一般人の杏子は一般人のままです。なので聖杯戦争には絡みません。
2月3日の朝。完全無欠なまでに完璧紺碧な睡眠不足だ。結局朝まで一睡もできなかった。何だあの黒鬼は。しかも遠坂さん、今日はあなたの誕生日だよ?
遠坂さんはミス穂群原のときに、豆まきの日が誕生日だと全校生徒に知られているのだ。だから私も憶えていた。そんな日に……鬼のような精霊と真夜中に相対するって、良いのそれで?
本日、学園は休みだ。けれど、私は新聞部からの依頼を片付けるために登校した。臭(にお)いは相変わらずある。日の高い時間に行って、日のあるうちに帰ろう。もう、あんな場面に出くわすのは懲り懲りだ。
お昼頃。持参したパンを食べるために、ドリンクを買いに自販機まで行った。思わずポケットからカメラを取り出した。衛宮君とあの子だ。2~3枚撮った後、話しかけてみた。
「衛宮君、こんにちは」
「三田村……。あれ? 写真部でか?」
「そう。だからこっちは制服。そっちはお姉さんにお弁当の配達?」
「そうなんだよ、公私混同もいいところだ。参るよ、ったく」
『お姉さん』とは衛宮君たちC組の担任である藤村先生のことだ。藤村先生の家が、親の居ない衛宮君の後見人をしている。なので、これまでに数回こういう場面を見掛けていたのだ。
「そちらの方は?」
「ああ……亡くなった親父の知り合いだ。日本に遊びに来たんだよ」
へぇ。お父さんの知り合いね……。つまり、以前はお父さんが精霊使いだった? うん、そんな気がする。だから最悪の場で衛宮君を救けられた。きっとそれだ。
『こんにちは。三田村杏子です。衛宮君のナイトですか?』
『え? ええ。セイバーと申します。そうですね。シロウを護るために来ました』
英語で話しかけて正解だ。ナイトを護衛と解釈し直した。最初はギョッとしていたけれど。それと『セイバー』さん……ね。急いでいるみたいだから、そこで別れた。
夕方と呼ぶにはまだ早い午後2時。日のあるうちに、何とか新聞部からの頼まれ仕事が片付いた。年度別のネガシート・ブックから、お目当てのネガを見付ける作業は昨日で終えていた。なので今日は焼き付けだけだったので、1時には終わっていたのだ。
実際は午前中に焼き付けて現像し、水洗に回してからお昼にした。午後は水洗から上げて乾燥だ。暗室にズラッとぶら下げて本日終了。休み明けに回収して新聞部へ渡せばお終い。納期ピッタリ。コーヒー一週間分にプラスして『気まぐれランチ』をねだろう。
食材の買い物を済ませて家に帰ってからは、昨夜のフィルムとμ-Ⅱに入っていたフィルムを現像した。乾燥に回してから晩ごはんの用意をしつつお風呂を沸かした。
「ごめんね、お祖父ちゃん。掃除機掛けてもらって」
「構わないよ。こうやって料理を作ってくれるだけでありがたいさ」
「お祖父ちゃん……」
「ん、どうした?」
「後で、暗室で。10年前の剣を握った女の子が居た」
「何だって?」
「それに、今日学園に来ていた」
「そうか……」
食後暗室で現像したフィルムを見せながら、私の推測も交えてお祖父ちゃんに説明した。
「つまり学園に、こういうのを使役する者が二人も居ると」
「そう。60年でなく10年で始まったから、子供の世代なんだと思う」
「そういう事だな。となると他に居てもおかしくはない。前回も2週間ほどで終わっている。学園を休むか?」
「行けるところまでは通うよ。けど、一人にはならないし、危ないと思ったらサボってでも帰る」
「うん、それが良い。それとその使役者との会話は十分注意しなさい」
「だね。この『儀式』の事も、撮影している事も話さないよ」
お祖父ちゃんには友人が多い。だから衛宮と遠坂、そして間桐の家を調べて欲しいとお願いした。
2月5日。美綴さんが入院した。昨日部活帰りに襲われたそうだ。
どうも新都の繁華街をたまたま通りかかった沙条さんが襲われるのを、美綴さんが身を挺して救けたのだとか。そしてこれまたたまたま通りかかった陸上部の蒔寺さんが、一緒に救急車に乗って付き添ったという。怪我も大したことがないようだし、何より命が無事で良かった。
このところ新都ではガス漏れ以外に、女性が襲われる事件が起きていた。犯行場所は繁華街の裏手や、誰も居なくなった夜のオフィス街。美綴さんと氷室さんの住むマンションがその辺りだ。
そしてさるスジ(新聞部の部長)からの情報によると、美綴さんと間桐君が部室で昨日言い争っていたらしい。となると……臭(くさ)いなぁ。精霊を間桐さんから借りるか横取りした? そんな気がする。あのいいカッコをしたがる見栄っ張りならやりそうだ。
待てよ……。学園が臭(くさ)いのは、あいつが何かを仕掛けた? だってアピールをしたい相手が何人か居るわけだし。確か遠坂さんにフラれたとかどうとか……。
部活禁止で全校生徒が帰宅を促されたが、私は部室のロッカーに置いてある備品の中からシルバーのニコ○ートFT3を選んだ。ボディはこの他に、シルバーのニューFM2とFG-20、モータードライブMA付きキ○ノンのA-1とE○S-Kiss5がある。
これは別に私の好みではない。元から部にあるものだ。歴代の顧問や部員がコツコツと部費を貯めて買い揃えたのだと思う。純正レンズもニュー・ズーム・ニッ○ールの43-86mm/F3.5やAiズーム・ニッ○ールSの35-105mm/F3.5-4.5、Aiマイクロ・ニッ○ール 105mm/F4.0くらいで、後はタム○ンやトキ○ーのズームが2本あるだけだ。
そこでE○S-Kiss5とEF50mm/F1.8Ⅱとのセットを、昨年私が寄贈したのだ。高校生がどうしてって? そのフィルムカメラのセットが去年の写真展での金賞商品だったのだ。理由もある。中身が10Dと変わらないKissデジタルならともかく、この手の賞品とは思えないフィルムカメラなんだもの。
そんなニコ○ートFT3にAiマイクロ・ニッ○ール 105mm/F4.0を着け、1600のフィルムを入れて校内を歩いた。目的は間桐君だ。カメラは保険だった。持っていると勇気が出るというか、安心なのだ。廊下ですれ違った遠坂さんが随分と怖い顔をしていた。彼女も間桐君が怪しいと思っているのかな?
結局見付からなかったので、帰るべく下足室に向かった。カメラは明日返せば良いだろう。すると突然女子の悲鳴が聞こえた。下足室の反対側のガラス扉の向こう────。
体育館と繋がる通路で、髪の長い女が女子生徒を襲っていたのだ。ガラス越しだが幸い曇りも反射もない。ガラスを磨く業者さんに感謝だ。首に噛み付いて血を吸っている? 私は下足ロッカーの陰から何枚も撮影した。やがて足音が聞こえたので下足室横のトイレに隠れた。
チラっと見れば衛宮君だった。そして数瞬遅れて、左袖を捲くった遠坂さん。何だ? あの左腕に浮かぶ、青白い入れ墨のようなものは? 下足室から出て行ったので、再び陰から撮影した。後ろ姿だったけれど左腕を重点的に。
その後、時間稼ぎに部室に寄ってカメラを返し、フィルムを抜いて家に帰った。お祖父ちゃんと相談の上、私は翌日学園を休んだ。
2月6日。朝から嫌な予感がする。食事を作ったり、掃除や洗濯をして気分を誤魔化しているが、気持ちは一向に晴れない。
思い浮かぶのは昨日の髪の長い女性。あれは絶対に使役者が命じて襲わせた。たぶん血液そのものではなく、人の精神力や生命力────何かそういうのを奪って自分のエネルギーにしているんだ。そして新都で襲われたという事件。被害者は一様に心神喪失状態かつ機能不全状態で、生命の危機にあるか死亡に至っている。
そこで考え付くのがそうする理由だ。あの精霊は自分で活動に必要なエネルギーが生み出せないのではないか? そしてそれを供給できる能力を持つのが本来の使役者だ。だけど間桐君にそれはない。あの男、クスリでも注射しておとなしく眠らせられないものなのか。
調べ物に出ていたお祖父ちゃんが戻ったのは午後6時だった。
「今日、学園で大騒ぎあがあったようだ。救急車が何台も来ていて、職員や学生が病院に運ばれた」
「え!?」
「杏子が感じた何か……それが働いた結果だろう。それに気になる写真が撮れた」
以前みたいにお寺を訪れたお祖父ちゃんは、外国人の女性を撮っていたのだ。何でも柳洞寺に居候している、2年A組の担任葛木先生の許嫁だとか。
「あ。絶対この人も精霊だよね? 耳が精霊だと言ってるようなものだもん」
「だろうなぁ。それとマウント深山であの小さな女の子を見掛けた。そっちはともかく、学園関係者で三人、いや四人だ」
何だそれ……何だか怖いなぁ。明日も休もうかな。
「杏子、学園をしばらく休みなさい。最悪は転校も視野に入れるべきだろう」
「……そうだね。命あっての物種だもんね……」
2月7日。今日から学園が休校となった。子細は電話をくれた級友から聞いた。
やはり昨日、あの臭(くさ)い何かが発動したようだ。校舎内はガスの不完全燃焼に拠る一酸化炭素中毒で、グラウンドに居た人たちは美綴さんの事に対する心因性の集団パニックと寝不足が原因だったと彼女は話していた。それは絶対にない。だけど否定はしなかった。
学園が休みなら堂々と外を出歩ける。私はお祖父ちゃんと一緒に教会に向かった。遠坂さんのご両親のお墓がそこの墓地にあるとわかったからだ。これは確認だった。お祖父ちゃんが既に調べていて、ご両親というより遠坂さんのお父さんの享年が10年前だと判明したからだ。
冬木の教会は家から近い。すり鉢状になったバス通りの交差点から坂を登ると教会だ。この坂は見晴らしがとても良く、左手には海が見える。ただし右手は壁というか崖だ。この上が墓地だった。坂を登りきり教会の前まで行った。
「お祖父ちゃん、ここ冬木教会じゃなく言峰教会っていうんだ?」
「そう、それが正式名称だよ。今の神父さんのお父さんの代に建てられたものだそうだ」
「へぇ~」
するとお祖父ちゃんは教会の前の花壇に水をやっている、この寒空でアロハシャツ一枚の男性に声を掛けた。
「すみません」
「ん? なんだい?」
振り向いた男性は長身で筋肉質だった。そして髪は青く襟足だけ長く伸ばして金属の環で髪を纏めていた。そして耳には細長い不思議なカタチのピアスをぶら下げていた。だけど私の頭はアドレナリンがドパドパだった。
『見たからには死んでくれや』
声でわかった。よく見れば瞳も血のように赤い。あの衛宮君を殺した槍の精霊だ。だけど10年前の男性とは違っていた。そうか、精霊は入れ替わるのか。
知ってか知らずか、お祖父ちゃんは墓地への道順を聞き、男性をスポーツマンだと見做して褒め称え、『槍投げが得意』と聞き出していた。
「オリンピックに出たなら応援しますよ」
「ッハハ。そうだな……ま、そん時ゃ頼むわ」
そんな言葉を引き出し、写真まで撮っていた。プロだ。
その後ご挨拶をして墓地に向かったが、広い範囲で見事なまでに破壊されていた。だけど目的の遠坂のお墓は残っていた。R.I.P.は『Gracious Living』。優雅な生活? あ、人生か……。遠坂さんのお父さんだなぁ。だけどそれなら『Graceful Life』じゃないか? 石屋さんがうっかり間違えた?
「杏子、こっちから出よう」
2~3枚写真を撮った後、墓地の横手にある小路からバス停のある交差点まで戻った。滅多に誰も通らない石造りの階段は、お祖父ちゃんにはキツいだろうに?
「カンだよ。さ、さっさと帰ろう」
そうして私たちは家に帰りお昼を摂った。午後はお祖父ちゃんがまた独自で取材、私はコーヒーを楽しむために喫茶店に入った。新都の大通りから少し入った場所にある、『アーネンエルベ』という名の喫茶店だ。
このお店は色々な料理が注文でき、できないものはないと学生の間で噂のお店だった。案の定先客に何人か知っている人が居た。その中に、氷室さんと沙条さんが居た。
軽く挨拶をして異なる席についた。ちょっと贅沢をしてコロンビアのエメラルド・マウンテンを頼んだ。ここのは焙煎度合いが『シティ』なので、やや酸味があり苦味がない。実に私好みなのだった。
「……つまりこの冬木に埋まっている何かとは……」
ん? 何だ?
「ズバリ、米軍の仕業であろう?」
あ、氷室さん、ガスのほうから考えたのか。なるほど、ガスを発生する不発弾ねぇ。太平洋戦争でそんなの使われたのか? でも沙条さんはめっちゃ安心した顔をしていた。だろうなと思う。氷室さんもそうだが、沙条さんも基本優しい人なのだろう。
そして話し終えた二人がこちらに近づいた。氷室さんからのお誘いで、美綴さんのお見舞いだった。その帰りに重要な相談をしたいという。何だろう?
沙条綾香と杏子を最初に絡めたのはミエミエの意味があります。