異世界の騎士、地球に行く   作:Anacletus

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第127話「其々の戦い」

 

―――ユーラシア特別航行禁止海域【黄海】。

 

「♪~~♪~~」

「その歌、止めてくれませんか。傭兵」

 

「運び屋には今更だ。オレはこの仕事が終わったら、東北の片田舎でファーマーをする予定でな」

 

「はぁ……まぁ、いいでしょう。バーナード中尉」

「おはようございます。少尉」

「作戦行動を開始する時間です。行きますよ」

「はッ!!」

 

「仕事は至ってシンプル。マーカーを付けた全ゾンビをターゲットとして撃破。揚陸拠点の驚異度判定を行います。今作戦において今後来るべき大陸奪還へと向けた大規模揚陸作戦の成否が決まると言ってもいい。全員、生きて祖国の土を踏みましょう」

 

「ははは、祖国は遥か東の彼方だろうに」

 

「我々、新鋭の若年層が仮想揚陸戦域に投下される意義を知りなさい。傭兵」

 

「お~怖い怖い。カワイイ顔が台無しだぜ? 18歳の少尉殿」

 

「親父さん。そろそろ弄るのは止めて下さい。少尉が真面目に貴方を公命罪で処分しようかどうか悩むような顔をしてます」

 

「ははは、上等だ。その意気があれば、帰って来れるさ。そのひよっこ共をよろしく頼むぜ。クリス」

 

「クリストファー少尉……」

 

「ああ、そんなに睨まないで。お嬢さん。笑顔笑顔。下士官に対する適切な態度は忘れちゃダメだ」

 

「少尉。さすがにクリストファーさん相手じゃ分が悪いですよ」

 

「バーナード中尉まで……」

 

「この部隊の中核は少尉です。この試験装甲車両システムの完成如何で事の正否が決まる以上、我々に失敗は許されない。でしょう?」

 

「……そうね。今の祖国の混乱の最中だろうと我々は自分の仕事を全うしましょう。北海道で任務に殉じた仲間達の為にも……」

 

 ユーラシア大陸には主に3通りの揚陸地点が日米において設定されている。

 来る大陸奪還作戦の為に上海、香港、ウラジオストクの三か所が選定されており、その領域に付いては常にUAVによる上空からの偵察、海上や低空を奔るドローンによる監視が続けられていた。

 

 米陸軍の基本構造は近年、組織改編によって極めて縦割りが排除され、三軍である陸海空の緊密な連携による作戦指揮が可能になっている。

 

 そんな彼らが希望を託す大規模揚陸作戦の予定がここ数か月の政情や大規模な敵性勢力の国内での台頭で繰り上げられた。

 

 従来の機甲戦力を凌ぐ新型の特殊装甲車両はユーラシア遠征の肝だ。

 

 無理な行軍を強いられる可能性のあるゾンビ満載の巨大な檻の中で補給線を維持するのは極めて難事。

 

 で、あるならば、基地を造っての持久戦で相手を減らすという事を考えるわけだが、それがそもそも不可能だったから、彼らは本土を失陥した。

 

 ならば、相手に見つからず、補給を限界まで減らして、相手を倒し続ける事が求められるというのは誰でも解りそうな答えだ。

 

「後30秒で真上だ。揚陸小隊の皆さん。善き旅を……グッドラック」

 

「日本訛りが酷い。次はもう少しマシなモーニングコールを所望するわ。傭兵」

 

「車両切り離しまで14秒。オートロック解除。システム・チェック。コール正常。超低空でのアプローチ開始。道端と立体駐車場。どっちが好みだい? 小隊長殿」

 

「立体駐車場で」

 

「OK。ランディングは完璧だ。ヘマしておっこちんなよ?」

 

 その明け方に大陸から見えた影は巨大な鳥のようにも見えた。

 

 しかし、そうではない。

 

 薄緑色の輝きが装甲のあちこちに奔る下に大荷物を抱えた鋼の鷲。

 

 そのような形にも見える。

 音はしない。

 

 風切り音だけを響かせて32mの翼と48mの胴体が人の足音が途絶えた上海の空に舞う。

 

 ローターすら使わないジェットエンジンの音もしない。

 

 そんな漆黒の大鷲の下。

 

 歪み、曲がり、風を切り、風に撓る大翼がブレーキを掛けて、低速で崩れ掛けた立体駐車場の屋上へとソレを投棄した。

 

 同じ漆黒に薄緑色の光の幾何学模様を宿した箱がファサッと何か箱に布でも掛けたような音と共に黒く血があちこちにこびり付いた屋上へ着陸する。

 

 寸前に箱の下部が変形し、車輪らしき膨らみが左右に8輪。

 

 スムーズに地面へと降り立ったソレが勢いを殺さずに駐車場を上から軽やかに回りながら降り始めた。

 

 ゴムがギュルギュルと立てる音はせず。

 

 風が吹くようなサァァァッという音だけが廃屋化した駐車場には響く。

 

 それでもゾンビは引き付けるようで。

 

 まだ残っていたらしいゾンビが1体、2体、その動く黒い箱に突撃し、呆気なく跳ね飛ばされ、寂びた手摺の先へと落ちてグシャリと地面で黒いリンゴのように潰れた。

 

「少尉。衝突時の異常ありません」

 

「了解しました。クリストファー少尉。周辺警戒は任せます」

 

「OK。こちらは任せて下さい」

 

 大きなコンテナ一つ分程の大きさのソレの内部は薄暗いが、ディスプレイとスイッチ用の機器だけが煌々と装甲に奔るのと同じ光に照らし出されている。

 

 メーターらしきものは見当たらないが、座った3人の座席周囲は其々にオペレート用の透明なガラスの板が湾曲して180℃視界を蔽っており、周辺状況を全て映し出すモニターとなっていた。

 

「チェック項目001から211までを順次消化。自動チェック機能に問題無し」

 

 そう確認したのは後方に2人の部下を抱えた年若い黒人の女。

 

 編み上げている赤褐色の髪をモニターの輝きに鈍く照らされながら、彼女はカーキ色のデジタル迷彩色の肌へピッタリと吸い付くようなスーツ姿で呟く。

 

 その唇はルージュこそ塗られていないが軍用のリップで薄く艶めき。

 

 顔立ちは白人を思わせる。

 両親のどちらの性質も継いでいるのだろう。

 

 細めれば愛嬌もあるだろう顔立ちをしてはいたが、現在の彼女の眉間には皺が寄せられており、まるでモニターに映るゾンビ全てを射殺すかのようであった。

 

 その首には何やらお守り代わりか。

 

 木製のトーテムポールらしきアクセサリーが掛けられている。

 

「少尉。市街地の最新のゾンビ総計が出ました」

「何体?」

「3400万体から7000万体程と見積もられます」

 

「そう……やはり、多いわね。他の仮想戦域より」

 

 バーナードと呼ばれた彼女よりも階級が高いはずの青年は20代前半くらいだろうか。

 

 ラテン系らしく。

 

 鼻が高く顔立ちは彫りが深い天然パーマなカールした黒髪の上には制帽が被られている。

 

 だが、通常のものと違うのはすぐに見れば解るだろう。

 その表面には機器に奔る光と同じ幾何学模様が奔っている。

 

「少尉。残り12秒で市街地の道路に出ます」

 

 クリストファー。

 

 そう呼ばれた40代のハワイ出身のレンジャーは本来その場所にいるはずもない人間に違いない。

 

 何故ならば、彼は特殊車両を乗り回す人間ではなく。

 密林や自然の中で戦うレンジャーだからだ。

 

 嘗てシエラ・ファウスト号が寄った島でヒューリと共に冒険を経験した老後は料理店経営を望む彼は今、慣れぬ機器をそれでも確かな手付きで操作している。

 

「公道に出ます。3日前のドローンのデータから構築した市街地の3Dマップを表示。マーキング済みのMZGの凝集密度を更に表示」

 

 彼ら三人しか載っていない漆黒のコンテナ型の車両が公道に出た後。

 

 すぐにピタリと制止した。

 

 途端にその表面が瞬時に背後の景色を透かすように消えていく。

 

 光学迷彩。

 

 周辺領域の状況をリアルタイムで投影するタイプの極単純なものであったが、その精度は今の今まで彼らが見た技術の中でも一番だろう。

 

「少尉。何処から向かいますか? 此処から一番近い集団は11時方向の駅周辺ですが、数が総定数の2000体より若干多いです」

 

「向かいましょう。まずは肩慣らし。この子の性能を引き出すには丁度良い数でしょう」

 

「了解です。時速45kmで目標地点を望めるビル屋上まで向かいます」

 

 彼らの乗った箱が低速ながらも不可視化されたまま進み始める。

 

「周辺ビル壁面からの逆観測しましたが、光学迷彩はこの速度ならば、問題無くデータ処理が追い付いているようです。これで第一目標クリアですね」

 

 バーナードの言葉に新任少尉が頷く。

 

「目標地点まで残り15秒。その後、停止無しの壁面走行に移ります、身体のロックを確認して下さい」

 

 クリストファーの言葉に他の二人がしっかりと腰と肩のスーツの接合部が席に自身が固定化されている事を確認した。

 

「壁面まで3、2、1」

 

 瞬間の出来事を語るならば簡単だ。

 

 時速45kmで前方に見えた雑居ビルの壁に向かって箱が突撃し、前方の膨らんだ装甲の内部からゴム製らしき車輪が見えたかと思うと、壁面に激突する瞬間に前方車体をウィリーするかのように弾き上げて、そのまま車輪で壁に圧着し、コンテナ型の車両が瞬時に壁を昇り始めた。

 

 明らかに重力に逆らうオカシな状況だ。

 しかし、速度は変わらず。

 

 すぐに昇り終えたコンテナは屋上の淵にまるで脚を掛けるような動作で車輪を伸ばして吸着しつつ、金属製の手摺を拉げさせて乗り上げ、すぐに不可視化した装甲で車輪を蔽って停止した。

 

「第二目標クリア。視界良好。光学観測開始」

 

「カメラを展開。視界は通ってます。いつでもどうぞ」

 

 バーナードが少尉の言葉に外部カメラを車両の上部と側面から3つずつ展開する。

 ソレはまるで貝が上下に開いたような平たい代物で僅かに内部から見える小さなレンズが8つ。

 

 蜘蛛の複眼のように車両前方の空間にある駅周囲を光学的に観測した。

 

 レンズの反射でバレるというようなことは有り得ない。

 マジックミラーの如く。

 外部からの光だけが内部からは観測出来るのだ。

 

「マーキングされた目標は駅構内にも多数と思われます。この構造から言って……推定数を更新。約2000から52000」

 

 クリストファーの言葉に少尉は目を細めた。

 

「ビルの火災報知器や諸々のシステムは生きてるか分かるかしら?」

 

「周囲の建物に電源が生きている様子はありませんが、地下鉄などの配線が一部生きている可能性があります」

 

「了解。では、ビルの根本で始めましょう」

「OK。遠隔ユニットを排出」

 

 クリストファーの声に車両下部から丸い球体状の黒い物体が車体前方に排出され、コロコロと転がってピタリと屋上の淵で止まる。

 

「駅構内の予想見取り図は出来てる?」

 

「はい。既に予測図が【ED(エド)】から提示されています」

 

「良い子ね。予測はAIの得意分野だけど、特にこの子は優秀よ」

 

 少尉が優し気に座席のコンソールを撫ぜる。

 

「少尉。システムにうっとりするのもいいですが、お仕事もお願いします」

 

 バーナードの声に少尉がハッとしたように我に返って、咳払いをした。

 

「ん、んぅ……では、この子の出した回答が正しいかどうか。確認するわ」

 

「遠隔ユニットを起動。此処最近は雨が降ってないようで良く燃えそうですよ」

 

 クリストファーの声と共に球体が淵から転げて地面に落ちていき。

 

 そのまま弾みながら駅構内へと正面から突入していく。

 

「内部の観測を開始。予測図と照合……79%以上構造が合致。どうやら人が立て籠った跡が在ったようですね。そこが無ければ、92%でした」

 

「燃え易い場所はもう答えが出てるようね。壁を燃やして周辺の更に大きな集団のいる付近を捜索させて」

 

「了解です」

 

 その指示に黒い球体が駅構内の木製のテーブルが密集していたラウンジの色褪せた壁紙の下にゆくと数秒でボッと壁に火が点いた。

 

 それを置き去りにして黒い球体が転がりながら周辺の探索へと向かっていく。

 

 そうして、待つ事数分。

 

 駅構内から黒々とした煙が昇り始め、次々に周辺区画から煙に釣られてゾンビ達が姿を現す。

 

 その多くが時間経過で炎が上がり始めるのを見て、駅構内に形無き動くものを求めてゾロゾロ入っていく様子は正しく集団自殺現場のようであった。

 

 その行列は嘗て人がいた頃を思い出せるものかもしれず。

 

 駅の発火によって篝火へ集まる羽虫のように誘導されたゾンビで周囲が埋め尽くされていく。

 

「Oh~~スゴイ光景」

「日本訛りが酷いわ。クリストファー少尉」

「ああ、済みません。すっかり、馴染んでしまいまして」

「駆逐状況は?」

 

「【ED】からのカウント数は3万を超えました。現在、この屋上に注目している観客は0人。周辺地域からの密集も順調。共食いが始まるまでは300秒ってところでしょうか。まぁ、それでも炎の方に寄っていく方が多いですけど」

 

「最終的な駆逐数の予想は?」

「39万弱です」

 

「では、MZGの密集を待ってからの離脱機動を開始するわ」

 

「「了解」」

 

 三人だけの箱の内部。

 

 彼らは全ての機能、全ての状況を実地でデータ収集するべく。

 

 危険な任務へと没入していく事になる。

 

「ビーコン設置。遠距離通信……繋がりました。一基3億……量子通信はさすがに繋がるようですね」

 

「こちら特務強行偵察分隊。リリー・ベイツ分隊長。応答願います」

 

『イエロー・シー・コントロール。繋がっているわ。感度良好。新型の量子通信ビーコンは正常に作動をこちらでも確認しました。おめでとう。貴方達が最初の通信相手よ」

 

「その声は……アンジェラかい? アンジェラ・ラムセン?」

 

 クリストファーの声に通信先の相手が驚いたような声を僅かに上げる。

 

『あら? これは懐かしい声……あの空飛ぶ潜水艦以来じゃない。クリス』

 

「HAHA、まさかな。こんな所で君の声を聴くことになるとは……」

 

『こちらに配属されたの急だったのよ。つい二日前』

 

「こほん。オペレーターの方と我が隊のレンジャーは知り合いのようですが、生憎と任務中であって控えて頂きたい」

 

『あ、そうね。お仕事お仕事。他の2地点の方もUAVで観測しているけれど、順調そうよ。これからどうなるにしろ。24時間の作戦終了まで気を抜かないでね。回収部隊の揚陸艇ドローンは準備が終わっているけれど、小型海獣類の駆除が今は忙しいわ。離反した艦隊も警戒してて、回収は日本への帰還を考えると2回が―――』

 

「CP? 何かありましたか?」

 

 リリー。

 

 そう名乗った少尉がお喋りな声が不意に止まって耳を澄ませる。

 

『ぁあ、何て事……こちらイエロー・シー・コントロール。悪い知らせよ。第二地点と第三地点の強行偵察隊が追い掛けられてるわ』

 

「まさか?! ゾンビにこの子達が見付かるわけ―――」

 

『お嬢さん。それがゾンビじゃないみたいよ』

 

「ゾンビじゃない?」

 

『丁度第一地点にビーコンが放置されてるわね。起動寸前に襲われたみたい。こちらから起動して……と。OK……やはり、速度的にゾンビじゃないわ……システムの映像を拝借。今、映すわね』

 

 三人の画面端にはワサワサと蠢く黒い多足の生物が背後に追って来るのが見えた。

 

「なッ、あ、蟻!?」

 

 彼らの前に映し出されたのは次々に車両へと追い縋る黒光りした触覚を持つ蟻。

 それも明らかに遠近法を駆使してもオカシなサイズの大群であった。

 

『これは北米で観測されていた巨大昆虫類のようね。ああ、居場所がバレた理由は何となく想像付いたわ』

 

「どういう事ですか!? この子達の静穏性は―――」

 

『臭いよ。フェロモンを使って昆虫類は同族を誘導したりするでしょ? 昆虫類の視界に関する研究はそれなりに行われていたけれど、その車両の光学迷彩を見破れる程じゃない。となれば、完全静止中だった視覚外にいる車両を見付ける事が出来るとすれば、臭いしかないわ』

 

「そんな―――この子達が対ゾンビ戦術の要となっていくのに……」

 

「少尉!! 四時方向のZ集団後方から何か蠢くものが!!」

「報告はハッキリしなさい!!」

「映像解析……処理補正終了。最大望遠距離からのものです」

 

 バーナードが画像を丁寧に処理して何種類もフィルターを噛ませ、CG補正を掛けたソレを映し出すと三人の顔色がさすがに悪くなった。

 

 大量の蟻だ。

 

 黒光りする蟻が炎を噴き上げ始めたビルに突進するかのように進んでいた。

 

 道中のゾンビ達を食い散らかす様子は極めて狂暴。

 

 噛み裂き、脚で圧し潰しながら迫って来るのは明らかにゾンビとはまた違った脅威だった。

 

『リリー少尉。今、HQから撤退命令が出たわ』

 

「そんな?!」

 

『対ゾンビ戦闘に特化された機体じゃ、蟻さんに喰われるのがオチって思われたみたいね。実際それ当たってるわよ。今、第三地点に投下された機体から送られていたバイタルサインがロストしたわ』

 

「う、嘘……この車両の装甲は既存のチタン合金よりも固いんですよ!?」

 

『前に巨大昆虫類のデータを見た時に蟻酸の変質って話が載ってたわ』

 

「蟻の酸?」

 

『撤退なさいな。どんな成分か分からないけれど、ドロドロに溶かされながら昆虫のお腹の中に入るのはゾッとする現実かもしれないわよ?』

 

「リリー少尉!!」

「少尉。彼女は嘘を言ってない」

 

 バーナードとクリストファーの声に彼女は唇を噛んだが、すぐに切り替えた様子でコンソールを操作し始めた。

 

「強行偵察小隊。これより帰投します!!」

 

 未だ、揚陸への道程は遠く。

 車両が壁を来た時とは逆に真っ逆さまに下り始める。

 その最中、歯を軋ませた女は確かにリベンジを誓ったのだった。

 

 大陸奪還。

 

 その努力への報いは遠い木霊のように未だ返る気配も無かった。

 

 *

 

 人の住んでいた大地が動く屍のみならず。

 

 巨大な昆虫にも支配され始めたという事実に米軍が震撼している頃。

 

 善導騎士団の大使は巨大なバックヤードの裏側で積み上げられたダンボールの壁に挟まれた道を歩いていた。

 

「こんなに広い場所なのに人があんまりいないんですね?」

 

 今日も今日とて外回り中の少年の背後に今日はミシェル。

 

 陰陽自のフル装備を外套内にしまい込んだ鎧の女の威圧感を背後に本日の訪問先である物流の現場企業。

 

 要は運送業大手の役員が3人。

 

 ニコニコしながら、社会見学に来たようにしか見えない少年へ機械化の波である云々の説明をし始めた。

 

「つまり、人件費を削減して、運送業はドローンや自動化の波に乗れた、と?」

 

「はい。現在、技術的にドライバーとして優れた人材以外は人員整理中でして。データから最新の日本各地の地図情報を読み込み。現場のトラックのリアルタイム映像から地図上に現れない障害物や諸々の高度な運転を必要とする場所を走り込んでAIの学習を補助。最終的には完全に運転の自動化を行う事になってます」

 

「……此処に来た甲斐がありました」

 

「その……訪問内容なのですが、業務に関連した事だとか? それで何かお仕事の相談でしょうか?」

 

 役員達にしてみれば、期待していたと言わざるを得ない。

 今話題の善導騎士団。

 新技術がもしも転がり込んで来れば、間違いなく儲けが上がる。

 

「ええ、ある意味ではそうかもしれません」

「ある意味では?」

 

「人員整理で解雇した方々のリストが欲しいのと貴社に少し売り込みたい商品がありまして」

 

「商品、ですか? それにリスト……一体どういう?」

 

 自動化されたリフト付きの車両が次々に荷を何処かへと運んでいく。

 

「これから善導騎士団は日本全国の遠隔地に至るまで日本政府の許可の下、大規模な地下輸送網の構築を行う事が決まりました。

 

「―――地下輸送網?」

 

 思わずゴクリと50代、60代の役員達が唾を呑み込んだ。

 

「御存じの通り。現在、日本各地にBFCを名乗る者達の手によるゾンビの侵入が確認されました。西日本で多くの交通網が一時混乱。包囲を行っている場所が幾つもあります」

 

「はい。それは報道で……我が社としても輸送網の再構築を行う事になりました」

 

「今後、同じような事が起こる事を想定した場合、どう頑張っても地表を攻め切れない事もあるでしょう。そんな時、輸送網が使えずに内部の人間が飢えて死ぬなんてことが現実に起こり得ます」

 

 少年の瞳に役員達が思わず背筋を泡立てた。

 言いようのない瞳だった。

 そう、まるで何かを決意したような輝き。

 

 決して、子供が宿して良い類のものではない事が合理主義な大人である男達には分かったのだ。

 

「現在、日本国内の大手輸送業者は人員整理と同時に機械化を進めていますよね? 地表は確かに機械の方がいいと思うんですが、地下輸送網の構築に辺り、働くのは機械では不足でして。大勢のドライバーが必要になったんです」

 

「どういう事でしょうか?」

 

「この地下輸送網は同時に大都市圏の移住。そのセカンドプラン。つまり、この日本がゾンビに占拠された場合や環境の激変による居住地の消滅に備えた大規模な地下世界の構築を意味します」

 

「「「「?!!!」」」」

 

 さすがに男達の空いた口は塞がらなかった。

 

「ですが、さすがに善導騎士団も地下輸送網自体は3()()()()()()()()()()()、道ではなく都市を地下に建造するとなると、その数倍は掛かります」

 

 一体、何を言われているのか。

 

 そもそもこれから日本中にトンネルを掘るのに3か月で大丈夫とか正気の沙汰だろうかというのはさておいても都市をその何倍かの時間で造るとか言い出す子供の戯言に……本当に大人達は困惑と共に戦慄するしかなかった。

 

 それがもしも冗談と言われれば、彼らの顔も解れただろうが、生憎とそんな相手でない事は各業界に秘書と共に現れる善導騎士団のフィクサーの話を聞けば、理解出来る。

 

 曰く、大手建築業者達に今後に行われる数千()円規模の大規模工事を受注したとか。

 

 曰く、各地の林業従事者達に大規模な伐採計画を指示したとか。

 

 曰く、日本全国のリサイクル業者とゴミの埋め立て地に錬金術的な商売を提案したとか。

 

 まぁ、全ては噂だ。

 SNSとかに飛び交う噂。

 

「この間に地下輸送網を行き来出来る人物を養成する必要がありまして。その為にリストがあれば、提出願いたいと。これは他の大手の方々にも要請している事です。また、この件に関して日本政府からはリストは個人情報保護法などに掛からない超法規的な措置の範囲下で利用される事が確約されています」

 

 その言葉に彼らは知る。

 最初から彼らに選択肢らしい選択肢など無いのだと。

 出さないと言えば、出さなくていいだろう。

 

 だが、今後来るべき時代にリストを提出を拒んだ会社がどう見られるのか。

 

 恐らくは人類の救済を真面目に考えている善導騎士団への協力はその実績も伴って無言の圧力というものを帯びるまでになっている。

 

「養成と言いましたが、地下輸送網はどのようなものなのですか?」

 

「ゾンビの侵入を防ぐ為、道そのものに仕掛けを施す予定です。危険なものになる為、万全の態勢を取って運営する事になりますが、その安全策に機械よりも人間を使うのが一番なんです」

 

「……分かりました。リストの件は数日中にはお送りしましょう。それでもう一つの売り込みたいものというのは?」

 

「これから緊急時の物資運送用に善導騎士団の転移ポータルを開放します。ですが、これは国家管理となり、通常業務では緊急時にしか使用出来ません。国家規模のインフラとして整備する予定ですが、物資の配達先は大手の運送業者の方々の拠点にしようかという案が立ち上がりました」

 

「―――それは東京被災時に使われた、あの空間を超えて荷を届ける力ですか?」

 

「ええ、ですが、極めて慎重な運用が求められます。もし一歩間違えば、人類を滅ぼせる力です。爆弾、生物化学兵器の投射がコレで行われれば、どうなるかは想像が付くでしょう」

 

 沈黙が周囲に降りる。

 

「ですので、管理責任者や中間管理職の数。更に優秀な人材が正社員でしっかり揃っているところを選定している最中です。お値段も相応のものになります。緊急時以外は基本的に大規模な国家事業規模での建材などの搬送に使いますが、今後の人類復興時には活躍する予定です」

 

「……それを我が社にという事でしょうか?」

 

「売却基準は()()()()満たしていますが、詳しい事はこちらを参照して下さい。今日はありがとうございました」

 

 パンフレットらしき厚い資料が役員の一人に手渡される。

 

「もう帰られるのですか?」

 

「ええ、これからまた4件程回らなければならない会社があって……」

 

 明神と共に頭を下げてから去っていく背中を役員達の誰もが凝視せざるを得なかった。

 

「……転移による国家規模輸送業。管理人員の増加、か」

 

「どうします?」

 

「乗れば、確実に儲けもあるだろうが、それに比例して人件費も掛けねばなるまい。吊り合いが取れるようにはなっているのだろうが、その手間を惜しむかどうか……それを視られてるな」

 

「子供のような姿をしていましたが、噂の通り。単なる子供と見て甘く見ていると痛い目に合いそうですね……」

 

「さぁて、どうしたものか」

「答えは決まっているのでは?」

 

「企業とは利益を上げるだけではなく社会に儲けを還元せねばならない。そんな創業家の社是など合理主義の前には些細な問題だ……しかし、これは損をしても取らねばなるまい」

 

「維持費や人件費を出して尚おつりが来ますか?」

 

「同業他社に新分野を占有されてもいいなら、今の業務形態で我が社は規模を維持し続けるのは可能だろう。だが……新しい技術と国家との繋がり、更に社会への影響力の拡大は経済的な合理性を欠いても重要だ。社会的な地位の向上はそのまま規模の拡大に繋がるからな」

 

「人類の滅亡を前にして人類の復興を見込む。夢物語では?」

 

「ならば、賭けてみるかね? これから転移輸送業で培われるだろう人材のノウハウで我が社が今後100年どれだけ規模を拡大出来るか……少なからず信じてみようじゃないか。商取引の基本は信用なのだから」

 

「信用に足ると?」

 

「あの瞳……あの小さな背中が人類を背負って立てるか否か。私は生存に50年物のウィスキーの樽を掛けても構わんよ?」

 

 役員達の誰もが頷いた。

 緊急の役員会が開催されたのはその翌日。

 

 全開一致の結果はすぐに善導騎士団の総務に電話と共に伝えられ。

 

 リストもまた手づから役員が持参する事になったのだった。

 

 *

 

「良かったのですか? かなり、人を切って稼いでいた企業でしたが……」

 

「ええ、ああいう人達こそ、僕らの味方としては是非欲しい人達です」

 

「どういう?」

 

「僕らの世界では風見鶏は自身の力の証明という話があります」

 

「……つまり、我々の動き次第だと?」

 

「僕らが彼らの懐にお金と仕事を入れ続けられる限り、ああいった手合いは信仰や思想、場の空気を無視して付いて来てくれると思うので」

 

「恐れ入りました。ですが、見て来たようなご意見ですね」

 

「いえ、昔にお爺ちゃんが商売人の話をしてくれたんです。愉しげに……守銭奴だけど悪人じゃない人間が商売をしていれば、儲けが見込める限り、どんな物でも揃えてくれるし、自分の邪魔をすることもない。それが稼ぎぶりが悪辣で人情の無い商売人てものだと」

 

「御爺様がですか……」

 

「ウチは特殊な研究をする反面。そういう()()を仕入れるのに苦労していたんだそうです。ただでさえ片田舎でしたから」

 

 死を研究する一族。

 そして、その研究成果たる己。

 

 その話は明神も秘書業を初めてから幾らかして少年から聞かされていた。

 

 魔術師がどういうものであるか。

 

 それを語ってくれる少年の言葉を理解すれば、きっと人倫に悖る素材もあったのだろう。

 

 それを想像しながらも彼女は何も言わず。

 黒のセダンを運転しながら、次の会社へと向かう。

 この数日で大企業を数十社。

 

 それも陰陽自と関係無い広報関連と大企業を行脚する少年は今や時の人だろう。

 

「今の内に日本国内の総合防衛力を固め切らなきゃなりません。それも東京だけじゃない。日本全国を……ベルズ・ブリッジの第二から第六の計画も順調に設計が終了する予定です。四国、中国地方、関西、更に本州と北海道。列島を全て繋げられれば、何処が落ちても大規模な避難は可能になります」

 

「これが地表と海を使った表向きの計画。そして、地下輸送網と地下都市圏がそれの補完計画となると」

 

「どうなるにしろ。今のところ地球環境の異変の根本原因を解決するのは不可能なんです。もし環境の改善が見込め無くなれば、地下への移住だけが大勢の人々を生かす手段になるでしょう」

 

「その為の【AAP(アンダー・アーコロジー・プロジェクト)】ですか」

 

「はい。でも、幾ら大言壮語を吐いてみても、僕は勉強不足です。毎日、魔術で専門書なんかは脳裏で読んでるんですけど、Aの本を読むのにBCDEの本を読む必要に駆られちゃったりして……」

 

「日本の受験生の多くが納得してくれる勤勉さですよ。騎士ベルディクトは……」

 

 苦笑込みで本当に後ろの少年の努力に頭が下がる思いの明神が都内の様子を見て、目を細める。

 

「そう言えば、総務から善導騎士団製の端末の出荷台数がようやく500万台を超えたと報告がありました。引き続き陰陽自で中枢のチップセットを大増産してますが、4か月後には完全に日本国内の1人に1台の規模で充足します。ただ、生産設備をどうするのかとの話が……」

 

「北米とオーストラリア、ASESAN、英国への輸出分を増産して予備を備え切るまでは稼働で」

 

「分かりました。軍用のハイエンド版を警察、公安、行政省庁に配布していますが、それも予備を増産という形でよろしいですか?」

 

「今後、政府関連の人員は増えるでしょうから、現在の総数の3倍くらい増産して下さい」

 

「了解しました」

 

 少年は駆ける。

 

 嘗てフィクシーが要人達と会っていたように。

 違うのは多くの人に仕事を頼み。

 その姿勢で相手に納得させ。

 先に目指す光景が人一倍どころか。

 今の人類の遥か果てである事に違いなかった。


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