2月2日。学園に近づくと昨日より臭(くさ)い。一歩一歩近づくと一層臭いがキツくなる。
すると校門前で、中に入らず学園を睨みつける遠坂さんが立っていた。彼女も何か気付いているみたいだ。どういう事かわかるかと近づいたら後ろから肩を掴まれた。
「シッ、静かに。沙条綾香です。遠坂さんに気取られないようゆっくりと、下足室に入らず弓道場とは反対に」
そこで言われるままに反対へ歩いた。しまった。こういうカタチで来るのか。遠坂さんと沙条さんは同じ『ニオイ』があった。そこに注意すべきだった。
私たちは校舎の前を右側に曲がった。
「おはよう、沙条さん。どうしたの?」
私はいつも通りの表情と仕草で、いつも通りに挨拶をした。気にはなるけれど、彼女の目は私を心配する目だった。だからそんな風に装ったのだ。
「……! そうだね……。彼女のあれは気合を入れてるんだよ。校門を一歩くぐれば、そこからは『遠坂凛』だってね。その『儀式』を邪魔しちゃ駄目だよ」
「ああ……なるほどね」
間違いない。彼女は何かを知っている。そして私を守ろうとしてくれている。けれど、もう少しだけ聞こう。
「あのさ……昨日今日と学園が臭(にお)うんだけど、誰か薬品でも撒いたのかな?」
「臭(にお)い……。そうね、あの臭(にお)いはだんだん酷くなりそうな気がする。来週の今頃がピークかな?」
「……そっか。ありがとう」
「ううん。三田村さん、あなたは賢いね。だから、来週は休んだほうが良いよ」
「ん、ご忠告感謝」
そんな成り立っているのかいないのか不明な会話の後、私はすぐに下足室へ戻った。そこには衛宮君がいて、時々首を振ったりしていた。
いつもなら寝不足を疑うところだけど、この違和感を彼も感じているんだと思う。だけど沙条さんは邪魔するなと言った。『儀式』ね……。彼女は思っていた以上に、こちらに親近感を持ってくれていたみたい。なら忠告は守るべきだ。
下足室で上履きに履き替え、階段を登った。今度は踊り場で待ち伏せされていた。
「三田村部長」
「はい?」
1年生の佐久間悠子さんと新聞部の井上順子部長? この組み合わせは珍しい。佐久間さんは我が写真部のホープで、自前のカメラを早々に買ったりして秋から冬にかけてメキメキと腕を上げている次期部長候補だ。
そして新聞部の井上さんは私と同じ2年生で、友人と言って差し支えないだろう。ただし分類項目は悪友だけれど。
「何かしら? 井上さん」
「いや、毎年の事なんだけど。今年も卒業生向けの特集号を作るからさ」
「ああ、そういう時期だね。過去1年分? それとも2年分?」
「いや3年分。と言っても全部じゃない。1年時は入学と宿泊オリエンテーリング。2年は体育祭と文化祭。3年は日常のスナップがあると嬉しいかな?」
「オリエンテーリングはその3年生が1年の時に撮ったのしかないよ? ちゃんとしたのなら先生を通して写真屋さんに聞かないと」
「そっちも手配済みだけど、卒業アルバムで忙しいのか返事がイマイチで。だから差し替え覚悟の当て馬なんだけど、頼める?」
「コーヒー3日分で手を打つよ」
「……わかった。三田村が可愛がってる佐久間を掴まえたのになぁ。効果なしか」
「ミエミエだっつうの。それにもうじき佐久間さんも2年生だからね。あなたの手には乗らないって。ね?」
「はい。新聞部との付き合い方もご指導頂きましたから」
「ちぇっ。じゃ、期限は2月4日で」
「明後日じゃない! 忘れてたんでしょ!?」
「悪い……」
「コーヒー1週間分だ」
「……了解」
これは今日明日と部室に居残りだなぁ。
午前中の授業を終えた昼休みの食堂。お祖父ちゃんがお昼を外食で済ます人だったので、私も食堂派だった。何より好き嫌いがないので、日替わりの定食を選んでおけば悩まずにすむ。女の子としてはあまり良くないことだけれど、ササッと食べて校内を散策するほうが私には向いている。 被写体を求めて歩き回るのが、休憩時間に於ける私の常だった。
券売機で買い求めた食券を握ってガヤガヤと列に並んだ。本日は『Aランチ』の列だ。係のおばさんに食券を渡し、お盆と箸と湯呑を受け取る。そして『Aランチ』のカウンターまで行き、おかずのプレートとスープとご飯を受け取れば、隅っこにあるお漬物コーナーで、お漬物のバイキングだ。
おっと、本日は柴漬けが出ているのをいち早く発見。一応Aが洋食でBが和食となっているが、そうでない日も多い。けれど無理はないと思う。
本日のプレートは唐揚げ4個とミニサラダ、そしてモヤシとキュウリの和え物が付いていた。どう仕入れてどう作れば、これが400円で提供できるのだ?
ご飯の大盛りや単品のスープにお味噌汁は50円。かけウドンなら150円で、トッピング付きなら200円から。ラーメンでも250円だ。なのでご飯とウドンという人もいれば、家からおにぎりやおかず少なめなお弁当を持参して、ラーメンとともに食べている人もいる。
お盆を持って席を探していると、珍しく弁当持参派の衛宮君がいた。向かいには美綴さん。ふ~ん、『シェフの気まぐれランチ』ねぇ。『Aランチ』や『Bランチ』の定食じゃないんだ? 変わったのを選ぶんだなぁ。
何々……チキンライスに小さな唐揚げが2個。そこにハンバーグとソーセージが2本。付け合せはブロッコリーにニンジンとジャガイモ。ミニサラダとスープは同じだ。
ハンバーグは色合い的に、合い挽きに魚肉ソーセージを入れたカサ増しだろう。唐揚げも胸肉なのはわかっているし、ソーセージも業務用の安いものだと思う。それでも本日のこれは大当たりだ。しまった。あれにすれば良かった……。
対する美綴さんは二玉入ったラーメンに大盛りカレー、更にミックス・サンドイッチ……一日のカロリーをここで摂り切るつもりなのか? 運動量の多そうな人だけど、ここまで食べるのか。凄いな。
授業が終わると私は家に電話を入れた。祖父に帰りが遅くなると連絡を入れたのだ。あいにくお祖父ちゃんは外出中のようなので、留守番電話にメッセージを残した。
それから部室で何時間こもったろう。暗室にある時計らしきものはたいていタイマーだ。なので壁に掛かっていたハズの時計を探した。やっと見付けた時計を見ると、止まっている。誰も電池を替えてなかったか……。
そこで私は一旦暗室から出て、広い方の部屋の時計を見た。あっちゃ~、何とそいつも止まっていた。これは部長たる私の怠慢だ。腕時計は着けないタイプだし、困ったなぁ。取り敢えず外の様子を見ようと暗幕のカーテンを少し開けば廊下は真っ暗だった。
ダブルあっちゃ~だ。下校時刻は大丈夫だろうか? また1年のときの文化祭前みたいに校門を乗り越えないと駄目かな。そんな益体もない事を考えながら廊下の窓から校庭を何気なく見下ろした。
するとそこには……何だ? 何かとんでもなく早いものが動いている。片方は赤い不思議な服装。露出がアンダーになりそうな濃い肌色だ。もう片方は……青? 早くてよくわからない。
うん? あのコートの子は髪型から察するに遠坂さんかな?
あ、青いのが立ち止まったのでやっと見えた。何やら赤い槍を持っている。槍……。あれだ。10年前にも居たって奴だ。ヤバい。私は部室に戻り、中から施錠しカーテンを閉め、部屋の電灯を消した。そして暗室に入って扉を閉めた。暗室の電灯は外部に漏れないからだ。
心臓がドキドキする。10分も経たずに誰かが廊下を走る気配がした。好奇心に負けて暗室から出て、部室の扉に耳を当てた。
『運がなかったなボウズ。ま、見たからには死んでくれや。死人に口なしってな……運もチカラもなかった手前ぇの人生を呪って逝きな……。嫌なシゴトをさせてくれるよ……このザマで英雄とはお笑い草だ……。わかっている、文句はねぇよ……』
ビュンとかシュッという風切り音の中で聞こえた声。その後もブツブツと、何かを言いながら声が遠のいた。去った……? 心臓が落ち着くのを待って、そ~っと扉を開けて廊下を見た。
「さ、さ、さ、殺人事件……!? だ、だ、第一発見者!?」
真ん前に学生服の男子がうつ伏せで死んでいたのだ。被害者の下は血の海だ。私は現場確保のためチョークを探した……。
アホか! それより証拠だ。死体には触れられない。なら写真だ。愛機のμ-Ⅱのストロボをオンにして、被害者を4~5枚撮った。
はぁ~……カメラを持っていると落ち着くなぁ。これが何もなかったら悲鳴を上げて危なかったと思う。だって、ある程度落ち着いていなければ、階段から響く足音を聞き漏らしたろうから。
カンカンと足音が近づいて来る。これは二段飛ばしの駆け足だ。私は即座に部室に隠れた。
足音の人物がこの階に着た。足音の人が誰かに指示を出した。だけど相手の気配はなかった。残った人物は遺体を検分している様子だ。
『なんであんたが……あの子がどんな…』
あのくぐもった声は遠坂さんだ。グラウンドに居たので、たぶんそうかなと思っていた。そして廊下が一瞬真昼のように光った。何だ? 彼女は何をした? やがて廊下から気配が消えた。
扉の隙間から廊下を見ると遺体が仰向けになって呼吸をしていた。あ、でっかい宝石見っけ。あ~~っ! 起き上がった被害者がポケットに宝石を突っ込んだ。
なんて奴だと思ったけれど、彼は清掃用具入れから雑巾を取り出して自分の血を拭いていた。律儀なゾンビだなぁ。ちらりと見えたそのゾンビの顔は衛宮君だった。彼も何か居残り作業をしていて……ああッ!
もしかしてグラウンドに見に行ったのか……? それで見つかっちゃったんだ。あんな怪しい存在、普通は隠れて見ないか? いや、隠れていても発見されたのか。
私は衛宮君がフラフラと帰るのを見送った。その後呼吸を整え、戸締まりをしてから家路についた……。一体全体何だったんだろう?
家に戻り食事を済ませた私はお風呂の中でも、ベッドに入っても今夜学園で起きた事を考えていた。あまりにも衝撃的だったので、お祖父ちゃんにも話せなかった。
衛宮君を殺したであろう男は、自分を『英雄』と言った。遠坂さんはその死んだ衛宮君を、何らかの方法で蘇生させた。赤い槍を持った青い男と、両手に剣を握ったアンダーな赤い男。そして遠坂さんは誰かに指示を出した。
微かに聞こえたワードは『アーチャー』。そうだ……その『アーチャー』に『ランサー』を追えと言ったのだ。となると衛宮君を殺害した犯人は『ランサー』という奴。きっと槍を持った男だ。
『嫌なシゴトをさせてくれるよ』……殺人教唆だ。つまり黒幕がいる。そいつは誰だ……?
そう言えばA組の文化祭の出し物が『英雄』に関するものだった。あれは女子が提案し男子が乗ったから決まったと聞いている。女の子が『英雄』。言い出しっぺは蒔寺さん辺りだろうけど、女子が団結したのは遠坂さんが賛成したからではないか?
何よりあの剣とか槍とか持った者たちは人間ではない。きっとファンタジー的な精霊か何かだ。それを使役して怪獣や悪い精霊と闘う。そしてそんな精霊を使役する方法を遠坂さんは知っているんだ。
彼女の家は地元に古くからある大地主……それって間桐も同じだ。わかった。それ自体が何なのかはわからないけど、ともかくその能力があるかないか。
きっとそれが間桐君にはなくて、妹さんにはあるんだ。だから養子なんだ……。
お祖父ちゃんに以前聞いたことがある。事件や事故でなくとも、死んだ人の名前は新聞に載る場合があるって。
なんて言ったっけ? ふ……? あ、訃報だ……。そうだ、こういうのは地元の名士なら絶対に載るんじゃないか? 地方紙でもローカルな冬木の新聞だ。それの10年前。そこに遠坂さんの親が載っていれば間違いない。
10年前なら遠坂さんのお父さんかお母さんだ。そして今が遠坂さんなんだ。理由はわからないけど、精霊を使って殺し合いをしている……。それが『儀式』……? それでもって、沙条さんもその『儀式』に参加している?
いや……関係者っぽくはあるけれど、遠坂さんが敵視していない。となると……遠坂さんのような能力はあるけれど、参加していないってこと? じゃ、他にも何人かいる?
そして精霊は全員外人っぽい容姿をしていて、何かしらの武器を持っている……。
『見たからには死んでくれ』……なんて一方的でムカつく言葉だろう。逆だ! あの男が衛宮君を殺す瞬間を撮れていたなら、大伸ばしにして駅前に張ってやる。こんな殺し合いの『儀式』か何だかが、罷り通るのがおかしい。なら、匿名での告発だ。そんな勇気はないけれど……。でも……悔しい。
だって、先日の一家惨殺事件もそうだし、オフィス街のガス漏れ事故も怪しいと言えば怪しい。全部繋がるような気がする。
真夜中、家が揺れた。地震かと慌てて飛び起きた。
私の部屋は2階だけれど、電柱の外灯が近いのでカーテンを閉めないと結構明るい。それでカーテンを開ければ1階の屋根くらいは背の高さがある、どす黒い大男が暴れていた。
例の精霊だ。大きな石というか岩を削って作ったかのような剣を振り回している。その姿はまるで棍棒を振り回す黒鬼だ。ああ、日付が変わったからか……。
相手は青いドレスの上に白銀の甲冑をまとった少女……。あ、水面のあの子だ。
私は1600のフィルムをカメラに詰め、窓の隙間からSP90mmやお祖父ちゃんから借りているニューニッ○ール 180mm/F2.8を突き出し、教会のある坂を移動するまでに4本も撮った。
暗いけど街灯があるのでバッチリだ。ただし、やや遠い。けれど白銀の少女のかなり後ろに衛宮君と遠坂さんがいるのは撮れた。また、大男の後ろに銀色の髪を持った小学生くらいの子供がいたけれど、この子もしっかり撮れた。
きっと大男の精霊を使役しているのが銀髪の子で、白銀の鎧が衛宮君だ。遠坂さんの『アーチャー』は、ここから見えないところから狙っているのだろう。何故なら大男に時々矢が当たっているからだ。爪楊枝みたいに弾かれているけれど。そして5本目を詰め替えようとしている時に皆んな教会側へ移動していなくなった。
暗室で電灯を落とすと、暗くて赤いランプが光るだけです。時間も何もかも本当に忘れます。
学生時代に校門を乗り越えた事は何度もありますし、社会人となってみれば、暗室を出れば終電が終わっていたとか、翌日の朝だったとかザラでした。
それが今は明室でパソコン相手ばかりです。