絶望の世界と天使の時間   作:TUTUの奇妙な冒険

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この世界の果てに

「まさか、そんな──」

隊長が電子ロックに近づき、目を見開いて確認する。電子ロックが開いていることを示す、緑色の光が灯っていた。

「嘘だろう、そんな──」

「隊長!」

「今からゲートを開ける。全員、目を閉じるなよ。必ず目を見開いて、中に居る奴を見つめるんだ。目を閉じるときは進言しろ」

部下全員が承諾する。それを確認すると、隊長がハンドルを回しゲートを開く。徐々にゲートが横へ動いていき、隙間が大きく開いてゆく。部下たちは皆固唾を飲み、隊長の顔には冷汗が浮かんでいた。彼は自らの体が冷え切っていることを痛感していた。この世に起きてはならない事態が、今目の前で起きている可能性が非常に高い。腕に垂れた汗は、地下からの湧き水を汲んだかのように冷え切っていた。氷のごとき冷気を抱きながらハンドルを回す。

 

ゲートが完全に開き、収容エリアの全貌が全員の目に飛び込むと、そこには今までに何度も目にした光景が広がっていた。

 

虚無。

 

凶悪な地球外生物はおろか、何一つそこには残されていなかった。

 

「何──」

その瞬間、何か硬い物が折れる音が響いた。咄嗟に振り向くと、つい先ほどまで行動を共にし、会話を交わしていたはずの部下たちが忽然と姿を消していた。その代わりに三体の彫刻がその場に置かれている。天使の形をなした石像。こちらへ手を伸ばす石像、両手で顔を覆った石像、両手を広げて笑みを浮かべている石像。三者三様だが、唯一この場に残された男は全てが同じ敵意を持ってこの場に居ることを理解していた。

嘆きの天使。この種族の起源がどの惑星で、いつ頃この宇宙に出現したのかは全く不明である。そして普段は彫刻の姿に擬態し微動だにしないが、目を離せばその動作は地球上のあらゆる生物を超越した水準にある。この生物に出会って生き延びる方法は、できる限り目をそらさずにその場から立ち去ること。ほんの瞬き程度の一瞬であれど、目線をそらせば即死に等しい。見なければ死ぬという極限状態に置かれ、心臓が脈拍を速めていくのが分かる。

「そういうことか……消えた部下は既にお前達に……もう脱出していたというわけか……」

男はこれまでに起きた全ての現象に納得していた。じっと天使像を見つめ、その場を後にする。うっかり目線をそらしてしまわないか、目にゴミが入らないかという懸念要素が膨れ上がる中、加速する拍動をこらえながら、男はどうにか天使たちの居るエリアを脱出した。このまま天使を誘導し、外の捕食者の群れと衝突させる。可能性は限りなく低いと分かり切っているが、これに賭ける以外の手は最早残されてはいなかった。

 

 

数分後、トーチウッドタワーから脱出せんとする男の目に激痛が走っていた。どうやら天使の目を見つめてしまったらしい。天使が目の中に入り込み、脳内で着実に力を増している様が痛いほどに感じられる。痛みをこらえるために目をこすり、眼輪筋をほぐしてみるが、全く効果はない。むしろ頭蓋骨を内側から押し広げるような痛みが増大していた。自分の肉体が何か異質な物へ変化してゆく恐怖も同居していた。目から砂のようなものが流れ落ち、体が硬くなってゆく感覚がする。男は自らの死期を悟った。かつて勤務したこの建物の中で果てるのも、何かの因果なのかもしれない。

男は必死に死から、天使から逃れようともがいていたが、一瞬だけ諦念が脳裏をよぎった。天使はその隙を見逃さない。男の目と脳が剥離し、大量の血液を噴出しながら、中から天使が具現化した。

 

 

 

やがて天使はトーチウッドタワーの扉を開け、外界へ進出した。タワーへの侵入を試みていたコウモリたちは、すぐさまその異変に気付いた。突然扉が開き、彫像が出現したのだ。一見人間に見えるが、心拍はなく、動作はない。はじめのうちは突然の出現に警戒態勢を敷いていたが、ただの動かない物体であると悟ったコウモリはすぐにその彫刻から興味を失った。

 

それが命取りだった。

 

次々にコウモリの群れから個体が消えていった。コウモリたちは当初、何が起きているのか理解が追い付かなかった。超音波を介したコミュニケーションを展開する最中、突然同胞からのメッセージが途絶えた。断末魔も上げず、突如として音波が消失したのだ。心臓の鼓動さえも、その止まる過程を知覚させずに消え失せた。その方向に目をやると、先ほど退屈させられた彫刻がいた。まるであたかも彫刻が攻撃を開始したかのように。

 

目を凝らしていると全く動かない彫像だが、目を離した隙に再び同胞が消された。群れがパニックに陥り、無茶苦茶に彫像を攻撃する者、八つ当たりで群れの他の個体に手を出す者、人間の遺物を破壊する者が出始めた。しかしコウモリも愚かではない。これを延々と繰り返すうち、莫大な脳容積を用いてある結論を導いた。

 

この彫刻は、見ていない間に動いて攻撃をする。

これが分かれば後は簡単だった。群れで徒党を組み、天使1体につき数頭のコウモリで囲み込む。彫刻は沈黙した。そして一方的な破壊の嵐を炸裂させる──

 

──はずだった。

しかし、天使の構造はコウモリの想像以上に硬いものであった。彼らの爪は削れ、振り下ろした腕は激しい反動とともに弾かれる。虚しくも腕に痺れが走る一方、天使像は相変わらず涼しい表情で中央に佇んでいる。周囲からの集中砲火は何一つ影響を及ぼせていない。

 

彼らには知りえないことだが、天使の体は量子ゼノン効果による束縛を受けている。クォンタム・ロックとも呼ばれるこの状態では、一切の変化が発生しない。状態変化もなく、物理的な破壊も一切通用しない無敵の完全防御形態。この時代でいつもコウモリが相手にしている虫とはわけが違う、未知の領域に足を踏み込んだ防御機構だった。一切の攻撃が通用しない相手にコウモリは粘り続けるが、鉄さえも捻じ曲げる自慢の攻撃力が完全に無力化されていた。

こうしている間に、コウモリの監視網に穴が開き始める。一頭のコウモリが消去され、連携の断たれたコウモリが次々に天使の攻撃を受けてこの世から跡形もなく消されてゆく。

 

同胞を次々に消される中で、コウモリは新たな思考の段階に達した。

「見ている」と「攻撃できない」。

ならば「見ず」に「聴く」と良い。

彼らは音を視ることができると評価されるほどの異常に卓越した聴力を持っていた。そして、その聴力が感じ取るのは、自らが発した超音波による探知網。この聴力をもってすれば、天使たちを視認することなく観察ができる。

 

コウモリが瞳を閉じ、空気を振動させ索敵を開始する。緻密な探知網の中を何者かが高速で接近している。天使の動く様子が、音波の反響で手に取るようにわかる。高速で動く天使の腕が自らの体に触れる寸前に、コウモリの腕が天使の首に炸裂した。鉄柵を突破するほどの爆発的なエネルギーが、クォンタム・ロックの支配下から離れた天使の首に一点集中する。あまりの衝撃に耐えられず、天使の首が割れ、破片を巻き散らして地面に落下する。

 

スピードは互角だった。数十メートルの距離を瞬きの合間にほぼゼロ距離まで詰めることのできる嘆きの天使に対し、未来の捕食動物は至近距離から放たれたEMDを回避し、熟練の兵士の視界に残像さえも残さない速度で動く。両者の速度は、人類の目線からすれば拮抗していると言ってよいだろう。

 

それに加え、生物兵器として生み出された捕食動物は、戦闘におけるカンが天使よりも冴えていた。いかに凶悪な地球外生物といえど、彼らは野に生きる獣ではない。偵察し、敵兵を引き千切るために生まれた生物は、相手の動作や弱点を読み解く能力に長けていた。これが勝因だった。

 

 

落下音を確かめたコウモリたちは勝利に沸いた。だが天使たちが尚も動いた。ひと時の勝利に胡坐をかいたコウモリたちが何頭か、生きていた痕跡を忽然とこの世界から抹消される。だが、心音の消失に気付いた同胞たちは、即座に目の前の敵に向き直り、超音波の探知網を展開した。次に砕かれるのはお前たちだ、と言わんばかりに。

 

 

 

彼らが生み出したこの戦法がどこまで通用したか、それは誰も知らない。

 


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