トーチウッド。その組織の起源は1879年まで遡る。当時スコットランドで恐れられていた狼男伝説だが、その伝承は真実であった。当時のヴィクトリア女王が狼を崇拝する教団による暗殺未遂を受け、未知の脅威から大英帝国を防衛すべく秘密機関トーチウッドを設立した。それ以降、地球外生物や異次元生物、タイムトラベラーなどの英国における異常存在はトーチウッドが対応することになっていた。本来は時空の亀裂までもがトーチウッドの管轄であったが、あまりにも多い発生件数を鑑みて英国政府が亀裂調査センターを立ち上げ、亀裂に関する対応のみ管轄を移したのだった。
「2007年にカナリー・ワーフを中心に大規模な戦闘行為があった。お前達も覚えているだろう?鋼鉄で作られた兵士、そして得体の知れない金属の兵器。俺たちも銃を手に取って戦ったが、連中は強すぎた。地球上で最強の戦力を保有していた確信があるが、連中はさらにその先を行った。人類の科学力を遥かに超越した存在──トーチウッドは戦いの末に解体されたよ」
「にわかに信じがたい話ですが……」
「それを言うなら現状も同じだ。時空の亀裂を抜けて、未来世界へやって来て、未来の生物に襲われている。これも一般人に喋れば、にわかに信じがたい話だと思うが?」
「……信じます。ではその後、この建物は?」
「さあ。俺はすぐにトーチウッドの記録文書のうち自分に関するものを書き換えて、レコン──記憶処理剤の投与を回避して逃げ出したからな。ああ、完全にトーチウッドを敵に回したわけじゃあない。今の所属にいるのもトーチウッドの斡旋があって、それをクリスティンが拾ってくれたおかげだ。しかしこの建物がその後どういう顛末を辿ったのか俺は知らない……政府が闇に葬ったかな」
だが、と隊長は指を立て、部下の注意を引き付けた。
「間違いなく確信していることがある。1つ、ここのセキュリティは管理者がいなくなったところで崩壊するようなものじゃあない。現に外の化け物どもは侵入できていない。政府が管理を怠って防衛システムを取っ払った可能性もなくはなかったが、それも次で否定される。2つ、ここには外の化け物を駆逐する兵器が腐るほどある。未来や地球外の技術を取り込んで製造された特殊装置だ。世界の歴史を書き換えられるような代物だ、外部に漏らすわけにはいかないから、当然セキュリティは厳しくなる。それを手に入れて、現代へ帰還しよう」
「未来の……装置ですか」
半信半疑な様子を見せる部下に対し、隊長が鼓舞するような声色で返答する。
「ああ!現にオリバー・リークが亀裂調査センターへの反逆行為を行った際、生物を制御していたのは未来の技術だ。未来は俺たちが欲するものの宝箱さ」
隊長は銃を構えるよう部下にハンドサインを下した。部下が一斉に、しかし静かに銃を手に取って行動の準備を整える。
「さあ行くぞ。案内する」
生き残った隊員6名が、かつてトーチウッドと呼ばれていた建物を慎重に巡回してゆく。ガラス張りだったはずの地上階はトーチウッドの技術で強化されていたらしく、1階で捕食者との遭遇はなかった。高度な技術で保存された非常電源が奇跡的に生きていたため、施設内へのアクセスは可能だった。異空間から突如姿を現した球体の研究室を覗く。密閉されていた部屋はやはり数百年ぶりに扉を開かれたのであろうが、密閉されていたために室内には埃も大して堆積せず清潔だった。しかし期待とは裏腹に、中はもぬけの空。部屋に隠されていた銃火器はもちろん、球体を探知するための無数の検出器までも持ち去られていた。ジャサー・サン・グライダーなど無数の物体が保管されていた空間に向かうが、ここも綺麗に何もかもが回収されていた。エレベーターは当然電力供給の断絶とともに停止しているため、銃口を上下にしっかりと向けながら、捕食者への警戒を怠らず階段を一歩一歩丁寧に登ってゆく。
やがて最上階に到達した。裂け目を開く研究が千回も行われていたこの階層であれば何か見つかるかと期待していたが、ここも空振りだった。裂け目の開閉装置のレバーはオンライン側に入っていたが、とっくにシステムは閉鎖されていた。あの戦いの最後にここで何が行われていたのか、一瞬だけ想像力を働かせた──が、すぐにそこから見える光景に目を奪われ、現実に引き戻される。
外に見える建物の全てに例の捕食者がいた。くすんだ色に沈んだ世界で、灰色の魔人が闊歩している。そしてその奥に見えるのは断崖絶壁。世界の半分を突如消し去られたような切り立った崖が、かつてロンドンだった領域に荘厳な地形を刻み込んでいる。おそらく最下層は森林か何かになっていて、捕食者が主に狩猟の場としているのはそこなのだろう。外を見ると寒気が走る。しばらく見つめていると、向こうもこちらに気付いたようだ。地上では扉をこじ開けようとするコウモリが群れているのだから、こうなるのも時間の問題だとは思っていた。他の建造物の屋上や壁を飛び跳ね、次々に捕食者がトーチウッドタワーの根元へ結集しはじめる。
「……まずいな。連中がとうとう動き出した」
「早く見つけましょう。この階にもないなら──」
「隊長。この階の探索は完了しました。武器はおろか、バリケードになりそうなものさえ残されていません」
「……」
トーチウッド1の解体後、所蔵品は全て別の場所へ移されていた。いくつかはキャプテン・ジャック・ハークネスが指揮を執るカーディフのトーチウッド3へ。いくつかは同じくロンドンを本拠地とするUNITロンドン支部へ。時空の亀裂へ応用できるものは亀裂調査センターへも横流しされていた。自らトーチウッド1を後にしてクリスティン・ジョンソンの下で軍人の道を選んだ彼には知る由もなかった。期待を悪い意味で大きく裏切る報告を受けた隊長は、目に手を当てて項垂れる様子を見せた。十数秒ほどそのまま考え込んだ彼は、ある決断に至った。だがその表情は決意を固めた表情ではなく、苦虫を噛み潰したように顔に皺を深く刻み込んだ顔だった。部下たちはその表情を見て、隊長の身を案じる。
「隊長……」
「……最終手段だ。この手は使いたくはなかったが、もう仕方ない」
「最終手段というのは?」
「トーチウッドが解体されてもこの建物が厳重に管理されていた理由だ。それを今から使う……使わざるを得ない」
フーッとため息をつき、隊長は話を続ける。
「危険な兵器を収集しているから施設が保存される……それは当然だ。悪用されると大惨事を招きかねない。だがもう1つ理由がある。危険な生物を収容していることだ」
「危険な生物……?」
「外の奴らみたいなものですか?」
「ざわつくな。そうだ……と言いたいが違う。トーチウッドが捕獲・管理している生物は地球外生物。地球人に並々ならぬ敵意を抱く連中だ。知性も高い。こいつらが脱走すれば世界が滅びる。外に居る未来生物の出現を待たずしてな。だから、生物収容エリアは厳重に封鎖されている」
「待ってください……外に居る化け物に、この施設の化け物をぶつけると!?自殺行為ですよ!」
「それでもやるしかない!」
突然の隊長の叫びに、部下はたじろぐ。この状況で危険性を最も正確に理解しているのはトーチウッドに勤めた経験のある彼だけだった。彼にとっても苦しい決断だった。決断を下すまでに相当の精神的苦痛をその身に受けていたのだろう、彼の迷彩服が湿り気を帯びている。髪の毛もしおれ、頬もトーチウッドタワーへの突入時よりも痩せこけているように見えなくもない。息を荒げながら、隊長は続ける。
「それでもどうにかやるしかないんだ。さもないとここで乾き死ぬか、外の連中に引き裂かれて死ぬかだ。……ここにいるエイリアンを解放して、連中にぶつける。双方が争っている間に亀裂を抜け、現代へ戻るぞ」
部下は数秒の間沈黙した。隊長の鬼気迫る表情を見止め、部下たちも賛同した。
トーチウッドタワーの地下収蔵庫。ここに保管されていた機材も上階と同様に軒並み他の組織へ移送されていたが、そんなことは想定済みだった。狙いはエイリアンの武器ではなく、エイリアンそのものを外の捕食者の群れにぶつけることだ。空っぽの部屋を通り抜け、重々しい鋼鉄のゲートの前に立つ。
「よし……今からゲートを開錠する。全員いるか?」
「ええ」
「はい」
「はッ」
──静寂。本来ここで訪れるはずのない沈黙に、隊長は眉をひそめる。部下も同様だった。周囲を振り向いて確認するが、やはりおかしい。5人いたはずの部下が3人に減っている。
「……オイ、捕食者の攻撃はあったか?」
「いえ、ありません。それは断言できます。もし捕食動物の攻撃であれば、確実に轟音がします。それこそ、先ほど我々がこの建物に突入した時のように」
「叫び声だって聞こえるでしょう。それに2人だけを襲って我々を無傷で返すとも考えにくい……捕食者による攻撃ではありません」
「ではどうしたというのだ。何も言わずに立ち去るなど」
「手洗いか?」
「それにしても一言くらいは言うだろう」
「それもそうだが……」
若干の不安と苛立ちに駆られる部下をよそに、隊長はトランシーバーを取り出す。姿を消した隊員2名に呼びかけるが、返事はない。2人の端末は不通になっていた。
「……仕方がない。ここで2人が来るまで待機だ。待ちくたびれて死ぬことにならないといいが」
その発言に、部下が何か思いついたというふうの表情をする。
「……隊長」
「どうした?」
「待ちくたびれるといえば……この施設は数百年放置されていたわけですよね。中のエイリアンは死亡していないのですか?」
「なんだ、そんなことか。中のヤツはどれだけ長い寿命を持つか分からんようなヤツだ。それも、水や食料なしでも生きていけるような。もしかすると空気さえ必要ではないのかもしれないな」
「そんなことが……」
「ありえるのさ。我々の世界では。あの電子ロックを解除してしまえば──」
ふと、隊長の発言が止まる。部下たちも隊長に目をやり、彼が見つめている方向へ視線を送る。
電子ロックは、既に解除されていた。