm/F5.6と65mm/F5.6がセットだったので中型カメラの練習に持って来いだった。どうしてこれを私に下さったのか、今だに信じられない。

 MXはSMCペンタックスMの40mm/F2.8と、Mじゃない24mm/F3.5にソフトの85mm/F2.2。これにキヨハラソフトのベス単、VK50R(50mm/F4.5)までがあったから何を撮りたい人だったのか明確だ。

 AE-1は50mm/F1.8S.C.付きだった。これ以外のレンズがないところが潔いというか何というか。全然使っていなかったのか、ほとんどタイムカプセル品だった。お祖父ちゃんからスピゴットのFDレンズを借りて時々使っているけれど、キ○ノンはカラーでのポートレート向きだ。人肌がとても綺麗に写る。

 

 ミノ○タのSR-T superや、輸出用だったというハイマチック7sⅡに、二眼レフのヤ○カマット124Gなども別の方から戴いた。

 一眼レフのSR-TはFに通ずる金属の塊だ。101と並んで当時のパパさんはこぞって買ったという名品だ。

 驚きはハイマチック7sⅡだ。お祖父ちゃんもお父さんも、プロは黒だと言わんばかりに黒ボディばっかり揃えていた。そしてこのチビっこい距離計連動式カメラも、ファミリー向けと思えば珍しい黒なのだった。おまけにシャッター速度優先AEの他にマニュアルがある。

 一般家庭用でこれは珍しい。だけど下さった方は、これの10年前に販売されていたハイマチック7sやハイマチック9にもマニュアルがあったし、それの輸出用にも黒があったと教えて下さった。

 この7sⅡのロッ○ール40mm/F1.7はとても味があるし、マニュアルが使えるのが本当に良い。世の人は皆んな露出に迷う。そこでシャッター速度優先AEや絞り優先AE、プログラムAEなどが生まれたわけだけど、誰しもがそういうのが欲しいわけではない。お手軽で安くて、でも基本性能はしっかり、そういうのが欲しい人も居るのだ。だから輸出用だったんだろうなぁ。

 だって当時はコ○カのC35シリーズが大ヒットしていたからだ。『じゃ~に~コ○カ』『ジャスピンコ○カ』『ピッカリコ○カ』なんて普通の女子高生は知らないだろうけど、お父さん世代の人は子供の頃CMで見たと口を揃える。だけどC35はどれもこれもAE専用機でマニュアルがなかった。シャッタースピードもレンズシャッターなので高速がなく、中途半端だ。言ってみればカラーネガフィルムの、ラチチュードに頼った設計だったのだ。

 これはライバル機のオリ○パス・トリップも同じで、他のメーカーも全部何らかのAE専用だった。これならピント目測式でもシャッターや絞りが自分で決められる、コーワSWのようなカメラのほうが断然面白い。

 対する7sⅡは、シャッター速度優先AEこそあれど、上手い人以外はお断りな部分がある。そこが私の好みとマッチしていて好きなのだ。これをぶら下げて歩くと、すれ違うお年寄りが『おっ』というお顔をする。話しかけて下さる人までいる。そこからカメラ談義が始まる事もしばしばだ。

 同じような効果を望めるのが、ヤ○カマット124Gだ。二眼レフだよ? 二眼レフ。私みたいな若輩者が7sⅡでなくラ○カのM3やM6をぶら下げていたら生意気だ。それと同じくロー○イフレックスの2.8Fや2.8FXなんかを持って散歩していたら顰蹙モノだろう。

 そうとなると、この124Gは良い。『ああ、祖父か誰かのカメラを大切に使っているんだな』と、好意的に見られるからだ。ミノ○タ・オートコードには負けるけれど、鉄板プレスのリ○ー・フレックスよりかは高級感がある。

 気に入った景色を見付ければ、上面のフードを広げて覗き、ルーペでピントを合わせてパシャっと撮る。スクリーンに写る像は左右逆だけれど、6×6のスクウェアなフレームは余りにも新鮮だ。だって画面が正方形のテレビや映画なんてこの世にないんだから。

 帰りがけに喫茶店に入って、テーブルの上におもむろに124Gを置く。高い確率で誰かが話しかけてくれる。そういう世代を越えたコミュニケーションを生み出すカメラ。それが124Gであり7sⅡなのだった。

 

 断言しちゃうけれど、写真は腕よりコミュニケーションだ。コミュニケーションを上手くとれない人は写真に向いていない。これは対象が静物であったとしても同じだ。それを世に出すには、コミュニケーションが絶対に必要なのだ。もっとわかりやすく言えば営業能力であり、トーク力だ。それがない人はプロにはなれないし、いい写真も撮れない。まして人物撮影主体ならなおさらだ。

 人の『喜怒哀楽』、それの『喜』と『楽』を引き出してこその腕だと思う。自分の『怒』や『哀』が写った写真を、誰が欲しがるの? 誰が見たいと思うの?

 それが絵になるとか、その人を現しているとか、真実だというカメラマンは自分の嘘っぱちのエゴを押し付ける二流だとお祖父ちゃんは断言していた。私もそう思う。人々にプラス方向の感動を与える写真、それが真実であり、それを追い求めるのがカメラマンだとも教えてくれた。

 そんなお祖父ちゃんに共感し、友人となってくれた人達。皆さんお年を召されて、それまでの機材を手放し、単焦点高級コンパクトやデジタルカメラに移行された。私はその恩恵を一身に受けているわけだけれど、悲しいと言うか寂しいと言うか。

 

 お祖父ちゃんの血を引いてこだわり屋さんでカメラ好きなお父さんも、仕事では会社から押し付けらたEOS-1Dsばかりだという。

 記者は記事を書くだけではない。自分の足で情報を集め、自分で撮影する場合も多い。ましてや今のデジタル時代だと、写真部の人でも記事を書かされるそうだ。今や暗室は物置となり、明室でパソコン相手に画像チェックして、記事をエディターで打ち込む。それをメールで編入部の担当デスクに送る。そんな時代なのだ。

 長いこと仕事でもプライベートでもF3やF4を愛用していたのに、時代はデジタルという社の方針で一斉にキ○ノンへ代わった。最初は戸惑ったそうだけれど、最近は慣れてきたとお父さんはいう。若い頃からF3、FM、FM2、ニューFM2、ニューFM2チタン、FE、FE2、FAと揃えてきたマニュアル派のカメラ小僧だったお父さんがよくぞと感心する。

 

 でも、内心では不安だったのだろう。若い間にデジタルにも慣れなさいと言ってきて、最初の10Dは半額というか2/3も、お祖父ちゃんとお父さんが応援してくれたのだ。お蔭でバッテリーグリップのBG-ED3とセットで買えた。けど、20Dなどの後継機種が出たらすぐに買い替えるつもりだ。持論だけれど、デジタルは最新のものでないと意味というか価値が半減すると思う。だって新しければ新しいほど新機能と画素数が増えるからだ。

 その事をお祖父ちゃんに話したらとても訝しんだ。そこで私はこう説明したのだ。私が思うデジタルの良さとは、お手軽なところと、CCフィルターやLBフィルターが、最初から全色内蔵されているも同然なところだと思うと。

 私はお祖父ちゃんやお父さんの手ほどきもあって、基本完全マニュアル派だった。シャッタースピードも絞りも、デジタルなら感度も色温度も自分で決めていた。内蔵露出計は参考にしているだけだ。オートで体育祭なんて撮れない。照り返しで白く照り返すグラウンドに、白い体操服の学生たちを撮ろうと思えば露出補正が追っつかないのだ。

 それに写真部はグラウンドのあちこちに行かなければならない。つまり順光も逆光も何でもありなのだ。そんなので、ここはプラス1とかプラス2とかやってられない。それなら、自分の撮影ポジションで手の甲を測り、その露出でマニュアルにしてしまうほうが確実だ。つまり何としてでも18パーセント・グレーにしてしまう内蔵露出計の機能を逆手に取って、全画面を自分の手の甲にしてそれを基準にしてしまうのだ

 

 デジタルだと更に色温度だ。今日はピーカンなので5500ケルビン。でも少し青寄りのほうがシャープに見えるので5300ケルビン。もっと性能が上がれば別だけど、オートホワイトバランスは使わない。お日様マークや日陰マーク、曇りマークに電球や蛍光灯。この中で役に立つのは蛍光灯だ。昼光色は6500ケルビン、昼白色は5000ケルビン、白色は4200ケルビンくらいとわかっていても、緑色の成分が多いのでマニュアルで決めづらいのだ。

 逆に考えて、太陽光が直射でなく間接的に大きく入るビルの玄関フロアなんかでモデル撮影するなら、敢えて電球にしてしまって青く撮る場合もある。要は何をどう表現したいのかだ。

 ISO400なら1/500でF8.0、人物を止めたいので1/1000でF5.6。半逆光なら絞りをF4.0、完全逆光ならシャッタースピードも1段落とす。こういうのを身体が覚えるまで、何度も何度も繰り返し撮影するのだ。

 勿論それ以前の基本的な技術も必要だ。脇の締まったブレない構え方、指先でなく指の腹でそっと押すブレないレリーズ、瞬時に決めなきゃならないフレーミングと露出……。露出って写真を撮る上で、数多くある要素の一つでしかないのだ。そして決定的瞬間を確実にものにする、運とカンとセンス。これらを毎日毎日、心のシャッターを押すことで磨くのだ。要はイメージトレーニングなんだけどね。

 

 そんな私に妙なオートや測光機能は要らない。アナログカメラなら正確なシャッターと絞り、自分の感覚と合うレリーズがあれば良い。デジカメなら色温度や色調にホワイトバランス補正などの各種補正と、現像パラメーター(後のピクチャースタイルやピクチャーコントロール)などの、表現の幅を広げてくれるJPEG圧縮エンジンがあればそれで良い。それ以外の機能は、言ってみれば余分なモノだ。

 ストロボ発光禁止モードも内蔵ストロボを使わないので必要ない。夜景ポートレートなんて絞りを開けてシャッターをスローにして、外付けストロボをスローシンクロさせるだけだ。ただボケ味優先で単眼を使うと、TTLでも絞りが足りなくなる場合がある。この時はガイドナンバーの低い内蔵ストロボを使う場合もある。

 その次のスポーツ・モード、クローズアップ・モード、風景モード、ポートレート・モード、全自動プログラム・モード(□)、プログラム・モード(P)、シャッタースピード優先・モード(Tv)に、A-DEPモード(被写界深度優先)も使わない。 絞り優先・モード(Av)かマニュアル・モード(M)以外使った試しがない。

 

 だけど全否定はしない。オートフォーカスは老眼や近眼で悩む人を救った。組み込まれるマイコンの恩恵は、逆光の日中シンクロや夜景シンクロを、純正ストロボとの連携に拠ってより確かで高度なものとした。これらアナログ時代の財産が、今のデジタルカメラを更に高度なものへ進化させるのは目に見えているからだ。

 最早カメラは写真機でなく、外部へ持ち出せる3Dスキャナーだ。あのお手軽さは大きな機動力となる。ISO感度の上限はますます上がり、シャッター速度も早くなり、手ブレを補正する機能や、撮影者の視線や被写体の目の位置を読み取ったりする機能が盛り込まれて行くのだろう。

 そしてそうやって撮った画像をパソコンで管理し、レタッチソフトで加工し、作品に仕上げて行く。出来上がりは全部パス付きアップローダーかメールだ。そんな時代がもう来ている。速報性と状況描写の観点から、今後はデジタル・ビデオカメラも撮り慣れないとなぁ。

 

 こんな風に考えているからか、もっとお手頃でお気楽なデジタル・コンパクトカメラにも、早くからアンテナを立てていた。最初に気に入ったのはIXYデジタル。アナログ時代のAPS規格には懐疑的だけれど、あの小ささと質感、そしてメカメカしいデザインは好みだった。それで中2のときに、町内会の旅行で使えるお気楽なデジカメを探していたお祖父ちゃんにお薦めしたのだ。お祖父ちゃんもそこからハマったらしく、翌々年にはIXYデジタル300aを買い、昨年は400を買っていた。そうして初代IXYデジタルは私のものとなり、修学旅行に持って行けたのだ。

 けれど初代で定価7万4800円だ。2年後の300aも驚きだが、続けての400はさすがに呆れる。

 

『だってお前を預かる事で、毎月恭司から3万振り込まれるからな』

 

 それ、私の生活費じゃないのか?

 

『食費もお前のお小遣いも、インターネット回線も私のお金だぞ?』

 

 洋服もお願いすれば買ってくれるお祖父ちゃん。逆らえないよ。

 

 そんなデジタルにアレルギーのない私だけれど、意外にもRAW現像はまずしない。マニュアル露出に慣れていて、露出に迷わず、なおかつ色温度・色調・ホワイトバランス、そしてJPEG圧縮エンジンの補正が使いこなせるなら、RAWは時間の無駄であり、余計なデータ量を必要とする悪機能だ。

 勿論、ケース・バイ・ケースなので撮影内容に拠るのはわかっている。だけど新聞部に回す画像や、生徒会から依頼されたものは、すぐさま使わなければならないケースばかりなのだ。そこでこういう撮影方法になってしまうのだ。

 とは言え、デジタルはそういう補正機能が多いので、とてもカラー撮影に向いていると思う。だから私はデジタルだとカラーでしか撮らない。

 逆にアナログはY・O・R・Gなどの白黒用フィルターを使って、昔ながらのフィルムを使うほうが味が出ると思う。何より古いニッ○ールはレンズが黄色み掛かっているのか、素でもコントラストが高い。報道向け、新聞向けと言われるのは、システムの充実度だけでなくそこもあったと思う。悔しいけれどキ○ノンはマゼンダ掛かるので、カラーの人物撮影にとても向いている。ファッションなどのモデル撮影に多く使われるのはそういう事だ。

 

 CFカードは1GBを2枚持っている。これで何カット撮れるのかな? ところがフィルムは多くとも36枚ごとに巻き戻して取り替えないといけない。不便といえば不便だ。

 なのでフィルムは、長巻の100フィート缶でネ○パンの1600と400を、自分で詰めて使っている。だからフィルム・ローダーは二つ持っていた。これを36枚撮りにせず、30枚撮りにして詰替え用パトローネに巻くのが私のスタイルだ。そうすると四切でなく六切でコンタクトシートが作れるのだ。

 愛用の三脚は、スリ○クのフリーターン雲台が付いたマスター三段。たぶん1970年代の製品だ。お祖父ちゃんが昔っから使っていた、黒い塗装の表面がザラザラした古い古い三脚。それをカーボンの脚と梅本のスーパーロック自由雲台に替えたので戴いたのだ。

 その戴き物のマスター三段にクイックシューを付け背中に背負い、肩にはカメラやレンズを詰め込んだド○ケのF-2だ。テ○バのP-595も持っているが、1年生の夏にスカートがとんでもないダメージを食らってしまってF-2に替えたのだ。テ○バの上位モデルは防弾ベスト用の生地で出来ており、耐久性は折り紙付きだけれど、衣類を削るという恐ろしい面がある。

 その予防として背面側に別の布地があるんだけれど、角の部分にそれはない。その時たまたま掛け方が悪かったのか、制服のスカートをボロボロにしちゃったのだ。

 

 ともあれ晩ごはんを終えると、お祖父ちゃんと一緒に出発した。場所は柳洞寺だった。長い長い石段前にクルマを停めて、真ん中辺りにある踊り場で三脚を立てた。ここだと外灯はないし、深山町や新都の灯りも樹々に遮られて夜空が綺麗に写るのだ。

 

「杏子、フィッシュアイレンズを貸してあげるから、そちらでも撮ってごらん」

「うん、ありがとう」

 

 1月末の寒空の下。祖父と二人で天体撮影。私は幸せ者だ。メーターも使えない。ロック機構のあるケーブルレリーズを使ったバルブ撮影。北極星は海側、つまりここからだと左側になるので、星の軌跡は新都側からこちらのお山に流れる。フィルムは400のモノクロだけど、露出は完全に経験とカンだ。

 

「リバーサル・フィルムを持ってくれば良かったかなぁ」

「EFのフィッシュアイが欲しいとは言わんのだな?」

「対角魚眼って言ってもAPS-Cだとね。それならμ-Ⅱにモノクロを詰めて友達を撮ってるほうが面白いよ」

「ま、それが写真の基本だ」

 

 それは何かというと、単焦点のコンパクトカメラに白黒フィルムを入れて、お弁当の最中や廊下で談笑している場面などなど、ありきたりな何気ないところを写させて貰うことを指す。いわゆる本当の意味でのスナップ撮影だ。

 期間限定のそこに通う学生だけに許される、特殊なスナップとも言える。ただこの場合に限り、オートだ。でもそういうカメラなので許して欲しい。そしてこれを現像して、ヤスリで削った特製のネガキャリアに挟んで、13cm×18cmのカビネに2cm程度の白フチを付けて焼き付ける。それを後日被写体になってくれた人に、お礼を兼ねてプレゼントするのだ。

 携帯電話のカメラ機能で画像を交換したり、レンズ付きフィルムのL版カラー写真しか知らない級友たちは、白黒の大キャビネで手渡される、余白が多く細く滲んだ黒フチにたいてい驚く。またその物珍しさやモノクロならではのディティールにシビレて大いに感謝してくれる。

 特にイ○フォードの無光沢で焼くと覿面だ。額に入れて飾っていると言ってくれた人も多い。ただ、プリントが貰えるからとコンパクトだとホイホイ写ってくれ、学園の記録や写真展への応募を目的とする写真部の一眼レフが煙たがられるという、困った現象が起きる事もある。言葉は悪いけれど、要は餌付けになってしまうんだよね。

 

 閑話休題

 

 バブル華やかなりし90年代初頭から、この2000年初頭まで、写りの良い単焦点の高級コンパクト・フィルムカメラが持て囃された。

 ざっと挙げるとミノ○タ TC-1、ニ○ン 28Ti、35Ti、コンタ○クス Tシリーズ(T・T2・T3)、ラ○カ ミニルックス、CM、コ○カ ヘキサー、リ○ー GRシリーズ(GR-1、GR-1s、GR-1v、GR-21)、フ○ クラッセシリーズ(クラッセ、TX-1、TX-2)などなどだ。

 レンズ交換ができるパノラマ専用機のTX-1とTX-2は、古くはラ○ツミノ○タCLやミノ○タCLE、近年ならコ○カ ヘキサーRFと同じくニッチでとてもマニアックなカメラだ。ヘキサーRFは社会人になったら、中古で良いので手に入れたい。だってこれらもフィルムカメラが終焉を迎える今、ほどんどが終息しているからだ。

 そしてこれら高級タイプよりもう少し手頃な、だけど写りはそこそこ良い、単焦点の普及型コンパクト・フィルムカメラがあった。

 ペンタ○クス ESPIO mini、コ○カ ビックミニシリーズ(ビッグミニ、BM-201、BM-301、ビッグミニF、ビッグミニマーメイド)、京セ○ Tシリーズ(Tスコープ、スリムT、Tプルーフ)、オリ○パス μ、μ-Ⅱ、○ジ ティアラ、ティアラⅡ、リ○ー Rシリーズ(R1、R1s、R10)にMF-1、ラ○カ ミニシリーズなどだ。

 私はこの中のμ-ⅡとティアラⅡ、それとMF-1を持っている。最初のμ-Ⅱは発売の翌年、5年生の誕生日にお祖父ちゃんがプレゼントしてくれた。女の子らしく可愛いシャンパンゴールドだ。この35mmのF2.8は中々の写りで、世界中でヒットした。プロもプライベートで使っていたりする名機だ。

 ティアラⅡは中1のときに、実勢価格が随分と落ちたので自分で買った。こちらの色はシルバー。28mmF3.5と少しワイドなレンズが付いていて何かと便利だ。遠足もこれが多いかな?

 MF-1は高校の入学祝いで叔母さんから戴いた。30mmF3.9と暗いのだが、使い勝手は良いし、限定的ではあるけれど絞り優先オートとマニュアルフォーカス機構があるところが良い。

 電池がCR123とCR2に単3といった具合で共用できなかったり、オートフォーカスが甘かったり、周辺光量が落ちたりと欠点もあるけれど、モノクロ・フィルムを詰めると途端に楽しいオモチャとなる。実は一番使っているカメラがこの3台のコンパクトカメラだ。

 

 余談だけど、うちの女性は皆んな鼻が良い。なので母の妹である叔母さんは、とある化粧品会社で調香師をしている。おまけに子供がいないせいか、随分と私は可愛がられている。それでこのMF-1とは別に、FM3Aまで買って戴いた。

 当然ニューFM2の予備として大切に使っている。お祖父ちゃんもお父さんもその事は知っていて、触発されたお父さんもFM3Aを買った。お祖父ちゃんは中身がコ○ナだと言いつつ、散歩用と称してFM10を買った。この後中古でFG-20をMD-14付きで買っていた。今、MD-Eの中古を探しているそうだ。

 このMDっていうのはモータードライブの事だけれど、私もニューFM2にMD-12を着けている。高校生の女の子が別着けのモードラでバシャバシャバシャと撮ると目立ってしょうがないのだけど、体育祭などではやっぱり便利だ。重いのと巻き戻しが手動なのが難点だけれどね。

 

 撮影は午前2時に終えて、私と祖父は新都の家に帰った。ちなみに同じ町内の隣の番地に三枝さんの家がある。そこから駅前や冬木大橋に通じる大通りに出て、交差点を渡った角には蝉菜マンションが建っている。

 氷室さんや美綴さんが住んでいるマンションだ。こう聞くと近いように思うかもしれないけれど、それぞれの家は結構離れている。地方都市だけれど、冬木市も結構広いのだ。




フィルムカメラ……。前世紀の遺物ですね。
ですがstaynightのあった2000年頭は、こんなものでした。
ポケベルが廃れつつあり、徐々に携帯電話を持つ高校生が増えた頃です。ですが、最新の撮影機能付き携帯電話を持つ高校生は限られていました。
アングラな掲示板が巨大掲示板に変化し、パソコンが隆盛を極めた頃です。
スマホもタブレットもありません。某動画サイトが立ち上がったのも第五次聖杯戦争の終わった数年後です。
ですがエルメロイⅡ先生が危惧した、一般人の目は確実にあったのです。
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